いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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一筋の涙

 男が二人、大の字になって地に伏せている。

 互いが互いに半死人で吹けば飛ぶような命の灯を必死に繋ぎとめるような状況だった。

 喘ぎ、息を吸って吐く両者に刻まれた致命傷は深い。

 小さい少年は全ての衝撃を受けた右腕が武器ごと砕け、黒く炭化している。

 全身の裂傷は止めどなく血が溢れ、まるで浴槽のように地面を赤く染めていた。

 片方の灰黒の猫人もまたその命をいつ散らしても可笑しくはない怪我だ。

 上半身を覆うような火傷の跡は火鼠の衣のようで、その前面の全てを赤く包んでいる。

 槍は砕け、その余波を受けた肉体は縦一文字に深い刀傷が刻まれ激戦を物語っていた。

 まるで先ほどの激闘が一夜の夢であったかのような静謐に包まれながら、アレン・フローメルが怪我を押して立ち上がり、自身が因縁をつけたユート・アピスの傍へ寄った。

 覗き込むような形で地を這いながらアレンは少年の顔を覗き込む。

 

 「……なんで逃げなかった」

 

 答えは無い。その深い傷により死にかけた少年は答えを持たない。

 けれど。その無言こそがアレンにとって最も傷を与える答えだった。

 傷だらけの黒猫は嘆くように地面を拳で打ち据える。

 

 「俺の一撃なんざ、あの状態のテメェなら避けられた筈だ! カウンターでも狙えば俺は()()()()()! 俺を殺せば、負かせば、レベルの一つでも上がっていた筈だ! なのに、何で立ち向かった!」

 

 あの勝負の勝者はアレンだった。

 アレンにとっての全てを賭けた一撃を受け止めたユート・アピスは耐えきれず死にかけている。

 こうして声をかけられるアレンと、それすら出来ないユートの差。

 それこそが勝敗を如実に表していた。

 けれど。だけど。アレンは『勝ちを譲られた』ことを痛いほど理解していた。

 あれは、最後の攻撃は破壊力だけを求めた稚拙な一撃だった。

 破壊力こそ自らの人生において最大ではあったが、それ以外はあまりに未熟。

 十代半ばにも届かぬアレンらしい、未熟さに彩られた可能性を告げる鐘。

 避けられた筈だ。もっと賢い選択が出来た筈だ。それを為せぬと断ぜられるほど、ユート・アピスは未熟ではない。寧ろ戦歴だけならば己よりも深い、深淵が如き深みを感じたが故にアレンは己の内心を吐き出した。

 即ち──なぜ勝てる勝負を捨てたのか。

 

 「……許せなかったんだ」

 

 絞り出すように、応えられる。

 それにアレンは怪訝な顔を見せた。

 口内に充満する鉄を吐き出しながら、アレンは問うた。

 

 「何がだ。何が許せねぇ」

 

 ユートは顔を上げる。

 青を通り越して白に辿り着いた血色の無い顔を上げて、それでもなお毅然として告げた。

 

 「アレンと戦っていて、分かった。俺と、アレンは似てるんだって」

 

 「そんなわけがねぇ。ありえねぇ。お前と、俺が一緒だと?!」

 

 口端から流れる血を拭こうともせず、アレンが声を荒げた。

 その拳を地面に突き立てた。地響きが鳴った。

 それでも、ユートは止まらない。彼に恐れはあっても畏れは無い。

 

 「アレン。お前さ、たぶん()()()()()()だろ」

 

 「────」

 

 それは、アレン・フローメルにとって最も触れられたくない(きず)だ。

 既に忘我の彼方に追いやった筈の、最愛の姿が脳裏に過った。

 

 「ありえ、ねぇ。それだけは、ありえねぇ! 切り捨てたかって?! ああそうだ! 雑魚を切り捨てて何が悪い! ついてこれねぇなら捨てるだけだ! 弱者に慮るなぞ俺の矜持が許さねぇ!」

 

 「────嗚呼、やっぱり。アレンは優しいんだなぁ」

 

 「それ以上、侮辱をするなユート・アピス。お前であってもそれ以上踏み込むのなら殺す」

 

 その言葉は狂気に近い冷たさを孕んでいた。

 それでもなお、彼は畏れない。恐れず、そして言葉をつづけた。

 隠された本心を無遠慮にまさぐる。

 

 「切り捨てた理由は、愛ゆえだろ? だから分かるんだ。同じだから。俺も最愛(ステラ)を、切り捨てざるを得なかったから……それこそが、彼女の願いを叶えるためだったから」

 

 「お前……」

 

 同じだった。いっそ悲しくなるほど、その切り捨てには愛が込められていた。

 そして、その愛の深さにアレンは気付く。彼だけが、その愛の強さに気付いた。

 今までユートに関わった中で、神を除けば彼だけがユートの絶望に気が付いた。

 そしてそれは、アレンの言動を統制するのに十分以上の説得力を孕んでいた。

 

 「たぶんだけどさ。アレンって、眼を逸らしてただろ? 本当は愛してるのに、その最愛(だれか)を切り捨てたことへの後ろめたさから、酷く辛く当たったんじゃないかなって思った」

 

 アレンは無言でそれを聞いた。

 いっそ自決でもしたいほど踏み入れられた心の内であっても、ユートの言葉だけは否定できなかった。

 ともに同じ目標を掲げたものだったからだろうか。今の時点でアレンに判別はできない。

 けれど、不快で、眼を逸らしたくて、暴れ散らかしたかったのに。

 それでも、涙が出るほど、ユートの背負ったものの残酷さに打ちのめされた。

 

 「だから俺は──ふざけんなって思った」

 

 言葉が続く。耳を塞ぎたかった。口を閉ざしたかった。

 けれど、傷ついた体は持ち上がらない。何も出来ない。

 無力に、土足で踏み入るその好敵手の言葉を聞くしかない。

 不快なのに、受け入れてしまう。その矛盾をアレンは噛みしめた。

 

 「背に背負うのはいい。その未来を拓くために、礎となるのもまぁいいだろ。けど、追いやるのは違う。眼を逸らすのは違うだろ。()()()()()をするために、お前はそれを追いやったのか?」

 

 「うるせぇ────うるせぇんだよどいつもこいつも!」

 

 アレンは吐いた。血を、臓腑を、己の、誰にも寄せ付けなった本心を。

 

 「悪いか?! そうだ、今あいつは幸せだ! 俺が切り捨てたから……俺が要らないと言ったから、あいつは俺を忘れてあの方の下で幸せに暮らしている! だが、それでも黒竜が一たびその翼を広げれば吹けば飛ぶ! 泡沫のように! 全ての幸福も、笑顔も! ()()()()()()()()! いずれアイツが得た些細な幸せごと吹き飛ばされるっていうんなら! 俺が殺す! 俺が轢き殺す! その役目は俺のものだ! 誰のものでもねぇ! 誰にも渡してなるものかよ! 誰よりも速く……誰よりも強くなって、黒竜を殺すのは俺だ!」

 

 それにユートは笑った。嬉しそうに、悲しそうに。

 

 「なんだよ。やっぱり、眼を逸らしてただけで、愛してるんじゃないか」

 

 呟かれる調子は、酷い絶望に満ちていて。

 けれど、希望が仄かに見えた。

 

 「俺もさ」

 

 ユートはつづけた。

 まるで河原で殴り合った不良同士のように少年二人は隣り合って倒れていた。

 拳を交えたお互いだけが、互いの全てを理解していた。

 それは二人が一流の戦士であったからに他ならない。

 ただ武器を打ち付け合うだけで、拳を振るい合うだけで、思考の全てが重なるから。

 それこそがまことの戦士の戦いであるから。

 

 「絶対に、大事にしたい子がいたんだ」

 

 まるで日常会話のように告げられるのに、その対象が死んだことは痛いほどに分かってしまった。

 アレンは、鳥肌が立つほど少年の心を理解していた。理解して、震えた。

 

 「けど、出来なかった。死んでしまった。俺に生きる理由はとうにない。それなのに、たった一つだけ、彼女と約束した」

 

 「……どんな、約束だ」

 

 アレンは、知っていながら聞いた。

 それは儀式だった。少年の告解を聞き届ける懺悔の儀式。

 ガラにもないのに、好敵手の弱音を聞き届ける神父の真似事をしてしまった。

 

 「俺が──英雄になるって約束さ」

 

 「……もうなってるだろ」

 

 アレンにとって、もう既にこの少年は英雄だった。

 強さも、心根も。刺々しさしかない己には無いものを持っていた。

 けれど、だけど。アレンは分かっていた。それでもなお足りぬほど、その理想は高いことを。

 知って尚、慰めるように言うしかなかった。痛ましかった。

 

 「足りないよ。到底足りてない。彼女は俺が、過去現在未来で比するものがいないくらいの英雄になれると思っていたらしいんだ」

 

 ────

 

 「なら、なおさらだ」

 

 アレンは震える声を押し殺して声を荒げた。

 

 「猶更! こんなところで、俺の駄々に付き合って命を散らす真似なんざする必要は無かった!」

 

 原点回帰。アレンは己の全霊に付き合ったことを咎めた。

 その志の高さに、己のものと重なる重みがあったが故に。

 

 「だって。アレンと話したかったんだ」

 

 「────」

 

 いよいよ。

 アレンの言葉が止まる。

 まさか、この子供は。

 

 「アレンって敗者の弁は効かないタイプだろ? だから俺はお前に真正面から勝ちたかった。じゃないとずっと目を逸らすお前に言葉が届かないと思ったから」

 

 「じゃあ、お前は俺と話すためだけに死地に向かったのか」

 

 「うん」

 

 何でもないように首を縦に振る。

 そう。ユートはアレンが目を逸らした最愛への情を引き出すためだけに戦った。

 アレンが目を逸らす姿に怒りを感じ、悲しみを覚え。見つめ直させるためだけに戦った。

 する必要のない危険(リスク)に身を晒し。それでもなおそれを乗り越えた。

 

 「馬鹿なんじゃねぇか……?」

 

 「そうかもな。だけど、俺は良かったと思ってるぜ」

 

 「ハァ?」

 

 「だって、今のアレンはもう目を逸らさない」

 

 確信に満ちた言葉を聞いた。

 妙に胸にしみる言葉だった。

 アレンは無言でそれを聞いた。

 

 そして、まるで融けるようにその場に倒れ込んだ。

 誰にも見せぬ弱みを見せつけるように、誇り高い猫は泥のように身を倒す。

 

 「……あぁ、そうかよ」

 

 (認めてやるよ。ユート・アピス)

 

 それは言葉にしない。出来ない。

 高い、高い。摩天楼が如く詰みあがった矜持が許さない。

 されど、アレンは()()()

 切り捨てた。要らないものとして扱った。そうすることが幸せに繋がると信じた。

 けれど、結局それは、涙を流した妹から逃げていただけだった。

 今日この日、アレンは己を見つめ直す。

 その内心に、溢れんばかりの愛を込めて、妹への言葉を吐いた。

 

 「ああ────そうだ、確かに俺は────」

 

 その果てにある言葉を聞いたのは、ユートただ一人。

 それ以外に誰も聞こえない声に、ユートは満足したように微笑んだ。

 消え入りそうな笑み。今にも死にそうな体も相まって、まるで死の直前のような────

 過去の衝撃を想起したアレンは横たわった身体を、痛みで崩れてしまいそうな身体を跳ねあがらせて少年の幼い体を揺さぶった。壊さぬように優しく。けれど離さぬように激しく。

 

 「オイ……オイ、寝るな! クソッ、おい! ヘイズは未だか?!」

 

 叫ぶ。アレンという男を知れば信じられないほど切実に。血を吐くように。

 その哀切に返すが如く、鎮魂を告げる優しき詠唱(うた)がその場に響いた。

 

 「【我が名は黄金。不朽を誓いし神の片腕(うで)】」

 

 黄昏が如き光の粒子が円形状に『戦いの野(フォールヴガング)』へ広がった。

 玲瓏な女声が響けば重なるように鳴り響く荘厳な魔力の歌唱(こえ)が聞こえ来る。

 

 「【焼かれること三度、貫かれること永久に。炎槍の獄、しかして光輝は生まれ死を殺す】」

 

 その詠唱に宿る意味は都市最高峰を冠する【全癒魔法】。

 二つに結われた薄紅色の長い髪、白衣に沿われた僅かな金属。

 それは戦場に在って輝く白衣の天使だった。

 鋼鉄のような瞳を睨むように湛えながら、その天使は詠唱を紡ぐ。

 

 「【祝え(くるえ)祝え(くるえ)祝え(くるえ)。我が身は黄金。蘇る光のもと、果て無き争乱をここに】」

 

 「────【ゼオ・グルヴェイグ】」

 

 放たれた魔法は二人の男を包み込んだ。

 優しく、強く。黄昏の光輝は二人を癒し、そして全ての傷を癒した。

 ユートの人生において二度目の体験となる都市最高の全癒魔法。

 二人の肉体は瞬く間に修復され、その蒼白だった顔に赤みが差す。

 

 「……終わりました。ヘディン様」

 

 言われて、らしくもなく弾かれるように高貴な森人が飛び出した。

 ガツン、と擬音が聞こえるほど強くアレンの頭を叩き、そしてその眼鏡を押し上げる。

 

 「なにしやがる!」

 

 「こっちの台詞だ愚猫ぉ!」

 

 もはや取り繕う暇がないくらい怒りに満ちた声だった。

 さしものアレンも言葉に詰まる。やり過ぎた自覚があるからだ。

 恥も外聞もなく格下相手に本気を出した。

 相手はそれに足る戦士だったが、女神の膝元で暴威を振るう免罪符とはなりえない。

 ただ、甘んじて怒られるほどアレンは人間が出来ていなかった。

 

 「クソッ! 元はと言えば『洗礼』を許可したオッタルが悪いだろうが!」

 

 「洗礼をすると勇んで飛んでいったのは誰だこの愚猫がぁ!」

 

 「ふげっ!」

 

 「痛そうだ」

 

 「だがヘディンの意見が十と零の割合で正しいぞ愚猫」

 

 「脳筋(オッタル)をもう馬鹿に出来ないぞ愚猫」

 

 「ていうかお前も新入りも加減というブレーキが存在していないのか? 愚猫」

 

 口々に告げられる【黄金の四戦士(ブリンガル)】の声を聴きながら屈辱でアレンは身を震わせた。

 口端や蟀谷に怒りの四角マークを作りながらアレンは立ち上がった。

 

 「テメェら……ぶっ殺してやる!」

 

 「なんだ、まだやる気なのか」

 

 「これそもそも第一級冒険者同士の地上での私闘禁止のルール忘れてるな」

 

 「頭に血が上り過ぎている。さっきの流血は何だったのか」

 

 尚も煽る小人三人。長兄がいないのをいいことに言いたい放題。

 ヘイズの呆れたような溜息を余所に、ヘディンが震えていた。

 あ、これやばいな。ヘイズはそっとその場から一歩引いた。

 

 「【永争せよ、不滅の雷兵】」

 

 「【カウルス・ヒルド】」

 

 「「「うぎゃああぁああああああああ!!!!」」」

 

 落とされた雷撃に巻き込まれたアレンと小人三人が叫ぶ。

 無慈悲な掃滅の雷光はけたたましい音を奏でながら第一級冒険者を焼いた。

 ぷるぷると怒りで震える腕を抑えながら、ヘディンは無慈悲な表情で告げた。

 

 「……いいか? まずアレン。お前の勝手な戦いによって出た被害を教えてやろう」

 

 冷淡かつ平坦ながら、その言葉に詰められた怒りはすさまじいものだった。

 ヘイズがドン引くレベルと言えばわかるだろうか。とにかくすさまじかった。

 彼は眼鏡を暗く染めながら指を折る形で被害総額を告げる。

 

 「まずこの『戦いの野』を包む四方の障壁がほぼ全壊。修復に数億ヴァリスはかかるだろうな。直すのにも一流どころを使って二か月近くはかかるだろう本拠(ホーム)の此方側にあった硝子もほぼ全滅だ。普通の窓であればそこまで痛い被害でもないが、美術品だったステンドグラスも含めれば数千万ヴァリスはかかる。周囲一帯の民家の被害も馬鹿にならん。屋根だけならまだいいが壁も剥がれた襤褸屋が幾つかある。それを? 謝罪や? 賠償などの手間も? 考えているのか? ええ? この脳足りん! 愚猫! 慮外者がぁ!!!」

 

 痺れて地に伏せたアレンを長杖で何度も打擲するヘディンの姿に『満たす煤者達』はドン引きだった。

 いやまぁやったことのヤバさは分かるけども。容赦なさすぎて怖い。

 幹部たちへの畏敬が更に深まった一連の事件を余所に、ユートもまた回復し目を覚ました。

 

 「……生きてる」

 

 「起きましたか。顔を合わせるのはこれで二度目になりますね」

 

 見下ろすようにじっと鋭く眦を上げる姿は怒気に満ちていた。

 やりすぎた。そう思うのもほどほどに体を持ち上げ両手の調子を確かめる。

 甘い痺れが残る両腕。崩れる寸前だった右腕に限れば感覚が消失していた。

 俺の様子を見ていた彼女ははぁと溜息を吐いてしゃがみ込むと俺へ顔を近づけた。

 

 「ええっと……あなたは」

 

 「ヘイズと申します。『満たす煤者達(アンドフリームニル)』の統括をさせていただいているものです。そして団長(オッタル)が運び込んできた貴方を治療したのも私となります」

 

 「あ、その節はどうも。世話になりました」

 

 「礼は結構です。それが私たちの役目ですので」

 

 「それでも。ありがとう」

 

 伝える感謝はどこまでも透明だった。

 それを聞き届けた彼女は固辞するのは失礼であると感じ、それ以上の言及を避ける。

 そして会話を変えるようにユートの身体を抱きかかえた。

 

 「……あの?」

 

 「私の魔法でも()()()()()()……悔しいことですが、貴方の怪我を癒しきるには特別な措置が必要ですので、医務室に運ばせていただきます」

 

 「普通に歩けるんで抱きかかえるのは勘弁してください」

 

 じろっと疑わしい瞳を向けられユートは口ごもる。

 空を見れば既に宵闇が絨毯を敷いたように広がっていて、早く帰らねばと逸る気持ちが湧いてでた。だから治療もいらず、これからするという宴も要らないと言おうとした。

 それを許すほど、ヘイズという女性は自らの職務を軽んじてはいないのが問題なのだが。

 

 「その傷を抱えて明日もダンジョンに向かう気ですか?」

 

 「まぁ、慣れたものだし大丈夫だって」

 

 「慣れるな。それは普通のことではない。そして驕るな。貴方は特別であっても、未だ頂点ではない」

 

 厳しく。けれど諭すように告げられた。

 どこか優しさの籠る諫言に諫められたユートは渋々と首を縦に振った。

 

 (今日の夜ごはんに間に合わないなぁ)

 

 なんて、普通の子供のように残念がった言葉が脳裏を転がる。

 しゅんとした様子の少年を見かねたのか、遮るように長靴(ちょうか)の音が二人の間を裂いた。

 

 「おいユート。テメェ、早く帰りたいのか」

 

 存外に落ち着いた声色だった。

 ずっと怒りだけが籠った声を聴いていたため、どこか別人のようにも思える。

 面喰いながらもユートは頷いた。アレンはそれに舌打ちで応える。

 

 「なら……今日限りだ。今日一日に限って、俺がお前の戦車(あし)になってやる」

 

 つまり────それはアレンなりの歩み寄りだった。

 不器用で。最愛を突き放すことでしか愛を示せなかった彼の、小さな一歩。

 それにユートは笑んだ。消え入りそうな儚い笑みを浮かべながら、嬉しそうに頷いた。

 アレンは更に不愉快に顔を歪め、声を荒げた。

 

 「分かったらさっさと治療に行きやがれ!」

 

 「わ、分かった。ヘイズ。行こう」

 

 「分かりました」

 

 少しだけ笑いが籠った声でヘイズは言った。

 道半ば、誰も見えなくなるほどの時分に彼女は見下ろしこういった。

 

 「随分と──仲が良くなりましたね」

 

 「そうかな。そうだったら嬉しいけど」

 

 「ええ。そうだと思います。あんな風にフレイヤ様以外の誰かに何かをしようとしたアレン様を見るのは初めてですから」

 

 喜色を孕んだ声はそのままだ。

 けれど俺は、何となくその理由を聞かない方が良いと思った。

 だから、無言で腕に包まれ揺られて医務室への道を行く。

 失ったはずの右腕の感覚が戻ってくるころには医務室で治療が始まり──そして終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 『乗れ』

 

 そう言われて背を差し出された俺は彼に掴まりオラリオの夜空を翔んでいた。

 瞬く間に変わりゆく景色。【アルクトス】を使わねば至れぬ速度域。

 まるでなんて事のないように為されたその高速移動に俺は感動していた。

 

 「すげぇや……あんなに空が近い」

 

 「空くらい、いつでも見れるだろ」

 

 「ばっかアレン。アレンばか。高い所からみる空はまた別格なんだぜ?」

 

 「馬鹿っていうな! 落とすぞテメェ!」

 

 「うぎゃあ! ばっ、前みろアレン!」

 

 「んなミスするか!」

 

 猫は騒ぎ、少年も騒ぐ。喧騒の夜。

 二人の軽い口喧嘩は止まる様子はない。

 けれど、最初に行われた剣呑さは鳴りを潜めていた。

 怪我人であるユートに配慮しトップスピードから数段落とした速度で街を行く二人は誰の眼にも映らない空の上でその身を翻す。いっそ心地が良いほどの風の断層の中で小さな声が木霊した。

 

 「……アレか」

 

 「そうそう。あれが俺の経営してるアピス孤児院」

 

 ふん、と鼻を鳴らしたアレンはユートを門前に下ろした。

 ふらりと足りぬ血を求めるように定かではない足元でユートが下りる。

 それを助けるように手を引き、アレンは門へたどり着けるように体を押した。

 

 「言った通り、これ限りだ。誰かに吹聴したら殺すからな」

 

 用件だけ告げてアレンは帰ろうと振り返る。

 それを引き留めるようにユートはアレンの腕を掴んでいた。

 

 「オイ……この手はなんだ」

 

 「飯食ってかない?」

 

 「ハァ!?」

 

 いよいよもって理解できないという表情でアレンは食って掛かる。

 襟をつかみ、持ち上げるようにしてユートの身体を引き寄せた。

 

 「おい。今回のことで俺がお前に気を許したと考えてるんならお門違いだからな。俺はあくまで、今回の『借り』を返しただけだ。だから、懐くな。分かったか?」

 

 「いや、送ってもらったし礼代わりに飯でもって」

 

 「ハァ……って待て。お前がこれから作るのか?」

 

 「うん。だって作れるの俺かシルさんだけだし……シルさんが厨房に立つと何でかみんな嫌だって言うんだよね」

 

 処置無しとでも言わんばかりにアレンは頭を抱えその場に座り込んだ。

 深く、深く息を吐き、ユートの眼を見た。

 

 「お前は……」

 

 何かを言おうとしたそれを、アレンは中断した。

 弾かれるように立ち上がり振り向く。その目線の先はアピス孤児院の扉前だった。

 

 「兄様……?」

 

 ────ああ。

 アレンの脳裏に過る幾つもの情動。

 それを抑えつけ、ユートの身体を押しのけた。

 

 「こいつを送りに来ただけだ」

 

 「妹さん?」

 

 「少し黙れ」

 

 言われ、黙る。

 暫時、二人の間に奇妙な沈黙が流れた。

 ユートは想定外の事態ではあるが、悪くはならないと『直感』のままに流れに任せる。

 その思惑をよそに、アレンは妹へ背を向けた。

 

 「兄様!」

 

 「……来るんじゃねぇ!」

 

 顔を見せない。見せられない。

 今の緩んだ顔を見せるほど、弱みを見せたくない。

 だけど。けれど。

 

 認めた相手から、『目を逸らすな』と、言われてしまったから。

 

 「おい」

 

 「……はい」

 

 一瞬、身体を硬直させた気配を感じたのか。

 彼は一度の歩み寄りすら見せずに、けれど小さくこう言った。

 

 「……風邪、ひくなよ」

 

 それだけ。

 

 それだけ言って、次の瞬間には突風が二人の間を引き裂いた。

 

 到底、今までの時間を取り戻すには足りない。

 二人の仲は深い溝が出来てしまった。

 だけど、大きい。大きすぎる一歩をアレンは踏み出した。

 決して歩み寄ることを許さなかった男は、今日。己を顧みた。

 その言葉を受けた少女は呆然とし、そして一筋の涙を流した。

 

 流星のように流れた涙が、二人の行き先を祝福するように星の反射を受けて瞬いた。

 

 




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今日の一口情報:この世界線においてイカロスは実在した英雄である。しかし、その偉業を知っているのは神を除いて二人しかいない。また、神でもイカロスを知るのは限りなく少ない。
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