『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
「……ここに来てからどれくらいだ?」
「さぁ。ドラコの方がよく分かってるでしょう」
壁画の青年が去ってから、暫く時間が経った……ような気がする。
入ってきた入り口は消えてはいなかったけれど、開きそうにはなかった。
ドラコが広間をウロウロして脱出方法を模索している間、私は考えていた。
恐らくあの壁画の言葉は全て皮肉なのだ。〈憂いの篩〉から古代魔法の継承者らしく正しい教訓を得て、正しい古代魔法の使い手になれと言うことだろう。
──馬鹿馬鹿しい、何が古代魔法だ。歴史があったり古ければ良い物だと思うのは英国人の悪い癖ではないか?有用なら失伝しなかったのではないか?
もし、それがまともな代物なら、母の研究はなぜ評価されていない?
それらに対し、合理的な回答があの仮面の青年にできるだろうか!
私の能力は純血に裏打ちされた純粋なる努力の賜物だ。何年も一人で学び続けた私の力だ。
断じて得体の知れない魔法のお陰ではない。そんなものに私を穢させてなるものか。
許せない。私を嘲ったあの目。尊い存在である私を愉悦の対象にして良い者など存在しない。あの目をしていいのは、この世で唯一私一人だけだ。
古代魔法など頼らず、ここから脱出し、あの不遜な絵を焼き払ってやろう。私の尊厳を傷つけた報いを受けさせなければならない。
もちろん小鬼達にも、この待遇のお礼をしなければ。ああ、やることが多い。
さて。先ずは──
「〈ボンバータ 粉砕せよ〉」
金庫の入り口を爆破──
──しかし、扉には傷一つない。
「お、おい、いくらお前が多少使えても──」
「〈インセンディオ 燃えよ〉」
扉は燃えても赤熱するばかり。
「〈グレイシアス 凍れ〉」
凍らせたとて、砕けない。
「はぁ。なるほど」
「……僕ら程度の呪文程度で壊せるなら、資産を預ける魔法使いはいないだろ」
"僕ら"程度?何を言うのだろうか。私は純血にして聖28一族のグリーングラスの長女。
魔法使いの貴種である私達を"程度"と評するなんて!
小鬼が作った扉や封印など容易く打ち破って当然だと言うべきだ!
許しがたい。彼に自らを貶めるような言葉を吐かせるとは。もう容赦は必要ない!
黒い日記帳を開く。
──買い物はもう終わったのか?
私の心を読めば状況くらい分かるだろうに、白々しい。
『グリンゴッツの地下に閉じ込められた』
──盗みに入ったのか?そこまで間抜けとは。
『このままだと、貴方も一生ここで暮らすことになる。話し相手はいない。古代魔法の才能がなければ、ここへ来る魔法使いはいないし、多分誰も来ないよ』
──で、僕に頼るのか?恥ずかしくないのか?自分に力がないと言っているようなモノだろう?
『自分の杖を使って恥ずかしいと思う魔法使いがいる?』
──いつから君は僕の主人になった?思い上がりもほどほどにしろ。
『あ、出来ないんだ?闇の帝王が作った道具なのに、小鬼如きの金庫すら破れないんだ?あれ?もしかして雑魚?雑魚かなぁ?』
──は?
『まあ、所詮、メモを消してしまうだけの日記帳だものね。お話しできるだけの雑魚日記』
──出来るが?馬鹿にしないでくれるか?
『えぇ?本当に?出来るの雑魚なのに?』
──僕を誰だと思っている!!
『じゃあ、教えて先生?』
──ああ!教えてやろう!だが、こうやってやり取りすればするほどお前の魂は
『あ、そういうのいいから。どうせ貴方が私をどうこう出来る頃には死んでるし』
現在の状況を書き込むと、日記帳は暫く沈黙し──
──体を貸せ。
『変態?変態の雑魚?』
──説明するより僕が"使った"方が早い。
『そう。変なことするならドラコにしてね』
日記帳は返事を返さず、私の意識に侵入して来た。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「ダフネ?おい、どうしたんだ?」
「杖を貸せ」
ドラコは怪訝な顔をしたまま杖を渡してくる。
それを受け取った私の手を、日記の中身が勝手に動かして杖を振るう。
すると、スノードロップが広間の鏡面のような床一面に生い茂り、白い垂れ下がった花を咲かせて、視界を白と緑に染め上げた。
「いい杖だ、忠誠心も申し分ない」
「……何だよ縁起でもない」
それは英国では墓地でよく見る花だった。日記の中の人はここを誰かの墓にでもするつもりなのだろうか。
「〈クワイエタス 黙れ〉」
日記は勝手に呪文を唱え、ドラコの声を消した。まあ、このくらいなら別に害はない。後で日記帳に唐辛子でも塗りつけてやろう。
──やめろ、集中したいだけだ。
そう?私はドラコがいても集中できますが?
「……〈フィニート 終われ〉」
「なんなんだよ……?」
「……〈レベリオ 現せ〉」
杖の先から広がった波紋が壁を透過し、私の視界にその先の空間や生物、構造を映し出す。
私が普段使うモノとは比べ物にならないほどの広範囲に届き、あらゆるものを映し出したそれは、とても同じ呪文とは思えない。
流石は闇の帝王が作り出した道具なだけはある。
「〈アクシオ、12番金庫の鍵〉」
広間の天井に向け──壁の向こうの、その遥か先、私達が〈移動キー〉で転移して来た地点、つまりは小鬼が眠りこけている受付に向かって呼び寄せ呪文を放つ。
見えていなくても、ある程度の距離は呼び寄せられるのは知っていた。
けれど、ここまで遠くの物を呼び寄せられるなんて。
──残念だが、お前には無理だ。
私に不可能はありません。純血なので。
12番金庫の鍵を呼び寄せて、果たして鍵だけがこちらへ向かってくるだろうか──否。
それを持っている筈の小鬼ごと、地下へ引き摺り込むことになる。
私の視界では豆粒のようなシルエットが何度も壁に打ち付けられながら、徐々にこちらへ近付いて来るのが見えていた。
いきなり命を奪ったりせず、少しずつ罪を償う機会を与えるとは何と寛大なことだろうか。
「なあダフネ、流石に無理じゃないか?」
ドラコから見ればかなりシュールな光景だろう。
突然天井に向かってアクシオを唱えたかと思えば、杖を向けたまま止まり、見かけ上は何も起きていないのに真剣な顔をしているのだから。
「誰もが飛ぶことを不可能だと考えた」
私の口が勝手に喋り始めた。
「ダフネ?」
「ヒトは、自由に飛ぶことを願い続けて来た。魔法使いは箒を手に入れることで、マグルは鉄の塊を推力で飛ばすことで、自らが飛べるようになったのだと錯覚した」
「錯覚?飛べるじゃないか」
「錯覚だ。翼を手に入れたわけではない。太陽に近付けば溶けてしまう蜜蝋の翼だ。故に、ヒトは本質的に理解している。真に自分自身の力で飛ぶことは不可能なのだと」
私の腕は勝手に呪文の方向を調節している。壁越しに見える小鬼のシルエットが少しずつ大きくなってくる。
「多くの凡愚は"今"、それが出来ないと言うだけで諦め、不可能だと決めつけた」
洞窟を転がり、引き摺り込まれる小鬼が近付いてくるのが見える。
「だが、想像できることは必ず実現できる。そう信じる者にだけ、可能性は与えられる」
小鬼は程なくして、金庫の扉に叩きつけられるだろう。
「──決して諦めなかったある者は、己の身だけで飛ぶことを可能にした」
「……それは……」
「そして、死を超えた」
私の体を勝手に使い、無意味かつ盛大に格好をつけてドラコに向き直り──
「諦めない者だけに、扉は開かれる」
──金庫の扉に小鬼が衝突し、扉は開かれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「さて、ルシウスの子。"僕ら"をここに閉じ込めた小鬼に下されるべき罰はなんだろうか?」
「……お、おい、もう良いんじゃないか?」
12番金庫から出た"私"は、金庫の扉の前で半死半生の小鬼を踏みつけていた。
とてもじゃないけれど親ゴブリン派の私にはできない所業だ。ああ、なんて酷い。
ドラコは私を化け物でも見るような目で見ている。初めて見た表情で新鮮だ。可愛い。
……しかし、正体を隠す気はないんだろうか?慎重さに欠けるような気がしてならない。ここでドラコに気取らせたことが、後々致命的なミスになったりしそうだけど。
──心配はいらない。君の身体の自由は返さないからだ。
へぇ。
──意味が分かってるのか?もう君は意思でしかないんだ。もう死んだも同然だぞ?
どうぞ?すぐに死ぬ身体だし。むしろ貴方が操縦してる方が眺めてるだけで楽じゃない?
──君はなにを言っ
「てっ!?」
「ダフネ!?」
体勢が崩れ、私の身体は膝をついた。
ドラコが駆け寄る。
「ぁ、ぁぁぁ!!」
ん、どうかした?急に叫んで、血とか吐いてるけど。ああ、お花にも掛かって……折角綺麗に咲かせたのに勿体無い。
──磔の呪文でも使っているのか!?この、身体の内側を引き摺り出して切り刻まれているような痛みは……!
そう?大袈裟じゃない?
──やめろ、今すぐに!さもなければ
私は何もしてないけど?
──は?
体が少し痛かったり、調子悪いのは"いつもの"ことだし。どうにかしろって言われても多分それ〈血の呪い〉だから。
──こんなものを感じながら正気で居られるわけがないだろう!?
失礼な。私は健全な心と魂の持ち主。体がちょっと健康じゃないだけだもの。あ、変身術切れてるかも。
──は?
いつも調子悪い臓器を変身術でいい感じにしてるから。
──なんだ、その巫山戯た方法は……!出来たとしても痛みが変わるわけ──
「ぅ、ぉぇっ……ぁっ……っ」
「ダフネ……血が……」
何を泣いてるの?貴重な純血なんだから、血を吐いちゃダメでしょう?
──健全な魂は健全な肉体に宿るという言葉を知らないのか!
じゃあ身体も健康ってこと?健康万歳!
──そんなわけが……あるか、こんな肉体に宿っていられるか、戻らせてもらう!
えぇ?これから謎の日記に乗っ取られた可哀想な私にドラコが引導を渡すっていう素敵な展開が待ってるんじゃないの?
──頭がおかしくなりそうだ!お前の趣味には付き合っていられない!
私の頭の中でそう喚き散らすと、日記の意思は私の精神から逃げ出してしまった。
「ダフネ!返事をしろ!ダフネ!」
ドラコが必死に声を掛けている。日記の人が大袈裟に苦しむような仕草をしていたものだから、きっと私の呪いが深刻な状態になったように見えたのだろう。
いいぞ、その調子でもっと私を心配するがいい!
「ぐえー、死にました」
口の中に溜まっていた尊い純血を飲み込む。喉が少しピリピリしてるけど別に大したことじゃない。お腹の中もいつも通りに戻しておく。
やはり変身術は便利だ。(危険なので真似してはいけません)
「だから……!笑えないのは冗談じゃないって、言ってるだろが……!この……」
怒りと安堵が混ざったような、泣き出しそうで堪えているような、そんな顔だった。
……定期的に血を吐いておいた方が心配してくれるのだろうか。いや、体液を見せびらかして気を引くなんて、はしたないにもほどがある。私は淑女なのだ。
「この、なに?」
「何でもない!馬鹿には何を言っても無駄だからな!」
顔を逸らした。もしかして涙でも流しているんだろうか。是非流していて欲しい。今の安堵が最後の瞬間をより際立たせてくれるだろう。
「そういえば、ゴルヌックは?」
「──え?」
ドラコと私が顔を上げると、憎悪に満ちた顔の小鬼は、金属製の鐘がついた鳴子のようなものを持っていた。
「──泥棒だ!助けてくれ!泥棒だ!」
鐘を打ち鳴らしながら走り去って行くゴルヌック。
「はぁ──!?何を言っ」
ドラコの文句は、上から落ちてきた轟音に掻き消された。
「……」
私達の目の前で首をもたげるのは、漆黒の鱗を持つドラゴン。
──へブリディーズ・ブラック種。
そう!五つの角を持つ、獰猛極まりない品種だ!かっこいい!
「──!!」
竜の咆哮は、洞窟に反響し、私たちの耳を劈く。
「だ、ダフネ……金庫の中に…金庫に……」
ドラコは震えながら私の前に立って庇う。
わぁー、頑張れー。
「……戻って〈憂いの篩〉を……き、きっと他に出入り口が……罠でも死ぬよりマシだ!」
なんの勝算もなく立ち向かったわけじゃないか。流石だ──でも。
「どうして?やっとドラゴンに会えたのに」
「馬鹿……!死ぬぞ……」
「私は死なないわ、貴方が守るもの」
「ふざけ──〈プロテゴ 護れ!〉」
ドラゴンが放った様子見の小さな火球は青白い防壁が防いだ。
「ほら、死なない」
「次はもう防げないぞ……僕の全力を込めた……」
ドラコは余程魔法力を込めたのか、膝をついてしまった。
ああ、なんて絶望!この危機感!これこそドラゴン!
「ダフネ……!頼むから逃げ──」
ドラコの懇願も虚しく。目の前には燃え盛る火球が迫り。
──私はドラコを引っ張って、前に立った。
「ダフネ──?」
ほんの一瞬見えた彼の顔。
火球に照らされたそれは、絶望に満ちたものだった。まるで、そう!まるで目の前で愛する人を失う寸前のような!
いい顔だ!私はそう言う顔を見るために生きていると言っても過言ではない!
ああ!この顔のためなら死んでもいい!
勿論、私は火球を防ぐ魔法なんてこれっぽっちも使えない!ドラコだってそのくらいは分かってる。だから何も顔が終わりだって顔をしたんだろう!
ああ、ほんの僅かな時間なのにとてもゆっくりに感じる。ホグワーツに着く前にここで燃え尽きてしまっても良いかもしれない。
何せ、背後の金庫には墓場の花が咲き誇っているのだ!
今日は死ぬにはいい日だ!とても、それはとても!
さあ、彼に傷をつけよう。心に消えない傷を!
「ごめんね」
そして、火球は直撃した。