『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
00『天球の回転について』
私達の世界は魔法に満ちていて、不思議なことで溢れていた。
母は呪いの研究者だった。研究内容は地味で初めは理解できなかったけれど、物事を調べる面白さを教えてもらって、研究は私の世界を広げてくれた。
父親は何処にいるのかは分からないけれど、贈り物やお金はいつも届いていた。でも誰も彼について口にはしないので、私は"父親"という言葉を、そういう"仕組み"なのだと理解することにしていた。
大人は魔法で何でも出来るように見えた。私達に手に入らないものは何もないと思っていた。
魔法使いの世界は広くて、狭い。
ロンドンにあるダイアゴン横丁に行けば大人の殆どは恭しく挨拶をしてくれて、私達を知らない人はあまりいなかった。
私たちの家がそれなりに偉いのだろう、ということは言われなくても自然と理解できた。
だから、勘違いしていた。
このまま何の不安もなく生きて、大人になり、いつか誰かと家庭を持って暮らしていくのだろうと。
知りたいことを知るための時間も手段もいくらでもあって、この魔法の世界で幸福に生きていくんだろうと。
まるで自分たちが特別な存在で、世界の中心なのだと──そう思い込んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『人生はお笑いで死はジョークなの、そんなものだから』
なんて、達観したように古い歌を引用して語っていた母は、幼い私たち姉妹を残してこの世を去った。
死因は〈血の呪い〉だった。
倒れてから、寝室以外で会話することはなくなった。
どんな魔法や薬も癒すことは出来なかった。
私達を撫でていた手は枯れ木のように痩せ細り、子を持つ母とは思えないと言われていた美貌は見る影もなくなった。
当時の妹は状況を理解できていなかった。良くなったら何をしたいだとか、どこに行きたいだとか、未来の話をしていた。
母は妹にせがまれるたびに楽しそうに、けれど何処か諦めたように笑う。
今思えば、そんな日が来ないことは彼女には分かりきっていたのだろう。
かくいう私は妹ほど楽観的ではなかったけれど、本当に死んでしまうとまでは思ってはいなかった。
……寧ろ、母が危険な状態なら姿を見せない父親も現れるのではないかと、愚かな期待までしていた。
そして結局、母が回復することはなかった。
今際の際に残していった言葉は、達観や悟りとは程遠い言葉で、何のジョークにもなっていなかった。
『いや……死にたくない……いやぁぁぁ!!』
泣き喚く姿には見苦しさしか覚えなかった。私にはそんな風にしか思えなかった。
『どうして、どうしてこんな目に……ねぇ、どうして?』
分からなかった。私が教えて欲しかった。
本当に死ぬなら先に言っておいて欲しかった。
そうすれば最初から身構えて、きっと私にも正しい仕草で泣いたり、悲しんだりする準備や練習だってできたかも知れない。
しかし、殊勝な真似が出来るほど私は演技が上手くなかった。
冷静さを失い、自ら探ることなく他者にねだるなど、研究者の振る舞いではない。私にはその惨めな変貌を受け入れられなかった。
妹はずっと泣き続けていた。
母の言葉は最後まで私達への愛や、死に際にすら姿を現さない男への恨み言でもなかった。
『痛い……痛いよ……死にたく…』
死への拒絶すら言い切れず、それっきり彼女が口を開くことはなく、彼女の顔は安らかな眠りと言えない、苦しみに満ちたものだった。
最高の冗談だった。何が面白いのかまるで分からない点を除けば。
もし人生が"子供へ向けた物語"なら、不安にさせないように強がるだとか、教訓のような言葉を伝えるとか、死ぬ代わりに私達を守る魔法を掛けるだとか……あの手この手で人様の死を感動的に仕上げるのだろう。
そんなものは作り話の中にしかない。
"人は泣きながら生まれてきて、文句を言いながら老いて、勝手に失望しながら死んでいく"
諺が語るように、母はただ死んでいった。
私は、彼女を動かす肉体が永久にその機能を停止したのだと、そう理解し──私は"そうとしか"理解出来ないような薄情な人間であることを自覚させられた。
彼女がいなくなっても雨は降らず、葬式の次の日も朝日は素知らぬ顔で登って、日差しは無神経に私を照らした。
何も変わらなかった。
いつも通り、父親は現れなかった。
空は晴れ渡って、何もなかったように。
いつもと同じ顔をしていた。
私を嘲笑ったりもしなかった。
まるで、それにすら値しないようだった。
私は知った。
"これ"はありふれた日々の中にあって、悲劇でも何でもなく。
太陽は私達のために昇ってきているのではなかった。
私は世界の中心──物語の主人公でも何でもなかったのだと。
全て何事もなく、私の胸は空白だった。
何事もない筈なのに、酷く胸が痛んだ。
ああ、これで私にも妹のように彼女の死を悲しむことが出来たのかと思った。
それは、単なる呪いの兆候に過ぎなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
母は特別な訳でもなく、決して強くもなかった。魔法は万能ではなかった。
けれど多くのものを残していった。
〈グリーングラス〉という古い家や、地下室に住んでいるペット、使い切れない財産、いつ死ぬか分からない〈血の呪い〉、そして呪いには手の施し様がないという、ふざけた結論の研究論文だった。
資料には古代魔法なんて眉唾なものばかり書かれていたけど、才能がなければ使えないとか書かれていて、それで解決を図るのは完全に失敗としか言えなかった。
一方、父親からの贈り物やお金はいつの間にか届かなくなっていた。彼は実在したのだろうか?私には分からない。
こうして、"貴重な贈り物"を残して母は去り、父親との"確かな"繋がりは消え、私たちは"両親"を失った。
私も、妹もいつまで生きていられるのか分からない。美人薄命だ。妹は時々寝込む。母のような姿にはなっていないけど、髪の色は真っ白になってしまった。
幸い家は大きく、路頭に迷うようなことはなかった。
それでも、幼い私はグリーングラス本家の当主ということになり、社交や貴族間の政治の場へ引き摺り出されて現実を知らざるを得なかった。
私達の家は聖28一族──間違いなく"純血"であるとされる28の家名──に連なる一族だから。
純粋な魔法使いの血統は純血と呼ばれ、尊いものとされている。事実はともかく。
魔法使いではない人々──"マグル"との混血は半純血。
そして、マグルから生まれた魔法使いを"穢れた血"という。ただ、穢れた血と言うのはとても下品で普通は言わないし、マグルに好意的な魔法使いは特に嫌がる。
町で会う魔法使い達が私達のことをよく知っていたのは、グリーングラス家が呪いで短命だと知られていたからだった。
こうなる前の私の顔はさぞや滑稽な見せ物だったのだろう。
大人達が素晴らしいことだと言い聞かせていた血は、私達を殺す呪いなのだ。
血に殉じるなんてこれ以上に誇らしいことはない。家の価値で恩恵を受け、生かされている私には文句のつけようもないのだ。
呪いを掛けた魔法使いには『魔法界で最も偉大な皮肉家』の称号を与えよう、聖28一族の名に懸けて。
社交を交わす相手の、「気を遣っていますよ」という顔を見るたびに、腹が立った。
"気を遣う"のは貴顕たる上位者がするべきことで勘違いも甚だしい。
そういった方々は、"財産を引き取って管理してあげよう"と申し出てくる。魔法界の住人はなんて優しいのだろうかと、「是非私の〈血の呪い〉も引き取って頂けますか?」と言うと、毎回お手本のような苦笑いが返ってきた。
それだけでは済まなかった。
私は母のように研究者になりたかったけど、純粋な意味で評価されることは決してなかった。ある時、論文を雑誌の懸賞に寄稿した際は、聞いたこともない枠で表彰とされてしまった。絶対に他に表彰すべき論文があるのに。
表彰のインタビューはお世辞や気遣いに溢れていて、内容よりも私の呪いや生活について聞かれた。世界が必要としていたのは可哀想な子供だった。
やがて、私は母の言葉の意味を理解した。
彼女は既に認めていたのだ。
生きている限り、私達はどうあっても個人ではなく呪われた血を運んでいるだけの肉の塊でしかないと。
まともな研究が評価されないからこそ、古代魔法なんて不確かなモノに固執していたのだろう。
淡い希望を探している内に時間切れになることは分かりきっていたのだ。
ただいつ来るのかも分からないその日を惨めに待つことが運命で──
──だから"人生はお笑いで、死はジョーク"だったのだ。
馬鹿馬鹿しくて真面目にはやってられない。
真剣に考えていたのなら、子供なんて産まなかっただろう。呪いが確実に遺伝し、同じく苦しむのだから。
同じように私が子供を作れば、呪われた血という寄生虫が繁殖するのを手助けすることになるだろう。
だから、私は自ら命を断つことにした。
私は私の呪いを誰かに引き継がせない。
これは短絡的な絶望による現実からの逃避ではなく、死への前進だ。
自分自身が持ちうる最大の自由の行使として、私は選択するのだ。
『呪いに蝕まれて死んでしまう可哀想な娘』ではなくなるために。
誇り高い純血として死ぬために。
tips
・ダフネ・グリーングラス
グリーングラス家の長女。原作では殆ど登場しない脇役。
原作作中で五年生の時に言及されたのを最後に全く描写されなくなる。
・"ダフネ"
ギリシャ神話に登場するニンフ(妖精)
太陽神ヘリオスと同一視されるアポローンに求愛されて追い詰められ、月桂樹に変わる(実質的な死)ことでアポローンから逃れた。
しかし、アポローンはその月桂樹を冠として生涯身に付けたという。
・グリーングラス
血の呪いを受け継ぐ聖28一族。
多くの純血の家系はブラック家との血縁関係が見受けられるが、グリーングラス家にはそう言った言及がない。
・血の呪い
グリーングラス家に遺伝する呪い。
血の呪いにも種類があるが、グリーングラス家のものは若くして命を落とす呪い。
治す方法は原作では見つかっておらず、描写的に発症者が快癒する見込みはない。
・純血主義
魔法界で"最も"英国的な諧謔。
・古代魔法
魔法界で忘れられていた強力な魔法。この魔法は19世紀までに失われており、使い手は限られる。
ホグワーツ・レガシーに登場。
原作で言う、〈愛の護り〉も古代魔法に分類されている。
かつての古代魔法の継承者、イシドーラ・モーガナークが心の痛みを取り除くために編み出した古代魔法は、実際には人の感情を魔法力として抽出するものに過ぎなかった。
・『ハリー・ポッターと〇〇の〇〇』
お馴染みj.k.ローリング氏のファンタジー小説の日本語版のタイトルの形式。
勿論、作中の人物が原作を読んだことがあるわけがない。
お読みいただいてありがとうございます!
紛らわしいタイトルですいません!
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