『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』   作:銀杏鹿

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5章【空気力学の基礎】
32『ギュゲスの指輪』


 

 

 部屋が静かになるのを見計らって、私はトランクから──

 

「こんばんは、です」

 

 ──出ようとすると、奇妙な眼鏡を掛けた出自不明の生徒、リリー・ムーンの青白い顔が出入り口に現れた。

 

 私は自作の透明薬を飲み、身体に〈クワイエタス〉を掛けているから殆ど足音も鳴らない。

 

 私の透明薬は出回っているものよりも性能が高いけれど、服までは透明にならないから、何も着られないのが難点だ。

 まあ、そもそも見えないのだから何の問題もない。

 

「なにゆえ服、着るしない?」

 

 ……どうやら本当に見えているらしい。参った。恐らくは眼鏡に高度な魔法が掛けられているのだろう。でなければ私の完璧な透明薬を見破る訳がない。

 

「……用事があるので。秘密にしていただけますか、ムーンさん」

 

「ムーン、違うです」

 

「……?」

 

「"むん"です」

 

「ムン?」

 

「口と言うの違うです。"むん"です」

 

「むん?」

 

「むん」

 

 ……ああ、"文"か。英語表記だと確かにムーンになってしまう。道理で純血かどうかも分からないわけだ。東アジアから留学して来ているのだろう。

 

「そう。むん。英語喋るの人はみんなむーんって言うです、むーん違う」

 

「貴女の見た目で"その発音"だと思う人はいないでしょうね」

 

「……そうです?」

 

 彼女の髪は薄緑色に近い銀髪で、しかも瞳は青い(今は得体の知れない眼鏡で隠れているけれど)。

 

「それに、東アジア由来の苗字を正確に発音できる魔法界の住人は殆どいないでしょうし。無理もないことです」

 

「分かるする、仕方ないです」

 

 物分かりが良い子だ。変な訛りはあるがこちらの言うことは問題なく理解出来ている。これなら〈服従の呪文〉を使わなくても説得できるだろう。

 

「というわけで、服を着ないで深夜に出歩くのは私の出身地の文化なので見逃してください。これも仕方ないことです」

 

「分かるするです」

 

 ……素直だ。むんが退いたのでトランクから出ると、他の子供達は寝息を立てていた。

 パンジーは私を見張るとか言っておきながら、よだれを垂らして思いっ切り熟睡している。

 

「では私は──」

 

「むん、一緒です」

 

「……え?」

 

 私の腕を掴む。着いてくるつもりなのか……一応透明薬の予備はあるけれど……

 

「夜に怖いの出る、むんは知るしてるです」

 

 良い事を聞いた。ダンブルドアの言葉を持ち出さないあたり、私の知らない何かがありそうだ。しかし今日の予定にはない。

 

「へぇ。それは大変ですね。今度、是非教えて頂けますか?」

 

「今、むんが守るする、です」

 

 彼女はパンジーと変わらない背丈で、私よりもだいぶ背が低い。彼女がそんなふうに言うのは、なんと言うか庇護欲や嗜虐心が刺激されてしまう。

 

「……でも、透明薬は服まで透明に出来ないので全部脱がなくてはいけませんよ」

 

「わかるする、脱ぐするです」

 

 全く恥じらいもなく脱ぎ捨ててしまった。素直過ぎる……何故スリザリンに……?

 

「これ、良いです?」

 

 ……いけない。この子は私のような捻じ曲がった者には関わってはいけない子だ。このままでは無知を良いことに、あることないこと吹き込んで私の思い通りになってしまう。無限に良からぬことが可能になる。

 

 そんなの愉快過ぎて死んでしまう。

 

 ダメだ、誰か、私を助けてほしい!

 

 でも、都合良く助けてくれるヒーローなんて現実にはいない。私は自ら私を救わなくてはいけないのだ。

 

「その状態でも、杖を持っていたら分かってしまいますよね?」

 

「そうです?」

 

「ええ。貴女が見えなくても杖があったら分かります。杖を持って行けないのです。ですが、杖がなくては危険ですよね?」

 

「む?それ、むんとあなた違うです?」

 

「私は杖なしでも呪文が使えます」

 

「……わかるする……でも夜、怖いのことです。夜は"むーん"がでるです」

 

「むーん?」

 

「そうです。むんはむーんが怖いです。むーんは透明、透明なのは怖いのことです」

 

 ……言葉が通じているのに意味が理解できない。私はゴブリンどころか小型トロールの言葉すら理解できたのに。

 

「……私も今透明ですが……」

 

「むーんに食べられると、本当の透明になるです。透明の人は誰も分からないです。透明なるは、怖いのことです。本当の怖いは、見えないのことです」

 

 ……死を、"透明になる"と喩えているのだろうか。

 

「忠告感謝します。"透明"にならないように気をつけますね」

 

「いってらっしゃいです。鍵、開くしてるです」

 

 彼女が素直で本当に良かった。一歩間違えば、幼気な同級生を一矢纏わぬ姿で散歩する露出狂に仕立て上げるところだった。流石の私もそこまでは出来ない。

 

 ……何事にも段階というものがあるのだ。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 レベリオで周囲を索敵しながら深夜のホグワーツを歩く。

 私に見える範囲では、構内を見回る教員もそれほど多くはない。寝る必要のないゴーストは至る所で浮遊しているが彼らも透明化を見破れるわけではないらしい。

 

 目指すは"とても痛い死に方"をする場所。

 

 子供が暮らす空間にあって良いようなものではない。魔法界最強がそんなもの放置しているとすると、彼にすら対処不可能なのか……或いは彼自身が関与しているかだろう。

 

 何れにせよ私が死ぬのには都合が良い。

 

 前者なら折り紙付きの死の危険、後者なら私の死の原因を作ったことなり、きっと深く後悔してくれることだろう。

 

 それにしても、普段生徒はどうやって教室を行き来しているのだろう。経路が複雑で私には到底覚えられる気がしない。いくら優秀な私でも、"どうでも良いもの"は覚えられないのだ。

 お陰で暫く無駄に徘徊してしまった。

 

 用務員の飼い猫が面倒だったので、〈服従の呪文〉で近くにいたネズミを囮にした。

 杖なしでも小動物くらいには使えるのだ。自分の才能が怖くなってくる。

 

 どこかで見たようなネズミだったけど、仮に誰かのペットだとしたらご愁傷様だ。まあ、ホグワーツのような危険地帯で放し飼いにする方が悪い。そんなの虐待と変わらない。故に私は悪くないのだ。

 

 何故か呆然と立ち尽くしていた用務員を素通りし、3階の階段を登り、4階の廊下へ進む。

 

 ……辿り着いたのは一見して何の変哲もない廊下で、死の危険があるようには見えない。

 

 ダンブルドアでも対処できない危険なら、目に目えない何かであったとしても、おかしくない。

 それこそ、むんが言っていた透明な怪物が私の目の前で口を開けているのかも知れないのだ。

 ……レベリオを使っても見えないような存在がいるとすれば、という前提ではあるけれど。

 

 試しに床のタイルを変身術でネズミに変えて走らせてみる……何事もなく廊下の端まで辿り着いて帰って来た。

 動くモノに反応するものではない、か。4階の危険が魔法由来の何かだとすれば、生物として判定されたか微妙だ。

 

 何を使うべきか考えていると。先ほど〈服従の呪文〉を掛けたネズミが猫に追われて廊下を通り過ぎていった。

 ……間違いなく生物でも反応がまるでないか。

 

 結果として、概ね廊下自体には何もないと判断できる。

 まあ……そもそもレベリオを使った時点で近くの扉の奥に別の廊下があること、そしてその先に学校には似つかわしくない魔法生物の巨躯が見えていたのだから、ここまで警戒する必要はなかったかも知れないが。

 

 さて、扉の先にいるそれが死の危険だとすると、ダンブルドアに対処できない魔法生物ということになるが、ドラゴンやアクロマンチュラ程度なら対処できるだろうし、そもそも部屋に閉じ込めることに成功している時点で、"対処"出来ている。もはや危険でも何でもない。

 

 つまりは、後者だ。この死の危険は管理されたものでダンブルドアの手によって作られた状況。

 

 答え合わせをするには実際に扉を開けて、そこにいる魔法生物を確かめれば良い。見るだけで死ぬような、例えばコカトリスやバジリスクのような魔法生物でもなければ即死はしない。

 また即死するのなら、"とても痛い死に方"とは言わないだろうし、物理的にこの廊下に侵入できるようにする必要がない。

 というか、レベリオでもう大体の見当は付いている。

 

 変身術で鍵の形を変えて扉を開く。

 

 すやすやと眠っていたのは観測通り、巨大でふわふわした毛並みの三頭犬。

 あまりに希少なためにM.O.M分類すらされていない魔法生物だ。

 M.O.M分類は魔法省が定めているモノである以上、殆ど認知されていないかつ個体数の少ない魔法生物に関しては危険度を定めていない場合がある。三頭犬の他にはコカトリス等が該当する。

 

 ……魔法省の魔法生物規制管理部すら把握していない希少な魔法生物がホグワーツに……!

 

 是非とも欲しいところではあるけれど、首輪が付いているところから察するに恐らくは誰かの飼い犬だろう。

 ……そう、"飼い犬"なのだ。制御できない何かではなく。

 

 ……何が死の危険だ。大方、悪戯に構内を歩き回ると危険だと身を持って教えるための仕込みだろう。

 愚かで勇敢な子供たちが好き勝手に冒険しないように、場所を知らせた罠であらかじめ怖い思いをさせておくのだ。

 禁じられた森を探索されて死傷者や行方不明者が出る前に。全く。素晴らしく教育的で感動した。この調子だと他の死の危険も安全に管理されているに違いない。

 

 それこそ、"目に見えないモノ"、見つかっていないものでもない限り。

 

「〈レベリオ 現れよ〉」

 

 ……三頭犬の身体の下に扉があるのが見えたが、犬を退かさない限りは進めないだろう。……学生でどうにかできるようにも見えないし、犬に言葉が通じる訳もない。

 本当に大事なものを隠しているのなら、わざわざ知らせる訳がないが……まあ方法が思い付けばその内確かめてみよう。流石に丸腰では無理だ。

 

 だが、もし三頭犬を退けて先に進むことを想定しているとすれば……本当に危険なのはダンブルドアの思惑そのものなのではないだろうか。

 

 ……三頭犬という"子供騙し"の先に進めるのはどう考えても大人だけだ。

 ……食堂に居たのは子供だけではなく、教員と用務員、そして森番の半巨人、図書館の司書。

 例えば、ダンブルドアは何かしらの理由によって大人達を疑っていて、彼の言葉は子供ではなくそう言った大人に向けた言葉だとしたら?

 なんせ、数年前にもホグワーツに潜り込んだ闇の魔法使いによる生徒の殺傷事件が起きているのだから、何が潜んでいてもおかしくない。

 

 多少の論理的な思考ができるのであれば、どう考えても彼の言葉は罠だと理解できるだろうが、純粋な魔法界の住人の大多数は残念ながら、熟慮しない。原因を考えるとキリがないので今は置いておく。

 

 大人は生徒と違って見回りと言えば深夜も自由に出歩ける、ここに訪れて犬のことを知れば、素直に飼い主を探してしまう可能性が高い。

 そして、ダンブルドアは誰が部屋の先にあるものを狙っているのかを容易に知ることが出来てしまう。疑わしい者以外の大人に、あらかじめこの罠のことを共有しておけば良いだけだからだ。

 まあ、流石に本人が聞いて回ることはないだろうから、誰かに〈服従の呪文〉でも掛けるだろうけれど、それぞれの人員の居所を把握していれば逆算して誰がそれを行ったのか特定できるだろう。

 ……身もふたもないことを言うのなら、そもそも大人全員に〈開心術〉か〈服従の呪文〉でも使えば良いだけだが……そうしないでわざわざこんな迂遠な手段で誘き出しを図るのは何かしらの理由があるのだろう。

 

 例えば──彼自身が"直接"手を下せない相手だとか。

 

 ……私に思いつく程度の内容が全てだとは思わないが──いや。

 

 どうやら長居し過ぎたらしい。いつのまにか三頭犬が私の方をジッと見つめて首を傾げていた。匂いか何かで存在が分かるのだろう。

 

 確かめようとしているのか、三つのもふもふが私に近付いてくる。

 

 くっ……あまりに毛並みがふわふわとしている……!撫でたい……!

 

 私は唇を噛み締めてその気持ちを抑えながら、お辞儀をして退室した。透明薬の効果が切れてしまう前に帰らなければならないからだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「──」

 

 扉の鍵を元の形にして寮に帰ろうと振り返ると、廊下の先に小さな灯りと二つの人影が見えた。

 

 まあ、私の姿は絶対に見えないし、誰が来ようとも何の問題もない。

 

 あの部屋に侵入を検知するような魔法が仕掛けられていたとしても、想定されるダンブルドアの罠の仕組みから考えて、ここで捕まるようなことは起きない筈だ。疑いが確実になるまで泳がされるだろう。

 

 私は何事もないように、先ほどの用務員と同じように素通りすれば良いだけ──

 

「ダフネ・グリーングラス、そこにいるのは分かっている」

 

 ──とは、いかないようだった。

 

 さて、どうしたものか。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

tips

 

 

・リリー・ムーン

 原作『賢者の石』の組み分けでの呼び出しの際に登場。ムーンと苗字だけ呼ばれ、その後原作では一度も登場しないし、どの寮に組み分けられたのかも不明。原作者の明かした同級生一覧でリリーという名前が明かされた。一部設定はルーナ・ラヴグッドに引き継がれたとか引き継がれなかったとか。

 

・ムン(moon)

 文の韓国語読み。英語表記にするとmoonになる。

 

・グラッドウィン・ムン(Gladwin Moon)

 『ホグワーツ・レガシー』に登場した韓国育ちの管理人。

 学生時代に虐めていた相手に大人になってからやり返され、デミガイズを恐れるようになった。

 






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