いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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天に昇れぬ流星

 深く、深く────沈むように歩む迷宮探索(ダンジョンワーク)

 定められた正解(ルート)を通り抜けながら、時折力の差も分からぬ雑多な魔物が現れては瞬殺される。

 地獄の底のようであるのに妙な落ち着きが腹の底に貯まるような、そんな場所。

 それが俺の初めて入った迷宮への率直な感想だった。

 或いはこの安寧にも似た感情は、眼前の猪人によってもたらされているのか。

 都市最強。その背中はこれほど広く、大きなものなのかと実感する。

 

 「着いたぞ」

 

 「……ここは」

 

 天井を見上げるように視線をぐるりと一周させた。

 空を覆い隠すほどの樹林。梢から覗く仄かな光は儚く、人の住む空間ではないことを如実に告げている。

 折り重なった巨大な樹腕が階段や通路のように道を作り、天然の迷宮という感想を抱かせた。

 ……美しい。滅多に見れない未知の世界。自然の雄大さと荘厳さを併せ持った果ての境地。

 感嘆する俺に言葉少なく【猛者】は告げた。

 

 「二十四階層。中層後半から続く『大樹の迷宮』の最後の地となる場所だ」

 

 「凄いな……綺麗だ」

 

 「綺麗なだけではない。厳しさも、残酷さも併せ持つ」

 

 それがダンジョンだ。

 続く言葉は硬く、一定の調子であったのに熱が籠っていた。

 情念と、そして矜持と。世界の脅威たる迷宮に潜り続けた勇士の言霊は重かった。

 やがて開けた場所に出ると、徐にオッタルは背に背負っていた雑嚢を離れた場所に置く。

 隠すように巨大な樹木の裏に置くと、それから俺を見た。

 

 「ここが闘争の場だ」

 

 「……なるほど」

 

 確かに広い。

 ユゴスの円形闘技場を思わせる円状の戦場(フィールド)

 そして道中で狩り尽くしたからか魔物の気配も無く、同時に他の冒険者の気配もない。

 これほど自由に動ける場所での戦い何て久方ぶりだった。

 俺は外套を脱ぎ捨て、適当な樹に投げ捨てた。

 下に着た簡素な黒い肌着と、腕に巻きつけた包帯が露になる。

 それ以外には無い。剣の一本すら帯びていない。敢えて言うならこの拳が武器だ。

 

 「武器は」

 

 「ない」

 

 「準備は」

 

 「とうに出来ている」

 

 俺の言葉にオッタルは薄く笑った。

 相変わらず分かりにくい表情の変化だ。

 鋼で出来ているんじゃないかとおもうくらい硬い男だった。

 それは表情だけでなく、肉体も、心もだ。

 

 ────大気が震える。

 一人の男から発せられる威圧感はここまで大きくなるのか。

 大剣を握り。仁王立ちをする男は神仏を守護する金剛力士像を彷彿とさせた。

 美神の守護者。都市最強。彼を示す言葉は多々あれど、されど称す号の名は一つのみ。

 【猛者】……オラリオにおいて絶対者であることは即ち、世界の覇者を意味する。

 ()下界最強の男の威圧を受けて心臓が収縮する。

 一回りも二回りもオッタルが大きくなったような錯覚に陥る。

 幻覚だ。大きすぎるオッタルという男の力。その一端を目の当たりにして萎縮しているだけだ。

 ……だけ、なのに。喉が乾く。脳髄が震える。本能が警鐘を打ち立てる。

 

 「初手は譲ろう」

 

 「────甘んじて」

 

 構える。

 早鐘を打つ心臓。荒く消える吐息。眼球の毛細血管が太くなり。精神が弾けた。

 既に闘争心は高まり、肉体と心はそれに適した状態にしようと興奮状態へ移行しつつある。

 最大最高を以てして、一矢報いることが出来るかどうか。

 そんな相手との戦闘を嬉しく思う。

 弱さは罪だから。弱ければ何も為せないから。

 そして望むだけ強くなれれば、星にきっと手が届くから。

 だから。そう。

 

 「────【星よ(ステラ)】」

 

 たった一言の詠唱式。紡ぐ唇はほど軽く。囀る声は仄暗く。

 静謐に彩られた戦場に小さな小さな夜想曲がゆるりと響く。

 込められた感情は、嘆きと憎悪。そして、希望と誓い。

 王の名を与えられた猪人は目を細め、その付与魔法の完成を待ちわびた。

 

 極光がユート・アピスという子供の肉体から零れる。

 それは幾つもの亀裂によって生まれる星光であり、ユート自身の肉体を罅割れさせる諸刃の剣。

 割れた肉体からは幾筋もの血が流れ、明滅する白光は満天の星空が如く煌びやかだった。

 

 精神(マインド)が弾ける音がする。

 ばちばちと音を鳴らし、雷のように可視化された魔力が少年の小さな身体に巻き付いた。

 超高圧力の魔力はただ身に纏うだけでレベル3の中でも飛び抜けた『耐久』を有するユートの身体を焼いた。じゅう、と肉が焼ける音と匂いにオッタルは僅かに眉を顰める。

 

 「────【導け(アルクトス)】」

 

 魔法が、完成した。

 肉体の要所を護る防具(プロテクター)のように光が帯となって肉体を覆った。

 一瞬、一秒が経過するだけで肉が壊れる音がした。身体が砕ける音がした。

 

 「……自己損傷に至る程の超強化、といったところか」

 

 オッタルはその正体を勘だけで看破する。

 そしてあの魔法にはもう一段階があるところまで嗅ぎつけていた。

 魔法の出力からして、前情報であったレベル3の範疇に収まる実力ではないことも。

 都市最強はそこに、己の『耐久』を打ち崩すことのできる可能性を見出した。

 それをいち早く察していた主神の知見に舌を巻き、オッタルは構えた。

 悠然と、雄弁に。頂点に立たされたものとして、挑戦を受け入れる。

 

 「来い」

 

 「言わ 

    れ

      ず

         と 

            も」

 

 ────残光の後。音が遅れてやってきた。

 反応出来たのは、『オッタル(レベル6)』だったからに他ならない。

 極光を纏った少年は流星となって、ただ都市最強に突撃を敢行した。

 技量もへったくれもない、純粋な能力による暴力。

 速さ、威力ともに『かつて戦った階層主(ウダイオス)』に致命傷を与えてなお余りある威力。

 それをオッタルは勘と経験。そして何より持ち前の技量によって()()した。

 特攻の入射角を塞ぐように肩を入れて、レベル6屈指の『耐久』によって支えられた骨と肉で受ける。

 久方ぶりに、オッタルの肩から血が流れる。抉るような一撃の鋭さは槍の穂先か狩人の矢か。

 ──否。それは武器として例えるのは適切ではない。

 薄く笑い、オッタルは牙を剥く。

 期待はしていた。自らを追い越そうとする若き才能に。

 かつて最強達に挑んだ己を彷彿とさせる生意気っぷり。若き猫人の同胞にもそうだが、鼻っ柱の高い()()()()()に思わず肩入れしてしまうのは過度な干渉だろうかと自省する。

 但し、但しだ。

 武の天稟に歳は関係ない。己より若く、それでいて強い災禍を知っている。

 そして未だ芽吹かぬそれらの壁として立ち塞がれることにどうしようもなく発奮を覚える。

 幾億も味わった泥の味。それ無くして己を超えることなぞ出来はしないのだから。

 

 ────嗚呼、女神よ。お許しください。

 

 これほどのものを見せられて、無傷で貴女の下まで運ぼうなどと無粋な真似は出来ぬのです。

 主命は果たしましょう。我儘には幾らでも応えましょう。

 泥を啜り、屍を踏み越え、数多の栄光を主の御許にまで運ぶのが我が身の役目。

 幼き矜持を踏み潰せと言われれば喜び勇んで行うのが我ら『美神の眷族(フレイヤ・ファミリア)』です。

 しかし女神はただ「連れてきて」と。そしてそれからあの薬瓶を手渡された。

 壮麗にして聡明たる女神よ。こうなることを見通していたのでしょうか。

 そうであるのなら、仄かに生まれたこの我欲に身を委ねましょう。

 

 光輝の後に遅れてやってくる衝撃(残響)

 体格差や『力』に勝る自分が防御の後にカウンターへ移行できないのは回転率が桁外れているからだ。たった一瞬の交錯によって振るわれる拳の回数は優に百を超える。

 限界を超えた肉体駆動。焦げた皮膚が宙を舞い、光だけの視界を掠めて地に落ちた。

 速い。迅く。そして的確だ。これほどの速度と光量の中にあって敵対者を見失っていない。

 致命打こそ避けられるものの目で捉えることすら困難な超加速。

 勘でカウンターを試みても慣性を明らかに無視した挙動で避けられる。

 例の付与魔法による急加速と急停止。肉体にかかる負担はどれほどのものか。

 考えるだけでもオッタルは恐ろしさを感じるほどだった。

 それほどの規格外(イレギュラー)だった。

 

 更にユートが加速する。

 撞球運動にも似た縦横無尽の一騎掛け。再度言うがオッタル(頂点)を以てして眼で追うことは不可能だ。

 光が収束し、白熱し、熱量が周囲の木々を焦げ付かせた。

 この温度。既にこの階層は全体が40階層にある火山と同等の気温と化している。

 異常気象を巻き起こすほどの極大強化。

 時間経過とともに強く、激しくなっていくのはどんな理屈か。

 凡そ下界の範疇にないほどの過剰出力。過剰強化。炭化し崩れた皮膚が地面にばら撒かれた。

 眩さで視界が消え去り、しかしそれでも認識できるほどの極光が軌跡を残しながら無窮に達する。

 それに敢えて名を付けるのであれば【閃耀の流星(テオ・アステール)】。

 天から零落せし破魔の一槌。歴史を貪る滅却の洛星。

 間違いなくユート・アピスの放つ全身全霊。文字通り命を賭した特攻攻撃。

 酷い話だ。オッタルはガラになく思う。

 女神の下に連れていかねばならぬ対象が、命を賭けて向かってくるなど。

 

 ────しかし。そんな理不尽。不条理など。

 

     ────猛者(おれ)は幾つも踏み越えている。

 

 「【銀月(ぎん)の慈悲、黄金の原野、この身は戦の猛緒(おう)を拝命せし】」

 

 魔法の詠唱。切り札の使用を最強は判断する。

 それはそうせねば止められぬと思ってのことであると同時、決死にして至高の一撃に、己の最強で以て応えたいというオッタル自身の矜持からくる選択。

 

 「【駆け抜けよ、女神の神意を乗せて】」

 

 精神が形を成す。魔力が織られ、そして顕現する。

 効果は魔力による肉体強化という単純な性能。

 しかし、それが磨き上げられたレベル6(都市最高)が振るえば山を砕き海を割る。

 極光に相対する黄昏色の鈍光が巨剣を覆った。

 

 「【ヒルディス・ヴィーニ】」

 

 山を砕き、海を割る。

 ────であれば、星は?

 その答えはこの一刀を以て明かされる。

 

 ユートが動く。

 最初の攻防から時間にして三十秒の経過。

 一線級の戦士にとって無限よりなお長い時間、彼らは相対していた。

 最高潮に高まったユートの動きは三十秒前と比して明らかに強大だ。

 【アルクトス】による自己崩壊すら引き起こす超強化と、それによって発動した【死線舞踏(ダンス・マカブル)】の相乗効果。三十秒という時間は【アルクトス】を死なずに扱える限界稼働時間であると同時に、【死線舞踏】による強化効果が最大まで高まる時間。

 既にユートは位階の二段階向上すら生温いと言えるほどの力を得ていた。

 当然、この先にあるのは自己崩壊からの死だ。

 しかし、ユートはオッタルをこの僅かなやり取りで信頼していた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを信じた。

 その信頼を、オッタルは感じ取っていた。武人と戦士の無言の信頼がそこに在った。

 

 「アアアアァアアアアアアアアア!!!!!」

 

 「ガァアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

 吼える流星が黄昏の剣と衝突した。

 衝撃波によって周囲一帯の木々がへし折れ、天井と壁面に幾つもの亀裂が走り、彼らが衝突した地面はクレーターを描くように円状に崩壊していく。

 階層崩壊に至ることすら危惧される一撃はしかし、ほんの数舜の邂逅で収まる。

 それは限界稼働時間の終了。最後の最後でユートの本能は死の回避を選択した。

 急速に力を失っていく少年の肉体を、猛ける王者は見逃さない。

 片手で剣を抑え全ての衝撃を受け止めながら肉薄した少年を左腕で殴り飛ばす。

 くしゃ、と嫌な音が鳴って少年がボールのように吹きとんだ。

 もんどりうって幾つもの木々をへし折りながら突き進み、やがてユートは自らの腕を地面に突き刺して勢いを止める。砕けた頬骨は肉を突き破り白い歯を幾つも晒す。

 破壊力は瞬間的に拮抗していた。速度は一時的に勝っていた。

 されど、どこまでも絶対的に広がる格の差が分厚い紙一重となって横たわっていた。

 

 「……負けた、かぁ」

 

 蚊の鳴くような小さな声が耳に届く。

 猪人はそれを聞き届け、消化不良と言わんばかりに光り輝く()()()()()剣を収めた。

 星を落とした頂点はしかし、完全な決着に届く前に終わったことを不満に思う。

 されどそこまでが武人としてのオッタルの感じた最後の感傷だった。

 これから先は女神の命を果たす徒としての自分に戻らなければならない。

 使い物にならなくなった予備の剣を投げ捨て、背に回した雑嚢から薬瓶を取り出した。

 硝子状になった地面を踏みしめ、破壊跡を行く。

 崩れ散った樹林の奥に、虫の息と化した小さな黒い少年が空気を求めて喘いでいる。

 オッタルはそれを見下ろせる場所まで来ると、しゃがみ込んで薬瓶の蓋を口で開く。

 豪奢な装飾が施された金の瓶には宝晶が飾られていて高級感に溢れている。

 迷宮都市謹製の『万能の霊薬(エリクサー)』。それが神フレイヤから賜ったものだった。

 つまり彼の女神はこうなることが分かっていたのだ。

 相対したわけでもない少年にここまでの理解を示すことに疑問を呈するが、それを指摘するのは己の領分ではない。女神の神意の全てを推し量ろうなど不敬千万。故に己は己の役目を果たせばよい。

 

 「飲めるか」

 

 「……ぁぁ」

 

 弱弱しく頷く少年は焦げ落ちた烏のようだった。

 全身から血を流し、炭化した肌は溶け、目の端は黒く染まっている。

 明らかに自力で何かを嚥下出来る状態ではない。それでも強がるのはそれだけ渇望しているからだ。

 オッタルは知っている。乾くほどの飢餓を。強さへの飽くなき窮乏を。

 天へ手を伸ばすように唯一無事と言える右手を掲げる。

 その瞳には透明の煌めきが溜まり、無念を必死にこらえているようだった。

 

 これが、【不屈】と呼ばれた剣闘士。

 これが、ユート・アピス。

 

 オッタルは久方ぶりに女神以外へ敬意を感じた。

 このオラリオに、これほど強さを求めたものは己を含めて誰一人もいない。

 まして、真実、命を賭してでも頂点(おれ)を超えようとしたものなど。

 手渡された瓶を震える手で口に運び、口端から零しながら飲み干す。

 じゅうう、と死んだ細胞が再生していく音と共に呼吸も正常へ戻る。

 しかし憔悴した体力までは完全には戻らない。

 起き上がれる余力もないままユートはただ空を見上げていた。

 

 「……お前の付与魔法は強力だが、持続力が絶無だ。そして強力であるが故に『技』が介在できる余地がないのも問題だろう。今の戦い方では平時の動きを鍛えることが出来ない」

 

 「かといって、普通にやったんじゃ一矢報いることすら出来なかった」

 

 「()()。そういう意味ではお前の行動は正しい。だが勝負所を間違えていた」

 

 「……あと0.016秒」

 

 「そうだ」

 

 そう。その刹那の時間があればオッタルの強化を打ち破り、武器を破壊せしめていた。

 その余波があれば、オッタルもまた致命傷とは言わずとも深手を負っていただろう。

 そういう意味では、オッタルは自分の驕りが敗北を招いたとすら思っていた。

 しかしその勝負所を見極められず最大値に至ったと同時に特攻を仕掛けたのはユート自身。

 確かにユートは偉業を為したのだろう。遥か格上を三十秒もの間翻弄し、最後の一撃は迫ってすらいた。

 しかし結果はせいぜい肌の表面を傷つけられたほぼ無傷のオッタルと、死にかけの自分。

 その対比はいっそ清々しいまでに告げられた、完膚なきまでの敗北だった。

 ユートは天を見上げた。涙が零れぬように上を向きながら手を伸ばす。

 罅割れた残滓が刻みつけられた褐色の肌が目に入る。

 前世とは似ても似つかぬ肌の色、筋肉の付き方。戦士の腕。

 これほど鍛え上げられた腕を以てしても、望んだ(ほし)には届かない。

 悔しいな。ここまで勝負にならないなんて。惨めだな。なんて思う。

 情けをかけられていたことを、痛いほどわかっているから。そんな傲慢を脳裏で吐き出す。

 オッタルはそんなユートを暫し見つめていたが、やがて伸ばしたその手を掴んでその矮躯を持ち上げた。

 

 「!? おい、何すんだよ!」

 

 「動けぬお前を担ぎ上げただけだが」

 

 俵抱きにされたユートは痺れた四肢を緩慢に動かし抵抗する。

 しかし弱弱しい抵抗がレベル6に敵う筈もない。

 やがて諦めたようにユートは両手両足を項垂れさせた。

 

 「そういえば女神さまのところに連れていくって話だったわ」

 

 「忘れていたのか?」

 

 「まぁ……なんていうか、頂点に挑めるのが楽しみで……」

 

 オッタルは思ったより抜けている少年の頭を軽く叩いた。

 そして無言で撫でる。ユートの針金を思わせる黒髪が無遠慮にかき分けられる。

 

 「……なにしてんの?」

 

 「頭部の損傷による記憶の混濁を懸念しただけだ」

 

 「……あっそう」

 

 ゆらりゆらりと猪人の手で揺られながらユートは軽く欠伸をした。

 迷宮ではしてはならない気の緩みではあるが、今のこの男の腕の中ほど安全な場所はないだろう。

 思えば、十日起きっ放しの癖に一時間しか眠っていなかったか。

 オラリオに来てから激動過ぎて休まる時間はひとときも無かった。

 それなら、まぁ。この手に揺られて眠るのも、いいか。

 

 「ごめん、オッタル。眠い」

 

 「……そうか。ならば眠れ。戦士には休息が必要な時もあるだろう」

 

 言葉の端に隠れた、少年を戦士として認めた言葉を知る由もなく。

 少年は眠りについた。

 

 

 

 

 ……半裸で傷だらけの少年を連れたオッタルが迷宮入口で神々に「事案だ」と噂され、更に【アストレア・ファミリア】と【ガネーシャ・ファミリア】のとある少女たちに引き留められるのは別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 宮殿が如き華やかかつ瀟洒な白磁の城塞。

 庭園は神々の庭を切り取ったが如く壮麗で、荘厳な内装は教会を思わせる粛々さがあった。

 すべてが一級品。すべてが芸術品。これほどの財を惜しげもなく飾ることに使用する。

 即ち。美を司る神の意のままに用立てられた神の神殿。

 【フレイヤ・ファミリア】本拠。『戦いの野(フォールクヴァング)』。

 その宮殿が如き大広間に設置された円卓に、選び抜かれた強靭たる戦士(エインヘリヤル)たちが集っていた。

 

 「まだ眠っているのか。一体どれほど消耗させたんだ」

 

 「脳筋だとは思っていたがここまで脳に筋ばった肉しか詰まっていないとは」

 

 「というかあんなところで命を懸けるあの子供が一番狂っている(おかしい)だろ」

 

 「あんなイカレを我が女神が御所望とは嘆かわしい」

 

 「「「「それは兎も角としてオッタルは脳筋」」」」

 

 黄金の四戦士が口々に同じ言葉を呟いた。

 今回ばかりは何も言えぬとオッタルも団長としての威厳が薄れることを感じながら無言で佇む。

 その様子に舌打ちを放ったのは一人の猫人(キャット・ピープル)だった。

 アレン・フローメルは嫌悪の表情を隠すことも無く自分たちの団長を睨む。

 唯一、席に着くこともなく円卓に腰掛け足を踏み鳴らす姿は苛立った若者の姿そのものだ。

 しかし、その男がこの場にいるものの中で一目置かれた存在であることは誰もが知っている。

 【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】。迷宮都市(オラリオ)が誇る『()()()()()()』。

 舌打ちをしたアレンは刺々しい苛立ちを声に乗せて言葉を紡いだ。

 

 「問題はそこじゃねぇ……テメェ、格下のガキ相手に何で不覚をとってやがるんだ?」

 

 オッタルはその言葉に何も言わず、ただ瞑目する。

 未だ傷を癒していないオッタルの肌には幾つもの裂傷が刻まれていた。

 何より目を引くのが、肩だ。まるで嘴で啄まれたような肉が抉れた傷がある。

 たかがレベル3の少年に、自分よりも強いと認めている男が確かな傷を与えられた。

 これは大いにアレンのプライドを刺激していた。いずれ超えると定めた男が自分以外に、まして女神の所有物ですらない子供に傷をつけられるなどアレンにとって泥をかけられたと同じくらいの屈辱だった。

 

 「言い訳すらしねぇのか!」

 

 「……あの戦いは女神の神意の範疇だ。故に俺からは何も言うことはない」

 

 答えになっていない答えに、びきりとアレンの腕が軋みを上げる。

 握りしめた拳からは血が溢れ、指の隙間を通って豪奢な絨毯を赤く染めた。

 

 「……そうかよ」

 

 激情が一周回れば、それは静寂になる。

 アレンは内に秘めたその情動を抑えた。女神の所有物たる館を己の鮮血で穢したのだ。これ以上の醜態を晒すのであれば己が己で無くなることを感じての平静(クールダウン)

 但し、一突きすれば弾けてしまうほど脆い理性の壁であることは全員が理解していた。

 眼鏡をかけた白いエルフは興味無さげに溜息を静かに吐いて全てを無視する。

 黒いエルフはただ俯いて円卓の大理石を眺めていた。何なら黒い模様を数えていた。

 

 オッタルは周囲から向けられる不平不満の視線を受け止め、天井を見上げる。

 その先にある女神の寝室に寝かしつけられた少年の今後を想い、そしてまた目を瞑った。

 

 思い出すのは無比の美しさを持つ女神の貌。

 遅れた理由を問いただされたときの話を聞いて、女神は華やかに微笑っていた。

 その愛らしさに胸を打たれ……何なら心臓が止まった……美しい思い出としてただ浸る。

 

 現実逃避しなければこの場の空気を今すぐにでもぶっ壊してしまいそうだったから。

 

 オッタルは引き出された闘争心の行き場を失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠りにつく少年の髪を撫でる少女がいる。

 無垢な雛鳥のような微笑を浮かべ、半裸の少年に服を手づから着せた少女は女神だった。

 比喩ではない。真実、少女は女神であるからだ。

 

 但し、ただの女神ではない。

 

 それは、美のかたちをしていた。

 

 白銀の髪は絹より清く、星より瞬き、どんなものより艶やかだった。

 白銀の瞳は宝石なぞ比較にもならない輝きがまぶされていた。

 処女雪が如き純潔の白肌はどんな白より純白で。

 美貌は万人に呼吸を忘れさせるほどの絶世。

 

 女神フレイヤ。

 

 それは北欧の神々から敬われ、同時に恐れられた美の女神。

 

 彼女はユートの顔を覗き込む。

 痛々しいほどに全身に刻みつけられた傷は女神の意向によって癒されている。

 極上の秘薬と魔法によって治癒(ケア)された少年の肉体は新品のようだった。

 

 美の女神が貢ぐなぞ前代未聞だ。

 何か────そう、何かの思惑があるのではと思わせるほどの行き過ぎた奉仕。

 それを意識が無い間に届けられたとあっては起き上がれば少年は顔を蒼白にさせることだろう。

 女神はその表情を見られることを少しだけ楽しみにしていた。

 ちょっとした稚気。好きな人に悪戯をする子供のような行動。

 

 女神は口を開いた。

 人払いがされ、誰一人として近づく者のいない女神の寝室で銀鈴の声が沈むように響く。

 

 「────会いたかったわ。私のイカロス

 

 




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