旧煤ヶ澤小学校での魔化魍退治を終えた翌日、オノノキは猛士東北支部のデスクで一人、業務の整理を行っていた。魔化魍に受けた毒のために、変身しての魔化魍退治にドクターストップを受けている現状では自ずとデスクワークぐらいしかやることがなくなってしまうからだ。
ノラギの魔化魍退治に同行するサカマキと沙門を見送ると、オノノキは一心不乱にデスクに向かいキーボードを叩いていた。一つは本部で音撃戦士装甲化プロジェクトのリーダーを務める人物への中間報告用資料作り。そしてもう一つは、現在の「象」が追っている鬼を悪に堕とす黒幕に関連した情報の整理だ。
「……」
誰もいない部屋で、オノノキは小さくため息をつく。そのどちらもが好調とは言えない。霧子が開発を主導したラジカセ型音撃武器「音撃櫃」の変形装甲化機能はその機能の複雑さにこそ問題があるが、クダキによる現地試験を重ねるごとにある程度今後の課題について目処が立っていた。
対してオノノキが提案しているのは、音式神の機能を発展させた鬼の五体能力向上機構。有り体に言えば「パワードスーツ」じみた存在だ。音式神には様々な動物の魂が封じられており、その元となった動物に近い特性や能力を持っている。これを「鬼」へと装備させようというのだ。例えば、狼の敏捷性や猿の怪力、あるいは鳥の飛行能力など……。ただでさえ人間を凌駕した鬼が、その上様々な動物の能力を持てるようになれば更なる戦力強化は間違いないだろう。
これにはオノノキの同僚であるサカマキのような異形の鬼の影響もあった。頭部を動物などの人外に変形させた鬼は、その動物に由来するような能力を新たに得る。サカマキの例で言うと、鮫の頭部を持つ彼女は鮫のような長い尻尾が生え、さらに全身に鮫の牙のような刃物を生やしている。元々鬼闘術には「爪牙自沐(そうがじもく)」と呼ばれる、肉体を変形させ刃物状に突出させる技があるのだが、これはいわば身体を裂いては閉じるようなもので、負担が極めて大きい。しかしサカマキはその状態を基本形態としている。こうした動物由来の能力と肉体の負担を軽減化するタフネスについて、それらの人工的な再現を目指し呪術的、科学的にアプローチしているのがオノノキの研究だ。
しかし、如何に人間を凌駕した鬼と言えども、鮫の力を有したパワードスーツを着たところで尻尾を自在に振ることができるだろうか。いや、できない。あるいは鳥の翼、狼の敏捷性、猿の怪力など……。鬼の基本的な身体能力は、人外そのものであるがその機能一つ一つに注目していくと、結局は人間の延長線上にある。つまり、パワードスーツのように外部からいきなり尻尾が生えたところで、そもそも装着者が尻尾の使い方を分からないので動かしようがないのである。サカマキのような異形の鬼も、頭部の変形に伴い新規に出現した身体器官をはじめから自在に動かせるわけではない。訓練してようやく使うことができるのである。
対して魔化魍。その多くは二つ以上の生物を組み合わせたような姿形をしている。その意味では複数の生物の特徴を組み合わせようとするオノノキの研究と似ているが、彼らはその肉体を自在に扱う。それは単にそういう風に初めから「できている」からである。そこがオノノキの目指す最終的なゴール地点だ。つまり、複数の動物種の特性を増幅した状態で鬼に外付けし、それが装着段階で最初からそのような生き物として「できている」状態にしなければならないのだ。
「……なんて、難しく考えすぎてるのかな」
オノノキは僅かに表情を緩めると、口に咥えた鉛筆をぷっと吹き出し、机の上に転がした。鉛筆は僅かに机上を転がると、メモ帳にぶつかりそのまま動きを止めた。その時、不意に部屋のドアがノックされた。普段は誰かしらが対応するのだが、この時はその多くが現場などに出払っており、たまたまオノノキしか部屋にいなかった。呼び出し音が部屋の中に鳴り響いている。仕方なしにオノノキは立ち上がると、部屋のドアを開けた。
「はい」
「猛士東北支部の方ですね。支部長に用事があったのですが」
扉の前に立っていたのは、すらりとした体躯の優しそうな風貌をした男であった。
(うおっ、何だこの顔のいい男。……だけどよく見ると見覚えがあるような)
オノノキは目の前に立つ男をじっと観察する。年齢はオノノキと同等か少し上の三十代前半といったところか。よく手入れの行き届いた高級なスーツを着こなしている。若い外見だが、スーツに着られているという感じが全くない。切りそろえられた短髪を整髪料で後ろに流し、大きく額を出し露わになっている眼光は、しかし多くの死地を乗り越えてきた人間特有の輝きを放っていた。つまり彼はオノノキ同様の「鬼」であった。
「あなたは……?」
「ああ、失礼。名乗りもせずに。私は総本部から参りました『ホノグラキ』と申します」
「ホノグラキ……?オノノキです。東北支部所属」
ホノグラキを名乗る男の言葉に、オノノキの顔には疑問の表情が浮かび上がった。しかし、まずは自らも名乗りを返した。
「あなたがオノノキさんですか。鬼の総合強化プロジェクトでもお名前を伺っています」
「どうも、それは」
ホノグラキの言葉にオノノキは適当に相槌を打つ。だが、そのことよりも今のオノノキには気になることがあった。
「……それよりも、あなたの名前。私の記憶なら『ホオズキ』じゃなかったっけ」
オノノキの問いかけに、ホノグラキは少し表情を固くし考え込む様子を見せた。少し間を置いて、彼は口を開いた。
「今は妹が襲名しています。私はそういう家柄とは無縁の、ただの現場人間ですよ。それとも現場の『鬼』かな?」
そう言うとホノグラキは顔の表情を緩めておどけて見せた。その返答にオノノキは微妙な表情を浮かべる。いまいちうけなかったかな、とホノグラキは零した。
「ところで、今外出中。支部長に用なら」
オノノキはその微妙な雰囲気を変えようと部屋のスケジュール表を指で示した。そこには支部長である橅森がしばらく外出していることが示されていた。それを見てホノグラキは口元に手をやり考え込む。
「先日のメールではこれぐらいの時間に会う予定だったのですが……急な予定が入ったようですね。うーん、困りました……」
壁掛け時計の秒針の音がやけに部屋の中に響く。オノノキはホノグラキの顔をじっと見つめていた。しばしの沈黙のあと、オノノキが口を開いた。
「でも、もう少し待ってたら来るんじゃない?」
「そうですか、もしよろしければここで待たせてもらっても?」
「ん、まあ多分大丈夫でしょ」
「ありがたい、待たせていただきます」
そういうとホノグラキは緊張を緩め微笑んだ。しかし対するオノノキの口元は未だ固く結ばれたままだった。
猛士という人々を守るための正義の組織であっても、そこに多くの人々が集まっているために家柄や派閥、社内政治といった内部抗争と無縁というわけではない。猛士の構成員はその末端まで含めると数千人以上にも上る。その誰もが真面目に正義を志していても、一人一人が違う人間であるために一枚岩の組織というわけにはいかない。そうした派閥同士の動きをコントロールする重鎮が猛士という組織の実質的な支配者である。
猛士という組織の中で一際大きな権力を持つ「家柄」というものがある。これは代々音撃戦士となることが義務付けられているような家で、長年猛士という組織に貢献してきた名門だ。現代の猛士の中枢を代々務める宗家はもちろんのこと、千年の歴史を謳う七座一門や異能力を持つ鬼を輩出してきた神室家、そしてホノグラキの出身である「祝部家(ほうりけ)」もそうした家柄の一つである。その当主は代々「鬼」を導く灯りとなるべき「鬼」として「鬼灯鬼(ホオズキ)」を襲名している。その歴史の長さゆえに大きく薄く広がりすぎた七座一門、確かな歴史は明治維新後からになる若い名門の神室家、などと比較して強い力を持つ祝部家は、現在の組織において宗家に次ぐ権力を持っていると言われている。
ホノグラキが「鬼灯鬼」として活躍していた頃の武勇はオノノキの耳にも入っていた。曰く、若年にして棒・管・弦の三種に精通した音撃戦士。水と雷という離れた二つの属性を自在に扱う技巧者。他の鬼の見本となる立ち振る舞いで戦う鬼の鑑。家柄もあるが、悪いうわさを聞かない評判の良い人物であった。しかし、その彼がいつの間にか別の鬼の名に改名し、現在では「猛士総本部付主任内部監察官」となっていたとは、常に人の噂に聞き耳を立てているオノノキも知らない所だった。
「私の名前が変わっていることが不思議でした?これでも『鬼灯鬼』の名はここ数年で二回移り変わっています。私が今の名前になったのもだいぶ昔の話ですね。家庭の問題なのであまり周囲には話すことは……」
「ふーん……。家庭の問題……」
インスタントコーヒーを啜りながらホノグラキはそう語った。格の高いような名門にはそれに伴う苦労があるのだろう。懐のポケットを弄り煙草の箱を出し入れしながらオノノキはその顔を見つめていた。しかし、こうした名門の家柄は単に歴史があればよいというものではない。少なくとも鎌倉時代から皐月会の総帥として、まつろわぬ鬼たちの中心に居座っている地蔵田家などは、その名前を聞くだけでそれらの名門が軒並み顔を顰める、名門の対義語のような存在だ。そうした家柄の問題については、天涯孤独の身の上であるオノノキには知識として理解しても実感はなかった。
しかしいかに名門とはいえ、実質的な組織の二番手の鬼の改名といった大きな出来事はどこからか噂など漏れてもおかしくない。しかしその情報がオノノキの耳に入っていなかったのは、家柄全体に敷かれた緘口令によるものと考えるのが自然であり、それを実行できているというのはやはりそこが名門である理由の一つなのであろう。
そして、そうした名門の当主の座からは下りたホノグラキであるが、彼が語った所属は総本部。すなわち全国各地で魔化魍と戦う鬼たちを統べる鬼の中の鬼だ。
「オノノキさんの名前は鬼の総合強化プロジェクトでも伺っていますよ。直忠さんがよく話されています」
「それはどうも」
「どうですか、進みは?」
ホノグラキの質問にオノノキは口ごもってしまう。その表情から彼はオノノキのプロジェクトが順調に進んでいないということを察した。
「……んと、あまり」
「そうなんですか……ちょっと見せてもらっても?」
ホノグラキの言葉にオノノキは少し躊躇した。というのも組織内とはいえ業務上のデータについては機密がある。それを別部署で活動するホノグラキに話していいものかと悩んだ。しかし、彼の所属や立場を考えるにいずれ近いうちに概要を知ることになるだろうと考え、重要な情報を伏せつつ掻い摘んで説明を行うことにした。
「ほう……多様な動物の力を持つ音式神の機能を応用した強化装甲ですか……。面白いですね。若年の鬼でもベテラン並みに動けそうだ」
「実現出来たら、ですが」
パソコンの画面上に表示させた設計図を見ながらオノノキとホノグラキは話す。画面の中で鎧を身に着けた鬼のシミュレーションが行われている。その中ではコンピュータグラフィックスで描かれた鬼が画面の中を所狭しと動き回っていた。
「鬼がそもそも人間が変身した姿だから、ただ単に身に着けるだけでは動物のような力を発揮できない。けど身に着けるだけで力を発揮できるようにしないと」
「確かに、その通りですね……」
自分の中でも考えをまとめ切れていないオノノキは、やけに説明的な口調で言葉を発した。その言葉にホノグラキも口元に手をやり考え込む。ふと、何かに気づいたようにホノグラキが口を開いた。
「そう言えば、イカやタコは複数の触腕を動かすためにいくつもの脳を持っているといいます。それと同じように、鎧を動かすために音式神の魂を部位ごとに搭載するというのはどうでしょう?」
「……?」
「つまり、人間と鎧の間の意識のギャップを解消するために、猿の怪力を出す腕部には猿の魂を、狼の敏捷性を出す脚部には狼の魂を宿して、それらに鎧を動かしてもらおう、ということです」
ホノグラキが言う事には、鎧の部位一つ一つを機能に特化させ、それに適した動物の魂に操作させるというものだ。それらの動物にとってはその特徴である機能を発揮することは当然のことで、人間が直接操作するようなギャップは生じないだろう、ということだ。そしてそれらの魂を装着者がコントロールすることで最適な機能を発揮させる。その独創的なアイデアに、なるほどとオノノキは嘆息した。
「それなら行けそうかも、確かに」
「いえ、出過ぎた真似かもしれませんが。力になれたのなら」
忘れないうちにとオノノキはそのアイデアを卓上のメモ帳に記した。机の上にはそうしたメモが所狭しと散らばっている。
「ところで、詳しいんですね。イカに」
「まあ、動物について調べるのが好きなんですよ」
「やばい、予定忘れてた!」
その時、部屋の扉がノックもなくがらりと大きな音を立てて開かれた。息せき切って入ってきたのは支部長である橅森文仁であった。
「はぁっ……。ホノグラキさんここにいましたか……。申し訳ないです、お待たせしてしまって」
「いえ、お気になさらず。私も早く着き過ぎてしまって」
急いで来たのか、額に汗を滲ませながらも息を整える文仁に対し、ホノグラキはそう言うと彼はコーヒーカップをテーブルの上に置き、立ち上がった。
「それでは支部長、早速……」
「いやぁ待たせてしまった上に申し訳ないね。オノノキさんも」
そうオノノキに話しかけた文仁は、そこで何かを思い出したように一度言葉を止める。
「そうだ、オノノキさんにも来てもらえたりするかな?」
「え、私が」
文仁はそう言うとゆっくりとオノノキの方に近づき、ホノグラキに聞こえない程の小声で耳打ちする。
「……実は例の鬼の事件についてなんです。やはり現場の鬼の方にも出てもらった方が」
「……そういうこと」
オノノキは頷き立ち上がると部屋を出る彼らの後に続いた。表示されていたパソコンの画面は、既に閉じられていた。
会議室に座るオノノキは、文仁やホノグラキに対し鬼たちが人々を襲う事件について話した。最も、「象」として知りうるすべてを話したわけではない。要点を掻い摘み、伏せるべきところを伏せ、大枠のみを語った。
「元々、鬼と成れる力を持つ者たちが殺人などの罪を犯すとは……。その加害者も被害者も多い……。聞くところによると、先日の旧煤ヶ澤小学校死体遺棄事件の犠牲者も『鬼』に殺されているとか」
口元に手をやりながら、ホノグラキが零す。その隣に座る文仁も俯き浮かない表情だ。支部長として多くの鬼やそれにかかわる人々を見てきた彼にとっても、そうした事件に良い思いはしない。
「……どう思います、ホノグラキさん?」
オノノキはホノグラキに話題を振った。その眼鏡に隠れた視線は鋭い。彼らには言っていなかったが、オノノキとしてはその黒幕は組織の中心にいると睨んでいた。特に、総本部付の鬼であるホノグラキはそうした黒幕像としては格好の人物だ。それもあり、オノノキは彼に疑いの視線を向け、彼に対しては相当に自分の知っている情報を絞り、事実を伏せて話していた。ただし、虚偽はない。
「こういう事を本部の私が言うのもなんですが、彼らが戦う理由もわかりますね……。悩みや焦り、苦しみ、後悔……それらが積み重なって、彼らを犯罪に絡めとってしまう」
ホノグラキはそう言いながら窓の外を見やる。その視線はどこを見ているか定かではなく、何かぼんやりと考えているようだった。ふと、ホノグラキは大きくため息をついた。
「……鬼もその心は人です。ですがその心まで鍛え抜かれていることを『当たり前』だと思われている。それを理解している者は中央にも少ない……」
その言葉に文仁は背筋を正した。人々を守るために心身ともに鍛え異形の姿となった鬼。だが、彼らの心は人間と同じように苦しみ悩む存在だ。しかしその人智を凌駕した異形と力ゆえに、そうした人としての内面性に目を向ける者は決して多くはない。それどころか、同じ鬼であっても他の鬼の内面に目を向けることなく、一種の「鬼らしさ」の姿を押し付け、こうあるべき、こうあれかしと他者に押し付ける者もいるのだ。猛士という鬼をサポートする組織であってもそうした考えを持つ者がいる。であれば、その外側にはどれ程の鬼に対する思い込みや偏見が生じているのか……。
「ホノグラキさんの言う通りですね……。鬼をサポートするべき私たちがその鬼を追い詰めている場合がある。意識を変えないといけませんね」
「橅森支部長……」
文仁は視線を上げ、腕組みしながら答えた。その表情は険しいままであったがその目は力強く、今後のことについて真剣に考えているさまが手に取るようにわかるほどだった。
「……特に猛士内部での活動が長い者や経験豊富な鬼。それこそ加害者となった鬼の中で若手の者の、師匠クラスに立つ、歴の長い者にはそのような考えが多い。そうした鬼たちは各地で重要なポストに就き、偏見的な『鬼らしさ』を蔓延らせている……!」
初めはゆっくりと語るホノグラキであったが、次第にその語調は強くなり、最後には侮蔑的な表情を浮かべたまま言葉を吐き捨てた。その様子に、オノノキは僅かに引っかかりを覚えた。
「ホノグラキさん……」
「……ああ、すみません。熱くなってしまって」
「ん、大丈夫です。そう思ってますから、私も」
そう語るオノノキの言葉は真実であった。部屋の中を沈黙が包み込む。オノノキの指が所在なさげに金メッシュの入った髪を弄っている。
その時、不意に文仁の携帯が鳴った。文仁はオノノキとホノグラキに軽く会釈し部屋の外に駆けだしていく。部屋には二人だけが残された。
「ところで、鬼が犯罪に引き込まれているとはいえ、死体を遺棄していたのは普通の人なんですよね?」
「え、うん。猛士とは何のかかわりのないけど、精神的に困窮した人物。黒幕は一般人まで犯罪に巻き込んでる」
「一般人、か……」
ホノグラキの問いにオノノキは答えた。その眉間にはわずかに皺が寄っていた。一方、先程の態度がどこへやら、ホノグラキはその事実に対してまるで何の感慨もなさそうに、視線が虚空だけを見つめていた。
「……オノノキさんはどう思いますか。『象』として何か掴んでいる情報とか」
「!」
僅かな沈黙ののち、ホノグラキはオノノキに鋭い質問を投げかけた。思わず身構えるオノノキだが、ホノグラキは両腕を開き攻撃の意志がないことを示した。
「大丈夫ですよ、今何かしようというわけではないです」
「そう……分かってんだ、私の本当の所属も」
ホノグラキの言葉を聞き、オノノキはゆっくりと構えを解く。しかし間合いは保ったままだ。息をゆっくりと吐き、オノノキは言葉を紡ぐ。
「正直怪しいのは、ホノグラキさんみたいに猛士の中枢にいる人。確固とした証拠はないけど」
「ほう……面と向かって言われると驚きますね」
「なかったけど、驚かせる気は」
「ククッ、確かにそれだけ鬼を引き抜けるのは組織の中枢にいる人物でしょうね……」
オノノキの言葉がツボに入り面白かったのか、ホノグラキはにやりと口角を上げ、そのまま言葉を返す。
「ですが、確固とした証拠はないんでしょう?」
「……!」
ホノグラキの硝子玉のような眼から放たれる視線がオノノキの総身を射抜く。その視線にオノノキも無言で視線を返した。だが内心は、ホノグラキが自分を探ろうとしているであろうことを察知していた。どこまでばれているのか、そして彼はどれほどの情報を握っているのか……。閉じた口の中が渇く。しばし彼女らは視線で応酬を重ねたが、ふとホノグラキがその表情を緩めた。
「……加害者となった鬼たちも既にそのほとんどが亡くなられています。死人たちが私を犯人だと言うのならば別ですが」
「……何が言いたいの」
「ただ、もしオノノキさんが言うように私が黒幕だとしたら……」
ホノグラキはそこで一度言葉を切り、オノノキの眼鏡に隠れた鋭い眼を正面から見据えた。まさに二の句を継ごうとしたその時、部屋の扉が勢いよく開け放たれ文仁が戻ってきた。その表情には焦りが見える。その様子にホノグラキが声を掛けた。
「どうしました、支部長?」
「……まずいことになりました。サカマキさんからの連絡で、ノラギくんが負傷したそうです」
「え、ノラギが」
「相手はどういった魔化魍で?」
「連絡によると『ゴイノヒ』らしいです。常時上空を飛行しているタイプで、サカマキさんも管を常備しているわけではなく、負傷を見てとりあえずノラギくんを救出して撤退したそうです。沙門くんも同行しているようなので無理はできないと」
文仁の額に冷汗が滲む。普段冷静な彼にしては珍しくその焦りが表情に現れていた。その様子を見かねたオノノキが手を上げようとしたが、その行動を制するように先にホノグラキが口を開いた。
「……折角だ。私が行きましょう」
ホノグラキは口元に置いていた手をおもむろにジャケットの中に入れると、そこに掛けられていたホルスターから自身の音撃管を取り出して見せた。
「申し出はありがたいですが、良いのですか?」
うろたえる文仁にホノグラキは穏やかな微笑みを返す。オノノキはその表情をじっと見ていた。
「こういう機会でもないと、現場での魔化魍退治を見ることもないですから。総本部での内部監査にも退屈していたところですし」
「そう言っていただけるなら……」
準備のため慌ただしく部屋から出ていく文仁の後ろに続こうとするホノグラキ。だが、ふとオノノキの横で立ち止まると、さっきの続きですが、と小声でささやいた。
「もし私が黒幕だとしたら、『象』であるあなたの前にこうしてノコノコ出てくると思いますか?出てくるとしたら、それはあなたたちを必ず倒せる時」
そう言い残すと、ホノグラキは部屋を去った。ただ一人残されたオノノキであったが、サカマキにノラギらの身を案じるメッセージを送ると、何かを思い立ったように部屋から飛び出した。その表情は険しいものだった。
「死人が言うならば、か……」
誰ともなく呟いたオノノキの言葉は、支部内に立ち込める澱んだ空気の中に沈み消えた。
数刻後、某所山中。やや開けた場所に設営されたテントの中では、サカマキがノラギの応急処置を行っていた。
「……すみません。サカマキさんのようなベテランの方に手を煩わせてしまって……」
「いや、逆に幸運かもしれないよ?一人だったらこうはいかなかったかもしれないし」
横になり治療を受けるノラギの弱音にサカマキが優しく返す。後ろに座る沙門が救急箱から手早くサカマキへ治療用具を渡す。
「……けど沙門くんには格好悪いところを見せてしまった。申し訳ない」
「え、いや……。まあ……」
沙門の視線が空中を泳ぐ。今怪我を負っているノラギという男は、猛士に所属する前は救急隊員だったという。包帯に巻かれたその肉体は分厚く屈強という言葉がふさわしい外見をしているが、しかし今はその肉体に数多く傷が刻まれ血が滲む痛々しい姿を見せていた。
「沙門くんも勉強になったでしょう、鬼として戦うというのがどういうことか」
「まあ……」
サカマキが普段通りの優し気な視線を向ける。しかし沙門の内心は恐怖と緊張で張り裂けそうだった。魔化魍に襲われて以来、命の現場に関わる場面が日常になりつつある沙門であったが、やはり血の匂いにはまだ慣れそうにはない。
「……けど魔化魍をどうしようか。ゴイノヒ……。ずっと飛び回っているから射撃で撃ち落としたいのだけれど」
そう言うとサカマキは視線を横にやる。そこには破損したノラギの音撃管が転がっていた。強い熱を受けてその形状が歪んでしまい、鬼石を銃身から発射することができなくなっていた。
「すみません……。武器があればサカマキさんが……」
ノラギが目をつぶる。その表情は、魔化魍に手傷を負わされた悔しさより逃した魔化魍が人々を襲う事への危惧が表れていた。人智の及ばぬ人食いの怪物、魔化魍。鬼たちはその被害から無辜の人々を守る最後の砦でもあるのだ。彼らの両肩には無数の人々の命が重くのしかかっている。だが、文字通り命を賭し戦う彼らの手助けを行うのは、鬼が護った命の中で「猛士」に集ったほんの一部の限られた人々だけだ。それ以外の人々は彼らを恐れ、忌避し、あまつさえ命を救われた恩さえも忘れ去るのである。
逃がした魔化魍への対処法を考えるサカマキだが、彼女のポケットの中の携帯が不意に鳴り響いた。彼女が携帯電話を取り出し画面を確認すると支部長の名前が表示されていた。
「もしもし、支部長ですか?」
『サカマキさんですか?橅森です。実は先程サポートにある方に向かってもらったのですが……』
文仁の言葉がサカマキの耳に響くのと同時に、テントの天幕が揺らされた。何者かと沙門が出入口のファスナーに手をかけようとしたが、それより先に幕が開けられる。
「え、誰ですか……」
ファスナーを開けゆっくりとテントの中に入ってきたのは、スーツを纏った優し気な風貌の男だった。男はサカマキの肩を軽くたたくと、携帯電話を受け取った。
「支部長、ちょうど今着いたところですよ。これから魔化魍の討伐を始めます」
『えっ、もう着いたんですか!?』
「魔化魍退治は早いに越したことはないですから。それではよろしくお願いします」
そう言うと男、ホノグラキは通話を切り携帯電話をサカマキへと返した。そして一礼をすると簡単に自己紹介を行った。
「ホノグラキ……?その顔はホオズキさんでは?」
「皆私のことをホオズキと呼ぶね……。もっと情報を出した方がいいのかな」
口元に手をやり呟くホノグラキに、沙門は誰か分からないという表情を見せる。その顔にサカマキは沙門に小さな声で耳打つ。
「沙門くん、この人は組織の中で凄い偉くて強い人だよ」
「えっ!」
その言葉に沙門は思わず背筋を正した。その様子が面白いのか、沙門を見てホノグラキは微笑んだ。
「サカマキさんにノラギさん。そして君が沙門くんだね。現場は初めてかな?」
「え、今日が初めてで……」
「まあ、そんなに気負わなくてもいいよ。初めての現場なら緊張も仕方ない」
初めての現場、命をやり取りする非日常に不安さを感じる沙門の気持ちを察して、ホノグラキは優しく声を掛ける。
「それでは早速退治してくるから、ちょっと待っていてください」
ホノグラキがテントの中にいたのはわずかな間。彼はすぐさま立ち上がると、テントの外に出て魔化魍の気配を探った。ほんの数秒で山野に潜む邪悪な気配を探知すると、ホノグラキの姿は木々の間に消えた。
突然現れ立ち去ったホノグラキにあっけに取られ、テントの中で顔を見合わせる三人。だが、横たわったままのノラギが口を開いた。
「……あの、良かったらホノグラキさんの様子を見てきたらどうでしょうか。そもそも沙門くんに鬼の現場を見せることが目的のはずですし」
「でも、ノラギくんは大丈夫なのかい?」
身を案じるサカマキに対し、だがノラギは包帯に覆われた傷を押さえながらも起き上がって見せる。
「俺なら大丈夫です。それに……サカマキさんも見たいって顔をしてますよ。あの伝説の鬼灯鬼、いえ、今はホノグラキさんの戦いぶり」
「え、私がかい?」
ノラギの頬を冷汗が伝う。その視線の先、沙門には影になって見えないサカマキの表情は、両の瞳を爛々と輝かせた凄惨な笑顔であった。
「……ということで付いてきた訳ですね。ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、あの伝説の鬼の戦いぶりをこうして見る機会があるとは……」
「えっと、なんかすごい先輩だそうで俺も見てみたいっす」
鬱蒼とした森には似つかわしくないスーツ姿の男、ホノグラキはサカマキと沙門を前に話していた。だが、その表情はこれから人食いの怪物と命がけで相対する人間とは思えないほど落ち着いていた。その様子をサカマキはじっと観察する。
(……いや、落ち着いているというより『無』に近い。他の鬼は魔化魍退治の時は不安に思ったり気合を入れたりと心の動きがあるものだけれど、この人はそうした動きが何もない……。まるで今から『何かをするでもない』といった具合だ)
優しく微笑むホノグラキの瞳の奥は、まるで硝子玉をはめ込んだように周囲の光ばかりを跳ね返していた。
「とりあえず離れて見てください。あまり近くにいては危ないですからね……」
ホノグラキはそう言うと上空を見やる。その眼球には煌めく光が反射していた。その上空の輝きこそが、両翼から不気味な炎を放つ鳥のような姿の魔化魍「ゴイノヒ」だ。その姿を見据え、ホノグラキは腰に下げていた変身鬼笛「音朧(おんろう)」を手に取り吹き鳴らす。
変身鬼笛から放たれる音波がホノグラキの全身に浸透し、その形態を異形へと作り替えていく。彼の全身を覆う黒ずんだ霧と雷が静かに、だが力強く薙ぎ払われると、そこには異形の鬼が立っていた。
「これがあの伝説の『鬼灯鬼』……」
「その名で私を呼ばないでください。あくまで私の名は『仄暗鬼』」
振り返ったその姿は全身に引き締まった筋肉を纏いまるで古代ギリシアの彫刻を彷彿とさせる肉体をしていた。だが、その肩部や背部からは極太の触手が人体の骨格を無視して幾本も伸びている。そしてその顔はまるで頭部そのものが一本の槍のような角のような形状となっていた。その姿を形容するならば「烏賊」の頭部と触手を持つ「鬼」。その人の姿からは大きくかけ離れた異形こそが音撃戦士仄暗鬼であった。
「まずは撃ち落とさないと……。鬼幻術・鬼打水!」
「……!」
「サカマキさんの技と同じ!」
その掛け声と共に仄暗鬼は触腕を空中に向け、その先端から強烈な水中を放った。だが、通常の人間同様の視力を持つ沙門には空中を舞う魔化魍の姿は点のようにしか見えなかった。
しかし、その小さな相手に向け仄暗鬼は鋭く照準を向け、触手から水流を連射する。その様子はまるで重機関砲だ。その銃口が向けられた方向から墜落するその影が随分と地表に近づいてようやく沙門はその魔化魍の姿を認識した。
錐揉み状態で墜落するその姿は炎で翼が構成された鷺のように細く、仄暗鬼の頭部同様に槍のような姿になってしまっていた。その一切の生気のない眼球が、自らに攻撃を仕掛ける鬼の姿を映す。
「!」
不安定に墜ちるゴイノヒに向け、仄暗鬼は右手に構えた音撃管「龍骨(りゅうこつ)」から数発の煌く鬼石を放つ。全弾命中。それを確認した仄暗鬼は腰の装備帯から音撃鳴「寿(ことぶき)」を取り外し音撃管に取りつけ、必殺の音撃を放つ準備を整える。彼は大きく息を吸い込み呼吸を整えると、その異形に見合わぬ静謐が周囲を満たした。
「音撃射・昇り銀龍(のぼりぎんりゅう)」
音撃管から放たれる清めの音が魔化魍の全身に食い込んだ鬼石に共鳴すると、その全身を包み込み、その穢れた肉体を清めていく。その姿はどんどんバラバラになり空中に散らばっていく。その飛行能力で音撃戦士呑羅鬼を苦しめた魔化魍ゴイノヒはその実力を最大に発揮できるはずの空中で、二度と地を踏むことなくその身体を滅ぼされたのであった。
「さて、戻りましょうか」
そう言いながら振り返ったホノグラキは顔の変身を解除していた。名門中の名門出身の鬼として華麗に魔化魍を清めて見せた彼だが、ちょうどその顔は影になり表情を読み取ることはできない。
「……強い!」
サカマキが呟いた。自分と同じ異形の頭部を持つ鬼の戦いぶりは彼女に強い刺激を与えた。一方、魔化魍を瞬く間に倒して見せたホノグラキの戦闘は、サカマキ以外の戦いを見たことがなかった沙門にとっても学ぶものがあった。
「お疲れ様です。流石ホオ……ホノグラキさんでした」
「サカマキさんも。内部監査は退屈で、やはりたまには魔化魍と戦わないと」
「……?」
身体をほぐしながら語るホノグラキの言葉にわずかな違和感を覚えたサカマキであったが、気のせいだと思い気にも留めなかった。
一方その頃、オノノキは滝夜温泉の一室を借り、その畳の上に座っていた。その表情は普段とはまるで違い、まるで一切の余裕がなく張り詰めた糸のようだった。湯呑を手に取り茶をすすり、少しだけ気を紛らわせようとしたが、すぐにその気休めは消えていった。
「すみません、遅くなりました……。だけどどうしてオノノキさんが僕に?」
襖がゆっくりと開かれると、そこから一人の少年が姿を現した。線は細くようやく十代に入ったぐらいの、まだ可愛げの残る子供だ。その少年が机を挟みオノノキの前に座る。年齢差もあり、彼も緊張した様子だ。
「楽にして、那由多君」
努めて冷静になるようにと、渇いた口から絞り出すようにオノノキは言葉を発した。少年はその様子を不思議がりながらも少し背筋を緩めた。無垢な視線がオノノキを見つめている。対するオノノキの背筋は伸び切ったままだ。
オノノキが属する音撃組織「皐月会」では魔化魍に襲われた孤児を引き取り世話をしている。かつてのオノノキもそうした孤児であり、この少年も同様の一人だ。
「君のお父さんとお母さんのことなんだけれど……」
ゆっくりと枯れた声がオノノキの口から発せられる。まるで自分の言葉じゃないみたいだ。自分の声帯と唇を借りて、別の生き物が話しているように彼女には感じられた。
「僕の両親……?それがオノノキさんとどういう関係が?」
少年はまるで分からないといった様子で首をかしげる。そんな彼の仕草一つ一つがオノノキの心に重くのしかかる。
「それは……」
答えを言いかけた唇はかさかさに乾いてしまっている。紡ごうとした言葉も宙に消えた。オノノキはその唇を閉じ、何かに耐えるように下を見つめる。だが、耐えなければいけないのだ。震える身体に力を込め、何とか口を開く。
「……君にしか頼めない。君の両親『鳴神月鬼』に関係したことだから」
「……!」
オノノキは追い込まれ憔悴した、だがしかし真っすぐな眼で少年の顔を見た。オノノキのその表情にただならないものを感じ、少年も息を呑んだ。
「……僕にできることなら」
少年の返答にオノノキは僅かに表情を緩め笑顔を作る。だが、その笑顔の裏には大きな秘密がひしめいていた。
少年――「七座 那由多(ななくら なゆた)」の両親を殺したのは他ならないオノノキである。だが、その事実は那由多には伏せられている。「象」の任務が機密であるというのもあるが、まだ若い少年の身に両親の最期を伝えるべきではないとオノノキは考えていた。それどころか、彼はオノノキを優れた音撃戦士である両親と共に戦い、自らを救ってくれた恩人だと考えている。そんな彼の純粋無垢な気持ちを前に、真実を切り出すことができなくなっていた。いや、むしろ真実を伝えることをオノノキは恐れていると言ってもいいだろう。
『どうか私たちの子供だけは……!』
夢で聞いた鬼の声がオノノキの脳内に反響する。彼女は彼女自身の罪と向き合わなければならない時が来たのだ。その罪を知ることが、彼女のみならず那由多にとってもどれほど恐ろしいことだとしても。
―続―
・魔化魍ゴイノヒ
身の丈(身長):23尺8寸(7.2m)
目方(体重):1600貫(6.0t)
特色/力:全身から放つ怪炎、高い飛行能力、鋭く長い爪
炎で出来た翼を持つ鷺のような姿をした魔化魍。炎の翼と細長い脚部に生えた鋭い爪が武器であり、これを用いた攻撃が得意である。また、高い飛行能力を持ち巣を中心に飛び回り人間を襲うようになる。その飛行高度は他の飛行型魔化魍と比較しても高い。そのため、対処には音撃管を始めとした遠距離攻撃が必須である。