いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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超! 難産!




『英雄』のはじまり

 混沌をもたらす哄笑が響き渡る。

 慟哭が、絶叫が、悲嘆が絶えず生まれ落ちる姿は酸鼻な地獄そのものだった。

 広がる炎の中心で嗤う女が矢継ぎ早に指示を出せば、まるで女の指先であるかのように尖兵たちが指揮者に合わせる奏者の如く楽器代わりの武器を振るった。

 破滅をもたらす剣戟と共に奏でる悲鳴の調べ。

 誰か、誰か助けてくれ。

 理不尽に晒された無辜の民は祈りを捧げる。

 ただそれだけしか出来ないから。

 蹂躙される娘を背で庇いながら男は願った。

 足を悪くした祖父を背負いながら少女は願った。

 足の遅い幼い弟の手を引きながら兄は願った。

 ───英雄の到来を。

 

 「あぁーはっはっはっはっは!!! 最高の狂騒だァ! 死の指揮者なんてガラじゃあないと思ってたけど悪くないじゃないか!」

 

 指揮棒のように剣を振る。

 足取りは軽く、蹴り上げるように、踏み躙るように。

 横に振る。奥で女に追いすがった闇派閥が短剣をその背に突き立てた。

 縦に振る。屋根の上で弓を番えた闇派閥が羽矢で子供の臓腑を穿った。

 その光景を生み出すたびに女の酷薄な笑みは深くなっていく。

 三日月から恍惚とした涎を垂らして女は歌う。

 穢れた、呪われた死の交響曲を奏でながら。

 

 「誰か……助けて」

 

 絶望のオーケストラに掻き消される小さな声。

 救いは来ない。ロキ・ファミリア、フレイヤ・ファミリアの主力は両名共に迷宮へギルドから出された依頼へ赴いている。都市の憲兵は各地で巻き起こる散発的な襲撃の対応で手いっぱいだ。

 だから、救いは来ないはずだった。

 

 「あん?」

 

 眼を細める。

 薄汚い笑みを消してその女は天を仰いだ。

 闇派閥が、民衆が、狂人ですらもその光を仰ぎ見た。

 

 「……流星?」

 

 それは誰の声だっただろうか。か細く弱い小さな、零れ落ちるような声だった。

 襲撃から僅か数分。

 駆け昇る流星は真っ直ぐに事件の中心へと迫る。

 誰かの祈りを聞き届けたかのように。誰かの願いを叶えようと流れ星が降り注いだ。

 

 極光が世界を包み、直後、衝撃が中心地から発せられた。

 荒れ狂う風圧に晒された女は外套で顔を庇い、砂塵の奥で少年を見た。

 憎悪する勇者にも似た体躯の少年だった。

 

 「……誰だテメェは」

 

 「ユート・アピス」

 

 端的に告げられた言葉は自信に満ちていた。

 いっそ戦場に似つかわしくない痩せた子供。

 小人、ではない。小人にしても幼過ぎる。人間の子供だろう。

 けれど───

 

 「助けて……」

 

 願いを託すに相応しい背中だった。

 広い、何もかも背負ってくれそうなほど広い背中だった。

 遠目に見える流星を見届けた住人は頭から流れる血を止めることすらせず見入っていた。

 闇派閥たちが襲撃の手を止めて少年を見た。

 ふと、震える手を見る。

 その震えの正体を、闇派閥たちは痛いほど知っていた。

 ───恐怖だ。

 

 「……よくもまぁ、好き勝手してくれてるな」

 

 「だったらなんだっていうんだい?」

 

 「決まってる」

 

 少年は剣を引き抜いた。

 鈍色に輝く刃の先端が女へ向けられる。

 言葉は不要だった。

 ただ、相容れることのない二人が対面していた。

 女は思う。この子供はそこまで強くない。

 バカみたいな噂ばかり聞こえてきた名だった。警戒はしていた。

 しかし実際に相対してみればどうだ?

 蓋を開けてみればせいぜい高く見積もってレベル3。鬱陶しい正義の眷属たちと同じ程度の強さ。

 ならば自分ひとりで対応すれば問題ない。

 女は剣を指揮棒のようにまた振って連れてきた闇派閥へ襲撃の続行を指示した。

 

 「正義の味方気取りのガキが……この状況をどうにか出来るとでも思っているのかァ?」

 

 「余裕だろ」

 

 暗に告げられたたった一人でこの人数を止められるのかという問いに少年は簡潔に応える。

 まるでなんて事の無いように。或いは自分に言い聞かせるように。

 その余裕ぶった態度を見てヴァレッタは蟀谷に青筋を浮かべた。

 

 「へぇ。それじゃあやってみなよ。手足へし折ってお前が守りたかったやつぜぇんぶ殺して眼の前で首並べてやるからさぁ!!」

 

 「下品だな」

 

 ヴァレッタは踏み込んだ。

 レベル5の速度は既に人の知覚可能領域に存在しない。

 人が死を知覚できないように、その女の刃もまた人に知覚できるものではなかった。

 掬い上げるように振るわれる逆袈裟の剣撃が高速で振るわれる。

 濃密に凝縮されたようにスローになった視界。

 その中でヴァレッタは見た。

 少年の唇が一つの詩を紡ぐのを。

 

 「【星よ(ステラ)】───【輝け(アルクトス)】」

 

 (この光は……あの流星の……!)

 

 本能的に片手で防御の姿勢を取ったのは流石の勝負勘か。

 咄嗟に顔を覆うように二の腕を前に突き出したその刹那、ヴァレッタの身体は吹き飛ばされた。

 

 「───カハッ!」

 

 引き千切れたと錯覚するほどの威力だった。

 かつて経験した中で言えば【重傑】の拳打に近しいか。

 胃の中をひっくり返したような重みを腹部から感じながらヴァレッタは地面をバウンドして転がった。

 

 「……ク、ククク」

 

 立ち上がれるのはレベル5の『耐久』があったからだった。

 なるほど、確かに大言を吐くだけの強さがあるようだ。

 ……ただ。

 

 「真っ直ぐ過ぎるねぇ。老獪さが足りてない。(いとし)(いとし)い勇者サマの欠片ほどの警戒心すらないなんてさぁ」

 

 傲慢なのではない。怒りで眼が曇っているのだ。

 なんて事の無いように振る舞っていても匂う、憎悪の香り。

 闇にその全身を浸からせた彼女にとって慣れ親しんだ濃厚な殺戮の気配だった。

 英雄のようでありながら、闇を感じさせる。

 愉快そうに女は嗤った。

 

 「……何が可笑しい。何が面白い? 理解できない。したくもない……ただの一度も人に優しくしようと思ったことはないのか?」

 

 「ハハ、ハハハ!!!」

 

 心底理解不能なものを見る眼は濁っていた。

 背しか見えない人間にとって、或いは善人の類にとってこの少年は英雄にしか見えないだろう。

 なるほど流星のように降り注ぎあらゆる絶望を吹き飛ばす姿は救世主のようだ。

 だが、違う。決定的に違う点がある。

 この少年の根底にあるのは、憎悪だ。

 その身を焼き焦がすほどの激情を、たった一つの芯のようなもので無理やり矯正しているだけだ。

 芯が折れればこの少年は自分たちのところにまで堕ちる。

 その確信があってこそ女は精神をざらつかせる言葉を選んで吐き出す。

 

 「私だけにかかずらってていいのか?! お前が私を嬲るたびに人が死んでいく! お前が私を殺すまでに何人死ぬかな?」

 

 「テメェはつくづく救えねぇな。どのみちお前から眼を逸らせばそれ以上に人が死ぬだろうが」

 

 来る。殺意に満ちた攻撃が。

 だが怒りに満ちていればそれだけ単調になる。

 如何に慮外の『力』と『敏捷』があったとて元のステイタス差で時間稼ぎくらいは出来る。

 あれほどの出力を誇る魔法だ。そう何度も使えまい。

 業腹だが、耐えて耐えて、耐え抜いて。

 その果てで息の切れた少年を蹂躙する。

 

 (その時がお前の最後だ)

 

 焦りと怒り。ユート・アピスにとって心理戦は未知の領域。

 罠が無くとも絡みつく『殺帝(アラクネア)』の呪縛は既に張り巡らされていた。

 怒りのままに力を振る舞うのであれば敗北は必定。

 ……されど、ユート・アピスは()()()

 その憎悪を振り払うように。

 

 「確かに俺一人じゃまだダメかもしれないな」

 

 背に感じる頼れる気配に、濁った少年の瞳が澄んでいく。

 身を蝕む炎が静まっていく。怒りが消えていく。

 残った清廉な闘気だけが少年の内側から迸っていた。

 

 「ユート! こっちはまかせて!」

 

 鋭く、明るく。それは戦乙女の慰撫のように。

 蒼衣を纏い、白い剣を振るうアーディが人々を襲う闇派閥を退けていた。

 

 「……ハァアアアァアアアアア?!」

 

 【アルクトス】で先行したユートと僅かな時間差で同道していたアーディが現着した。

 想定より倍は早い増援の到着に形相を大きく歪めてヴァレッタは吼えた。

 

 「今の俺にはあの時いなかった友だちがいる。背中を任せられる冒険者たちがいる」

 

 だから、と少年は続ける。

 

 「彼女たちが届かないところは俺が手を伸ばす。俺の手が届かないところは、きっと彼女たちが補ってくれる」

 

 そう信じさせてくれたのは、アーディのお陰だけど。

 その言葉だけは胸の奥にしまう。

 ほんの少しだけ、彼女と言葉を交わして救われた気がしたから。

 

 「……」

 

 舌打ちをひとつ。

 ヴァレッタに生じた動揺はそれだけだった。

 惜しくはある。この少年は芯をなくせばきっと()()()と確信しているが故に。

 しかしそれ以上にこの状況をどう生き延びるかを考えることが先決だった。

 既にアーディ(レベル3)の増援により場の収集が完了しつつある。

 手勢は逃げやすいように少数だったのも裏目だった。

 ……何より、眼前のユート・アピスから逃げる手段が思いつかない。

 人質を取ろうと慮外の速度で、今度はそれを完全に操って奪取してくるだろう。

 怒りに曇った眼であれば出し抜けたる自信もあったが、それも今は望み薄だ。

 

 「罪を償う意思はあるか」

 

 「ある、と言ったらどうなるんだい?」

 

 「両手足へし折って【ガネーシャ・ファミリア】に引き渡す」

 

 「……クソッタレが」

 

 「そうか。なら遠慮なくいかせて……ちぃっ!!」

 

 襲撃に対応できたのは『直感』のお陰だった。

 黒いフード付きローブを被った小柄な体躯が二つ、天から降り注ぐ。

 二つの剣戟を防ぐのは剣一本では間に合わず咄嗟に手のひらを滑り込ませるしか出来ない。

 深く刻み込まれた刃が人差し指と中指の間に大きく切れ込みを入れた。

 頭上で鮮血が飛び散りシャワーのように顔に降り注ぐ。

 ユートは顔を歪め下手人を見つめる。

 華奢な身体だ。外套に包まれてなお分かる女性らしさがある。

 攻撃が重い。生半可な攻撃を通さない『耐久』を抜いてその皮膚を容易く侵す『力』と『技術』は歴戦を感じさせた。

 

 「防がれてしまったわ」

 

 「けれど血が滴ってるわ」

 

 「綺麗な色ね」

 

 「とっても綺麗」

 

 「もっと見たいわ。だってあの子ってばまるで妖精みたいにかわいいんですもの」

 

 「ならもっと刻み(あいし)ましょう? 小さい子だから、壊れないように少しずつ」

 

 魔性の色香が籠る声だった。

 退廃的ながらも薄っすらと高貴さを醸すそれにかつて殺した少女の姿が目に浮かぶ。

 

 「……エルフ、か?」

 

 目深に被ったそれで見えずとも少年の『直感』はそれが正しいと叫んでいた。

 そしてそれは正解でありながら不正解だった。

 少女たちは一目で破顔したと分かるほどに喜色ばんだ仕草で()()を作った。

 

 「「まぁ!!」」

 

 「聞いた? 私たちのことをエルフですって」

 

 「聞いたわ。顔も見えないのにそう言ってくれるのね」

 

 「「ますます気に入っちゃったわ」」

 

 「……相変わらず偏執狂だな」

 

 ヴァレッタは立ち上がる。

 レベル5が三人。絶望的な戦力差。

 たった一人でも後ろへ逃がせばアーディですら耐えられないだろう。

 ……それに、アルクトスはそう長く使えない。

 それでも一歩たりとて引いてはいけない。

 何故なら自分は望まれた英雄なのだから。

 

 ───絶望的な戦いが幕を開けた。

 

 それは蹂躙だった。

 降り注ぐ無数の刃は暴風雨すら比するに能わない。雷と、風と、雨と、あらゆる自然の暴威を継ぎ足したような暴虐に対し、少年は刃で応対する。巨大な山に棒切れ一本で立ち向かうかのごとき蛮勇。

 無理。無茶。無謀。そんな言葉はとうに吐き出され尽くしている。

 ユート・アピスは知っている。自分の評判が良くないことを。

 【ソーマ・ファミリア】の不正を暴いた。孤児院を開き子供たちを受け入れた。【フレイヤ・ファミリア】に入団し、家屋を倒壊させるほど凄まじい激闘を繰り広げた。

 街角で人助けをした。ときに神から、冒険者から頼まれた無茶な願いも聞き届けた。

 偏に、英雄になるためだった。

 けれど、誰もユート・アピスを称賛しない。何故なら異様に過ぎたから。

 弱冠七歳の子供が、まるで英雄のように振る舞うことのアンバランスさ。

 それを称賛する声は少なく、民衆は、冒険者は、神々はその不気味さを声高に主張する。

 それは、仕方のないことなのだとユート・アピスは己を納得させていた。

 それで腐るのは英雄ではないから。それで折れるのは英雄ではないから。

 

 その努力の結実は、たったいま、結ばれようとしていた。

 

 「……凄い」

 

 「が、頑張れっ! 勝ってくれ! 負けないでくれえっ!」

 

 闇派閥の襲撃が止んだのは、その戦いが余りに眩しかったから。

 民衆が逃げなかったのは、その戦いが余りに美しかったから。

 神に自然とそうするように人々は祈りを捧げていた。

 アーディはそれを案ずるように、されど自分が立ち入って足手まといにしかならぬ実力差を察して歯噛みした。それを押して、せめて盾になろうと脚を踏み入れた刹那、ユート・アピスの瞳を見た。

 その瞳に映るのは絶望でも悲嘆でもない。まして怒りでも復讐心でもない。

 ───全幅の信頼。敵主力さえ抑えれば後はアーディが何とかしてくれる。そんな感情。

 アーディ一人に対し、広場を襲う闇派閥の数は未だ多い。正直、手が足りない。

 しかし、それでもなお、たった一人の犠牲も出さないのだと()()されている。

 

 (重い。けど)

 

 あの孤独を抱えた子供がそう信じてくれたことが嬉しかった。

 だから、今はすべきことを。そう信じてアーディは呆けた闇派閥へ立ち向かう。

 戦闘が始まる先で、少年は安堵した笑みを絶やさず戦いを続けていた。

 

 人々は見る。星の如く輝く少年の魂を。刃の軌跡を。

 

 彼は引かない。彼は逃げない。彼は常に立ち向かう。

 無謀だ。無理だ。誰もが諦める絶望に、当たり前のように立ち向かう。

 肩が切り裂かれた。頬が切り裂かれた。耳の先端が弾け飛んだ。鮮血が舞った。

 それでも彼は立っていた。

 ユート・アピスは全てを守らんと、全てを背に背負って立っていた。

 相対するのはまた、遥か格上。幾度もぶつかり続けた壁のひとつ。

 乗り越えられぬのなら壊せばいい。壊せぬなら何度でも叩けばいい。

 限界なんて、振り絞ったその先で初めて分かるのだ。

 だから、ありったけを。魂を絞り出すような戦いを。

 その命の輝きが人を魅了することを、ユートは気付いているのだろうか。

 分からない。分からない、けれど。

 

 ───彼は、まごうことなく英雄としての戦いを全うしていた。

 

 「「アハハハハ!! 凄い、凄いわアナタ! どれだけ(こわ)して愛し(くだい)愛して(きざんで)も光が消えないなんて! 真っ直ぐ私たちを見てくれるなんて!」」

 

 「「───嗚呼。なんてきれいなのかしら」」

 

 うっとりとした陶酔の声音は人を破滅に導いた淫魔のようだった。

 耳を犯す妖しき美声に欠片も靡かず少年を心臓へと伸びた刃を剣の柄で打ち払う。

 ユート・アピスが歴戦だとすれば妖魔と蔑まれた姉妹は老獪だった。

 最も攻めて欲しくない握力を失くした右手。最初の接触で半ばまで切り裂かれた指がぶらりと揺れる肉塊は刹那の予断すら許さぬ近接戦闘に於いて重い枷となっている。それに漬け込むように、或いはその漬け込みすらもフェイントとして襲撃を敢行する。

 ユートは肉ではなく骨で支え、時に血液で視界が遮られようとも『直感』で避けた。

 

 「私も忘れてもらっちゃこまるんだよォオオオ!!」

 

 背後からの攻撃。レベル3では太刀打ちできない襲撃であってもユート・アピスは動じない。

 既に発動していた【死線舞踏】は凛々と少年の全身に力を行き渡らせている。

 逆境。瀕死。そのどれもが少年の止まる理由足りえない。

 背後からの刺突を紙一重で胴を捩ることで回避。続けて振るわれる横薙ぎを跳躍して回避した。

 サマーソルトの要領で三日月を描いた小さな脚は姉妹の片割れの腕を捉えていた。

 空を舞う剣を裂かれた右手でつかみ取った。肉ではなく、骨で持つ。

 かつてユゴスで培った負傷状態での戦闘はユートの魂に消えぬ傷として刻まれている。

 今はそれでもよかった。打ち倒すべき敵と戦うすべとなるのなら。

 

 「足癖が悪いのね」

 

 「綺麗に削いで行儀の良いお人形にしてあげる」

 

 「さっさと死に晒せ!」

 

 三者三様の悪態を顔色一つ変えず受け止める。

 振るわれる三方向からの攻撃を二本の剣で受け止め、いなし、受け流す。

 確かに強い。かつて戦った宿敵たるインヘルカなぞ歯牙にもかけないだろう。

 ───しかし、既にその強さ(レベル)は潜り抜けている。

 アレンより遅い。オッタルより弱い。であれば彼らに食い下がった身として負ける道理もない。

 

 「こいつっ! 強ぇえ!」

 

 「あぁん。もう釣れないのね」

 

 「仕方がないわ。生け捕りはやめて死体にしましょう。持ち帰ってから遊びましょう」

 

 ……遂に姉妹の方が本気で殺しに来るか。

 ユートは息も絶え絶えになりながら第一魔法の開帳を思案した。

 今の肉体であれば十秒は持つだろう。その間に瞬殺する。

 その覚悟を決めた瞬間、背中を撫でる感触がした。

 

 咄嗟に意識を張り巡らせる。

 その先に、安心できる暖かい気配を感じ取った。

 

 「待たせたわね! アーディ!」

 

 「アリーゼ!」

 

 正義の乙女たちが現着した。

 既に幾つかの戦いを潜り抜けてきたのか煤けた衣装に負傷が目立つ。

 アーディは彼女たちの消耗具合を即座に見抜き、支持を出した。

 

 「【アストレア・ファミリア】の皆は闇派閥の捕縛を! アリーゼ、輝夜、リュー、私でユートくんの援護に!」

 

 「分かったわ!」

 

 明朗快活に赤髪の少女は吼えた。

 状況の理解など信頼の出来て既に分かっている人にやらせればいい。一刻を争う人命救助の現場に於いて、アリーゼは最適解を導く能力が既に備わっていた。それは正義の乙女を名乗る矜持ゆえか、生来か。

 逡巡すら煩わしいとでもいうようにアリーゼは指さされた方へ走り出していた。

 視線の先にいるのは、血塗れの少年。痛ましい。彼もまた助けるべき対象。

 ───そう思った先で、少女は見た。

 星が、瞬くのを。

 

 「あれは、故郷の───」

 

 懐郷を憂いた声で妖精(エルフ)が囁いた。

 

 「いったい何が……」

 

 極東風の美女は黒髪を流れてくる風で揺らして眼を細めた。

 

 「ユートくん、また……!」

 

 唯一、その魔法の副作用を知るアーディは顔を歪めた。

 

 刹那、音が消えた。

 

 弾き飛ばされた三人を視認し、遅れて音が弾けた。

 

 【死線舞踏】【破邪剣正】の両スキルによる能力の底上げ、それに加え位階昇華に等しき強化を付する規格外の付与魔法『アルクトス』。それによって得られた破壊力は絶大だった。

 局地的な勝利を不可能と見た三人は弾き飛ばされた衝撃をそのままに身を隠した。

 逃走。追跡は困難であると判断。一先ずの勝利を得られたと確信し、少年は剣を収めた。

 

 「ユートくん!」

 

 駆け寄るアーディは斃れようとした少年の幼い身体を抱き留めた。

 ぞっとするほど軽い体だった。

 駆け寄るアリーゼたちもまた少年に適切な処置を施そうと試みる。

 

 「酷い怪我……! どうしてこんなになるまで……!」

 

 「レベル5が三人いたんだ! ユートくん以外じゃどうしようもなかった……!」

 

 悔しさで唇を噛みしめながら懐から取り出したポーションを飲ませようと口に近づける。

 しかし……注がれたそれは咳き込む形で吐き出されてしまう。

 

 「ダメ。胃が拒絶しちゃう!」

 

 「かけるだけでも効果はあるはずだ。幸いポーションは余裕がある……効果は弱まるが患部にかけるしかない」

 

 各々が持ち寄ったポーションを少年の身体に振りかける。

 刃傷と思われる傷は癒えていくが、消えない傷が亀裂のように全身に走っている。

 

 「消えないわ! この傷、もしかして呪い(カース)?!」

 

 「いえ。素人目ですが違うと思います。一度だけ見たことがありますが、あれはもっと黒々とした傷になる」

 

 魔力に近しいエルフであるリューの言葉でアーディは思い至る。

 

 「そうか! 付与魔法の後遺症だ!」

 

 「馬鹿な。()()がすべて後遺症!?」

 

 その常識外れぶりにリューは瞠目した。

 振りかける程度では回復しない深い裂傷。それがすべて魔力によってもたらされたものだと聞いたリューの驚愕はどれほどのものか。例えリヴェリアであっても同じ反応をしたであろう。

 肉体を損壊させる魔力といえば魔力暴発(イグニス・ファトゥス)が挙げられる。あれは読んで字のごとく制御不能となった魔力が行き場を外へ求め引き起こる暴発だ。その威力故に意図して引き起こされることもままあるが、たいていが身に余る魔力を運用しようとした弊害だ。

 対して正しく運用してなお肉体を損壊させる魔法となると話が変わる。

 それは即ち、常に魔力暴発を体内で引き起こしているようなものだからだ。

 放出するタイプの攻撃魔法であればまだよかった。威力が天井知らずなだけで使い勝手の悪い魔法に成り下がるだけで済むからだ。しかし付与魔法であるのがマズい。それほどの魔力密度なぞいつ肉体が崩れても可笑しくない負担を心身にかけ続けるようなものだ。

 まして、それほどの魔力を運用して生きていられることの方が驚きの比重が大きい。

 これを扱えることそのものがハイ・エルフたるリヴェリアであっても真似できない緻密な魔力制御の証明だ。

 

 「どう? 治りそう?」

 

 「ダメだな。かける程度の治癒力では……そこのエルフの回復魔法を試すか?」

 

 「私の魔法では、この傷は治せない」

 

 リューは覆面の内側で口内を噛んだ。

 ハイ・ポーションの回復を余さず伝えるしか少年の容態を安定させるすべがない。

 アーディは意を決したように手に取ったポーションを口に含んだ。

 

 「ユートくん、ごめんっ!」

 

 「アーディ、何を……っ!」

 

 「まぁ!」

 

 「おや」

 

 少年の顎に指をあて、気道を確保して唇越しにその液体を流し込んだ。

 艶やかな真珠を思わせるそれが濡れて、少年の内側へ癒しの力が流れていく。

 刻まれ、絶えず血を流し続けた亀裂が僅かに塞がり、流し込まれるたびに顔色が癒えていく。

 

 「なっ、ななななななな、なにをっ、なにをっ」

 

 「おー、エルフが壊れるとこうなるのか」

 

 「まぁまぁまぁ!」

 

 両手を頬に当てて囃し立てるような声を上げるアリーゼを余所に、頬を真っ赤に染めたアーディは珍しくアリーゼを咎めるように睨んだ。それを見て口元を両手で覆い、アリーゼは立ち上がった。

 

 「容体も安定したみたいだから、向こう側を手伝ってくるわね!」

 

 「まっ、そういうことだ」

 

 「アーディが、キスを? いや、あれは救助活動の一環で、でも接吻は心にきめたひとだけで……」

 

 リューの首根っこをひっつかんで輝夜はアーディの元を去った。

 既に闇派閥はその多くが捕縛されたのか一先ずの解決を見せていた。

 死者ゼロ。負傷者も十人ほど。ユート・アピスの到着が早く無ければきっとたくさんの被害があった。けれど、その被害はいっそ奇跡的といっていいほど少なかった。

 アーディは少年の頭を撫でた。頑張ったね、と言いたかった。

 けれど、血塗れの身体を見て、心が痛む。

 力不足なんて何度も嘆いた。自分に出来ることは精一杯した。

 でも、こんな小さな子供に背負わせてしまった。

 

 「頑張りすぎないでねって、言えたらよかったのになぁ」

 

 はぁ、と膝に顔を埋める。

 そんなアーディに近寄る影が一つ、二つ、まだ増える。

 

 「あの……」

 

 若い女の声だ。

 振り返れば、オラリオの住民が列をなしていた。

 

 「さっきは、ありがとうございました。あなたたちのお陰で私たちは無事でした」

 

 女性に習って住民たちは頭を下げた。

 

 「そんな、お礼を言われるようなことじゃないよ! ……それに、一番頑張ってくれたのはこの子だから」

 

 そう言って地面に寝かされた少年の顔を見る。

 安らかな顔で眠っていた。まるで死んでいるかのような静かさで。

 

 「その子は……」

 

 「ユート・アピス」

 

 アーディは端的に応えた。

 その名が広まることを望んで。

 そして、その名に追いつくことを胸に誓って。

 

 そしてオラリオは初めて、ユート・アピスの名を正しく英雄として知ることになる。

 

 その風聞が街に響く。

 

 オラリオ到着から十三日。

 日数を見て余りにも早くその英雄は頭角を表した。

 

 ……そして、それはこれから始まる英雄譚の序章に過ぎないことを、女神だけが知っていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ……余談だが。

 

 「あの子って、もしかして【猛者】が抱えてて神さまたちがジアンって呼んでたジアン君よね。ユートくんって言うんだね」

 

 「あー、あのジアン君か」

 

 「しかし……凄まじい子供でしたね。レベル5を三人、撃退するだなんて」

 

 「事実だろうな。しっかし、ワタシも見てみたかったぜジアン君」

 

 という、意味を知るユートにとって非常に不愉快な渾名が一部で広まりつつあることを、ユート・アピスはまだ知らなかった。

 

 たぶん知ったら本気で泣くと思うよ。




遅くなってしまい申し訳ありません。
卒論とか、卒論とか、単位とか、もろもろ忙しかったので……
絶対に失踪はしませんのでこれからもよろしくお願いします。

さて、第一部、完です。
性格に言えば第一部、前編、完です。
明らかに長くなりそうだったので分けることにしました。

次章はアイズ、リリ、リヴェリアの凸凹カルテット編です。
一応、全体構成としては
序章
一章:前←今ココ
一章:後
二章
間章
三章
四章
五章
古代編
最終章
で想定しています。
まだまだ序盤ですしプロット変更があるかもしれないので暫定です。
ほら……「水と光のフルランド」の内容次第で変わるかもしれないし。
というわけでこれからも長い付き合いをよろしくお願いいたします。


今日の一口情報
イカロスの登場により古代編は幾つか変異が見られる。
現代にもその変化が引き継がれている可能性がある。
しかし、イカロスの名やその偉業を知るものはほぼ居ない。

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