・ルミア島の各所に実験の過程で遺伝子を操作した野生動物を放つ。
・この野生動物は実験体の成長を促すと同時に実験材料にした動物の廃棄処分も兼ねている。
・いずれの個体も従来の動物より凶暴性、攻撃性が増しており決して軽視していい存在ではない。
・その中でもより凶暴性や攻撃性が高い動物を変異体と呼称している。これは稀に島の各所で群れを形成している。
・一部これらの動物を軽視した結果返り討ちに遭う実験体もたまに目撃される。
何人たりとも寄せ付けない氷の女王。それが白を基調としたロリータ服を着た長いピンクの髪の少女、シャーロットが水色のスケートドレスに水色のツインテールの女性、エレナに抱いた第一印象だった。何度か会話を試みても短く切り上げられ、話が続かない。それは別段受け答えが出来ないとか、嫌悪感を出しているとかではなく必要以上のコミュニケーションをとろうとしていないようだった。
実験開始2日目の夜、野営の準備をしている時にシャーロットは思い切って同じチームメイトの迷彩服に黄色のジャケットを着た金髪の男、バニスに話しかける。
「バニスさん、エレナさんのことで相談があります。聞いてもらってもいいですか?」
「……あまりいいアドバイスは出来ないかもしれないが、僕でいいなら聞こう」
バニスはシャーロットの言葉に得物のショットガンの手入れをやめて向き直る。
「ありがとうございます、実は―――」
シャーロットはこれまでのエレナとの会話で感じた印象をバニスに伝える。
シャーロットは実験に関わる前、何も知らないのをいいことに他人にいいように利用され続けて果てに自身の大切なものを失ってしまった過去がある。それでも彼女はその行いで取り戻すことが出来た人々の笑顔を、絶望の中でも輝く小さな光を見た。それは彼女が進むべき道を決めるには十分すぎるものだった。
そしてそんなシャーロットはエレナを見て、話し、ある考えを持つに至る。必要以上の会話をしようとしないエレナの瞳に僅かばかりの恐れが見え隠れしているように見えたのだ。もしかしたら彼女も自分のように他人に利用されたり裏切られたり、という過去があるのではないだろうか。そしてそのせいで今もなお苦しみ続けているのではないだろうか、と。
シャーロットには傷を癒す光、治癒の力がVF能力として発現している。しかしそれはあくまで外傷を治せる、というものであって精神的な傷や病には効力を発揮しない。それでも、シャーロットは目の前で苦しんでいるだろうエレナをそのままにしてはおけなかった。故にバニスに自身の胸中を話し、彼の手を借りようとシャーロットは考えたのだった。
「お前の過去に何があったかは聞くつもりはない。だが何故会って日も浅い彼女を助けようと?」
「心の問題というのは繊細なものだ…それが踏み込むべきでないものだったらどうする?」
「それは……」
バニスの言葉にすぐ返す言葉が思いつかず口ごもるシャーロット。しかしここで止まっていては何にもならない、と今一度バニスの目を見て口を開く。
「もし間違いならそれで構いません。会って日が浅いとか付き合いが長いとか関係ありません。ただ……エレナさんの助けになりたい。それじゃダメでしょうか?」
彼女の真っすぐな想いが視線に乗る。バニスはその言葉を聞き、目を閉じ溜息をつく。しかしその口角は僅かに上がっているのだった。
「分かった。正直に言うと苦手分野だが…それでも僕に出来ることはやろう、約束する」
協力を得られると分かりシャーロットの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、バニスさん。一緒に頑張りましょうね、エレナさんと3人で」
「あぁ、よろしく頼む」
こうしてシャーロットとバニスの2人によるエレナの心を救う計画が発足するのだった。
「エレナさん、些細な怪我でも私に教えてくださいね。治癒なら任せてください!」
「そうですか、気持ちだけで結構ですのでバニスさんのほうをフォローしてあげてください」
「え…でも……」
「最悪私は犠牲になっても構いません、1人でも何とか逃げ延びるくらいは出来ます」
「そんな……」
「エレナさん、その……腕の傷…」
「心配いりません、止血はできています。貴女は休んで下さって構いません」
「……はい」
「エレナさん…その…」
「何ですか?」
「…いえ、やっぱり何でもないです」
「……」
取り付く島もないとはまさにこのことだろうか。必死に何か話題を探りエレナと親交を深めようとしていたシャーロットだがいずれも話が続かず、ついには何を話していいのか分からなくなってしまったのだった。
「……」
その様子を察して見かねたのか、溜息をつきつつも2人を先導して前を歩くエレナにバニスが声をかける。
「なぁエレナ。…その、もう少しシャーロットの声に耳を傾けてやってくれないか」
「…はい?話なら聞いてますが、これ以上何を?」
「……確かに、シャーロットが黙ってしまうのも分かるな。いやすまなかった、忘れてくれ」
エレナとの短い会話を終わらせ、バニスはシャーロットの元へと戻ってくる。シャーロットはエレナとの会話が上手く行かなくて落ち込んでいる様子で、そこにバニスが目線を合わせるようにして僅かにかがみながら声をかける。
「シャーロット、あまり気を落とすな。だがアレは少々骨が折れるようだ……」
「バニスさん、それって…」
「考えはある。だがこれはお前が実行しなければ意味がない、出来るか?」
バニスがじっとシャーロットの目を見つめて問う。体格もよく強面なバニスだがシャーロットは彼の視線に見え隠れする優しさを感じ取る、そして俯いた顔を上げ真っすぐにバニスを見つめ返して答える。
「やります、いえ……やってみせます」
そう答えたシャーロットの顔からは覚悟が決まったことが伺える。その顔を見て満足したバニスはその返事を待っていたと言わんばかりに彼女に自身の考えを話し始めるのだった―――。
「エレナさん!」
これまでとは打って変わって明確な意思が籠った目で、声でエレナの前に立つシャーロット。
「……今度は何ですか?」
態とらしく溜息をついてシャーロットに向き直るエレナ。その目が早く用件を言えと言わんばかりにシャーロットをじっと見る。
「エレナさん、その……」
その鋭い視線で僅かにたじろいでしまうシャーロット。しかしそれを一瞬目を伏せて払拭すると今一度エレナの目を見て言葉を紡ぐ。
「エレナさん、どうしてもっと私たちを頼ってくれないんですか?」
シャーロットの訴えにエレナの表情が少し強張る。真っすぐな視線を受ける彼女の目線が僅かに逸れる。
「…そんなつもりはありません。私は」
「じゃあどうして頑なに私の治療を拒むんですか!」
「…ッ」
普段は柔和な雰囲気のシャーロットとはかけ離れた強い語気にエレナも気圧される。そんなシャーロットの目は潤んでいて今にも泣きだしそうな表情をしているのだった。
「そんなに私が信じられませんか!?バニスさんのことも信じられませんか!?」
「私たちが貴女を見捨てていくほど冷たい人に見えますか!?」
ついには泣き崩れてしまったシャーロットを前に言葉を失ってしまうエレナ。少し離れたところでバニスは話を聞いていたが、確かにバニスはシャーロットにエレナにこう話してみろ、と言いはしたが涙ながらに訴えるまでやるとは思っていなかったようで事の顛末をどうなるやら、と遠巻きに眺めている。
「…………」
シャーロットの涙の訴えはエレナの心に響いたのか。エレナは泣き止まないシャーロットの頬に手を添えて諭すようにゆっくりと話し始める。
「…その、申し訳ありません。どう言葉にすればいいのか分かりませんが……」
その声色、仕草は明らかに動揺を露わにしていて。
「……ここまで思いつめさせてしまう程、私は貴女を傷つけてしまったのですね」
瞳には哀しみを浮かべ。
「……少し、昔話に付き合っていただけますか?」
エレナはついに固く閉ざしていた心の扉を開けるための一歩を踏み出す。
夜。焚火を囲み座っている3人。そのうちの1人であるエレナが昔話と称し自身の過去話、このルミア島へやってくる前に経験したことをぽつぽつと話し出す。
かつて自分は将来を期待される有望なフィギュアスケーターだったこと。そんな中でやって来たスランプ、それに重なるように舞い込んでくる突然の父親の死。ショックに打ちひしがれる暇もなく始まる身内による遺産争い。その最中、義母と信頼していたコーチに裏切られ死の淵をさまよったこと。その折、VF能力に目覚めたことで生還し自分の手で復讐を果たしたこと…。
信じていた人の裏切り。それによって命を落としそうになったこと。それはエレナが人間不信に陥る理由としては十分すぎる出来事だった。何か過去にしがらみがあるだろう、と踏んでいたバニスはその話に静かに耳を傾けていた。一方のシャーロットは思わぬ重い過去に驚きを隠せずにいたのだった。
「……エレナさん」
「何ですか?」
「ごめんなさい、エレナさんのこと何も知らないで私はあんなことを…」
「いいんです。シャーロットさんの言い分も、分かりますから」
過去を2人に打ち明けたエレナの顔は、話す前より少し柔和な雰囲気を感じさせるものになっていた。自らの行いを詫びるシャーロットの言葉を優しく受け止める。その様からは全てを拒む氷の女王の様相は感じられなくなっていた。
「…僕からも詫びさせて欲しい。シャーロットにそう話すよう持ち掛けたのは僕だ。キミの過去に何かある、と分かっていながらだ」
「バニスさんも心配して下さったのですね、謝ることはありません。私もこうして…決心することが出来ましたので」
エレナの言葉にそうか、と短く返すと焚火で焼いた猪の肉をエレナに渡す。エレナはそれを受け取り、そのまま口に含む。二口三口、とそれを繰り返し一息ついた後にエレナは再び口を開く。
「シャーロットさん、バニスさん」
「はい、何ですかエレナさん」
「何だ」
2人に呼びかけた後、一瞬逡巡するように視線を逸らしたが覚悟を決めたのか2人に向き直り、告げる。
「これからは3人で、共に生き残りましょう。そのために私は―――」
「もう一度、誰かを信じてみようと思います」
そして柔らかな笑みを作り、右手を差し伸べる。
「私と共に、歩んでいただけますか?」
その言葉を、その仕草を受けバニスはふっと静かに笑みを零しながら、シャーロットは目を輝かせて満面の笑みで応える。
「…あぁ、生き残ろう。3人で」
「はい!もちろんです!」
その言葉と共に2人でエレナが差し伸べた手を握る。久しぶりに感じる人の手の温もり。エレナはそれをじっくりと噛みしめて、改めてこの2人と共に戦い抜く決心をするのだった。
「エレナ、僕があいつの脚を狙って止める。その隙に後ろにいる奴を仕留めてくれるか」
「えぇ、お安い御用です」
「バニスさんには私がついてますけど、エレナさんも無理しないでくださいね!」
「はい、必ず戻ってくると約束します」
エレナの信用を勝ち取った2人は順調な連携を構築し、敵として立ちはだかる他の実験体を次々と打ち倒していく。お互いを完全に信じ切っていることで互いの短所をかばい合うように、互いの長所を生かせるような連携を取り続けることが出来ているのだ。
「バニスさん、いい腕ですね。やりやすくて助かります。シャーロットさんも、いいサポートです」
「エレナ、キミが倒れず戻ってくると信じているから出来ることだ。キミのお陰でもある」
「そうですよ、もっと誇ってもいいです!」
「…ありがとう、ございます」
他人からの真っすぐな賞賛に慣れていないのか、ばつが悪そうに目を逸らすエレナ。心なしかその頬は僅かに紅潮しているようにも見えた。
実験開始からは96時間が経過し、5日目の朝を迎えた。エレナがV-PADで状況を確認すると残りは4チーム、人数は10人であると端末に表示された。
「残りは私たち含めて4チーム、10人のようですね。私たちは3人ですので残る敵は7人、でしょうか」
「そうなるな。欠員が出ているところを狙っておきたいところだが―――」
人数を確認し作戦を立てるエレナとバニス。真剣は表情で2人はV-PADで地図を確認し行先を考えている。それを少し離れたところで見ているシャーロットはあまり乗り気ではなさそうだ。
「できれば戦いたくはありませんけど…そうは言ってられませんよね」
「戦いたくないのは…私も、きっとバニスさんも同じです。それでも、生き残るにはこうするしかないんです。私たちが徒党を組んでも…研究者がそれを認めません」
暗い表情をするシャーロットに声をかけるエレナ。好き好んで戦いに身を投じる実験体はいないわけではないが、少なくともここにいる3人は好んで戦いに身を投じるような性格ではない。戦わずに済むならもちろんそうしたいしこんな島での実験もやらずに済むならそうしたいのだ。
「こんなことを平気でやれるようなら…それはもう人じゃない、獣と変わらない」
「僕はただ…獣を狩るだけだ」
2人の話を聞いていたバニスは2人にそう答える。いや、自分に言い聞かせている…のかもしれない。そう言ったバニスの顔もどこか暗く、そしてここではない遠くを見ていた。
更に半日が過ぎ、5日目の夜に差し掛かった頃。エレナたち3人の前へと2人の実験体がふらりと現れる。待ち伏せをしていた、というよりはばったり出くわしたような状況で3人の存在に気付いた2人がエレナたちに向き直り声をかける。
「おっと、構えないでください。私たちに戦う意思はありません」
「そーそー。この通り私たち2人でさ~、絶賛敗走中~」
両手を上げながら戦闘の意思がないことを示しているのは黒いジャケットを着てサングラスを付けた金髪の男、アレックス。自身を敗走中、と称するのは黄色のジャージを着崩し片手には酒の入った酒瓶を持った少女、ダイリン。
3人1組が基本のこの島のサバイバルで2人以下で行動している、というのは何かしら理由があるものだ。大抵は戦いに敗れてチームメイトが犠牲になるケースだがごくまれに何かしらの理由で別行動をとっているというケースも存在する。
「その言葉を信じろ、と?」
鵜呑みにはできない、とエレナは2人から目をそらさぬように、バニスは構えた散弾銃を下ろさぬままアレックスとダイリンに話しかける。
「信じてもらう必要はありません、がその銃は下ろしていただけませんか?戦う意思がないのは事実ですので」
両手を上げたまま手に何も持っていないことを強調するアレックス。その傍らで酒を呷るダイリンが続けて話す。
「というかさ~、もうそうやって戦うのやめない?もうめんどくさいし、何でこんなことしなきゃいけないのって話よ」
その言葉にシャーロットが一歩前に出て声をかける。
「やっぱり、こんなことしたくないですよね…。私ももう、正直これ以上やりたくはないです」
「でしょ~?だからえっと…名前分かんないや、貴女が横の2人説得してよ~。私はお酒があればそれでいいからさ~」
ダイリンの言葉を受けてシャーロットがエレナとバニスの方を向く。2人は次に来る言葉が分かっていたが、止めるようなことはせずシャーロットが話すのを待つ。
「…その、今まではやらなきゃやられるから…とやってきましたけど、今はその、この人たちも戦いたくないって言ってますし…見逃してあげませんか?」
「…確かに、無抵抗の人を態々相手する必要はないでしょう。シャーロットさんがそういうなら私は反対はしませんが、バニスさんはどうですか?」
シャーロットとエレナの目線がバニスの方へと向く。シャーロットはともかくエレナが反対しないことが意外だったのか僅かに目を見開いた彼は少し考えてふぅ、と一息ついて喋り始める。
「なら今すぐ逃げることだ。背中を撃つような真似はしないと約束しよう」
その言葉と共にずっと構えていた散弾銃を下ろす。ようやく下りた銃口にアレックスとダイリンがホッと胸を撫でおろす。
「確かに、仲良くお喋りという間柄でもありませんね。行きますよダイリン」
「は~い、じゃー運が良ければまたどこかで」
そう言い2人は踵を返しその場を後にする。背中は撃たない、と約束したバニスたちはそれを特に何もせず見送る。そうしようとした刹那―――。
「…!危ない下がって!」
その言葉と共にシャーロットを突き飛ばすエレナ。直後―――。
―――何かが通り過ぎ、エレナの全身をズタズタに切り裂いていった。
それはまさに一瞬の出来事だった。突き飛ばされたシャーロットは何が起きたか分からない、という表情で目の前の状況を見ていた。自分を突き飛ばしたエレナは糸が切れた人形のように地に頽れてしまった。
訳が分からない。
わけがわからない。
ワケガワカラナイ。
「エ、レナ……さん…?」
ようやっと絞り出すように出た声は極めてか細く、そして震えていた。倒れたエレナから目が離せない、奥から誰かがやってくるのが見える、さっき話をしていた2人じゃない。
「あら?予定とは少々違いますね、1人治療し損ねました」
片手で医療用のメスを弄びながら、鼻歌でも歌うような声で倒れたエレナに近づく青いセーターの上に白衣を羽織った女性、キャッシー。シャーロットごと纏めて討つつもりだったのだろうがどうやら目論見が外れたようだがそれを気にするそぶりはない。
「だからあたしがやると言ったんだ。あたしならその女ごと吹き飛ばせた」
キャッシーの背後から更にもう1人、灰色のスーツに身を包み身の丈ほどある長いケースを背負った女性、ヘイズがやってくる。その手にはアサルトライフルが握られている、背中のケースには銃器が入っているのだろう。
「どう……して……」
未だに目の前の事象を呑み込めていないシャーロットはただへたり込んでいる。そんな彼女を手にかけようとキャッシーがゆっくりと近づき、ヘイズはアサルトライフルの銃口を向け引鉄に指をかける。
「悪いな、アンタは騙されたんだ。計画したヤツの言葉を借りるなら、騙されるほうが阿呆なんだそうだ」
ヘイズがそう言い引鉄にかかる指に力を込める。
―――発砲音が鳴り響く。
だが火を吹いたのはヘイズの銃ではなかった。咄嗟にバニスがヘイズとキャッシーの足元に向けて散弾銃を撃ち込んだのだ。撃ち出したのは散弾ではなく特殊な投げ縄弾、それはすかさずヘイズとキャッシーの脚を拘束する。それは2人の意表を突くもので態勢を崩させるには十分すぎるものだった。
2人が態勢を崩した隙にバニスはへたり込むシャーロットを片腕で抱え込む。
「逃げるぞ」
そう短く告げた言葉は大きなものではなかったがシャーロットの意識を呼び戻すには十分なものだった。抱え込まれたシャーロットは倒れて動かなくなったエレナに手を伸ばす。
「ダメ!エレナさんが……!」
「もう無理だ。生きていたとしても助けには行けない」
「まだ死んだと決まったわけじゃ……!」
「みすみす死にに行くつもりか、エレナがそれを望んでいるとでも思うか?」
「……ッ!!」
分かっている。もう手遅れだと、助けに行ける見込みもその力も自分たちにはないことも。それでも、それでも―――。
助けたかった。自分たちのことを信じて、ここまで共に歩んでくれたエレナのことを。だがそれは、最早叶わない。シャーロットはバニスに抱えられながら、離れていくエレナの姿をただ見ていることしか出来なかった。
一方、バニスとシャーロットを逃がしたヘイズとキャッシーは恨めしげにバニスが逃げて行った方角を見ていた。
「してやられたな。1人は仕留めそこない、そして逃げられ…。これじゃ大して状況が変わらないな」
やれやれ、とため息をつくヘイズ。武器を仕舞い脚の傷の治療を始める。
「あら?怪我なら医者の私が…」
「やめろ、お前には任せられん」
ヘイズにそうあしらわれ残念そうな素振りを見せるキャッシー。ならばと先ほど自分が手にかけたエレナがいたほうを向く。しかし―――。
―――そこにエレナの姿はなかった。
「…あら、まだ息があったみたいですね」
「何だと?これで逃げられて反撃されたら笑い者だぞ」
「ふふ、心配いりません。ほら」
焦るヘイズを尻目にキャッシーは笑顔で地面のある場所を指さす。そこには何かを引きずったような跡と、それに続くように血痕が残っている。
「満身創痍に変わりはない、か。行くぞ、確実に仕留める」
「はい。医者として最期を看取ってあげませんと」
各々の応急処置を終えた2人は血痕を辿るように歩みを始めるのだった―――。
ヘイズたちから逃げ出したバニスとシャーロットの2人。バニスに連れられシャーロットは建物の陰に潜むように座り込んでいた。未だに目の前で起きたことが信じられないのか、膝を抱えて俯いている。
「どうして……どうしてこんなことに…」
「騙された、んだろうな。欠員が出たチーム同士で結託していたんだろう」
アレックスとダイリンに遇う前、確認した情報では残っていた実験体は4チーム、10人だった。1チームは3人が最大であるのでこれは全体で2人が脱落していることを示している。そしてバニスたちが遭遇したのはアレックスとダイリンの2人組、ヘイズとキャッシーの2人組、この4人である。お互いに1人ずつ脱落していたであろう彼らが何かしらの結託をしていたのならお互いを敵視しないのも納得はできる話である。
「こんなことのために…エレナさんは……あぁ…」
譫言のように同じことを繰り返し呟くシャーロット、彼女の精神状態は素人が見てもとてもいい状態とは言えないのが見て取れる。バニスが声をかけようとシャーロットのほうを振り向くが想像を超える酷さに何と声をかければいいのか分からなくなってしまうのだった。
バニスがどうしたものかと思案しているその時、隠れていた建物の近くにある茂みに何かが入り込む音が聞こえた。誰かがこちらに近づいているのか、と一度身を潜めて音を聞く。……しかしそれに続くような音は出るようなことはなく、静寂が広がるばかりである。
そして彼は同時に僅かだが鉄の臭いが漂っているように感じる。これは…血だろうか。負傷した何者かが茂みで力尽きている、と考えれば今の状況には当てはまるだろう。そう考えたバニスはまずは単身で茂みを調べてみることにする。茂みの中にはバニスの予想通り負傷した実験体…その遺体がそこにあった。問題はそれが―――
―――仲間として共に戦ってきたエレナだったということだ。
「……ッ」
あの状況から隙を見てここまで自力で移動してきたのだろう、辿って来たであろう道には引きずるような血痕がはっきりと残っていた。つまりそれは自分たちが逃げてきた時、まだ意識があったということを裏付けている。あの場でシャーロットに向けてああ言いはしたものの、見捨てる選択を取ってしまったことをバニスは後悔していた。出来ることなら自分だってエレナを救いに行きたかった、心の奥に秘めておこうと封じ込めていた感情が揺らぎ暴れ始める。
そうして逡巡しているうちに、起きて欲しくない出来事は立て続けに起こる。
「エレナ…さん…?」
近くを離れたバニスを気にかけてこちらに来たシャーロットが見てしまったのだ。変わり果てたエレナのその姿を。ただでさえエレナと別れてショックに打ちひしがれていた彼女にとってこれは死体に鞭を打つようなものだった。
「え…何ですか、これ……」
譫言のようにシャーロットが呟く。
「エレナさん……ねぇ、起きてください」
シャーロットの手が淡く光る。彼女のVF能力、治癒の力が行使されるが傷が癒えていく様子はない。
「嘘、ですよね…ねぇ、嘘だって、言って……」
シャーロットの瞳から大粒の涙が零れ始める。エレナが目を覚ます様子はない。
「嫌だ、ねぇ嫌……あぁ…」
既に亡骸となったエレナの手をシャーロットが取る。
「私、貴女を救えなかった……」
シャーロットの一連の行動をバニスはただ見ていることしか出来なかった。彼女の手を止めることなんて誰が出来ようか、出来る筈がない。最後にはただその場に立ち尽くし目を伏せることしか出来なくなってしまっていた。
改めてシャーロットのVF能力…治癒能力についてなのだが、彼女の祈りに呼応することで奇跡とも呼べる事象を起こすことが出来る、というのが研究によって判明している。一例として戦いの最中、僅かな時間だが自分とその仲間に向けられたあらゆる攻撃を無効化してみせる、という出来事が過去の事例にあったのだ。
そしてその奇跡が今回は……別の形で発現することになるのだった。
シャーロットが取ったエレナの手がピクリと動く。それにいち早く気づいたのはその手を握っていたシャーロットだ。
「え…?」
シャーロットですら信じられない、といった表情でエレナを見る。しかし僅かに、ほんの微かにだったが確かにエレナの目が、口が開いていくのをシャーロットは見た。
「エレナさん!!」
哀しみから一転、喜びが乗った声がエレナを呼ぶ。その声に目を伏せていたバニスも改めて状況を視認し、驚愕の表情を見せる。まさかあれから息を吹き返すなどとはとても思いもしなかった、まさに奇跡としか呼べない出来事に彼も驚きを隠せなかった。
「よせ、あまり激しく動かしてやるな。エレナ、聞こえているなら頷いてくれ、出来るか?」
冷静にエレナの身体の状態を見て無理をさせないよう労わるが、彼の声にも明らかに喜びの感情が混ざっていた。
「…大丈夫、です。少しなら…話せます」
バニスの声を聴いたエレナは頷きながらゆっくりと、微かな声で話し始める。
「すまなかった、お前を置いて行くような真似を」
「いいえ、きっと私も…同じ判断を、したでしょうから」
バニスは真っ先にあの場でエレナを捨て置く判断をしたことを詫びた。しかしそれを彼女は優しく受け止めて、シャーロットのほうに微かに開いた目を向ける。
「シャーロット…貴女が無事で、良かった…」
「そんな、私なんかよりエレナさんのほうが…」
無事でよかった、そう言おうとしたシャーロットをエレナが遮り首をゆっくり横に振る。その表情はとても穏やかで、それはまるで死期を悟った病人のような……。
「これはきっと…奇跡でしょう」
「シャーロット…貴女の願いが、祈りがくれた…奇跡」
「私に、僅かに許されたこの時間……」
ゆっくりと言葉を紡ぐエレナ、シャーロットはその先を想像してしまったのか再び哀しみに顔を歪ませる。
「貴女に、ありがとう、って言いたかった」
「……」
「言えずに、死んでしまうのは、嫌だった」
「……て」
「でもこれで、伝えられます」
「…やめて」
「貴女のお陰で、私はちゃんと、救われました」
「だから、貴女はどうか…生き、て……」
そしてエレナは最期の力を振り絞ってシャーロットを抱きしめる。そして、耳元で優しく「ありがとう」と呟いた後……、再びエレナは力尽き、再び物言わぬ骸となってしまったのだった。
「…ズルいですよ、エレナさん」
「こんなの…あんまりです」
「勝ち逃げじゃないですか……あ、ぁ…」
ついにシャーロットはエレナの亡骸を抱きしめ慟哭する。バニスはそれをただ傍で落ち着くまで静かにじっと待っていた。
だが、それを周りの実験体が許すはずはなかったのだ。
「あら、どうやら患者は既に息を引き取ったようですね」
「おまけにお連れ様2人がご登場。いいね、憂いをここで断てる」
エレナの血痕を辿ってやって来たのは先ほど出会ったキャッシーとヘイズの2人だった。バニスはすぐさま手に持っていた散弾銃を構え、いつでも撃てる態勢を取る。一方でシャーロットはエレナを抱えて俯いたまま、ヘイズとキャッシーには目もくれる様子がない。
「シャーロット、顔を上げろ。敵だ」
バニスが呼びかけても微動だにしない。動かなくなったエレナを抱えたまま、ずっと彼女の顔を見続けている。それを戦意を失ったと見たヘイズはすかさずシャーロットにアサルトライフルを向けて引鉄を―――
―――引けなかった。
銃器の不調だった訳ではない。誰かが邪魔をした訳でもない。ヘイズがシャーロットに情けを感じた訳でもない。ただ、ヘイズは恐れを感じて引鉄を引けなかったのだ。何に対して?それはヘイズ自身もよく分かっていなかった。だが何かを直感で感じ取ったその瞬間、引鉄を引いてはいけない気がしてしまったのだ。
「……」
その隙に気付けばシャーロットは立ち上がっていた。抱えていたエレナの遺体は彼女の足元に安置されている。そしてシャーロットの手には…エレナが持っていたレイピアが握られていた。
「バニスさん」
シャーロットはヘイズたちの方へゆっくりと顔を向けながらバニスに問う。
「貴方には、今何が見えていますか?」
バニスはその問いの意味を理解することが出来なかった。しかし次に発せられた言葉で否が応でもその言葉の意図に気付いてしまう。
「私は…これまでいろんな人に救いの手を差し伸べようとしてきました」
「バニスさん、言いましたよね?獣を狩るだけだって」
「獣なら…救わなくても、いいですよね?」
その言葉にバニスは思わず息をのんでしまう。自分の発した言葉がまさかこんな形で影響を与えてしまうことになろうとは思いもしなかったのだ。そして在り方が変わってしまった目の前の少女を見て…もうどうすることもできないのだろう、とも思ってしまったのだった。
「……そうだな」
「…悪く、思わないでくれ」
誰に向けるでもなくそうぼそりと呟き、散弾銃を構えなおすバニス。こうして最終生存者の座を奪い合う戦いの火蓋が切られるのだった。
―――結果から言えばシャーロットとバニスは最終生存者として生き残った。たった2人にも関わらず残っていたチーム、総勢7人を相手して生き残って見せたのだ。そこにはバニスの戦術によるものもいくつかあったが一番大きいと言えるのはシャーロットのVF能力が強大化したことにある。
エレナが脱落した後のシャーロットのVF能力の強度には目を見張るものがあった。具体例としてはシャーロットが受けた傷は瞬時に治癒する、彼女が与えた傷は極端に治癒速度が低下する、自己再生能力に関しては腕が吹き飛んでも数秒後には完全に再生している、という異常ぶりが確認された。
ルミア島の実験体は誰もがある程度の食事(栄養)や休息が足りていれば重傷を負ってもすぐに復帰できる程度の自己治癒能力を備えているが今回の実験で見せたシャーロットのそれは明らかに度を越したものと言える。自身の怪我を一切考慮しなくていいのなら、普通では取ることが出来ない戦法も実現できるようになってしまう。残った実験体たちはそれに当然対応できるはずもなく1人、また1人と脱落していくのだった―――。
そして最終生存者が確定したその頃…。
「エレナさん…私、生き延びましたよ……はは、ハハハ…」
虚ろな目をしたシャーロットが返り血に塗れたレイピアを片手に笑っている。そこには陽だまりのように温かった彼女の姿はもうどこにも存在しなかった。
そしてそんな彼女の傍らで戦っていたバニスは何か意を決したかのように彼女に近づく。
「バニスさん、私も、ちゃんと戦えて―――」
シャーロットが近寄るバニスに振り向きながら声をかけたその時―――
「…許せ」
振り返ったシャーロットの頭部を、バニスが放った散弾が撃ち抜いた。
場所は変わり、ルミア島の中央に位置する研究所。その一室で実験をモニタリングしていた研究員たちが忙しなく動き回っている。実験の終了に伴い最終生存者となった実験体を回収に向かったり、実験結果の記録を取ったりなどと彼らにはまだまだやることが多い。
そんな中で2人の研究員が今回の実験について話している。
「なぁ、終盤の
「Dr.K、映像ばかりで計器に目が行ってないな?
Dr.Kと呼ばれた研究員は指摘を受けて言葉を詰まらせる。そして続けざまに指摘した研究員が言葉を浴びせる。
「吹き飛ばされた腕が数秒後には完治していたんだぞ、明らかに通常の彼女のVF能力の強度を逸脱している。お前はもっとよく観察するんだな」
「ならDr.C、
言われっぱなしなのが嫌だったのか、そんな疑問を投げかける。しかしDr.Cと呼ばれた彼は事も無げに
「知らん。
とバッサリ切り捨てるのだった。そんな話をしている2人のところにもう1人、研究員が珈琲を持ってやってくる。
「2人ともお疲れ様、これ差し入れね。
「Dr.N、お疲れ様です。
何だかんだ気にはなっていたのかやって来たDr.Nに疑問を投げかけるDr.C。横でDr.Kが睨んでいるのを無視しながら彼は回答を待つ。
「勿論、最優先で聴取取ったのもそれが理由だからね。で、彼は一言だけ」
「僕は獣を撃った、ってさ」
その一言を聞いた2人は合点がいったような、理解が及んでいないような複雑な表情になる。彼の言う"獣"とは一体何を指す言葉なのか。シャーロットが最後まで正気だったならばこうはならなかったのだろうか。Dr.Nが放った言葉からはその疑問を解決させる糸口が見つかることはないだろう、と2人は察するのだった。
「しかし惜しいことをしましたね。
「馬鹿を言うな。あんな暴走に近い状態の実験体、俺たち研究員だけでどうにかなるわけがないだろ。実際に実験体が暴走した時も他の実験体の手を借りているんだぞ」
Dr.Kの言葉を遮りすかさずDr.Cが口をはさむ。
「そうでなくても記憶処理が挟まるから次回に持ち越しは無理だね、例外を出すわけにもいかないし無理な話だよ」
それに付け足すようにDr.Nが優しめに話す。2人の意見を聞いたDr.Kはため息をついてから貰った珈琲を呷る。
「さ、そろそろ仕事に戻らないと。あまり喋ってばかりだとDr.Mに何言われるか分からないよ」
Dr.Mの名前が出た途端に2人の顔が引きつる。そしてその言葉に応えるようにそれぞれの持ち場へと散って行くのだった。
「獣…モンスター、か」
「果たしてモンスターなのは彼らか、それとも私たちか…」
Dr.Nの呟きは誰が聞き届けるでもなく虚空へと消えていくのだった。
ルミア島第二次研究実験規定4(ハイパーループ)
・ルミア島各所に配置された島内の離れた区域と区域を一瞬で移動できる機械。
・電話ボックスのような形状をした機械に座標を打ち込むことで移動が可能になる。
・移動方法は瞬間移動なので時間が惜しい実験体がこぞって使っているのをよく目撃する。
・また使用時、実験体が身体の不調(吐き気、ふらふらするなど)を訴えるケースがあるが命に別状はない。
・現状こうして安定稼働しているが、ここに至るまでに様々は事故があった…らしい。