いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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炎の契約

 生まれて初めて足を踏み入れた闘技場は大歓声と熱視線で俺を迎え入れた。

 空と大地が音によって振動する中、俺は同じく剣を持った子供と戦い、そして殺した。

 俺と同じように剣闘士として育った、俺と似た背格好の子供だった。

 ユゴスの民は血が濃いからか、褐色黒髪が一般的だ。

 だから、並べば兄弟のようで、俺は兄になった気分でそいつと一緒に過ごしていた。

 殺した瞬間は克明に覚えている。いつだって何度だって思い出す。心の深い傷。

 いままでにない歓声が汗みずくの背中に降り注いだあの得も言われぬ気持の悪さ。

 柔い肉に突き刺さった刃の生理的嫌悪感。震える手、死を理解していない子供の瞳。

 

 「──死ね」

 

 観衆たちを仰ぎながら、己の罪から目を背けて俺は叫んでいた。

 もしかしたらそれは、己自身に向けた言葉だったのかもしれない。

 呪いだった。自分を、世界を燃やし尽くさんとする劫火だった。

 

 「死んじまえ」

 

 声そのものは嘲笑と歓声によって消えていく。

 けれど俺は、血と臓物に染まった黒鉄の剣を掲げながら世界を呪い続けていた。

 そして日を隔てず翌朝には次の試合を組まされた。直刀を背負った十二歳ほどの綺麗な顔をした子供だった。冷え切った機械のような瞳でただただ俺を見つめていた女の子だった。何事かをずっと呟き続けていた。

 ユゴスの言語ではない。多分、何かどこかの祈りの言葉だったと思う。

 猛威を振るって襲い掛かる斬撃を二度、三度と躱し、或いは受け止め、受け流した。

 彼女の戦い方は美しかった。基本に忠実で、鍛えて鍛えて鍛えぬいた努力の剣だった。

 刃の端々から死にたくないと告げる彼女から、俺は一つ一つの技術を盗んでいった。

 剣の握り方。足の運び方。ある意味では彼女こそが俺の師匠だった。

 ……たぶん、俺が戦えていたのは絶対的な才能の差。その一点。

 恩恵すら授かっていない子供同士の戦いなんて対格差があれば簡単に覆る。

 まして実戦経験に雲泥の差があれば番狂わせなんて欠片も存在しない。

 現に俺は彼女との戦いで全身に深い刀傷を受けていた。いつ失血で意識を失っても可笑しくなかった。

 俺が勝ったのは偶々だったと思う。

 頭の側面を打とうとした剣を払い下げたとき、彼女の身体が目の前で()()()()

 俺はそのたった一度の隙を見て……ああ、そうだ。

 綺麗で、まるで戦乙女のように戦った彼女の頭に手のひらの鋼を叩きこんだんだ。

 剣が顔に半ばまで食い込んだ。血と骨と脳漿が四方に飛び散った。手が痺れて、それなのに殺した感覚だけがずっと腕に残って……そして彼女の森人(エルフ)を思わせる美しい顔が原型を失っていた。

 これが二度目の殺人のすべてだった。

 

 俺が剣闘士になって三年の時が流れた。

 その間、数えきれないくらいの戦いがあった。

 夜空をいっぱいに飾る星々を一つ一つ数えてもなお終わらない夜があった。

 百を超える子供を殺した。千を超える人を斬った。万に近い命を奪った。

 殺して、殺して、殺されかけて……地獄の螺旋は留まるところを知らない。

 擦切った心と、冷え切った瞳。いつか殺した少女のように、俺もまた殺人機械と化していた。

 代償行為のように稼ぎを適当な慈善施設に寄付した。闘技場の子供を鍛えてやった。

 それでも、そんな足掻きを嘲笑うように世界は地獄のままだった。

 いっそ死ねば解放されていたのに、死んで楽になるのが許されない罪業を背負っていた。

 助けて欲しかった。叫びたかった。けれど俺より強い人間は味方に一人もいなかった。

 息を吐くのが辛かった。心臓の鼓動が邪魔だった。戦うのすら億劫になりかけていた。

 

 そんな先で────運命に出会った。

 

 彼女は星だった。満天に輝く星々ではない。宵闇に煌めく一つ星。

 彷徨っていた俺を導いてくれた導べ星だった。

 初めて人のぬくもりに触れた。初めて人の好意に触れた。初めて人の感謝を貰った。

 日々の一つ一つが宝物だった。戦いだけの夜なんて忘れさせてくれる千夜一夜だった。

 だから俺は、彼女の英雄になりたかった。

 彼女の命を、心を救える英雄に。

 

 『でも、お前は助けられなかった』

 

 ────死神が悪態をついた。

 

 『なぁ、ユート。ユート・アピス』

 

 『お前は本当に卑怯なやつだ』

 

 『彼女の求めた英雄になれば許されると思っているのか? それだけの【死】を築いておいて』

 

 眼下に広がる屍山血河。じっと見つめる殺してきた人の貌、顔、面。

 深淵のような眼窩から告げられる、死の呼び声。

 けたたましく揺れる頭蓋の哄笑は俺を苛み続ける葬送歌に他ならない。

 俺はそれらを抱き締めるように拾い上げた。

 血に濡れた腕が瞳に映る。どこまでも汚らわしい罪過の肉体。

 罪と咎で構成された肉は焼き尽くされて然るべきだ。

 俺はたぶん、諦めたような、疲れ切ったような顔で微笑って言った。

 

 「許されるとは思っていない」

 

 意外そうに死神の眼が明滅した。存外に人間らしい仕草だった。

 

 『じゃあ……どうするんだ?』

 

 「償う。俺が奪った幾万の命に見合うだけの贖いを」

 

 『だから許してくれって思ってるのか。その先に報いがあると?』

 

 「……前提が違うな」

 

 死神が黒いフードの下から()()の眼孔を覗かせ俺を睨んだ。

 

 「俺は救いも、許しも、報われることすら求めてないんだよ」

 

 どれほど英雄足りえても、俺の罪業は変わらない。

 だから、きっと俺は死ぬのだろう。

 けれど、だけど、死ぬまでにせめて一つの約束を守りたい。

 誓いは破れた。運命は天に昇り、俺は誰より罪に塗れている。

 だからこそ、たった一つの無垢な願いくらいは果たさなければならない。

 

 『────ああ』

 

 『「それでこそ」』

 

 暗い、深淵を思わせる子供の声が俺の声と被る。

 フードの下から覗いていたのは俺だった。

 

 『「それでこそ──彼女(ステラ)の求めた(えいゆう)だ」』

 

 俺と死神が向かい合う。

 俺の心が生み出した自罰装置。自らを苛む深層心理。

 死神は俺の心臓に手を置いた。燃えるような何かが全身を包んだ。

 それは炎だった。きれいな、白色の炎。俺はその存在を知らずとも識っていた。

 けれど名前を出すことは出来なかった。

 記憶に靄がかかったように、何かが俺の口を塞いでいた。

 だから、なのか、分からないけれど。

 死神/俺は少しだけ寂しそうに笑った。

 

 「なら────やり遂げて見せろ」

 

 「分かってる」

 

 俺の肯定に合わせ、死神が消えていく。

 空から光が差し込んで────意識が浮上する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ────夢を、見ていた。

 

 内容は覚えていない。けれど、とても大切なものだったと思う。

 もぞり、と身体を動かして四肢の調子を確かめる。

 【アルクトス】の使用後は全身に痺れが残る。万能薬(エリクサー)ですら完全には治せない身体機能の後遺症。無視できない程度には酷い灼熱の痛みはしかし、何も残っていない。

 それこそ夢の跡のように消えてしまったものを確かめるように起き上がる。

 ……俺がいた場所は上質な天蓋付きの寝殿だった。

 全身を包む手触りのいい絹のシーツと、身につけられた着た覚えのない新品のシャツは一目で高級品と分かる出来だった。それだけで俺は自分がどこにいるのかを朧げに察する。

 辺りを見渡せば鼻腔を擽るのは香を焚き詰めた甘い匂い。高窓から差し込む血色の日差し。塵の渦が導かれるように天井へと昇り、火の粉の如く暗がりに煌めいている。沈むような柔らかさの絨毯を裸足で踏みしめ、俺は寝台から飛び降りた。

 

 「あら。眼が覚めたのね」

 

 銀鈴の声が耳に届いた。

 意識を侵食する、という意味ではアポピスの魔性のものに近いかもしれない。

 振り向けばそこに居たのは【美】そのものだった。

 錫色を水に染み込ませたような流麗な銀髪。内側に細やかな光を隠す白い肌。魂ごと掬い取ってしまうような魔性の貌は春の若草よりもなお柔らかい微笑が浮かんでいる。

 夕日を映しこむ鏡のような銀瞳には、どこか慈しみに満ちた色が浮かんでいた。

 俺は彼女が誰であるかを瞬時に理解()()()()()。それほど圧倒的だった。

 これが、天上にまで轟く美の女神。魂すら蕩けさせる美貌の神。

 

 「女神、フレイヤ……」

 

 「ええ。そうよ」

 

 会いたかったわ、ユート。

 耳に染み込むような艶やかさで囁かれた。

 女神は天を衝く神の塔(バベル)から眼下の全てを睥睨している……オッタルはそう言っていたが、なるほど、その説得力は一目フレイヤを見れば納得できるものがあった。

 まるで魂ごと射竦められているような錯覚に陥る眼光を前に、視線を交差させる。

 俺が一切目を逸らさないことに女神は不敬と意を唱えることもなく、寧ろ嬉しそうに喉を鳴らした。

 

 ……ちっとも変わらないのね

 

 小さく何か呟かれる。けれど耳に届かない。

 不思議な力で掻き消されたような、風の前に散ったような感じだった。

 俺は訝しむように眉間に皺を寄せる。けれど仮にも神にも不敬かと思い直し肩の力を緩めた。

 

 「……えっと、俺を呼んだのはフレイヤ……様、でいいんだよな?」

 

 「ええ、そうよ。アナタを私の眷属(もの)にしたいと思ったの」

 

 「俺の、何がお眼鏡に適ったんだ?」

 

 「私の口から言わせるだなんて酷い子ね」

 

 何だこいつ。

 俺がしらけた視線を送ると彼女は笑みを深めて顔の前で手を振った。

 

 「冗談、冗談よ。単純に将来有望な子に眼をつけただけ……生半可な勧誘だと別の場所に行かれてしまいそうだったからちょっとだけ強引にしたのは許してちょうだいね?」

 

 「まぁ、うん。俺もオッタルを挑発しちゃったんでそれは気にしてない」

 

 「そう? それならよかったわ」

 

 「あと、もしかして俺の治療をしてくれたのはフレイヤ様でいいのか」

 

 「ええ。と言っても私がやったのはあなたの着替えくらいのものね。実際の治療はヘイズがやってくれたわ」

 

 「ありがとうございます」

 

 俺は頭を下げた。流石に原初の古傷までは無理でもここ一年で出来た傷跡は殆どなくなっていた。

 インヘルカから受けた袈裟切りにされた、右肩から左腰まで裂けた跡こそそのままだったが【アルクトス】の後遺症が完全に消えたのは大きい。最近は拳を握るのにも痺れを感じていたほどだったから。

 それになにより、孤児院の子供たちと一緒にあの大風呂に入れる。

 あんな醜い傷だらけの身体では子供たちの前に裸体を晒すことは出来なかった。

 だから、まぁ。感謝する。少なくともこれに関しては、心の底から感謝を。

 けれど俺の謝意に女神はまるで何でもないように首を振った。

 あどけない童女のような顔で彼女は俺に言葉をかけた。

 

 「感謝なんてしなくていいわ。だって私がそうしたいと思ったからしただけですもの。どうしてもお礼を言いたければヘイズにでも言ってあげるといいわね」

 

 あの子が素直に貴方の礼を受け取るとは思えないけど、なんて言われる。

 

 「それで、本題に移るわ。ユート。私は貴方が欲しい。貴方がこれから為す偉業をまたこの目に焼き付けたい……どうかしら、私の【ファミリア】に入ってくれない?」

 

 「……あー、俺って孤児院を経営しているんだ」

 

 「知っているわ」

 

 ふふ、と幸せそうに女神は笑う。

 

 「だから、ここには住めないし噂に聞く【洗礼】とやらにかまけていられないんだけど……」

 

 「許可しましょう。もちろんずっと孤児院を経営するっていうのなら別ですけれど、こちらとしては貴方がちゃんと強くなってくれるのなら自由にしてていい。武装も、物資も、団員としての支援は出来る限りしてあげる。何ならあなたの借金も私が請け負ってあげてもいいわよ?」

 

 「……とんでもない好待遇だな。それが本当なら、入団は吝かじゃない。それと、借金は俺が個人的にしたものだから女神様に請け負ってもらう必要はない」

 

 「頑固ね……ええ、いいわ。それなら私が貴方の『主神(おや)』になりましょう」

 

 「契約成立、か」

 

 「ふふふ。それじゃあそのベッドに背を向けて寝転がって」

 

 「分かった」

 

 俺は言われるがままに女神のベッドに寝転がる。

 ……部屋に広が上品な香の匂いとは別の、もっと優し気な花の香りがした。

 女神の、と思ったら何かいけない気分になって少しだけ息を吸うのを辞めた。

 

 「あら、気にしなくてもいいのに」

 

 「……ほっといてくれ」

 

 見られてた。恥ずかしさで頬に熱が帯びるのを自覚する。

 そんな俺の様子をくすくすと笑ってみていた彼女は、俺の褐色の背に指を這わせた。

 そこに刻まれているのは翼と蛇の紋章。邪神アポピスのエンブレム。

 そこにフレイヤは手を添えると、まるで鍵が開いたように背から光が放たれた。

 【神の恩恵(ファルナ)】の行使。実際のところ見るのはこれで四度目くらいだ。

 アポピスは滅多に恩恵を更新しなかったし、するとしても反旗を翻されないように目隠しをして恩恵を刻まれていた。ついでにギャグボール噛ませてきたのは絶対にあのクソ神の趣味だと思う。

 そういう趣向が無いことに薄っすらと安堵を覚え、俺は背に伝う白魚のような指の感触をただ感じていた。

 

 「んっ」

 

 フレイヤの指先から血が零れる。

 指先を傷つけた針を俺の隣に置いて、俺の背に乗るようにフレイヤがベッドに両足を乗せた。

 肉体年齢が七歳の俺とフレイヤでは対格差が凄まじい。ベッドの半分も使わない俺の身体をあっという間に横断すると、彼女は俺の背に文字を刻みつけていった。

 一つ一つ、丁寧に。何か触れ難いものを触るような、宝物に触れる少女のような手つき。

 神秘的な光景と美貌も相まって英雄譚の一節のような光景だった。

 

 「……」

 

 どれほどそうしていただろうか。

 それほど時間が経っていない筈なのに、どうしてか無限に思える時が経ったと感じる。

 いい加減、背に伝う指先にくすぐったさを感じながら俺はひたすら終わる時を待った。

 

 「……終わったわ。ついでに恩恵の更新もしておいたから、少し待っていてね」

 

 そう言って俺の恩恵を神に記す。

 形の良い羽筆は漆の塗られた艶やかな黒檀を思わせた。これもまた高級品だろう。

 使うものが一級品であれば使う人間はその枠組みから更に逸脱した美の集大成。

 なるほど、この美だけでも平伏するのは頷けるのに、カリスマも感じる出で立ちだ。

 けれどその内側にどこか、寂寥を感じるのはどうしてだろうか。俺みたいな貧相な子供と、彼女のような全てを有した傾国の美神。どこに共通点を感じたのか不思議だった。

 けれど、なんでかな。放っておけない感じがする。

 

 「あら、どうかしたの?」

 

 俺の視線を感じ取ったのか、フレイヤは笑みを深めて俺をみた。

 見間違いだったのかな。今の彼女は欲しかった玩具を手にした少女のように無垢な笑顔を浮かべている。支配者ではなく、ただ今を楽しむ顔を見れば心配もかき消えるというもの。

 ただ、そうだな。今の感覚は覚えておかないといけないと『直感』が囁いている。

 

 「……あー。いや、やっぱ何でもない」

 

 「思わせぶりな目を向けるなんて、意地が悪いわね」

 

 「そういうんじゃ……」

 

 「ええ。分かっているわ。どう頑張っても、貴方は私のモノにはならないんですもの」

 

 「?」

 

 「こっちの話よ……さっきの仕返し」

 

 「そうですか。それで、俺の恩恵は?」

 

 「せっかちね。はい、これ」

 

 そう言って手渡された紙にはユゴス以来更新されていなかった俺のステイタスが示されていた。

 

 

 ────────────────────────

 ユート・アピス

 Lv.3

 力:I0→G287

 耐久:I0→D589

 器用:I0→H124

 敏捷:I0→G208

 魔力:I0→G201

耐苦痛:C

直感:I

 《魔法》

 【アルクトス/フィアト・ルクス】

 ・二階層魔法

 ・第一段階/第二段階

 ・付与魔法/広域攻撃魔法

 ・光属性/星属性

 ・自己損傷/自己犠牲

 【 】

 【 】

 《スキル》

 【死線舞踏(ダンス・マカブル)

 ・逆境時、全能力高域強化

 ・瀕死時、全能力超域強化

 ・生存欲求に比例して強化率低下

 【天底庇護(トリスアギオン)

 ・一定範囲内にいる任意対象の損傷負担

 ・戦闘時、発展アビリティ『治力』の一時的発現

 ・『耐久』に高補正

 ・『耐久』の成長に高補正

 【破邪剣正(カルタグラ)

 ・正義(おもい)の丈によって効果上昇

 ・攻撃対象への憎悪に比例して効果上昇

 ・精神力の消費により攻撃力を強化する

 ────────────────────────

 

 総熟練度1409上昇。これを多いと見るか少ないと見るかは人によるだろう。

 俺にとっては()()()()()()()()というのが率直な感想だ。

 一応都市外でも色々と戦闘を行ったがどれも取るに足らない戦闘だった。

 唯一、とある竜との戦いは死線を潜るに足る決闘だったが……

 やはりここまで能力が上がった要因はオッタル(レベル6)との戦いだろう。

 アレを何度繰り返せば俺は英雄になれる? ……いいや、同じ戦いを何度しても経験足りえない。多種多様な死線を、死闘を、熱戦を繰り広げてようやく目標に指がかかる。

 それが俺の目指した英雄という存在だ。

 

 「ちっとも満足した顔をしないのね」

 

 「レベルが上がらないうちは、明るい顔なんて出来ない」

 

 「じゃあ。どうするの?」

 

 「迷宮(ダンジョン)に潜る。それが手っ取り早く強くなれる方法だと思う」

 

 「そう……けれど、今日はもう休みなさい」

 

 「? まだ夜じゃないけど」

 

 「オッタルからの攻撃。まだ完全に癒えたわけではないのでしょう?」

 

 ……痛い所を突かれた。

 オッタルからの拳撃。頬骨を粉砕し頬肉を削ぎ落し歯を幾つか吹き飛ばした一撃。

 確かに未だ頭痛がするほどの鈍痛が響く。今日中で治るかと言われれば微妙だ。

 かと言って、日が傾くほど眠って休んだのだ。これ以上休む暇は……

 

 「休まないとオッタルにまた気絶させてもらうわ」

 

 「また戦わせてくれるのか?!」

 

 「……みんなにも頼もうかしら」

 

 「他の第一級冒険者とも……!」

 

 神か? 神だったわ。

 強くなりたいって言って鍛錬相手をすぐに用意してくれるなんて……なんて素晴らしい神様なんだ!

 

 「……今日一番の敬意がこれだなんて、認めたくないわね」

 

 「何言ってるんですかフレイヤ様! さぁ! はやくオッタルたちを呼んでください! ハリーハリー!」

 

 「ふふ、あっはははは!」

 

 元気になった俺を見てフレイヤ様は腹を抱えて笑った。

 それすら上品に映るのだから流石だが、笑いの沸点が分からない。

 彼女は瞳に浮かんだ涙を指先で拭い俺を見た。

 

 「もー……ほんとにちっとも変わらないのね」

 

 「?」

 

 「こっちの話」

 

 「そればっかじゃん」

 

 「だって、言っても分からないもの」

 

 お互いの視線が交差する。睨み合うような気安い交錯だった。

 じっと引き下がる気の一切ないフレイヤの、存外に豊かな表情にどうしたものかと思案する。

 強くなりたい。せっかく恩恵を刻んでくれる神様がいてくれるんだから、もっと早く。

 そう、どこまでも────どこまでも高く飛ぶために。

 

 ────はて。

        どうして俺はこんなにも空に焦がれるんだろう。

 

 「……-ト。ユート!」

 

 「あっ……」

 

 「ほら、言ったでしょう? 疲れが溜まっているのだから、ちゃんと休みなさい」

 

 「いや、今のは」

 

 「言い訳しない。それとも、私のベッドで一緒に寝る?」

 

 「……遠慮しとく」

 

 男として傾きかねない上目遣いに脳をクラリとやられる。

 けれど、俺に色仕掛けは通じない。いつだって心臓に宿る星が輝いているから。

 俺は仕方なく女神の神意に従い、孤児院に戻り休むことにした。

 

 「……分かった、ちゃんと休むよ」

 

 「そう、良い子ね」

 

 そうだ、と言って女神は腰掛けていたベッドから立ち上がった。

 そして俺の顔を両手で包み、顔を近づける。

 ベッドで嗅いだ花の香がふわりと鼻腔を擽り、美しすぎる貌が俺の瞳を焼いた。

 じっと銀の瞳が俺を写す。金色の満月が彼女の瞳に宿る。

 

 「ユート……愛してるわ

 

 世界が、震えた。

 轟き響くそれは管弦楽団の調べよりもなお勇壮な凱歌のようだった。

 それは地割れのように。波濤のように。渦巻き、壊し、全てを奪う浸蝕(エクリプス)

 ただ眼の前のものから放たれる色香が何かを書き換えるような……悲愴さに溢れた誰かの叫び。

 

 俺はそれをただ見ていた。

 ただ、心に必死に手を伸ばされるものに手を差し伸べた。

 けれど、掴めない。俺と彼女を別つ炎が燦然と眼前に立ち塞がっている。

 それは俺を包むように。それは俺を苛むように。

 其れは世界の四方を覆い尽くす炎だった。燃ゆる熱き終焉のようだった。

 熾烈に、執拗に燃え続けるそれは運命を焼き尽くすように白熱する。

 

 そんな何かをこころの内側で見つめて、遅れて俺は正気を取り戻した。

 

 そこには何の変化も無く、俺の眼を見つめ続けた女神様がいた。

 

 「……やっぱり、駄目ね」

 

 悲し気に笑うと、フレイヤ様は俺の瞼に唇を落とした。

 

 俺はそれを呆然と見つめていると、「行っていいわよ」という指示に従って外に出た。

 

 あれは、何だったんだろう。

 

 そんな感想を抱くことすら出来ず、俺はただ長く立派な廊下を歩くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいない寝室で、女神は一人、ベッドにしな垂れかかる。

 そこにあった少年のぬくもりを確かめるように指でなぞり、彼女は一人言葉を零す。

 

 「()()()……また、負けてしまったわ」

 

 ふふ、と寂し気に笑い女神は続ける。

 

 「……相変わらず、夜天のような魂ねユート(イカロス)

 

 ────そう、それが女神の瞳に映った少年の本質(たましい)

 

 包むような夜空でありながら、沈むような深淵でもある対極にある相反するもの。

 それは、出会った人の輝きによってより美しく、より明るくなっていく『出会い』によって変質していく魂。

 けれど、いつだって彼の心にある輝きは()()だけだった。

 彼の心を救った一番星。たった一つの導き。そして同時に、彼を縛る誓約の楔。

 それは自身の全力の『魅了』ですら変えることが出来ないものだ。

 何故なら、そう。あの炎によって遮られているから。魂にまで結びつく、終焉の焔に。

 

 「……狡い」

 

 この世にいない、けれど知っている少女に言葉を告げた。

 

 「今回くらい、私の英雄(オーズ)にしてくれたっていいじゃない」

 

 だって、私は幾万年も待ったのだもの。

 けど、けれど。今回は捕まえた。そして貴方は既にこの世にいない。

 なら、正々堂々とまではいかないけれど、望んだ関係になろうとするくらいは許して欲しい。

 

 ああ。楽しみだ。

 彼はどこまで連れ出してくれるだろう。

 あの翼と、あの炎で。

 もう、誰も、本当に古い人しか覚えていないみたいだけど。

 

 それでも、ああ、本当に。

 ────楽しみだ。




感想、評価、お気に入り登録、誤字報告ありがとうございます。
もうそろそろ他ファミリアもアップし始めました。
次回から本格的にダンジョン探索していきます。
たぶん。
あと次更新は遅くなります。すいません。
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