『ハリー・ポッターとか読んだことのないわたしが曇らせて死ぬ話』 作:銀杏鹿
彼らが空から真っ直ぐに向かってくるのが見える。
どんな顔をしているのかまでは見えないけれど、きっとドラコは"意図"を読み取ってくれるだろう。
ほら、早く捕まえないと、誰か怪我をしてしまうかも知れない……!
箒での事故なんて起こしたくはないでしょう……?
多少の怪我では死にもしないのに、ロングボトムなんて助けてしまうんだから!
「……何をしたのか知らないけどグリーングラス、このまま彼らが突っ込んできて、どうにかなるのかい?」
ノットが分かりきったことを聞いてくる。
「じゃあ、先ず私が太陽系の中心だとして──」
靴の爪先で足元に円を描く。
「──太陽系の内惑星軌道半径を考えてもらうと、おおよそ金星から水星の位置」
「……え?」
「分からない?天文学的……いや、基礎占い学に基づいて言えば銅、水銀を象徴する星が並んでるのに分からないなら予習が足りないとしか言えないけれど……私を中心とした水星の公転軌道範囲が示しているのは──毒性、変容だから先ず間違いなく危険。でも、この範囲じゃなければ無事かと言うと違う。金星の軌道は銅、緑青の保護があるから占星的に十分な距離のよう見えるかも知れない、だけどこの二つが持つ象徴と円周は錬金術的にはアマルガムとして水星と合わさって半径が縮まることを意味しているから、水銀と銅が化合しているこの縮小される軌道上は危険圏という結果が占える。これでどう?」
わざわざ足元に線を引いて分かりやすく噛み砕いた私の説明を聞いて尚──
「トレイシー、翻訳してくれないかい?俺には蛇語に聞こえる」
「……分かりません……全然分かりません……」
「泣かないで!私もわかんないよ!」
──生徒達は釈然としない顔をしていた。
「……じゃあ、星二つ分、離れると助かる、です?」
むんさんを除いて。
「素晴らしい、スリザリンに1点」
むしろ理解できなかった他の生徒を減点したいが、むんさんに免じて許してやろう。
「分かった?あまり近寄られると困るのだけれど」
「ありがとう!俺らは離れてるよ!医務室に行く生徒はもう十分だからね!」
「……パンジー様、向こうでゴブストーンをしましょう」
「え、うん?」
ノットがそそくさと逃げていくのを見て、呆然としていた他の生徒達も離れていく。いやぁ、良かった良かった。
「何で逃げないの?」
ロナルドが余計なお世話をしてきた。
ウィーズリー家の善性とやらだろうか。
「私を中心にした範囲が危険だって言いましたよね?それとも、貴方が肉壁になりますか?」
「僕ら魔法使いだよね!?魔法使おう!?」
盾にしようとする私の手から逃げるロナルド。
「えっ、ロナルド君って魔法使いだったんですか?」
「すごいや、グリーングラスにも知らないことってあるんだ!」
「皮肉の解説をして差し上げますね?貴方が優れた魔法使いではないのを大袈裟に言っているところが笑いどころですよ。それとも、貴方は今の状況を何とか出来る魔法使いなのでしょうか?」
「ぼ……僕じゃなくても……誰か……そうだ!ハーマイオニー!」
「えっ、私?」
まだ逃げていなかったグレンジャーさんは突然の指名に驚いていた。
「教科書なんて全部暗記したって言ってたじゃないか」
「それを魔法薬学で嘲笑ったのはどこのグリフィンドールでしたっけ?」
「うっ、それは……」
「……いいわ。別に」
グレンジャーさんはそう言いつつも気にしてはいるようで、表情は少し曇っていた。
申し訳ないけれど、ウィーズリーに絆される機会など与えない。ロナルド本人が多少愉快な性能でも、純血家系で兄が優秀、さらに親が魔法省の職員とあればマグル生まれにしてみれば何とも有難い相手だ。
「……さっきの出鱈目な話はともかく問題は──箒の旋回性能がどのくらいか分からないけれど、飛行機のプルアウトと同じと考えれば、角度と速さ。急降下から水平か上昇に持ち直すためには、立て直すための円運動の円周、つまり"距離"がかなり必要になる。距離が足りなくても、速すぎても地面に衝突してしまうわ」
初めて箒の講義を受けているとは思えない発想だ。状況をきちんと把握できている。
彼女が抱えている『クィディッチ今昔』にはそんなことは書いていない、殆どの魔法使いは感覚的に理解していることだから。
「……ハーマイオニーも何言ってるかわかんないんだけど、何の話?」
「航空力学も知らずに空を飛ぼうとするなんて無謀ね」
グレンジャーさんと全く同意見だった。
「箒が飛べる理由なんて知らなくても乗れるし飛べるよ」
肩をすくめているロナルドの方が、やはり魔法族としては一般的な意見なのだろう。マグルと違って墜落しても致命傷になり難いし。
「お二人とも、ご歓談中申し訳ないのですけれど、のんびりしてると来ますよ」
「……逃げれば良いわ。グリーングラスさんの位置を変えれば良い、今の角度が問題なら、ここを中心として離れれば角度は緩やかに出来る……だから」
……ロナルドと違って流石に分かるか。
「じゃあ逃げると危ないって嘘じゃん。さっきの話なんだったの?」
「全部嘘です」
「……」
ロナルドは口を開けたまま私を見つめて何も言わなかった。
「……箒に乗れば良いのよ。それで条件は揃うわ。どう?ロン・ウィーズリー君。お望み通り魔法使いらしい回答だけど、文句あるかしら?」
吐き捨てるように回答を終えるグレンジャーさん。
「えっ、グリーングラスを箒に乗せるの…….?さっきのもう忘れた……?」
「……ハリーとマルフォイが墜落するよりは犠牲者が減るわ、きっと」
素晴らしい、模範的な回答。けど懸念事項が足りていない。
「ですが残念なことに、勝負がつく前に先生方が戻って見つかれば、二人は退学になってしまいます。早く茶番を終わらせないと」
全く。最初から退学のことを言っておいてくれたら別の日に改めたのに。なぜ私がいないところでそんな重要な話をしてしまうのだろうか。
「……グリーングラスさん、わざと呼び寄せてるの?事故起きるかも知れないのに?」
「まさか。私は親切なので、学友がいなくなるのを漫然と眺めていることが出来ないだけですよ……それに──私が"ここ"に居て事故なんて起きるわけありませんし」
「うげぇ、良い性格してるって言われない?」
「ロナルド君にも私の良さがわかったんですね」
「褒めてないんだよなぁ……」
「ドラコはきっと分かります。私がどうして欲しいかなんて、彼には簡単ですから」
「本当かしら……」
グレンジャーさんは首を傾げている。
「……もういいや。これで事故が起きなかったら今年はキャノンズが優勝するよ」
そしてロナルドは呆れて去って行く。
「ハーマイオニー?なにしてんの?」
逃げるのが一人だと気がついたのか、間抜けが振り返って声を掛けた。
「放っておいて」
「あっそう」
ロナルドはグレンジャーさんを置いて去って行く。……なんだろう。愉快だ、とても。
「良いのですか?」
「ここで見捨てて怪我をさせるほど……恩知らずじゃないわ」
呟くように彼女はそう言った。
まあ、私の引いた線の内側から離れてくれないのは面倒だけど、それならそれなりに楽しむとしよう。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「本当にアイツは……!」
二人の追うスニジェットは、真っ直ぐダフネに向かって降下している。
ダフネの介入はドラコには想像できたことではあった。とはいえ水を差す可能性はそう高くないとは見積もっていた。決闘を煽ったのがダフネ自身だからだ。
哀れドラコ少年。他人の矜持と自分の欲望とを天秤に掛けられる女に執着されたのが運の尽きである。
上空から校庭まで辿り着く僅かな間。自由落下よりも遥か高速に加速する箒。切り付ける風。
箒を握る掌に力が籠るのは、何も焦りや緊張に限らない。そうしなければ制御できないからだ。
いくらか魔法的に軽減されているとはいえ、加速すればするほどに圧力が掛かるのは魔法界の箒でも変わらない。
まして、無理に切り返せば不慣れな初心者の意識など瞬く間に刈り取られる。
残酷だが、箒を得れば飛べると言うのは錯覚に過ぎない。
飛行機を発明したマグル同様、鳥のように自由に飛べる訳ではなく、"乗って"いるだけだ。
だからこそ〈自由飛行術〉は無二の発明であり、それを成した闇の帝王の偉大さは真実であった。
ドラコの問題を複雑にしているのはそれだけではない。
余計な観客、ハーマイオニー・グレンジャーが逃げずに残っていたのだ。
ありがちな仲間意識やら善性の披露したいならロングボトムがあの世に飛び立つ前に面倒を見ておけと、彼は内心皮肉る。
しかし思い描く勝利を手にする為には、あまりに前提条件が多く──
「ポッター!!」
ドラコは叫ぶ。もはや彼一人に手に負えないという真っ当な判断であった。
「返事はしなくていい!」
ハリーは彼の顔を見ようとしたが、今や操縦で精一杯だった。
「勝負を降りた方がいい!このまま進めばもう切り返せない!こんな箒じゃ初心者には無理だ!」
……彼は自分でも限りなく親切心を込めて伝えたつもりだった。──だが。
「降参なんてしないよ!」
"勝負を諦めろと言われた英雄"としては素直な反応ではあった。
「人の親切を──!」
ドラコ少年は見誤った。
彼は自身に向けられた数々の"正しい言葉"に対し、皮肉や理不尽を感じて来た筈だった。
その彼自身が正しい言葉を使ってしまった。
多くの人間にとって発言の中身など、それを言う者への印象に比べれば微々たる効果しか発揮しない。
魔法とは無縁な、単なる傾向だ。社会生活をある程度経験しているならば、わざわざ説明するでもなく、特別優れた見識でもない。寧ろ賢しらに述べること自体が愚かしいと評価されかねないだろう。
だが大多数は自覚なく、自身が思考した上で正しく判断していると信じている。
"まともな感性の人間"からすれば理解し難い話ではあるが、"中身"──つまり論理性や合理性を検討するのはダフネやハーマイオニーのような一部の変わり者だけだ。
とはいえ、家名の為に優遇されていたり、"変わり者"と話していた少年にそれを踏まえて会話しろ、と言うのは酷な話だったのかも知れない。
「くっ──」
大地と観客達が目前に迫りつつある。
上昇するための距離はもう存在しない。水平軌道に戻すにも心許ないだろう。
墜落は避けられない。このままではスニジェットに追いつくことも出来ない。
故に、彼には諦める他に道は存在しなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「……」
彼は諦めた。
──ドラコは"軌道の回復を諦め"、姿勢を更に低くした。
誰も傷つけない道を諦め、
自分の身の安全を諦め、
ダフネへの心配を諦めた。
勝ったところで迎えてくれるのは地面か保健室のベッドだけだ。
しかし、彼は信じていた。
ダフネ・グリーングラスが"全くの無策に落下と衝突を受け入れる筈がない"と。彼とて彼女の策に乗るのは屈辱的だった、だからこそ己の範囲で解決を図っていた。
だが、この一時は諦めた。掌の上で遊ばれていることを認め──ダフネの望む遊びに興じてやろうと。
それだけの選択で箒はさらに加速し、並んでいたハリーを引き離していく。
"箒は乗り手の恐怖を理解する"
己の痛みを躊躇わないのであれば、箒はそれに応える。ダフネがあり得ない挙動を見せたように。
「えっ……!?」
同じ性能の箒に乗っている筈のハリーには理解できなかった。
確かに彼には才能があったが、今はまだ空気力学への入門を果たしたに過ぎない少年であり、ドラコの忠告は加速を無意識に躊躇わせていた。
「悪いなポッター!後ろから見てるといい!」
更に、片手で箒を掴みながら、ドラコは杖を取り出す──
呪文を使うなど卑怯にも思えるかも知れない。
だが、これはクィディッチではない。
使っている箒が同じでも公正公平なゲームなどではなく、技量を試す競技でもない。何より、彼はスリザリンだった。
「〈デパルソ 除け──!〉」
──そして彼は、"自分の箒"に向かって放った。
デパルソは単純な呪文だ。対象を多少吹き飛ばすだけのチャームでしかない。
だがこの段階においては、その多寡が知れている距離は決定的な差を生む──
「──っ!」
ドラコは振り落とされそうになりながらも、スニジェットへ向けて直滑降し──
──スニジェットを掴んだ。