いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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難産!!


一章:前編『英雄に至るまでの前日譚』
酒を飲んで踊れや踊れ


 旅立ちから凡そ3ヶ月に差し掛かったころ。ようやく辿り着いた世界の中心というやつは成るほど、うらぶれて久しくどこか年季の入った街路が目についた。

 外気は寒々しい季節ではあったけれど、それに比べたって薄ら寒いような悪意がそこかしこから囁くように見え隠れして。街行く人は俯いた顔を上げずに暗い雰囲気が排煙のように吹き溜まっていた。

 静かで、寒くて。廃れたような死者の黙街(ネクロポリス)

 ここが世界の中心だなどと言われて誰が納得できようか。

 ユゴスと比べ、少しは人の営みを感じ取れるだけ痛々しさの勝るような場所だった。

 

 「────嫌な空気だ」

 

 慣れ親しんだ病的な空気。肺に取り込めば咳き込んでしまうような匂い。

 ほんの一刺し、何か切っ掛けがあるだけで崩れ落ちてしまうような世界。

 そんな中で月明りだけが青々と闇を浮き彫りにした。

 すべてが止まったような静謐な世界で、月だけが生きているようで。人々は死んでいるようで。ひどく心が痛む。

 あんなに夢見た約束の地は遥か遠く────

 

 ただ、死者の街のような静謐だけが、夢の跡と化していた。

 

 寒々しさを遮るように砂漠色の外套を着込む。

 砂塵と日焼けによって色褪せたそれは襤褸同然の様相だった。

 まるで、今の少年の心を指し示すように。

 

 それでも、止まることは許されない。

 ────英雄の詩編を紡ぐまで。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 その街は想像以上に暗い空気だった。

 存外に簡単に通った入国審査とは裏腹に、余所者への猜疑心がそこかしこから視線とともに突き刺さる。誰も信じていないような瞳はユゴスの下層を想起させた。

 背中に刻まれたレベル3の数字ですらも確かな拠り所足りえないような、そんな不安感に包まれながらもオラリオの路を歩む。

 『冒険者通り』というのだったか。そこでギルドの登録をしなければ満足に『迷宮(ダンジョン)』に潜ることも出来ないらしい。僅かな面倒くささを感じつつも、決まりは決まりであるので取り敢えずそこに向かうのが当初の目的だ。

 

 目的……だったのだが。

 

 「おい、そこまでにしとけよ」

 

 こんな光景を見せられては足も止めようものだった。

 いつかの出会いの時のようなセリフを宣いながら、その光景を見て俺は元々鋭かった瞳をさらに引き結ぶ。

 足蹴にされる物乞いの小さな少女と、それが当然のことであるように力を振り翳す冒険者らしき集団。

 ──本当に、どこまでも失望させられる。

 こんな連中に。こんな場所にステラは夢を見ていたと思うと。あの寝台の上で語らった思い出が穢されたような気分になって言いようの無い怒りが胸の中で沈殿する。

 冒険者らしき集団の1人がぐるりと首を回して俺を見た。

 侮るような視線。傲慢に胸を張った男はいかにも()()()だった。ともすればユゴスの中級剣闘士にすら劣るような脆弱さと惰弱さ。

 その強さでどうしてそこまで威張ることが出来るのか。

 ニタニタと笑みを浮かべ近づいてくる男を見て思わず息を吐いた。

 

 「おいおい。もしかして同族意識でも働いたのか? 小人族(パルゥム)風情がよぉ!」

 

 「小人(パルゥム)? 俺は人族(ヒューマン)だが」

 

 「ははは! じゃあホントにガキじゃねぇか! 英雄ごっこも程々にしねぇと痛い目見ちまうぜぇ!」

 

 こんな風にな! と蹴りを腹に突き込まれる。

 反応は容易いがこんな威力なら避けるまでもない。

 俺は腹筋に力を入れて敢えてその蹴撃を受けることにした。

 体重差によって衝撃の瞬間ほんの少し身体が浮く。

 けれどそこには何の痛痒も無い。子供の肉体とはいえ数々の修羅場を潜ってきたレベル3の『耐久』を打ち崩す攻撃力を、傲慢な冒険者は有していなかった。

 寧ろ蹴った足を抑えて蹲る姿に後続の男たちが絶句している。

 

 「……取り敢えず、痛み分けってことで手を打とうか」

 

 引いてくれ、と言外に告げる。

 彼我の差は十分に理解出来ているはずだ。

 それでも男たちがその安っぽいプライド擬きを守ろうとするならば、それこそ痛み分けでは済まないことになる。

 さて、どうなるかな。

 そう思って外套の内側で拳をぎゅっと握りこんだ。

 結果は果たして撤退を選んだようだった。

 男たちは俺を見る目を明らかに化け物の類へ向けるものへと変えて、ケツを捲ったように道を引き返していく。

 無様ではあるが賢い選択だと思う。

 危機管理能力はそれなりながらにあったらしい。

 まぁ、それが無かったのだとしたら迷宮の奥でとっくに死んでるか。

 

 俺は振り返って足蹴にされていた少女に寄り添った。

 ボロボロの衣服を纏う少女は栗色の髪を乱れさせて下を向いていた。そして俺に気がつくと縋り付くように外套を引っ張り懇願した。

 

 「ぉ金……お金をください」

 

 物乞い……オラリオであってもやはり存在するのか。

 さっきまで受けていた暴行すら忘れたように、うわ言のように何度も金を求める姿に胸が痛む。その瞳は濁りきって、夢も希望も無い。ユゴスで何度も目にした眼だ。

 到底、子供がしていいような眼では無かった。

 ここで腰の雑嚢から金を与えるのは俺としても構わない。

 自分で稼いだ剣闘士としての報酬金はユゴスの都市に全て寄付したが、オラリオで絶対に必要になるからと10分の1ほどの金額をユゴスの皆が手元に残してくれたから3年は遊んで過ごせるくらいの余裕はある。

 しかし、ただ寄付しただけで終わってくれないのが世の中というものだ。半端な施しは逆に堕落を招くことだってある。どうすべきか一瞬だけ判断に迷って、それからややあって少女の暗い瞳に違和感を覚えた。

 これは、そう。例えるのならば──

 

 (──酩酊している?)

 

 こんな小さな──いや、小人であるから正確な年齢までは分からないが──それでも物乞いが酔っているというところに奇妙なほどの違和感を覚えて。

 遅れて、麻薬の存在に思い至る。

 そう。それだ。違和感の正体はそれだった。

 見紛うはずもない。なぜなら何度も何度も、その存在によって心を砕かれてきたのだから。昨日共に明日を語らった幼子を、次の日にはうわ言を放つ肉塊に変えたおぞましい悪の象徴。

 幸いにして少女はそれほど重篤でないようだが、それでも見過ごせない程度にはその()()に中毒を起こしているのは明白だ。

 

 対応を考える。

 まずは少女のことだ。麻薬の販売先は必ず潰すが、それ以上にこのままだと少女の肉体と精神が心配だった。俺は遠大な大義よりもまずは目先の救いを求める人の手を取る。

 虚ろな瞳と痩せこけた頬を見て、軽度の栄養失調であることをまずは把握。軽く話しかけることで意思疎通が可能かの有無を確認する。

 

 「きみ、名前は」

 

 「……リリ。リリルカ・アーデ、です」

 

 細々と、消え入りそうな声で紡がれた言葉。

 そこに込められたのは、哀願にも似た感情。

 なら俺がやることは決まっている。

 どんな小さな声も聞き逃さない、絶対の救世主。

 確か、君は俺の事をそう言ってくれたよな。

 だから俺は微笑む。思い切り笑うことは、まだ出来ないけれど。

 それでも助けを求める人には笑顔で接する。

 

 「そうか。俺はユート。ユート・アピスだ。早速だけどリリ。俺と一緒にご飯でも食べに行かないか?」

 

 一緒にご飯を食べること。

 お風呂に入れさせてあげること。

 そして、服を買ってあげること。

 衣食住足りて人は初めて礼節を知る。

 ユゴスでステラたちから学んだ言葉だ。

 まずは目の前の少女を救うところから始めよう。

 どんなに遠い道だって、進めばやがて辿り着く。

 例え回り道なのだとしても、それが正しい道なのであれば、どんなに険しく遠くとも俺はきっと進み続けるよ。

 

 俺の言葉を理解しきれていいないのか。

 リリは困惑したような表情で俺の顔を見つめている。

 俺は安心させるように微笑むと、彼女の手を取った。

 

 軽やかに、しずやかに。闇から引っ張りあげるように。

 

 「俺とデートをしよう。エスコートは任せてくれ」

 

 「? ……ぇ? ふぇええ?!」

 

 正気に戻ったリリの声は外見相応に愛らしかった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 にわかにざわめく喧騒を聴きながら、俺は酒場の戸を開いた。

 片側の手で握るめかしこまれた少女を恭しく引き寄せながら仰々しく中に入る。

 ガラの悪い荒くれたちがぎろりと俺たちを見た。

 その中には嘲りもあれば疑念もあり、玉石混交、様々な思惑が交差するほんの一瞬にも満たない()()()の時間。

 喧騒が俄に収まった瞬間を見計らって、俺はカウンターへ滑り込む。

 恰幅のいい女傑が横目に俺を見る。

 今の俺は先ほどリリに服を買い与えたときに揃えた新品の濡れ羽色の外套を着込んだ冒険者の出で立ちをしている。身長というどうしようもない壁はあるが、それでも先の外套ほど侮られるような外見をしていない。

 少なくとも、一定の金払いが出来る人間としては見られることだろう。

 彼女は俺とリリを見て、少し笑ったあと注文は、と聞いてきた。

 

 「どうも彼女は最近満足な食事が出来ていなかったようだから、まずは胃に優しいスープと……それからそうだな、リリは魚と肉、どっちが好きだ?」

 

 「あ……魚の気分、です」

 

 「よっしゃ。女将さん! それじゃ魚料理を二人前たのむ!」

 

 「あいよ」

 

 言葉少なに了承した恰幅のいい女将は厨房の奥へと向かう。

 従業員の気配は少ないから彼女が経営の車輪なのだろう。

 それから暫く料理が運ばれるまでの沈黙の時間が続いた。

 

 「……ユート様は、なんでリリによくしてくれるんですか」

 

 絞り出すように隣の少女から当然の疑問が零れる。

 猜疑心に満ちた視線は全身からあなたを信頼していませんという態度が溢れている。

 それに少しの寂しさと懐かしさを覚えながら、俺はどうしたものかと考えた。

 助けたいから、助けた。

 言ってしまえばそれだけだ。

 運命(ステラ)に英雄として求められた俺は、これからの人生を英雄として振る舞うと決めている。

 そこに選別の理由は無く、だからこそ彼女の信頼を得られないことを理解していた。

 たぶん、リリは無償の善意は唾棄すべきものだと思っていることだろう。

 そういう、人並みの優しさを受けるには彼女はあまりに遅すぎた。

 ユゴスではこの手のタイプは吐いて捨てるほどいたからよくわかる。

 だからほんの一瞬だけ逡巡して……結局偽証は難しいと思い直して口を開いた。

 

 「決まってるだろ? 俺は英雄だからだ。英雄だから、求められた助けの手を掴んだだけさ」

 

 「……何ですか、それ」

 

 「だって俺に縋ったじゃないか。助けてくれって、コートの裾を掴んでさ」

 

 「それじゃあ、私が助けを求めなかったらどうしてたんですか」

 

 「え? 普通に助けてたけど」

 

 「さっきまでの会話ほとんど無駄じゃないですか!?」

 

 「まぁ英雄だからなぁ」

 

 「それです」

 

 びしっと俺を指してリリは痩せこけた頬を膨らませた。

 小動物じみたかわいらしさを感じる。

 

 「英雄って……人族(ヒューマン)の、まして子供が成れるわけないじゃないですか」

 

 「なんで?」

 

 「なんでって……だって、こんな世界ですよ? そこかしこに闇派閥(イヴィルス)がいて、世界を滅ぼす隻眼の黒竜がいて、私みたいな子がたくさんいる酷い世界で……助けられておいてアレですが、ユート様が英雄に成れる世界だったなら、もっといい世界になってるはずです。もっと優しい世界にしてくれる英雄が、居るはずなんです……」

 

 裏切られ続けていた、傷だらけの言葉だった。

 彼女はどれほど傷つけられてきたのだろうか。

 それを癒しきることは、きっと俺には出来ないだろうけれど。

 それでも俺は言わなければならないのだ。

 

 「それは、今までオラリオに俺がいなかったからだ」

 

 「……随分とした自信ですね。腕に覚えがあるみたいですが、ユート様くらい強い冒険者なんて腐るほどいますよ」

 

 「え? マジ? レベル3ってそんなに有り触れてんのか」

 

 スゲーな迷宮都市。

 そう言って少しだけ『約束の地』を見直した。

 吹き溜まりの街だと思っていたが、さっきのアレは底辺も底辺だったらしい。

 そう思って黙り込んでしまったリリの顔を覗き込む。

 すると、今度は呆然としたリリの表情が見れた。

 今日だけでリリの表情をコンプリートしてしまったのかとおもうほど感情豊かだ。

 麻薬……リリの話だと【神酒(ソーマ)】ってのが原因で消えてしまっていた感情が戻れば、これほど魅力的な少女なのだと思えば自然と俺の表情も綻んだ。

 震える彼女の言葉を待ちながら、冷やを喉に流し込む。

 

 「レ、レ、レベル3ィィイイイイ?!」

 

 「ぶっ」

 

 突然叫ばれて驚き、コップに口に含んでいた水を戻してしまう。

 うえー、と思いながらリリを見ると、酒場全体の空気が少し変わったのを感じた。

 レベル3って有り触れてるんじゃなかったのか? 相変わらず常識が良く分からん。

 

 「え? さっきユート様って私と同い年って言ってましたよね?!」

 

 「おう。正確には分からんが六歳から七歳くらいだな」

 

 「えぇ? えぇー……?」

 

 「もしかしてレベル3って珍しい?」

 

 「いえ……いるには居ますけど、どちらかと言うと年齢が……」

 

 「あー……」

 

 なるほど、驚く要因はそこか。

 前世で死んだのが17歳くらい。今世が6歳くらい。

 併せて23か24そこそこの俺としては、成人を超えたって自認なんだがな。

 確かに、常識的に考えて六歳でレベル3っておかしいな。

 

 「まぁ苦労してきたからな」

 

 「そういう問題じゃないんですけど……?」

 

 信じられないものを見る目で見られる。

 俺は化け物か何かか? インヘルカの方がよっぽど化け物だったが。

 頭をぐりぐりしながら栗色の髪を揺らしてリリは呻く。

 それからややあって

 

 「まぁいいです。確かに、『英雄になる』なんて豪語する才能はあるみたいですから」

 

 不貞腐れたような態度の裏に、自分(わたし)とは違って、という言葉が含まれているのを俺は察した。

 卑下することはない、と言いたいが、ここで何を言っても彼女を傷つけるだけだろう。

 例え世界や文化が違っても、人が人である以上はそういう機微は変わらない。

 俺からしたらリリは十分以上に魅力的な少女ではあるんだけどな。

 けれどそれをおくびにも出さないで俺は胸を張って言った。

 

 「だろ?」

 

 「……なら、もしリリがこれから助けて欲しいって言ったら。助けてくれますか」

 

 試すような言葉だった。

 どこか諦めが含まれた言葉で、どこか嗜虐的なものを孕んでいる。

 『助けてくれる筈がない』と思っている人の表情だと、俺は今までの経験から察した。

 俺はそれに破顔した。

 待ってましたと言わんばかりに、何の瑕疵も無い笑顔で。

 自身に溢れた表情で、肯定した。

 

 「()()

 

 リリは瞳を見開いた。

 それから少しだけ唇を震わせた。

 期待していいのか逡巡しているかのようで。

 その迷いを断ち切るように俺はカウンターの下でリリの手を握った。

 包帯の巻かれた褐色の腕が華奢なリリの腕を握る。

 強く。強く。離さぬように。安心させるように。力強く。

 

 「だって、俺は、そういう声を聞き逃さない為に強くなったんだから」

 

 リリは顔を赤く俯かせた。

 遅れて、ぽろぽろと涙がカウンターの木机に飛び散った。

 

 「だから、聞かせてくれ。リリの事情を」

 

 「助ける」のは、簡単だ。

 けれど「救う」のはずっと難しい。

 即物的なものではなく、たいていがその人の心に根付いた問題であるから。

 リリがなかなか心を開いてくれないように、ユゴスでもトラウマの根本を治療せねば会話もままならない人たちがいた。俺はその人たちの為に身を粉にして働いた。それでも何人かは救われないままだった。

 だから、人を救うときは細心の注意が必要だ。

 ただ武力だけでは英雄たりえない。優しさが無ければ、彼女の求めた英雄ではないのだ。 

 

 「あの、こちら。ご注文の品です」

 

 遠慮がちに運ばれてきた料理を受け取る。

 鈍色の髪と瞳を揺らしながら見目麗しい給仕の少女が俺たちを……正確には()()かな? 見つめていた。その瞳に宿るのは興味と、それから流石にこの状況で話しかけにはいけないよね、という配慮だ。

 俺は目で礼を言うと、今はリリに注力した。

 

 「私は────」

 

 それから語られたのは、【ソーマ・ファミリア】という奴の実態だった。

 神酒(ソーマ)に依存させた搾取。そして神酒の奪い合いの為の上納金。

 どこからどう聞いても問題しかない【ファミリア】だが、どうもその元締めが姑息ながらも機転が利くらしい。ギルドへはいい顔をして、その実態を悟らせまいと奸計を巡らせているようだった。

 ぎっ、と机の下で握る掌に血が滴る。

 主神も主神でそれなりに問題だが、それ以上にその団長が一番許せない。

 悪辣さで言えば闇派閥と大差ないだろう。

 努めて冷静さを保ちながら、食事に舌鼓を打つ。

 魚料理は焼き加減が絶品で、何度でも口に運びたくなる味だ。

 料理で落ち着きを取り戻し、俺はリリの言葉を静かに聞いていた。

 全てを語り終わった彼女は吐き出したという事実に幾分か肩の荷を下ろしている。

 

 「そうか──辛かったな」

 

 そう言ってリリの肩に手を置いた。

 

 「今日は宿をとってある。リリも止まる場所がないだろうし、そこで寝ててくれ」

 

 「え? それじゃあユート様のお部屋が」

 

 「実はちょっとやることがあるんだ。俺のことは気にしないでくれ」

 

 そう言って俺は店──『豊穣の女主人』へ金を支払い店を出た。

 最後まで視線を寄せてきた鈍色の髪をした少女に申し訳なく思いながら、宿までリリを送る。

 

 「お金は払ってある。鍵はこれだ。部屋番号は十二番」

 

 「あの……ありがとうございます」

 

 何か言いたげなリリの頭に手を落とし、優しく撫でる。

 何度もステラに指導された女性の髪の撫で方を実践し、俺は淡く微笑んだ。

 

 「大丈夫だ。明日いなくなったりしないって」

 

 「はい……気を付けていってきてくださいね」

 

 おう、と言って俺はリリを背にして夜の街に繰り出した。

 

 

 

 

 ────目指すは【ソーマ・ファミリア】本拠。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 「ふふふふふ」

 

 【ソーマ・ファミリア】の団長。ザニスは愉楽の笑みを抑えきれなかった。

 杯に並々に注がれた上物の葡萄酒を仰ぎながら机の上に並べられた金貨の山を見る。

 【ファミリア】の経営に興味の無い主神。神酒の虜になる間抜けども。

 搾取する側としてこれ以上にやりやすい環境も無い。

 何せ自分とその取り巻きの冒険者以外は神酒を飲ませれば()()()()()()()が無い限りギルドに告発すらしようともせずに神酒を求めてあくせくと金を集めてきてくれるのだ。

 例外と言えばチャンドラだが、アレも日和見主義の傍観者。

 自分の障害にはなりえない。

 闇派閥というイカレ共とは関わらず、金を集めて優雅な暮らしをする。

 その際に間抜けどもの間抜けな顔を見れればこれ以上ない愉悦だ。

 下衆としてこれ以上にない思考展開を繰り広げていたザニスは、しかし耳を鳴らして体を起こした。

 

 「……何だ? 何の音だ?」

 

 かぁん、かぁん。

 鐘の音が聞こえる。金属が金属によって打ち鳴らされる音が聞こえる。

 怒りのように、嘆きのように。残響が尾を引くように滞留する。

 ややあってザニスはその音の正体を思い出す。

 

 「警鐘だと……? まさか、闇派閥か?!」

 

 心当たりと言えばそれしかない。

 自分たちを襲っても何の意味無いが、意味が無くとも襲撃するからこその『闇派閥』だ。

 ザニスは寝転んだ体勢を急いで直し、袋に金銭をかき集めた。

 

 「クソッ。これからというときに……!」

 

 こうなれば逃げるしかない。

 奴らのイカレ具合は都市の住人であればよく知るところ。

 今までゼウス・ヘラのいない環境に乗じて悪事をしてきたツケが回ってきたのか。

 そうらしくもない悪態を心中で吐きながら、ザニスは最後に金庫を袋に入れて部屋から飛び出す。

 廊下は襲撃に対抗して武装した冒険者たちが慌ただしく駆け出していた。

 

 「オイ! 襲撃はどの方面だ!」

 

 「正門から真っ直ぐに来てるみたいです! それも相手は一人……恐ろしく強い小人(パルゥム)です!」

 

 手ごろな団員に聞いてみれば、返ってきた答えは絶望的なものだった。

 恐ろしく強い──一人で襲撃をかけてきたとなれば最低でも第二級並みの冒険者だろう。

 そんな闇派閥がいたとは聞いたことがないが、何分闇派閥というのは深いところに存在するもの。自分の認識外の強者がいても不思議ではない。

 となれば、やはりここは逃げるが勝ち。

 惜しくはあるが、命と金の方が大事だ。幸いにして袋には大量の金銭がある。

 これならばどこに行っても優雅な暮らしが────

 

 「来たぞぉおおお!!!」

 

 「はっ、(はや)すぎる!」

 

 廊下の先にいた冒険者たちが吹き飛ばされた。

 下級とはいえ歴戦の冒険者たちが、まるで紙屑のように。

 夜だというのにまばゆいほどの光を纏って、少年が一人、ザニスの前に降り立った。

 

 「聞いていた特徴と同じだな」

 

 「……だ、誰です。闇派閥ですか? でしたらお金なら差し上げますので、どうか命だけは」

 

 その場にへたり込んで懇願する。

 こうなった以上、どう転んでも逃げるのは無理だ。

 それに口振りからして標的(ターゲット)は自分だったようだ。

 まるで断頭台に首が添えられているような錯覚を感じながら、ザニスは評決の時を待った。

 

 「──虐げられてたやつからの伝言だ」

 

 「え?」

 

 「()()()()()、だってよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ザニスの身体は吹き飛ばされた。

 最後にザニスが見た光景は、光に包まれた右拳だった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 「……お前が襲撃犯か」

 

 「おう。ユート・アピスだ」

 

 根暗そうな雰囲気をした目が隠れるほどの黒い長髪を無造作にした神がいた。

 彼の名前はソーマ。ソーマ・ファミリアの主神だ。

 彼はこちらに見向きもせず、酒造りに使うであろう何かの装置の前で作業をしていた。

 

 「今回の襲撃は、俺が個人的にやったことだ」

 

 「……嘘だな。流石に俺でも、子供の嘘は分かる」

 

 「まぁこれは建前だからな」

 

 そう、建前。リリに責任が及ばないようにする建前だ。

 おそらく、この主神と訣別せねばリリは救われない。

 だからぶっ飛ばさないでこうして話をするに留めている。

 俺は懐からザニスの不正の証拠を取り出し、それを読み上げる。

 それをどんな感情で聞いているのか、一切の神意を見せず神はただ聞いていた。

 読み終わり、暫時場に沈黙が走る。

 それから遅れて、俺は口を開いた。

 

 「どうしてここまでなるのに放置してた」

 

 「……酒を造っていた」

 

 「どうして酒にしか目がいかなかった」

 

 「……神酒をやったら、それに溺れた連中しかいなかったから」

 

 「だから、勝手に失望して放置したってか」

 

 「そうだ」

 

 言葉は少ないが、神にとってはそれが全てだったのだろう。

 主神(おや)の責任を果たさない──いや、果たそうとはしたのだろう。

 けれど、その責任は余りに儚いものだった。

 あっさりと手放して、崩れ去ってしまってもいいと思えるほどに。

 

 「勝手だな」

 

 「……」

 

 俺の言い分に、言い訳もせずに神はただ黙って聞いていた。

 言い返しもしなかった。

 

 「神酒に抗えないから見捨てられるほど、あんたの与えた恩恵ってのは軽いのかよ」

 

 「……どうせ、お前もそうなる」

 

 初めての反論だった。

 酒に対し、絶対の自信を有するが故に起こった事件。

 ならば、解決するのは酒による対話か。

 

 「じゃあ、俺にも飲ませてみろよ」

 

 「……これだ」

 

 ソーマは立ち上がると、甕を取り出し蓋を開けた。

 芳醇な香りが沸き立ち、一瞬ながらも幻覚が見える。

 なるほど、確かに中毒にもなろう存在感。

 俺は手渡された甕に突き刺さった柄杓を持ち、一息に飲み込んだ。

 

 「!」

 

 酩酊、それから遅れて絶大な多幸感が脳を包み込む。

 かつてステラと一緒にいた時間を思い出すような。

 そんな、ありもしない幸福に酔いしれたくなる。

 ……けれど、けれどな。ソーマ。

 俺は、幸せなんて、ほんの一欠けらも求めてないんだよ。

 

 「……うん、美味いな。けど、それだけだ」

 

 「……! 馬鹿な!」

 

 初めてソーマが激情を見せた。

 驚愕と、それから形容しがたい感情が織り交ぜられた声だった。

 

 「……いや、凄く美味しいよ。どうしようもなくまた飲みたくなるかもしれない。けれど、()()()()()()()()。ただ、美味しいだけなんだ」

 

 心の傷は、酒では癒えない。

 酔いしれることはあっても、消えてくれないからの心の傷なのだ。

 仮に、心の中に絶対があるのならば。

 この酒に溺れるなんてことはないだろう。

 逆説的に言えば、この酒に溺れるということは、心の支えが無い人間だけだ。

 その温床を作り出したのは、ソーマ自身。

 ソーマが見捨てた環境こそが、酒に溺れる原因だった。

 

 「だって。誰かと飲む酒が一番うまいんだからな」

 

 例え安酒でも、ステラと飲んだ酒の方が美味かった。

 神酒には、それが無い。共に飲んでくれる人がいない酒だった。

 そんな孤独な()()の酒では、最高の酒とは言えないだろう。

 一人で飲む酒はいいものだけど。独りで飲む酒は良くないものだから。

 

 「……そう、か。俺自身が、原因だったのか」

 

 「最初に呑んだ奴が溺れたって理由があったにせよ、な」

 

 「そうか……」

 

 「リリから、ソーマが小さいころに面倒を見てくれたって聞いた。そのほんの一欠けらの優しさを向けられていたら、もっとうまい酒が飲めたのかもしれないな」

 

 「……俺は」

 

 それから項垂れて、それからソーマは酒を手に取った。

 それを一息に飲み干し、口を拭うと俺にまた差し出した。

 

 「ファミリアは、解散する。虐げられていた団員たちの面倒は、お前が見てくれるんだろう?」

 

 「いや、そのつもりだったけどさ……まぁ、誰かに任せてくれるだけマシになったか」

 

 「俺も、リリルカ・アーデの言葉一つでここまで突撃してくる馬鹿じゃなければ任せようとは思わない」

 

 「……覚えてたんだな」

 

 「覚えているさ……曲がりなりにも主神(おや)だからな」

 

 そう言って、また俺たちは二人で酒を飲んだ。

 それから暫くして、入ってきた団員たち全員と酒を飲んだ。

 ふん縛ったザニスとその取り巻きを除く全員で酒を飲んで過ごした。

 

 酒に溺れた奴は、一人もいなかった。

 




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引き続き家庭事情で更新は遅れますが、プロットの最後まで書き上げますのでよろしくお願いいたします。
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