『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
新入生が組分けされる度、食堂に歓声が響く。
組分けを待つ新入生の列の中で、ハリーはどこか居心地の悪さを感じていた。
今の自分に何か適性があるのかと言われると、まるで自信が湧かなかったからだ。
ハリーはこれならトロールと戦った方がまだマシなのではないかと思った。物心つく前に"例のあの人"を倒したのだから、あまり自信はなくとも、何とかなるかも知れないと。
彼は一体トロールを何だと思っているのだろうか。
「グレンジャー家、ハーマイオニー」
ダフネと喧嘩していた子だ、ハリーはそう思った。
スタスタと勇み足で椅子に座ったハーマイオニーは躊躇なく帽子を被る。
「グリフィンドール!!」
少しすると回答が出て、近くでロンがうわぁと唸っていた。これはハリーの予想通りだった。列車でのやり取りから思えば、グリフィンドールなのは想像に難くなかったからだ。
そしてハリーは更に気が重くなった。彼女を揶揄うダフネを直ぐに止められなかったことや、傲慢な振る舞いをするマルフォイという少年にも一言くらいしか言えなかったからだ。
ダフネやマルフォイ家の長男を咎められるだけでも、他の子供からすれば相当に勇気があるように見えているのだが、彼には知る由もなかった。
「グリーン・グラス家、ダフネ」
囃し立てて騒いでいた上級生の何人かが息を呑み、僅かに大広間の空気が変わった。
長い黒髪の少女は一歩一歩、静かに歩く。
帽子までの僅かな距離をランウェイであるかのように、己を見せつける余裕を持って。
背丈は新入生にしては高く、上級生だと言われてもなんら違和感がなく、そして有無を言わさない存在感があった。
それが幾千の照明を反射して煌めく黒髪や翡翠の瞳によるものなのか、人形のように整った顔によるものなのか。
はたまた──ゆったりしたローブを着ていても身体の起伏がシルエットを主張している所為なのは定かではない。
ハリーは改めてダフネの姿を見て、何処からか湧いてきた気恥ずかしさと顔の熱さを感じた。何かを思い出したのかも知れない。
ダフネはどのような目を向けられているかまるで気にしていないかのように、平然と椅子に座り、帽子を被った。
帽子は沈黙した。それも他の生徒が振り分けられるのに掛かった時間の数倍以上の時間もの間、何一つとして口にしなかった。
ハリーは少し心配になったが、彼女が堂々としているのを見て、きっと大丈夫なのだろうと思った。
ふと、ハリーは目が合ったような気がした。
他に何人も新入生がいる中で、それもあんなに仲良さそうにしていた金髪の少年でもなく、自分と。
照れてぎこちなく手を振るハリーに対し、少女は微笑むでもなく見つめていた。
ハリーは何故か彼女が自分と同じ寮になるような気がしていた。それは淡い願望だったのかも知れないし、ほんの少しでも関わった相手への親近感によるものだったのかも知れない。
だが、今の彼にある感情にはまだ名前が付くほど、はっきりとした輪郭は存在しなかった。
──そして、少女は微笑み。
「スリザリン!!」
ハリーの予想は粉々に打ち砕れ、裏腹にスリザリンの生徒達から歓声が上がった。
何故か新入生の中からも小さく"よし"という言葉が漏れていたが歓声に飲まれて、組分けされた少女以外には、誰も気が付かなかった。
ハリーはこの結果が信じられなかった。
まさか、例のあの人と同じ寮に入るとは全く考えていなかったからだ。
あまり長い付き合いではないが、あの少女は悪い人間には思えなかった。
制服を買ってもらった恩もあり、それに列車では途中までは一緒だった。
その短いやり取りの中で、彼女は澄ましたような顔からあまり表情を変えなかったが、家族に関わるような話題の時だけは反応が違った。
ハリーが思い出していたのは、家族の見送りがないことに共感したり、ペットが亡き母親のお下がりであることをロンに侮辱されて不機嫌になったり、ロンのママの手料理を食べたがったりしていた姿だ。
多少変わった言動をしたり、人を揶揄うのが好きそうでも、そういったことで一喜一憂できるような女の子が悪者だとは到底思えなかったのだ。
続いて、蛙を探していたネビル・ロングボトムが椅子まで行くのに何もないところで転んだり、組分けされた後、帽子を被ったまま退席したのをハリーは思わず笑いそうになったが、それで笑いそうになる自分が少し嫌な奴に思えた。
彼は人前で恥を掻いているのに、それでもここから逃げ出したりはしなかったのだ。
だからこそ、グリフィンドールに選ばれたんじゃないかとハリーは感じた。
そして、ドラコ・マルフォイの順番になった。
ハリーには彼に何か威厳があるように見えた。
背丈はそう変わらないのに、貴族階級だと語っていたことが事実なのだと思わせられるくらいには。
しかし、列車で見たような傲慢さがあまり感じられなかった。そしてハリーは気が付いた。
彼が拳を硬く握っていることに。
◆◆◆◆◆◆◆◆
『──グ』
──いやいやいや!!
組み分け帽がドラコの思考に直接語りかけた言葉を、彼は脳裏で遮った。
『──なんてね、冗談さ!』
──どいつもこいつも笑えない冗談を……!
『でもそうやって心を閉ざされていれば、正しい判断も下し難いね。私は正しい判断しかしないタチだからさ』
そこから帽子は直ぐには結論を出さなかった。
ドラコはスリザリン以外に考えられなかったからこそ、帽子に対して不満を露わにした。
──僕をスリザリンにする以外にあるか?
ドラコはそう強く念じて抗議した。
『でも、君には狡猾さや野心よりも似合うモノがあるんじゃないかな?それはどちらかというと──』
「グリフィンドールは嫌だ、グリフィンドールだけは嫌だ」
呟くほどの小さい声だったが、口に出してしまうほどにドラコは焦燥を感じていた。
『どうしても嫌かな?グリフィンドールはいいぞ?』
──離れるわけにはいかないんだ。
確固たる意思を持って、ドラコは帽子にそう告げた。
『……やっと心を開いたね。そこまで言うなら──』
◆◆◆◆◆◆◆◆
マルフォイの組分けはネビルと同じくらい長引いてから終わった。
「──スリザリン!!」
彼の表情はハリーが列車で見たときのような傲慢そうな笑みに戻った。
彼は激しく喜びはしなかったが、ダフネ・グリーングラスが空けていた席の隣に当然のように座った後、彼女に褒め称えられるように抱きしめられて──それを見ていたハリーの視線に気がつき、不敵な笑みを返した。
ハリーは何ともいえない気持ちになった。
ドラコはそれなりに嫌味な人物にも見えるが、自分と同じような緊張を抱えていたのも分かってしまった上に、これまでの様子からすればダフネとマルフォイの二人は幼馴染か何かで、更に彼は彼女に"好意"というものを向けているのだろう──と察するには材料が十分だったからだ。
そこからの組分けはスリザリンの宣言が続いた。
ムーンというぼーっとしていて何を考えているのか分からない女の子や、背が少し高くて利口そうなノット、何かの映画で見た子役のような整った外見のパーキンソンだ。
……特にパーキンソンは帽子を被る前に、棍棒みたいな杖を向け、帽子がかなりの大声でスリザリンと宣言し、見た目に似合わず大はしゃぎしていた。
一層ハリーはスリザリンの基準が分からなくなった。
列車で聞いた話からすれば、そんな仕草はハッフルパフとしか思えなかった。
風評被害も甚だしいが。
そして彼に順番が回り、その時が来た。
「ポッター家、ハリー」
ハリーは足が石のように重く、硬く感じた。
何とか歩き出せば、上級生達が自分の名前を反芻して、呟き、ダフネの時よりも喧騒が落ち着いて静かになっている。
ハリーは彼らを見ないように歩き、野次馬のような人々の視線を覆い隠すように組分け帽子を深く被った。
『不思議じゃ……なんと不思議な……』
帽子が頭に直接語り掛ける言葉は、ハリーが一度聞いたことのあるような物言いだった。
魔法界ではありふれた口癖なのかも知れないと一人で理解した。別にそんなことはない。
『君には勇気も知恵も、才能もある。そして力を試したいという気持ちも。それはつまり闇への探究心とも言える』
「……それって、スリザリンってこと?」
疑問をそのまま呟いた。
『とも限らない。だが、どこに入れたものか』
今のハリーにとって、スリザリンは絶対に入りたくない寮とは言い切れなかった。
『それだけの才能があれば、君はどの寮に行っても問題ないだろう。瞳を隠さずに、"良く見て"考えた方がいい』
ハリーは少しだけ迷ったが、帽子の言葉に従って、隠していた目元を出した。
目に映るのは、眩しい照明の光。残った新入生達、心配そうなロンの顔。
そして四つの長いテーブル。
グリフィンドールの席で上級生とこちらを見ているハーマイオニーの真っ直ぐな視線。
列車で手伝ってくれたロンの兄弟。
口が開いたままのネビル。
『勇気のある者、それがグリフィンドールさ』
スリザリンの方を見れば、ダフネが微笑みながら手を振り、ダフネに合わせて小太りの少年も手を振ろうとしたのをマルフォイが止めて、姿勢を正させている。
『スリザリンでは、まことの友を得る』
レイヴンクローやハッフルパフには直接の知り合いはいなかったが、誰もが期待するようにハリーの組分けを待っている。
『レイヴンクローは機知と学びの友を得ます』
『ハッフルパフではハッフルパフを』
「えっ」
『……失礼、ハッフルパフでは忠実と真実を』
訂正がなくとも、ハリーにハッフルパフを説明するのにはそれは十分な言葉だった。
そして、ハリーは彼らの視線から、もしかしたら、もう少し自分に自信を持っても良いんじゃないかと思った。
『どうかね?誰かが言うように、悪人が何処かに居るように見えるかね』
ハリーにはそうは思えなかった。闇の帝王の影はどこにも見当たらなかった。
「僕は……どの寮に選ばれるの?」
『確かに私は組分けする帽子だと歌ったが、選ぶとは一言も言っていない』
「えっ?」
『選ぶのは君だ、ハリー・ポッター。仮に何処かが嫌だ、と言ったとしても別の場所を選んだ、と言う意味になる。行動の全ては選択であり、そして選択には責任を持たなければならん』
ダフネが時折語る言葉のように、ハリーには内容が少し難しく感じられたが、意味は十分伝わった。
「……じゃあ、僕のお父さんや、お母さんは入ってた寮は……?」
『君は、君の選択をしなければならない』
「えっと、同じ場所がいいわけじゃなくて……僕はお父さんやお母さんが暮らした場所で、どんな風に思ったのか知りたいんだ。それに……僕に必要なのは……きっと"勇気"だと思うから」
『そう確信しているのなら──』
「──グリフィンドールッッ!!」
帽子の長い沈黙の末、ハリーはグリフィンドールへと組分けされた。
寮のテーブルからは歓声と拍手が沸き上がった。
これまで新入生に向けられた歓迎とは比べ物にならないほどの熱烈な声に迎えられ、ハリーはそれをはにかみながら受け入れた。
こうして、彼は自分自身の運命を選択した。