実験室の床に真っ赤な鮮血が広がっていく。その中心に横たわっているのは音撃戦士仄暗鬼だ。首元から生えた十本の触腕は力なく、その色を血に染めていた。
「あ、あああああ……!」
その血だまりに駆け寄りびちゃびちゃと飛沫を跳ね上げるのは、音撃戦士慄鬼。鎧をまとったその身体を震わせ、仄暗鬼の元に屈みこむと、彼女の足元には血がべったりとこびりついた。
「な、直さないと……!」
慄鬼は焦った様子で仄暗鬼の胸元にぽっかりと空いた穴に手を乗せ塞ごうとする。だが、無情にも出血は甚だ激しく、慄鬼の手には血がべったりと染み渡った。
「どこを、どこを塞げば!何とかしないと……!」
慄鬼の目には鬼の力が高まりすぎたために、仄暗鬼の体内が、骨や筋肉が全て透けて見えるほどだった。彼の体内のどの細胞がどう動き、そして何が致命的であったかを。
いかに慄鬼が優れた再生能力を持っていると言えども、それはあくまで彼女自身に作用するもの。それゆえ、心臓を自らの手で潰した仄暗鬼を救命するには、今の慄鬼にはどうしようもできず、ただその手を彼の胸にかざし出血を押さえることしかできなかった。
「や、待って……死なないで……ッ!」
慄鬼の仮面の奥の顔は青ざめていた。震える指先からはなお仄暗鬼の血が溢れ出てくる。どれほど「戻れ、戻れ」と念じても、彼の身からはとめどなく血が流れるばかりでした。
「……ククッ、止してください。私はもう、助かりません」
そう小さな声で仄暗鬼は静かに言葉を発した。その声を聞き慄鬼は感情任せに叫んだ。
「分からない、じゃん!そんなの!」
「いえ、分かるのですよ……。それに私は今死ななければ、あなたに伝えられないことがあるのです」
「なっ、なんなの!助けないと、あなたを!」
だが、仄暗鬼の言葉を意に介さず、慄鬼はただ彼の出血を手で押さえ込むばかりだった。
「聞けえッ!」
「ッ!?」
ひときわ大きな叫びと共に、仄暗鬼の口角から血が飛び散り、慄鬼の顔に降りかかった。鮮血に染まる視界に、慄鬼は冷静さを取り戻した。
「ゴホッ……!
「仄暗鬼さん……!」
一際大きい血の塊を吐き出した仄暗鬼に慄鬼は心配そうに声をかけた。
「……私が死ぬ前に何か情報を話すと、私の身体は生きたまま焼かれてしまう……。見てきたはずです。同じように燃え盛る鬼の身体を」
「……」
「だが、こうやって一度死んでしまえば……。ですがまだいくつか私の心臓は動いています。遺言を伝える時間ぐらいは」
仄暗鬼は血と共に言葉を吐き出した。その声に慄鬼は静かに涙をこぼした。
「遺言なんて……」
「まあ聞いてくださいよ……。死人の願いだと思って……」
彼が自嘲気味にそう言うと、慄鬼は静かに口を噤み真っすぐに彼の目を見た。湛えた涙が輝くその瞳に映る自分の姿に、仄暗鬼はわずかに微笑んだ。
そして小さく息を吐き出すと、彼の知る全てを語り出した。
祝部家というのは、猛士を構成する中では古参の名門でありその名も広く知られていた。その長男として生まれた「祝部 宝一郎(ほうり ほういちろう)」は最初は仄暗鬼などと言う陰気な名前ではなく「鬼灯鬼」という由緒ある名前を受け継いだ優秀な鬼だった。
宝一郎は先代の鬼灯鬼、つまり彼の父を師とし幼少期から過酷な修行を課されてきた。彼はまだ小学生にもならない時期から山々に分け入り最前線で魔化魍と戦ってきた。最初から、名門を継ぐ息子としての役割のみが期待されていたからだ。
そして彼はその期待に応えるべく努力は怠らなかったし、それにふさわしい実力も付けてきた。まだ十代で変身を遂げ、二十歳を迎えるころには「鬼灯鬼」として単独で魔化魍討伐に向かう彼はまさしく若手の星であり、周囲からは慕われていた。
だが、それはあくまで周囲だけの事。その閉鎖的な家族の中での出来事を彼はこれまで語ってこなかった。両親からは常に過干渉を受け、全てを指図され採点される毎日。弟と妹に対しては成功は親のおかげ、失敗したらああなるなと常に悪い見本としての扱いを受けていた。両親も、宝一郎を害しようという意図があったわけではないと信じたいが、それでも決して良い影響は与えていなかった。弟と妹も彼と同様に鬼となり、彼自身も三十を過ぎベテランと言われるほどの経験を積んだ時でも、まだそれは残っていた。
この頃になると、宝一郎は自分の「衰え」を強く感じるようになった。周囲の鬼たちが経験を積み、技に一層の冴えを見せるようになっていたが、彼は若い頃からさして変わらず、むしろ伸び悩むようになっていた。これは、ひとえに宝一郎が若年の頃から十分な実力と才能に満ち溢れていたためであり、十分な経験を積んだ段階にふさわしい実力をかねてより有していたということ。つまり実力にやっと年齢が追い付いてきたということだった。
だが、それを許せる家族ではなかったし、それを許せる自分でもなかった。一層宝一郎は鍛錬に励み、何とかその伸び悩みを脱却しようと努力を積み重ねた。そしてその結果、その身体は烏賊を思わせる異形へと変じてしまった。
異形の鬼は通常の鬼以上に戦闘能力が向上する。無論その肉体を十全に扱うための鍛錬あってのこそだが。宝一郎は確かに彼の望んだとおり更なる強さを手にしたのだ。
だが、異形の鬼は名門にはいらなかった。宝一郎の姿を見た両親はすぐさま彼から「鬼灯鬼」の名を剝奪し、弟に無理やり継がせた。あまりに急な襲名に、周囲からの反論こそあったものの、父宝暗は前当主としての権力で押し通した。追いやられた宝一郎は名門の音撃戦士から外れ、一介の音撃戦士となった。
それだけならばまだよかった。この頃から「仄暗鬼」を名乗り始めた宝一郎は、異形とは言え達人的な音撃の技量の持ち主であったし、現場での評判も良かった。彼にとって不運だったのは、新たに「鬼灯鬼」を継いだ弟宝二郎がすぐさま魔化魍の戦いで落命したことだった。
おそらくは、名門としての箔をつけ、急な襲名に対する反論を黙らせるために無理な任務に出撃したのだろう。だが、その結果がこのあり様だ。両親は変わらず宝一郎を糾弾したし、彼自身も「もし自分が『鬼灯鬼』のままなら、弟は死ななかったのではないか?」と考えた。
自責の念は一層高まるが、今更「鬼」以外の生き方などできようもない。最後に残った妹が「鬼灯鬼」を襲名すると、宝一郎は家柄から離れ、猛士の一員としての鬼として淡々と職務を全うしていた。
そんな折に、ある人物から接触があった。曰く、その類まれな実力を単なる音撃戦士として使うのは惜しい。「猛士総本部付主任内部監察官」として同じ鬼を守るために戦わないか?と。最初は断ろうと考えた。そういう立場に縛られることはもう避けたかったし、特段やりたいとは思わなかったからだ。
だがその男は続ける。君のような鬼は実はたくさんいる。必死で努力しても何も認められず苦しむ鬼たち。そうした鬼たちに手を差し伸べたいのだ。本当は君もわかっているはずだ。同じような境遇を救うことが自分を救うことに繋がるのだと。そう言って何度も頭を下げるその人物の姿に、宝一郎は悩みながらも彼の申し出を承諾した。
「……名前は?その人の」
「ククッ……。皆がその名を知る方です……」
そう言ったホノグラキは顔の変身が解けていた。何とかその体を起こすと、同じく顔の変身を解いたオノノキにそっとその名前を耳打ちした。
「……!」
「はぁ……。秘密を抱え続けるばかりの人生でしたが、こうして話してしまうとどこか気が楽になりますね……」
背中を下ろしたホノグラキの周りにばしゃりと血飛沫が舞った。だが、その血の海に半身を沈める彼の表情は憑き物が取れたかのように穏やかなものだった。
「何で?何で話そうと思ったの?死んでまで」
オノノキが震える声でホノグラキに尋ねた。
「さあ、何ででしょうかね……。ただ、あなただから話そうと思ったのかもしれません。あなたの悩みながら戦う姿に、私自身を重ねたのかも……」
そう言うとホノグラキは大きく深呼吸した。その瞳がぼんやりとオノノキの顔を見ていた。
不意に、その顔が揺らいだ。わずかに間を置いて、彼の血で粘ついた唇に何かが触れる感覚。
「な、何を……!」
「したいと思ったから……」
そう言いながらオノノキは感触を再確認するかのように自らの唇を触る。彼女の指先に血の跡が残った。
「……ククッ、クハハハハ!私を憐れんでのことですか?」
「だって、可哀そうだもん」
「可哀そう、ですか。これは傑作だ!最後の最後にこうなるなんて、私は……」
口から鼻腔を通じて満ちるオノノキの感触に、だがホノグラキはその中に不器用ながらも愛情を確かに感じた。遂に自分に向けられた、あれほど焦がれたその感情を確かめるようにホノグラキは目を閉じ、自らの頬に落ち続ける雫を決して拭おうとはせず、大きくゆっくりと息を吸い込んだ。
それから少しだけ時間が経って、実験室にようやく直忠とサカマキが戻ってきた。
「先輩!」
「オノノキ!」
静かな実験室に彼らの足音だけが大きく響いていた。しかし、オノノキはホノグラキの横に座ったまま動かなかった。
「先輩……?」
サカマキが小さな声で再度オノノキへと呼びかける。その声にオノノキはだが振り向かずゆっくりと立ち上がると、一言だけ言葉を発した。
「死んだ」
変身を解き汗ばんだ顔をタオルで拭うと、オノノキは直忠に電話を借りた。宛先はもちろん、彼女の師である重蔵である。
「重蔵先生?」
『オノノキか?無事か?直忠も』
「はい、一応。サカマキも巻き込まれましたが無事です」
そう言いながらオノノキは直忠とサカマキの様子をチェックする。サカマキは鬼の回復力があればすぐに治るだろう。直忠も出血こそあるが軽傷だった。彼が手加減をしていたのだろう。
『そうか……。こちらも襲撃に遭ったが、今さっき解決したところだ。「象」の連中は問題ない』
そこで一度重蔵は言葉を切り、吐き出すように言葉を続けた。
『二人死んだ』
「……そうですか」
重蔵の言葉に、オノノキは歯噛みした。握りしめられた拳がわなわなと震えている。
「それよりも、ついにわかりました。直忠先生の解析と証言を組み合わせて、これを仕組んだ黒幕が」
『何?わかったのか?』
電話越しにも、重蔵の声が変わったのが分かる。そしてそのままオノノキはためらいなくその黒幕の名を告げた。
「……え?本当かい?先輩?直忠さんも?」
オノノキの言葉を聞いたサカマキが驚いた声を上げる。とても信じられないという目で彼女は直忠の方を見るが、彼の表情は苦渋に満ちた真剣なものだった。その顔にサカマキはオノノキの言葉が事実だということを感じた。
「そんな……」
「私も驚いた……。だがサカマキさん、君が気に病むことはない。君は何も悪くない」
衝撃を受け思わずへたり込むサカマキに直忠がそう声をかけた。その言葉に彼女は少し落ち着きを取り戻した。
「すぐに叩くべきだと思います。重蔵先生」
しかし、オノノキは落ち着いてはいなかった。表面上は冷静だが、その内側では彼女らしからぬ情念が積乱雲のようにうごめいていた。の感情の昂りを感じ取ったのか、重蔵は諭すような口調で尋ねた。
『どうした、オノノキ。お前らしくもない焦りだが』
「いえ……」
『それに、今が今というわけにもいかんだろう。こちらも消耗が激しい』
「……ですが」
重蔵からのその言葉にオノノキは口元を苦々しく歪めた。しかし、電話口にも彼女の感情を感じ取ったのか、重蔵は少し間を空けて言葉を続けた。
『……だから襲撃は深夜になる。いまさっき日が暮れたところだ。それまで休息に努めておけ』
「……!了解!」
オノノキは少し強くそう返事すると電話を切り、直忠に返した。とりあえずの報告を終え、彼女は大きく息を吐くと少し気を楽にした。
「先輩……」
研究室の椅子に座り体重を預けたオノノキに、サカマキが不安げに話しかけた。
「サカマキ……。大丈夫?」
「いや……正直何が何だか、わからない」
そう言うとサカマキはがっくりと首を垂れ俯いた。そして、オノノキを見ることなく続ける。
「これが、先輩の本当の仕事なのかい?」
その言葉にオノノキは表情を一瞬こわばらせ、力なく呟いた。
「そうだよ……。これが私の仕事。同じ鬼を殺すのが」
軽蔑した?とオノノキは最後に付け加え皮肉めいた微笑みを作って見せた。だが、その笑みは酷くがちゃがちゃでまるででたらめに顔のパーツを継ぎ接ぎしたかのようだった。
「軽蔑なんて、しないけど……」
そう言ってサカマキはオノノキに背中を見せた。サカマキの視界から外れたオノノキの表情は一気に崩れた。
「……ホノグラキさんは、残念だったね」
サカマキのその言葉にオノノキは沈黙だけを返した。サカマキは小さく息を吐くと、オノノキにまた尋ねる。
「どうして、鬼同士で殺し合わなければならないんだい……?」
サカマキの言葉に、オノノキは苦々しく口を開いた。
「それは……鬼の力を悪用されるのを防ぐため……。誰かがやらなきゃ。鬼を止められるのは同じ鬼だけだから……」
そこまで言うと、オノノキは大きく息を吐き、その身に渦巻く感情を押しとどめようとした。だが。
「本当は誰も死んでほしくない!皆に正しく平和でいて欲しい!間違えるのは私たちだけでたくさん!」
「先輩……」
「オノノキ……」
そう叫ぶオノノキに、サカマキと直忠はかける言葉が見つからなかった。震える背中が彼女が背負ってきた苦悩の重さを物語っていた。
人間を喰らう大自然の負のエネルギーの権化たる魔化魍。その被害を食い止め戦うために鍛え上げられたのが「鬼」の力だ。人知を凌駕した怪物と渡り合い、倒すための力は強力無比で、鬼になりたての新人でさえも軽く殴れば人をたやすく肉塊に変えるだけの力を持っている。その強大な力を自覚しつつそれを人々を守るために正しく使う心こそが「鬼」にとって重要なのだ。鍛えるとは何も身体ばかりだけでなく、心もまた鍛えなければならないのだ。
だが、いくら鍛えたところでその身体が怪我を負うようにその心にも傷が生じることもある。多くの鬼たちは怪我を癒し治すように心の傷も時間をかけて治し、また戦うのである。その姿はなんと尊く気高いものだろう。
しかし、すべての鬼がいつでも誰でもそう正しく「成れる」わけではない。誰もが悩みを抱え迷うこともある。強大な力を持つがゆえに、鬼はその力を常に正しく使わなければならない。そして、誰一人として絶対に間違えない、ということはない。
それは歴史が証明してきた。元より魔化魍を退治し清めるために生まれた「鬼」の力であっても、時には人間から迫害され、時には戦乱の中で禍を広げた。それでもそのたびに「これではよくない」「次はもっと上手くやろう」「正しく直そう」と不断の努力を続けてきたからこそ、人間にとっても鬼にとっても平和な時代が何とか築かれてきたのだ。
その平和を脅かす存在に対する最終装置こそ、自分たち「象」の鬼だとオノノキらは自覚していた。鬼の強大な力を「全体として」正しく扱い世の役に立ち人々を守るために、時には暴力などの「間違えた力」を用いてでも正す。それが彼女らの役割だった。
そしてそれは今回の戦いでも同じ。多くの鬼を堕落させいたずらに道を外れさせた存在を放置してしまえば、必ず禍の時代が訪れる。それを止めるため、未来の犠牲を防ぐためと自らに言い聞かせて、彼女らは戦いに身を投じている。
「……それは先輩が本当にやりたいことなのかい?」
うずくまるオノノキに、サカマキがそう問いかけた。その言葉に、オノノキははっと顔を上げた。
「誰にもやって欲しくない……。だからやるの、私が」
「そんなに辛いのに?」
オノノキの言葉に、サカマキは心配そうにそう尋ね返した。
「途中で止めたら、死んだ人たちに顔向けできない。煤ヶ澤村で犠牲になった人、さっき戦った駒鬼、那由多君の両親、それに……」
「……ホノグラキさん?」
サカマキの言葉にオノノキは小さく頷くと自分の手のひらを見た。ホノグラキが死に際に流した血の、べったりとした感触がまだ生々しく残っている。
「ハ……ッ!」
その感触を残したままの手で、オノノキは自らの身体を折れるほど強く抱きしめた。その姿を見つめていたサカマキであったが、何かを思い立ったかのように、不意に口を開いた。
「それじゃあ、私も先輩と一緒に戦うよ!乗り掛かった舟だしこのままだと鮫だけにシャクっていうか」
努めて明るい口調でそう話すサカマキであったが、その言葉にオノノキはその表情を鬼気迫るものに変えた。
「ダメだ!」
その絶叫は周囲を震わせ、聞いた人間の内臓さえ揺らすほどの迫力をもってサカマキたちの耳に届いた。
「サカマキは、彩和ちゃんは!……絶対に幸せになって。私が死んでも、こんなことはさせない」
そう言ってオノノキはすっくと立ちあがり、サカマキを真っすぐと見つめた。その立ち姿はまるで天を裂く稲妻のように鋭く、名工が打った刀のように凛々しくあった。そこには先程までの弱々しい姿はなく、悲しみをも呑み込んだ一人の鬼が立っていた。
「……先輩」
サカマキの言葉にオノノキは少しだけ頷くと、大きく深呼吸した。
「はっきりしたよ、戦う理由」
そう言いながらオノノキは何かを確かめるように手のひらを握った。
「私の後ろにいるいろんな人たち。皐月会の皆や直忠先生、那由多君やサカマキ。その人たちを守るのが、私の戦う理由」
「……そのために、同じ鬼とも?」
サカマキの確かめるようなその言葉に、オノノキは静かに返した。
「戦うことをためらっている間に人が死ぬのは嫌。だから戦う。それが罪でも逃げずに」
そう強く言い切ると、オノノキはまっすぐにサカマキを見据えた。その瞳はどこまでも黒く、それでいて炎が燃えるように揺らめいて見えた。
数時間後。日付が変わりとうに日は落ちた深夜には、真っ黒い天幕に宝石をばらまいたような満天の星空が広がっていた。その夜空を眺めながらオノノキは口から紫煙を吐き出した。
「……時間か」
オノノキがそう呟くと、間もなく彼女の元に車が近づき停まった。その扉を開けると、彼女はためらいなく車に乗り込んだ。
「オノノキちゃん、無事かい?」
「カッキさん、クダキさん。それに重蔵先生」
その車に乗っていたのはカッキとクダキ、そしてハンドルを握っていたのは重蔵であった。
「まあ、俺たちも無事にとはいかないが」
クダキはそう言うとカッキらに目を向けた。わずかに休息を取ったとはいえ、彼らの身体には生傷が多く、想像を絶する激闘を繰り広げてきたことを物語っていた。そしてそれはオノノキも同じだった。
「他の『象』の皆は?」
シートベルトを締めたオノノキが尋ねると、重蔵がミラー越しに彼女に目線を向けて答えた。
「大丈夫だ。お堂を襲撃してきた連中も軒並み捕縛して、動けないようにツマビラキやネジマキたちが見張っている」
車がカーブに差し掛かると、重蔵が静かにハンドルを切った。
「それに他の連中もお堂に集まった。いつでも動ける」
「それなら、安心」
そう呟くとオノノキは眼鏡を直し窓の外を眺めた。その視界の中をいくつもの木々が過ぎ去っていく。
「奈良吉野……。鬼を操る黒幕の棲家が猛士の本拠地というのは皮肉だねぇ」
「いや、これ以上ないほどにお似合いだろうと俺は思うな」
車は市街地から離れた山間部を走っていく。次第にその道のりは登り坂になり。重蔵がアクセルを踏み込む足にも力が入った。
しばらく車を走らせていると、静謐な山々の中に突然一際目立つ屋敷が現れた。豪華な和風づくりの建築であったが、まるで人気はなく、沈黙に包まれている。
その片隅に車を停めると、重蔵は何かに気づいたように呟いた。
「結界だ」
「結界ィ?」
「それなり以上に強い鬼としての力を持たなければ、この中には入れん……。とはいえ普段からそうというわけではなく、恐らくは我々が来たからセキュリティを最大に高めているに違いない」
クダキの疑問に重蔵はそう返した。フロントガラス越しの屋敷を睨みながら彼はさらに続ける。
「悪いが、私はここまでだ。この結界は『一度引退した』ような鬼には破れない」
「重蔵サンでも入れないのかい、そりゃ大したものだ」
カッキの言葉に重蔵は渋い顔をしてその言葉を無言で肯定した。
「それでも行くしかない。私たちだけで」
オノノキは眼鏡を直すと、シートベルトを外し車のドアを開けた。瞬間「違う」空気が車内に流れ込んだ。重蔵の言う通り、この空間は異常なものであった。
「行こう。ケリをつけに」
しかし、それにも臆さず車から降りたオノノキは、静かに車内に呼び掛けた。その言葉に、彼らは無言で頷き応じる。
「厳しい戦いになると思うが、この場所は既に『象』の連中にも共有されている。私がここで連絡を取り、状況に応じて応援を呼ぶ」
「はい、先生……」
「まあ、援軍待たなくても俺たちで片付けちまおうぜ」
「重蔵サンの変身、見たかったな~、ボク」
口々にそう言いながらも、鬼たちは決戦に臨む準備を整えた。一見和やかな雰囲気。だが、そこにはこれまで以上に強い緊張が張り詰めていた。
「私がやるのはガラじゃないが」
準備を整えた彼らに重蔵は向かい合うと、火打石を鳴らし彼らを送り出した。普段魔化魍退治に出かけるサポーターが鬼に対してやることだ。
重蔵を残し、三人の鬼は屋敷の門の前に立った。皆一様に真剣な表情を浮かべている。
「……行くよ」
オノノキが力を入れると、その屋敷の門は思った以上にあっさりと開いた。
「来たか。『象』の鬼。思っていたよりずっと早い」
その呟きは誰に向けられたものであったか。そよ風が木々の枝葉を揺らしている。
「さしずめ『龍王戦』と言ったところかな」
雲一つない満天の星空にその声は紛れて消えた。
―続―
・音撃戦士仄暗鬼
変身者・ホノグラキ(祝部 宝一郎/ほうり ほういちろう) 享年33歳 男性
身の丈(身長):7尺3寸(222㎝) 目方(体重):65貫(243kg)
変身アイテム
変身鬼笛・音朧(おんろう)
音撃武器
音撃棒・天狼(てんろう) 音撃鼓・蒼星(あおぼし)
音撃管・龍骨(りゅうこつ) 音撃鳴・寿(ことぶき)
音撃弦・玄戈(げんか) 音撃震・五月雨(さみだれ)
特殊技能
鬼闘術・旋風拳(せんぷうけん)
鬼闘術・雷電拳(らいでんけん)
鬼幻術・鬼打水(おにうちみず)
鬼幻術・電手鞠(いなづまてまり)
自在に動く強靭な十本の触腕
鬼幻術・くらがりによる迷彩能力
必殺音撃
音撃打・細波牡丹(さざなみぼたん)
音撃射・昇り銀龍(のぼりぎんりゅう)
音撃斬・光露残輪(こうろざんりん)
音撃神楽・昇り銀龍細波牡丹光露残輪(のぼりぎんりゅうさざなみぼたんこうろざんりん)
代々優秀な鬼を輩出する西の名門「祝部家」出身の鬼。数多くの鬼たちの灯りとなり先頭として立つべく「鬼灯鬼(ホオズキ)」を当主は名乗る。名門であるがゆえに幼少期から過酷な修行を積み非常に優れた能力を有していたが、過酷な修行の末能力を特化させた結果「烏賊」のような槍の穂先を思わせる頭部と自在に動く触腕という異能を有した異形となってしまった。
そのため、長男であったが家督を弟に譲ることとなり見捨てられたかのような扱いを受けていた。「異形」の鬼でありながらその環境に腐らず一流の音撃戦士として戦ってきたが、弟が魔化魍との戦いで死亡。家督は妹が継ぎ、家族から辛い言葉を浴びせかけられたことで精神的な疲弊が大きくなっていた。
鬼としては水と雷の二重属性。複数の属性を扱える鬼は珍しく、大きく離れた二つの属性を自在に操る例は少ない。音撃については打・射・斬のすべてに秀でる。特に音撃射が得意分野。そして自在に動く触腕を用いて三つの音撃を一つの旋律として同時に放つ「音撃神楽」を使用可能。また、鬼の再生能力の応用として心臓や筋繊維を複製増加、全身に分散配置しており、通常の鬼を遥かに上回る身体能力を有している。