『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
「……先ず飛行機と違うのは生身で乗っていると言うこと、つまり風圧を一部遮断する魔法が──」
グレンジャーさんは、グリフィンドールでも端の席で朝食にも手を付けずに『クィディッチ今昔』を手に口を開けたままの少年に解説していた。
私が三頭蛇の背に乗って、後ろから近付いているのにも気が付かずに。
「あ、あ、ハーマイオニー、後ろ……」
ロングボトム少年は真っ青になって震えていた。どうやら傷はすっかり治ったらしい。
「──なに?……え?」
「おはよう、グレンジャーさん。その本──」
私の会話を遮るようにフクロウ便が届き始めた。食堂の高い窓から次々に侵入して来たフクロウの群れが宛先の生徒へ郵便物を落としていく。
通り過ぎるフクロウをルーンスプールが眺めている。
《アレを捕まえて食おうぜ》
《きっと腹一杯だ、いつぶりだろう?》
《また紙にされる、ダメだ》
朝食のチキンを投げるとすっかり大人しくなった。
《おおぉぉぉぉ!》
《肉!肉だ!》
《こっちの分も残せよ》
私にはアストリアやワガドゥ、後は可哀想なお友達からのお手紙くらいしか届かないけど、ドラコには食べ切れない程のお菓子が頻繁に送られてくる。
お陰でスリザリンのテーブルはあからさまに豪華になっていて、朝食の彩りに差が出ていた。
高級品もいくらか含まれているが、概ね子供達が好きそうなお菓子ばかりだ。
糖蜜のプティングや大鍋ケーキ、ジャムドーナツ、蛙チョコレート、他には、食べると火を吹いたり爆発したりするような食事に適さないものまで雑多に揃っている。
理由は明白だ。
ドラコがスリザリン内で主導権を握る為。ドラコ自身も父親の意図を理解している。
食事に差をつける事で特別感を演出し、与える側だと印象を刷り込んでいるのだろう。単純だけれど効果的だ。
栄養よりも情報が主食の人々が相手なら、"マリアージュ・フレール"の"マルコポーロ"のように香り高い"紅茶のような液体"を口へ流し込み、オペラケーキやマカロンと言った"気の利いた"プチフールでも綺麗に並べ、瀟洒な雰囲気と能書きを加えておけば、さぞご機嫌を取れるだろう。
それらが殆どフランスのものだと気がつくこともなく。
まあ、そんな"上等なもの"は子供達には意味がない。
だからこそ"分かりやすいもの"ばかりなのだろう。
マグル生まれや貧困家庭の子供にも分かるような。
純血の振る舞いを要求されない寮からすれば良くは見えないかも知れない。
実際、グリフィンドールの生徒からは白い目で見られている。嫉妬も多分含まれているだろうけど。
「ああもう!ホグワーツは衛生観念ってご存知ないのね!いつもこれよ!」
「〈スコージファイ〉」
杖を振って抜け落ちた羽根まみれになったグレンジャーさんを綺麗にする。
「あ、ありがとう……"これ"がなければ朝食も落ち着けるのに……」
「婆ちゃんのフクロウだ!」
そして、低空飛行するフクロウからロングボトム宛の小さな包みが──
「うっ」
──グレンジャーさんの脳天に落ちて来た。
「は、ハーマイオニー……!」
「何なの!?貴方の家ってフクロウも間抜けなの!?」
「ご、ごめん」
小包の中身は白い煙が詰まっているように見えるガラス玉のような物だった。
「それ何かしら?ゴミ?」
苛立っているのかグレンジャーさんは辛辣だった。
「ゴミでしょうね。ロングボトム家のフクロウが他に運ぶものがあるとは思えません」
「〈思い出し玉〉だよ……!何か忘れてると教えてくれるんだ。えっと、こういうふうに握って、もし赤くなったら──」
思い出し玉は真っ赤に光りだした。
「何かを忘れてるようですね?」
「え、あ……」
私の言葉にまごつく彼。
彼の梯子状の神経組織(主に昆虫に見られる神経系)の中にある僅かな記憶域から何を思い出そうとしているのだろう。非常に困難な作業である。
「……ロングボトム。こんなものがダフネに当たったらどう謝罪してくれるんだ?」
近寄って来たドラコは、ロングボトム少年からゴミを取り上げて睨みつけた。
彼の後ろで少年トロールの二人がお菓子を貪り食っている。
ゴミの放っていた赤い光が消えている。ドラコに忘れていることはないらしい。
「え、あ、返してよ……」
「……お前が忘れてることなんて、こんなモノ使わなくても分かりきっているはずだ。違うか?」
……?何がドラコをそんなに怒らせたのだろう?勝手に私と話したから?嫉妬……?
うん、嫉妬だな。やきもちだなぁ。
こちらの様子を伺っていたハリーとロナルドが立ち上がるのが見えた。
……彼らも嫉妬したのも知れない……!
私を取り合って喧嘩が始まるのかも……!
「ねぇ──」
ハリーが声を──
そして、マクゴナガル先生がサッと現れた。
マクゴナガル教授も私を……!?
お気に入り過ぎて私を遂に自分のモノにしたくなってしまった……!?
「どうかなさいましたか?」
「教授、ごめんなさい。私には心に決めた人がいるんです……」
「貴女は一体何を言っているのですか?」
一方、ドラコは攻撃的な笑顔のまま、ゴミをロングボトムの手に返した。
「……借りただけですよ」
妙な弁解を呟いてドラコは戻って行った。
グリフィンドールから強奪した朝食を摘んでいる小トロール達を蹴飛ばしながら。
◆◆◆◆◆◆◆◆
快晴の空の下に涼しい風が吹いていた。
校庭を抜けた先の草地に、スリザリン寮生は時間通りに並んでいる。
といっても、自主的に集まったわけではなく、ドラコの号令で半強制的に講義開始の20分前に集められているだけだけれど。
ドラコと彼を手伝うノットの二人は、教員が雑に放置していた二十本の箒を点検していた。
「……嘘だろ、シューティング・スターじゃないか」
「ふふ……"古き良き時代"の箒だね」
「馬鹿言えノット。良い箒なら、20年前に製造会社が倒産したりしない。せめてクリーン・スイープかコメットならまだ使えるんだがな……大方、発売当初に安いからって騙されて買ったんだろう。こんな経年劣化で性能が落ちるようなゴミを……」
詳しいらしい。男の子はみんなこうなのだろうか。飛べれば何でも良い気がするけど。
「それで?箒マイスターさん、ビンテージ品の講評と蘊蓄を聞かせるために私達を集めたの?」
「ダフネ、お前はどこかの馬鹿が呪文や小細工を仕掛けるとは思わないのか?」
ドラコは点検しながら呟く。
「出来てもしないのが、大人でしょう?」
「僕らもあいつらも子供だろ」
「勿論、だから"出来るならする"って意味」
確かにむんさんの前例があるから、それが無いとは言い切れないし、グリフィンドールとの合同なら警戒して当然か。
魔法薬学の騒動から、あの寮への評価が著しく下がっているのが読み取れる。
「じゃあ、こっちから仕掛けるよ!」
「そうですパンジー様。やられる前にやる。当然です」
パンジーとトレイシーは既に杖を校舎の方に向けていて、グリフィンドールがいつ現れても先制攻撃できるように備えている。
「僕らがグリフィンドールなんか相手にしてどうする」
「グリフィンドールとはいつか戦いになるって先輩に聞いたよ!」
「むんも必要と思うするです、やるです」
むんさんも武闘派だった。変身術の時は放っておいても別に問題なかったのかも知れない。
「……いいか?聖28一族の数で言えばこちらの方が多いんだ。魔法省でも多くの役職を純血が埋めている。連中は将来、下らない仕事に就くんだ。そんな奴らと同じレベルまで落ちてどうする?」
「マルフォイ、怒ってるのは君だけじゃないってことさ」
「ノットの言いたいことも分かるが、大義名分を与えるな。相手が悪ければ何をしても許されると勘違いする。あの"身内"への反応を思い出して見ろ。不相応に賢しらというだけであの様だ。スリザリンなら穢れた血だとしても、宿題の代行くらいには存在を認められただろうに」
……グリフィンドールの身内というと、グレンジャーさんへの対応だろうか?
「で、何故そんなに怒っているの?」
微妙に殺気立っているのは気が付いていたけれど、私には何が原因か分からなかった。
「……ダフネ、お前は何とも思わないのか?」
「何が?」
「……お前がそう言う奴だからだよ」
何で呆れられているのだろう。心外だ。そう言う奴とは何だ。定義を明確にしなければ何もわからないでしょうに。
「よく聞け。今日使う箒は、妙な癖がある。どれかは勝手に動くだろうし、練習には向いていない」
むしろどう動くのか予測できなかったり、多少危険な方が面白い玩具だと私は思うけれど、ドラコはそうじゃないらしい。まるで大人みたいだなぁ。
「新しい箒を父上にお願いしておくが、今日はこいつらを使うしかないな」
ドラコが丁寧に箒を並べ終え、スリザリン寮生達にそう告げた頃、グリフィンドール生達が疎にやって来た。
あちらはまだ統率が取れていないらしい。
まあ、一年生の子供ならそんなものだろうけど、戦いになればすぐに勝てそうだ。
パンジーは棍棒みたいな杖を向け、並んだ箒の前で番犬のように彼らを警戒していたが、戦意のなさそうなグリフィンドール生達はただただ困惑していた。
程なくして、教官のマダム・フーチが来た。短い白髪に鷹のような黄色の目。老齢の割に背筋を真っ直ぐにして立っている。老いに対して抗えるだけの時間があるなんて信じられない贅沢だ。
「みんな箒のそばに立って。さあ、早く」
教官は挨拶も出席も取らない主義らしい。
箒が並べられていたことには何も言及しないのだろうか?点を与えても良い気がするが。
眺めていると、生徒達は箒の前に並んでいく。不思議な光景だ、大人しすぎる。〈服従の呪文〉でも使ったのだろうか?
「なにをボヤボヤしてるんですか?早く並びなさい!」
……怒られてしまった。なるほど、皆は怒られたくなかったらしい。
「待って下さい先生、ダフネは乗せられません」
ドラコが私を庇った。
「彼女がクィレル先生やスネイプ先生が言っていた問題児だとしても、授業は受けて貰います」
厳しい先生だなぁ。不幸な事故で私が死んでしまうかも知れない。
よし、やるか。
「何を言ってるんですか先生、話を聞いていないんですか?」
おお、怒ってる怒ってる。
「この授業は一年生で終えないといけないものです。箒に乗れない魔法使いなど居ませんから」
「……それで責任を取れるんですか?言いたくありませんが、僕は理事会にすぐに報告が出来ます、僕の父親をご存知でしょう?」
「私の教え方に文句をつけると?」
「いいえ。"安全な箒を生徒に与えてくれた"ので、お礼に親切心で忠言差し上げているのです」
「ではお父上に好きなように報告なさい」
「……何を」
「貴方のように親の名前を出してくる生徒に従ってしまえば、我儘を許すことになります!」
「……ここまで話が通じない大人は初めて出会いました」
「勉強になりましたね。では授業を──」
「──飛べれば良いんでしょう?〈アクシオ 来い!〉」
箒を手元に呼び寄せる。掴んだ箒はかなり年季が入っていて、枝はボロボロ、柄はヒビ割れ。どう見ても使い物にならないゴミだ。
「やめろダフネ──」
「やめなさい!勝手に──」
──まあ。別に何であろうが"作り変えれば"良いだけだけど。
変身術を使って、見た目はそのままに中身だけを新品のモノにする。まともな箒の構造さえ知っていれば私にとっては容易な魔法だ。
「上がれ」
箒が浮かび上がり、私は跨って地面を蹴った。
◆◆◆◆◆◆◆◆
ダフネ・グリーングラスが披露したのは、通常の箒の飛行方法とは似ても似つかない姿だった。
不自然な急加速と停止、見えない壁でも蹴っているような直角な旋回。
人体への負担を全く考慮しないのであれば可能な離れ業。
見ている生徒達が全員それを理解していた訳ではないが、少なくとも彼らが目にした事のあるお手本の動きからはかけ離れていた。
いくら魔法で、ある程度風や反動が軽減されているとは言え、乗っているのは人間である。
魔法界の箒は馬と同じように、乗り手の判断や感情にも反応するため、その箒の機動にも限界はある。
反動や痛みを完全に忘れることは出来ないからだ。
だが、鼻血が垂れていても気にせず飛行しているダフネ・グリーングラスには恐怖という感情を処理する機能が欠落していた。
ヒッポグリフとの事故以前に行っていた呪文での制御と、リミッターの外れた箒の機動力が組み合わさった結果が、気の狂った稲妻のような軌道を可能したのである。
ただし、外側から見れば高速で箒が暴走しているようにしか見えない有様であった。
彼女の飛行を"何をしているのか"理解できたのは目で追えたハリー・ポッターと、教官のマダム・フーチ、そしてドラコ・マルフォイのみ──。
◆◆◆◆◆◆◆◆
──。
「飛べるので問題ありませんよね?教官?」
降り立っても、彼らは何も言わなかった。きっと、私の技術に言葉もないのだろう!
さあ、私に授業を受ける許可を出すのだ!
「結構。貴女は見学で」
……?健康的に箒に乗れることを見せたのに、何故?
「先生、分かったでしょう!"あんな危険な飛び方"をする奴を箒には乗せてはいけないんですよ!誰かが真似したら死人が出ます!」
あんな飛び方?どういうことだろう?
「……その通りですね。ミスター・マルフォイ。ミス・グリーングラス、優を与えるので以降は見学に徹して下さい。くれぐれも勝手に箒を使わないように……スネイプ先生にも報告しておきます」
「……何で?」
「それが分からないからだ」
死ぬわけでもないのに、何を大袈裟な。