いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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サヨナラとコレカラ

 勝敗が決した。

 血濡れの冠を被った王は倒れ、失われた枷は唸りを上げて闘技場の観衆達を恐怖させる。

 この闘技場に集った人間はかつてオラリオを追われた犯罪者たちだ。

 或いはその犯罪者たちを支援した豪商もいる。

 その彼らに刻まれた、かつての最強(ゼウス・ヘラ)から受けた傷跡が囁くのだ。

 自分たちの終わりが、すぐ傍にまで近づいてきているのだと。

 

 「終わりだ……」

 

 「インヘルカが、負けただと?」

 

 「奴はレベル4だぞ?! ()()()()でも数少ない第二級冒険者だ!」

 

 「それが、たかがレベル2の子供に……?」

 

 驚愕と恐怖は血の煙る闘技場を席巻した。

 最早そこに集う悪の華々は枯れ落ちて、すぐにでも消えてしまうことだろう。

 現に、ユートを始めとした今まで虐げてきたユゴスの剣闘士たちからの報復を恐れてこの場から逃げ出しているものが殆どだ。きっと、あと数分もすれば2000人近く収容していた闘技場は無人となる。

 アポピスはそれを冷めた瞳で見つめていた。

 混沌を好む彼の神にとって、英雄に打ち砕かれるのは好ましくない。

 しかし、混沌であるが故に敗北は受け入れるべきだと考えていた。

 自身の終焉ですら楽しむのが、彼にとっての混沌であるから。

 

 「はぁ……」

 

 思えば、この都市を奪ってから質の低い混沌ばかりが集う場所になった。

 恩恵を刻んで使えそうなのはインヘルカと、昔死んだ上級剣闘士が一人だけ。

 その上級剣闘士だって、自分好みの混沌を有していたかと言えば首を傾げる。

 インヘルカの、自分の力をどこまでも試し、ひけらかしたいという欲望。

 あの暴力と承認欲求が混在した上質な下劣さが手元にない今、アポピスの心にあるのは萎えだけだ。

 しかし、その萎えた心を再び目覚めさせたのもまた、自分を打ち破った愛憎入り交じる感情を向けた英雄の少年だった。

 彼は中心に打ち込まれた杭へと駆け寄り、鋸を片手に人質となっていた少女を助く。

 ここから見える顔は蒼白で、今にも死にそうなほど消えかかった命。

 少年と少女の命が両方とも長くないことを、神の視点が訴えかける。

 

 「なんだ、あるじゃないか。最後の嫌がらせ」

 

 アポピスは貴賓席から飛び降りて、まるで這いずる蛇のような挙動で地面に降り立つ。

 遠目に映る少年の手に抱かれた少女は毒によって醜くその顔を変容させていた。

 例え今から解毒剤を飲ませたとしても、多数の後遺症によって残りの人生を不幸なものとして過ごすことになるだろう。その鬱屈とした将来を夢想して、アポピスは嗤う。

 片やユートの方はと言えば、胸部及び腹部からの出血が激しい。

 スキルによる全ステイタスの強化のうち、『耐久』の強化が無ければインヘルカから受けた袈裟切りが直撃した時点で敗北が決定していた。インヘルカの一撃が強烈過ぎて、一撃で瀕死から死そのものへと大きく近づいたことで結果的に強化された耐久が仄かな命の綱を繋ぎとめていた。

 だが、もうそれも限界と言える。

 だからアポピスは片方だけが助かるようにと、ベルトから1本の瓶を取り出した。

 

 「やあ。ユート」

 

 アポピスは声をかける。

 振り返ったユートの瞳は絶望が彩られていて、アポピスはぞくぞくと震える背筋を抑えきれなかった。

 劣情にも似た恍惚が蛇の瞳に浮かび、ユートの黄金色の瞳と交差する。

 

 「今から二択を君に伝えよう」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 「ステラ!」

 

 駆ける。駆け抜ける。疾駆する。

 流れ出る血潮ですら無視して、インヘルカの持つ解毒薬を奪い足掻くように地を這いながら杭へ走った。

 患部を手で押さえる暇すら厭わしく、鋸で彼女を縛る鎖を切り裂き開放する。

 空中で彼女を優しく抱き上げた。

 彼女の身体は軽かった。彼女の顔は蒼白だった。

 毒によるものか、青く膨れた亀裂が美しかった彼女の顔を蹂躙し尽くしていた。

 ここまで毒が回ってしまえば、例え解毒しても意味は無い。

 無慈悲な毒は、既に少女の儚い矮躯を破壊し尽くしているから。

 俺は悔しくて、悲しくて。砕け散るほど強く歯を食い縛る。

 丸薬タイプの解毒薬を差し出しても、それを飲み込む余力すら残されていないステラは枯れ木のように痩せ細り弱っていた。

 

 「みないで」

 

 言葉が零れる。

 零れたという表現が似合うほど、静かな湖畔に落ちた朝露のように静謐な声だった。

 俺はそれを無視するように彼女を抱き締めた。

 強く、強く。拒絶など欠片も伝えぬように。ただ強く。

 遅かった。間に合わなかった。日は既に傾いていた。

 ──いや、この毒の強力さを鑑みれば元から救う手立てはインヘルカを瞬殺する以外に残されていなかったと見るべきだ。

 また、己の力不足で救える生命が手のひらから零れていく。

 最愛ですら、救えない英雄に何の価値があるのだろう。

 悔恨だけが痛烈に全身を支配し、されど心を折らぬように強く保つ。

 せめて、離別の時までは、彼女の英雄で居たかった。

 彼女の耳に届く言葉が、声が。英雄のものであるように努めて震えを押し殺して俺は告げる。

 

 「何、言ってんだよ。ステラはステラだ。俺が愛した、唯一の人だ」

 

 「……ありがとう」

 

 たくさんの意味が込められた万感の感謝だった。

 言葉を伝える術に乏しい彼女の意志を受け取った俺は、震えるステラの手を握る。

 死への恐怖。離別の恐怖。そういう感情が伝わってきて、強く手を握ることでしか慰めることが出来ない。死にゆく彼女へ、俺がなんと言ってやれるだろうか。

 言葉を選びながら、彼女の望む答えを投げかける。

 

 「インヘルカは、倒したぜ。これでユゴスの都市はマシになる。

  もう殺されるために並ばされる子供の列を見なくていい。もう売られるために鎖を嵌められる民草を見なくていい。売人だって消える。薬で正気を保つ必要なんてなくなる。もう……余興の為に人が死ぬ世界じゃなくなるんだ」

 

 彼女は頷いた。俺の必死の言葉に、ただ頷いた。

 きっとステラは思っているのだろう。

 これから訪れる平和を想い、寝しなに交わした理想の都市の姿を。

 ステラは俺の名前を呼ばない。もう、その唇から名が紡がれることすらない。

 俺のために料理を運んでくれるその指、その手。 

 毒で膨れて、青虫のようになってしまった震える両手。

 彼女と初めて出会ったあの日も、こんな風に震えていたのを覚えている。

 あの時も、今も。

 俺は結局、この子を救えていない。救えていないのだ。

 英雄の真似事をしても、都市を救ったとしても、女の子の心一つ救えやしない。

 手を握ること、抱き締めること。それだけが、俺が彼女に出来る全てだった。

 

 「血……流して……」

 

 俺のことを言っているのだろうか。

 俺より辛いだろうに。毒がその体を侵しているだろうに。

 まだ、俺のことを慮るのか。

 

 「泣かないで」

 

 既に何の像も映していない筈の瞳で、俺の涙を見つめている。

 滂沱の涙は止まらなかった。ぽつりぽつりと、地面に染みた赤に混じって消えていく。

 ステラの身体は軽かった。まるで命がその体から離れていってしまったように。

 涙を流さないことなんて不可能だった。悲しくて、やるせなくて、どうすればいいのか分からない。戦う理由が消えていく。奮い立つ理由が消えていく。

 見れば、ステラも泣いていた。透明な、美しい、流星のようなひとしずく。

 出血で朦朧としてきた意識を保ちながら、その涙をそっと拭う。

 

 「ステラ。俺も、そっちにすぐに行くから」

 

 そうしたら、怖くなくなるか?

 続けるはずだった言葉は遮られた。

 ──何に? それは、彼女の眼だ。

 何の像も写していないはずの瞳で俺の顔をじっと見つめている。

 その瞳に映るのは死なないで欲しい、という懇願と。死ぬな、という強い意志。二つが混じった、残酷な視線。

 どうして。俺は、君がいない世界で生きていこうとなんて思えないのに────

 

 「え、い……ゆう、」

 

 「……っ!」

 

 無理だ。そう叫べたらどれほど楽だったのだろう。

 この消え入りそうな懇願を、哀願を切り捨てられるほど非情であったのなら。

 そうであったのならば、きっと、この出会いすら無くて。

 俺はずっと、地獄で一人、踊り続けていただろう。

 だから、これは切り捨ててはいけない願いなのだ。

 まして、最愛からの懇願など、抗えるはずもない。

 俺は頷いた。力強く、応えるように。届くように。

 懺悔のように残酷に。決意のように断として。

 

 「約束だ。ステラ。俺は、君の夢見た英雄になる。

  あの日、君が語った英雄になって、天上の果てにまで轟く伝説になるよ」

 

 ──曰く、どんな小さな声も聞き逃さずに誰かを助ける絶対の救世主。

 ──曰く、どんな空腹や怪我も癒してくれる万能の魔法使い。

 ──曰く、どんな悪に相対しても決して屈さず必ず勝利する無双の英雄。

 

 到底、今の俺ではたどり着けない領域だけど。

 ああ。そうだ。彼女から見た俺は、そういう人間で。

 そういう期待をされて、然るべき人間で。

 ……だから。そう。

 俺は、彼女に夢を見させた責任を取らなきゃならないのだ。

 

 俺の宣誓は聞こえていたのだろうか。

 絶え間なく流れる涙は流星群のように激しく、清らかで、美しい。

 きっと届いているのだ。届いたからこそ泣いているのだ。

 

 「……なぁ、だから」

 

 「──俺を見ていてくれ」

 

 「君の言葉はずっと救いだった。暗い世界でたった一つの指標だった。こうなれたらいいなって、そう思えるくらい綺麗で、美しい夢だった」

 

 「いい夢だ。いい目標だ。その夢を背負って、俺は勝つぞ! この世界を地獄にした奴らに打ち勝って! その先の世界で隻眼の黒竜を打ち倒す!」

 

 「君が見えなくても、君がいなくても、その空の彼方にまで届くくらい、輝くからっ!」

 

 ───空の果てで、俺を見ていてくれ。

 

 その瞳から、光が消えていくことに気づく。

 叶わぬ願いを叫ぶことの、何と残酷なことだろうか。

 惨めで、哀れで。到底英雄だなんて思えない。

 引き留めるように必死に手を握る。

 俺の方も限界が来ていて、既に視界が霞んでいた。

 このままじゃ共倒れだ。約束を果たすのなら、治療にここを離れなければ。

 それでも、ここから離れたくなくて。

 何も出来ない子供のように、俺はただ涙を流していた。

 

 その慟哭は、後ろから貫くように告げられた悪魔の取引で遮られる。

 

 「やぁ、ユート」

 

 アポピス。全ての元凶。殺すべき憎い相手。

 殺意が脳を支配して。それから遅れて、その手に握られた瓶を見る。

 剣闘試合に何度か俺にも用いられたことのある秘宝の水薬。

 万能の治療薬(エリクサー)が、かの神の手に握られていた。

 

 「今から君に二択を伝えよう」

 

 蛇は嗤う。勝ち目すら失った最中であっても、なお優雅さを崩さずに。

 手の中で揺らす水薬がちゃぷちゃぷと音を立てて、霞んだ視界の確実性を訴える。

 俺は顎でしゃくって続きを促した。

 

 「このエリクサーは致命傷の治癒だけじゃなく、解毒もできる。

  ただし、一人分しかない。ユート。君は、君とステラのどちらにこれを使う?」

 

 「てめぇ……!」

 

 怒りで言葉が絞り出る。

 余りの怒りで砕けた奥歯が口内に飛び散った。

 

 「おいおい。感謝してくれよ。僕はこれを叩き割ることだって出来たんだぜ?

  そうしなかったのは偏に、インヘルカを打倒したことへの褒美だ。

  あの試合は血で血を洗う良い混沌だった……!」

 

 その口ぶりに、インヘルカを殺したことへの追及は無い。

 ただただ、一つの芸術作品を堪能した陶酔だけで構成されていた。

 迷う。葛藤する。脳が沸騰する錯覚がする。

 俺が死んでも、ステラが助かるのであれば、それでよかった。

 だが、死ぬなと。英雄になれと、願われてしまった。

 だから、俺は死ねない。死んでは約束を果たせない。

 それでも……ステラが助かる可能性があるのなら……!

 ステラが平和に生きる未来が、あるというのなら……それは……!

 

 ぱん。

 

 頬に衝撃が走った。

 ステラの手が、俺の顔を打ったのだと遅れて理解した。

 ステラの顔を見る。

 その顔に生気は無い。手遅れだ。その命はとうに消えている。

 その証拠に、手のひらから伝わる命の鼓動は既に消え去っていた。

 それなのに。俺に張り手をくれた手のひらだけは熱が篭っていて。

 震える。震えて、遅れて俺は彼女を地面に横たえた。

 約束、したもんな。

 

 「俺が飲む。俺によこせ」

 

 「……まっ、いいか。ほら」

 

 投げてよこされたエリクサーを飲み下す。

 嘘のように痛みが引いて、全身の傷が消えていった。

 冷たくなっていた四肢に熱が通い、命が再び吹き戻された。

 それでも重症の部分までは消えないようで、袈裟切りの深い裂傷と太腿の削がれた痕は残ってしまっている。まぁ、それはいい。傷跡なんて幾らあっても男なら勲章のようなものだ。

 それに、これをステラとの約束を忘れぬ戒めと思えばいい。

 そうすれば痛みの記憶とともに何度でも思い出す筈だ。

 

 「……アポピス。俺はこの都市を貴様から解放するつもりだ」

 

 「はいはいお好きにどうぞー。インヘルカがいないんなら、僕はもう動かない。今から元気になった君が動くんならこの都市に集った闇派閥どもも一網打尽に出来るんじゃない?」

 

 「……お前は、本当に嫌なやつだな」

 

 「褒めるなよ」

 

 「褒めてないが?」

 

 「……はぁーあ。ま、あと一応は主神(おや)だからね。最後に恩恵の更新をしてあげるよ」

 

 「……それは、正直ありがたい」

 

 「はは素直なヤツ……大好きだけど、大嫌いな眷属(こども)だよ。君は」

 

 「大好きは撤回しろ。お前からの好意は怖気が走る」

 

 「……だろうね。僕もだよ」

 

 悔し紛れな声と表情で邪神は最後にそう言った。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 それからの話をしよう。

 恩恵の更新によりレベル3になった俺は都市全域に巣食う犯罪者を根絶やしにした。

 根絶やしと言っても、全員殺したわけじゃない。

 全部、根こそぎとっ捕まえて円形闘技場の地下牢に放り込んだだけだ。

 彼らはユゴスの都市の司法が回復してから順次裁かれていくことだろう。

 その証拠となる書類や物品も、すべて俺が差し押さえたからな。

 

 インヘルカの暴力と呪詛が消えたことで、下級から上級の正気を保っていた剣闘士たちが手伝ってくれたのも相まって都市の混乱が収まるのに一週間も要らなかった。

 下級剣闘士だけでも百人近くいるのだ。中級、上級の強さも併せれば鬼に金棒。都市外に逃げようとしていた悪人なんかは概ね捕らえられたと思っていいだろう。

 都市の解放者である俺が筆頭になって行われた大改革は成功したと思う。

 ……まともではない、正気を失った剣闘士たちは俺が密かに支援していた孤児院などに預けて社会復帰を図っている。特に三歳から六歳の幼年剣闘士たちは心の傷が深い。しっかりとしたケアが必要になるだろう。

 

 政治関連の難しい話はかつてユゴスの太守に仕えた人たちに任せることにした。

 彼らはユゴスの野に下りながらも荒廃していく都市を憂いて都市からの脱出を選択しなかった人たちだ。そしてこんな状況下にあってもアポピスに与しなかった人たちでもある。今まで不正しかしてこなかった従来の役人たちよりずっと信用出来る。

 少しずつ闇が取り払われ、正常な治世が行き届き、有志の剣闘士を主とした警備システムを組んで麻痺しきった都市を運行させる手腕は流石といったところか。

 三か月も経つ頃にはかつての闇を感じさせない()()()な場所になったと思う。

 

 俺はと言えば……まぁ、治安関連に尽力した。

 それに際して少しだけ地理とか政治の勉強もさせてもらったかな。

 英雄になるにはそういう知識も必要だと思ったし。

 

 ただ、闇は晴れたとしても、今まで被害を受けた人間の心が安らぐわけじゃない。

 そういう人達に触れて、自分の無力さを実感した。

 人の闇ってのは際限が無い。それに触れた人は、人を信じられなくなる。

 治安回復や勉強の合間を縫ってそういう人達のメンタルケアも試みて、思った。

 こういう人達を助けてやりたいって。そう思ったんだ。

 

 「だから、行ってくるよ」

 

 円形闘技場は数多の死傷者を埋める共同墓地へと生まれ変わった。

 かつて多くの死者を出したここは、死者の無聊を慰める場所になったのだ。かつて伝統と礼節に彩られた闘技場は慰霊碑として再びその尊厳を回帰させている。

 そこにはステラと、俺の父だという剣闘王の墓もある。

 彼女の墓は彼女の家族と共に作ることにした。都市と家族を愛していた彼女の事だ。きっと天上で再開出来ていることだろう。

 俺の父の墓には、俺の壊れたハディードを突き立てておいた。

 顔も知らない今世の親だが、親孝行くらいは果たせただろうか。

 そんな俺の数々の感傷すら超えて。遠目に見えるコロッセオは憎らしいほど雄大に聳え立っていた。

 

 それはまるで、俺の行き先を祝福する灯台のようで。

 

 俺はくるりと回って歩みを進めた。

 

 勉強して分かったこと。

 このユゴスのような混乱は、規模は兎も角としてそう珍しい話でもないこと。

 そしてその遠因は、世界の中心たるオラリオが混乱しているからということ。

 オラリオに起きた現象は、全世界に波及する。

 はた迷惑な話だが、ユゴスの知恵者たちが口を揃えていうのだから事実だろう。

 こういう悲劇が有り触れていて、その遠因があるというのならば。

 

 俺はそこに喜んで向かい、原因を打破しよう。

 約束した英雄になれるように、邁進し続けよう。

 この身体が、擦り切れて、例え灰になったとしても。

 俺はこの歩みを止めることはない。

 

 ────────頑張ってね

 

 背中に向かって告げられた、誰かの声。

 鈴の音のように軽やかな、華のように優しい、懐かしい声。

 

 俺は笑みを浮かべる。

 背を押された錯覚をそのままに、砂漠の向こうへ歩を進めた。

 

 目指すはオラリオ。

 

 約束された、英雄の地。

 

 風に揺られ、少年の片耳に付けられた黄金の耳飾りが羽ばたく。

 

 ──そして、伝説が始まった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 「はぁ……退屈だぁ……」

 

 アポピスは宛がわれた客室で溜息を零す。

 今までの罪を鑑みれば即追放されても可笑しくないが、神をぞんざいに扱う禁忌を侵せる人間はユートを除いてこのユゴスの都市にいなかった。

 そして、そのユートですらアポピスを処断出来ない理由があった。

 それは恩恵(ファルナ)だ。

 現在の剣闘士たちは全て、アポピスの恩恵が刻まれている。

 治安を一刻も早く整えなければいけない状況下において、アポピスを追放しないことと引き換えに下級剣闘士たちに恩恵を刻ませることはマストだった。

 しかし、それ即ちアポピスを処断することはイコールで強力な戦闘力を誇る恩恵持ちが機能停止することに他ならない。

 まして、レベル3という強さを誇る都市の解放者、ユートも恩恵が無ければ六歳の子供に過ぎない。彼の力を存分に発揮するためにも、アポピスの扱いは細心の注意を払う必要があったのだ。

 そういう訳でアポピスは軟禁されるという運びになったのだ。

 三食昼寝付きとかいう舐め腐った身分ではあるが、癇癪を起されて恩恵の停止なんて起こされてはたまらない。

 そんな腫れもののような扱いをどうでもよさげに感じつつ、アポピスは傍にあった羊皮紙を手に取った。

 

 「それに比べて、本当にユートくんって面白いなぁ……」

 

 その言葉に込められた万感の感情は人では理解できない領域だ。

 悪意、殺意、害意、好意、恋慕、嫉妬……そういう、様々な感情が織り交ぜられた恍惚とした陶酔の声。

 その視線が向けられた先には、自分の眷属であるユートのステイタスが浮かんでいた。

 

 ────────────────────────

 ユート・アピス

 Lv.3

 力:I0

 耐久:I0

 器用:I0

 敏捷:I0

 魔力:I0

耐苦痛:C

直感:I

 《魔法》

 【アルクトス/フィアト・ルクス】

 ・二階層魔法

 ・第一段階/第二段階

 ・付与魔法/広域攻撃魔法

 ・光属性/星属性

 ・自己損傷/自己犠牲

 【 】

 【 】

 《スキル》

 【死線舞踏(ダンス・マカブル)

 ・逆境時、全能力高域強化

 ・瀕死時、全能力超域強化

 ・生存欲求に比例して強化率低下

 【天底庇護(トリスアギオン)

 ・一定範囲内にいる任意対象の損傷負担

 ・戦闘時、発展アビリティ『治力』の一時的発現

 ・『耐久』に高補正

 ・『耐久』の成長に高補正

 【破邪剣正(カルタグラ)

 ・正義(おもい)の丈によって効果上昇

 ・攻撃対象への憎悪に比例して効果上昇

 ・精神力の消費により攻撃力を強化する

 ────────────────────────

 

 レベルアップと同時に魔法が一つとスキルが二つ発現。

 下界でも最高峰の出力を誇ると踏んでいる【死線舞踏(ダンス・マカブル)】もそうだったが、どれも自分の知識にない希少(レア)魔法(スペル)希少(レア)スキルだ。

 特に面白いのは魔法だ。自己犠牲と銘打たれていることから使用すれば死ぬのだろう。第一段階の自己損傷は自身を犠牲にするほどの出力を付与魔法として身に纏うことによっておこる自損とみるべきか。

 スキルもまた興味深い。特に【破邪剣正(カルタグラ)】は正義への想いの丈によって威力が向上するのに、同時に憎悪によっても威力を向上させる二面性。あの優しいユートからは想像もできない攻撃的なスキルはどの感情から抽出されたのだろうか。

 ステイタスを見れば、その人間の歪みが見える。

 あの少年は希望を見ながらそれでも死を望んでいるのだろう。だから自己犠牲なんて【魔法】が浮かんだ。しかし死ねない約束をしたからこそ、『耐久』への成長補正というスキルを発現した……。

 それほどユートにとってステラは重い存在だったのだ。

 どれほど人に裏切られても人を信じた少年。それがアポピスにとってのユートの評価だ。生まれた時から優しさと倫理を持った少年は掃き溜めの世界で生きられない無垢な雛のようだった。それでもその身に宿した武の才能によって生き抜いた。生き抜いたせいで、優しさが歪んだ。

 新雪を穢す快感と、変わり果てた玩具への寂寥。

 そして混沌へと塗り替わりつつあった英雄を見ることの何と甘美な時だったか。

 ステラとの出会いが無ければ、本当に混沌の手勢になったことだろう。

 遅くともあと一年。あと一年あの掃き溜めで過ごせば……介入しないで高い所から睥睨するなんて縛りを自分に架さなければよかった。そうすれば、あの出会いは無かったはずだったのに。

 過ぎ去って起こってしまったことに対する稚気を僅かながらに感じながら、アポピスは今後の動向に思いを馳せる。

 オラリオに辿り着けばユートは恨み骨髄な自分との繋がりを切るために他の神の元へ行くのだろうが……

 

 「ユートくんの手綱を握れるとは思えないよねぇ……」

 

 ゼウスやヘラでも無理だ。あの少年は箍が外れている。

 というか、生まれた時から善性の塊だったのが可笑しいのだ。

 それでいてインヘルカを打ち倒す不屈の闘争心も備えている。

 魂は自分の専門分野では無いが、フレイヤあたりに見せたら何かしらリアクションをしてくれるに違いない……それが好意的かどうかは意見が分かれるところだが……。

 

 「あれは神タラシだと思うんだよなぁ」

 

 何せ、どれほど享楽の為に酷い仕打ちをしても自分(アポピス)を憎むだけで留めた男だ。

 その懐は深く、寧ろ精神性だけを見るなら神々(じぶんたち)のソレに近い。

 悩み、悔いるその様は普通の人間と何ら変わらないのに、どこか俯瞰したような、達観したような──

 

 「ほら、またユート君のこと考えてる」

 

 邪神である自分ですらこれだ。

 善神なら、あのひた向きに善を為そうとする少年を放っておかないだろう。

 僕はそういうユートきゅんを貶めたくて色々と構っていたんだけどね?

 

 「はぁ……」

 

 レベルアップ前のステイタスを記載した羊皮紙も見てみる。

 そこに刻まれているのは魔力を除く全ステイタスオールSだ。

 素質だけを見れば間違いなく英雄の器。精神性も善性かつ不屈。

 なのに、ずっと危うげだ。

 

 「アンバランスだよなぁ……」

 

 実に混沌だ。

 まるで、精神と肉体が別々のものであるかのようなアンバランスさ。

 

 ま、いいか。

 

 自分のものではない少年にこれ以上の思考リソースを割きたくない。

 

 アポピスは冬眠するかのようにソファに寝ころび、眠りについた。

 

 退屈な平和を拒絶するように、悪神は目を閉じる。

 

 奇しくもそれは、ユゴスが完全に闇派閥の支配から脱却したのと同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペらり。

 

 羊皮紙が捲れる。

 

 かつての激闘を繰り出した2人の男のステイタス。その激闘直前のステイタスがその紙には並べられていた。

 

────────────────

ユート

 Lv.2

 力:S997

 耐久:S999

 器用:S947

 敏捷:S983

 魔力:I0

耐苦痛:D

 《魔法》

 【 】

 【 】

 【 】

 《スキル》

 【死線舞踏(ダンス・マカブル)

 ・逆境時、全能力高域強化

 ・瀕死時、全能力超域強化

 ・生存欲求に比例して強化率低下

───────────────

 

───────────────

インヘルカ

 Lv4

 力:S909

 耐久:A857

 器用:H102

 敏捷:E301

 魔力:I0

耐異常:G

狂奔:H

人食:I

 《スキル》

 【血濡之王(ブラッドボーン)

 ・血を流すほど『力』に高補正

 ・血を浴びるほど『力』に高補正

 ・血飲により一時的な『力』の限界突破

 【血浴狂獣(ムーンビースト)

 ・血を浴びるほど理性消失

 ・理性消失中《血濡之王》の効果増幅

 ・理性消失中発展アビリティ《狂奔》の効果増幅

────────────────

 




お気に入り登録、感想、評価ありがとうございます。
お陰様で日刊ランキング7位にランクインしておりました。
さて、これにて本編のプロローグが終了となります。
次回からは遂にオラリオ編……アストレア・レコードへと繋がる前日譚へと話が続いていきます。
家庭の都合で次回更新はやや遅くなると思いますが、できる限りのペースで完成次第投稿していきたいと思います。
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