『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
魔法薬学の講義がグリフィンドールと合同なのは、スリザリン生の目の前でグリフィンドール生を減点するためだろう。流石は我らが寮監様である。
ジメジメした教室の棚には薬品を納めた小瓶が並んでいて、多くは危険物と書かれたラベルが貼ってある。薬品は用途と種別毎に整理されているらしく、部屋の主の神経質さが見て取れる。
なんせ、その中から更に名前と残りの容量で並べられているのだ。杖でそこまでの整理を行うような地味な呪文は知らないし、整い過ぎていて気持ち悪い。棚というのはもっと雑然としているものだろう。それにしても──
「……ドラコ、折角合同なんだから交友を深めるのが正しい社交ってものじゃない?」
「この教室の状態が魔法界の正常だろ」
ドラコが見渡す教室に集まった生徒達は、当然の様にスリザリンとグリフィンドールで完全に二分されている。
丁度ハリーが見ていた私に気がついたので、手を振った。少年は小さく振り返してくれるけど、隣のロナルドはやっぱり嫌な顔をしている。
「……またポッターか?懲りな──」
「ハリー・ポッターだ!ねぇ!呪文撃ってもいい?死なないんだよね?」
「ノット、トロールを止めろ」
「君の下僕かい?俺には手に負えないね」
「なにを言って……っ!お前ら勝手に棚の薬品に触るんじゃない!」
「ふご、食べられるかと思って……」
「むんのおやつあげるの」
「お前も犬用のガム持ってるのか……」
「むご」
「そして食うのか…」
「──静粛に。只今より出席を取る。名を呼ばれた者は返事をする様に」
入り口が音もなく閉じ、セブルス・スネイプ教授が入室していた。気配がまるで感じられなかった。足音を消す呪文でも使っているのだろう。……何のために?ヒョコヒョコとか、愉快な足音が鳴る呪いにでも掛かったのだろうか?
名前を順番に読み上げる教授はハリー・ポッターの名前に差し掛かると、奇妙な顔をした。
「あぁ。ハリー・ポッター。我らが魔法界の英雄に出席頂けるとは、実に光栄だ」
侮蔑が込められた、冷たく嘲るような声。崇拝する相手か恋人でも殺されたみたいな目。
睨みつけられたハリーは何も言えずに教室の空気が凍っている。……早く進めてもらいたいので口を出そうか──と、思ったらドラコが態とらしく拍手をした。
そして何人かのスリザリン生も哀れな針の筵に拍手を送ると、教授は溜飲を下げて次の名前へ進んだ。
ドラコもハリーのことが嫌いなら放っておけば良かったんじゃないだろうか。よく分からない。
出席を取り終わった教授は教室を見渡し、重苦しく口を開いた。
「ここでは、魔法薬調剤の厳密な科学と、正確な技術を学ぶ」
教授の言葉は呟くような話し方の割によく響く声で、威圧感があった。普段から喉のケアや発声練習を欠かさないのだろう。
「杖を振り回さなければ魔法とは思えない愚か者も多いだろう。だが魔法薬学では煮え立つ大鍋と沸く湯気が、血管を巡る液体の繊細な力を操り、心を惑わせる魅力的な技法を齎す……諸君らにその全てを理解しろとは言わない」
やはり相当練習して来ているのだろう。こんな仰々しい演説をアドリブで披露しているのだったら既に〈陶酔薬〉を盛られている可能性が非常に高い。……まさか魔法薬学の教授に限ってそんなことはないだろう。
「我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法である──ただし、毎年押し付けられる"トロール"より諸君がましであればの話だが」
教授が大演説を終えても、歓声や拍手はなかった。辛すぎる。闇の界隈では大盛況間違いなしの口上でも、子供達にはまるで伝わらないのだ。
スリザリンの面々は先ほど侮辱の為に拍手を使ってしまったから何も出来ずにいる。
グリフィンドールの席ではグレンジャーさんが身を乗り出している。自分がトロールだと一刻も早く証明したいのだろうか。
「ポッター!」
教授は突然叫んだ。なんと、この白けた空気はハリーの責任だったのだ、教授が呼ぶのだからきっとそうなんだろう。なんと言う慧眼。スリザリンに10点。
「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」
……5年生くらいに習う内容だ。でも薬自体は有名だし、製法は知らなくても魔法族なら材料の一つや二つは知っていて当然だろう。
ハリーはロナルドに助けを求めるようにチラリと見る……が、残念ながらロナルドである彼に分かる筈がない。
もし、ウィーズリーの双子なら"アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを加えたもの"と、そのまま答えを返すだろう。
お下がりの多いロナルドでも、ユーモアは貰えなかったらしい。これが独占と貧困というモノだ。
一方、グレンジャーさんは高々と手を挙げた。やはり彼女にはスリザリンが向いている。
意図的に侮辱されている哀れな少年よりも、自己主張を優先して教授の侮辱に加担するなんて、スリザリン以外の何者でもないだろう。
「……わかりません」
──とハリーが答えると、教授は"期待通りの答え"(恐らく)に満足そうな笑みを浮かべた。
「どうやら──」
またも態とらしく間を持たせた言い方だ。彼は演技の教授でもあるのだろうか。
「英雄の名声も薬学にはまるで役にも立たないらしい。勉強になったよポッター」
教授はハリーに対する皮肉を言いつつ、手を挙げたままのグレンジャーさんを放置して言及しないという、侮辱の離れ技を披露した。
「ポッターにもう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいといわれたら、どこを探すかね?」
グレンジャーさんは座りながら挙げられる限界まで手を伸ばして主張している。辛すぎる。私には耐えられない。
ドラコやトロールは笑っている。もし質問をされたら、彼らにも笑いの神が微笑むかも知れないのに。
「わかりません」
「……もし魔法薬学にほんの僅かにでも興味があれば、事前に教科書を開くこともあっただろうな。違うだろうか?」
まるでマグル社会出身の一年生でも、その質問にすぐ答えられた生徒が以前は居たような物言いだ。……彼自身とか?
グレンジャーさんが手を挙げてるしその通りなんだろうけど。
とは言え、ベゾアール石は解毒薬としては万能だし知っておくべき知識ではあるのは確かだ。"教科書を丸暗記"せずとも。
「ポッター、モンクスフードとウルフスベーンとの違いはなんだね?」
──ついにグレンジャーさんは椅子から立ち上がり教室の天井目掛けて手を伸ばした!
前言撤回したい。彼女はハッフルパフだった。次は逆立ちだろうか?それとも机に乗って踊り出すのかも知れない。
「わかりません」
しかしハリーは落ち着いていた。自分を全く助ける気のない素敵な友人がハッフルパフになっているのに。
「……トロールでも分かる問題を出してやろう。薬と毒の違いはなんだ?」
「えっと……わかりません。でも、ハーマイオニーはわかってるんじゃないですか?ほら、僕よりすごく詳しそうですよ?」
グリフィンドールの生徒達が笑い声をあげた。
──ああ、彼こそがスリザリンだった。
ハリーはここまでの屈辱を哀れなハッフルパフに押し付け、さらに教授まで揶揄してのけた。流石は英国魔法界の英雄である。
きっと彼は侮辱で闇の帝王を憤死させたのだ。
最終的に針の筵になった惨めなグレンジャーさんは、心外そうな表情で今後の寮内での自分の立場が決定したことにすら気が付いていない。あぁ、なんて可哀想な子だろうか。とても可愛らしい。
「グレンジャー、座りなさい」
不愉快そうな顔の教授が彼女を座らせた。……何故皮肉の一言も言わないのだろう?マグル生まれなら……いや、質問の答えを分かっていたからか。
「では教え──どうしたグリーングラス、答えたいのか?」
私が手を挙げて遮ると、教授は無表情のまま尋ねてきた。
「ええ、勿論」
教授が折角、模範的な講義の愉しみ方を教えてくれているのだ。
それを試さない理由はない。