『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
「貴方、ネビルの蛙をどこにやったの?」
「これのことですか?」
蛙チョコレートを見せる。
「……もしかして変身術でチョコに?」
「入学前にしてはよくご存知で」
「教科書は全部暗記したわ。教えてくれる人なんて誰もいなかったけど、簡単な呪文は全部試して成功してる。最高の魔法学校だって聞いたから。──でも、通う生徒が全員最高に賢いとは限らないみたいね」
何故が威張るような気配を出しているし、多少こちらのことを見下しているようにも思える。何故だろう。聞いてもいないことをわざわざ話してくれるのは自己開示の一部なのだろうか。親切心が服を着て歩いているようだ。
「へぇ。では〈ガンプの元素変容の法則〉もご存知では?」
「それは"何もないところからは食べ物を出せない"というだけよ。既にあるものを食べ物に変えることについては何も言ってないわ。まあ、決して永続しない変身術で食べ物なんかに変えて、それが元に戻った時に、果たしてどうなるのかは多少の合理的な思考力があれば分かるとも思うけど。答えは少しお腹が痛くなるだけじゃ済まないわ。食べ物はお腹の中に入ったら終わりってわけじゃないの。だからそれを食べるのはお勧めしないわ。もしくは、食べられないことが分かってるなら、貴女が持ってるそれがネビルのカエルでもおかしくない」
私に講義するなんて、彼女はさぞ深い知識を持っているのだろう。
食べ物や液体、気体に変身させることについての警告や事例は初歩的な知識で教科書にも当然書かれていることだ。
教科書を暗記した、というのは本当らしい。
しかしまあ、よくも初歩的な知識を得ただけで全てを知ったような口振りができるものだ。
自分の書いた論文を後から読み返すとどれほど恥ずかしくなるのか知らないのだろうか。
「二人とも何言ってるの……?」
「うげぇ……!グリーングラスと普通に話してる……マーリンの髭じゃん……」
ハリーは唖然としている。入学前の生徒としては一般的な反応だ。そしてロナルドは私を何だと思っているのだろう。
「なるほど、素晴らしい学識ですね。ぜひ貴方のお名前を教えて頂きたいものです」
「ハーマイオニー・グレンジャー。貴方達は?」
グレンジャー。確かにそう言う家はあるにはある。けれど同年代の娘がいた覚えはない。リストに載っていたマグル生まれで間違いないだろう。
しかしなんとも古風な名前だ。シェイクスピアの『冬物語』くらいでしか聞いたことがないし、"話し方"も同じくらい古めかしい。
……まあ、名前に関しては似たような由来の私が言えることでもないか。
「私はダフネ・グリーングラス。こちらはハリー・ポッター。そしてドブ・ネーズミーです」
「ロン・ウィーズリーだよ!」
……ロナルドじゃなくて?
「ハリー・ポッター?本で読んだことあるわ。貴方のことも全部知ってる。魔法界の英雄で、例のあの人を赤子の時に倒したって」
「僕が本に?」
「そのうち魔法史で習うでしょう」
「僕のことを授業で!?」
「……自分のことなのに興味ないのね。調べられるならできる限り調べると思うけど、普通。まあ、貴方やドブネズミは今どうでも良いの。グリーングラスさん。貴方がチョコにした蛙、ネビルに返してくれない?」
「……それは無理だと言ったらどうします?」
「貴方が上級生だとしても、貴方の家がどれだけ偉いとしても、学校の先生から下される評価を覆すことはできないはずよ。断っておくけれど、私は脅しているわけじゃあ、ないわ。ただ、善意の第三者として、"そう言うこと"があったと世間話をして、その結果たまたま誰かの評価が下がるかも知れない、と言うだけの話」
おお。なんと素晴らしい狡知だろうか。マグルの邪悪な環境で育っただけのことはある。
……まあ、私のことを知らずに見た目で上級生だと思っている以上、聖28一族についてはあまり調べなかったらしいけど。
「では、私は貴方の素晴らしい英雄的な行いを、今年入学する"同級生"の皆に伝えておきましょう。先生とお話しするのも結構ですが、私たちは"これから"寮で暮らすのです。子供同士、仲良くした方がきっと良いでしょう?是非、貴女がどんな子なのか、知ってもらった方が良いです。きっと、楽しく暮らせることでしょう」
大人は思ったより利口ではないし、子供は残酷だ。貴女が思っているよりも。
「……貴女も新入生……?いえ、私の告げ口に比べたら貴女の方が余程立派な脅しね。でも関係ないわ!そんなことを認める友達なんていない方がマシだもの!」
それでも、か。なるほど素晴らしい勇気だ。
……凄く良い。なんというか……悪いことが沢山浮かんで来る。
「脅しだとかまさかそんなおつもりで?……そうなると、貴女が"純血"を脅迫した罪を法廷で争うことになってしまいます……純血ばかりの法廷で貴女に不利な審理にならないと良いのですが…」
そんな法律があるかは知らないけれど、少なくとも脅迫は罪に問えるだろうし、魔法省の高官は概ね純血で構成されているので私は嘘を言ってはいない。
まあ、それがどう聞こえるかはともかく。
「それが本当ならこっちの司法は最低ね」
やはり魔法界はマグル生まれからすると後進的で中世的に見えるらしい。私が彼女に望んだ通りの言葉だ。
ちなみにウィゼンガモット法廷は魔法省では物理的に"最下層"の地下10階にあるので、彼女の言うことはある意味間違ってはいない。
「魔法使いがそちらの世界で罪を犯せば、そちらの側の法律で裁き、そちら側の弁護士をつける。同じことでしょう?」
「……貴女、スリザリンね」
「光栄です。貴女も向いていると思いますよ?マグル生まれではないのなら」
「生まれが関係あるなんて、本当に前時代的なのね。メンデルの法則って知らないのかしら?」
その声は未開人への軽蔑を忍ばせているように聞こえた。
"恣意的な改竄が見受けられる実験から導かれた法則"については兎も角、彼女の発言の根拠はマグルの"先進的"な思想によるものだろう。
しかしここは魔法界。マグルの世界とは事情が違う。魔法史を暗記ではなく"理解"していたなら、私の言葉の意味も理解できただろうに。
「まあ、そのうち魔法史で習うでしょう」
「……メンデルの法則を?」
訳が分からないと言った顔だった。
現代のスリザリンで見られる穢れた血に対する排除は、マグルで言う肌の色の問題とは違う。
闇の魔法使いグリンデルバルドがマグルの"第二次世界大戦"での凄惨な有様から彼らの危険性を唱えて起こした世界魔法大戦。
そして彼が打ち倒されてから半世紀も経たずに勃発した闇の帝王による魔法大戦。
前者はマグルの支配と管理を訴え、後者はマグル生まれや半純血の排斥を行った。
グリンデルバルドに賛同するにせよ、しないにせよ、魔法界の住民はマグルの危険性を認識した。この時点で分断の火種は産まれていた。
そして闇の帝王の大戦によって、魔法界は二分された。
その最中、子供達は常にお互いの加害者であり被害者だった。
学校の外では親が殺し合い、その趨勢によって魔法界の方針が決まる。
聖28一族で闇の帝王に加担していた家は、決して少なくはない。そしてその子供の大半はスリザリンで学ぶ。実際死喰い人を輩出した人数で言えば他の寮と比べてもそう変わらない筈だが、純血主義はサラザール・スリザリンの思想である上に、聖28一族という分類は子供達の人生からそう容易く切り離すことは出来ない。彼らは生まれた時から純血主義の中を生きているのだから。
そして他の寮の生徒からすれば過激な純血主義=スリザリンと容易に結び付けられることになる。
"悪い魔法使い"或いは"親族の仇"──その子供として。
当然、スリザリンとそれ以外で分断が生まれる。
そんな場所なら通わなければいい?
全くの逆だ。ホグワーツは生徒を外敵から守る結界がある。少なくとも殺し合っている外にいるよりか安全であり……つまりは人質なのだ。
ホグワーツを不可侵にしておくことで、お互いに預けている子供達に手を出させず、戦争から遠ざけたつもりなのだろう。
でもそうしたところで、ホグワーツの結界の中は子供達にとっての戦争があった。
その時代を生きた世代が私達の親世代である。
親が子に語るホグワーツは、陣営ごとのフィルターを介したものになる。
かくして一世紀の間、"戦争"は子供達に、ホグワーツの雰囲気に継承されてきた。
一度生まれてしまった──マグルで言うところの"民族主義"のような火種はそう簡単に消えることはない。そもそも聖28一族とそれ以外ではいい意味でも悪い意味でも対等な存在ではない。
だからこそ、スリザリンはマグル生まれが大手を振るって歩ける場所ではないのだ。
魔法史を丸暗記した彼女にとって、戦争はまだ年号と文字でしかないらしい。
しかし、私は子供の学習を阻害するのは忍びないのでわざわざ先回りして教えてしまうような不粋は働かない。
"戦争"は誰かに教えられるものではなく、自ら知るモノだ。
「スリザリンなんかに選ばれたら、僕、何言われるか分かんないよ」
「安心してください。ロナルドは絶対にありません」
「なんか嫌だけど否定もできない…….」
「ねぇロン、スリザリンってヴォルデモートがいたところ?」
「ハリー!それ〈例のあの人〉の名前だよ!」
「え、あ、ごめん。ダメなんだった」
「闇の帝王だけではありません。偉大なるマーリンもスリザリンですし」
「……弱者の物を奪って返さないような人達が、偉大になれると思う?私はそうは思わないわ!」
今にも摑みかかって来そうな程、グレンジャーさんは憤りを全身で現していた。
頭に詰め込むのが得意でも、口から呪文を吐き出すのは得意ではないのだろうか。言葉より余程効果的だろうに。
「……えっと、ダフネ。流石にもういいんじゃないかな」
ハリーは冗談も程々に、と言いたげだった。
「それもそうですね」
私の口に蛙チョコレートを入れる。
「え──!?」
「おうお?(どうぞ?)」
逃げようとするチョコレートを、舌で抑えたまま、グレンジャーさんの手を握る。
「な、なにしてるの!?食べたらタダじゃ済まないのよ!?」
「ええ」
「ぜ、絶対に飲んだり噛んだりしたらダメよ……!」
戦々恐々とした彼女の指が私の口腔へ侵入する。
「ひゃあっ!?ちょ、ちょっと!くすぐったい!動かさないでくれる!?」
蛙を掴もうとする指を舐めて妨害すると、面白いくらいに驚いてくれる。
「全然返すつもりないじゃない!このっ!ひゃっ!」
全く。チョコレート一つ掴めないとは。マグル生まれだから仕方ないか。
「えっ?」
私の口から取り出した蛙を、グレンジャーさんの口に差し入れ、彼女の舌にチョコレートを押し付ける。
「如何、ですか?彼の蛙の味は?」
指で彼女の舌をなぞりながら耳元で囁く。
「え、ぁ、えぁ」
彼女は一気に顔が青くなった。
何かしらの味がしてしまっているのだろう。つまり、彼女からすれば変身させた物体が溶け出していることに他ならない。
生きた心地がしないだろう。
「美味しいでしょう?」
けれど、きっととっても甘くて美味しい筈だ。
彼女の主張する"遺伝子の科学"に従えば、純血である私とマグル生まれの彼女の遺伝子は全く異なるモノの筈だ。
人間は相手との"相性"を判断する際、"匂い"や唾液の"味"で判断するという。
それは遺伝子的に近しい者と交わらないようにする機能だとか。
それが正しいとすれば、私と彼女ほど離れた存在なら、さぞや甘美な味がすることだろう。
「美味しい、ですね?」
「や、やめ」
「もし、ここで変身を解けば、どうなるでしょう?優秀な貴女なら、お分かりですよね?」
「っ──」
恐怖に彩られているのに、口の中は甘味で満たされているのだろう。
先ほどの怒りはもはや影も形もなく、勇気を持って立ち向かったその小さな体は、震えるばかり。
もしかすると今後、蛙チョコレートが二度と口に出来なくなってしまうかも知れない。
是非そうなって欲しいものだ。
「──まあ、私が無理だと言ったのは、そもそも変身させていないからですが」
「……な、なら……最初から……そう言い……」
私が指を引き抜くと、彼女はへたり込んだ。
……ああ、なんと言うことでしょう。私は本当に良くない遊びを覚えてしまったらしい。
「──で、蛙でしたっけ」
彼女の後ろで縮こまっていたネビル・ロングボトムに声を掛ける。
「え、あ、その、えぁ」
彼は守るように口を手で隠しながら、何事かを言っていた。
申し訳ないけれど、蛙の言葉は寡聞にして存じ上げない。せめて人の言葉にして欲しい。
「〈レベリオ 現せ〉」
杖の先から広がった波紋が、私だけに列車の中や外側の様子を見せる。
しかし、カエルだとこの間の小鬼のように引き寄せ呪文を使えば潰れるだろうし、そもそも私にはそんな高度な真似は出来ない。
「前の方の車両で、歳上の生徒……恐らく上級生のコンパートメントですね」
「え、そ、そうなの?」
「ええ。私、嘘つかないので」
「あ、ありがとう!」
「……レベリオで……そんなことできるなんて、教科書には書いてなかったわ。また揶揄ってない……?」
私には何を言っているのか理解できなかった。
マグル生まれなら科学とやらがどう発展して来たのかくらい知っているだろうに。
さもなければ私が教科書の誤りを指摘して投書していたのはなんだったのか。
「私はいつだって正直に生きてますよ?」
自分に正直に。
「……はぁ。時間もないし、前を探してくるわ……貴方達も着替えたら?もう少ししたら着くはずだから」
二人はコンパートメントを出ていく。
「……どの寮でも良いけどさ、グリーングラスとか、あの子がいない寮がいいな」
「ではロナルドは退学ですね」
「スリザリン以外ってことだよ!」
「貴方にグリフィンドールの勇気やレイブンクローの知性、ハッフルパフの誠実があると?」
「……」
黙ってしまった。可哀想に。優秀な兄弟に囲まれてコンプレックスの塊に成長してしまったのだろう。略してコン・ウィーズリーだ。
「僕、大丈夫かな……?」
ハリーの不安も煽ってしまったらしい。
「闇の帝王を倒したのですから、トロールを討伐するくらいなんてことはありませんよ」
「ああ……やっぱりトロールと戦うんだ……考えないようにしてたのに……」
項垂れるロナルド。彼は既に組分けがどうやって行われるのか聞いているらしい。
見分けのつかない双子のどちらかが教えたのだろう。
「トロール……?」
呟くハリーは蛇に捕食される前の雛鳥のようだった。
「お兄様方が私達の歳の頃に倒せたのですから、流石に大丈夫でしょう」
「僕がチャーリーみたいにドラゴンの世話をしたり、ビルみたいにグリンゴッツで働けるようになると思う?」
「ドラゴンはともかく、あんな気の抜けた銀行なら貴方でも大丈夫でしょうね」
「あー、まあ、あんなことがあるくらいだし」
「……グリンゴッツで何かあったの?」
「知らないのハリー?誰かが金庫を荒らして、しかも地下で飼ってたドラゴンをほとんど逃しちゃったんだよ。銀行は燃えるし、ダイアゴン横丁も大変だったんだ。でも銀行じゃあ誰も犯人を見てないから、みんな小鬼は寝てたんじゃないかって」
そんなこともあった。……しかし不思議だ。ルシウス氏が私たちの記録は揉み消している筈なのに、何故"ドラゴン脱走事故"ではなく"泥棒騒ぎ"なのだろうか。
「それでどうなったの?」
「いなくなったドラゴンは帰ってこなくて、犯人も見つからなかったんだってさ。でも何も盗んでないんだってさ、変だよね」
「ドラゴンが欲しかったのではありませんか?」
「まさかぁ。チャーリーだって何人も魔法使いがいてやっとドラゴンの世話が出来るって言ってたんだ。何匹も連れて逃げられるわけないよ」
一般的にはそういう認識だろうし、そうでなければ困る。
その後、ロナルドの世界一下らないクディッチの専門的な話や箒の性能やら、歴史的な試合とかいう魔法界で最も退屈な話題が続いた。
ハリーが話を熱心に聞いているの他所に、私の興味が完全に外の夕暮れに移った頃。
ノックの後、コンパートメントの扉が開く。
「ダフネ、いつまで油を売っているつもりだ」
迎えに来たのは、ドラコとその下僕の小トロール達(恐らくクラッブとゴイル)だった。