夜半、東国某所。月明かりがしんと静まり返った街を照らしている。その中である屋敷だけがさらに不自然に静まり返っていた。その屋敷の一室、未だ寝殿造の形状を色濃く残すその内装は、簡素な板葺きや平屋が庶民にとって当たり前の時代において、その屋敷の主が強い権力を持つ者であることを否応がなく感じさせた。
部屋には一人の恰幅の良い男が座っていた。手足だけでなく胴回りに至るまで太く、綺麗に整えられた寝間着を纏っているところから、衣食住何一つとして不自由していないことが見て取れた。その表情はしかしそれに似つかわしくない、眉に皺を寄せた厳しいものだ。
「……しかしホンマに厄介やな、『陸連船団』にそこに集ったオニども。都の商人どころかガイジンからも苦情が来る」
男の視線は手にした文に落とされている。男の周りにはそれ以外にも無数の手紙が散らばっていた。そのどれもが、鬼の盗賊団「陸連船団」に関する苦情、もはや呪詛と言っても過言ではないほどの文書だった。陸連船団の略奪行為により富だけではなく、土地を、家族を、恋人を、命を奪われた怨念が一筆一筆に宿っていた。
そして、この時代において手紙を出せる人間などまだ限られている。男の周りに散らばった呪詛の背後には、その億倍の恨みつらみが隠れているのである。
「全く悲惨なモンやで、なあそうは思わんかいな」
男は誰もいないはずの部屋の影にそう問いかけた。如何に巨大な屋敷と言えども真夜中に起きているのはこの男一人だけのはずである。
「おい!ワイのことを無視するとはいい度胸やな。そもそも招かれておいて挨拶も無しとは、忍者としてどうなんや!」
誰もいないはずの影に、男は声を荒げ怒鳴る。するとどうだろう。その影の中から人型の何かがゆらりと立ち上がったではないか。
「確かに、これは失敬。どうも『八賀 反骨(はが はんこつ)』です。召喚に応じ参上仕り候」
影は「八賀 反骨」と名乗った。その全身は濃密な暗黒を纏い表情を読み取ることはできない。その影に、男は手にしていた手紙を投げつけた。
「ほら、見てみぃ。民草の悲鳴が、忍者にも思うところがあるやろ」
影は投げつけられた手紙に簡単に目を通すと瞬く間に折りたたみ、鳥の形にして男へと返した。鳥の形になった手紙は、まるで本物の鳥のように部屋の中を羽ばたき、男の手の元に収まった。
「……その特異な術。腕前は聞いた通りのようやな」
「ご褒めに預かり光栄の至り」
影は忍者であった。暗闇に身を潜め、特殊な技能を以て諜報や破壊活動を生業とする存在であった。その技を目の当たりにし、男はニヤリと下衆な笑みを浮かべた。
「それで、どうや。ワイからはこの盗賊共の討伐を頼みたいんやが……もちろん金は充分出すで」
「我々は忍者です。金さえいただければ」
男に対し、影は素っ気なく答える。その態度に、男はさらに口を開いた。
「『八賀忍軍(はがにんぐん)』――。噂に聞く闇の中の闇、暗黒の忍者集団。人とは思えないほどの特殊な術を操るその正体は、聞けば『鬼』だとか……。同じ鬼が盗賊で名を轟かせてるのはどう思、ッ!」
男の声が不意に止んだ。その首には円盤のような形状の刃物が突き付けられている。それを握るのは暗闇から伸びた影の手だ。
「……それ以上話すと、殺しの順番が変わりますが」
「わ、分かった!だからよすんやで……」
男は手を上に挙げ無抵抗を示した。その様子に影は手を引いた。首元を不安げに擦りながら男は続けた。
「とにかく、北方鎮護であるこの橅森の命として盗賊である陸連船団を撃退し、その頭目『八津裂鬼』を討つんや。これは重大な仕事やで」
観念したように男は影に頼み込んだ。その言葉を聞き、影が男の方にぬらりと踏み出した。
「承知。八賀忍軍頭領八賀反骨、その命にかけ逆賊を討ってご覧に入れましょう」
男の前に立ち上がった影を月明かりが照らした。その姿は闇のように黒い肉体に頭頂に角を戴く「鬼」の姿であった。ただ、目元に当たる部分だけが不気味にかすかな光を放っている。これが八賀反骨の鬼としての姿「刃々鬼(ハバキ)」である。その言葉だけを残すと刃々鬼は北方鎮護大名橅森の前から瞬く間に姿を消した。
「鬼を討つには同じ鬼や……」
今度こそ一人しかいない部屋の中で、橅森は呟いた。辺りは沈黙が包み込んでいる。
鬼による盗賊団「陸連船団」に対し、鬼の力で歴史の闇を暗躍する忍者集団「八賀忍軍」。鬼の力を自己のために振るうか他人のために振るうか、両者は鏡写しの存在であった。しかし、両者共にその力の対象は人々を襲う魔化魍ではなく、本来鍛えられた鬼の力で守るはずの「人間」であった。彼らは共に、鍛え上げられた鬼の力を存分に振るい「人殺し」をしていたのである。
ヤツザキ一行らは大型船舶に乗り海上を航海していた。というのも、ヤツザキが治める街の一つが魔化魍の襲撃を受けているという報が鬼港に届き、その討伐のために出向いている最中なのである。陸連船団の構成員の中には複数人の鬼がいるが、しかしそのほぼ全てが「音撃戦士」として習熟しているわけではない。というのも、彼らの多くは鬼という異形の姿と力ゆえに迫害され棲家を追われた者ばかりであり音撃戦士として魔化魍と戦う経験自体に極めて乏しいのである。自前の音撃武器を持っている者でさえ稀だ。彼らは魔化魍と戦うより、自らを追いやる人間との争いの方が多い。鍛え上げられた能力を以て、自らより弱く庇護すべき存在と戦うというのは、やはり皮肉ではある。
その唯一の例外が「八津裂鬼」である。陸連船団の中で彼のみが「音撃戦士」として魔化魍を祓い清めることができるのだ。他の構成員が音撃武器を単なる兵器としてのみ扱うのに対し、八津裂鬼のみがその真価を発揮できる。すなわち鬼石から放たれる清めの音を正しく扱い、清めの旋律を放つことができるのだ。だが、一般的な武器がそうであるように、音撃武器も正しい扱い方を知り、身に着け、常に鍛錬しなければ魔化魍を祓うに足る清めの旋律を放つことはできない。
唯一音撃を用いて魔化魍を清めることができる八津裂鬼は、魔化魍退治を一手に引き受けるかわりに、各地に陸連船団と協力関係を結んだ拠点を用意している。これらの拠点が魔化魍に襲われた際には八津裂鬼がそれを退治し補償を行うのである。その代わり、それらの拠点は八津裂鬼の支配下になることになる。人間相手ならまだしも、人外の怪物をたやすく屠りさる八津裂鬼には誰も逆らうことはできない。一度、ある村が八津裂鬼の支配に堪えかね、鬼への差別感情を押し殺して外部から音撃戦士を招き、魔化魍退治を頼もうとしたことがあった。それを八津裂鬼はどこから聞きつけたのか、すぐさま村に現れ音撃戦士諸共村を壊滅させた。そして数人の生き残りを連れ他の拠点を回り、その顛末を彼らに話させたのである。八津裂鬼に逆らってはいけない。鬼でさえ殺される。そして最後には語り手を八津裂鬼自身が殺して見せ、自らの力とそれに背く者の末路をこれ以上なく誇示して見せたのである。その後、八津裂鬼の意に背く拠点はなくなった。八津裂鬼はこのように力で着実に支配圏を増やしていた。
魔化魍を清めることができない陸連船団の構成員たちは、経験に乏しく音撃武器の練度も足りない。しかし裏を返せば、魔化魍を清めることができる八津裂鬼は、どこかで魔化魍と相対する修行を積んだ「正しい」音撃戦士であると言うことができる。だが、八津裂鬼がどこでそのような修行をしたのかは誰も知らない。それどころか彼の出生そのものが謎に包まれているのだ。八津裂鬼という強大な鬼として盗賊団を率いる前の過去は、陸連船団の誰も知らない。
「ここが手紙の……予想以上だぜ」
港にたどり着いたヤツザキは街の様子を見回すと船から飛び降りた。着地した彼の足元に土煙が舞う。続けてハイユキ、ヒタキも陸地に降り立った。次いで魄日が船から降りようと顔を出した。
「!これは……!」
魄日はすぐさま船から飛び降りその惨状を全身で知覚した。崩れ潰れた家屋、なぎ倒された木々、削れ砕けた丘、そして路傍に転がる死体。大災害に見舞われたような、魄日にとっては見慣れた地獄だった。魄日は周囲を見回すと何か人助けができないかといずこかへと駆けださんとした。それの肩をヤツザキは掴み魄日を止める。
「坊さんは先にこっちだ。見せたいものがある」
「ヤツザキ様、よろしいのですか?」
「今はいいさ。ここなんぞよりもよっぽど大変なとこにさきに行かなくっちゃあなぁ」
ヤツザキはハイユキに話すと、魄日を掴んだまま街の奥へと歩を進めた。ハイユキらもその後を追っていく。
村の中央通りに沿いヤツザキらが歩いていくと、その眼前にひと際大きな屋敷が現れた。といっても半分ほどが大きく崩れており、塀は倒れ門の近くには屋根の装飾が転がっている。それらをヤツザキは大股でまたいで避けながら屋敷の中に入った。その中では男が瓦礫を片付けていた。その男は背後の物音に気付きヤツザキらの方を振り返った。
「これはヤツザキ様!ご足労感謝いたします、報せも無事届いたようで」
「ああ。予想以上の被害のようだが、永景(ながかげ)。調子はどうだ?」
「魔化魍の被害は先に報告した通りで、陸連船団の鬼たちが事に当たっていますが厳しい状況が続いております」
永景と呼ばれた男はそこまで話すと、その顎の無精ひげを撫でながらハイユキとヒタキの方を見た。
「ハイユキは一度会ったことがありますが、こちらが噂に聞く魄日さんで、この少年が以前聞いたヒタキですな。自分はここで武器とかの研究をしている永景。よろしく」
永景はそう言うと右腕を差し出した。その腕の姿を見て彼らは驚きの表情を浮かべた。
「その腕……前に会った時は普通だったのに」
「ああ、この腕ですか?生まれつき鈍かったものが最近では遂に動かなくなりまして。今は南蛮魔術を応用して普通の人間でも鬼のような力を発揮できるよう研究してるんですよ、ヤツザキ様の命令で」
そう言うと永景は袖をまくり上げ、腕の全容を明らかにした。無機質に煌くその腕はどうやら金属でできており、絡繰か何かで動いているようだ。能力を制御するためか、全体に渡って細かな文様が描かれている。肩口まで接続されたそれは永景の左腕と比べると不釣り合いなほど大きく長く、少し体を傾けると指先が地面についてしまいそうなほどだ。
「これは凄い、このような研究を?」
「ええまあ、まだまだ分からないことだらけですが」
「陸連船団にはオレも知らない色んな奴がいるんだなぁ……」
魄日とヒタキはそう言うと永景の手を取り握手した。それを受け永景は袖を戻し、屋敷の中に入るよう彼らを案内した。外側から見た通り屋敷は半分ほど倒壊しており、辛うじて損壊を免れた部屋にはけが人が所狭しと並んでいた。
「数日前の魔化魍襲撃の際に皆怪我を負いまして、鬼と言えども完全な治癒には時間がかかります。この屋敷以外に場所もなく、街の住人も避難している状態で疲弊しているのが現状です」
「酷い有様ですね……」
屋敷の廊下を歩きながら永景は語った。常に開け放たれた戸からは部屋の様子が嫌でも目に入る。大勢がそれぞれに怪我を負い苦悶の声を上げていた。動ける人間はその手当をせわしなく行っていた。だが、ヤツザキの関心はそこにはないようであり、その様子を目の端で流し見るにとどまっていた。
「それより、研究成果の方はどうだ?この屋敷にここまで人の出入りが多いともしやということもあろうが」
「いえ、それはありません。魔化魍共も含めて自分の結界に綻びは未だ」
「ならばいいが、万が一ということもある。研究の確認も含めておれ様が直接確かめる」
ヤツザキはヒタキにけが人の看病を手伝うように指示すると、ハイユキと魄日を連れ、永景と共に屋敷の裏山へと向かった。裏口を抜けると、獣道のような細い道が森の奥へと繋がっている。その周囲の木々には無数の札が所狭しと貼られていた。振り返ると、屋敷の裏側の壁や垣根にも同様のものが貼られており、まるで何かを封じ込めている、あるいは何かからここを守っているようだった。
「こちらです」
少し山道を歩いた先を永景が指し示した。そこには生い茂った草木に隠れるように小さなお堂が建っていた。窓などはなく木の板を四角く組み立てただけのようなそれにも、同様の札が全体に渡って無数に貼られていた。その不気味な壁の前に立った永景が小声で何やら呪文を唱えたと思うと、いかなる仕組みか現れた扉を彼は開けて見せた。促されるままに入る魄日たち。お堂の中には埃の匂いが充満していた。扉の中には小さな部屋があり、その中央には部屋には不釣り合いなほどの巨大な石の板が横たわっていた。その表面には異様な文様が彫り込まれていた。
「前に見たことがある、古い鬼文字かしら……?」
ハイユキがその石の表面を撫でながら言う。魄日も目を近づけてみると、確かに文字のようだった。以前修行中目にした、印度の方の文字に似ているとも感じた。
「ハイユキは勘がいいな。永景は三百年以上前から続く鬼がらみの一門、つまり鬼が今みたいな音撃使いになった頃の家系出身らしいぜ。この変わった文字もそれ関係らしい」
「へぇ……」
その鬼文字が刻まれた石をヤツザキは力を込めた様子もなくひょいと持ち上げた。そこには穴が掘られており、その奥には階段があり地下へと続いていた。永景は手元に灯を持つと、その階段を下っていった。
暗い階段を下りた地下で、永景は手にした灯を掲げて周囲を照らして見せると、そこには上のお堂よりもいくらか大きな空間が広がっていた。
「広いですね……拙僧が数年断食を行った場所に似て、地下の冷たさを感じます」
「それって埋葬されてるんじゃない……?」
魄日とハイユキを横目に、永景はその部屋の照明をつけた。ゆっくりと灯の光が地下の暗がりの中に広がり、闇の中に隠れていたものを照らして見せた。
「ヤツザキ様、いかがでしょうか……?」
「ああ、どうやら無事そうだな」
ヤツザキはその目の前に広がるモノをゆっくりと見回すと、満足そうな声を漏らした。灯された火のゆらめきを受けて部屋の中身が彼らの目にその全容を表した。
「これは……!」
「以前より増えましてでございます。鬼の兵器の数々……!」
部屋の机や床、壁などにずらりと並んでいたのは刀剣や銃、あるいは得体のしれない金属の塊などの無数の奇怪な武器であった。どれもどこかしらに鬼面の意匠があり、細かな文様が施されていた。その様相に魄日は既視感を覚えた。
「もしやこれも音撃武器……?」
魄日の問いかけに、ヤツザキはニヤリと笑って返した。
「いやぁ、これは違う。人の身で鬼の力を扱うための兵器さ。もちろん鬼も使えるが。これを大量に揃えておれ様はさらに支配地を広げるのさ」
「……!」
無数に並んだ金属の塊は、見れば光り輝く「鬼石」を搭載しておらず、すなわち清めの音を放ち、魔化魍を祓う機構がないということである。音撃武器ではなく単なる武器。こんなものをいくら振りかざそうとも魔化魍を倒すことなど不可能。
「ならば何のために……!」
「決まってるでしょう、あたし達を脅かす敵を倒すためよ」
「敵……」
ハイユキが返す。魔化魍を倒すためではない鬼の武器、つまりは対人用の武器だということだ。だが、そもそも鬼として鍛えられた身体能力は一般人を遥かに凌駕している。もちろん魄日も例外ではなく、彼自身が自覚している以上のチカラを彼の肉体は秘めている。しかし彼本人がその力を自覚していないのは、彼の強靭な平和への意志により、その力を振るう機会が存分に無いからだ。一方ハイユキやヤツザキ、陸連船団の構成員は鬼という極められた存在の強さを常日頃から目の当たりにしている。
もしその力を誰もが振るうことができたら……?陸連船団の組織拡大の中、ヤツザキは今後の兵力について悩んでいた。そこで現段階で所属している鬼たちの練度を上げることはもちろんだが、それ以外の人員の強化に目を向けることにした。白羽の矢が立ったのが鬼への変身能力こそ有さないが、鬼道の名門の出であり様々な呪術に長ける永景である。彼はその技術を用いて凡人に鬼のような力を与える武装の研究開発を始めた。その研究成果の結晶が、今彼らの目の前にある異様な武具らであるのだ。
「この『魔天』も我が肉体を用いての最終調整に至っております。まだこれらの多くは試作段階ですが、間もなく実用化できるかと」
「……成る程なぁ。これがあればおれ様の勢力を広げて国を獲ることだってできるかもな」
「光栄です……」
ヤツザキは手にした巨大な武器を眺める。西洋のメイスのようなそれをヤツザキはしばし振り回し、地面に置いた。そのまま振り返った彼の金色の目が永景をじっと見つめる。その視線に射抜かれたかのように永景の顔を冷汗が伝う。
「というと、今街を騒がせてるのはもしやと思うが?」
鋭いヤツザキの視線が永景を睨む。その強さに永景は耐えきれず溢すように口を開いた。
「……実験用に集めた連中が魔化魍共と手を組みまして。街及び船団内でも私しか知る者はおりませんが……私の腕含め完成予定五種の内、四種が脱走しまして」
その言葉を聞き、ヤツザキの顔が一瞬凄まじい憤怒に覆われた。が、すぐさまその怒りは収まり、緩い笑みを浮かべた表情へと変わった。
「おっといけねぇなぁ。アンガーマネジメントだ。大事なのはこれからどうするかだ」
そう言いながらヤツザキは両手を重ね合わせ、胸の前でぎゅっと握りしめる。そして歯を見せてニッと嗤った。
「永景!足取りはつかめてるんだろうな!」
「もちろんでございます!」
ヤツザキは部屋の扉に向かって振り返り大股で歩き始めた。その様を見たハイユキが声を掛ける。
「ヤツザキ様!どちらへ?」
「もちろんおれ様の武器をちょろまかしたカス共を始末して、ついでに魔化魍も倒しちまおうってところだぁ。ハイユキ!ついてこい!」
「はっ!」
「魄日も良ければ来るといいさ。鬼の戦いを見せてやる」
ヤツザキはハイユキと魄日に声を掛けると、階段を踏みしめ登り出した。彼らからは影になって見えないその表情は怒りに歪み目は爛々と輝いていた。ヤツザキは盗賊である自身を誇りに思っており、それゆえ「奪われる」ということを非常に嫌う。例えば村を襲撃したヤツザキの獲物を奪おうとした魔化魍オオガマ、魔化魍退治の役割を奪おうとした音撃戦士、ヤツザキは自身から何かを奪おうとする存在に決して容赦しない。必ずその死を以て贖うことになるのである。
深夜の森、月明かりさえ届かぬその闇の中に四つの人影があった。暗い邪気が満ちた木々の合間の影はぴくりとも動かず、何かを待っているかのようだった。
「しかし、首尾よく進んだはいいがこれでよかったのだろうか」
低い声が木の洞に響く。その声にまた別の声が返す。
「ふん、『左腕』あそこでいかれ野郎の実験台を続けるなんてまっぴらごめんだね」
「そうさ、『右足』俺たちは自由を手に入れる。そのためなら魔化魍だって利用してやるさ」
「……ヤツの差し金っていうのは気に入らんが」
「『左足』そうか、確かにな……」
口々に話す人影。彼らこそ永景が言った実験台である。彼らは名前すらないような人々であり、永景が開発した実験兵器が移植された部位にちなんだ名前で各々を呼び合っていた。
がさりと、彼らの背後で足音がした。彼らはその音に一斉に振り返る。その視線の先には一組の男女がいた。青白い顔には生気がなくその瞳も作り物めいていた。
「情報通り、ここにいましたか……」
男が女の声でそう話すと、男は手にした松明で森の闇に潜む実験台たちを照らして見せた。炎の灯が影を照らす。実験台たちの姿は正しく異形揃い。腕が束ねられた砲身になった「左腕」、膝から下が斬馬刀のような巨剣と化した「右足」、足そのものが巨大な金棒と化した「左足」。全体に刻まれた鬼文字や鬼面が炎に照らされぎらついた輝きを放つ。
「人間にしては面妖な姿で……」
女が男の声で話す。その言葉に実験台は皆揃って不快な表情を浮かべた。彼らの合間を裂いて男女の前に一人が現れた。頭部に頭陀袋を被ったそれは男女の顔をかわるがわる見やると口を開いた。
「ヤツから聞いた『童子と姫』だな。手始めにお前らから始末してやってもいい」
「『顔』……」
「顔」と呼ばれたその人物は童子と姫の前で頭陀袋を取って見せた。袋の内側から現れたその顔面は、人としての面影をまるでとどめていない。複雑な機構の集合体が辛うじて人面を模ったような異様なものだった。並の人間なら恐怖に凍りつくようなその異様を前に、だがしかし童子と姫はまるで動じない。
「よせ、我々は共通した目的を持つはず」
「より多くの人間、そして鬼を殺すこと。共に同じ望みのはず」
童子と姫が実験台らに話す。そう、彼らの目的は共通。童子と姫は自らが育てる魔化魍の餌となるべき人間をより多く確保するために邪魔な鬼を倒すこと。実験台らは自らを異形に改造した陸連船団を壊滅させること。ともに鬼を倒すという意味で共通の目的を持っている。それゆえ望ましくないことではあるが、人と魔化魍が手を組むというおぞましい状況が生まれたのである。そしてその後ろで手を引く者もいた。
「……ヤツの情報が正しいはずなら、そろそろ陸連船団の八津裂鬼が街に到着するらしい。今までの鬼とは違い八津裂鬼は魔化魍を清めることができる。これまでのようにはうまくいかないだろう」
「顔」が言葉を発し、感情を排して事実だけを淡々と述べた。実験台たちはあくまで人間だが、目の前にいるこの男女は人間ではない。ならば会話するにあたって人間らしい感情や駆け引きなどは必要なく、むしろ邪魔なだけだろう。そう考えた「顔」は、意識的に怒りや憎しみなどを内側に封じ、努めて冷静に言葉を並べた。
「それを何とかするのが、お前たちの仕事だろう?」
姫の言葉に実験台たちは苛立ちを隠さず、自らの武器を動かして見せたがそれを「顔」が制する。
「よせ、ここでこいつらと戦っても意味がない」
「だがッ!」
影の中に緊張感が走る。それを見て童子と姫はニヤリと嗤ってみせた。
「面白い。お前たちから我が子の餌にしてやってもいい」
「けれど、人間は助け合うものでしょう?あなたたちが今そうしているように」
「クソッ!」
苛立ちを隠せない実験台たちだったが、その武器をとりあえずは下げて見せた。その様子を童子と姫は満足そうに眺める。間を置いて「顔」が言葉を発した。
「確認だが、我々は八津裂鬼を引きつけできる限り街から離す。その間に貴様らが街を魔化魍で襲うという手筈で間違いないか?」
「顔」の問いかけに童子と姫は無言の頷きで答え、そしてそのまま暗闇の中に消えた。彼らが消えたとみると、実験台たちは口々に文句を言った。
「バケモノめ、今すぐに殺してやりたいぜ」
「ああ、そもそも俺たちの力だけで八津裂鬼倒せばいいんじゃないか?」
その言葉に「顔」はしかし否と返した。
「相手はあの八津裂鬼だ。皆も忘れてないだろう。村を襲い、家族や友人を殺され、生き残った我々もこの姿だ。奴は強い。だからこそ魔化魍だけでなく『鬼』の力さえも味方につけなければならないのだ」
そう語る「顔」の手には一枚の手紙が握られていた。そこにはこの会合の集合場所や作戦の流れが細かく記されていた。当然、差出人の名など書かれてはいない。だが、その差出人はこの会合を暗闇に隠れ成り行きをずっと見守っていた。その気配さえ、実験台たちも魔化魍もまるで感じてはいなかった。
「そういえば、奴から終わったらこの手紙を返すように言われていたな」
「顔」が手紙を手の平に乗せると、それは独りでに折りたたまれ鳥のような姿になったと思うと、その紙の翼で羽ばたき、木陰の奥へと消えていった。
「奴を信じていいのですか?」
「今は信じるしかない。まだ元が同じ人間な分、バケモノ共より信じられるさ」
不意に森の中に月明かりが差し込み、実験台たちの姿を照らし出した。その中で彼らの異形は煌き、人間離れした姿が露になった。外部の欲望により不可逆に変形したその身体では社会の中で生活することは困難だ。かつて「鬼」を差別していた彼らだからこそわかる。今度は彼らが差別される側になるのだ。それを避けるためには暴君である八津裂鬼を倒し、魔化魍の力を借りてでも陸連船団を倒し自分たちが英雄、人々から歓迎されるべき存在となるしかない。藁にも縋る思いで、実験台たちは、手紙の主の計画に乗っているのである。
月が沈み始めた頃、「顔」の手から飛び去った手紙は、その主の元へと戻った。夜明け前が最も暗いとは、誰の言葉だったか。一層暗い闇の中に、手紙の主は佇んでいた。
(用意した手駒はどれほど八津裂鬼を削るのに役立ってくれるか。実験台たち、いや『陸腑五将(ろくふごしょう)』の脱走者四人、お手並み拝見といこう)
闇の中からその顔を出したのは、八賀忍軍頭領刃々鬼であった。忍者は目的のためなら手段を選ばない。例えそれがどれほど卑怯で卑劣なものであっても。
(決行は今日の日没。魔化魍と組む人間がどんな戦いをしてくれるか、見ものだな)
陽光が少しずつ木々を照らす前に、刃々鬼の姿は闇の中に溶け込み消えた。朝の爽やかな風が木々の間を吹き抜けた。
―続―
用語:陸連船団(むつれんせんだん)
邪悪な鬼である「八津裂鬼(ヤツザキ)」により率いられる盗賊団。団員は団長である八津裂鬼を筆頭に、鬼や呪術師など社会から排斥された人々から構成されている。その勢力は日増しに大きくなっており、拠点である東北の「鬼港」を始めとして各地の港町が彼らの支配下にあるとされる。活動範囲はこの時代の海賊としては非常に広く、日本海からフィリピン海、インド洋東部にまで及ぶらしい。鬼の力を用いての略奪行為や殺傷行為は非常に過激であり、数多くの犠牲者が出ている。その最終目的は現在の社会の転覆と噂されており、時の領主を悩ませている。その他、呪術などを用いた特殊な兵器の実験を秘密裏に行う「陸腑五将(ろくふごしょう)」と呼ばれる存在がいるらしい。
用語:八賀忍軍(はがにんぐん)
戦乱の世の裏で活躍する、知る人ぞ知る闇の忍者集団。その構成員は皆修行を積んだ鬼であり、高額な報酬と引き換えに鬼の力を用いて諜報や暗殺活動を行っている。その頭領は伝統的に代々「刃々鬼(ハバキ)」を名乗るという。