「しかしどうなんや、例の陸連船団の討伐」
静まり返った部屋の中で、橅森が呟いた。夜半、暗闇が屋敷の奥まで覆いつくしている。開け放たれた扉から涼しい夜風が通り抜ける。その誰もいないはずの部屋の中に、橅森の声は空虚に響いた。だが、その声に返す者がいた。
「橅森様、手筈は順調でございます……。例の『陸腑五将』予想以上の働きを見せ、『協力者』も動き出そうとしております。このまま事が進めば問題はないかと」
言葉と共に部屋の一角の影がゆっくりと立ち上がり、頭部に二本の角を持つ鬼の形となる。八賀忍軍頭領「刃々鬼」である。ぬうっと立ち上がった影を橅森は横目で見、唇を動かした。
「ほーん、ならええわ。まあ、それならええんやが……」
橅森は身体を転がし影に背を向け、そしてそのまま欠伸混じりに続ける。
「だがイマイチ信じきれんやなぁ」
「信じきれない、と言いますと……」
「そりゃあ、お前らに決まっとるがな。卑怯卑劣が忍者の売りや。何か信頼に足るものがお前らにあるんかいな」
その問いかけに、刃々鬼は少し首をかしげる。橅森の言葉の意図を考えているようだ。
「忠義を試されたいと?」
「まあ、そんなところや。ワイは戦闘に立って戦う奴しか信じられんのや」
「……」
暗殺諜報破壊工作といった戦乱の裏側での活躍をこそ生業とする忍者に対して、何という無茶振りかと刃々鬼は考えた。だが、その考えをあえて口にすることはしなかった。刃々鬼のことなど何も気にしていないように橅森は言葉を紡ぐ。
「そう言えば例の実験台集団、あいつら体切られて兵器にされてるんやって。可哀そうやなぁ。そう考えると、八津裂鬼の身体のどっか持ってきてくれれば信用するで」
無茶振りに無茶振りを重ねる橅森の要求に、部屋を沈黙が包んだ。不意に、刃々鬼が口を開いた。
「つまり、力を示して見せろと」
「あぁ、そんなところやな……」
何気なく返した橅森は目を閉じていたが、ふと刃々鬼の言葉が部屋全体から響いていることに気づいた。それだけではない。部屋を包む雰囲気が嫌に暑苦しく、生物のような熱気を帯び始めていた。橅森が入る布団の中にまでその嫌な暑さは忍び寄っていた。
「ならば、まずは八津裂鬼の腕でも持ち帰るとしましょう……」
刃々鬼の言葉は部屋全体を包む暗闇から響いた。いや、むしろ暗闇が声を発していたようだ。そしてその暗闇も歪な形状を模り、先程刃々鬼の立っていた二本足の影だけでなく無数の「何か」が盛り上がりうごめいていた。まるで刃々鬼を中心に暗闇が「変形」していたようだった。それらが熱を帯びた吐息を橅森に浴びせかける。まるで彼を取って喰らおうとするようであった。
「わ、わかった……だからそいつらを引っ込めるんやで……」
橅森が怯えた声を上げる。だが、その言葉を言うが早いか、部屋全体を包む異様な気配は消え、また部屋の中には涼しい風が吹き抜けた。どうやら刃々鬼はここを去ったようだ。屋敷をまたいつも通りの夜が包んだ。だが、布団にくるまったまま橅森は小声で叫ぶ。
「こんなん夜厠行かれへんやん!」
八津裂鬼と分かれた灰雪鬼、魄日、永景は街に向かい森の中をとぼとぼと歩いていた。両腕がずたずたに引き裂かれ皮で辛うじて繋がっている灰雪鬼、上半身を中心に大火傷を負った魄日、義手ごと右腕を失った永景、と満身創痍の有様であった。
「あの炎、街は無事なのでしょうか……」
灰雪鬼の肩を支えながら歩く魄日が口を開いた。だが二人は何も返さない。彼らを沈黙が包む。彼らの足取りはひたすらに重々しかった。
しばらく歩いたところで永景が口を開いた。
「私のせいだ……私がうかつだったあまりにこのような事態を招いてしまった……」
誰に聞かせるでもなく、永景のつぶやきは掻き消えるほど小さなものであったが、その言葉に魄日がゆっくりと返した。
「確かに、貴方のしでかしたことは許されないことです。ですが、もし本当に悔いを感じるのであれば、これから何とかしていけばいいのです」
魄日の言葉を聞き、永景はゆっくりと顔を上げ空を見上げた。
「……確かにな。坊さんの言うことは正しいな。私も坊さんのように真っすぐ生きてみたかったな」
永景はそのまま自らの過去を語った。
「元々私は、呪術や鬼道のような闇の術を扱う一門の出身だった……。だが良いもの、強力なものを作りたいという私は一門から排斥され、そこを八津裂鬼様に拾ってもらったのだ。それ以来八津裂鬼様の役に立つならと様々な研究を行い、自らを犠牲にすることさえ苦にしなかったのだが、その結果がこれか……」
永景の声に嗚咽が混じる。その横顔を魄日は悲しそうな目で見つめていた。そこに灰雪鬼が口を挟んだ。
「……疑問に思ってたんだけど、結界が破られた形跡がないのに陸腑五将はどうやってアンタの手を逃れたの?」
「いや、しかし実際に起きてしまったことだ……」
「そうじゃなくて、理論的に可能なの?ってことを聞いてるんだけど」
顔の変身を解除した灰雪鬼が永景を睨む。その鋭い剣幕に永景は思わず目線を逸らし、少し考えてから話した。
「ならば理論的には無理だろう。呪術的な措置により、陸連船団の拠点を中心とした一定の範囲から武器が出ると特別な報せが私の元に届くようになっている。だが奴らはその報せに引っかからず街から抜け出た……」
そのまま永景は考え込む。灰雪鬼も彼の顔を見て考える。街に向かい歩き続ける彼らだったが、ふと魄日が口を開いた。
「誰か手引きした者がいるのでは……?」
「確かに。奴らは『援軍』がいると言っていた。あの爆炎もその手合いの仕業かもしれん。もしかしたら『鬼』か何かの集団か」
魄日の言葉に永景が同意する。だが、その言葉を聞いた灰雪鬼の表情はより暗く淀んでいった。
「けど陸連船団以外にそんな鬼の集団が?いたとしても永景以上の術を扱う鬼なんて八津裂鬼様ほどの実力者以外はありえない」
彼女は自分の言葉に恐怖した。陸腑五将にさえ苦しめられたのに、それを手引きしている黒幕は八津裂鬼同様の実力者。そんな相手と戦わなければならないのか。その恐怖心が彼女の足取りを一層重くさせる。そしてそれは永景も同様だった。
「八津裂鬼さんも心配です。そう言えばあの全身から武器を出す術は一体……」
魄日が尋ねた。というのも全身を自在に変形さえ無数の音撃武器を同時に扱ってみせたあの術「骨肉自在の術」である。だが、魄日の問いかけに二人は首を横に振った。
「八津裂鬼様のあの術は私も初めて見た。斯様な術まで扱えるとは……まるで忍術だ」
「そういえば八津裂鬼様はあんな術をどこで身につけたのかしら。音撃も私達の中でまともに使えるのは八津裂鬼様だけだし」
彼らは八津裂鬼の過去についてまるで知らない。自らの組織の頂点に立つ男について、あくまで彼らはその凶悪なまでの力と絶大な支配力にこそ心酔していたが、その内側に隠れた彼の人間性については、彼自身がまるで語らないこともありほとんど知らなかった。
「そういえば、アタシが初めて会った時に同じように孤児になった、みたいな事を言っていたと思う」
「私たちは、私たちが仕える方の素性すらまるで分かっていなかった……」
それからはまたしばらく彼らの間を沈黙が包んだ。ただ森の中に吹き込む風の音だけが聞こえていた。
「……早く街に向かわなければ。ヒタキ君や他の方も心配です」
魄日の言葉に、灰雪鬼と永景は表情を変えた。それは覚悟を決めたようにも、諦めたようにも見えた。
「バケモノだぁ!」「助けてくれ!」
街にたどり着いた彼らを迎えたのは、叫び逃げ惑う人々の群れだった。皆、口々に恐怖の声を上げながら散り散りに走り去っていく。魄日らは彼らを無理やりにかき分け、逃げ惑う人の源へと向かう。灰雪鬼はその口から大声を張り上げる。
「何事だ!何があった!」
「灰雪鬼さん!魔化魍だ!今日はデカブツもお出ましだ!」
「何だと……ッ!」
その言葉に応えたのは陸連船団の団員たちだった。灰雪鬼同様「鬼」としての変身能力を有した彼らはその身を異形に変え、何者かを取り囲んでいた。だが彼らの手に握られているのは、一般的な刀剣や槍など、至って普通の武器であった。それもそのはず、彼らは鬼への変身能力こそ有しているものの、音撃の修練が足りず魔化魍を清めることができないのである。
「新しい餌ですか……。これで我が子も喜ぶ……」
「ここに来れば餌が豊富と聞いた……」
陸連船団の鬼たちに取り囲まれるように立っていたのは一組の男女であった。全身を黒い布で覆い隠し、それに無数の白い布の細切れが張り付いて風にたなびいている。共に伸ばした長髪の隙間から覗く肌は生気がなく、眼光は光を吸い込むかのように真っ黒だ。そして何より、男が女の、女の声で喋っていることが何より不気味だった。そしてその強烈な不気味さを出す違和感こそが、彼らが魔化魍を育てる役割を持つ「童子と姫」である何よりの証拠だった。
そして彼らの後ろ、街の港には船をもしのぐ山のような巨体の魔化魍がどっしりと海から身体を出していた。海鳴りのような不気味に響く鳴き声を上げながら、全身から瘴気を吹き出している。船か魚を彷彿とさせるその全身はまるで骨と皮が逆転したのかのように露出した堅牢な骨格に覆われていた。その隙間からもくもくと瘴気を吹き出し、周囲を暗雲で覆っていた。
「あの姿!『ホネクジラ』か!?」
「ホネクジラ?」
永景が叫ぶ。曰く、海を棲家とする魔化魍の中でも特に巨大になるものの一つ。今目の当たりにしている頭とわずかな上半身だけでも、八津裂鬼らがこの港に訪れる際に使用した船を遥かに凌駕している。八津裂鬼という陸連船団の大団長が乗る船がそんじょそこらの小舟であるはずがない。国と国が貿易する際に使うような豪勢なものだ。だがそれよりも、陸地に乗り出したホネクジラの頭の方がよほど巨大だ。
不意にホネクジラがその身体を大きく反らせ、口を開いた。針か糸のように細長い歯が無数に生えそろっている。まるでそれは髪をとかす際に使う櫛に似ていた。その口腔の奥から大きな音が響いてくる。まるで地獄の底から響くようなその声は、周囲の皆を戦慄させるのに十分だった。
「我が子も、餌を求めています……」
「大人しく我が子の餌となれ……」
その言葉と共に童子と姫は姿を変える。全身を覆う異類が消え、青白い素肌を晒したのは僅かな時間。その肌はどす黒いものとなり、その素肌を強固な骨格が覆った。金属光沢を持つその甲殻が鈍くきらめく。その様に気づいた永景が声を上げた。
「灰雪鬼!気を付けろ!こいつら『武者』だ!」
「武者!?」
「ああ、普通の奴らよりずっと手ごわい!」
叫ぶ永景の表情は暗い。だが、それをちらと見てもなお、灰雪鬼は力強く言い放つ。
「だからといって、戦わないわけにはいかないでしょ!」
その言葉と共に、灰雪鬼は腰に下げていた変身鬼笛を取り、そこに息を吹き込む。清澄な音と共に鬼笛を中心に放たれた波動を浴びると、灰雪鬼の顔は再度鬼の姿へと再変身を果たした。
一方、同様に変身を果たした武者童子と鎧姫は自らの体組織より生成した剣を手に取ると、灰雪鬼らに向けて構えを取る。灰雪鬼も鬼幻術を用いて氷の剣を生成し両手に構えた。
「魔化魍相手に戦うのが鬼の役目なんだから!」
灰雪鬼は勢いよく武者童子に切りかかった。それと同時に魄日らも攻撃を仕掛ける。人喰いの怪物「魔化魍」それを倒すには人の領域を外れた存在「鬼」の力が不可欠なのだ。
一方、八津裂鬼と真滅王は激闘を繰り広げていた。五体を武器に置換した真滅王の連撃をしかし八津裂鬼は音撃撞を、時に骨肉自在の術を用いて渡り合っていた。だがしかし、両腕のみならず両足まで武器に置換した真滅王はその手数で、またすさまじい執念で八津裂鬼に喰らいついていた。
「死ね!八津裂鬼!貴様が死ねば陸連船団は壊滅だ!」
呪詛と共に真滅王は連撃を仕掛ける。家族の、友人の、愛する者の、そして自分の仇。凄まじい恨みがその一撃一撃に込められていた。その攻撃に呼応し、武器に刻まれた異様な文様が不気味な光を帯びる。
「適当なことを……!」
それらの攻撃を八津裂鬼はいなし、音撃撞を用いて反撃を行う。彼らの連撃はお互い致命傷には至らないものの、皮膚を切り肉を裂いて血を噴出させ、彼らの周囲には撒き散らされた血が小さな池を作っていた。だがお互い決め手に欠き、攻めきれずにいた。
「受けよ!怒りの拳を!」
真滅王が突き出した左腕が八津裂鬼の顔面に迫る。身体を反らして避けようとする彼だが、その左腕が火を噴き拳より先に無数の砲弾が襲い掛かる。炸裂音と共に八津裂鬼の顔面が爆裂し思わず八津裂鬼はたたらを踏んだ。
だが、八津裂鬼は煙に覆われた顔を押さえ、恐らくは見えていないであろうが鬼の超感覚で真滅王の位置を捉え、音撃撞を振り回し真滅王の武器に覆われていない「胴」を撃ち抜いた。たまらずその衝撃に真滅王は吹き飛び両手で胴を押さえうずくまる。
「なぁおい!お前、そこまでしておれ様を倒して一体何がしたい!」
視界が回復してきた八津裂鬼は真滅王と間合いを取りながら話す。その顔を睨むように真滅王は両足に力を込めて立ち上がる。
「知れたこと、貴様を倒すことが我らの目的そのものだ!」
「違う!おれ様を倒してその後何をするんだってことだ!」
首を横に振る八津裂鬼。だがその様に真滅王は全身を鳴らし吠える。
「分からんのか、貴様を倒すことこそが目的。それさえ果たすことができればそれ以外はどうでもよい!」
その返答に、八津裂鬼は思わず呆れた声を上げる。
「はぁ、つまらねェ。つまらねェ理由だなぁ!」
「何だと……!ならば貴様は何のために戦う!我々のみならず無数の人間を苦しめ命を奪ってまで!」
「おれ様に勝てたら教えてやるよ!」
裂帛の叫びと共に八津裂鬼は音撃撞を高速で振り回し大見得を切る。その様に真滅王は不愉快さを隠しきれず、全身を無茶苦茶に動かし八津裂鬼を睨む。
「八津裂鬼、貴様に殺された者の恨みつらみ存分に思い知れ!」
そう言うと真滅王は右腕、呪術に秀でた永景から奪い取った武器である多機能型特殊魔導義手「魔天(まてん)」に力を込める。するとどうだろう。その右腕の文様が一層輝いたと思うと、真滅王の周囲に不気味な人魂が集まり始めた。
「どうだ、この人魂は。呪術により姿を得たこやつらは皆貴様の犠牲者の成れの果てよ!共にこの鬼を退治しようぞ!」
燃え盛るその炎は真滅王の結ぶ印に従いその火勢を増したと思うと、一気に収束する。
「死ねぇ!」
その言葉と共に放たれた人魂が八津裂鬼の全身を炎で覆いつくした。さらに真滅王はその顔から放たれる怪光線を追い打ちに浴びせる。燃え盛る火柱は真滅王の体躯すら上回り曇天の空にさえ届きそうだ。
「ははは!どうだ!」
真滅王は笑う。その眼鼻も耳も口も全て失いただ戦闘のためだけに作り替えられた顔で。彼が笑うたびに全身から燐光のきらめきが漏れ出していた。だが。
「……その程度の炎でおれ様がくたばるかよ!」
炎の中から燃える音撃撞が飛び出した。その先端が高速で空を切るたびに炎が霧散し、その先端を覆っていた布が飛び散り、その奥から魔を祓う音を纏いし鬼石が現れ、燐光を反射しきらりと光った。その真っすぐ突き出された鬼石を真滅王は見据える。
「その顔は『笑顔』か……!」
通常の鬼石は色やその表情にこそやや違いはあるが魔に相対する力強い「憤怒」の面を浮かべている。だが八津裂鬼の音撃撞・国崩の鬼石は違う。「暴悪大笑面」。悪行に対する怒りを通り越した笑い、を表現するその鬼石は、かつてその噴煙を京の都にまで届かせ国を闇で覆った十和田火山の深部で鍛え上げられた最上級の代物であり、歴史ある古刹として長年崇敬の念を集めた寺院に建立された塔の心柱と組み合わせて作られたこの音撃武器には凄まじい霊力が込められており、通常の音撃戦士では扱うことはおろか鬼への変身能力さえ失わせるほどの代物である。
「ああそうだ。お前らみたいな奴を笑い飛ばす笑顔よ!」
それだけの強力な音撃武器を力強く構え、ごう、と八津裂鬼が吠える。全身に火傷を負いながらもなお堂々と立つ姿は威厳すら感じさせた。しかしそれに臆さず真滅王は全身の武器に力を込める。不気味に輝く文様に呼応し周囲の人魂が真滅王の身体に入り込み、その燐光をより強力なものへと変えた。
「だから何だ!貴様を殺し、陸連船団を壊滅させ、ようやく我らの人生は始まるのだ!貴様から奪われた『笑顔』を奪い返す!」
その身を燃やしながら真滅王は八津裂鬼に飛び掛かる。全身の武器が荒々しく八津裂鬼の身体を切り刻まんとする。だが、八津裂鬼は音撃撞を巧みに操りその連撃を捌く。渾身の攻撃が届かず、真滅王は歯噛みする。彼に歯はもうないのであるが。
「貴様が生きている限り、我々は笑うことができない!」
右腕の呪力、左腕の砲門、そして顔面を合わせ真滅王は渾身の光線を放つ。それを八津裂鬼は上体を動かし避ける。微妙に肩を掠めた光線はその箇所を溶かし、避けれらた光線は地面に着弾し爆発を起こした。
しかし、八津裂鬼に負わせた怪我は鬼の回復力、そして骨肉自在の術によりどんどんと修復されていく。業を煮やした真滅王は顔からの信号により全身の機能を躍動させ八津裂鬼に一気に詰め寄る。狙いは魄日を吹き飛ばした金棒による爆撃と灰雪鬼の腕を引き裂いた切先、それらを合わせた蹴りを八津裂鬼に見舞わんと飛び掛かる真滅王。だがその動きをしっかりと八津裂鬼は見据える。
「受けよ!」
燐光を伴い突撃する真滅王。だが蹴りの態勢に先んじて突き出された音撃撞の一撃が、彼の唯一残った人間としての部位であった胴を一撃で消し飛ばした。燐光と人魂に紛れ、彼の肉体が燃やされ消えていく。そしてそれと共に、彼の人間としての心も消えた。衝撃を受け宙を舞い吹き飛ばされる真滅王。その五体もおかしな方向に曲がっている。
「仕留めたかぁ……?いや、何か変だな」
だが、真滅王の失われた胴体に人魂が無数に集まると、その身体を完全に炎の形に変えもう一度動かした。炎の肉体に兵器の五体を有したその化生はもはや地面に立つことを必要とせず、空中へふわりと浮かび上がった。
「貴様ら人間は殺さなければ……!」
真滅王が空中に浮かび上がるとともに人魂もそれに呼応し周囲に漂い始めた。いつしか流れてきた瘴気がうず高く積み上がり雨を降らせ始めた。だが真滅王を包む炎はその雨を蒸発させより一層火力を増した。その火炎は揺らめき八津裂鬼へと襲い掛かった。だがその未知の敵を前に八津裂鬼の精神は高揚していた。
「面白れぇ!バケモノが!」
戦いの際にこれほど高揚したのはいつぶりだったか。異国の地で音撃戦士を倒した時以来か?昂る気持ちが八津裂鬼の心に渦巻いていた。
魔化魍ホネクジラが噴き出す瘴気が暗雲となり、いつしか街に雨が降り始めた。その中で陸連船団と魔化魍らの戦闘は続いていた。武者童子が手にした剣の連撃を灰雪鬼は氷の剣で辛うじて凌ぎ、鎧姫の剣を永景は呪術で、魄日はその身のこなしで何とか生き延びていた。
「大人しく餌となりなさい……」
鎧姫の剣の切先が魄日に迫る。瞬間、魄日は無理やりに距離を詰め鎧姫の腕の動きを封じる。そのまま何とか押し倒し、動きを抑え込む。
「永景さん!」
「今だ!」
永景は残された左手と札を用いて術を執り行い、鎧姫の動きを封じ込めた。そのまま魄日は鎧姫に馬乗りになり、顔面を力づくで殴り飛ばす。一撃、二撃、力の込められた拳が鎧姫の頭部から地面にまで抜ける。
一体何発の打撃を打ち込んだだろうか。魄日の拳は血みどろになり鬼のように変質した皮膚はひび割れている。同様に鎧姫の顔面の甲殻もひび割れ陥没していた。
だが、そのひび割れとどろりとした白い血液の奥から、鎧姫の眼球がぎろりと動き、魄日の顔を見返した。
「何!?」
「……活きのいい餌ですね」
鎧姫は僅かに動く指先に力を入れるとさらに剣を生成し、それを支えに身体を無理やりに持ち上げる。呪術による拘束をされたまま無理に立ち上がった鎧姫はそのまま魄日に切りかかると肩で息をしながらさらに永景にも切りかかる。
「危ない!」
武者童子と戦っていた灰雪鬼が手から鬼幻術により氷のつぶてを生み出し鎧姫へとぶつける。その隙に魄日と永景は辛くも距離を取る。
「あれだけの攻撃を受けて、不死身ですか……!」
「いや、清めの音でないと倒せない魔化魍とは違い、童子と姫は普通の攻撃でも倒せる。だがこの武者童子と鎧姫は堅いんだ、一筋縄ではいかない」
魄日の言葉に永景が返す。そこに灰雪鬼が肩で息をしながら合流する。
「とはいえ、諦めるわけにはいかないわね……。永景、何か方法はある?」
ともに武者童子らから距離を取りながら彼らは考える。幸いにも、ホネクジラはその巨体を海から乗り出したまま未だ動きを見せない。大きな鳴き声を上げるばかりで、童子らに餌をせがんでいるようだ。
「……そうだ!先程坊さんが顔を殴った時は奴の鎧も陥没していた!おそらく人間と急所自体は共通している。だからその再生速度を上回る攻撃を与えるか、それか奴らとて魔化魍である以上清めの音を流し込めれば……!」
清めの音、その言葉を聞いて灰雪鬼は腰に下げた音撃武器を握りしめた。今共に集っている鬼達も含め、この場にいる鬼たちは清めの音をまともに扱うことができない。その中でも灰雪鬼は音撃武器を扱うことができるのだが、清めの音撃を鳴らすことが未だできていない。しかし、八津裂鬼が真滅王に足止めされている以上、いつまでも待つわけにはいかない。この状況を打開できるとすれば自分しかいない。
「全員で奴らを叩く!大物は避けてまずは童子と姫から始末する!永景は呪力で足止めを!鬼たちは奴らの動きを封じて!」
灰雪鬼の号令に応え、陸連船団の団員は一気に動き出した。剣を握り構える童子と姫に対し、鬼たちは一斉に飛び掛かり攻撃を仕掛ける。
「何人来ても同じだ……」
「大人しく我が子の餌になってください……」
武者童子と鎧姫は片手に二本ずつ、両手に一本ずつの二刀流の構えを取り、鬼たちを迎え撃つ。だが振り回される剣に臆さず、鬼たちはその動きを封じんと手や足に組み付いた。永景は間合いを取り、残された左手と呪符を用いて術を練り上げる。
だが、振り回される童子らの剣が鬼たちに一本、また一本と血の筋を作る。彼らの構える剣も折れ、切先がぬかるんだ土に飛び散る。ホネクジラの噴き出した瘴気が生み出した暗雲が次第に雨を降らせ始めた。
(……!この雨なら!)
灰雪鬼は手に当たった水の雫を見て、何かを思いついた。そしてそのまま叫ぶ。
「永景!術で奴らを抑えて!術がかかったら皆一瞬引いて!」
「分かった!行くぞ!」
永景は左手を突き出し一気にその呪力を解き放ち、童子らの動きを封じる。それと同時に灰雪鬼が叫んだ。
「鬼幻術・荒氷(あらごおり)!行けぇ!」
灰雪鬼の身体から放出された氷の気が、降り注ぐ雨と混じる。すると、宙の雨粒は瞬く間に凍てつき氷の鏃と化した。刃物のように鋭利な形状へと変化したそれは、絶え間なく童子らの外殻を打ち据える。
「この程度、耐えられぬほどではない……」
童子らはあくまで余裕であった。先程は魄日の打撃により多少砕けはしたその鎧であったが、この程度の小さな衝撃なら再生能力を活用すれば耐えられる。攻撃が止んだらこの忌々しい呪を破り、鬼共を殺してくれよう。
だが、その氷の鏃はいつまでたっても降りやむことはなかった。灰雪鬼はその全力を賭して鬼幻術を発動していた。その全力攻撃を前に次第に彼らの鎧は欠け、崩れていく。
「灰雪鬼さん!」
団員が叫ぶ。これほど大規模な鬼幻術の行使は、体力を大いに消耗するということを知っていたからだ。だがその弱気な態度をむしろ灰雪鬼は怒鳴りつける。
「アタシはいい!永景の手助けをしろ!」
永景は元々戦闘要員ではない。しかも先程の陸腑五将との戦闘の際に右腕を失う重傷だ。彼が使用していた義手「魔天」には呪力を補充する文様が書かれていたが、それも奪い取られ今は真滅王が活用している。それだけに、永景の体力は限界に近かった。
「……ッ!」
突き出された永景の左腕が力を失い崩れ落ちそうになる。だがその腕を陸連船団の鬼たちが支えた。その様子に永景は驚きの表情を浮かべる。
「永景さん、俺たちが助けます!」
その言葉に、永景は口角を上げた。そして呪力を強め童子らへの拘束をより強固なものとする。
「……馬鹿な、このままでは体がもたん」
遂に、絶え間なく打ち据える氷の鏃が童子らの鎧を砕いた。それと同時に灰雪鬼と永景の力が抜け、拘束も解かれてしまう。だが、魄日と陸連船団の鬼たちがすぐさま怪童子と妖姫に駆け寄りその動きを封じた。
「オニどもがぁ!」
「これと同じようなものなら、修行中倒したことが!」
魄日はそう言うと組み付いた妖姫の眼前でその口を開いて見せた。半人半鬼なのは外見だけではない。口腔の中も、内臓も、身体の内側も人と鬼のマザリモノであった。
その異形と化した口を前に、妖姫がぱちりと瞬きする。次の瞬間、彼女の頭部は炎に包まれていた。鬼の間では「鬼幻術・鬼火」と呼ばれる特殊な術の一つである。過酷な修行の末、魄日はこのような異形の術さえ意図せず会得していた。だが、完全な鬼ではない彼にとって、この技を放つことは体内の気から湧き上がる炎により身体を内側から焼かれているようなものである。
しかし、鎧を奪われた妖姫にとって、その攻撃は苛烈なものであった。数瞬の後炎が止んだ後に残されていたのは、殆ど炭化し原形をとどめていない妖姫の頭部であった。
「坊さん!助かる!」
そう言いながら灰雪鬼は遂に腰に下げていた音撃管・烈霙(れつえい)を手に取った。そしてその武器をまるで吹き矢のように構えると、その内側に息を吹き込んだ。まるで吹き矢のようにその先端から放たれた、煌めく鬼石が怪童子らの身体に食い込む。その様子をしっかりと見届け、灰雪鬼は音撃鳴・氷凝(ひこり)を音撃管に取りつけ、息を吸い込み精神を集中させる。これまで音撃が成功したことなど一度もない。信頼する、否、崇拝する八津裂鬼不在の場で、ぶっつけ本番で、これほどの強敵を倒さなければいけない。だが、灰雪鬼は不思議と落ち着いていた。ふと、脳裏に父の姿が過った。先代の灰雪鬼であった父はその鬼としての異形の力をあくまで魔化魍から人々を守るために使っていた。だが、その異形ゆえに人々から恐れられ、結果として彼自身も守るべき人々の手により命を奪われた。しかしその最期にあってもなお、家族だけでなく自らを殺そうとする人々すら救おうとしたその大きな背中。その背中が今灰雪鬼の記憶に浮かび上がった。
(そうだ、今アタシは初めて人々を守ろうとしてるんだ……)
八津裂鬼に拾われてからは、彼の言うとおりに他者を虐げ、奪うために鬼の力を使ってきた。守るべき人々に裏切られ家族を失った彼女は、自ら鍛え上げられた力を人々に振るうこと自体は当然の権利だとさえ考えている。だが、今陸連船団の仲間を、八津裂鬼が治める街の人々を守ろうとして振るう力は、普段とは何かが違っていたが、不思議と心地よい感じがした。
(父さんも、人々を守るときはこう感じてたのかな)
この心地よさを感じるためなら、他人を守るために戦う、なんてのも悪くないかな。思わず灰雪鬼は微笑んだ。そしてそのまま、ゆっくりと、だがしっかりと芯を持った息を音撃管に吹き込む。
「音撃射・瞬間料峭(しゅんかんりょうしょう)!」
音撃管から放たれた清めの音が怪童子らに打ち込まれた鬼石と共鳴し、その悪意からなる身体全体に浸透し、魔化魍を清め大地へと還した。怪童子と妖姫の身体は土塊と化し、打ち据える雨に紛れ消えた。倒したのだ。
「や、やった……!初めて音撃ができた!」
その場に座り込み、感動と達成感を確かめる灰雪鬼。だが、その感動に浸るのもわずかな時間であった。
「あとは大物だけですね……!」
魄日は上を見上げる。そこには育ての親を失い絶叫する巨大な魔化魍の姿があった。身体を反らして魔化魍ホネクジラは慟哭する。そしてその分厚いヒレを動かして無理やりに上陸する。その勢いに港の船も家屋も皆崩れ吹き飛ばされる。親の仇、陸連船団の鬼たちを正面に捉え、ホネクジラはその大口を開いて威嚇して見せた。しかしそれに鬼たちは臆しない。
「ええ、ここからが本番だわ!」
目の前にそびえ立つ脅威に対し、灰雪鬼が堂々と相対して啖呵を切って見せた。
八津裂鬼と真滅王の戦いも熾烈を極めていた。肉体そのものを炎へと変質させた真滅王は人体の可動範囲を超えた運動を可能とし、もはや手足の区別なく八津裂鬼に連撃を浴びせかける。彼ら自身が彼ら自身を区別するため、その改造された部位での呼び名も、意味がなくなっていた。
だが八津裂鬼もその攻撃に音撃撞の打撃と、時には骨肉自在の術を用いて肉体を変形させ応じる。しかし、炎と化した真滅王の肉体には打撃は通じず、攻めきれずにいた。
「面倒くせぇ、面倒な体になったなぁ!」
胴を幾度となく打ち抜く音撃撞の連撃は、だがしかし真滅王へと衝撃を与えることはできていない。ただその勢いのみが空中へと吹き抜けていく。一方で炎と化した真滅王はただ触れるだけで八津裂鬼に火傷を負わせる。鬼の回復力の前では耐えられない程ではない、といえどもその熱は蓄積し継続的に手傷を負わせ体力を奪う。八津裂鬼の傷から噴き出した血は真滅王の炎により蒸発していく。その身体を捕らえようとしてもまるで流体のように動き捉えどころがない。
「……何とか言えよ、さっきまでの弁舌はどうした」
だがその苛烈な攻撃とは裏腹に、真滅王はどんどん黙っていった。口もない割に喋ってばかりであった先程までが妙だったのかも知れないが。だが、常に自らへの恨みつらみを口々にしていた様を見てからでは、不自然なほどの静かな様だった。憎しみの対象たる八津裂鬼からの罵声を浴びてもまるで反応を返さない。
その在り様はまるで人間ではないようであった。真滅王のその姿を見て八津裂鬼は吐き捨てる。
「心までバケモノになっちまったようだな」
その言葉を聞き、真滅王はうめき声を上げる。怒りなのか悲しみなのか、それは分からない。だが、そのうめき声は陸腑五将だけの声ではないだろう。彼らの武器を繋げ肉体と化したその人魂、八津裂鬼の餌食となり惨たらしく殺された死者の怨念全てが八津裂鬼相手にうめいているのだろう。
「人は心置きなく殺せるが……。がっかりだ、せっかくの強敵だと思ったが。魔化魍同然のバケモノとはな」
八津裂鬼は肩を落とし音撃撞を構える。だが真滅王はその内包する死者の念を高め全身から燐光として放ち、八津裂鬼を殺さんと吠える。積もった怨念が火炎となり、振り続ける雨を蒸発させ不気味な煙で周囲を覆った。暗く曇った煙の中で真滅王が放つ光だけが爛々と輝いている。
不意に、八津裂鬼が音撃撞を握る腕とは反対の腕を突き出した。すると、突き出された腕から巨大な波が渦を巻いて真滅王を取り囲む。音撃戦士はその肉体を変じ魔化魍と戦う際の力の拠り所を大自然に求める。例えば灰雪鬼ならば氷に、刃々鬼は闇に、そして八津裂鬼は荒ぶる大海にその力を求める。そしてその気を高めることでその属性を宿した鬼闘術や鬼幻術などを扱うことができる。八津裂鬼が繰り出したこれも、灰雪鬼の扱う鬼幻術と同様の術である。
だがその荒波の囲いを、真滅王はその武器を一転に結集させ、回転させることで突き破った。しかし、そこから飛び出すことを分かっていたのか、八津裂鬼の天衣である蛇の頭がそちらを向き強烈な水流を浴びせかけた。この不意打ちにたまらず真滅王はうろたえるが、その水を蒸発させ空中ですぐさま体勢を整えると、今度は逆に武器を大きく広げ、まるで手裏剣のような形状を取り、高速回転しながら八津裂鬼へと襲い掛かった。高速回転する武器が八津裂鬼の身体に幾筋もの傷をつける。だが、その傷を八津裂鬼はまるで意に介さない。それどころか、もはや真滅王への興味すらないようだった。
「おらよっ!」
八津裂鬼が斬りつける真滅王の回転軸の中心を蹴りとばす。さらに体勢を崩した真滅王を殴り飛ばしその身体に泥をつける。だが、真滅王はすぐさま左腕を向け、そこから放つ無数の弾幕と顔から放つ怪光線で八津裂鬼を攻撃する。だが、それを避けた八津裂鬼は再度荒波の結界で真滅王を囲む。同じ攻撃が二度効くか、真滅王は全身の熱気をさらに昂らせ、全身の武器を結集させ回転、先程同様にその波を打ち破らんとする。
水蒸気と大爆発を伴い先程と同様に荒波を打ち破る真滅王。だが、彼を待ち受けていたのは暗闇の視界であった。
「面倒だがおれ様に一番の奥義を使わせやがった。それだけは褒めてやるぜ」
真滅王が潜り込んだ暗闇の視界の正体、それは梵鐘状に変形した八津裂鬼の腰鎧であった。清めの音の増幅装置でもある、八津裂鬼のもう一つの音撃武器「音撃鐘・覆滅(ふくめつ)」である。巨大化した音撃鐘・覆滅は真滅王の身体を完全に覆い隠し、地面に被さり閉じ込める。
ここに至り自分が窮地にあることを悟った真滅王は全身から火炎を放出し、武器を荒々しく振り回し音撃鐘から脱出せんと暴れ回る。その衝撃だけは外に漏れだし音撃鐘を揺らす。
「……ッ!」
だが、その堅牢な鐘の中から脱出することは叶わない。絶叫と共に無茶苦茶に暴れる真滅王。だが、その動きを遮り止めるように重々しい「清めの音」が響き渡る。鐘の外側を八津裂鬼が手にした音撃撞で撞き始めたのだ。
「音撃衝・天地崩し(てんちくずし)!」
一撃、二撃と八津裂鬼が鐘を撞く。その一突きごとに生じた清めの音は鐘の中で広がり増幅を繰り返す。その音が響くたび、真滅王の身体を苦痛が苛む。だがその様子は八津裂鬼にはまるで分からない。一心に鐘を撞き鳴らし、敵対者を清めんとしていた。真滅王が脱出せんと鐘の内側を叩く音さえ、音撃撞の衝撃にかき消されていた。
いったい何度鐘の音が響いたのだろう。八津裂鬼は音撃鐘に呪術をかけ自らの腰鎧へと戻す。戻そうとしたその隙間から淡い色の炎が現れ、掻き消えると、そこには武器だけが残されていた。「シンメツオウ」は死んだのだ。それを確認すると、八津裂鬼は思わず片膝をつく。
「殺意に駆られて思考が単純化ていた。人間のままならチャンスがあったかもなぁ」
そう零しながら八津裂鬼は残された武器を拾い集める。その身体にはいくつもの傷跡があり、鬼の回復力を以てしてもそう簡単には治り切らないようだった。
「そうだ、冥途の土産に教えてやるよ。何のためにおれ様が戦うのか、それは……」
八津裂鬼が呟く声は、雨音に紛れてしまった。その言葉は、果たして真滅王に届いたのだろうか。
「さて、おれ様も港の方へ向かうとするか。続けて魔化魍相手は面倒くせぇなぁ」
音撃撞を支えに八津裂鬼は立ち上がると、疲弊した身体に鞭打ち傷をさすりながら、街の方へと駆けていった。
街に身体を大きく乗り出した魔化魍ホネクジラは、その巨体は陸連船団が有する船舶、当時の通商船と同程度の大きさ、をも軽く上回り、もはや島が迫ってくるかのようだった。全身は骨と筋肉がその位置を反転させたかのように露出した外骨格に覆われ、その隙間からは不気味な瘴気が絶え間なく噴き出し暗雲を形作っている。大きく広げられた口の中には細長い歯が櫛のように無数に生えそろっている。その内側からは不気味な歌のような鳴き声が響き渡る。まるで「死」そのものが形象をとったかのようなその姿は、八津裂鬼と共に多くの魔化魍と戦ってきた灰雪鬼や永景にとっても、最も巨大で最も恐ろしいものとしてその目に映った。
魔化魍ホネクジラはその巨大なヒレの横薙ぎや体当たり、倒れ込みにより町を破壊しながら鬼を攻撃していく。その巨体の前に陸連船団の鬼たちは有効打を与えることができない。おぞましい鳴き声を上げながら街を破壊していくホネクジラ。その災害のような攻撃に陸連船団の鬼たちは吹き飛ばされていく。
「この規模には音撃を使わないと……ッ!」
灰雪鬼が攻撃を辛うじて避けながら叫ぶ。ホネクジラの全身から放たれる瘴気に近づくことすらままならない。先程から鬼幻術・荒氷を用いて氷の鏃で攻撃を仕掛けているのだが、強固な外骨格の前にその攻撃は阻まれていた。鬼達も細かく攻撃を仕掛けているが、傷を負わせるには至らない。ホネクジラはおぞましい鳴き声を上げている。
ホネクジラが一際大きな鳴き声を上げ、その身体を空に向けて大きく反らせたと思うと、その口から無数の細かい骨片が無数に吐き出された。吐き出されたそれらはある程度の高さまで達すると、重力に従い放物線を描き眼下の鬼たちに襲い掛かる。
「まずい!皆さん逃げて!」
いち早くその危険性に気づいた魄日が叫ぶ。骨片は灰雪鬼の鬼幻術の氷を打ち砕きながら、育ての親の仇たる鬼たちに向けて降り注いだ。段々と落着点が迫りくる。もはやこれまでかと灰雪鬼が身構えた時、彼女らの視界は暗黒に包まれた。
「……?」
しかし、その身に感じるはずの鮮烈な痛みはいつまでもやってこない。思わず瞑っていた瞼を開けると、しかしそこにはまだ暗黒が残っていた。どこからか衝撃音が反響する。手を伸ばしながら歩いてみると、数歩先に何か壁のようなものを感じた。暗闇に慣れてきた目で思わず周囲を見渡すと、そこには同じように難を逃れてきた陸連船団の仲間たちがいた。誰も彼もがこの状況に驚いているようだ。
「重役出勤とはこのことだぜお前ら!待たせたなァ!」
衝撃音が止んだと思うと、そこに聞きなれた大声が響く。彼らを包んでいた暗闇が次第に消えていったと思うと、その暗闇を生み出していた巨大な鐘はしゅるしゅると収縮し、元の場所へと戻る。
「八津裂鬼様!」
音撃鐘を腰鎧として装備し直した八津裂鬼が彼らの前に立っていた。蛇を天衣として纏った仁王像のようなその後姿が堂々と魔化魍に相対する。
「来て下さった……」
左腕を失いながらも戦い続けていた永景は最早満身創痍に倒れ込んだ状態で、その姿をまるで神の来臨のように仰ぎ見る。そうした崇敬の眼差しは、陸連船団の団員全てが八津裂鬼へと向けていた。だが、それに対し目線を返すことなく、ただ目の前の敵のみを見据えながら八津裂鬼は声を上げる。
「お前ら、おれ様が来たからはいおしまいって訳じゃあねぇぜ。ここからが仕事だ」
そう言うと、八津裂鬼はその蛇の天衣の口から無数の音撃武器を吐き出した。チェロ型、ファゴット型、木琴型だけでない、異国産の音撃武器を含めた全国津々浦々の楽器を元とした音撃武器が、陸連船団の団員の前に無数に並べられた。彼らはそれをまじまじと見つめる。
「あれだけのデカブツ、一人で相手にするのは厳しい。そこでだ、全員で清めの音を出して奴を一気に叩く」
八津裂鬼は音撃撞の鬼石を突き出しながら団員に語る。だがその提案を聞き、灰雪鬼がおずおずと口を開いた。
「……しかし、それが可能なのでしょうか。アタシもさっき運よく音撃が使えたけど、もう一度は自信が」
「できたんだろ、だったら次はやるんだよ。お前らもとにかく今はやるしかない。いいか、とにかく何とかなると思って音を出し続けるんだ。それしか勝機はない」
そう言うと八津裂鬼は灰雪鬼の背中を叩き、団員たちに向き直った。
「いいか!一つ一つの使い方に対して講釈垂れる時間はねぇ!習うより慣れよだ!最後に決めるのは根性だ。ただ在るだけの魔化魍連中におれ様たちが負けるはずがねぇってことよ!いいか、とにかく音を出す、それだけ意識しろ!」
そう言うと、八津裂鬼はホネクジラに向かって単身突撃していく。その背中を団員たちはただ見守るだけでない。各々音撃武器を手に取るとそれをとにかく触り、どういうものなのかを理解しようとした。だが、何分初めて目にするものも多く、その理解は困難を極めた。頭を抱える団員たちであったが、不意に澄んだ音が彼らの耳に吹き抜けた。その音は灰雪鬼が奏でた音撃管から放たれたものだった。
「八津裂鬼様も根性って言ってたでしょ!音を出そうとするのがきっと大切なんだよ!」
彼女の言葉に、団員たちは不用意に触るのをやめ、自然な形で音撃武器を構えた。彼らの見据える視線の先には、凄まじい巨体を誇る魔化魍ホネクジラに挑みかかる彼らの支配者の姿があった。八津裂鬼はその大柄な体に見合わない跳躍を行い、ホネクジラの背中に飛び乗る。
「音撃衝・狂瀾王牙ァ!」
大笑いの表情を浮かべた鬼石が、ホネクジラの甲殻に強烈な衝撃を与える。流石に八津裂鬼の力には甲殻は耐えきれずひび割れを生じさせるが、船舶を上回るその巨体の前では、わずかな傷に過ぎない。だが、だからといって諦めるわけにはいかない。一撃、二撃、一心不乱に八津裂鬼は乱撃を繰り返す。
(やはりおれ様一人の力だけではこの魔化魍は清めきれん……ッ!一体どこからここまで育った奴が来たんだ……)
音撃撞の乱撃がどんどんとホネクジラの背中を叩きその甲殻の悉くを粉砕していく。しかしその巨体の前にはその攻撃は軽微なものになってしまっている。最上級の鬼石、最高峰の音撃戦士を以てしても、この異常に成長しきった魔化魍を祓うことは困難であった。
「うおおおおお!」
八津裂鬼は裂帛の叫びを上げながらひたすらにホネクジラを叩く。だが奴もされるがままではない。その広げられた口腔から呪いの歌声を上げその巨体を以て暴れ回り抵抗する。まるでその様子は海中を泳いでいるかのようだった。その暴れように八津裂鬼は何とか背中に乗っている状態を維持するので必死だ。
不意に体勢を崩し、八津裂鬼はホネクジラから落ちそうになる。辛うじて蛇の天衣の口を伸ばし喰らいつくが、流石に連戦の疲労は隠しきれない。
(クソッ……真滅王同様に『天地崩し』を使えば抑えることだけはできるが……)
叩きつけた音撃撞を支えに片膝をつく八津裂鬼。だが、その時彼の耳に音が聞こえてきた。彼の音撃撞の音ではない。もっと粗削りで不慣れだが、魂のこもった様々な楽器の音色。それを聞き八津裂鬼はその音の源に顔を向ける。
「お前ら!」
八津裂鬼の眼下には陸連船団の鬼たちが必死になって先程渡した音撃武器を鳴らしている姿があった。使い方も分からぬ異国の楽器であっても、全霊を込めて扱おうとしている。そうした全身全霊に、音撃武器は応えるものなのだ。彼らの奏でる音は、魔を祓う清めの音色となって、街を破壊し尽くす巨大な怪物の身体を包み込んでいた。
「八津裂鬼様!」
「八津裂鬼さん!」
さらに、永景と魄日がその呪力と法力を用いて結界を張り、音撃を放つ鬼たちを守り、さらにその力を増幅させる。
「お前ら助かるぜェ!このまま決めるぞ!」
無数の音撃を背中に受け、八津裂鬼は力強く立ち上がる。そして大きく音撃撞を振りかぶる。その頂点に戴く鬼石が煌き大笑いを浮かべる。その鬼石にどんどんと清めの音が収束していくようだった。そしてそのまま八津裂鬼は音撃撞を思い切り振り降ろす。
「音撃衝・狂瀾王牙!」
収束した清めの音が、ホネクジラの身体を貫く。その衝撃はこれまでの甲殻を砕くに留まっていたものとは異なり、その異形の肉を引き裂き、内部の骨を折る強力なものだった。その音撃が何度も、何度も、何度も何度も何度も何度もホネクジラの身体を打ち据える。八津裂鬼が音撃を打ち込む度に、鬼らの演奏もより一層勢いを増す。その音の波に、ホネクジラの断末魔の歌さえ掻き消える。
「デッドエンドだ!」
八津裂鬼の全身の筋肉に血管が浮かび上がり、両腕で握る音撃撞により一層の力を込め、最大の力で音撃撞がホネクジラの身体に打ち込まれた。それが最後だった。潰されたその身体から大きく瘴気を吐き出すと、ホネクジラの身体は炸裂し細かな土塊となり、その爆発の勢いが空を覆う暗雲さえも吹き飛ばした。
「八津裂鬼様!」
吹き飛んだ土塊の煙の中に灰雪鬼が飛び込む。視界を覆うその煙を払いながら走っていくと、そこに立つ大きな人影があった。
「……やったぜ!」
音撃撞を力強く天に突き上げ、八津裂鬼が勝どきを上げる。煙が晴れたその全身を雲間から射した太陽が照らし出した。それに呼応し、陸連船団の鬼たちが口々に勝利の雄叫びをあげた。
「やりましたね……!」
魄日に抱えられるように歩いてきた永景が八津裂鬼に話しかけた。全身の気を極限まで絞り切ったかのような顔は青白くなっていたが、何とか八津裂鬼の正面に立ち笑顔を見せた。
「あぁ、今回ばかりは皆のおかげだぜ。助かった!」
「今回ばかりは、って!アタシたちはいつでもヤツザキ様の力になりたいですよ!」
「ハイユキさんの言うとおりだ!」
顔の変身を解除した鬼たちは勝利の喜びを皆で分かち合っていた。船以上の巨大な魔化魍を皆で協力し倒すことができたのだ。しかも神にも等しいヤツザキがその様を褒めている。彼らにとってこれ以上の喜びはない。
「お師匠さま!」
「ヒタキ!どこ行ってたの!」
そこに、ヒタキが走り寄ってきた。顔をほころばせ、頼れる師匠の雄姿に感銘を受けたようであった。
「ハイユキ姉ちゃんも!オレはお師匠さまに言われて街の中でけが人の手当てをしてたんだ」
左手を上げて走ってくるヒタキ。その様子を見るとまだまだ子供だなとハイユキは口を緩めた。そしてそのままヒタキは右手を突き出し握っていた忍者刀で正面に立っていた永景諸共ヤツザキにその切先を突き立てた。
「え……?」
永景の口元から血がだらりと垂れる。そしてそのまま忍者刀は永景の胸を切り上げ、そのまま八津裂鬼の右腕を切断した。鮮血と共に八津裂鬼の右腕は宙を舞い、ヒタキの手元へと吸い込まれた。訳も分からずヒタキに向け攻撃を放つハイユキであったが、ヒタキはそれを軽々と避け、八津裂鬼の影の中に音もなく立った。
「陸連船団大団長八津裂鬼の右腕、確かに貰い受けた……」
ヒタキが懐から取り出した変身音叉を指で弾くと、その身体は闇を纏いまるで影の塊のように立ち上がる。暗黒そのものが形を取ったような肉体に二本の角、目元のみが不気味な光を放っている。
「お前……!ヒタキじゃないな、何者だ!」
ハイユキがヒタキのようなものに怒鳴りかける。その手には氷の剣が既に握られ臨戦態勢だ。その言葉を受けて影は彼らに向き直り口を開く。
「どうも。八賀忍軍頭領、八賀反骨です。鬼としての名は『刃々鬼』。ある人の依頼を受け陸連船団大団長、そして忍軍の落伍者たる『八津裂鬼』……『薬師寺 保邦(やくしじ やすくに)』の首級貰い受けに御座り参った」
影の中に立つ刃々鬼は彼らに挨拶をした。彼の手には未だ血が滴る八津裂鬼の右腕が握られている。地面を濡らす血が太陽光を受けいやに艶めかしく輝いた。
―続―
・魔化魍ホネクジラ
身の丈(身長):126尺4寸(38.3m)
目方(体重):14667貫(55t)
特色/力:巨体による破壊力、骨のような形状の外骨格、全身の瘴気
その名の通り、骨で出来た巨大な鯨を思わせる姿をした魔化魍。普段は海に潜み、縄張りを通過した船を襲い、その櫛の歯のように生えそろった牙で器用に人間だけを濾過するように捕食する。餌の状況によっては上陸し、毒の瘴気を吸った獲物を巨大な口で捕食する。だが、その巨体により陸上での活動は困難。
・ホネクジラの武者童子
身の丈(身長):6尺9寸(2.09m)
目方(体重):41貫(154.0㎏)
特色/力:強固な外骨格、剣状の武器
ホネクジラの童子の戦闘形態。頑強な鎧を身につけたような外見をしており、鬼幻術による攻撃を受け付けない程に高い防御力を誇る。また体組織から剣状の武器を生み出す能力を有する。
総じて強力な存在だが、その鎧が耐えきれないほどの衝撃を受けると鎧を維持することができず怪童子の姿に戻ってしまう。
・ホネクジラの鎧姫
身の丈(身長):6尺(1.82m)
目方(体重):34貫(127.5㎏)
特色/力:強固な外骨格、剣状の武器
ホネクジラの姫の戦闘形態。頑強な鎧を身につけたような外見をしており、鬼幻術による攻撃を受け付けない程に高い防御力を誇る。また体組織から剣状の武器を生み出す能力を有する。
総じて強力な存在だが、その鎧が耐えきれないほどの衝撃を受けると鎧を維持することができず妖姫の姿に戻ってしまう。