その屋敷にはまるで人間の気配がなかった。その代わりに圧し潰すようなプレッシャーとでもいうべきか、陰惨な雰囲気がまるで熱気のようにどんよりと満ちていた。
その廊下を静かにオノノキらは歩く。一歩進む度、床板がギィときしむ音を立てた。その音に注意しながら、彼女らは屋敷の奥へと進んでいった。
「それにしても広い家だな」
「そうだねぇ。もっと他に誰かいたら違ったかもしれないけど」
クダキのぼやきにカッキがそう返した。まだ廊下は長く続いている。これが例えば誰かに案内されながら、あるいは誰かと戦いながらなら、時間があっという間に過ぎたかもしれない。しかし、静かな屋敷の中を最大限警戒しながらの歩みは、実際の時間以上に時を長く感じさせた。
「けど、本当に静か。嘘みたいに」
オノノキはそう呟きながら襖をゆっくりと開けていく。この部屋にも誰もいない。
「……やっぱり、こんな小部屋にこそこそしてるわけないか」
なんてことはない。その部屋はただの物置だった。一応中を確認すると、オノノキは小さくため息をついた。
「もう、まっすぐ行こう。どうせ向こうにもばれてるんだし」
そう言うとオノノキは、ずんずんとためらいなく廊下をまっすぐ進もうとした。
「おい、流石にそれは短絡的すぎるんじゃねえか?」
今まさに一歩を踏み出そうとしたオノノキの肩に、クダキの手が伸びその動きを抑え込んだ。振り返ったオノノキはクダキの顔を見上げながら口を開く。
「これから戦う相手は、もっと堂々と構えてると思う。だから、いるべきところにいるはず」
オノノキの口調にはどこか確信めいたものがあった。その言葉にカッキは無言で同意を見せると、クダキも渋々ながらオノノキの後ろに従った。床板がまた、小さくきしんだ。
屋敷の一番奥。一際広い座敷の襖をゆっくりと開けると、やはりというべきか、その男はそこにいた。
「……ようこそ来訪者」
「……驚いたねぇ」
「おいおいマジかよ……!」
その座敷の一番奥に座る男が口を開くと、その声にカッキとクダキは驚きを隠せない。
「ワシの家に勝手に入ってきたくせにそう驚くな。まあ、座れよ」
男はそう言うと手を軽く振って見せた。すると、部屋の燭台がその手の動きに呼応するかのように独りでに灯って見せた。
「ボクと同じ、発火能力?」
「いや、スマート家電だ。手を振ればセンサーが反応し燭台、といってもLEDだが、自動で灯る仕組みだ。最近の家電は便利になったものだ」
「それは解説どうも。けどその顔を見ると、否が応でも信じざるを得ないねぇ……」
カッキの疑問に答えたその男の顔が灯りに照らされ、露わになった。その顔を目の当たりにし、オノノキは重々しく口を開いた。
「真坂見 真人。あなたが『黒幕』?」
そこに堂々と座っていたのは、戦後から第一線で活躍し、現在の猛士の基礎を築いた功労者。その功績を称え『龍王』とも呼ばれ尊敬の念を集める組織の重鎮。「真坂見 真人」その人だった。
これ以上ないほどに、猛士の、そして鬼たちの正義と理想を体現していたその老人が、今大勢の人々を巻き込み鬼を邪道へと誘った最重要参考人として座っている。実際にその姿を目の当たりにしても、カッキとクダキはそれを信じられないようだった。
「単刀直入な問いだが、まあいい……。順を追って『答え合わせ』といこうか」
そう言うと真人は再び、オノノキたちに座るように促した。その仕草に、彼女らは応じ座敷の上に腰を下ろした。
座敷の上に座ると、畳を編む井草のいい香りが鼻腔をくすぐった。座り心地もよい。おそらく、相当に手入れが行き届いているのだろう。オノノキらが皆座ったことを確認し、真人が口を開いた。
「安心したまえ、使用人には暇を出している。君たちを不意打ちする輩はここにいない」
真人の言葉に背筋を正すと、オノノキは静かに問いかけた。
「一体どうして、あんなことを?」
「あんなこと、というのが鬼を用いた人殺しを言ってるなら……ワシが現役のころからやっておる」
最も、集団かつ大規模で行うようになったのは、つい最近だがね、真人は最後にそう付け加えた。つまり、この猛士の皆の目標となり崇敬を今なお集めるこの老人は、その伝説を不動のものとしていた現役自体から、人殺しに手を染めていたのだ。臆面もなく語られたその言葉に、オノノキらは内心驚きを隠せなかった。
「そんな昔からやってたのかよ……」
「何、大乱の世では大して珍しくはないこと。……戦後の混乱期は鬼の力を使ってでも生き延びねばならなかった。戦後でさえそうだったのだ。実際の戦争中に鬼の力を使った連中が大勢いることぐらい『象』では常識だろう?」
真人はそのままさらに続ける。
「八賀忍軍、陸連船団、戦国鬼大名、帝都事変……。鬼の力が魔化魍退治と人助けに使われる時間など、歴史に比べればちっぽけなものだ」
真人はそう言うと部屋の外側を見た。襖は開かれ、縁側から庭が覗ける。その夜空には無数の星が瞬いていた。その星々と同じ数だけ、歴史上で鬼たちは血を流してきたのである。それは誰にも覆しようがない歴史の事実であった。
「最近は集団でやるって、いつから?」
努めて冷静な口調で、オノノキは真人に尋ねる。その姿に、真人はゆっくりと口を開いた。
「元より秩序だって殺しをやるという構想はあった。『象』を知っていたからな。だが、一番最初のきっかけは『仄暗鬼』を抱き込めたところかな」
その名を聞き、オノノキは不快そうに眉間に皺を寄せた。彼もまた、真人の陰謀に命を落とした人物だからだ。
「勘違いするな。君と同じように、彼の来歴は不幸なものだとワシも思っておる。名門に生まれ、名門に相応しく在ろうと文字通り死に物狂いで努力しても、ああも報われんとはな……」
真人はそこで一度大きくため息をついた。心底、仄暗鬼を憐れむかのように。
「彼は本当に惜しかった。オノノキ、君は彼と個人的に付き合いがあったようだが?」
「彼のおかげでここまで来れた」
そう言うとオノノキは自分の胸に手を当て、ぎゅっと握りしめた。その姿を見て、真人は小さく息を吐いた。
「……だが、仄暗鬼のような悲劇は鬼の中でも意外にあふれていた。守るべきもののために身を粉にして働き、それが何も報われない虚しさ……。鳴神月鬼の夫妻を知っているか?」
そう言うと真人はカッキの方を見た。真人の言葉に、カッキは苦々しい表情で返す。
「……親戚だからね。あなた以上に知ってるつもりですよ」
「彼らも名門に生まれ、必死で戦ったのに、守るべき人間からいじめられ、猛士の同じ鬼からさえ、精神を否定するような暴言を受けた……。純粋に心配で訪問した時の七座君のあの表情、筆舌に尽くしがたいものだった」
そう言い目を伏せる真人に、オノノキは引っ掛かりを覚えたように言葉を返した。
「純粋に心配で?何か仕込んでないの?」
「ああ、最初に訪れた時は本当に心配だった。彼らをこちらに引き込めたらよいとは思っていたがな」
「そう……」
「だが、ワシの思うように結局は味方になってくれた。オノノキ、君に殺されたがね」
真人が射貫くような視線でオノノキを見る。その眼光は炯々とし、彼が長年組織の要石として機能していた理由を如実に物語るものだった。
「鳴神月鬼や仄暗鬼以外には、どれぐらいの人が関わってたの?」
「猛士の中で息がかかかってるのは大体は先代?いや、ややこしいから宝暗の代の鬼灯鬼がらみの祝部家やその取り巻き。実働部隊は礫鬼が選別した使いやすい連中だ。あとは金に困っている哀れな人間共……。奴らははした金でも必死に動く、そんな奴らのために戦っていることが、たまに馬鹿らしく感じたさ」
指を折り数えながら、オノノキの問いかけに真人は返した。折りたたまれる指先が老人の手先を何度も往復する。
「それだけの規模で、殺しを?」
「そうだ。依頼があると鬼がその優れた身体能力で証拠を残さずターゲットを殺し、その後始末を金で雇われた人間がやる。鬼の殺しは同じ鬼であても分からない。何しろ『鬼がそんなことをするはずがない』という価値観が、猛士に蔓延していたからな……。一方的な理想の押し付けと言ってもいい」
そう言う真人の脳裏には、彼が長年猛士の仕事に従事する中で見てきた、心を壊した鬼たちとその原因の姿があった。そのどれもを彼はつぶさに思い出せた。
「そんな奴らでもワシを話されると面倒だ。だから『保険』はかけさせてもらったが」
真人の言葉に、クダキが思い出したかのように声を上げた。
「まさか、あの燃える奴!」
「呪詛『我執染汚意(がじつぜんまい)』。ワシがアレンジを加えた術で、古の鬼文字を媒介に呪った相手を燃やす便利な技だ。これで大勢の人間を焼いたが、おかげで宝暗らもワシのことを迂闊に話さなかったろう?」
忌々し気な目線でオノノキは真人を見つめた。その眼球の奥には、多くの鬼たちが自ら焼ける姿が映っていた。そしてその呪詛から逃れるために自らの命を絶った鬼の姿も。
「だが、宝暗にしても礫鬼にしても、身勝手な欲望に取りつかれた哀れな連中だ……。彼らにはワシの宿願を叶えるための手駒としての役目を与えてやった」
「宿願?」
真人のその言葉を聞き、オノノキは眼鏡の奥の視線を鋭く彼へと向けた。
「そうだ……!ワシの願いは鬼灯鬼や鳴神月鬼のような哀れな鬼たちにこそ、手を差し伸べることにある」
「……!」
大きく手を広げ真人はさらに続ける。
「考えてもみろ。魔化魍から人々を守るという責務に強い責任感を持った鬼たちが、自分たちに一切非が無いにも関わらず守るべき人々、同じ鬼たちから責められ、侮辱され、何一つ感謝もされない……。オノノキ、君も先程の会議で味わったはずだ。『皐月会』というだけで、鬼を助けるために行ったあらゆる努力が冷笑される。あまりに理不尽だろう?」
真人の言葉を聞き、クダキが心配そうにオノノキに声をかける。
「オノノキ、本当かよ。今日の会議ってそんな感じだったのかよ」
「本当……。けど、そんなの気にしてる場合じゃないよ。私が馬鹿にされても、一人でも救えるなら」
オノノキは力強くそう言い切った。だが、真人はその対応も予想通りだったのかのように大きく笑った。
「ははっ!さすがは『象』だ。猛士の暗部を司る闇の部隊……。君たちの心の強さにはワシも敬意を表する。……だが、誰もが君たちのようにはいかない。本当は誰もが思っているはずだ。『なぜ我々に感謝しないのか』とな……」
真人のその言葉に、何か気づいたかのようにカッキが恐る恐る声を出した。
「……まさか。そのために人間を殺して?」
「そうだ。魔化魍をどれほど清めようともまるで感謝されないが、困ったことに人間の頼みを聞いて他の人間を殺すと感謝されるからな……」
「……ッ!」
真人のその言葉に思わずカッキは歯噛みする。
「常に侮蔑の念を鬼たちに向けながらも、いざという時だけ引き攣った笑顔でこびへつらう……。そんな人間達のせいで心を病んだ鬼たちは、ワシと共に働くことで皆見違えたかのように満ち足りた生活を送っていたよ。全員、君たちが殺した」
そう言い放った真人に、クダキが大声で言い返した。
「だからといって、身勝手な殺人がいいわけないだろ!」
口角から唾を飛ばしながらのその言葉に、しかし真人は動じない。
「なら君たち『象』はどうだ?同じ『鬼』を殺している。その行動が、本当に鬼を守ることに繋がっているのか疑問に思ったことはないのかね?」
「ッ!」
真人に怒りを露わにするクダキを制したのはオノノキだった。
「クダキさん……。一度落ち着こう」
「オノノキ!お前は何かないのかよ!」
「まさか、あるに決まってるじゃん。だけど」
眼鏡の奥のオノノキの瞳には、激情が渦巻いていた。その中心には常に目の前の老人を捉えている。
「せっかくだ、秘蔵のワインでも出そう。カッキ、お前は大した酒豪だと聞いているがどうだ?ワシと一献」
真人はそう言うと背中側からワインの瓶とグラスを取り出した。しかし、彼の申し出にカッキはゆっくりと首を横に振った。
「いや、今日は遠慮しときますよ……」
「そうかい、残念だ」
真人はカッキから目線を外すと、慣れた様子でラベルをオノノキらの方に向けた。
「このワインは、ワシと同い年だ。八十八年物のヴィンテージ……。ヴィンテージワインの価値は、何で決まると思う?」
そう言って真人はコルク抜きの先端をオノノキに向けた。自分に問いかけているのだと理解したオノノキは、ゆっくりと口を開いた。
「時間。ヴィンテージワインは熟成に掛けた年月が、産地やブランド以上に重要。例え名産地のヴィンテージワインでも、熟成がたかだか十年未満なら、他の産地で百年熟成されたものの方が価値が高い」
「その通り、ワシが望む答えだ。だからヴィンテージワインは味を飲むのではない。『時』を飲むのだ」
ぽんっ、といい音がして瓶からコルクが抜けた。真人はグラスにワインを注ぎ入れると、まずは香りをたしなみ、そして静かに口に含んだ。
「そして、一度封を開けたヴィンテージワインほど無価値なものはない……。これ以上時を重ねることなく、それどころかこれまで積み上げてきた価値を失う」
そう言うと彼はグラスを大きく傾け、一息にワインを飲み干した。
「今ワシは『時』を飲み込んだ」
酒臭い息を吐き出しながら、真人は満足げにそう言った。彼がワインを飲み干すのを待っていたように、オノノキが口を開いた。
「それじゃあ、それも『時』?その後ろも」
オノノキはそう言うと、真人の後ろの方を指差して見せた。そこは暗がりになっていて何も見えない。だが、オノノキの表情に何かを感じ取った真人は大きく息を吐いた。
「今度はワシから質問しよう」
「……!」
「後ろのコレにいつから気が付いた?」
不気味な笑みを浮かべながら、真人がオノノキに尋ねる。
「この部屋に入った時から『臭い』がしてた」
しかし、オノノキの言葉に疑問を呈したのは真人だけではなかった。クダキとカッキがオノノキの顔を不思議そうに見つめる。
「臭い?してたか、カッキさん?」
「いや、ボクも分からないけど、オノノキちゃんが言うなら?そうじゃないかな」
そう言うとカッキは立ち上がり、真人の背中側の方へ歩いて行った。自らの異能により手のひらに灯りをともし、暗がりを確認する。
そこには何やら異様な文様が刻まれた布が被せられたものが置いてあった。それを見止めると、カッキは真人の方を振り返った。
「?何だこれ?龍王、見てもいいですか?」
「目が潰れるぞ」
その答えを聞かず、カッキはその布を持ち上げ、その中身を露わにした。だが、その正体を見たカッキは言葉を失った。
「何……」
「おい、どうしたんだよカッキさん、まさか本当に目が潰れたなんてことねぇだろう」
カッキの後ろから巨体を揺らし、クダキがその中身を覗き込んだ。
「ゲッ!何だよこれ」
そこにあったのは無数の人骨であった。しかも、それらはただ雑多に散らばっているのではない。何等かの規則性をもってそれらは組み合わされていた。
「これは結界の起点だ。君たちもワシの屋敷に結界があるのは知っていると思うが、その要がこれだ」
そう言いながら真人はカッキらの前に立ちはだかった。
「悪いことは言わんが、これは本当に危険だ。あんまりうかつに触れるなよ」
「仰る通りだ。とても嫌な気の流れを感じるよ」
真人の言葉にそうカッキは返すと、眉間に皺を寄せながらも布を再度被せ直した。
「けど、オノノキちゃん。ここまで来てようやく気の流れを感じるぐらいだよ。龍王がどういう処置をしたのかはわからないけど。ボクたち『鬼』の五感でも分からない」
座っていた場所に戻りながら、カッキはそうオノノキにぼやいた。
「『鬼』の五感を阻害してる、と思う。だから、来た時から鬼の感覚と人間の感覚、両方を使うようにしてたんだ」
「?そりゃあ、何でだい?」
「鬼しか入れない空間。当然鬼の感覚で探ることになる。ただ、それだけだと足をすくわれることもあるから、あえて人間の感覚も併せてたんだ」
オノノキはそう言いながら自分の目を指し示して見せた。
「ほら、前の廃校の時、鬼の感覚に頼ってたから人間の襲撃を受けたし。だからその時の反省」
「ああ、なるほどねぇ……。どうですか、龍王?」
カッキは真人の方を振り向きながらそう問いかけた。
「成る程、鋭いな」
しかし、真人はカッキの言葉に短く返すだけだった。
「けど十や二十じゃきかない。どこから、こんなに骨を?」
「死した鬼の怨念が結界の強度を高める。その無念が力を与えるのだ。ただ乱雑なだけの死体置き場でさえ邪気を放つものだろう?」
真人は滔々と骨を用いたその結界を語る。だが、その言葉にオノノキは眉を上げ不快な表情を見せた。
「違う。『どこから』この骨を?」
オノノキは立ち上がると座る真人を鋭く見下ろした。その視線を浴びながら、真人はワインを口に含む。
「……鬼を喰らいし鬼は、より強力な鬼となる。そんなおとぎ話を聞いたことはないか?」
「いや」
「共喰いか……。そんなの、戦乱の世の噂話に尾ひれがついたものだろう?ねえ?」
真人のその話を、クダキとカッキはにわかには信じられないようだった。オノノキもまた同様だった。
「皐月会の開祖は、魑魅魍魎を用いた蠱毒で生み出された最強の鬼だった……。同胞をも喰らったという説もある。だけど単なるおとぎ話。言うように」
しかし、真人は彼らの対応を予想していたように満足げな表情を浮かべた。そしてそのまま続ける。
「そうだ。だが、君たちもいずれ分かると思うが、老いるとそんなおとぎ話でも信じたくなる……」
「!」
少しだけ口角を上げた真人の雰囲気が、わずかに変質する。それに真っ先に飛びのき、間合いを取ったのはオノノキだった。
「ワシだって『鬼』の端くれ、一生涯現役だ」
オノノキに呼応するようにカッキとクダキも立ち上がり構える。
「けど、龍王は引退して長いはずでしょう。武器や道具だって返還してるはずで、勝手に持ってたら流石に足がつくはず。変身できないなら、現役って言ったって」
カッキは真人に対してそう吐き捨てた。いかにかつて鬼だからといって、変身できなければ、どれほど鬼を喰ったところで何の意味もない。
「そう。カッキ、君の言う通りだ」
そう言うと真人はまるで無抵抗をアピールするように両腕を大きく広げて見せた。
「オノノキの質問に答えるとしよう。あの骨はワシと同じ元『鬼』のもの……。そしてその肉は全てワシの腹ン中だ。おとぎ話を信じた老人のな」
全く悪びれもせず、真人はそう言い放った。その宣言に、オノノキたちの筋肉に気がこもった。この老人は、直接的間接的問わず、多くの人間を殺し不幸をばらまき続ける「敵」だ。
座敷の中に走る冷たい緊張。その緊張の糸の上に身を置いたまま、真人は口を開いた。
「……少し、外に出ようか」
真人の住まう屋敷には広大な庭があった。武家屋敷然とした邸宅の外観に全く引けを取らない、よく手入れの行き届いた和風の庭だった。
「ワシは庭掃除や盆栽も好きでね。暇でもあれば不要な枝葉を切っている。『猛士』という組織でもな」
星が瞬く夜空を見上げながら、真人はそう言った。雲一つないその夜空には月は出ていない。まるで一面に敷かれた真っ黒い織物に宝石が散りばめられているようだった。
「組織の枝葉、だって?」
「そうさ。木と同じように組織は育ちすぎると要らない、美しくない所が出てくる。それを切って取り除く。……そうして最後に残った部分こそが、もっとも純粋で美しいものだ」
クダキの言葉に真人はそう返すと、盆栽の近くに落ちていた枝を拾い上げた。
「ワシはこれを人の世でもやろうと考えている。この世には汚く醜い枝がまだむやみに茂っている」
拾い上げた枝を握りつぶすと、真人はオノノキたちに相対した。その強い視線が彼女らに突き刺さる。
「……一応確認するけど、もうそんなことから手を引く気はない?」
「そうだよ。ボクたちもおじいちゃんしばき倒すのはそこまで好きじゃないからね」
オノノキとカッキが真人に問いかけた。だが、クダキは警戒しながら構えを取る。
「いや、ここで退くなら最初からこんなことしてないはずだぜ」
「そうだな、クダキ。ワシは自らの行いを後悔していない……。いや、後悔しているな。なぜ『もっと早くやらなかったのか』と」
そう言うと真人は大きく笑った。三日月状に吊り上がった口角はまさに伝承にある『鬼』そのものだった。
「生身の状態で俺たちをどうこうできる気かよ」
クダキの言葉に真人は大きく息を吐いてから言葉を返した。
「そうだ。ワシは君たちの言う通り、鬼に変わる道具も音撃武器もとうの昔に猛士に返した」
「だったら変身なんて龍王でも無理でしょ?」
「だが、何で音叉に笛に弦にと種類がある?それがなければ変われないのなら、一種だけでいいはずだ。だが種類がある……」
その言葉にオノノキはまるで信じられないものを見るような顔をした。まさかそんなはずはと大きく見開かれた眼に、頬を冷汗が流れ落ちる。
「つまり重要なのは道具ではない。鳴らした時の『音』だ。だからこうしてやれば……」
ぱんっ。
真人は大きく手拍子をすると、その音を浴びて確かめるように手のひらを自分の顔に近づけ、静かに呟いた。
「変身」
その言葉と共に、老人の全身は火炎に包まれた。その尋常ならざる様子にオノノキらは大きく慄いた。
「まさか……!」
「どういうことだよ!オノノキ!」
「私たちの弦とかの音を、手拍子で代用した……。鬼に成るんだ!こいつは!」
炎が渦を巻き、老人の肉体を異形のものへと変質させていく。それは真人本人にとって人の身よりもなじみ深い、むき出しの魂の姿だった。
「真坂見 真人……。半世紀も前に鬼として最前線で活躍した伝説の鬼……。そいつを知らない人間は『猛士』の中にはいない」
燃え盛る火焔の中に力強く立つ黒い影を前に、カッキはさらに続ける。
「その名は――」
火炎が裂帛の叫びと共に切り裂かれ、頭頂に鋭い角を具えた凄まじき戦士がその全容を彼らの前に露わにした。いくつもの鬼面が、目の前に立つ鬼共を睥睨する。
「――音撃戦士・末那識鬼(マナシキ)」
―続―
・呪詛・我執染汚意(がじつぜんまい)
古い鬼文字を用いて対象に呪いをかける。真人の手により改良されており、その効果としては自分に繋がる情報を口にしようとすると全身を炎に変えるというもの。
・末那式結界・大日遷化(だいにちせんげ)
末那識鬼が展開する、外部からは強力な鬼でなければ入ることを許さず、内部では展開した本人の動きをサポートする作用を持つ結界。その結界をより強固にするために、真人は無数の鬼の骨に呪術的加工を施し、文字通りの「骨組み」として使用している。結界の維持を支えるエネルギーを循環させ続けている骨に迂闊に触れることは危険。