響鬼偽伝 まつろわぬ鬼   作:EpoMeta

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二十五之巻「悩める姿」

 猛士東北支部の一角に車を停めると、オノノキと那由多は建物の中に入っていった。猛士の各支部は、その存在を人櫛、多くの人間が出入りしても怪しまれないように、通例的な慣習として表の顔を持っている。それこそ、オノノキらの属する皐月会が表の顔として温泉旅館「滝夜温泉」という形を取っているようにだ。

 しかし、現在の猛士東北支部は特段、そうした偽装を行っていない。他の支部に先んじた実験的な試みとして、猛士そのものの表の顔、すなわちオリエンテーリング普及及びアウトドアグッズ製造販売に携わるNPO団体「TAKESHI」、その地方支社としてあえて堂々とその旗を掲げていた。

 

「……それじゃあ、他の人たちと会ってくるから。那由多君はここで待っていて」

「はい」

 それだけ言い残すと、オノノキは那由多を支部の一室に残し、別室へと去っていった。その後ろ姿を那由多は横目で見送る。

 ソファに座った那由多は何気なしに周囲を見る。どうやらここは資料室らしい。今はこの部屋は使わない時間なのだろうか。那由多は整頓されて並べられた本やファイルの背表紙を何気なく眺める。「魔化魍図鑑」「全国失踪者リストファイル」「霧山天と橅森から見る戦国時代」「国内における音撃史」……。様々な書籍がそこにはひしめいていた。

(『猛士』の活動は社会的には非公開のはず。この失踪者ファイルは綴じ込みしてあるし、鬼の活動屋音撃に関係した本とかは自分たちで作ったのかな……?)

 書架を眺める那由多の目を、一冊の背表紙が止めた。「写本・血土経巻」。これは見たことがあった。

「血土経巻……。確か皐月会の開祖が書いたっていう」

 

 オノノキらが所属する土着の音撃組織「皐月会」。現代でこそほぼ猛士に吸収されつつあるが、その歴史をたどると鎌倉時代にさかのぼることができるという。かつては都の守護者であった「鬼」であったが、平安末期から鎌倉時代に移る激動の時代にはその異形異能ゆえに迫害を受けた。そもそも、音撃戦士の始まりに活躍した異能の者がその力を魔化魍から人々を守るために伝承したというが、歴史の流れの中でその大義は押し流されてしまったらしい。

 そうして迫害を受け北東北まで逃れてきた音撃集団が、落ち武者達や同じように迫害を受けた人々と共にこの世に復讐しようと最強の鬼を作りだしたそうだ。その鬼こそが皐月会の開祖だという。そもそも「皐月会」という名称自体が、平氏の姫君にあやかって名付けられたものである。

 しかし開祖は彼らの思惑から外れ、戦乱の世の中で人々が生きていくために自らの力を周囲に伝承することが必要だと考えた。そのために生まれたのが「皐月会」。そして開祖が自らの力をより広め伝えるために書いた皐月会式音撃の実践教本こそが「血土経巻」なのである。

 

(これは前から読んだからいいや)

 那由多はそう思うと、素っ気なく書架から目線を外した。オノノキもすぐ戻ってくるだろう。短い時間の間に本を読もうという気にも別段なれなかった。

 すると、途端に部屋の中の沈黙が気になってきた。しん、と他の音がないことに気づくと、いつの間にか那由多の耳には叩きつける嵐の音が響き始める。

(……ッ!)

 焦った様子で那由多は持っていたバッグからヘッドホンを取り出し、それを振るえる腕で耳に当てる。

(まずいまずいまずい!あの時の事なんて思い出したくないのに!)

 冷汗を流す両手でヘッドホンを押さえながら、那由多は携帯電話を操作し耳元に歌を流し込んだ。その轟音は嵐を吹き飛ばし那由多の身体を強烈なリズムで包み込んだ。

「はぁ……」

 身体を揺らすほどのリズムに安心すると、那由多は両眼を閉じて大きくため息をついた。そしてそのまま両眼を閉じ音楽に没頭する。

 そうしていると、どこまでも不安な嵐はいつの間にか過ぎ去っていく。数度深呼吸をしているうちに、那由多の内側には安心が満ちた。

 

「……?……?」

 大音量の音楽に混じって、何かくぐもった声が聞こえた気がした。誰かに声をかけられているのかと思い、那由多は瞼を上げると、優しく肩を叩かれた。

「那由多君?聞こえる?」

 そこでようやくヘッドホンを外して振り向くと、そこには東北支部の支部長である橅森 文仁が立っていた。

「支部長……。ごめんなさい、気が付かなくて」

 音楽を止めると、那由多は文仁に頭を下げた。

「いいよいいよ。結構大音量で聴くんだね、何聴いてたの?」

「ロックとか、そういう感じです」

「へぇ、そういう感じなんだ……」

 一度、会話が途切れる。その雰囲気を察してか、文仁が口を開いた。

「那由多君、オノノキさんの弟子になってどうだい?」

「どうって……。まあ、ぼちぼちです」

「ぼちぼちか、いいねぇ」

 那由多の答えを聞くと文仁は小さく息を吐いた。そして続ける。

「魔化魍と戦う鬼というのは命がけの仕事だ。実は私の家も、那由多君たちの七座一門ほどではないけど昔から鬼の家でね。だけど私は鬼に成れなくてね……」

 そう言いながら文仁は本棚の方を指差した。その指の先には「霧山天と橅森から見る戦国時代」と書かれた背表紙があった。

 文仁の家系は戦国時代に鬼の力で天下を争った大名の家「橅森家」であり、歴代「鐵葉鬼(ブリキ)」という名を受け継いでいた。元々北方鎮護の役割を持つ家柄ということもあり、大昔から破邪顕正の鬼として戦ってきた。

「家督は兄が継いだが、この仕事に就くと否が応でも『鬼』の仕事の大変さを感じるよ。那由多君が鬼に成ろうと決めたこと、それ自体立派だよ」

「……そうですか。僕も鬼に成れますかね?」

 那由多の問いかけに、文仁は静かに答えた。

「そればっかしは、未来のことだからな……。我ながら無責任な物言いだと思うけどね」

「……」

 黙ってしまう那由多を前に、文仁がさらに言葉を続ける。

「けどね。どんな鬼に成りたいのか、鬼に成って何をしたいのか、それが分かっているなら大丈夫さ」

 文仁の答えに、那由多は小さく息を吐いた。

 

 二人が座る資料室の扉が不意に開け放たれると、そこから二人の女性が顔を出した。

「いたよ、霧ちゃん」

「あ、支部長……!もう時間ですよ」

「オノノキさんに宮沢さん。もうそんな時間かい。ごめんね」

 文仁を呼んだのはオノノキと霧子だった。霧子の腕には数多くの資料が抱えられていた。

「サカマキさんたちも待ってますよ」

「よしわかった。今行くよ」

 霧子の言葉にそう返すと文仁は立ち上がった。その横の那由多にオノノキが声をかける。

「那由多君も来て、一緒に。作戦会議なんだ」

「はい」

 オノノキの言葉に那由多は軽く返事をして立ち上がる。既にオノノキは彼に背を向け、霧子と何か話し込んでいる。その横顔を見ながら、那由多は「何か自分に言いづらいことを話していたんだな」と直感した。

 

「やあ先輩、霧子ちゃん!それに弟子の那由多君も!」

「サカマキ、支部長を忘れないであげてよ」

 会議室の椅子に座りながら大きく手を振るサカマキを、彼女のサポーターである糺がそれとなく制する。

 彼ら二人の横に座るサカマキの弟子、沙門が那由多に声をかける。

「ういっす。那由多、鬼の修業はどう?」

「沙門さん。まあ、ぼちぼちです」

「俺もそう!」

 沙門はそう言うと椅子を引き、オノノキらに座るように促した。その椅子に腰を下ろすと口を開いた。

「それじゃ、サカマキさん。報告を」

「はい、支部長。それでは……」

 サカマキがそう言うと、糺がプリントアウトされた資料を周囲に手渡した。

「今回の魔化魍の出現における不明点についてまとめたものです」

「……なるほどね」

 紙切れたった一枚分の資料。その薄さが魔化魍への未知を現していた。

 

「形態は二足歩行。全高は目測六メートル強。外見の特徴としては頭部の角、三対六本の腕です。巨体に似合わず、敏捷性は高く、また毛皮のため音撃弦での対処が最適かと思います」

 サカマキが淡々と魔化魍の特徴を述べていく。十分に経験を積んだ彼女であっても初めて遭遇する相手。その対策を会議するために、サカマキは一度支部に戻り指示を確認しに来たのだ。

「生育環境こそ似ているけど、ヤマビコとかではなさそうだね。宮沢さんはどう思います?」

 サカマキの報告を聞き、文仁は何の種類の魔化魍だろうかと霧子に尋ねかけた。対する霧子は持参してきた資料のページをめくりながら考え込むばかりだった。

「腕が六本、というのが気になります……。童子や姫は?」

 霧子の言葉にサカマキが首を横に振った。

「それが、最初からいなかったんだ霧子。奴らの変身形態があれば多少は推測できたかもしれないけど……」

 その言葉に、オノノキが眉間に皺を寄せた。

「じゃあ上位の『傀儡』だ。考慮から外すべき、季節とか環境とかは」

「先輩、まさかそんな」

「オノノキさん……!」

 オノノキの発言を聞き、驚きの表情を露わにするサカマキと糺。その横で驚きを理解できない様子で沙門が那由多に小声で尋ねる。

「那由多、『くぐつ』?って何だよ?」

「魔化魍を生み出す、ざっくり言えば童子や姫の上位の存在、らしいです」

 ややあやふやに、那由多は沙門に答えを返した。そこにオノノキが続ける。

「おおよそ正解。最近はまるで出ていなかったんだ」

 そう言うとオノノキは大きく息を吐き出した。そしてやや間を置いて続ける。

「逆に近いかも。出現例の少ない魔化魍から搾った方が」

「……確かに、織ちゃんの言う通りかも」

 霧子はそう答えると、資料のページを捲り上げる。その手があるページで止まった。

「……ツジガミ。出現記録は平安時代にまで遡ることができる大型魔化魍です」

 霧子の言葉にオノノキは無言で頷き同意した。そして霧子は続ける。

「ただ、あまりにも出現事例が稀で、他種と比べても研究は進んでいません」

 出現事例の少ない魔化魍というのは、それだけで十分に鬼たちの脅威となる。対策が非常に立てづらいだけでなく、その出現の背後には何らかの無視できない要因があるからだ。未知の領域。それは危険への入り口だ。

 表情を暗くするサカマキたち。しかし、その暗い雰囲気の中、沙門が口を開いた。

「だったら、俺たちで研究進ませればいいじゃないっすか!ねえ師匠!糺さん!」

 そのあっけらかんとした言葉に、サカマキたちは表情をほころばせる。

「まあ、沙門君の言うことも一理あるね。ただ、こうした魔化魍との戦闘に単独で向かってもらうのはリスクが大きい……。オノノキさん、頼まれてくれるかい?」

 文仁の言葉に、全員の視線がオノノキの方に集中する。

「もちろん。一肌脱ぐよ」

 オノノキは力強く頷いて見せると、今後の動きをサカマキや那由多たちにてきぱきと指示して見せると、すぐに会議室から立ち去った。未知の魔化魍の危険性を鑑み、犠牲者をさらに出さないよう早急に魔化魍を叩くためである。

 一気にがらんとした会議室に、文仁と霧子だけが取り残されていた。

「嫌な予感がします……。何かが向こうでも動いているのかもしれません」

 不安げに口を開く霧子に対し、文仁は年長者らしくしっかりとした口調で答えた。

「だけど、だからこそ私たちは彼らを信じて支えるんだ。ホノグラキさんが私に言ってくれたんだ」

 志半ばで滅びた鬼は、道こそ間違えていたが、彼の心残りは正しい形で受け継がれていた。

 

「見ろ、大地から流星が空に向けて伸びている」

 不気味な気が満ちた岩場の上に腰かけた人影がそう呟いた。女性的な体つきをしているが、その声色は男のものだ。

「面白い。遠く彼方の空で新しい星にでもなるのか」

 その隣に立つ人影がそう言葉を返した。対するこちらも男性的な体つきに対し女性の声を発した。

 共に、異境の奇祭の神官を思わせる不気味な装束に身を包み、その顔は覆面に覆われていた。だがその内側からは「人間ではない」と十分に実感させる異様な気を放っている。

「久方ぶりの目覚めで、実に愉快なものを見た。アレを育てたのが、今の我らの役目なのやも知れぬ」

「我ら旧式を目覚めさせた目的がそうなのだとしても、我らの今やるべきことは変わらぬ。我らの子々孫々で、この世を千々に埋め尽くそうぞ」

「それが此度の『クニツクリ』か……」

 異装の女はそう言うと鋭い目線を眼下に向ける。その先には六腕の魔化魍「ツジガミ」が静かにたたずんでいた。異装の男女はその覆面の奥から慈悲の目線を向けると、霞の中にいつしか消えてしまった。

 

「なんでいるの、沙門君」

「別に行先は同じなんだから、こっちでもいいじゃないっすか。オノノキさん」

 ハンドルを握りながら、オノノキはミラー越しに後部座席に視線を向けた。そこにはサカマキの弟子である沙門の姿があった。

「やけにオノノキさんに頼み込んでましたけど、サカマキさんと何かあったんですか?」

「よくぞ、聞いてくれた!那由多!」

 助手席に座りながら周囲を眺める那由多の言葉に、沙門は大げさに答えた。そしてそのまま続ける。

「実は……師匠との関係性が上手くいかなくって……」

 沙門はそこでもったいぶるように言葉を一度切った。

「師匠と糺さんが、ずーっとイチャイチャするんですよ!任務中も移動中も!それを見せつけられる俺の身にもなってくださいよ!」

 車内に響く沙門の声に、思わず那由多はずっこけた。

「沙門さん……。確かに公私混同かもしれないですけど別にいいじゃないですか。そもそもお二人とも付き合っているんでしょ?」

「それは、そうなんだけどさ……」

 那由多の理路整然とした言葉に、沙門は思わず口ごもる。

「それで、何となく居心地悪くて私たちの車にいるわけか」

 淡々とオノノキはそう言うと、手慣れた様子で加えた煙草に火をつけた。そして窓を開けながらゆっくりと煙を肺に落とす。

「沙門君煙草ダメだっけ?」

「いや、別に……。けど、あんまり鬼の人で吸ってる人いなくないですか?」

 気づけば、既に那由多は助手席の窓を全開にしていた。

「ふーっ……。とりあえず、支部長の方にも伝えておくよ、私からも。だけど、師匠と弟子なんだから、自分でも伝えた方がいいと思うよ」

 大きく息を吐き出すと、オノノキは沙門にそう諭した。

「確かにオノノキさんの言う通りかもしれないっす。俺、現場に着いたら師匠に言ってみます!」

 二人の前でそう意気込む沙門。だが、彼は目の前の師弟の間に横たわる深い溝については何も気づいていないようだった。

「師匠と弟子、か……」

 小さく吐き出した那由多の言葉は、車外に吹きすさぶ風の中に掻き消えた。

 

『……本日午前、政府と研究機関が共同開発した人工衛星「きざし」が無事打ち上げられました。衛星は無事ロケットから分離し、現在、通信状態の確認中とのことです』

「沙門さん、知ってますか?この衛星」

 窓を半分ほど閉めた那由多が、ラジオから流れるニュースについて沙門に話題を振った。

「ああ、何かニュースになってたよな。カメラとレーザーを使ってリアルタイムで観測を行うとか何とか」

「それをAI技術とかを使って、災害を事前に予期する衛星らしいですよ」

「へえ、そいつはいいなぁ。魔化魍の出現予測とかできるといいんだけど」

「さっきの会議を聞いてなかったんですか。こういう未知の魔化魍出た時にどうするんですか」

「……那由多は大人だなぁ」

 彼らの会話とラジオニュースとを、だが注目してオノノキは聞いていた。

『関係者は「災害被害の予測の高精度化と災害対応の迅速化に大きく役立つことを期待している」とコメントしています……』

 いつの間にか、二本目の煙草が彼女の唇に咥えられていた。

 

 道がどんどん細くなり、車にも枝葉の先端が迫り始めた森林に足を踏み入れた頃、那由多がオノノキに声をかけた。

「そう言えば、さっきの会議で魔化魍には弦が有利って言ってたじゃないですか。でもオノノキさん、今弦は壊れてますよね?」

「えっ、じゃあ武器無しって事っすか!」

 驚いた声を上げる沙門には目もくれず、オノノキは那由多の質問に答える。

「そうだね。だから今回は棒を使って専ら援護。けど、余裕があれば新武器登場」

 その言葉に、那由多は表情を変えた。

「新武器?」

「霧ちゃんに頼まれたんだ。新しい音撃武器の実験」

 オノノキの同僚であるクダキがラジカセ型音撃武器の実験を行うのと同様に、オノノキもまた、今回霧子から新型の音撃武器の実験を依頼されていた。未知の魔化魍に対しての武器のテスト。非常にリスクは高いが、霧子にとってオノノキはそれだけ信頼に足る鬼だということだった。必ず生きて帰ってくる。それは子供の頃からの親友としての信頼だった。

 

「けど、そもそも何で楽器なんですか。魔化魍退治に普通の武器が効かないのは分かりますけど」

 オノノキに沙門がそう尋ねかけた。助手席に座る那由多も視線で同意を伝えている。その眼差しに気づき、オノノキはゆっくり口を開いた。

「魔化魍は清めの音でしか倒せない。物理攻撃で身体が欠損しても時間があれば再生してしまう。音撃武器から清めの音を放ち祓うことが、過去の鬼たちが研究を重ねてたどり着いた対処法」

 道は登り坂になり、オノノキはアクセルを踏む力を強めた。

「単に音を出すんじゃだめで、ちゃんと演奏しないといけないんだけど。音撃武器に内蔵された鬼石が増幅する特定の周波数の音波、これを清めの音と呼んでいるんだけど、この音波を効率よく伝えるために音撃武器はおしなべて楽器の形を取っているの。当然だよね、楽器は音を最も良く生み出す形をしてるんだから」

 道の曲がりや起伏に合わせてオノノキは車を操作する。揺れる車体の中でオノノキは、独自研究だけど、と続けた。

「音叉や笛、弦からの音波で鬼に成るけど、私たち。その時身体がどうなってるか分かる?」

「……細胞が鬼として変化してる、っていうのが通説ですよね」

 那由多の答えにオノノキは待っていたかのように首を縦に振った。

「そう。それと似た作用を清めの音は持っている」

「……?」

「つまり、どういうことっすか?」

 顔に疑問符を浮かべる那由多と沙門の表情を受けて、オノノキが答えを発した。

「魔化魍の細胞を組み替えているというわけ。細胞単位で魔化魍の形を崩して元の土塊に戻している。というのが私の個人的な見解」

 その言葉からやや間を置いて沙門が口を開いた。

「……細胞単位で清めないと、魔化魍は死なないってことっすか?」

「その通り。だけど千年以上鬼はそのことに考えてきた。だから今は簡単に魔化魍を清めることができる」

 そう言うとオノノキはまた煙草に火をつけた。窓を開けると枝が車体を打つ音が絶え間なく聞こえてくる。

「……だけど今は音楽の裾野が広がり、どんなものでも楽器になる。それに、鬼自体の成り手不足や修練不足に応えるために、色々なものが改良されてる」

 そう言うとオノノキは大きく息を吐いた。紫煙が彼女の後ろにたなびく。しかし、その横顔を見ながら、那由多は別のことを考えていた。

「……もし、人間に音撃を放つとどうなるんですか」

 その言葉はオノノキに鋭く投げかけられた。助手席から那由多がオノノキを真っすぐ見つめていた。その視線を横目で感じ取ると、オノノキは煙草を咥えた。

「ライブで生の音源を聞く……いや、大音量を聞いた時に身体が『揺さぶられる』のは分かる?アレの凄いことが起こる」

 煙草を咥えたままの唇の端から、煙が漏れ出ていた。オノノキの声に、那由多は何も返さない。車内を沈黙が包み込んでしまった。

 

「……とにかく、魔化魍を倒すには音撃武器しかないって事っすよね!俺も師匠みたいな音撃弦使えたら魔化魍を倒せるようになるんすか?」

 暗い沈黙を何とか晴らそうと、沙門はあえて大げさに話してみせた。その声にオノノキは紫煙を吐き出しながら言葉を返す。

「扱えたら。沙門君、サカマキの弦持ったことある?那由多君は武器持ったことあるよね」

「はい、棒でしたけど」

「あれを持ったまま飛んだり跳ねたり、できそう?」

 オノノキの質問に那由多は口元に手を当て考え込んだ。

「鬼に成れば」

「そう。那由多君は賢いね。……正直、鬼に変身できるようになることが、魔化魍と戦う第一歩。それほどまでに隔絶してる。鬼と人間は」

 那由多の答えに、オノノキは満足げに煙を吐き出した。

 彼女の言う通り、通常の人間と鬼へと変身した者とでは、別種の生き物であると考えて相違ない。精密な五感と高い身体能力、そのどれもが人間の範疇ではない。言ってしまえばその能力は「怪物」のそれだった。

「サカマキみたく鍛えて鬼に成ってようやく、魔化魍と戦えるんだ。まあ、サカマキはその中でも特に鍛えてると思うけど。沙門君は優れた師匠を持っているよ」

 噂をすれば、とオノノキは続けた。彼女が見るフロントガラスの奥には、先んじて到着していたサカマキたちが遠くで手を振っていた。

 だが、その動作もまた、先程の沙門と同様にやや大げさだった。沙門と同じように何か雰囲気を晴らそうとしているのか。那由多は自らの師の真意を考えようとして静かに目を伏せると、大きく息を吐き、それに付いて思考するのを止めた。

 

―続―

 

・用語:血土経巻(けつどきょうかん)

 北東北を根城とする土着音撃組織「皐月会」における音撃や呪術、格闘術などの鬼にまつわる技術をまとめた実践教本。名実ともに皐月会の根幹をなす貴重資料であるが、写本は数多く存在しており、音撃戦士の間では秘匿されたものというわけではない。皐月会に属する人物はまずこれから学ぶ、いわば入門書である。

 原本は皐月会開祖本人の手により徹底して合理的、実利的な視点でまとめ上げられている。少なくとも初期に行われた写本段階で肉体鍛錬・格闘術・呪術・音撃などの各分野で内容が分割されており、読みやすく、伝承しやすくされている。そのどれもが基礎理論から始まり実践、発展という流れで体系化されて記されている。

 音撃打の部分を例にとると、まず連打・強打といった基礎的な打撃の解説から始まり、その組み合わせによる音撃打の基本、発展的な音撃打の旋律について、具体的な譜面も含めて記載されている。

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