『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』   作:銀杏鹿

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15『杖 一神教 竜』破

 

 

 

3.打倒しうる蛇

 

 神話上に現れる蛇という存在は畏怖を持って描かれる巨大な存在であることが多い。ティアマト、ミズガルズオルム、ファフニール、例を挙げればキリがないだろう。

 実在する蛇の大きさからは到底考えられないスケールのものばかりだ。

 なぜ、蛇がそう言った恐ろしい存在として描かれるのか。とあるマグルの学者は人間が猿から進化する過程での天敵だったからだと主張した。これはドラゴンに関して述べた論文での話ではあったが、全く別の観点からそれは肯定された。

 

 それは蛇識別説である。この説は人間の視聴覚に関する研究によるものだ。

 人類がまだ樹上で生活する猿だった頃、唯一の天敵はそこまで到達できる蛇だけだった。

 猿が生存するためにとった選択は視覚の発達で、これにより脳が発達した、という説だ。選択という言葉が適者生存による選択を意味することは説明するまでもないだろう。

 蛇の識別は他の物体や生物に比べてもより効率的に出来るという実験結果が、人間や猿において認められており、この説を裏付けている。

 これは蜥蜴のような形状と比較した際も、より強く反応を示すのが蛇の形状である。

 また、恐怖を司る脳の器官は蛇や同様の形状に対してより早く反応するという結果も認められている。

 

 つまり、蛇への恐怖は真に本能的なものなのである。

 勿論、私は無学な他の魔法使いとは違い、人間が最初から人間として創造されたなどとは考えていない。

 全く無関係に発生したというよりも、マグルと魔法使いは似た身体的特徴や言語を持つ点、交雑が可能な点から考えると、殆ど同じような生物から進化した考えるのが妥当であろう。

 

 さながら、小麦とライ麦の関係性である。

 

 ライ麦は元は小麦畑の雑草であったが、小麦と似た姿のものが除草を免れ代を重ねていった結果、殆ど小麦と同様の形態に進化した。

 

 更に小麦よりも劣悪な環境で繁殖できるという頑強さすら持っているのだ。

 

 同様に、遥か昔に猿として生活していたモノが進化して魔法使いの先祖となり、彼らと似た見た目のモノが排除を免れていった結果、マグルが生まれたと考えてもなんら問題はない。

 

 高い繁殖能力により個体数を増やすことで環境に適応し、魔法を使えないという致命的な欠陥を克服している点からも、生物として別の進化を辿っていることが窺えるだろう。

 

 マグルと魔法使いの人口が大幅に異なるのはこう言った生存戦略の違いによるものである、というのは近年の純血学においては当然の認識として受け止められている。

 

 さて、話を戻そう。進化の過程では同様の形態を持った生物であり、共通した天敵が存在していた、というのは疑いようもない。

 故にどちらにも蛇への恐怖というものは存在していると考えられる。

 また、恐怖というものは理解できないものに対しても感じるものであり、人間は対象に理解できる説明を求めることで恐怖から逃れる。

 

 マグルや魔法使いがまだ技術的に未熟であった頃、自然現象は天敵と言えた。

 それらの現象を人間の世界観で捉えた結果、幼い子供があらゆるものに感情や思考が宿っていると考えるように、かつての人々は自然に意思を感じ、ある種の生物と考えたのだ。

 自分以外の存在に対して「心の働き」があると思考することこそ、社会を形成する上で必要な能力であったが故に、存在を擬人化するアニミズムと呼ばれる類の宗教が生まれた、という神学の認識も殊更説明するまでもないだろう。

 

 そのようにして荒れ狂い氾濫する川を蛇や龍として捉えたものが神話に語られる蛇であり、ドラゴンの元型である。

 

 しかし蛇に対しての本能的な恐怖が存在し、それによって自然と結び付けられて神話の蛇が生まれたとしても、ドラゴンの姿とは一致しない。

 何故、蛇が四つ足と翼を持つことになったのだろうか。

 これも、恐怖から説明することができる。

 識別説に則れば、人間は蛇の形状に対して根源的に恐怖を感じてしまうように出来ている。手足のない細長い姿は敵対者であり、捕食者そのもので、猿であった頃は素早く発見し、逃げることこそが解決策であった。つまりは、打倒しうる存在ではないのだ。

 

 一方、蛇以外の生物に対して根源的に恐怖を感じているわけではない。

 四足歩行は自分達と同じグループを示していた。さらに二足歩行となって集団的な狩猟を行えるまでに進歩した人類にとってはあらゆる生物は獲物でしかなかった。四つ足の生き物、そして鳥類、魚類も同様である。多少の危険は伴う可能性はあったとしても、打倒しうる自然である。

 

 マグルの国家、マケドニアでは成人になるための儀式として、素手で猪を狩猟すると言った風習すらあったという。実に野蛮である。

 また、ご存知のように、中華人民共和国では"四つ足のモノは机以外全て食料"と見做されるということからも、四つ足=獲物といった認識が理解出来よう。

 

 故に、不可解な異形である蛇を打倒可能な心象の存在へと貶めるには、それらの動物の特徴を与えれば良い。

 手足を与え、細長い身体を短くし、翼を与えた。これまで打倒した自然の特徴を与えたのである。そうなれば人間の知る生き物の世界に貶められる。

 古代においてはドラゴンと蛇とを区別することはなかったというが、勿論その通りで、倒しうる存在になったとしても、それが蛇ではないのなら、その"創造"は何ら意味をなさない。

 

 ここで、"打倒しうる自然"という言葉の意味について念の為、補足しておこう。

 

 殆どの読者が誦じられることだろうが、『旧約聖書』の「創世記」を引用しておく。

 

『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」』(創世記1:26)

 

『産めよ,増えよ, 地に満ちよ,地を従わせよ,海の魚と空の鳥と地に動くすべての生物を治めよ』(創世記 1:28)

 

 かの一神教に連なる信仰では、この神の言葉を元に一切の消尽を許され、自然はあらゆる破壊と征服の対象として看做された。

 この世界観において、人間と自然とは対立する存在であり、明確に二分される物であることが理解できる。

 

 ここで、一神教がアニミズム的な信仰を上塗りしながら拡大していった歴史を思い出していただきたい。

 聖人伝や聖書のエピソードでは土着の信仰神を悪魔として記述することで征服を正当化しており、その文脈でドラゴンは何度も登場する。

 これは多神教の蛇を打倒可能な自然にするために、ドラゴンへと貶めたと言えるのではないだろうか。

 代表として一神教を取り上げたが、このように心象的に打倒可能にするためであったと考えれば、蛇からの奇妙な変化にも説明が可能である。

 

 他方、東洋における龍というものは概ね河川などを現し、蛇として描かれている。

 多神教における"自然に含まれる人間"という世界観の異なりによって、打倒しうる蛇として描かれず、東西でドラゴン、そして龍という似て非なる存在が成立していると考えられる。

 

 東洋の龍に関する詳細な説明は今回の趣旨から外れること、また、諸兄が知識として知らない筈もなく、そして自然を形象する蛇としてのアニミズム的な成立は同様と考えられるため、定義や解説に関しては省略させて頂く。

 各自一般的な東洋龍の概念を把握していただきたい。








妙な話を二話を続けて最後まで読んでいただいてありがとうございます……!
本編にはあと少しで合流するので、もう少しだけお付き合いください!
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