響鬼偽伝 まつろわぬ鬼   作:EpoMeta

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終章「救世鬼」

 私を突き動かしてきたのは、家族を奪ったこの世界への復讐心だ。焼け落ちた城の前で死んでいく家族たちの姿は今でも胸の奥深くに巨大な穴となって濃く残っている。ぽっかり空いた心の穴を埋めなければ、私は前に進めない。そう確信がある。奪われた悲しみは、誰かの何かを奪って、その悲しみで埋めなければならない。鬼となって初めて人を殺した時、初めて人から奪った時、確かな復讐の実感と共に、心の穴が少し埋まったような気がした。人を殺せば殺すほど、その死体が心の穴を埋めてくれた。心を開いた友人や、自分を頼る人々をどれだけ失っても、その分を周りから奪うことで何だか気が楽になった。自らを追い詰めた世界そのものを穴の中に入れてしまえば、きっと私も幸せになれるだろう。

 だが、自分の行いが、果たしてどれ程のなにと釣り合うのだろうか。私が自らの心の穴に埋めてきたはずの死体が、魔化魍として蘇り私の前に現れた時、本音を言うと動揺した。よりによって斬首された臣下郎党の姿を払拭しようと、人型の死体は必ず首を切り落としていたが、生首の姿で私の前に現れるとは。その様を目の当たりにし、私は平常心を保てなかった。彼には気づかれただろうか。私が鬼として魔化魍だけでなく人々を殺していたこと。魔化魍を他の村に近づけて大きな被害を出させようとしていたこと。もしばれたら……そう思うと不安だった。何百人も殺してきた私を、彼はどんな目で見るのだろう。

 彼の正体は、初めて会った時に何となく当たりがついていた。おそらく彼は、私たちを討伐するために送り込まれた処刑人。幸いにも、こちらの先手は気づかれなかった。嵐に乗じて突き落とした後、うつろな状態の彼に呪術をかけ記憶を閉じ、恐らくは処刑対象である自分を分からないようにした。本音を言えば今すぐにでも殺したかった仇。だが、もし迂闊に殺してしまった場合、幕府あるいは鬼の集団が大義名分を得て、私諸共村人を始末する可能性もあった。心の内側に広がる貪欲な復讐心を押さえつけ、それだけは避けるよう私は理性を働かせた。生かして恩を売っておけばいざという時役に立つかもしれない。

 だが、恐るべきは彼。鐵葉鬼は瞬く間に村人たちの和に馴染み、大名だというのに過酷な肉体労働に精を出した。また、鍛え上げられた鬼の力を自らのためでなく他者を守るために惜しげもなく使った。その姿は私には理解できず、また眩しく映った。鬼らしさ、英雄らしさ、善性。私にはないその眩しさが、私に彼への害意を損なわせた。はっきり言うと、羨ましかった。その光が私の毒気を抜かせてしまったのだ。無数の鬼を束ねる首魁としての力に、私も魅入られていたのかもしれない。その迷いさえ抱かなければ、違う道もあっただろうに。

 

「鬼兵隊の!それに村の皆も!真珠号もけったいやな!」

 茂みの陰から姿を現した相棒と部下たち、そして自分を助けてくれた村の人々を前に、鐵葉鬼は吞気に手を振る。それは本心から彼らを救えてよかったという裏表のない気持ちが表れていた。周りを見回し、鐵葉鬼は顔の変身を解き皆に話しかける。

「村の皆もどうして?なんで一緒なんや?」

「行方不明になったお館様をずっと探していたんです。そうするとこの村の方がそれらしき人について知っているということで、案内してもらったんです」

「ブリキさんが記憶を失くしていると聞いて、もしかしたらと」

「おお!嬉しいでぇ!記憶も戻ってきたみたいで、皆ありがとうなぁ!」

 ブリキの笑顔に、真珠号が応えるように嘶く。久しぶりの再会に湧くブリキたち。その中で、鬼兵隊たちの目線が救世鬼の方に向く。彼女は彼らに目を合わせることはなかった。だが、彼女の顔を覆う獣面だけが、彼らを睨んでいた。

「お館様、もしや……」

「……とりあえずキュウちゃん、皆で村に帰ろうや。そこで皆にワイからも話がある」

 ブリキは鬼兵隊らを目線で制しながら、皆に帰りを促した。邪気は去ったとはいえ、魔化魍の巣窟。ブリキは安全のためにも村人たちを早めに帰しておきたかった。そして、救世鬼と一度話し合うためにも、彼女が落ち着ける村に一刻も早く戻りたかったのだ。自分の正体にもう救世鬼は気づいているだろう、そうブリキは考えていた。もしこの場で動かれたら、この場にいる全員が死ぬだろう。それは避けたいというのがブリキの考えだった。救世鬼の動きを注視しながらも、ブリキは努めて自然に、皆に帰りを促した。

 帰りの途上、鬼兵隊の一人がブリキに二三耳打ちした。それを聞き、ブリキの表情がはっと驚いたものになり、悲しみを帯びたものに変わった。

 

 既に日の暮れた村。その中心の広場でブリキは村人たちの前に土下座していた。突然現れながらも自分たちと共に働き、時にはキュウセイキと同じように鬼として村を守ってくれたブリキの突然の行動に、村人たちは大きく動揺しざわめいていた。

「皆、すまなかった!」

 鬼兵隊を大きく後ろに控えさせ、ブリキは大声で謝罪していた。深く下げられた頭は地面に埋まらんばかりに叩きつけられている。その気迫に、村人たちのざわめきはより大きくなっている。そのざわめきの奥に、キュウセイキはただ立ち尽くしていた。

 ブリキは村人たちの前に自らがこの村に訪れた理由を全て包み隠さず伝えた。自らが西国の大名で、幕府の命で東北の地に潜む異教徒、即ち今目の前にいる村人たちを征伐するために、そして鬼たちの秩序を保つために異形の鬼、即ち救世鬼をまた同様に討つためにこの地を訪れたという事。また、記憶を失っていたのは事実だが、村人たちを騙すようなことをしていたことを心の底から詫びた。明かされた衝撃の告白に村人たちの間に動揺が走る。頭を下げたままさらにブリキは続けた。

「実はワイがこうして記憶を失っている間に、幕府の別働隊が動き始めたらしいんや。奴らは容赦なく攻撃を仕掛けてくるに違いない。ガチの軍相手だとワイもかなりしんどい。止められて三日や、だからその間に皆には決断してほしい」

 ブリキのその言葉に村人たちの動揺がより一層大きくなった。もう自分たちの居場所がバレており、このままでは他の信者たちがそうだったように惨たらしく殺されるであろうことが、言葉には出なかったが皆が理解していた。自分たちがここまで逃げてくるまでにどれ程の犠牲者が出たか、キュウセイキでなくてもその死に様は村人たちにもありありと思い出すことができた。そのざわめきを裂いて、キュウセイキがブリキの前に歩いてきた。

「……決断?」

「そうや、決断や」

 ブリキを見下ろすキュウセイキの視線は突き刺すように冷たく、その瞳の中に怒りの炎が燃えている。まるで視線だけで人を殺せそうだ。だが、ブリキはその視線から目を逸らすことなく続けた。

「一つは、ワイらが別働隊連中を止めてる間に逃げる。けど奴らは証拠を見せへん限り帰らないはずや。そこでキュウちゃんにその証拠になってもらう。キュウちゃんの音撃武器と変身音叉、それさえ見れば幕府連中も納得するやろ。その後はワイが大名ぢからを使ってキュウちゃんを匿う。けど、正直散り散りになった後の皆の生活は保証できへん。」

 ブリキの一つ目の提案に、村人たちは迷いや不安げな様子を隠せない。皆が周囲を見回し困惑している。

「キュウセイキさんに鬼の力を、そしてこの村を捨てろ、ということですか……?せっかくここまでたどり着いたのに」

「そればかりはワイにもどうしようもできへん。ただここに留まっていてはいずれ皆殺しや」

「それに、なぜ証拠はキュウセイキさんなんです?同じ信者という意味では我々も同じはず」

 村人の疑問を受け、ブリキの目が一瞬キュウセイキの方を向く。彼女の唇が一瞬言葉を紡ごうとしたが、それが目に入るかブリキの方が先に言葉を発した。

「……それは彼女が鬼やからや。皆には知らんことかもしれんけど、今ワイらみたいな鬼をまとめようという動きが西の方で起こってる。ワイも昔みたく大名ぢからで好き勝手できんようになってしまった。だから鬼であるキュウちゃんを証拠にせんといかんのや」

 そう語るブリキの視線は目の前の村人ではなくキュウセイキの方を見ている。その視線を感じた彼女は開きかけた口を閉ざした。彼は確かに真実の一面を伝えたが、恐らくキュウセイキと村人に気を遣い、ある事実を伏せたのだ。

 それは、救世鬼がその鬼の力を用いて無辜の人々を虐殺しているということ。そのために犯罪者として幕府から追われる身であるということである。ブリキが魔化魍イキメンと戦った際に気づいた違和感。魔化魍から村を守り続けているのにも関わらず死体に困らないといった童子ら、その真実は救世鬼が人を殺しまくっていたということなのだ。死体に寄生し、強大な肉体を得る魔化魍イキメン。文字通り奴の手足となっていたのは、救世鬼が手に掛けた無辜の人々であり、童子らはそれを知っていたのだ。そして救世鬼もイキメンと戦った時にその正体には感づいていたはずだ。

 キュウセイキの鬼の力を用いた凶行、同じ鬼としてブリキには見逃すことはできない。とはいえ、生活を共にしてブリキは加害者であるキュウセイキについて知りすぎてしまった。もし何も知らないまま鐵葉鬼と救世鬼という鬼として対峙していたら、鐵葉鬼はその鬼の力を存分に振るい、救世鬼と戦っただろう。だが、彼女と過ごした日々が、ブリキに情けをかけさせていた。だが、それでもブリキにとって、彼女がなぜそうした凶行に走るのかの理由は分からなかった。

「……選択って言ったっけ?私たちはそれと何を選べばいいの?」

 キュウセイキが動揺を隠しきれない震えた声でブリキに尋ねる。その目はブリキを見つめているが、焦点はぐらぐらと揺れている。震える身体は陽炎のようでその内側の熱がいつ溢れ出すか分からない程だ。

「ああ、選択や。もう一つは、キュウちゃんにワイの『鬼兵隊』に入ってもらう。今ワイの後ろにいる奴も実はみんな鬼や。こうした鬼を束ねてワイは戦に勝ってきた。そこにキュウちゃんを入れる」

 ブリキが語るには、彼が率いる鬼兵隊にも身寄りがない人、迫害されてきた人がおり、鍛えることで鬼としての力を有し居場所を見出した者がいるという。彼らは鬼として戦うことで、他者とのつながりを得て社会の一員としての役割を果たしているのだ。しかし、言い換えればキュウセイキを自らの配下、所有物として隷属させるということでもある。

「……キュウセイキさんを戦争の道具にするつもりですか!」

「ああ、そうや。その条件を呑んでもらえるなら、皆もワイの城下町に住まわせるようにするで。皆の信仰は表立ってはできへんようになるが、衣食住に仕事はできる限りを用意するつもりやで」

 正直、ワイとしてはこちらを選んでほしい、とブリキは付け加えた。村人たちもブリキが提案した条件を聞き、やや心が揺らいだ。衣食住や安全が保障されれば、今のような厳しい生活から逃れることができる。

 だが、キュウセイキの考えは違った。ブリキとしては本心から村人たちの安全を考えているのだろうが、キュウセイキという自分たちの心の拠り所を隷属させ自由意思をへし折り、周囲への偽装という体で信仰を奪い、恩義の体で村人たちを支配するもだと、キュウセイキは考えていた。拠り所も信仰も奪われただ生存しているだけのその姿は、不自由な奴隷そのものだ。

「全く、どうかしてる。いつから自分が与える側だと思ってるの!」

 キュウセイキは半笑いでブリキに返した。その手には変身音叉が握られ、臨戦態勢である。それを察した鬼兵隊たちがブリキを囲うようにそれとなくキュウセイキの前に立ちふさがろうとしたが、ブリキは手を突き出してそれを遮った。

「おっと!キュウちゃんの言う通りやな。けどな、さらに一つ選択肢があるで。合計三つや。最後の一つは……」

 そこまで言うと、ブリキは一度言葉を区切り、村人全体とそして後ろに控える部下らを見回した。そしてやや大きく息を吸い込むと、静かに、だが良く通る声で言葉を発した。

「ワイをぶっ殺してワイの首を幕府連中に渡すんや」

「は?」

 予想外の回答に、キュウセイキと村人らは凍りついた。それだけではない。ブリキの背後の鬼兵隊らも驚きの表情を浮かべていた。ただ、ブリキの軍馬である真珠号だけが悲しげな眼をしていた。

「みんなも知ってると思うけど、はっきり言ってワイは強い。戦国鬼大名が一人と数えられたほどや。そんなワイを倒したともなれば幕府も他の鬼どもも手を出せん。それだけやないで、ワイを倒せばワイの治める人も、領地も、全部皆のもんや」

 滔々と語るブリキの言葉は荒唐無稽で、まるで現実味のない作り話のようなものだった。あまりに馬鹿馬鹿しい内容でその選択肢自体がないようなもので、かといってキュウセイキもブリキも犠牲にはできないので、一体どうしたものかと村人たちはブリキの話をよそにざわざわと話し始めた。

 だが、ブリキの話を真面目に受け止めた人物が一人だけいた。キュウセイキだ。彼女はブリキの元に一気に詰め寄り、胸倉を掴み上げた。もう一方の手には変身前にも関わらず、十字音叉剣が握られている。

「貴方を殺せば済むんなら、望み通り今殺してやるわ」

 十字音叉剣の切先がブリキの喉を狙う。だが、ブリキはそんなこと覚悟の上だと言わんばかりにキュウセイキを見やる。そして彼女に臆さず、彼女の触れられたくない部分に触れた。

「本当はワイを最初から殺したかったんやろ。霧山天のお姫様」

「!気づいてッ!」

「さっきの戦いの途中で魔化魍連中に思い出させられたんや。家族、家臣や領民の仇が今目の前にいるんやで。殺すならひと思いにどうや」

「ッ!」

 一閃。十字音叉剣の切先はしかしブリキに届かなかった。ブリキの身体を鬼兵隊が、キュウセイキの身体を村人たちが無理やりに抑え込んだからだ。一人二人ではない。彼らの全身を覆い隠すほどの複数人が強引に二人を引き離した。

「ブリキ様!落ち着いてください!」

「キュウセイキさんも、今はどうか抑えて!」

 だが、キュウセイキは彼らの拘束を意に介さず暴れ続ける。その形相は普段の冷淡なものではなく、憤怒と激情とを露にしたものだった。

「こいつが!橅森が!私の家族を!皆殺しにしたんだ!それだけじゃない、ここにいる皆から平和を奪った元凶!」

 怒りのままに見開かれた両目からは涙がこぼれ落ちている。拘束から逃れようと全身を振り乱すキュウセイキの涙がブリキの頬に当たり、流れ落ちた。

「そうやな。戦国の世でワイは確かに何人かの大名と組んで異教徒大名霧山天を討伐したで。まさか生き残りがいたとは思わんかったが。まあ仇討ちは戦乱の常、殺される覚悟はあるで」

「今更、潔いフリして私を愚弄しないで!奪われた側の気持ちも知らないで!」

 キュウセイキが振るう十字音叉剣がブリキの顔を掠め、皮膚を切り裂いた。切先から鮮血が飛び散る。だがその傷を気にせず、ブリキはキュウセイキを見据える。

「ああ、そうや。キュウちゃんの言った通りやな。けどな、どうであれワイの命を助けてくれたキュウちゃんや村の皆は助けたいんや。ワイは皆の気持ちわからんけど、それでも皆に生きててほしい」

 ブリキの言葉に心打たれたか、あるいはあまりの無知さに呆れたか、キュウセイキの力は抜け、彼女とブリキは引きはがされた。

「三日や、三日までは時間が稼げる。けど早いうちに決めてくれ」

 ワイを助けてくれた上に受け入れてくれたの、本当にありがとうやで。最後にブリキは、キュウセイキと村人たちにそう言い残し村から立ち去った。そしてその足で幕府からの先遣隊との交渉へと向かった。その背中は大きかったが、もの寂しさも感じさせた。村人たちはその姿をただ見送ることしかできなかった。

「キュウセイキさん……」

「……今日はもう遅い。明日結論出す。もう一人にしといて」

 ブリキらを見送った後、残された村人たちに冷たく言い放ち、キュウセイキは自宅へと足早に戻る。その目元には涙の線が色濃く残されている。これから自分たちはどうすればよいのか。広場に残された村人たち全員を大きな不安が包んでいた。

(鬼を捨てて自由を取るか、自由を捨てて安全を取るか、今まで通り知った人間を殺してどこかでやり直すか……)

 キュウセイキは歩きながら考える。ブリキは自分の凶行も全て気が付いているに違いない。それを正直に周囲に伝えられたら最後、私だけでなく村人たちの命もないだろう。せめて最悪の事態を防ぐためにはどうすればよいか……。幸いにもブリキはこちら側に甘い。彼の押し付けがましさにつけこむ形であっても、私は彼の言う通り、選択をしなければならない。

 一方、ブリキらは足早に山道を歩いていた。もう日は沈み、辺りは薄暗くなっている。

「お館様、あれでよかったのですか?」

「ああ、討伐対象とはいえワイの命の恩人。そいつらを討ち取るのは鬼として、この太平の世に似つかわしくないやで。鬼兵隊連中、ここからが勝負や」

「はっ!」

 駕籠に乗り参上した最初とは対照的に、ブリキは鬼兵隊たちと共に徒歩で山道を歩いていく。既に暗くなった山中からは、不自然なまでに邪な気が消えている。ダイダラボッチを清めたからかとブリキは考え、その時は気にしなかった。

 山の麓にはいくつかの灯がぽつぽつと点在している。近くの村に宿泊している幕府の使いだろう。今は自分の無事を示し、幕府連中の動きを抑え、キュウセイキらのために時間を稼がなくてはならない。暗闇に光る灯を見据え、ブリキは一層気を引き締めた。

 だが、ブリキの決意が実を結ぶことはなかった。

 

 その日の深夜、突如として爆炎が山を包んだ。その衝撃に目を覚ましたブリキが外に出てみると、滞在先の村人や幕府連中が慌ただしく村を駆け回っていた。思わず空を見上げると、そこは山を覆う爆炎で照らされ、まるで昼間のように明るくなっていた。ブリキの目の前を幕府からの使いが通る。彼はそれを捕まえ、現在の状況を問いかけた。

「何や!一体何が起こっとるんや!?」

「橅森殿か!山の奥で突然馬鹿でかい火事があったようだ!我々の方でも調査を今出したところだ」

「火事やと?なんでそんなことに!?」

「わからない。だが火の手が異常に強く、ここも安全とは言えない。村人の避難も進めている。橅森殿もここは逃げるべきかと!」

「いや、ワイも手伝うで。鬼兵隊連中に避難誘導、ワイは例の村の方に向かうで!」

 使いにそう伝えると、ブリキはすぐさま配下を呼びつけ、自らは燃え盛る山へと向かうため真珠号へと跨った。炎は山全体を明るく照らし、なお一層力を強めている。熱風が麓のこの村にも絶え間なく打ち付け、まるで焦熱地獄だ。キュウセイキらが住む村もこの火力ではただ事ではないだろう。むしろ、この麓の村より山の方にある村は、キュウセイキらの住む村以外にない。実際にあの村での魔化魍退治の際、この村近くまで下りたこともあるのだ。村の皆は無事だろうか、ブリキの心に不安と心配の影がゆっくりと覆いかぶさってきた。

「幕府連中の今晩の動きは?鬼兵隊連中も不審な動きをした者はいないやろうな?」

 真珠号の上でブリキが鬼兵隊に問いかける。それに対し、その場に集った鬼兵隊全員が異口同音に「否」と返した。村の近隣ではそうした動きはまるでなく、キュウセイキらの村を発った際と同様に邪気も感じなかったという。

「なるほど、分かったやで。鬼兵隊はこの村の避難誘導と近隣への勧告をするんや。何人かは今からワイとキュウちゃんたちの村に向かう。急ぐやで!」

 ブリキが合図すると真珠号が大きく嘶いた。それを合図に鬼兵隊が動き始める。この村はブリキらや幕府の使いが滞在するだけでなく無辜の人々も大勢住んでいる。彼らを守り逃がす役割を鬼兵隊たちに託し、ブリキと鬼兵隊の一部は燃え盛る山へと向かった。

 

(しかしこの村で不審な動きはない。天気も良く自然発火ということもなさそうや。キュウちゃんの村の状態だとこれほどの火事を起こすのは不可能や。唯一キュウちゃんが鬼の力を使えばできなくはないやろうが、動機は無いはず。一体どうして火事が……)

 真珠号の背で揺られながら、ブリキはこの火事の原因について考えを巡らせていた。計ったようなタイミングでのあり得ない規模の火事。運命だとしたらあまりに残酷だと、その思考をやめ目の前に集中しようとブリキが思った時、ふと彼は思い出した。

『ヒトの世を焼き尽くす役割は、アナタに代わってもらいましょう』

 異装の怪人の声が、ブリキの脳内に反響した。まさか奴らが、その可能性に思い至ったブリキの顔面に、突如火炎が迫った。真珠号が山道を大きく逸れそれを避けると、ブリキはそれが飛んできた方向を見やる。

 ごう、と突如として暴風が吹きすさび燃え盛る木々を揺らした。それによりこれまで炎に包まれ見えなかったもの、感じられなかったものが姿を現した。

「……ッ」

 最初にブリキが感じたのは、肉が焼ける生臭いにおいだった。次いで血のにおい。容易く死を連想させるそれらが風に乗り、ブリキの嗅覚に訴えかけた。そして火が風により散り散りになったことでよりよく見えるようになったこの場所は、信じたくはないが、キュウセイキらの住む村だった。家々は梁や柱の一部を残し焼け落ち、ばちばちと火の粉を散らしている。ボロボロになった音撃織管の破片や涅駒の残骸が燃えて散らばっている。先程までブリキらがいた広場には無数の折れて捻じくれ曲がった黒い影が寄り添い倒れていた。見るも無残な姿になった村人たちの成れの果てであった。

「そんな……。キュウちゃん!誰か!生きとらんか!」

 ブリキの悲痛な叫びは燃える炎の前に掻き消え、その中に消える。記憶を失った自分を助けてくれた人々のあまりに凄惨な最期に気持ちが折れそうになるブリキだったが、諦めずに生存者を探した。同行した鬼兵隊もこの火の前に怯んでいるばかりではない。ブリキと共に生存者を探した。ばちばちと燃える炎と熱気で五感がおかしくなりそうになる中、ブリキの聴力がくぐもった悲鳴を捉えた。生存者か!ブリキは鬼兵隊たちと共にその音の出所へと急ぐ。

「誰か!誰かいるんか!?」

 炎をかき分けその音の出所へとたどり着いたブリキらの目にまず飛び込んできたのは、首のない何人かの死体であった。原形をとどめたその姿は煤や火傷の跡はまるでなく、炎によって息絶えたのではない。何より逃げ延びてきた異教徒とは到底思えない豪華な着物は幕府に仕える役人そのものの姿であった。おそらくは、村で聞いた原因調査のための連中だろう。人命救助のためにこの過酷な炎に飛び込んだ彼らに対するあまりにむごい結末を目にし、ブリキは目を閉じ黙祷した。そして静かに目を開くと、ゆっくりと言葉を発した。真珠号の上で、ブリキの視線は唯一の生存者である少女の姿を捉えている。

「……生きてると思ったで、キュウセイキ。いや、霧山天キアラ」

 ブリキのその声色は、生存を喜ぶものではなかった。

 

 ブリキの正面に立つキュウセイキの姿は、まさに満身創痍といった出で立ちである。服は破れ焼け焦げており、傷んだ髪の毛先にはまだなお炎が灯っている。破れて露になった素肌にはこれまであった古傷だけでなく火傷が所々に見られ、全身煤まみれだ。その中で涙跡が線となり刻まれていた眼だけが炎より爛々と輝いていた。

「橅森……。あのご高説でここまでやるなんて思わなかった。まさかこんな騙し討ちをするなんて」

 キュウセイキの声は嗤っていた。まるでこの地獄を愉しんでいるようだった。彼女の手には十字音叉剣と切り取られた幕府役人の首が握られている。その表情は訳も分からず落命した混乱と驚愕で彩られていた。キュウセイキはまるで使い古した玩具のように片手でそれらを弄んだ。

「……キュウセイキ。どうしてそいつらを殺したんや。そいつらは皆を助けるためにここに来たはずやで」

 ブリキの声からは怒気がにじみ出ている。だが、それをまるで気にする様子もなく、純粋に「わからない」といった態度でキュウセイキは返した。

「私たちを騙して殺そうとしたんでしょう?だからやり返しただけ。私を邪魔する奴は魔化魍と同じ。だから殺す。鬼の力で殺す。私がそうされたように」

 自分たちで殺そうとしたのに助けようなんて面白いね、とキュウセイキは続ける。焦点のぶれた彼女の瞳が、ブリキをじっと見つめる。その瞳はどす黒く濁り、まるで深淵の暗闇のようだ。これまで村人たちの長、魔化魍を祓う鬼として被っていた仮面が剥がれ落ち、ようやくキュウセイキはブリキと本心から話していた。

「そもそも分からないやで。何で鬼の力で平和に生きてる人を殺すんや。別にイキメンの材料になってた人らがキュウセイキに何かした訳ではないんやろ?」

 ブリキはキュウセイキに疑問を尋ねた。その声色は努めて平坦で抑揚がない、内に秘める感情を押し殺したものだった。先程までのブリキならキュウセイキとの関係が壊れることを嫌いこんな質問はしなかっただろう。だが、キュウセイキの凶行をこうして目の当たりにしたブリキは、もう関係性の崩壊などはどうでもよくなっていた。そして、キュウセイキがどう返答しようとも今胸中に渦巻いている感情が変わることはないだろうと、やけに理性的に考えていた。

「何かされないと殺しちゃいけないの?私がこんな辛い思いをしてるのに周りだけのうのうと生きてるなんてそれだけで不公平でしょう。お前のせいで家族も臣下も領民も今こうして全部失った私は、その分を周りで補わないとおかしいの」

「……」

 絶句するブリキをよそに、キュウセイキはさらに続ける。

「そもそも神様がそういう話。不幸な人間に手を差し伸べないような幸福人間は救われない。だから私は、周りの幸福で自分の不幸を埋めているだけ。幸福人間も私に殺されて救われてるんだよ。神様がそういうんだもん。不幸せなのに他人を幸せにしてあげるなんて、私は『正しい』んだよ」

「……そうかいな」

 もういい、もうたくさんだ。ブリキはそう思った。幕府も猛士も手をこまねいた邪悪な「まつろわぬ鬼」、その凶行の理由はなんてことはない。ただ自分が不幸だと思って腹いせ、八つ当たりで人殺しをしていただけだったのだ。聞いてみれば、なんとも空虚で矮小な理由だ。そんな事のために、こいつは相当数の人間を手に掛け、そして今後も殺人を続けるだろう。それも今まで以上に大規模で容赦なく。それは避けなければならない。そしてそのためにはキュウセイキの絶命が絶対条件だ。いよいよもって、ブリキは覚悟を決めた。もはやこの火災が誰によるものかなどはどうでも良い。鐵葉鬼は救世鬼を今ここで殺さなくてはならない。ただそれだけがブリキの胸中にあった。

「少なくとも記憶を失ったワイを助けてくれたことは感謝してるで。だけどもう終いにしようや」

「そうね。皆の仇、あの時霧山天を討った戦国鬼大名の最後の一人を、今御許に送ってあげるわ」

 キュウセイキは十字音叉剣を縮め、元の変身音叉へと戻す。ブリキも腰から変身音叉を取り出した。鬼兵隊たちも同様に変身音叉を取り出す。燃え盛る爆炎の中でも、打ち鳴らされた音叉の音は厳粛に村の中に響いた。

 輝ける光の中でブリキは、その筋骨隆々の全身に鈴をあしらった鎧で覆い、牛頭の巨角を戴く鬼「鐵葉鬼」へと姿を変えた。鬼兵隊たちも鍛えられた全身に厳めしい角を戴く鬼の姿へと変わった。だが、キュウセイキは普段と様子が違った。雷交じりの嵐が少女の肉体を覆うと、散らばっていた音撃織管や車体、涅駒などの残骸が嵐の中心に集まり、その肉体を作り替えていく。咆哮と共に振り払われた嵐の中から姿を現したのは、光輪煌めく鬼の上半身に馬の下半身を持ち、十八本の指を開き身体の横側に音撃織管を携えた半人半馬の、鬼とは似ても似つかぬ文字通り異形の怪物「救世鬼激情態」であった。馬の下半身を得たことで、真珠号に跨る鐵葉鬼を見下ろす形になった救世鬼は口元を歪めながら近づく。

「さて、ようやくこれで貴方とお揃い。本気で相手をするわ」

 その手には十字音叉剣と涅駒の残骸から生成した円盾が握られている。あまりに殺戮に適応したその姿は最早「音撃戦士」ではない。鐵葉鬼も手にした音撃金剛鈴から光の刃を伸ばし臨戦態勢を取った。

 

 救世鬼がその馬の脚で地面に転がる幕府の使いの首を踏み潰すと同時に、その姿が消えた。それが馬の脚力を得たことによる人知を凌駕した跳躍力によるものだと鬼兵隊の一人が気づくころには、彼の胴体は大きく袈裟切りにされていた。救世鬼は噴水のように噴き上がる返り血を全身に浴びながら、返す刀で鐵葉鬼を狙った。だが、鐵葉鬼は怯むことなく音撃金剛鈴の刃でそれを受け止める。救世鬼は腕部を中心に暴風を発生させる鬼幻術・鬼嵐を発動させ一度間合いを取ると、態勢を整え鐵葉鬼へと更なる斬撃を加えんとした。鐵葉鬼は真珠号の手綱を握り、燃え盛る村を駆け回りながら救世鬼の連撃を受け止める。お互いに決め手に欠ける攻防を繰り返しながら、真珠号と救世鬼の速度は増していく。音撃金剛鈴と十字音叉剣の剣戟の音が燃え盛る村の中に響く。しかして、救世鬼の連撃のことごとくは鐵葉鬼の鎧にも届いていない。鐵葉鬼は、その音撃戦士としての観察眼で救世鬼の癖を見抜いていた。救世鬼は人型と戦う時、必ずその首を刎ねようとする。今そこに転がっている幕府の使いの首なし死体はもちろん、対峙した怪童子と妖姫ももれなく首を切り落とされていた。その斬首刑へのこだわりからか、救世鬼は意識の片隅で常に首を狙っている。だから鐵葉鬼はあえて隙を見せ誘い込み、首を狙う意識を肥大化させ単調化した救世鬼の攻撃を凌ぎ、光刃による斬撃を救世鬼へと与えていた。

 だが膠着した戦況にしびれを切らした救世鬼は、その戦法を変えた。僅かに跳躍したと思うと横に装備した音撃織管が火を噴いた。無数の空気弾が狙ったのは鐵葉鬼ではなく真珠号であった。真珠号の分厚い筋肉に空気弾が食い込み、吹き飛ばされる。だが長年鐵葉鬼という戦国鬼大名を乗せ続けてきた真珠号はこの程度は怯まない。並の軍馬を凌駕する耐久力を身に着けているのだ。あまりに長年鬼と寄り添い続けていた真珠号の全身は鍛え上げられ、馬でありながら「鬼」に近づいていたのだ。大きく吹き飛ばされた真珠号だが、救世鬼も音撃織管の反動で宙を舞っていた。その方向は真っすぐ鬼兵隊の一員へと向かっている。飛ばされながら全身に気を流し込み軽い傷を塞いだ救世鬼は、十字音叉剣を逆手に持ち替え、自らの後方に立つ鬼兵隊の一人の首元にその切先を突き立てた。反撃の余地無く絶命した躯を救世鬼は無情にも鐵葉鬼へ蹴り飛ばした。それを目くらましに救世鬼は鬼兵隊の生き残りを殺戮していく。それを止めようとする鐵葉鬼に対しては、執拗なまでの音撃織管の砲撃により真珠号を足止めする。

「……ッ、ざけんなや」 

 鬼兵隊を壊滅させた救世鬼は、ここでようやっと鐵葉鬼に向き直した。その姿は殺害した鬼兵隊の骸そのものを肉の鎧として身に纏った、あまりにも卑劣で残忍な姿であった。鍛え上げられた鬼複数人は相当な重量となるはずだが、それを意に介さない軽やかさで救世鬼は鐵葉鬼に迫る。部下を殺したうえにその死体を弄び鎧に変えた救世鬼の所業に鐵葉鬼は怒りを隠しきれない。だが、その音撃金剛鈴の切先は冷静に死体の隙間、露出した救世鬼の肌を切り裂かんとしていた。

「鬼闘術・鬼爪!」

 救世鬼の片手九本の指の内、その四本は通常の鬼が扱う鬼闘術・鬼爪と同じように手背から出現している。通常の鬼爪に関節を与え「指」として扱うのが救世鬼独自の鬼闘術・鬼指である。その指の先端から生えた爪が一瞬で伸び、即席の暗器として鐵葉鬼を襲った。変わり果てたこの術は鬼闘術・鬼爪ではない、救世鬼独自の奇怪な技だ。だが、その爪の先は鋭利な刃物と化して鐵葉鬼の右目を傷つけた。

「ぐっ……!」

 鐵葉鬼の右目が血に塗れ振りかぶった音撃金剛鈴の軌道が歪む。その切先は救世鬼が盾とする騎兵隊の骸に食い込んだ。思わず、鐵葉鬼の手の力が緩む。その隙を見逃す救世鬼ではない。左腕に装備した円盾で鐵葉鬼の鎧を殴り、打ち据える。血により失われた鐵葉鬼の右目の視界に救世鬼は入り込み、死角から執拗な攻撃を加える。さらに、鬼兵隊の骸を力づくで振り回し、即席の棍として鐵葉鬼へと叩きつける。

「どう!私も貴方と同じように鬼を使ってみたわ!」

 救世鬼の声色はさらに嗤っていく。両腕に握られた鬼兵隊たちの骸はどんどんボロボロになりながら真珠号や鐵葉鬼の身体を傷つけていく。その動きは変幻自在。刀や薙刀とはあまりに異なるその軌道が鐵葉鬼をどんどんと痛めつけていく。だが、鬼としての変身が解けたその肉体は、鐵葉鬼の鬼のそれと比してあまりに脆い。肉体の限界を超えようやく鬼の身体に傷をつけられるそれは次第に肉が裂け骨が折れ、手足がちぎれていく。何とか人の形状を保っているという感じだ。右手に掴んでいた骸の脚がもげ、救世鬼の手から零れ落ちると、彼女はそれを馬の前脚で鐵葉鬼向けて蹴り飛ばし、さらに左手の骸も投げつけた。鐵葉鬼はそれを避けず受け止めようとする。当然、自らの部下を惨めに扱われて黙って居られるほどの鐵葉鬼ではなく、死体へのそうした狼藉は許せない。だからこそ、その死体を受け止めようとしたのだ。その死者を悼み仲間を思う人間として正しい姿に隙ができる。

 鬼兵隊の骸ごと貫いた十字音叉剣の切先が、鐵葉鬼の胴を捉えた。鐵葉鬼の腹から流血が滴り落ち、真珠号の毛に暗い赤色の染みを作る。救世鬼の顔が笑みに歪む。だが、鐵葉鬼はその突き刺さった十字音叉剣の刃を掴み、力づくで鬼兵隊の死体からも引き抜いた。驚くべきことにそのまま救世鬼の全身を音叉剣から持ち上げ、力づくで投げ飛ばした。投げ飛ばされた救世鬼は地面に叩きつけられたが、起き上がりそのまま大きく間合いを取る。

「よくも鬼兵隊を……!許せへん!」

「私を許す権利があるの?」

 鐵葉鬼は鬼兵隊を地面に横たえると、手で押さえていた傷口に気を込め、無理やり塞いだ。それに伴い流血も止まる。傷ついた右目もほぼ元通りだ。その様を不機嫌そうに救世鬼は見やる。

「両腕二人じゃ足りないか。ならもっと数を増やす!」

 音撃織管を地面に向け発砲し、土煙の煙幕を張りながら跳躍する救世鬼。そうして着地したのは村の中心の広場、未だ燃え盛り黒く焼け焦げた村人たちの死体が転がるそこだった。その死体の山、生前救世鬼を慕い、崇めていた彼らに向け、彼女は無情にも音撃織管の砲撃を放ち、吹き飛ばした。ただ鐵葉鬼に効果的な一撃を与えるための目くらましとして。脆く捻じれた死体は粉々に、あるいは人と識別できる程度の破片が無数に鐵葉鬼に向けて飛び散る。そしてそれに紛れ、救世鬼は十字音叉剣を構え、鐵葉鬼に迫った。

(同じ手が二度通用すると思うなよ……!)

 救世鬼のそのあまりの蛮行に鐵葉鬼は怒り驚いたが、しかしあくまで戦闘を行う彼の思考は冷静だった。あえて真珠号の動きを止め、気を集中して救世鬼の攻撃を待った。その手には音撃金剛鈴が静かに構えられている。鬼としての超感覚を研ぎ澄ませ、無数の「見知った顔」に隠れた救世鬼の邪悪な気のみを捉えんと、鐵葉鬼は集中した。

「もらったッ!」

(今やッ!)

 救世鬼が振るう十字音叉剣の切先が鐵葉鬼の喉元に食い込む。が、鐵葉鬼の音撃金剛鈴の光刃は救世鬼の胸を大きく貫いていた。救世鬼の吐血がびちゃびちゃと鐵葉鬼の身体に降り注ぐ。よろよろと救世鬼は後ずさりし、胸から光刃が抜け落ちた。俯いた口元からは血のあぶくがごぼごぼと零れ落ち、身体の正面には真紅の血の筋が下半身まで真っすぐと線を描いている。おそらく致命傷であろう。鐵葉鬼は救世鬼の動きを警戒しながらやや間合いを取った。その左手は喉元を押さえつけていたが、指の隙間から多量の出血が彼の手を濡らしていた。息も切れ切れでその刀傷は気道近くまで達していた。一方、ふらつく足取りの救世鬼だが視線は常に鐵葉鬼を睨み付けていた。目鼻のない鬼の顔立ちであるが、その突き刺すような視線は鐵葉鬼を真っすぐ捉えていた。

「ふ、ふふ、ふふふ……」

 一際大きい血の塊を吐き出したかと思うと、救世鬼は嗤い出した。その声に合わせてごぼごぼと胸の傷から血が零れ落ちていたが、その傷は瞬く間にふさがっていった。その様子を鐵葉鬼は黙って見つめていた。

(まだ立てるんかいな……確実に心臓を捉えたはずやが、再生速度が速くなっている。鬼の力を敵に回すとここまで苦労するんやな……)

 戦国時代を人間を遥かに凌駕する鬼の力で生き抜いてきた鐵葉鬼に、今その鬼の力が敵として立ちふさがっていた。戦場で鐵葉鬼や鬼兵隊と相対した人間は、今の鐵葉鬼を遥かに上回る恐怖と絶望のまま「鬼」と戦い、なすすべなく蹂躙されていったのだ。

「強い!強いよこの身体!今までとはまるで違う!死んだと思ったけど生きてる!」

 十八本の指を広げ、救世鬼は高らかに嗤う。負った傷や体力もすでに全快しているようだ。その無尽蔵の体力、いや、最早不死性と言って差し支えないそれは、音撃武器以外では滅びぬ魔化魍のそれを彷彿とさせた。そのまま歌うように救世鬼は続ける。

「これほどの力があれば、私は家族を失わずに済んだのに……。でも貴方や他の人は力がなくても家族や臣下に囲まれて、ずっと幸せだったんでしょうね」

「……!?ワイ、が、弱い、って言い、たいんか」

「ふふ、この世の幸不幸を整えたいだけ」

「意味、っが、分か、らへん」

 再生の追い付かない喉で途切れ途切れで鐵葉鬼は返す。最早救世鬼の言葉は支離滅裂だ。だが、おそらく「力のある自分が不幸で、力のない他者が幸せなのは憎く、自分の手で幸福な他者を不幸に陥れたい」という具合のことを言っているのだろう。救世鬼はそれを鐵葉鬼に理解してほしい訳ではなく、理解できるとも考えていない。おそらくこの場にいる人物が鐵葉鬼以外でも同じことを言っていただろう。ただ、絶大な力を得た高揚感で口が回っているだけなのだ。

 会話の途中のような状態だったが、突如救世鬼は駆け出した。虚を突かれた鐵葉鬼は左手で喉の傷口を押さえながら、右手で音撃金剛鈴を救世鬼向けて突き出す。その様子を見て、迫る救世鬼の顔が引きつったような笑顔に歪んだ。

「鬼幻術・大天門」

「!?」

 光り輝く異様な魔法陣がまるで彼らを遮断するかのように鐵葉鬼と救世鬼の間に浮かび上がった。そして救世鬼は走るその勢いのまま魔法陣の中へと飛び込んだ。するとどうだろう、救世鬼の身体はその場から忽然と消えてしまった。

「『大天門』は確か、音撃織管を、召喚した鬼幻術。それを、自分に使った、ってことは……まずい!真珠号!」

 鬼幻術・大天門は音撃武器である音撃織管をそれを牽引する絡繰動物ごと移動させる、大規模な空間転送呪術だ。呪術に秀でた一部の鬼は音撃武器を常時携帯せず必要に応じ呪術を用いて取り出すというが、おそらくはそれの発展形にあたる呪術。効果範囲などは分からないが、おそらく複数の複雑な印を結びようやく発動できるような大規模な術式。これを戦闘に流用できる救世鬼の秘密は、その手にある。異常な鍛錬で発現した彼女の十八本の指は、一般的な十本の指よりも早く、効率的な印を結ぶことができ、その結果として空間転送という術式の効果により早くたどり着けるのであろう。

 その術式を自らに掛けて消えた救世鬼の行き先に心当たりをつけたのか、鐵葉鬼は真珠号の手綱を握り行き先を定めた。そして、鐵葉鬼は救世鬼の手にかかり粉々に撒き散らされた部下たちや村人たちの遺体に向け黙祷すると、燃え盛る村から足早に立ち去っていった。

 

「……やはりここやったか。救世鬼ならこの程度の火事を起こすなんて造作ないやろな」

 鐵葉鬼と真珠号がたどり着いたのは、先程まで滞在していた山の麓の村。だが、その様相は燃え落ちた救世鬼らの村と同じ、見慣れた地獄だった。建物は火に覆われ焼け落ち、避難が間に合わなかったのか、幕府の使いや村人たち、鬼兵隊の死体が転がっている。そしてやはりというべきか、それらの骸の一部は丁寧に首が切り取られていた。間違いなく、救世鬼はこの村に移動したのだ。

 より村の内側に歩を進める鐵葉鬼の耳に悲鳴が届いた。急ぎ向かうと、そこでは救世鬼が十字音叉剣を振り回し村人たちを惨殺していた。周囲にも無数の首なし死体が散らばっている。老若男女皆殺しだ。間に合わなかったか。その凄惨な状況を前にし、鐵葉鬼は救世鬼へと手にしたその音撃金剛鈴で切りかかった。

「救世鬼!貴様!」

「鐵葉鬼、思ったより遅かった」

 救世鬼は鐵葉鬼の光刃を手にした円盾で弾き、十字音叉剣を握ったままの腕で鐵葉鬼を殴りつけた。真珠号の上で鐵葉鬼の身体が大きくのけ反る。その様子を見た救世鬼はあえて追撃をせず、何かを確認するように間合いを取る。

「……やっぱり思った通り、今の貴方は弱くなっている」

「どういうことや」

「私気づいたの。人が死ぬ度、貴方の自責の念がどんどん身体を縛り付ける。だからわざわざ他の村まで来て貴方の仲間を殺してみたら、やっぱりさっきより弱い!」

 まるで何かを発見した子供のように救世鬼ははしゃぐ。もうこの殺戮がばれて困る村人たちはいない。大っぴらに人殺しができる解放感、更なる力を手に入れた高揚感に救世鬼は酔いしれていた。「鬼」という仮面を外した彼女は正しく「怪物」であった。一方鐵葉鬼は傷の蓄積や部下や民衆を壊滅させられた被害や焦りから、彼女の言う通りその動きは精彩を欠き始めていた。だが、彼女の言う通り弱体化していたところで、鐵葉鬼は全く臆さない。握られた音撃金剛鈴の光刃は太く長く変化し、一層光り輝きを増した。

「……なめんなや、瞬間移動でワイから逃げた雑魚が。ワイが家族だの何だのの仇ゆうなら、お前も部下たちや何も知らずに死んでった村の人たちの仇や。それに、わざわざ弱くなったワイを倒そうっていう情けない奴に負けるわけにいかんやで」

「殺すッ!」

 救世鬼は飛び上がり音撃織管を斉射しその反動で間合いを取る。放たれた無数の空気弾を鐵葉鬼は力強く切り払う。しかし救世鬼は音撃織管を連射し鐵葉鬼の動きを釘付けにする。そしてそのまま空いた両手で印を結び続ける。

「鬼幻術・大天門ッ!」

 果たして放たれた鬼幻術。その様子は先程の物とは違い、複数の魔法陣が光り輝きながら救世鬼の周囲を舞った。それに呼応するように、救世鬼の背中の光輪が輝きを増す。臨界、光輪から放たれた無数の怪光線は敵である鐵葉鬼に向けてではなく、大天門で呼び出された魔法陣へと吸い込まれていった。

「!?何や真珠号!」

 何かを感じたのか、真珠号が突如前脚を大きく上げながら嘶いた。そのまま真珠号は音撃織管の斉射も意に介さず飛び上がった刹那、先程まで鐵葉鬼がいた場所は無数の魔法陣に囲まれ、そこから放たれた怪光線で射抜かれていた。鐵葉鬼の肩や腰の鎧も光線が貫通し、肌にかすり傷をつけている。

「避けられた……けど次はそうもいかない。その足から潰そうか?」

 救世鬼はさらに空気弾と怪光線を放ち、鐵葉鬼を追い詰める。真珠号を失えば、下半身を馬体に変えた救世鬼と鐵葉鬼の機動力は雲泥の差だ。何より部下が全滅した鐵葉鬼にとって残された戦友である真珠号を失うわけにはいかない。先程の攻撃から考えると、大天門を介してからの光線は、そのまま光線を直撃させる攻撃と比べ、展開位置や手数においては利点があるが、攻撃速度においては劣る。印を結ぶ時間もあるが、魔法陣を通過する際に光線の速度が遅くなっているようだ。だからこそ先程は逃がさないために、攻撃対象を囲むように魔法陣を展開させたのであろう。そして、あの光線は魔法陣を介さなければ軌道を操作できない直線的なものに違いない。ならば回避においては音撃織管の空気弾と同じだ。そう分析すると、鐵葉鬼は手綱を強く握りしめ、真珠号と共に駆けだした。

「やぶれかぶれかッ!早く死ね!」

 救世鬼は罵倒と共に怪光線と空気弾を鐵葉鬼に向けて放つ。直線軌道の空気弾で真珠号の動きを誘導し、魔法陣を動かし高速で駆ける鐵葉鬼と真珠号を囲んでいく。鐵葉鬼の周囲に展開された魔法陣はどんどん数を増し、彼らを取り囲む。

「今ッ!」

 救世鬼の光輪が輝きを増し、無数の光線が鐵葉鬼を囲んだ魔法陣から解き放たれた。球状に鐵葉鬼を覆うそれらは一部の隙も無く鐵葉鬼の肉体に迫った。

「うおおおおお!ぶちかますで!」

 裂帛の叫びと共に鐵葉鬼は音撃金剛鈴の光刃とは反対側の部位を腰の装備帯に当て、音撃鈴を展開した。そして展開した音撃鈴に気を流し込み、光の鎖を形成した。記憶喪失時の鐵葉鬼が使用していた鎖鉄球型の形態とよく似ていたが、金剛鈴から光刃は展開したままだ。高速で振り回される音撃鈴と光の鎖は強力な防御壁となり、無数の怪光線を弾いていく。そしてもう一方の手で光刃を操り、すり抜けてきた怪光線や空気弾を切り払う。鬼気迫るその様に、救世鬼は攻撃を一層過激化させた。怪光線が真珠号の肌を抉り、鐵葉鬼の身体に突き刺さる。傷を負っているのはあちらなのだ、救世鬼はそう思うのだが、鐵葉鬼のその有様は全くそのようには見えない。決死の突撃、鐵葉鬼の気迫が救世鬼に迫る。

「はぁッ!」

 鐵葉鬼の音撃鈴の剛撃が救世鬼に襲い掛かる。辛うじて、左腕の円盾で受ける救世鬼だが、その一撃で円盾は粉々に砕け散った。それだけではない。その衝撃は盾を貫き救世鬼の左手の骨をへし折った。痛みに救世鬼が苦悶の声を上げる。好機!防御を失った救世鬼に向け、鐵葉鬼は音撃鈴の大質量による更なる連撃を浴びせかける。始めこそ音撃織管と十字音叉剣を振るい凌いでいたが、音撃鈴の連撃が次第に彼女の肉体を捉え、打ち据える。重い衝撃はかすっただけでも救世鬼の全身に響き渡り、骨肉を苦痛で苛んだ。鍛え上げられた音撃戦士に、同じ技は二度通じない。そこに生まれた隙を鐵葉鬼は見逃さなかった。

「!?しまった!」

「捉えたでェ!」

 盾が壊れおろそかになっていた左腕に音撃鈴を繋ぐ光の鎖が巻き付き、救世鬼の動きを封じた。きつく縛られた鎖が肉に食い込む。そしてそのまま鐵葉鬼は巨大魔化魍の動きさえ封じ込める怪力で救世鬼を一息に引き寄せる!救世鬼の身体は宙を舞い、一気に鐵葉鬼に間合いを詰められた。必殺の一撃を見舞うため、鐵葉鬼は光刃を構える。

「鬼闘術・鬼爪!」

 だが諦める救世鬼ではない。縛られていた左腕の九本の指から硬質な爪を伸ばし、しかもそれに旋風を纏わせることで鐵葉鬼の顔面を狙った。刃物ような爪と風が鐵葉鬼の鎧を傷つけ皮膚をたやすく切り裂き、旋風が鮮血を撒き散らしたが、その程度の傷は覚悟の上、鐵葉鬼の構えは微動だにせず、ただ救世鬼の肉体を貫くことを狙っていた。

 まさに救世鬼の胸を貫かんと、その光刃が彼女の身体に触れたまさにその時、しかし救世鬼は鐵葉鬼の予想外の行動に出た。右手に握る十字音叉剣で、鬼爪を展開したままの左腕を肩口から切り落としたのだ。救世鬼を縛っていた光の鎖と共に、救世鬼の左腕は燃え盛る村の中に消えた。そして、彼女の動きを封じるために力を込めていた鐵葉鬼の全身の態勢が大きく崩れる。光刃による渾身の一突きは救世鬼の右肩を抉り髪を切り裂いた。しかし救世鬼は音撃織管から地面に向け打ち出した空気弾で体勢を変え、十字音叉剣の切り上げで鐵葉鬼の左腕を中ほどから切り落とした。傷口から鮮血が飛び散り、鐵葉鬼の叫びと共に救世鬼の視界を赤く濡らしていく。もはや背中の光輪に向ける意識などなく、怪光線が垂れ流しになっていた。音撃織管の反動そのままに飛び上がった救世鬼はそのまま十字音叉剣を振り降ろし、必殺の斬撃を見舞わんとする。狙いは首の左側。腕を今切り落とし、鐵葉鬼は防御できない。これで終わりだ。

「地獄に堕ちろ!橅森文明!」

「キアラァァァ!」

 鐵葉鬼は音撃金剛鈴に気を込め瞬時に音撃鈴を引き寄せた。そして音撃形態に移行した音撃金剛鈴を光刃が展開したままに自らの左腕に深々と突き刺した。その様子はまるで音撃金剛鈴による義手である。肩口まで貫通した光刃の傷口から血が噴き出し、鐵葉鬼はくぐもった唸り声を上げるが、だが力強くその音撃鈴の拳を振り上げる。

「音撃響・咆無祭鳴(ほなさいなら)ァ!」

 音撃鈴の剛拳が救世鬼の顔面を捉え、打ち砕いた。その拳から放たれた清めの音の衝撃に救世鬼の五体が吹き飛ぶ。が鐵葉鬼の首元には救世鬼の音叉剣が突き刺さり、だらだらと血が流れ落ちている。しかし真珠号がその頭で救世鬼の斬撃を受け止め、斬首を回避していた。脳震盪を起こしたか、倒れ込む真珠号。鐵葉鬼はゆっくりと真珠号を庇うように支え寝かせる。あまりの疲労から、意識せず鐵葉鬼は顔の変身を解除していた。鐵葉鬼の身体は怪光線により撃ち抜かれ、全身にその弾痕が刻まれている。音撃金剛鈴が突き刺さった左腕は、肩口からただ垂れ下がっているだけだ。だが、今彼は生きて、そこに立っている。満身創痍の状態だが、吹き飛ばした救世鬼に向かい全身を引きずるように歩き出した。

 霞む視界、燃え盛る炎の中に、鐵葉鬼は救世鬼の姿を捉えた。力なく座り込んだ馬体の下半身。上半身は俯いたままで、背部の光輪も消失している。自ら切り落とした左肩からは血がどろどろと垂れ落ちている。音撃響により砕かれた顔面は隈取も剥がれ、霧山天キアラという一人の少女の顔が露になっている。その眼は見開かれ、鼻や口元からは血が流れ落ちている。土気色のその顔はぴくりとも動く様子はない。死んだのか。いや、救世鬼により殺された鬼兵隊がそうであったように、鬼の状態から落命した場合、その変身は解除されるはずだ。しかし今の救世鬼はその異形を留めたままだ。まさかまだ生きているのか。鐵葉鬼は警戒し一歩後ろに下がり間合いを取った。ゆっくりと力なく救世鬼は立ち上がった。上半身はただ下半身が立ったから持ち上がったといった風で、しばらくはぐらぐらと揺れていたが、次第に安定した。

 俯く救世鬼の目が、見上げる鐵葉鬼の目と合った。丸く見開かれた救世鬼の瞳は夜の闇を映したように昏く、周囲で燃え盛る炎も全て吸い込んでしまいそうだ。だが、瞬きもせず涙もなく干からびたような眼球からはまるで生気を感じられない。救世鬼は立ち上がると、鐵葉鬼に構うことなくふらついた足取りで炎の中へ歩き出した。指先や装飾の末端は、清めの音を全身に受けた影響からか砂のように崩れ落ちていく。いつしかその身体は崩れ去り炎の中に消えていった。鐵葉鬼は全身に負った傷のためにそれを追うことはできず、ただ炎に消えていくその様を霞む視界の中見つめていた。終わったのだ。視界から救世鬼の姿が完全に消え崩れ落ちたことを見届けた鐵葉鬼はその全身の変身が解け、燃え盛る地面に倒れた。その頬を水が伝う。次第に雨が降り始め、村を嘗め尽くした火を鎮めていった。

 

「それで?結局どうなったんですか?ブリキは?」

「まあ落ち着いてよ。順を追って説明する、っていうか特にオチもないし目新しい結末じゃないけどね」

 灯の落ちたテントの中で、寝袋にくるまった二人が会話する。話し手は話疲れてやれやれといった口調で続ける。

 その後、鍛え上げられた肉体もあってか奇跡的に一命をとりとめたブリキだったが、左腕の欠損や全身の弾痕といった全身の負傷は著しく鬼としての復活はかなわず引退し、国に戻った。そして、派遣した鬼兵隊及び、同任務に従事していた幕府の使いの全滅の責任を取り隠居、橅森家はその勢力を大幅に失うことになった。

 救世鬼らが信仰していた異教についても、弾圧そのものは続いていたが、表立っての虐殺などは見られなくなり、弾圧活動も沈静化していった。信者も今まで以上に表に出ることもなく、その信仰は密かなものになっていった。今ではどれほどの人数が信仰しているのかは分からない、忘れられた宗教になっていった。

 ブリキは、幕府及び猛士への提出書以外では、この事件について家族相手にさえあまり語ることはなかった。無数の部下や無辜の人々を自分のせいで失ったと考え、そして同じ鬼を手に掛けたことを悔やんでいたという。そして晩年には犠牲者の鎮魂のために巡礼の旅に出たのだという。無論、犠牲となった村人たちも同様に弔ったということだ。だが、この旅には別の目的があった。それは炎に消えた救世鬼の捜索である。間違いなく死んだはずの救世鬼だったが、晩年のブリキはその姿を幾度となく夢に見、うなされていた。最期には、かつて救世鬼と戦った村の近くで倒れ、孤独に落命した。救世鬼と会うことは、生涯叶わなかったという。

「なんか救われない話ですね。人を助けるために文字通り命がけで戦った結末が、鬼の力も名誉も失い、最後は孤独なんて」

「まあまだ若い君にはそう思うのかもしれないけど、何もかも失ってもなお、他者を思い悼むブリキは『鬼』の鑑だと私は思うな。君もいずれ分かるようになるさ」

 話し手の言う通り、ブリキが鬼の鑑だというのなら、キュウセイキはきっとそれと合わせ鏡の存在なのだろう。人を脅かす巨大魔化魍に対峙し、人ならざる存在になりながらもその力で人々を守り幸福をのために戦った鬼「鐵葉鬼」に対し、人ならざる存在に成り果て強大な力で人々を脅かし、自分の幸福のために他者に不幸をもたらした鬼「救世鬼」。その二人のあり方は対照的だ。しかし、鬼と言えども、鬼である以上に人間だ。誰もが激情に身を任せそうになる可能性を持っている。だが、そうした激情を救世鬼のように「悪意」として振りまくのではなく、自らその悪意に立ち向かうことこそが、重要なのだ。

「……ん、そんなもんなんですかね」

「おいおい、君の『鬼』への理解を深めるためってのもあって昔話をしてるのもあるんだぜ?まあおかげで結構夜も遅くなっちゃったから、私はもう寝るわ」

 おやすみー、とだけ言うと、語り手はすぐに寝てしまった。聞き手は暗いテントの帳を見上げながらゆっくりと目を閉じた。「世を救う鬼」と書いて「救世鬼」。彼女はその生涯で一体何を救ったのだろう?聞き手は遠くなる意識の中で考えたが、間もなく眠りに落ちていった。外に吹くそよ風がテントを静かに揺らしている。

 

―完―

 

・人馬合身・救世鬼激情態

 変身者・キュウセイキ(霧山天 キアラ/きりさんてん きあら) 享年18歳 女性

 身の丈(身長):10尺9寸(330㎝) 目方(体重):657貫(2.46t)

 特色/力:馬の下半身による機動力、音撃織管と怪光線による砲撃、再生能力

 住んでいた村を滅ぼされ自身も死に瀕したキュウセイキこと霧山天キアラが、変身音叉が発する特殊な音波により、肉体を歪に変貌させた姿。

 上半身は音撃戦士救世鬼の姿だが、下半身が丸ごと絡繰動物・涅駒と同様の形状に変化、鎧及び武装として破損した音撃織管の残骸を装備している。変身音叉を変形させた鳴刀・十字音叉剣と、絡繰動物の残骸を変形させた円盾を装備し、容赦のない剣術で敵を追い詰める。また、鬼幻術を用いた空間転送により自己の肉体や背中の光輪から放つ怪光線を自在に転送させることができる。

 総合的に全能力が救世鬼の通常形態から向上しており、その力を存分に振るうことで丸腰の幕府からの使いや鐵葉鬼配下の鬼集団「鬼兵隊」を全滅させただけでなく、ただ幕府の使いらが滞在していた村に暮らしていただけの人々を虐殺した。最終的には、自らの討伐という目的のため立ちふさがった音撃戦士・鐵葉鬼との決戦の末、彼の必殺音撃「音撃響・咆無祭鳴(ほなさいなら)」を顔面に受け、絶命したとされる。

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