いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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死合

 流れる河川は瑞々しく。吹き荒ぶ砂塵は賑々しく。

 活気あふれたる市場(バザール)には特産品と工芸品が立ち並び。

 伝統と矜持の闘技場は(くろがね)の打つ音が響く。

 ユゴスの都市はそういう、質実とした美しさと精強さに彩られた場所だった。

 豊穣神であらせられるアピス様の御加護があったこの都市は豊かさに溢れ。

 その豊かさを土壌として多数の剣闘士(グラディエーター)が逞しく育った。

 彼らは都市の守護を固めるに留まらず、魔物被害が深刻化する昨今では近隣諸国の救援へと派遣することもあるほど、民と剣闘士は近い関係にあった。

 そういう、各所から一目置かれる存在でありながら、ただの一度も戦争を仕掛けたことのない、人道に優れた立派な都市だった。

 

 正義とは、平和とは、愛とは。

 都市を治める立場だった私の父上はそういう、人の道を誇らしげに説いていたことを覚えている。

 厳しいけれど誇らしい父上と、優しく愛溢れた母上。

 弟は生まれたばかりで可愛らしくて、都市はどこまでも素晴らしい場所だった。

 私たちの苗字であるアピスは、神様の名前を頂いたと同時に『楽園』を意味する言葉の一部分なのだと聞いた。

 私たちは楽園をより住みやすくするためにその身を都市に捧げる一族で、そして剣闘の王はその楽園を護る使命を帯びるのだとも聞かされた。

 故に、剣闘王の名は襲名性であり、歴代の剣闘王は全て同じ名前で刻まれている。

 その継がれる名前を『ユート』といい、ユートとアピスは揃って初めて完全な『楽園』足りうるのだ。

 

 だから、初めて名前を聞いた時はより一層運命を感じた。

 ユート、だなんて、素敵な名前。

 都市(ユゴス)の護り手に引き継がれる伝統(なまえ)は奪われてしまったはずなのに、こうして再び出会えたことにどうして運命を感じずに要られようか。

 ずっと特別な人だと思っていた。

 実際に特別な才能がある人だった。

 誰よりも強く、高く飛ぶ彼に希望を見出してしまった。

 強さと優しさに背を凭れかけてしまったの。

 卑怯だったよね。ごめんね。

 貴方はまだ、六歳の小さな子供でしかないのに。 

 ずっと甘えてしまっていたの。

 それじゃいけないと思ったから。あなたの元を去った後、都市と死のうと思ってた。

 この都市を全部壊してしまおうと思っていたの。

 円形闘技場の地下深くにある自滅機構を使って。

 悪しき者が剣闘王になってしまったとき、そして剣闘士たちがその悪に屈してしまったときのことを考えて造られた装置が地下にあると父上から聞いている。

 それを使えば、貴方を縛る契約の呪詛も、絢爛豪華な宝物たちも、みんな消えてしまうから。

 そうしたら、貴方はこの都市から羽搏いて、本当の英雄に成りに行けるから。

 だから、どうか振り返らないで欲しかった。

 こんな、私の愛した、私の愛せなくなってしまった都市は忘れて。

 ただ、陽だまりの中を生きてほしかったのに。

 私、ただの足で纏いにしかなれないね。

 こうして捕まってしまったのも、弱くて無力な子供でしかないのも。

 

 ねぇ、父上。

 私、どうすればよかったのかな。

 いきなり全部奪われて、私の愛した瓦礫の上で嗤うアイツらに何が出来たのかな。

 好きだったものは消えてしまって。たった一人の大切な男の子さえも守れなくて。

 無力で、無力で、悔しくってたまらない。

 

 ずっと涙ばかり零れるのに、泣き叫ぶことだってできやしない。

 腕も、脚も、口ですら縛られて、身動きが出来ない。

 

 ユート。ユート。

 怖いよ、私、殺されちゃうのが怖い。

 貴方の足手まといにしかなれないのが辛い。

 自分で死にに行くのは怖くなかったのに、人に殺されるのは怖いんだ。

 でも、ユートは私の感じる恐怖より怖いものと戦ってきたんだよね。

 だから、私信じて待つよ。

 もう、それしか出来ないし。

 それに、貴方は英雄だから。

 小さくて、私より幼いけれど。

 それでも、信じたくなるくらい、貴方は私の英雄だったの。

 

 私は知っている。彼が、誰かを虐げなかったことを。

 私は知っている。彼が、自分の稼ぎを孤児院に寄付していたことを。

 私は知っている。彼が、道端で死んでいく人たちをみて心を痛めていたことを。

 

 私は知っている。

 彼が、剣闘士たちの中でたった一人、アポピスに抗っていたことを。

 

 お願い、アピス様。

 あの小さな英雄に、祝福をあげてください。

 私たちが守れなかった都市で、必死に抗うあの子を助けてあげてください。

 それだけが、私の望みです。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 ユゴスの円形闘技場が揺れる。

 大勢がひしめき合う観衆らは常よりもさらに満ち満ちていた。

 津波のような歓声と、蒸し風呂なんて比にならない籠るような熱気。

 時は昼日中。中天に坐した太陽がギラギラと輝きながら、突き刺すような熱線が降り注ぐ。

 散らばるチラシに描かれたのは一人の少年と大男が相対する一枚絵。

 書かれた文字には『血濡れの王』と『不屈』の決闘が大々的に銘打たれている。

 ざわついた観衆の声には期待と熱欲が込められ、その顔に浮かぶ汗は油を塗りたくったように照り輝き、それに負けじと欲望に眩んだ瞳がキラキラと闘技場の中心に降り注いでいた。

 前座となる滅多に見れない筈の上級剣闘士同士の立ち合いは目の肥えた彼らを以てして満足がいくものであった。賭けで動いた金は数千万ヴァリスはくだらないだろう。

 賭けの勝者は高らかな雄叫びを、敗者は惨めな慟哭を熱気の中に投じる。

 その熱意はしかし留まるところを知らず。次を、次の試合を欲していた。

 そう、次の試合こそがメインイベント。彼らが望んで止まなかった突発的な大余興。

 都市を治める悪神のお気に入りが如何にして『血濡れの王(エイリーク)』に食い下がれるか。そしていかにして惨めに殺されるか。歪んだ欲望を持った混沌の先鋒たちはそればかりが脳を支配する。

 

 『皆様、お待たせいたしました。メインイベントのお時間です!』

 

 拡声器によってもたらされる声は大歓声の中でもよく通る。

 しかし、その声が響いた瞬間、先ほどの歓声すら押しつぶす波濤のような声が束ねられた。

 音響兵器もかくやなそれは爆弾の様相で、実況者の次なる言葉を阻む。

 

 「静かに」

 

 すぅっと。静まり返る。

 押しつぶされたような威圧感、ガタガタと震える体。

 本能が拒んでいる。本能が叫んでいる。

 それは人を侵食するものだ。

 それは人を嘲笑するものだ。

 古い古い、人々が畏れた悪の華。

 邪神アポピスが貴賓席で手を挙げていた。

 いつの間にかその手に握る拡声器を使い、告げる。

 

 『やぁみんな、よく来てくれた。今回の興行はこれまでに無い金が動き、僕としてもとても満足がいく結果だ。そして、そのメインイベントたる試合は僕ですら興奮が収まらないものだ』

 

 だから、と続けて神は言う。

 

 『喝采を』

 

 一息の沈黙。

 それを再び破るように、神は続けて告げた。

 

 『喝采をしよう。哀れな挑戦者と、絶対の王者へ。今日という日を彩ったことへの喝采を』

 

 そして。

 

 『この試合が終わったら、僕はオラリオへ行こう。

  今のオラリオは悪の栄えたる素晴らしき楽園だ。

  そこに僕たちの手が加われば、さらに美しく混沌の渦が生まれるだろう。

  その手向けとして、僕は最も気高い剣闘士を殺し尽くそう。

  その手向けとして、僕は最も清廉な姫君を辱めよう。

  だからどうか君たちも、この最後の混沌を喝采しておくれ!』

 

 暫時場は静まり返ったままだった。

 そこからぽつぽつと、小雨のような拍手が生まれ、ざわめきは遂に狂熱へと進化する。

 アポピスの言葉はつまり、世界の中心たるオラリオを手中に収めようということだ。

 オラリオの混乱は世界中へ波及する。

 ちょうど、この平和だった都市が貶められたように。

 そして、オラリオの状況が今より悪化したのならば。

 それは即ち、ここに至るような混沌の手先どもにとって、生きやすい世の中が来ることに他ならない。

 今の宣誓はそういうことだ。

 ここにいる全ての悪人たちの望む世界を生み出すという、意志表示。

 故に沸き立つ。故に狂う。

 神の言葉は、例え単純であったとしても狂気を孕むものだから。

 

 アポピスの言葉が終わり、次いで中央に一本の巨大な杭が建てられた。

 その上部には美しい赤い髪を揺らす幼い少女が括り付けられている。

 わざと少し破れた衣装(ドレス)を着せられた少女は、衆目の視線に耐えられず身悶えする。

 その度に胸や太腿がちらついて、血に煙った男たちの獣性を刺激した。

 

 『その女はユゴスの太守の一族、その最後の生き残りだ。

  そして、今回の報酬でもある。

  勝者はこの幼くも美しい少女を()()()()()いい。

  存分にその欲望を晴らすと良い……もっともインヘルカの趣向は君たちならば分かるだろうけれどね』

 

 アポピスの言い草に嘲るような言葉や口笛が客席から寄せられた。

 インヘルカはその試合で殺した人間を()()ことで有名だ。

 試合運びも甚振るようなものばかりで、特に残虐性を求める客から人気だった。

 そんなインヘルカの悪意に晒される少女など、末路が決まったようなものだ。

 そしてそれに同情するような人間など、ここには一人としていない。

 ……断頭台が如き道を歩む、ただ一人の少年を除いて。

 

 『さあさあ! お集まりの紳士淑女諸君! 最後の演目の始まりだ!』

 

 アポピスの言葉とともに、左右対称のゲートが開かれる。

 東側のゲートから、筋骨隆々の男が出てきた。

 褐色肌の男は銀髪を揺らしながら、野獣のような顔を歪ませて笑っている。

 西側のゲートから、未だ幼い少年が出てきた。

 同じく褐色肌の少年は灰がかった黒髪を黄色のバンダナでまとめている。

 憮然とした表情を崩さず、瞳の端に映る少女を見て瞳を収縮させた。

 激情を孕んだその瞳はそのままに、どこまでも思考を澄み渡らせて、戦士は歩む。

 

 「インヘルカだ! 『血濡れの王(エイリーク)』が来た!」

 

 「『不屈』のユート……俺はあいつが家三棟分よりデカい蠍を殺したのを見たぞ!」

 

 両者ともに強者として語られる存在。

 その実力に遥かなる齟齬があれど、その風聞は主採として充分以上。

 

 『さあ! ユゴスの姫君をその手にするのはインヘルカか、はたまたユートか。

  或いは両雄の剣闘むなしく、世を儚んだ姫君が飲んだ毒杯に侵され死んでしまうのか』

 

 ユートの表情が驚愕で歪んだ。

 それを見て嬉しそうに嗤うインヘルカ。

 両者は顔を見合わせ、片方は怒りで、また片方は愉悦で表情を染めながら言葉を交わした。

 

 「……毒だと?」

 

 「逃げ回られては興行にならないだろう? なぁに、試合を楽しませるエッセンスのようなものだ。お前が俺を……そうだな、真ん中の日が傾く前に殺せればいい話だ」

 

 「……クソッ」

 

 悪態をつく。ままならない現実へ唾を吐いて──そして集中した。

 身体を沈め、矮躯を縮ませて、いつでも弾けられるようにと。

 

 「いいぞ。それだユート。その消えぬ戦意こそが俺を高鳴らせる」

 

 「下衆が武人の真似事か?」

 

 「いいや? 誇り高い戦士程、蹂躙して楽しいものは無いだろう?」

 

 これ以上の言葉は不要だった。

 互いが互いを殺したがっていた。

 そして、観客たちもその殺し合いを見たがっていた

 捕らえられたただ一人の姫君は、目を覆うまいとその瞳を開いた。

 

 『試合開始!』

 

 銅鑼が鳴った。試合が始まった。運命が始まった。

 もう誰も引き返せない。

 時計の針は進んだままだ。

 

 これが、最後。

 これが、末期。

 

 ユゴスの都市の行く末は、暴君と英雄の手に委ねられた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 「シィッ──!」

 

 鋭い気迫とともに俺が揺れ動く。

 彼我の距離五メートルを瞬く間に埋める迅雷の踏み込み。

 渾身の一撃が抜刀と同時に振り払われる。

 インヘルカはそれを読んでいたのか左に飛び、その手に持った醜悪な片刃の鋸を引く。

 しかし俺はそれを読んでいた。軸足を起点に円を描くように体を滑り込ませてハディードを再度振り抜く。引いた鋸で対応したインヘルカの顔へ唇を切って作った血を吹きかけ目を潰す。

 三度、振るわれる剣閃。今度は避けきれずにインヘルカの鼻筋を切り裂いた。

 ばっくり割れた鼻からどくどくと血が溢れ……次の瞬間、腹に鈍い衝撃が走り俺は吹き飛ばされた。

 

 「──ぐはっ!」

 

 蹴られたと気づいた時にはもう遅い。

 体中の酸素が奪われたような錯覚と、眩んだように思考に靄がかかる。

 駄目だ、追撃が来る。避けなきゃ死ぬ。ここで死ぬのは犬死だ。

 歯が割れるくらい強く食いしばって意識を保つ。横目で捉えた再びの蹴撃。対応は可能。

 俺は横に飛びそれを避ける。しかし今度はインヘルカがそれを読んでいた。

 俺の回避方向に振るわれた鋸は鮫が口を開いた死の顎のように待ち構えている。

 身を捻り、寸でのところでハディードを滑り込ませてそれを防いだ。

 ぎちぎちと骨牙が刃に食い込み、まるで齧るように刃の鋭さを貪った。

 これがハディードのように分厚い剣でなければ、かみ砕かれていただろう。

 

 「武器破壊(ウェポンブレイク)だ。

  生半可な武器なら即お陀仏な俺自慢の第二級武装。

  お前ら中級以上の剣闘士の武器基準は、俺の鮫牙鋸(チャークー)に耐えられるかどうか、だ」

 

 だから安心して武器を振るってこい、と言外に告げられる。

 俺は言われなくてもそのつもりだ、と全力で剣を握り鋸を吹き飛ばした。

 

 「がぁああああああ!!」

 

 たたらを踏み体勢を崩した相手の懐へ目掛け突きを放つ。

 ハディードの最も威力の高い攻撃は突きだ。レベル4の耐久を貫ける、おそらく唯一の攻撃方法。

 当たる。そんな確信があった。しかしそれを嘲笑うのがレベルの差だった。

 たたらを踏んだ体勢のまま、俺は見た。

 インヘルカが足の親指一本で自重と慣性を支え、あまつさえ移動を可能にしたのだ。

 俺の突きは空を切り、無防備に晒された伸び切った姿勢の俺の身体だけが残る。

 

 「よっ、いっ、しょっと」

 

 掛け声とともに鋸が俺の肩を抉った。

 一昨日と同じ部位が弾け飛んで、砂の地面に俺の肉が飛び散った。

 敢えてだ。敢えて同じ場所を傷つけやがった。力の差を見せつけるように。

 無理な姿勢で鋸を構えていたことも、たたらを踏んだのも全てブラフ!

 余裕を見せつけるための演出に過ぎなかったってことか……!

 

 インヘルカは圧倒的だった。

 前提として、奴はレベル4という俺より二つ格が違う相手だ。

 俺のレベルは2、ステイタスもほぼ上限まで上がっている。

 直前にアポピスによって刻み直された数字は魔力以外Sという領域にあり、これは他の人間と比べても極めて稀有な素質であると思われる。

 そこに俺の技能(スキル)、【死線舞踏(ダンス・マカブル)】の効果が合わされば、それなりにステイタスを磨いたレベル3相手でも勝利することが出来るだろうという自負があった。

 されど、それでも届かぬ領域。それがレベル4である。

 

 「ぐっ!」

 

 適当に振るわれた鋸の一撃が大地を砕き、触れていないのに衝撃で体が吹き飛んだ。

 削り取られた肩が地面との摩擦でめくれ上がり、剥き出しの神経が深く傷つく。

 しかしそれすら気にする余裕なぞ無かった。

 もんどりうった先で起き上がり、地を這うようにその場から離脱する。

 数瞬遅れて再びの攻撃が俺のいた場所に降り注ぎ、再び地面が砕け散る。

 闘技場の地面は砂が敷き詰められてはいるものの、三十センチほど下は鋼鉄よりも硬い金属でできている。俺は名前を知らなかったが、かつてステラから超硬金属(アダマンタイト)という不壊の金属が使われていると教えられた。

 それを砕く膂力。俺と格が二つ違うだけでそれが叶うのだろうか。

 ……現に出来ているのだからその仮定は無意味か。

 俺が考えるべきは、どうやってこの怪物を倒すか、だ。

 

 向こうの一撃を食らえば即死なのは見れば分かる。

 耐えるとか、そういう次元に無い攻撃だ。特化された【力】のステイタスとはかくも恐ろしいものだったのかと背筋が震える気分だった。

 かと言って俺の攻撃が通用するのかは微妙なところだ。

 僅かな隙を見て二、三撃お見舞いしてみたところ血が噴き出たので効きはするだろう。

 しかし致命傷に至るかと言われれば微妙なところだった。

 渾身の攻撃を捨て身で行ったとて、それが通用せず反撃を食らえば即死なのはこちらだけだ。

 

 ……クソゲーだな。

 

 それでも勝たなきゃならない。

 それも、中天の日が傾くまでに。

 

 「……これしかないか」

 

 勝った後のことを考えれば、やりたくなかった手だ。

 勝利後にステラを救うためには、ほんの僅かでも余力を残しておきたかった。

 甘かった。もう、そういう甘さは捨てたはずだったが、それでもステラの姿を見て決断が揺らいだ。

 

 「なんだ、何かあるのか。待ってやるからやれ。今すぐやれ」

 

 一緒に居たいと願い合った。幸せになりたいと誓い合った。

 そうして寄り添いあうだけで、幸せになれた。

 地獄だけの世界に転生してきてよかったと、思えたんだ。

 なら、まぁ。いいよな。ステラ。君を悲しませたくなかったけど。

 

 「ああ。使いたくなかったけど。仕方ないな」

 

 俺はハディードを自分の腹に突き刺した。

 躊躇なく刺し込まれた剣は背中を突き破り止め処なく血が溢れ出る。

 遅れて、どよめきが闘技場のあちこちから聞こえてくる。

 痛い。じくじくとした痛みが腹部を貫いて、冷たい金属の感触が内臓に残る。

 俺が殺したあの子たちも、これくらい痛かったんだよな。

 だったら、俺が傷みで叫ぶなんて、許されないよな。

 

 死に近づく感じがする。

 生へしがみつこうとする臆心でさえ踏み躙って、俺は前に進んだ。

 

 「ハハ……最高だな。それほどか! 

  それほどお前はあの雌ガキに絆されていたか!」

 

 「ああ。そうだな。地獄に生まれた俺を救い上げた、一等星だよ」

 

 痛みと、出血。それに苛まれながらも不思議と穏やかな心だった。

 俺のスキル、【死線舞踏】の効果は主に三つ。

 

 ・逆境時、全能力高域強化。

 ・瀕死時、全能力超域強化。

 ・生存欲求に比例して強化率低下。

 

 既に強化条件は揃っている。

 生存欲求が無い時のこのスキルは、これほどまでに自分を強くしてくれるものだったのか。

 俺はいっそ感激に打ち震えたくなる自分を制御せなばならなかった。

 強くなったことへの万能感、踊りだしてしまいそうなほどのそれ。

 身を委ねて、狂うことはしたくなかった。

 それは英雄らしい行動じゃなかったから。

 彼女が見ている前で、英雄じゃない行動はしないと決めたから。

 

 「さあ、第二ラウンドだ」

 

 「今すぐやろう。互いが、死ぬまで」

 

 破顔するインヘルカへ再び迫る。

 最初と同じ、踏み込みからの斬撃。

 しかしその速度は先ほどとは比べ物にならないほどだ。

 俺の一撃はインヘルカの腹部を逆袈裟切りにしていた。

 遅れて、鮮血が舞う。斬られたことに肌が気づかぬほどの鋭い一閃。

 遅れて、インヘルカの表情が奇妙に歪む。

 まるで理性が途切れた獣のような……そう、まるで。蛇のような。縦長の瞳孔。

 

 自分の経験と照らし合わせ、俺は悪寒を感じてその場から離脱した。

 

 「ヒィヒャハハハハハ!」

 

 俺が離脱した瞬間、俺がいた場所に振るわれた鋸が大地を縦に裂いた。

 超硬金属製の床が地割れのように十メートルほどに裂け、俺の足元までその威力が及ぶ。

 俺が覚醒すれど、敵もまた、遥か彼方にありしもの。

 

 「なるほど、第二ラウンドだな」

 

 傷を負うことがトリガーになる強化スキルか?

 だとしたら最初に鼻に当てた一撃で発動していても可笑しくない。

 しかし、そうではなかった。

 だとすれば考えられるのは()()()()()()()()()()といったところか。

 笑えないな、俺と似たようなスキルとは。

 だが俺と違って攻撃力のみの強化とみていい。

 あの強化率が全ての能力(ステイタス)に適応されていたのだとしたら、俺が無傷であの場から離脱できた理由が無い。

 

 「死ねェエエエエ!!!」

 

 「テメェが死ね!」

 

 飛び上がり、躍りかかるように鋸が振るわれる。

 受けは悪手。避けても衝撃で肉体へダメージが来る。それは今の死に体に好ましくない。

 ならば迎撃(カウンター)だ。最小の被害で、最高の反撃を。

 その鋸を直前で避け、身体を懐へ滑り込ませる。背中で大地が弾けた音がする。それを気にせず俺は手に握ったハディードで太腿を切りつけた。

 切れ味が悪いとは言え、剣は剣。まして相手は防具を身に着けない剣闘士だ。

 動脈を傷つけられたインヘルカは更に鮮血を闘技場へまき散らした。

 

 「はぁああああああ」

 

 しかし、インヘルカは苦に感じない。

 恍惚の吐息を吐きながら、自分の鼻から流れる血を舐めとった。

 直後、インヘルカから感じる威圧感が更に大きくなる。

 

 「まだ上があるのかっ!?」

 

 慌てて股下を通る形で離脱する。

 強化されていなかったのなら間に合わなかっただろう回避。

 再び背後で何かが爆発したような轟音が響いた。

 ぱらぱらと砂塵と金属片が噴火のように降り注ぎ、ぎろりとインヘルカの瞳が俺を射す。

 その手前の大地には巨大なクレーターが出来ていた。

 

 正気じゃない。その瞳に理性が一片たりとも残っていない。

 理性と引き換えにした強化。狂奔(ルナティック)ってところか。

 トリガーは……血を舐めたとき? 『血濡れの王』はただの称号じゃない?!

 つまり奴の能力は最低でも二つあるってことだ!

 

 ・自分の損傷率に比例して力を強化するスキル。

 ・血の摂取をトリガーとした理性と引き換えに『力』を強化するスキル。

 

 考えられるとしたらこの辺りか。

 これはもう、卑怯だな。思わず悪態めいた言葉が口をついた。

 血を流すほど強くなり、その血を舐めて更に強くなるなんてまさに生粋の狂戦士(ベルセルク)。生きる世界が余りに違う。死と断絶だけで形作られた屍山血河の人生を歩んできた男に相応しい【スキル】だ。

 それでも、俺は落ち着いていた。

 ドクドクと流れ出る腹部からの出血を感じているからかもしれない。

 死が近づくにつれて、寧ろ心は澄んだ湖のような静謐に満ちていた。

 

 「がぁあああああ!」

 

 「キィイイエアアアアア!」

 

 快鳥と猛獣のような叫びが互いに交差する。

 命の削り合いが始まった。

 一進一退というには余りに差が激しい攻防。

 俺の攻撃を浴びせるたびにインヘルカの攻撃力はボルテージを上げていく。

 対して俺は、死に瀕するたびに意識が消えかけ、同時に能力が上がっていく。

 不毛な争いだと言いたくば言え。それでもここに賭けられたのはステラの命だ。

 そのためならば、俺は死すら惜しくはない。

 

 ああ、そうだ。

 大切な人のために命をなげうつのであれば、決して惜しくは無いのだ。

 

 砂塵と熱気で翳ろう大地は熱砂の如く煮えたぎっていた。

 俺とインヘルカはともに朦朧とする意識の中で、これが最後の交錯であることを察していた。

 土煙の奥で、インヘルカの血色の眼光が輝く。

 血塗れの王は猛き咆哮を挙げた。外道なれば、理性無き今も獣と同じ。

 ただ、ただ。行われるのは命の奪い合いで、それ以上でも以下でもない。

 これはインヘルカが今まで為してきた一方的な残虐な殺しではなく。

 ()()()()なのだ。

 奇しくも、インヘルカはそれを久しく忘れており、暗黒に抗った少年こそがそれをよく理解していた。

 強者は驕り、弱者は驕らない。ただそれだけの差。兎と亀の寓話と同じ。

 次の瞬間、土煙を裂くように俺は突貫していた。

 剣闘剣と鮫牙鋸が、火花を放ち、激突する。

 

 「「ウガァアアアアアアアアアア!!!!」」

 

 獣の如く(たけ)びながら、闘技場が震えた。

 今この時だけは、欲望の濁った瞳が取り払われる。

 それほどに、この戦いは男たちの心を動かすものだった。

 外道であれど、人の心は失えど、本能の疼きは止められるものではない。

 大熱狂を引き起こす観衆は言葉にならない叫びを挙げながら地面を踏みしめ、ユゴス流の声援を送る。

 

 「────っ!」

 

 放たれる致死の一閃。対するは死出の鮫腔。

 重く分厚い鉄塊が唸りを上げながら凶獣の眼前を通り、心臓の真横を深く突き刺した。

 刹那、ガリガリと血肉を削る鋸が幼い体を打ち捨てた。

 肉が削がれ、骨が剥き出しになった肋から血が流れる。致命的なまでに命が消えていく。互いに回避は最低限しか考えない。致命傷を避けるという意味では技量に優れた俺の方が分があるか。されど堅牢たる耐久の牙城は崩せず、時間だけが過ぎていく。

 防戦になる余裕なぞ無い。致命傷を承知で、命を軽率に投げ出した。

 捨て身の特攻。見逃されずに武器の上から衝撃が幾重にも重なる。握力がついに消えてガタガタと手に持つ刃が震える。

 力で上回る相手の力を抑えるために、必要以上の力を込めて武器を握る必要があった。

 その限界が既に訪れようとしていた。

 

 「ハハッ! ヒャハハハハハハハ!」

 

 自身の有利を察したか、凶悪に変わり果てたインヘルカの貌が歪む。

 俺は戦慄を押し隠しながら、押して逝く。

 獰猛な牙を宿す骨色の牙鋸(チャークー)が俺の太腿を抉り、俺の機動力を奪った。

 べちゃり、もう何度目になるか。自分の血肉が地に捨てられる音がする。

 気にしない。気にしてたまるか。恐怖なんてしてたまるかっ!

 俺はお前らを怖がらない。お前らになんて屈しない。

 俺の機動力を削いだことで僅かに生まれた油断。

 レベル4が到底しないような、緩やかな攻防の隙。

 

 「ようやくっ!」

 

 ようやく、この時が来た。

 死に体の身にムチ打ちながらこの一撃に全てを捧げる。

 全身全霊の一撃。それが込められたのは突きだった。

 ハディードの刺突。たった一度しか成功していない攻撃。その一撃はしっかりと心臓の逆側を穿ち、ダラダラと流れ出る血液を戦果としている。

 遥か格上の耐久の牙城を打ち崩せたのは、この一撃だけ。

 鋼が如き肉の宮を打ち崩せるのは、この一撃だけ。

 果たしてその一撃は──インヘルカの腹部を深々と突き刺していた。

 

 「ギッ! ィィイイイイヤアアアァアアアア!」

 

 これでも、倒れてはくれないんだろう?

 二度目の致命傷を受けても倒れないからこそのレベル4。死なないからこそ恐怖の象徴。そこに誇りは無く、矜持は無く。ただ意地だけがあった。生きとし生けるものに備わった生存欲求だけがあった。

 明暗を分けたのは、その差。死を厭わぬ少年と、今日死ぬつもりは無かった外道の差。

 俺はずっと考えていた。致命傷を食らわせた()のことを考えていたんだ。

 きっとそれでも倒れないお前を殺す、最後の方法を。

 

 「……っ」

 

 剣から手を離す。既に、ハディードは限界だ。鋸の攻撃を何度も受けてぼろぼろとなったその刀身では、もう防御にすら使うことはできないだろう。

 愛着のある、俺の唯一の武装。辛い時もずっとともにあった武器。

 受け取ってからは、安心の象徴だった。これが手元にあるときだけ安寧のままに眠ることが出来た。ステラと出会うときまで、俺を守ってくれた親代わりの鋼剣。俺を救ってくれた友代わりの鉄剣。

 

 (ありがとう)

 

 思わず感謝が溢れた。

 極限状態にあって感謝を浮かべられたのは、死に近づいたことで起こる平静が故か。

 

 駆ける。駆けだした。狙うはインヘルカの手。それに握られた武器。

 片腕で、まして致命傷を受けた直後だからこそ生まれた隙を俺は逃さない。

 綱引きに勝つタイミングをずっと俺は図っていたんだ。

 ハディードでは鋸の攻撃を何度も受けていたら耐えられない。その証拠に、二度も致命傷を与えた筈のインヘルカを仕留め切れていない。インヘルカ自身の高い『耐久』も理由だが、それ以上にハディードは既に限界だったからだ。

 そして、竜が如く暴れるインヘルカを素手で相手するのは不可能だった。

 どこかで武器を調達する必要があり、そしてその武器はインヘルカしか持っていない。

 

 「盗った!」

 

 致命傷と無理な姿勢、そして片手持ちという三条件が揃って初めて可能となった武器奪取。

 そのまま身を翻し、無手のインヘルカへ向かって鋸を向けた。

 独特な重心を持った武器だ。それに純粋に重い。ハディードの倍はある。

 だが、強化された今の俺なら使いこなせる。そういう確信があった。

 

 「ガァ、ア」

 

 理性を失い。武器を失い。そしてこれから命を失う。

 不利を悟り、失われた理性から覗く恐慌が遂にインヘルカの貌に浮かび上がった。

 同情はしない。出来ない。下級剣闘士に留まらず、運ばれてきた奴隷を弄んだ外道だ。都市を破壊し、そこに住まう人々を奴隷にせしめた元凶だ。

 俺は自然とした足運びで、鋸を振るう。

 

 「ユ、ウ、トォオオオオオオオオオオ!!!」

 

 「────遅い」

 

 振るわれる、反撃の鉄拳。武器が無くとも山すら砕く無比の一撃。

 本能の身に任せた攻撃はされど、極大の破壊を生んで衝撃と共に砂塵を巻き散らした。

 背後の観客席まで轟く無双の剛撃。

 仮に避けたとしても、その余波だけで肉は千切れ、骨は砕け、臓腑は飛び散る。

 しかし生きている。ユートはまだ生きていた。

 新たに与えられた傷など一つも無い。

 全身から絶え間なく鮮血を飛び散らせながら、されど無傷のまま立っていた。  

 唸り声を上げた怪物を見上げながら、唸る右手に力を籠める。

 高圧力の腕力が込められた右腕は血管が内部から爆散し、幾つもの内出血を生み出す。痛々しい青色が腕を染め上げて、ミシミシと軋みを上げながら鮫牙鋸(チャークー)は超高出力の『力』を一身に受けその刀身を変容させる。

 それはまるで、今まで殺されてきた人間の恨みが可視化されたような悍ましさで。

 

 「────血濡れの王。我が(かたき)たるインヘルカ」

 

 「────裁きの刻だ」

 

 激昂への返礼として捧げられた致命の一撃。殺したという確かな手ごたえ。

 首筋に叩きこまれた鋸は血液をこれでもかとまき散らしながら、その首を刈り取った。

 

 「ぁ……」

 

 最後にその瞳に浮かぶのは、恐怖か、それとも憤怒か。

 そのどちらでもなく、ただ残念だという子供のような瞳だった。

 或いは彼も、アポピスの被害者だったのだろうか。

 分からない。分からないけれど。

 それでも、彼の行った数々の悪行は、許されるものではない。

 崩れ落ちる大男の身体を見ながら、その頭部にあった王冠が落ちた気がした。

 その幻想に宿るのは、果たして支配からの脱却か。

 崩れ落ちそうな体を必死に意志で繋ぎ留めながら、吐き棄てるように声を零した。

 

 「暴君に玉座は似合わねぇよ。インヘルカ」

 

 銅鑼が鳴る。

 試合終了を告げる銅鑼が鳴る。

 けれど、まだ戦いは終わっていない。

 俺はステラの元へ向かった。

 ステラを助け、この傷を癒し、都市を救う。

 

 まだ残っている仕事はたくさんあるんだ。

 

 だから、

 

 「ステラ……」

 

 無事でいてくれ。

 そうでなければ、誰がここまでして戦おうとしたのか。

 

 分からなくなる。

 




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追記:ルーキー日刊4位(2024/8/22)になりました。お気に入り登録及び評価してくださった皆様、そして読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
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