「慄鬼、逆巻鬼……!何とか無事でいてくれよ……!」
怪我した部分を押さえながら、直忠は戦闘実験場の様子を確認しに向かう。実験室は閉じられた空間ではない。肉眼越しにデータの収集や処理を行う別室があるのだ。
「あそこには最終調整を終えたばかりのアレがある……」
そう言いながら直忠は慄鬼との実験の際の会話を思い出していた。
「やっと音式神との機能連動が上手くいったが……これが実用化出来たら大変なことになるぞ」
「やった。ありがとう、直忠先生」
機械的な装甲を纏った慄鬼が直忠に話しかける。厳つい外見に似つかわしくない蓮っ葉な口調で慄鬼は喜びを表現した。
「だが、これを自在に操作できるのはまだ君ぐらいだろうな。自分の魂の形状を知覚し、音式神を動かす魂と識別できていないと、どう動いていいのかすらわからなくなる」
鬼は全身を鍛えぬいているが、その鍛錬度において特に慄鬼は群を抜いていた。彼女は臓器や筋肉、血管といった文字通りの全身全てを鍛え抜き、その動きを常時コントロールしている。もはや魂の知覚と言っても過言ではないその身体操作能力は、幼少期からたゆまぬ努力で培われた高いボディイメージによるものであった。だからこそ、自分の魂と、それとは異なる音式神の魂を識別し、的確な指示を下すことができるのだ。
「まだ改良が必要、ってコト?他の鬼たちが使うには」
「その通りだ。この鎧は慄鬼、お前だけの武器じゃない。将来的には皆が使い、魔化魍の脅威から人々を守るのだ」
しゅんとした表情を見せる慄鬼だが、直忠はその肩に手を置く。
「そう気を落とすな。今この一歩が将来多くの人々を救うことに繋がる」
「先生……」
「さあ、実験の続きだ」
そう言うと直忠は機材の操作を再開した。慄鬼もそれに応じ、実験の準備を開始する。かつてはいつも通りの日常であった。
「そんなこともあったな……」
過去を思い出しながら、直忠は実験場別室へとたどり着いた。強化ガラス製の窓の奥の実験場は停電の影響のみならず、仄暗鬼の鬼幻術「くらがり」により更なる暗闇が覆っていた。
窓越しに部屋を確認していた直忠の前で、部屋の内側が大きく輝く。一瞬、鬼幻術の闇が晴れ、その部屋の中の慄鬼と逆巻鬼、そして彼女らと戦う仄暗鬼の姿が確認できた。どうやら彼女たちは手傷を負っているようだ。
「まずいぞ……!」
窓に顔をくっつけて、直忠は慄鬼たちの方を覗き込んだ。その時、慄鬼と視線が合った。それは彼女からの合図であった。
「……!使うのか!」
その意図を瞬間的に感じ取った直忠は、部屋の壁に備え付けられていたレバーを力強く引いた。これは、部屋の中から戦闘実験場に資材を送り込むシステムであった。そこに設置されていた試作段階のプロトタイプが、慄鬼へと向かい射出される。
「間に合ってくれよ……!」
祈るような気持ちで、直忠は強化ガラスの奥から実験場を覗き込んだ。
「慄鬼、装甲」
壁面のドアから飛び出した得体のしれない金属塊を前に、慄鬼はそう言い放つと変身鬼弦を再度かき鳴らした。その音波をキーにして、金属塊は変形、慄鬼の全身を覆いつくす。
その全体に刻まれた文様がわずかに光り輝く。それこそがこの外付式怪力増幅装置「偶手甲(ぐうしゅこう)」「雪渡(ゆきわたり)」と自在可翔翼「星巡(ほしめぐり)」が慄鬼と同調、起動を果たした証明である。
すなわち強化重装形態「装甲慄鬼(アームドオノノキ)」への変身完了であった。
「素晴らしい……」
その変身を目の当たりにした仄暗鬼は思わず本心からそう呟いた。だが、すぐに敵対意思を取り戻すと、慄鬼へと音撃管の銃口を向けた。
「ですが、姿が変わったところでッ!」
「!」
仄暗鬼が手にした音撃管の引き金を引く。それだけではない。彼は背中から生えた触腕が握る音撃棒に気を集中させると、その先端から強力な水流と電撃波を慄鬼向けて放った。
「先輩!」
逆巻鬼の叫びが実験場に響き渡る。だがその音より早く、慄鬼は仄暗鬼の懐に飛び込み、強烈な拳を叩きこんだ。その衝撃を受け、仄暗鬼の身体が大きく吹き飛ばされる。
「……飛んだのか?その翼は飛行型音式神の応用ですか」
壁面に体をぶつける前に触腕で体勢を整えた仄暗鬼は、そう呟くと慄鬼の装甲化した全身を確認する。彼女の背中からは複雑な文様の刻まれた翼が生えていた。その翼で慄鬼は空を翔け一瞬で近づいたのである。
「まるで魔人の体現のようなその姿、素晴らしい強化ですね……。全ての音撃戦士があなたのようになれば、魔化魍退治の、いや今の権威主義的な猛士の在り方は大きく変わる」
「……嬉しくない。今のあなたに褒められても」
しかし仄暗鬼の称賛の言葉を、慄鬼はそう冷たく吐き捨てた。ばちりと、お互いが放つ電撃がぶつかり合う。
「逆巻鬼。怪我してるの、直忠先生が。ここは任せて、お願い」
背中を向けたまま、慄鬼は逆巻鬼にそう言った。しかし、逆巻鬼はその言葉に戸惑いを見せた。
「でも先輩だって!」
「大丈夫。……本気で走れば逆巻鬼より早い奴なんていない。だから行って」
慄鬼は振り返ると、逆巻鬼の顔を真っすぐ見つめてそう言った。その視線に逆巻鬼は慄鬼の強い思いを感じ取り、静かに首を縦に振った。
「……分かった。死なないで、慄鬼」
それだけ言うと、逆巻鬼は出入口へと走っていった。その方向に触腕の狙いを定めんとした仄暗鬼であったが、触腕を持ち上げた頃には、逆巻鬼の姿は実験場から消えていた。
「あの身体捌き……。古文書に記されている、瞬間的に運動能力を向上させる鬼闘術『加速霊柩(かそくれいきゅう)』ですか。私と同じく異形に高い実力。ククッ、やはり殺すには惜しい」
「かけたつもり?情けを」
「いえ、違います。本当に殺したくないんですよ。あなたも、彼女も。逆巻鬼も私と戦わないからこそ、今の技を出したんでしょう」
そう語る仄暗鬼の声色はどこか悲しげだった。
「……それだけの鬼が、どうして人殺しをするの。あなたを駆り立てるのは、何?」
「ククッ、私に勝ったら教えるといったでしょう。……さて、始めましょうか」
静かに深呼吸すると、仄暗鬼は慄鬼に向き直った。そこには未知の武装に対する恐怖などは微塵も感じられなかった。
「互いに音撃のエキスパート、それがこうして戦うことなんてないでしょう」
そう言い放つ仄暗鬼の声色にはわずかな高揚感が乗っていた。だが、その言葉にあくまで慄鬼は静かに返す。
「……鬼同士で戦うなんて、私たちだけでいい」
一方で、砕鬼、渇鬼と礫鬼の激闘も続いていた。
「先程までの勢いはどうした!吾輩と戦う気がないのか!」
礫鬼が振り回す音撃弦と音撃増幅球の大質量が道路や山の岩肌を引き裂き砕いていく。先ほど破壊された濃色巨象の残骸は砕屑され、もはや跡形もない。
「まるで人間削岩機、って感じだぜ」
「言い得て妙だねぇ」
振り回される礫鬼の音撃武器はまるで全方位に向けられたドリルだ。そしてその螺旋は砕鬼らを捉えんと着実に迫ってきている。その様子を見て、渇鬼は大きく息を吐いた。
「出し惜しみ、してるわけにはいかなさそうだ。砕鬼くん、ちょっと離れてて」
その言葉を聞き、砕鬼は渇鬼から少し距離を取る。それを待って渇鬼は精神を集中させた。
「……渇鬼、紅」
そう呟くと、渇鬼は気合の叫びをあげながら全身に満ちた炎の気を高めていく。彼の全身から湧き上がる高温の陽炎が、まるで空間をねじまげるようだった。
「ハアッ!」
渇鬼は気合の一声と共に力を込めて腕を振るうと、そこから現れたのはまさしく赤鬼。全身を炎の如き真紅に染めた「渇鬼紅(カッキクレナイ)」であった。彼が全身に力を込めると、肉体からぱちぱちと火花が飛び散る。
「いよいよ本物の紅か。強化形態が出るのを十話以上も待ってたぜ。何分促成栽培の偽物しか出てなかったからな」
「それだけ今の鬼共は自らを研鑽することを怠ってきたのだろう。吾輩がスカウトした鬼共は、誰も彼も自らの鍛錬に不釣り合いな力を欲していた愚か者だったからな」
「無駄話は良いから紅に染まったこのボクを見てよ。そもそも鬼の強化フォーム自体へのアプローチが未だ少ないからね」
そう言って音撃槌の具合を確認する渇鬼の姿を警戒しながら、礫鬼は口を開いた。
「だがこうも考えられんか?そもそも一時的に使う形態に、大した意味などない。強化形態は単なる通過点。その場しのぎの形態など、修行や成長の結果とは呼べんな」
尋常ならざる鍛錬の果てに得た、大猩々そのものと化した異形の顔面で礫鬼はさらに続ける。
「そもそも吾輩を殺す気なら、最初から紅を使えばよかろうが。よしんば体力消費を避けるためというなら、紅を日常とし更なる強化に励めばよいだけだろう」
「へぇ……」
「吾輩にとっては、つまり今更紅になったところで無駄なのだ。追い込まれた所での強化などたかが知れている。むしろ最初から強化形態で戦わなかったことを後悔させてやろう!」
その言葉と共に、渇鬼紅に向けて音撃弦と音撃増幅球が放たれる。しかし、渇鬼は大きく跳躍するとそれらの攻撃をひらりと回避する。そしてそのまま腕に炎の気を集中させる。
「鬼闘術・神太刀・焔(かんだち・ほむら)!」
真紅に染まった手刀を渇鬼は大きく振り下ろし、礫鬼の音撃武器を繋ぐ綱を切り裂いた。大きく逸れた音撃武器を礫鬼は引き寄せ回収する。
「成る程、こけおどしではなさそうだ」
両腕に武器を構え直した礫鬼はそう呟く。だが、こちらはほぼ無傷、たかが武器に傷をつけられただけ。それに対して向こうには着実にダメージを与えているのだ。有利なのは自分。音撃弦を握りながら礫鬼はほくそ笑んだ。
「だが貴様らを始末すれば、象の鬼共も大いに気力を失うだろう」
「そんな簡単にいくと思うかよ。お前こそ自分の心配でもしたらどうだ」
「違いないねぇ。二対一、数的優位はこちらにある」
拳に装着された音撃櫃の鬼石を構え、礫鬼に向かい立つ砕鬼。渇鬼も音撃鉦を盾に構えている。その姿を見て、礫鬼の胸中を強い感情がよぎる。
(この感情は「歓喜」か。久しく感じていなかった感覚……。やはり強敵との戦いこそ、吾輩の望む戦いだ。それに比べれば後進の育成など)
思わず、彼の全身が震えた。未だ周囲の森は燃え続けている。音撃弦の銅色の切っ先が炎を浴びてきらめいた。
「鬼闘術・旋風拳!鬼闘術・雷撃拳!」
仄暗鬼の触腕が風の、雷の気を帯び強烈な連続突きを慄鬼向けて繰り出す。鬼であってももろに喰らえば致命傷になるだろう。だが、慄鬼は装甲により強化された機動力でそれらを回避する。
「食肉目型音式神の敏捷性ですね……!その速度と機動性、まるで狼だ。そして先程の飛行力は猛禽型音式神の能力。そして腕部は霊長型音式神の応用ですね!」
「……ご名答」
攻撃を繰り出しながら仄暗鬼は初見の装甲のからくりを分析していた。分析しながらであっても、攻撃の手は緩むことがない。さらに仄暗鬼は触腕の先端から水を打ち出し慄鬼を狙った。
「でも当然か。あなたのアイデアを参考にしたんだから」
仄暗鬼が放った鬼幻術・鬼打水を装甲化した拳で薙ぎ払うと、慄鬼はそう寂しく呟いた。この装甲は仄暗鬼のアイデアがなければ完成できなかった。本当はあなたにこそ、感謝したかったという心情が言葉なく表れていた。
「そうですか。全くそれは嬉しいことですね!」
慄鬼のその信条を知ってか知らずか、仄暗鬼はそう答えると今度は触腕から広範囲に水と雷球を放った。逆巻鬼も使う鬼幻術・大瀑布(だいばくふ)と慄鬼が得意とする鬼幻術・電手鞠(いなづまてまり)だ。隙間なく敷き詰められた攻撃が、慄鬼を取り囲むように迫る。
「……鬼幻術・電駆刃・曼荼羅(いなづまかりば・まんだら)ッ!」
しかし、慄鬼がそう言うと、雷電により模られた幾本もの大剣が彼女の周囲を何度も回転し、仄暗鬼の鬼幻術を力強く切り払った。吹き飛んだ水滴が電撃とスパークして輝いた。
その光の瞬きを挟んで、二人の鬼は立っていた。電撃の光が、彼女らの異形を照らした。
「……やはり小技ばかりではあなたは倒せませんね。お互いにそろそろ覚悟を決めるべきではないですか?相手を殺す覚悟を」
仄暗鬼のその口調は嗜虐的であったものの、どこか空虚な響きを持って慄鬼の耳に届いた。思わず、その言葉に慄鬼は言葉を返した。
「うん。だけど、あなたを殺すと悲しむ人がいるでしょ。私もこの前浴びたんだ、悲しさ。……悲しいんだよ、人が死ぬこと、人を殺すことは」
「……いませんよ、私が死んだところで悲しむ人間は。この世の中には一人も」
ぎりりと、烏賊を思わせるその顔面の奥で仄暗鬼は歯ぎしりをした。鬼気迫るその表情に慄鬼は言葉を続けることができなかった。
「……!」
「それとも、私を殺すには理由が足りませんか?今私を生かしておけば、次は秘密を知る逆巻鬼さんと直忠さんを私は確実に殺しますよ。次は『象』の皆さん、その次はそうですね……?秘密に繋がりそうな、御剣鬼の弟子や七座家の忘れ形見でも殺しましょうか?」
沈黙する慄鬼を前に仄暗鬼は滔々と続ける。
「……もしそうなれば、それは全てあなたのせいですよ」
「仄暗鬼ッ!」
その言葉に思わず慄鬼は仄暗鬼向けて飛び掛かった。その突撃を仄暗鬼は十本の触腕すべてで受け止める。
「まだ若いですね……。私の触腕はその一本一本を操作する複製脳だけじゃなく、肺や心臓の臓器、筋繊維も増やしているんです。今あなたを押さえているのはいわば十人の鬼。強化された筋力があっても時間は稼げるはずです。そしてその時間があれば必要十分……」
仄暗鬼は腰に下げた音撃管・龍骨の銃口を慄鬼の胸に突き当て、そしてそのまま引き金を引いた。射出された鬼石が彼女の身体に食い込む。
「……ッ!」
「慄鬼さん、あなたは本当に強い……。だから私が使う最強音撃で一気に決めます」
わずかに、慄鬼を拘束する触腕の力が弱まった。だがそれとほぼ同時に彼女の腹部に仄暗鬼の音撃弦「玄戈(げんか)」が突き刺さり、音撃鼓「蒼星(あおぼし)」が彼女の動きを抑える。
「……音撃神楽・昇り銀龍細波牡丹光露残輪(のぼりぎんりゅうさざなみぼたんこうろざんりん)」
まずは音撃管の音が鋭く鳴り響いた。そしてそれに合わせるように音撃棒がリズムを生み出していく。音撃管の主旋律を際立たせるように音撃弦がメロディーラインを支えていく。
音撃神楽。それは種類の違う音撃を一つの旋律にまとめ上げ放つもの。いわゆる合奏だ。いかに個々人の技量が優れた音撃であっても、バラバラのままでは大した威力はない。それぞれの音撃を足し合わせた威力が出ればよいが、場合によっては互いの音撃を打ち消し合うかもしれない。
だが、音撃神楽は違う。それぞれの音撃を最も活かす形で重ね合わせることで、音撃が持つ清めの音の力を大幅に強めることができるのだ。元々は、大昔の音撃戦士が当時の未発達な音撃技術を補うため、複数の音撃を組み合わせたのがはじまりだという。
仄暗鬼の場合、彼自身が最も得意とする音撃射「昇り銀龍(のぼりぎんりゅう)」を基本に、音撃打「細波牡丹(さざなみぼたん)」と音撃斬「光露残輪(こうろざんりん)」を組み合わせて、巨大な一つの旋律にまとめ上げていた。
もっとも、音撃神楽は複数人向けの技術であり、個人が単独でできるようなものではない。まるで一人オーケストラだ。その分において、音撃戦士仄暗鬼は当代において随一の技術と能力を持つ音撃戦士の一人であることは間違いなかった。
音撃神楽の最後の一音を吹き終えると、慄鬼の身体は大きく吹き飛んだ。その姿を仄暗鬼はつぶさに観察する。
「……変身解除しないのは驚きですね。流石だ象というべきか、新開発の装甲が硬いのか、あるいはあなた自身がタフなのか。それともそのどれもでしょうか」
音撃管を構えながら、仄暗鬼は慄鬼にゆっくり近づいた。その引き金には指が掛けられ、いつでも発砲できるよう準備は整っている。
「……初めて聞いた、音撃神楽」
慄鬼の言葉には答えず無言で、仄暗鬼は彼女向けて発砲する。しかし、その銃弾は空中で霧散する。
「撃ち落としたか……。クイックドロウですか」
慄鬼の手には彼女の音撃管が握られていた。早撃ちで仄暗鬼から放たれた銃弾を全て撃ち落として見せたのだ。緊張が走る二人は、互いに音撃管の銃口を突き付け合った。
「……なんでこんなことしてるの?普通の音撃戦士で生きてればいいじゃん、私と違って」
「普通、か……」
慄鬼のその言葉に、仄暗鬼の目の色が変わった。それに伴い、彼の周囲を取り巻く気も獰猛なものに変わる。
「普通であることなど、私には一度も許されなかった……!歴史が!家が!周囲が!……そして何より私自身が」
仄暗鬼の脳裏に彼の家族の姿が過る。猛士の中でも歴史ある名門としての祝部家、日本中の鬼を先導する誉れある名「鬼灯鬼」。膨れ上がる周囲の期待に応えるべく努力を積み重ねた日々。
しかしそれは異形の肉体と引き換えに崩れ去った。皮肉なことに、より素晴らしい音撃戦士となるべく積み重ねてきた多大なる鍛錬が、仄暗鬼を烏賊のような異形へと変えたのだ。そして単に異形である、という理由だけで彼にかけられていた期待は全て彼を苛む攻撃へと変わったのだ。しかしそれでもなお、模範的な音撃戦士であろうとした仄暗鬼の精神は次第に蝕まれていった。
だが、それでも彼は戦わなければならない。家族に、周囲に認められたかった。努力してきた日々は間違いなんかじゃない。もし戦うのを止めてしまったら、努力なんて報われないことが正しいことが証明される。自分の人生が否定されてしまう。せめて自分だけは、あの時の自分を見捨てたくなかった。
仄暗鬼は触腕に力を込め、目の前に立つ慄鬼に向けて連撃を放つ。それは先程までのような水や雷撃を放つものではなく、握りしめた音撃武器による直接的な攻撃だった。
圧倒的な密度の連撃が実験場の床や壁を砕き切り裂いていく。だが、慄鬼には当たらない。装甲強化された機動力を駆使し、そのことごとくを慄鬼は回避していた。
(……凄い。今まで以上に私の身体が動く、早く強く。心と体の動きたい動きが同じになる。この姿が私の本当の基本なんだ!)
慄鬼は度重なる実験もあり、ロールアウトしたばかりの装甲を早くも全身に馴染ませていた。装甲を動かす役割を持つ音式神の魂に一切ロスなく信号を送り、自らの理想とする機動を実現していた。彼女が志していた鬼の装甲化は、ここに完成したのだ。
「今ならあの技が使えるかも。逆巻鬼、技を借りる……。鬼闘術・加速霊柩(かそくれいきゅう)」
その言葉より早く、仄暗鬼の身体を衝撃が襲った。
「バカなっ!この速度、加速霊柩だと!」
鬼闘術・加速霊柩は、全身の血流を操作し身体機能を大幅に向上させる技だ。だが、それほどまでに自己の肉体を制御できる鬼など限られており、その修得は困難である。そのため、使える鬼は逆巻鬼や臓鬼のような一握りであり、古文書に名を残すばかりの技術となっていた。その領域に、慄鬼はたどり着いていた。
仄暗鬼は無数の連撃を絶え間なく浴びせながらも、超高速で動く慄鬼を仕留めきれない。遂に、仄暗鬼は音撃武器を持たない腕からも雷撃や水流を放ち、驚異的な波状攻撃で実験場全体ごと慄鬼の周囲を覆いつくした。
しかしそれらもなお慄鬼は超高速で動き回避する。加速霊柩の発動に加え、極められた集中力もさることながら、装甲をまとうことで自らの存在自体を正確に知覚できるようになった慄鬼には、仄暗鬼の身体が透けるように見えるようだった。骨が、筋肉が、神経が次に何をしようとするのか全て、見えるようになっていたのだ。
これまで慄鬼は触れることで相手の魂を知覚したり、自らの体内を操作することで毒を排出したりといった、魂の知覚とでもいうべき特殊な技能を使っていた。装甲化することでその技能が最大限に励起した結果、今の彼女は戦闘のすべてを手に取るように知覚していた。
「……音撃神楽ッ!」
今も目の前で力を増していく装甲慄鬼を確実に仕留めんと、仄暗鬼は再度音撃神楽を発動せんと構える。
「ハアッ!」
しかし、音撃神楽を放つそのわずかな「溜め」を慄鬼は見逃さなかった。三つもの音撃武器を構えたその瞬間に、慄鬼は手にした音撃弦の刃で仄暗鬼の触腕を切り飛ばしたのだ。そしてそのまま慄鬼は音撃弦を仄暗鬼の身体に突き立てる。
「音撃斬・永訣挽歌!」
音撃震をセットし展開した音撃弦を慄鬼は弾いていく。それも一撃ではない。高速移動を活かし、瞬く間に数十発の音撃斬を仄暗鬼に向けて放った。その凄まじい威力に、仄暗鬼の全身が切り裂かれていく。
「なんて強さだ……慄鬼」
顔の変身が解かれたホノグラキは、全身から流血しながら倒れ伏した。その姿を慄鬼は顔の変身を解き見下ろした。眼鏡の奥の瞳が静かな光を湛えていた。
「……どうした?殺さないんですか、この私を」
口元から吐血しながらも、ホノグラキはオノノキにそう話しかけた。その声色はどこか自嘲的だ。その言葉を聞きオノノキは、静かに言葉を返した。
「私は鬼を守るために戦う。目の前の鬼も同じように守る。……あなたは生きて罪を償って」
ホノグラキはオノノキの言葉を聞き、一瞬はっとしたような表情を浮かべた。そしてその顔を緩めた。
「オノノキさん、私はあなたを勘違いしていたようです。あなたが殺しを嫌うのはてっきり自分が殺人の十字架を背負いたくがないためだと……。でも違った。あなたは罪に向き合い、償うことをこそ大事だと思っている。自分自身も例外なく……」
「……だって、嫌じゃん。死ぬのも殺すのも。人を殺した私の命は、もう自分だけのものじゃないから。だから償わないと。いずれ必ず人は死ぬんだから。自分が奪った命のために、この命を使わないと」
「ククッ、面白いですね……。私の完敗だ」
そう呟いたホノグラキの視線の先には心配そうに駆け込んでくる直忠とサカマキの姿があった。彼らは口々にオノノキの名前を呼んでいた。その声を聞き、オノノキも彼らの方を振り返った。
だからこそ、ホノグラキの次の行動に対し、わずかに注意が逸れた。
「ですが、けじめはつけないと」
ホノグラキの言葉に、オノノキは思わず彼の方を振り向きその動きを知覚した。そして彼の次の行為を予期した。
だが、彼女はすぐに動くことができなかった。その予期を信じたくなかった、信じることができなかったからである。彼女の目の前でホノグラキの腕が予期をなぞるように動いていく。その動きを止めるには、オノノキはわずかに遅かった。
「……待って、嘘」
果たして彼女が予期した通りに、ホノグラキは自らの心臓をその手で抉り出し、握りつぶした。
どんどん小さくなる彼の呼吸音と反対に、赤い血だまりがホノグラキの周りに広がり、オノノキの足元を濡らしていた。彼女の手から零れ落ちた音撃弦が小さな水音を立てた。
―続―
・装備:外付式怪力増幅装置・偶手甲(ぐうしゅこう)
外付式怪力増幅装置・雪渡(ゆきわたり)
外付式自在可翔翼・星巡(ほしめぐり)
音撃戦士慄鬼らのグループが開発した、音撃戦士の装甲強化プロジェクトの成果品。ディスクアニマルの技術を応用したパワードスーツであり、音撃戦士がそれらの鎧を着込むことで、単純な防御力だけでなく筋力や機動力を増強することができる。
偶手甲は腕部に、雪渡は脚部に、そして星巡は背部に装着することでその効果を発揮する。そしてその効果を完全に引き出すためには元々の人体と装甲部分の動きをすり合わせ、ズレをなくすことが重要である。
そのズレをなくすために、装甲部分はディスクアニマルに宿る魂を用いて動きを補助している。偶手甲には腕力に秀でた「翠玉大猿(スイギョクオオザル)」を、雪渡は敏捷性と走力に秀でた「蒼玉狼(ソウギョクオオカミ)」を、そして星巡には飛行能力に秀でた「紅玉鷹(コウギョクタカ)」を搭載し、より効果的に性能を発揮している。これらはディスクアニマル同様の円盤状で装甲に搭載されているが、変形機能こそ残されているものの、他のディスクアニマルのように変形して使用されることは基本的にはない。