響鬼偽伝 まつろわぬ鬼   作:EpoMeta

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十之巻「動き出す宿命」

「鬼を闇の内から操るものがいる。人を襲う鬼たちの長だ」

「鬼たちの心の闇に忍び込み、彼らを言葉巧みに操るの」

 大地に叩きつけるように降りしきる雨の中で彼らはそう言う。私たちのように、彼らはそう続けた。暗雲の中に轟く雷鳴が相対する鬼たちを照らした。その光がぎらりと鬼の角に反射する。それは誰だと別の鬼が問いかける。

「……誰もその名を言えぬほどの、強き鬼の呪い」

「己の命だけにとどまらず、無数の他者の命を捧げなければ止まれない」

 私たちのように、彼らはやはりそう続けた。鬼は全身を震わせごう、と咆哮する。その周囲には打ち倒された家屋の残骸と鮮血の海が広がるばかりだ。

「だが、如何に堕ちた私たちとは言え奴を許すことはできない。無辜の人々のみならず鬼たちまでも死の渦に巻き込む奴を」

「だから手掛かりを残した。あなたなら必ず奴にたどり着けるはず」

 そう言い残した鬼の視線は諦観と悲哀が混じったものだった。その視線が別の鬼に突き刺さる。その鬼は手にした武器を構えた。

「どうか私たちの子供だけは……!」

 それが彼らの鬼としての、人間としての最期の言葉だった。一際大きな雷鳴が鬼の言葉をかき消してしまった。瞬間、周囲を大樹と雷撃による破壊が嘗め尽くした。豪雨が大地を打ち鳴らし、天災がその場に顕現した。

 

「……何か夢」

 オノノキは病院のベッドの上で目を覚ました。彼女は先の戦いで、立ち上がったゴキブリのような姿をした魔化魍ゴキカブリの毒を受け、病院へと搬送されていたのである。目覚めたばかりのオノノキの両眼からは、本人は分からないが何故だか涙が零れ落ちている。

 彼女は周囲の安全を確認すると大きく息を吐き一度目を閉じる。その瞼の裏には夢の中で向けられた鬼の悲しげな視線が残っていた。だが思い浮かべたその姿の向こう側から大きな声がかけられた。オノノキはこびりついたその鬼の姿を瞼を開けて視界の外側へと追いやる。

「おお?起きたかい?未知の毒素を味わった気分はどうだい?」

「……岩野先生。やなかんじーって気分」

 目を開いたオノノキの視界を、くりくりとした双眸が覗き込む。栗色の髪がオノノキの頬に触れる。オノノキは起き上がると、椅子に座っていた医者に目線をやった。

 「岩野 美玖(いわの みく)」。猛士の一員である女性であり、病院に勤務する医者でもある。その業務の中で鬼たちの身体を診療している。特に応急処置に秀でた、とっさの判断力に優れた医者だと猛士の内部でも評判だ。

「で、大丈夫そう?この身体?」

 オノノキが自分の身体を指し示しながら岩野に問いかける。彼女は机の上に広げていたカルテを手に取り、その内容に視線をやった。

「……まあ鬼の回復力があれば、一週間もすれば通常通り動けるでしょ。血液検査も問題なし」

「それじゃあ今すぐ」

 岩野の言葉を聞きすぐさまベッドから身を乗り出すオノノキ。そんな彼女を岩野は慌てて両手で押さえつける。

「ただし、無理はダメ!一週間程度は変身や激しい運動を控えてもらわないと……」

「うぇ。そろそろ見せないとなのに、カッコイイ主役の私の姿」

 けだるげに返事をするオノノキに、岩野は少し叱るような調子で口々に言葉を投げつける。

「一応退院って事にしておくけど薬は出しておくからちゃんと飲んでおいて。寝ている間に発熱もあったから解熱薬も一応出しておくけど何かあったらすぐに連絡して。とりあえず一週間様子を見てまた来週来て」

「……はい」

 矢継ぎ早に投げつけられる岩野の言葉に、流石のオノノキもたじろいだようで、彼女に対して素直に頷いた。その姿に岩野は呆れの混じったため息をついた。

「オノノキさんは結構私のところに来るけど、大体喰らわなくてもいいような攻撃を受けてるって分かってるから。いつか本当に痛い目見るよ!」

「げ、ばれてるのっ。ごめんなさい」

「ばれてるよ。医者の目を舐めないでくださいな」

 流石にその言葉は効いたのか、オノノキは普段の飄々とした態度を改め素直に頭を下げた。オノノキは優れた音撃戦士ではあるが、未知の攻撃に対する好奇心からそれをわざと受けて解き明かそうとする癖がある。一歩間違えれば命を落とす鬼の仕事現場ではそれは重大な悪癖と言っても過言ではない。高度なボディイメージの認識により高い再生能力を誇るオノノキだが、その能力に任せてこれまでの戦いでも幾度となく彼女はわざとの被弾を繰り返し、その度に岩野ら医者の世話になっていた。

「まあ、あなたのおかげで治療法の取っ掛かりになった事例もあるからそこは感謝するけど。もっと自分を労わって欲しいものね」

 岩野の言葉に、オノノキはただ頷くことしかできなかった。病室の窓からは陽光が差し込んでいる。

「一応、お迎えは来ているから準備ができたらとりあえず帰っても大丈夫よ」

「三途の川の渡し守」

「冥界希望だとしたら残念だけど、あなたの師匠よ」

 果たして、身だしなみを整え手続きを済ませ病院から出たオノノキを待ち受けていたのは、ロマンスグレーの頭髪を撫でつけ、高級なスーツを身に着けた筋骨隆々の老人だった。いかつい皺の刻まれた顔からは鋭い視線が覗いている。

「マジで重蔵先生だ」

「遅かったな、オノノキ。車の準備はできてるぞ」

 そう言うと重蔵は病院の駐車場に停められた車を指差し、オノノキに乗るように促した。オノノキはそれに従い車の方へ足を向けた。ドアを開けると、運転席に座っていたヒツギがオノノキに微笑みを投げかけた。オノノキも腕を軽く上げてそれに答えた。

「魔化魍ゴキカブリか……。私も資料で見るばかりの魔化魍だが、知らない魔化魍と見るとまず攻撃を受けるのは悪癖だな。いい加減に気を付けろ」

「げ。同じこと言ってる、岩野先生と」

「日に同じことを二度言われるのは、自分を振り返る好機ですよ」

 ヒツギが運転する車中で、オノノキは重蔵らとそうした会話を繰り返していた。しかし、一応は土着音撃組織「皐月会」の総帥であり「象」の本州北部地域部長である重蔵がこうして現場に赴くことは、そうした立場もあり少ない。それだけに、彼の外出は事態が深刻な局面に向かっていることを言葉なく語っていた。

「全く。オノノキ、お前にそんな戦い方を吹き込んだ奴を見てみたい」

 そう言い放つ重蔵に対し、ハンドルを握るヒツギは無言でバックミラーを彼の方へと向けた。それに気づいたのか、重蔵は居心地悪そうに咳払いをする。当然、オノノキの戦い方を指導したのは師匠である重蔵その人だ。

「ところで、煤ヶ澤小学校まではここからどれ程だ?」

「もう十数分ぐらいです。重蔵さんも久しぶりの現場でしょう、もっとリラックスされては?」

 ごまかすように会話の話題を逸らした重蔵に対し、ヒツギは面白そうに微笑みを返す。目線を外に向ける重蔵。オノノキも窓の外を眺めていた。その視線をトンネルの暗闇が隠した。そこに映るのは自分の顔だけだった。

「カッキさんもおそらくはそこで合流できると思います。現場ですしね」

 トンネルの闇を抜けると、錆びついた煤ヶ澤村の看板が彼らを出迎えた。陽はまだ昇ったばかりだ。

 

「おー、やっと来た来た。オノノキちゃん、元気?」

「……おかげさまで。助かりました」

 廃校舎の前で待っていたカッキは手を振り、オノノキらを出迎えた。その隣には鮎川ら「歩」の人たちもいる。彼らの服装は普段の山歩き以上に整えられ、殆ど肌の露出がないものであった。

「ヒツギさんも重蔵さんも、ご足労掛けました」

「いいさ、気にするな」

 頭を下げるカッキに、重蔵はその頭を上げるように促した。重蔵の隣に立つヒツギはゆっくりと校舎に向けて足を進めるとその手を合わせると、カッキらの方を見た。ふわりと法衣の裾がなびく。

「まだ、ご遺体は中に?」

「体育館が無事だったんで、とりあえずそこに。皆さんに手伝ってもらってね」

「そうですか……。ありがとうございます」

 ヒツギはそう言うと鮎川らに深々と頭を下げた。自分たちよりも縦にも横にも大きなその巨体からの深い礼に、思わず彼らもぎこちないながらも礼を返した。

「それじゃあ私は今から準備しますので、カッキさんたちは荷物を持って先に体育館の方へ」

「はいよー」

 ヒツギの言葉にカッキは返事をすると、彼らが乗ってきた車のトランクからどんどん荷物を取り出していく。そしてそれらをオノノキらに手渡し、体育館まで運ぶよう促した。その一方でヒツギは法衣を脱ぎ褌姿となると、車の後部座席に乗せた桐箱から自らの変身音叉と音撃武器を取り出した。

 ヒツギは手にした変身音叉「音宵(おんしょう)」をその手で打ち鳴らし自らの額にかざす。すると音叉から放たれる特殊な音波がヒツギの肉体を異形の姿へと変えていく。彼の身体を中心に湧き上がる光の奥から複雑な色合いで輝く腕が伸びたと思うと、光の勢いは収まりその中から鍛え上げられた肉体を持つ鬼が姿を現した。その顔は幾何学的な形状をした隈取ともとれる文様が線を引き、辛うじて顔のように見える。額に出現した厳めしい鬼面からは、二本の角が天を衝くように伸びていた。その鬼は傍らに脱いでいた法衣を着直し、桐箱から音撃武器装備帯を取り出し肩に袈裟懸けにした。その姿はまるで僧侶。彼こそが魔化魍らの犠牲者を弔うことを役割として背負った鬼「音撃戦士柩鬼」なのである。身なりを整えると柩鬼は一路体育館へと歩みを進めた。

 

 体育館の引き戸は錆びついており、柩鬼が手をかけると金属同士がこすれ合う異音を立てながらゆっくりと開いた。その中の様子を見て柩鬼は内心驚いた。管理のなっていない廃校とはいえ、広い体育館には思いのほか埃やごみはなかった。その広い床の上にブルーシートが敷かれ、その上には無数の人体の一部がもののように並べられている。その数も一人二人ではない。数十人分の遺体がずらりと並んでいた。しかもその中には腐敗や損壊が進んで骨だけとなり、元がどのような姿だったのか分からなくなっているものもいる。

「……これは、ひどいですね」

 その惨状を目の当たりにし、静かに柩鬼は呟いた。建物の端には変身して準備を整えた渇鬼やオノノキらが並び彼の到着を座りながら待っていた。

「警察には私から連絡して時間を作ってある。この方たちを頼みます」

 奥に座る重蔵が遺体に目をやりながら口を開く。その言葉に柩鬼は静かに頷いた。彼は遺体の前にゆっくりと座ると、まずその両手を合わせ祈りを捧げた。首から下げた鬼石製の数珠「祈遠(おりおん)」がじゃらりと音を立てる。そして肩から下げた装備帯から自らの音撃武器である「音撃魚鼓・羅恩(らおん)」を取り外し、それをブルーシートが敷かれた体育館の床に置く。するとそれはゆっくりと大きさを増し、座布団ほどの大きさとなった。さらにそこから床全体を包み込むように清廉な気が広がった。

 建物全体に気が十分広がったことを柩鬼は確認すると、大きな音撃棒のような形状の「音撃倍棒・臥躯(ふしく)」を片手に取り、音撃魚鼓をとん、と叩いた。そしてその幾何学模様が刻まれた顔から言葉を紡ぎ出していく。それに合わせて音撃倍棒も幾度となく音撃魚鼓を叩きリズムを作っていく。次第に柩鬼の声も大きくなっていく。邪を祓う言葉によって遺体の死後の安寧を祈祷しているのだ。体育館全体を柩鬼から放たれる清めの気が覆った。

「これが葬送の儀……」

「こんなに大規模なものは初めて見たぞ」

 鮎川らが柩鬼の姿を見ながら小さな声で呟いた。現地要員である「歩」は魔化魍の犠牲者に接する機会も少なくない。だが、体育館全体に並んだ遺体の数は彼らからしても膨大な数であった。

 魔化魍は大自然に満ちる邪悪なメタモルフォーゼの力によりこの世に生まれ落ちる。魔化魍の犠牲となった命は肉体のみならず魂までも汚され、正しく行くべき場所に向かうことができなくなってしまう。そのため柩鬼のように、魔化魍の犠牲者から邪悪な気を祓い清める役割を持った鬼たちがいるのだ。彼らはその葬送の音撃によって魔化魍の邪悪な気を清め、犠牲者たちの死後の安寧を祈るのだ。

 「音撃葬・今生混濁(こんじょうこんだく)」。柩鬼が放つ清めの波動は犠牲者たちの骸に染みわたり、その魂を邪悪な気の影響から解き放った。魔化魍の巣窟であった小学校全体も、柩鬼の音撃により邪悪な気配が清められていく。

 柩鬼が音撃を終えると小学校全体を覆っていた邪悪な気は晴れ、清廉な気が全体に満ちた。優しいそよ風が淀んでいた校内に吹き込み、明るい日差しが差し込んだ。

「これで大丈夫でしょう。きっと皆さんも迷わず行くべきところへ向かえるはずです」

 柩鬼は立ち上がり遺体の方を見やる。身元の分からないような遺体も先程までとは異なり、どこか癒された晴れやかな姿に見えた。その姿を柩鬼は注視する。

「ですがこれは……」

 柩鬼は屈んで遺体の様子を確認する。多くは魔化魍ゴキカブリの粘液が溶かし喰らった痕跡が残っているのだが、ゴキカブリによらない切断痕や衝撃痕が残されていた。変身を解いたカッキが柩鬼に向かって話しかける。

「柩鬼さんも変に思うだろう?この死に方はあの魔化魍の細い腕じゃないねぇ……」

「切断痕はカッキさんたちが遭ったバラバラ殺人犯のものでしょうけど……。この衝撃痕は、何か強い力がぶつかったような……」

 オノノキは大きく息を吐くと、静かにゆっくりと言葉を発した。

「『鬼』がやったんですよ、これ全部。あのアベックはそれを捨ててただけで、魔化魍もそれを拾って食べてただけ」

 静かに、だがしっかりと強い言葉で断言するオノノキに「歩」である鮎川らは驚愕の表情を隠せない。彼らにとって鬼とは人々を魔化魍から守る正義の味方なのだから。それが凶悪な殺人犯だとは信じがたい話だった。

 

 一方、猛士東北支部はにわかにざわめき立っていた。以前魔化魍から救出された男「篠原 沙門」が鬼に成ろうと猛士の門を叩いたのである。彼を助けたサカマキが猛士の支部内を案内していた。

「……こっちが音楽室で音撃武器――楽器のような武器を調整したり練習したりする部屋だね。それで奥が道場。まあ学校の体育館みたいな感じで、身体を鍛えるのに使うね」

「へぇ。他の階は普通のテナントみたいな感じでしたけど、こういう部屋があるの面白いっすね」

「どうしても体力仕事だからね。鍛えるのが仕事の一環でもあるよ」

 サカマキはそう言うと扉に手をかけた。引き戸は管理が行き届いており力をかけなくてもするりと開いた。その中の様子を見てサカマキは少し驚いた。

「あれ?皆集まってどうしたんだい?」

 道場の中にはクダキやゾウキ、ノラギなど東北支部に所属する鬼たちが何人も集まっていた。入口に立つサカマキと沙門にクダキがゆっくりと近づき話しかける。

「どうしたもこうしたも、今日は鬼の総合戦力強化の一環としてゾウキさん主導で鬼闘術の講習会をやるって言ってただろう」

「……?あぁ!そうだったね。それじゃあ丁度いい、沙門くんにもちょっと鬼の戦い方を見てもらおう。構わないですかね?」

 サカマキはそう言いながらゾウキに目線を向ける。ゾウキはその視線に首肯すると、沙門の方に歩き手を差し出した。節々や拳ダコがまるで岩石のように発達した戦う者の手だった。

「おれはゾウキだ。鬼の修業は大変だが、飛び込んできたのは大したもんだ。よろしく頼む」

「あっ、お願いします。篠原沙門です」

 戸惑いながらも沙門はゾウキの手を取り握手を返した。まだその顔は緊張にこわばっている。

「それじゃあとりあえず沙門くんには読子ちゃんと一緒に見ていてもらおうかな……」

 サカマキはゾウキとは反対の方向を指した。そこには二人の女性が立っていた。一人は片目が隠れるほどの黒い長髪の女性。大きく身体を動かす鍛錬というのもあり、今は髪を一本にまとめている。猛士に所属する太鼓の鬼、ヨモギだ。オノノキほどではないがサカマキ以上の長身に、長い前髪の隙間からは憂いを帯びて潤んだ眼が見え隠れしている。その後ろに隠れるように立つ小柄な女性が彼女の弟子「依田 読子(よりた よみこ)」である。

「わたしも鬼の弟子なんです。よろしくお願いします」

「そうなんですか!よろしく!」

 沙門は読子と軽く挨拶を交わすと、サカマキとヨモギに促され道場の端の方へ移動した。それを待って、ゾウキが口を開いた。

「さて鬼闘術だが、おれたち鬼は人間と違って自分より大きな相手と戦うのが常だ。その時気を付けるべきことが三つある」

 そう言うとゾウキはクダキに向けて手招きした。のっそりと、彼はゾウキの前に立った。男性としては小柄でありサカマキとそう変わりないかやや小さい身長のゾウキと二メートルを超える巨体に元力士という経歴もあり筋肉も脂肪も大量に積載した巨漢のクダキ。二人が並ぶとその身長差は五十センチほどもあり、体格差は歴然だ。

 存分に打ってみろ。そうゾウキはクダキに無言で促す。その余裕ぶった態度に舐められているのかと、クダキはイラついた表情を浮かべる。勢いに任せてクダキは必殺の張り手をゾウキ向けて打ち込む。力士としての現役時代からの得意技で、童子や姫程度なら一撃で倒す威力がある。それを手加減なしでクダキは打ち込んだ!

「!?」

 だが次の瞬間、クダキの身体は宙に舞い地面に叩きつけられる。何が起こったのか分からないという様子で目をぱちくりさせるクダキだが、鬼狩りの鬼としての矜持からすぐさま立ち上がり臨戦態勢を取ろうとする。しかしその眼前にゾウキの拳が突きこまれる。寸止めとはいえ、クダキの表情は驚愕の色を隠しきれない。

「まず相手の攻撃に素直に付き合わない。次に相手の力を利用する。最後に、相手は怪物なので隙を見せたら徹底的にやること。わかったか?」

 奇術か何かを見せられているのか、小男が巨漢を軽々と投げ飛ばすさまに沙門と読子は驚きを隠せなかった。そしてそれはゾウキ本人も内心思っていた。

(上手くいくとはな……。前から鬼狩りの鬼は自分たちは他とは違うという態度が気に食わなかったが、これでその鼻っ柱もへし折ってやれただろう)

 ゾウキは内心、鬼が同族である鬼を狩るという行為を好んでいなかった。そうした役割は本来責任ある宗家のものであり、他の鬼が秘密裏にやるようなことではないと考えていた。

 そして彼にとって鬼狩りの対象となるような「堕ちた鬼」そのものが理解できなかったのである。肉体のみならず精神を鍛え抜き、その身を人外の異形へと変えながらも他者を守り慈しむ心を持つ存在が「鬼」であり音撃戦士である。彼はその実直さから自分がそうであるのと同様に、全ての鬼たちがそうである、そうに違いないと考えていた。そしてそうした在り方から鬼が逸脱するということは、彼にとっては理解の外側であった。ただし、彼のこうした考え方は鬼としては大して珍しいものではなく、組織内部にも同様に考えている人物は立場や役割に関わらず大勢いる。

 クダキはゾウキの拳を前に、驚愕の表情を顔に貼り付けている。その姿を見て象の正体見たりって感じだなと、口角を僅かに上げるゾウキ。だが、その後のクダキの対応は彼の想定から外れていた。

「……すげぇ!今のどうやったんだ!俺にもできるようになるかな!」

 ゾウキの拳を両の掌で握り感銘を受けたように振るクダキ。少年のように両眼を輝かせるその様子に、逆にゾウキの方が面食らってしまった。

「ま、まぁとりあえず今日は新人もいるから基本の型からやっていくか……」

 ゾウキはそう言うと皆に円を描くように並ぶよう促す。クダキらは並んで立つと鬼闘術の基本的な構えをとった。ふとゾウキはサカマキに目をやった。

「サカマキ、後半には組手形式もあるが全身から爪出すのはなしだからな」

「え、どうしてですか?」

「誰でもいつでも出せるもんじゃないだろう。魔化魍によっては斬撃を受け付けないような体表をしている奴もいる。練習の時だけでも爪無しに慣れとけ」

「……了解です!」

 

 さて、ゾウキによる鬼闘術講習は滞りなく進み、最後の方には沙門と読子も簡単な組み手を行い鬼闘術にとりあえず簡単に触れていた。

「沙門くん、初日とはいえ動けたね」

「えぇまあ……」

 サカマキの言葉にそう返す沙門はその息も切れ切れで額には玉の汗が浮かんでいる。多少山歩きに慣れているとはいえ、急な激しい運動による疲労は隠せない。

「しかし読子ちゃんは流石だね。全然疲れてないでしょ」

「師匠ほどではないですけど、鍛えていますから」

 口にしたスポーツドリンクから唇を離すと、読子は師匠であるヨモギの方を見た。彼女はゾウキと共にクダキへと攻撃を仕掛けている。クダキが一対二の組手稽古を志願してきたのだ。まるで空を飛ぶ鳥のような素早い動きでクダキを攪乱しゾウキの動きをサポートする。だが、ゾウキはその振る舞いに不満そうだ。

「ヨモギ!おれよりも自分で攻めて見せろ!」

 ゾウキが鋭くヨモギに檄を飛ばす。その言葉にヨモギは無言で頷きクダキに果敢に乱撃を繰り出す。対するクダキも負けていない。連撃を巧みに払いのけ鋭い鉄砲を繰り出す。

「たまには突きを出したらどうだ!鬼爪だって持ち腐れだ!」

「禁じ手だから……」

「お前は何と戦っているんだ」

 クダキの戦い方に苦言を呈しつつもゾウキは攻撃を仕掛ける。その一撃一撃はヨモギ以上に鋭く重い。だが、鬼同士の組手はあまりにも攻防が目まぐるしく変わり動き自体も素早く沙門には何が起こっているのか分からない程だった。

「あの、ゾウキさんってすごい強いんですね。まるで先生みたい」

 辛うじて聞こえる声を頼りに沙門がサカマキに尋ねた。その言葉に彼女はニヤリと笑って返す。

「そうだね、とても強いよ。支部じゃなくて本部で鬼闘術の師範として後進を育成しないかって何度も言われてるんだ」

「へぇ……」

 不意に、道場に繋がっていた内線が着信音を鳴らした。電話を取ろうとする読子を制しサカマキが受話器に出た。数度簡単な相槌を打つと、サカマキはゾウキを呼んだ。

「ゾウキさん!ザレキさんから!」

 その名前を聞くとゾウキは後ろに飛びのき一度間合いを取ってから、クダキとヨモギに組み手を終わらせるように言った。彼らは構えを解き一礼を交わすと、ゾウキはサカマキと電話を替わった。どうも浮かない話をしているようだ。

「ザレキさんって……本部の」

 おずおずと読子が口を開いた。沙門は知らない名前ばかりで状況がまるで呑み込めていない。彼らの様子を見ながらサカマキは言葉を返した。

「さっき言った師範の話。ゾウキさんを勧誘している本部の人で、今は鬼の育成をしている人だね」

「『不死の礫鬼』か。俺でも知ってる有名人だな」

 歩いてきたクダキが彼らに話しかける。とても先程まで激しい組手を交わしていたとは思えない涼しい顔だ。そしてそれは彼のやや後ろに立つヨモギも同じだった。

「『魔拳』とも呼ばれていましたね……。ゾウキさん以上の達人……」

 ヨモギも続ける。沙門はまだ猛士全体の組織構造もまるで分かっていなかったが、何となくこの「ザレキ」なる人物が有名な人なのだろうということは分かった。その感情を察してか、サカマキが口を開いた。

「おっと、すまないね沙門くん。内輪ばかりで盛り上がってしまっては」

「そうだな、まあ初日だしこれから慣れていけばいいさ」

 サカマキやクダキが沙門に話しかける。愛想笑いを返す沙門だが、その表情は最初に比べれば大分ほぐれたものになっていた。そこに、電話を切ったゾウキが歩いてきた。その表情は暗い。

「……悪いが今回はここまでだ。今日やったことを各自復習するように」

「え!ゾウキさんどこ行くんだ!」

「……野暮用だ」

 それだけ言い残すとゾウキは道場から立ち去っていった。残されたサカマキらはしばし呆気に取られていたが、誰ともなく片付けを始めた。その最中、サカマキがクダキに耳打ちする。

「オノノキ先輩から聞いたけど、やっぱり何か組織的な動きがあるのかい?」

「おそらくは。だが最後の手掛かりがまだ見つけられねぇんだ。今現場に出てるカッキさんたちが何か掴んでくれるといいんだが」

 クダキの表情は暗いものであったが、その瞳の奥にはこの現状を何とか打破してやろうという強い気持ちが灯っていた。そしてそれはクダキのように「象」ではないながらも、正義の鬼として戦うサカマキも同じであった。

「それじゃあ沙門くん、次は別の所を見に行こうか」

「あ、ハイ!」

「それなら一旦魔化魍退治の経過報告に戻ってるノラギが、明日再出発するらしいからそれ見てもらうってのはどうだ?」

「クダキさん、それいいね。支部長に聞いてみる。ナエギちゃんは最近忙しそうだからね」

 そう言うとサカマキと沙門も道場から立ち去っていった。次いでヨモギと読子も別の鍛錬があるというので彼女らを追うように道場から去った。一人、クダキだけがその場に残された。

「カッキさんもオノノキも大丈夫だろうか……」

 そう呟いた彼の声を聞く者は誰もいなかった。

 

 オノノキらはこれまで分かっていた敵の情報を振り返っていた。敵は鬼の落伍者を巧みに引き入れ犯罪を起こさせている。そしてその遺体の始末を貧困にあえぐ人々に高額な報酬をちらつかせ行わせている。その犯罪規模は大きく、既に十数人の鬼が「象」の処理の対象になっていた。そしておそらくその組織のトップである黒幕は猛士という組織の相当内部情報まで知る存在だ。

 だが、それが誰なのかは未だ尻尾を掴めていなかった。それは罪を犯した鬼へのセーフティとも呼べる呪詛の存在があった。先の音撃戦士御剣鬼がそうであったように、黒幕の意に沿わないような行動を起こそうとすると全身の鬼文字が反応し、本人を周囲諸共焼き尽くし口封じを行うのである。事実、御剣鬼以前の処理対象の鬼もこれにより落命している。オノノキが特殊な技能を有しているがゆえに御剣鬼の救命が奇跡的に成功したようなものである。そして、穴江や堀田のような遺体処理係はそもそも猛士という組織自体知らないような一般人であり、黒幕に直接繋がるような情報を持っていなかった。電話などの会話履歴も全て消されていたのだ。

「非常に微妙な所だ。いい持ち駒が一つでもあれば詰み筋が見えてきそうだが、相手は巧みにそれを取らせてくれない」

 重蔵が口元に手をやり考え込む。その横でカッキはパック酒のストローを口に咥え、オノノキは煙草をくゆらせていた。その視線の先ではヒツギが鮎川らと共に、遺体の輸送について到着した警察官と話をしている。

「オノノキ、お前は割と早い段階で敵が内部だという可能性に気づいていたな。誰からその情報を聞いた?」

「確かに、情報があるとは言ってたけどねぇ」

 重蔵とカッキがオノノキの顔を覗き込む。その視線にオノノキは自信のなさを隠すように、煙草の煙を一気に吸い込み、吐き出した。

「推理だった、最初。処理対象の鬼が多いから無関係はないと思って。でもそんなことができるのは鬼に熟知した人物しかありえない。だけど最初にそう思ったのは……」

 オノノキはそこで一度言葉を切り、手掛かりを思い出そうと記憶を遡っていった。処理対象の鬼の身辺調査をまとめた時?違う。御剣鬼の全身に現れた鬼文字を読んだ時?違う?死体遺棄アベックに襲われた時?違う。目を閉じて考え込むオノノキの瞼の裏に、悲しい視線を投げかける鬼の姿が過った。それは彼女が鬼狩りとして初めて戦った鬼であった。

「……鳴神月鬼。あの鬼が言ってた。鬼を操る黒幕」

「あの鬼か……。だが、その遺品は音撃武器なども含め既に調べたはずだ」

 重蔵の言葉にカッキは頷き同意する。さらにオノノキは考え込んだ。もっと何かを言っていたはずだ。

『だから手掛かりを残した。あなたなら必ず奴にたどり着けるはず』

 鳴神月鬼が残したはずの言葉がオノノキの脳内に反響する。

「手掛かり……」

 手掛かりとは何なのだろうか。あの夜の後残されたのは鳴神月鬼の骸と子だけ……。しかし、黒幕の存在に近づくには今一度鳴神月鬼に戻らなければならない。そしてそれはオノノキにとって、初めての鬼狩りに向き合う非常に険しい行為に他ならないのだ。

 

 魔化魍退治の現地調査中、夕日も射し込まない暗がりに一人の女性が立っている。ウェーブがかったミドルヘアにふんわりとした服装を身に纏った彼女は、東北支部の音撃戦士として活躍するナエギだ。その表情は暗闇の中に溶け込み読み取れないが、耳元には携帯電話を握っていた。風に揺れる木々の音にも消えてしまいそうな声で、ぼそぼそとナエギは言葉を紡ぐ。

 

 ――あー、ナエギです。直忠おじさん久しぶり。永政兄さんたちの葬式以来だね。

 

 ――おじさんは研究で東北支部の霧子さんやオノノキさんと仲良かったと思うけど、何か最近あったり聞いたりしてる?いや、何となく気になっただけで深い意味はないんだけど。

 

 ――何となく葬式の時聞きそびれてたことがあって聞きたいんだけど大丈夫?

 

 ――死んだ鬼の遺骨って、ああいう感じなの?

 

 夕日は地平線の奥深くに沈んでしまっていた。食事ができたとナエギを呼ぶサポーターの声が遠くに響いている。

 

 

 

―続―

 

用語:葬送の儀

 魔化魍は大自然に満ちる邪悪なメタモルフォーゼの力によりこの世に生まれ落ちる。そのため魔化魍は絶えずその力を纏っており、その犠牲となった命は肉体のみならず魂までが邪悪な力で汚され、いわゆる死後の世界のような正しく行くべき場所に向かうことができなくなってしまう。

 そのため柩鬼のように、魔化魍の犠牲者から邪悪な気を祓い清める役割を持った鬼たちがいる。彼らは「音撃葬」と呼ばれる特殊な音撃を身に着けており、その葬送の音撃によって遺体に残された魔化魍の邪悪な気を清め、犠牲者たちの死後の安寧を祈ることを役割としている。

 こうした葬送の儀を執り行う専門の鬼は通常の組織体系からは独立しており、猛士葬祭局という専門の部署に所属している。

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