巨大な魔化魍ホネクジラを打倒した歓喜は既に消え去っていた。胸を大きく切り裂かれた永景は地面に倒れ伏して動かない。そして右腕を失ったヤツザキはその切り口を左手で押さえ込む。そして失われた彼の右腕は、影そのものが立ち上がったような異様な鬼「刃々鬼」と指を絡めていた。
「……いつヒタキを?」
傷口を押さえながらヤツザキは刃々鬼を睨みつける。その様を刃々鬼は見下すように視線を向けた。
「忍びとしては間抜けな問いだ。いつと言うなら、貴様らが本拠地にいた頃だろうが、そんなことを聞いて何になる」
「いや、単に気になったから聞いただけだ……。クソッ。それより貴様の忍法、変装の類だな。まるでおれ様の『骨肉自在の術』……!」
ヤツザキは目を閉じ、ヒタキを悼む。忍者が用済みになった人間を生かしておくはずがない。それはヤツザキにとっては、いや彼だからこそ自明の理であった。だがその様子をまるで気にすることなく刃々鬼はヤツザキの問いに答える。
「そうとも。八賀忍法『佰捌変化(ひゃくはちへんげ)』。この音撃忍者刀『経刃(ぎょうじん)』から鳴り響く音波により、我が肉体を自在に作り替えることができるのだ」
そう言うと刃々鬼は手にした忍者刀を顔に近づけて見せた。すると、目鼻のない鬼の顔がまるで悪趣味な粘土細工のように変形した。だが、一度瞬きをする合間にその顔は人間の顔に変わっていた。
「……ッ」
ハイユキが息を呑む。変形した刃々鬼のその顔はヤツザキの顔そのものであったからだ。
「おれ様の忍法をコピーした忍者って訳か」
「そうとも、だが、貴重な忍法を持ちながら忍軍を去った愚者には分かるまい。貴様の忍法を改良し再生産したこの能力の実用性」
「改良、だと……?」
「ああ、忍軍を抜けた忍者の力、そのままでは役立たずだろう?」
その言葉を聞くや否や、ヤツザキは刃々鬼に向け飛び掛かる。だが、右腕を失った状態では刃々鬼の身体を捉えることができない。
「何、恥じることはない。変装だけでなく、精神の写し取りを併用していたからな。あの少年に化けていたことを見破れなくても当然ということだ」
「……!」
「肉体を完全に写し取る『佰捌変化』と、精神を完全に写し取る八賀忍法頭領秘伝『星辰写し』。この二つを組み合わせることで、『俺様』の能力は完成に至った」
「……つまり一体どういうことですか!」
彼らの会話を聞いていた魄日の問いにヤツザキが答える。
「つまりこの忍者はどこの誰にも変身できちまうって事だ。しかも精神性も含めて。だから誰にも見分けがつかないって訳だ」
そこでヤツザキは一度言葉を区切る。
「これがどれほどの能力か分かるか?国の中枢にも苦も無く侵入できて将軍どころか朝廷貴族の首取り放題、国家転覆だって出来ちまう」
「そんな……!」
魄日の言葉を聞き、刃々鬼はヤツザキの顔のまま凄惨に嗤う。
「その通り。そしてヤツザキは同じような忍法が使える。これでヤツザキの目的が分かっただろう?」
刃々鬼はその歯が見えるほど大きく口を開き続ける。
「そう、この男の最終目的は『国盗り』だ!そしてお前らはすべてそのための使い捨ての駒よ!」
刃々鬼はヤツザキの顔を使いながら陸連船団の団員に向けて語る。瓜二つ、という言葉も生ぬるい全く同じ顔、同じ声で語るその内容は、それだけにヤツザキの言葉と同等の力を持って響いた。
「アタシたちは捨て駒……?」
その言葉をハイユキは聞き膝から崩れ落ちる。その両眼から涙がこぼれる。そしてそのまま消え入りそうな言葉を続ける。
「確かにこの忍者の言うことが真実なら色々なことが辻褄が合う……。団の中でヤツザキ様だけが音撃を使えた理由、それは単純に子供の頃から鍛えていたからなんですよね……。それにアタシたち鬼や『陸腑五将』の過剰な武器も、国と戦うために用意してたんだ……」
両眼から零れ落ちる大粒の涙がぬかるんだ土に消えていく。その姿を見てヤツザキはハイユキへと呼びかける。
「ハイユキ!こんなお喋り忍者の言う事なんて信じるな!」
「いや、信じたほうがいい……。これまでの疑問全てに説明がつく」
同じ声、同じ顔、その両方から真逆の言葉をかけられ、ハイユキの精神はぐらついていた。だが、その時魄日が刃々鬼に向き、鋭い声を掛けた。
「……この街の惨状は、貴方が仕組んだものでしょう?すべての裏で手を引いていたのも」
その声に刃々鬼はヤツザキと同じ鋭い眼光を向けた。
「ただの修行僧にしてはよくやる。その通り、魔化魍を誘導し街を襲わせたのも、陸腑五将の実験台共の脱出を手引きし襲撃を吹き込んだのも全て俺様だ」
「卑劣な……!」
刃々鬼は口角を吊り上げ笑いながら続ける。
「だが、元はと言えば陸連船団などという賊を結成し、社会の安寧を脅かしたヤツザキの身から出た錆だ。それに、忍者とは卑怯卑劣なもの。目的のために手段は選ばない」
魄日はその歯をぎりりと食いしばり怒りをこらえる。怒りと絶望に満ちる陸連船団の様子を、刃々鬼はその大団長と同じ顔で満足そうに見渡した。吊り上がった口角は今にでも大声で笑い出しそうだ。
だが、刃々鬼はまるでそんなことは思っていなかった。彼の思考はすべて任務の遂行のみを考えている。ヤツザキの顔を見せたその姿も、ヤツザキの声で語るその言葉も、すべて任務遂行のためだ。「忍」とは「刃」の下に「心」を携えた字を書く。そう、強い信念を秘めた心を以て刃を振るう者こそが「忍者」だと一般的には言われているのだが、刃々鬼が頭領を務める八賀忍軍は違う。「刃」の下にさらに「刃」を携えた存在。心など不要、生きた兵器こそが「忍」なのである。肉体はもちろん、敵対者に適切な攻撃を加えるための言葉遣いや精神性、心も体も全てが、任務遂行のために振るわれる刃なのである。
「ヒタキや永景まで……!」
涙で歪んだ眼をハイユキは刃々鬼の方に向け睨みつける。
「永景……?ああ、あれは近くにいた奴が悪い。最もあの状態では持って数刻の命だっただろうが」
そう言うと刃々鬼は未だ倒れたままの永景の姿を見る。その身を沈める血の流れは先程から止まっている。その姿を見て刃々鬼は浅いため息をつくと、その手からいくつかの手裏剣を高速で飛ばし永景に確実なとどめを刺した。
「お前!」
刃々鬼に激昂し飛び掛かるハイユキ。その手に握られた氷の剣が力任せに振り降ろされるが、だがその切先を刃々鬼はその顔で受け止めた。人の形状をしているといえども、鬼としての変身体を維持した状態である刃々鬼の顔は、むしろ逆にハイユキの剣を折り砕いた。そして傷一つないその顔でにやりと笑う。
「仲間を殺されて憎いか、俺様が憎いか!?面白れぇ。だけどよ、仲間を奪った奴が憎いのはお前らだけじゃねぇぞ!」
口調までヤツザキに近づいていく刃々鬼。彼が大きく手を振り上げると瓦礫の陰から、ぼろぼろの風体の人々が何人も現れ出た。
「……こいつら、元の住人か!」
ハイユキが彼らを見回しながら叫ぶ。彼らはこの港町に元から住んでいた人々であったが、陸連船団の台頭に伴い彼らは住処を追われ自由を失っていた。徹底的な実力主義がまかり通る陸連船団の気風、そして荒くれ者や鬼など一般人と比べればはるかに強力な存在の前では、普通の人々はただ虐げられるだけの存在であったのだ。
だが、今は違う。大きく戦力を消耗した陸連船団ならばこの街から追い出せるかもしれない。誰ともいわず、彼らは陸連船団に向けて石を投げ始めていた。
「出ていけ……!ここから出ていけ……!」
怨嗟の言葉が街に響く。その言葉は大きな渦となり、ヤツザキらを覆っていた。その様子を刃々鬼は見回し、懐から無数の紙切れを取り出した。
「これらはすべて、陸連船団に家や財産、家族を奪われた者たちが役人どもに届けた呪詛の手紙だ。これでさえ一部、貴様らはそれだけ周りから恨まれてきたのだ。だが……」
それらの手紙を刃々鬼は興味なさげに落とした。手紙は泥に塗れ風に呑まれ千々に消えていく。
「今はこの腕を得ることが任務。貴様の命だけは、俺様は奪わないでおいてやる」
「おれ様に情けをかけたつもりか……!」
「いや、ただ任務だからだ。この右腕を奪い取ることこそ今の我が任務。いずれ俺様は陸連船団を壊滅させるが、今はその時ではない」
そう言うと刃々鬼は迫りくる人々の中にその姿を消していく。疲弊した鬼たちはその姿を追うこともままならなかった。
いつしか刃々鬼は喧騒の中の影に消え、怒りに満ちた人々がその代わりにヤツザキらに迫る。ヤツザキは右腕そのものの再生を諦め、腕の切断跡に気を込めその傷口を塞ぐ。そのまま立ち上がると周囲から浴びせかけられる怨嗟の姿を見回した。
「恩を仇で返すとはまさにこのことだなぁ。おれ様たちがいなければ魔化魍にただ殺されるばかりの連中が……!」
ヤツザキは左腕で音撃撞を構え、人々を牽制する。輪になって陸連船団を取り囲む人々は次第にその輪を縮め、じりじりと陸連船団を追い詰める。
「許さないぞ、虐げられてきたこの恨み……!」
人々の中には農具を武器のように構えた者もいる。迫り寄る彼らは今にも攻撃を仕掛けそうだ。その姿にハイユキは昔のことを思い出していた。それは、同じように住処から迫害され家族を失った経験。害意に満ちて鬼たちを取り囲む人々の姿は、ハイユキに家族を奪われた経験を想起させた。
「こいつら……!あの忍者に踊らされて……!」
「バケモノ共の戦いに疲れた今が好機だ!家族の仇!」
「自分たちに都合のいいことばかり言って……!」
ヤツザキらが平和に暮らしていた街を力で支配し人々を虐げていたことは紛れもない事実である。だが一方で、音撃を用いて魔化魍の脅威から街を守っていたのも事実。ヤツザキがいなくなれば、確かに陸連船団の支配から脱することが可能であるだろう。しかし、ヤツザキの代わりとなる音撃戦士を見つけるまで、この村は無事でいられるだろうか。既に魔化魍にはこの村には餌が多くいることが知られている。力づくでヤツザキを追い出すことは、長い目で見ると街には大きな利益はない。だが、積年の恨みを晴らすことこそが、今の人々にとって最も重要な事なのであった。人々のその様子をヤツザキは眺め一度深く深呼吸すると、大きな声で彼らに向けて声を上げた。
「……なら、お望み通り出ていってやるよ!」
その声と共にヤツザキは腰鎧を呪術により変形させ音撃鐘の姿へと変えた。その鐘はどんどんどその大きさを増していく。その鐘をヤツザキは左手で掴み、力づくで振り回した。地面や瓦礫を巻き上げ大地を削っていく音撃鐘は、諸共に街の人々を吹き飛ばした。
そしてその音撃鐘によって生じた土煙が晴れると、そこに陸連船団の姿はなかった。人々が周囲を見渡すと、港から彼らの船が急いで出航していた。たまらず、人々はそれに向かって投石などを繰り返すが、船が離れていくといつしかその攻撃は止み、怨嗟の叫び声ばかりが船に向かって投げかけられた。
「やったぞ!鬼を退治した!」
「これで奴らはこの街から消えた!俺たちは自由になったんだ!」
誰かが叫んだ。その声を皮切りに人々が次々に喝采を上げる。その声は人々の分から段々と広がり、廃墟同然と化した街に響いた。
そして、街を守る鬼が去ったことを示すその声は、人ならざる魔の存在の耳にも確かに響いていた。
這う這うの体で街から逃げ出した陸連船団の一行は、ヤツザキが街に来る際に乗っていた船に無理やりに乗っていた。そしてその構成員の多くが怪我を負い、街から逃げ出せなかった者、命を落としたものも多かった。満身創痍で出航した、というより街を追われた陸連船団の団員の間には沈痛な空気が蔓延していた。
「……あの忍者、何者なんですか?」
甲板に立つ魄日はヤツザキに尋ねた。ヤツザキの切断された右腕には大きく包帯が巻かれている。その傷をさすりながらヤツザキは応えた。
「この国の暗部で活躍する忍者集団『八賀忍軍』の頂点……。報酬さえもらえればどんな暗殺さえ行うクレイジーな集団だ。朝廷の貴族や各地の権力者などが八賀忍軍に挙って依頼をしている。お互いの国から送り込まれた刺客が、共に八賀忍軍ってこともあるらしいぜ」
「ヤツザキさんは、元々そこに所属していたと……」
魄日がそう返すと、ヤツザキは悲し気に目を伏せた。
「……あぁ、その通りだ。刃々鬼が言っていたことは大体が本当のことだ。おれ様は元々『忍者』だったんだ」
「どうして教えてくれなかったんですか……!」
ハイユキがヤツザキの前に立ち問い詰める。その目には未だ涙が滲んでいた。その顔をヤツザキは見上げると、一瞬はっと表情を変え、すぐに目を逸らした。
「過去のことなんて言っても仕方がないと思ったからだ。俺様が何者で、何を目指しているか話すことより、お前らを維持することが重要だ」
これまではそう思っていたが、とヤツザキは最後に付け加えた。
「アタシ達を維持することって、国と戦うためってこと?そんなことしたら皆死んじゃうかもしれないじゃないですか!さっきだってヒタキや永景が……!」
「お前らを犬死させるために陸連船団を作ったわけじゃない!」
ハイユキの言葉に、ヤツザキは強く怒鳴り返した。その言葉に船の空気は凍りつく。ハイユキだけでなく陸連船団の団員たちにとっても、常に余裕綽々、飄々としていたヤツザキがこれほど激情を現した姿を見るのは初めてだった。団員らは皆、神の怒りに触れてしまったとばかりに狼狽を隠せない。だが、それ以上に動揺してしまっていたのはヤツザキ本人であった。
「いや、おれ様に説明させてほしい……。おれ様が国を欲しい理由、それはお前らみたいな社会から弾かれた奴らでも安心して過ごせる場所が欲しいからだ……」
そのまま、彼はその内に秘めていた心情を皆に向けて吐露し始めた。
八賀忍軍の忍者として生を受けたヤツザキ……「薬師寺 保邦」と呼ばれていた頃の彼はより強力な忍者、すなわち文字通り人外の「鬼」の忍びとなるべく修行をつけられていた。八賀忍軍の里に生まれた者にそれ以外の生き方などなかった。そしてヤツザキは全身変形の忍術「骨肉自在の術」を組み込まれ、新たな頭領となるべく製造された個体でもあった。闇の歴史に連綿と受け継がれる特殊な人体改造術を用いた人体兵器の製造は八賀忍軍の中で平然と行われていた。そうした改造の成功例かつ八賀忍軍の鬼としても十二分の能力を有した忍者、鬼の中でも掛け値なしの異能を持つ者こそが頭領となれるのである。だが、その改造や修行は過酷を極め、落命する者も珍しくなく、同じ忍軍内でも常に殺し合い強力な忍者を製造するために生死の緊張を強いられる環境下で発狂する者もいた。そして当時のヤツザキもそうした発狂した忍者の一人であった。
(何で同じ忍軍で殺し合わなきゃいけないんだ……!それなりの性能でも数を揃えれば任務を効率的に進めることができるはず、それに同胞の命を奪うことはもう……)
月の明かりもない夜半、ヤツザキはそう考えていた。人命をすり減らす過酷な修行を重ねるうちに、ヤツザキは命を無駄にする八賀忍軍の在り方に疑問を抱いていた。このような当時の八賀忍軍の価値観から大きく逸脱した思考の持ち主は、それが知れ渡ると危険分子として粛清されていた。このような現実逃避的思考に陥る忍者は、八賀忍軍内部では修行に耐え切れない脆弱な者と見なされていた。八賀忍軍では忍者が独自の心を持つことは忌み嫌われていた。任務に忠実、それを曇らせる心などは不要と見なされ、指示を徹底して行い成果を上げる者こそが理想の忍者であった。
ヤツザキは静かに骨肉自在の術を使い、里からすぐさま逃げた。もしこのような考えを持っていることがばれたら確実に消されるからである。当時の頭領候補の中でも鬼としての能力や忍術などで上位に位置していたヤツザキであったが、そのような優秀な人材であっても躊躇なく消されるのである。それだけで、逃亡の理由としては十分だった。
肉体を変形させ窓枠から逃げたヤツザキであったが、追手はすぐにやってきた。警告もなく放たれた手裏剣がヤツザキの顔を掠めると、彼は足を止めずに後ろをその目で見た。そこにいたのは、先程まで彼と共に就寝していた忍者であった。彼らは異常に気付くとすぐさま起き上がりヤツザキの不在に気付くと抜け忍を防ぐためヤツザキの追跡を開始していた。
「おい!お前らこの忍軍がおかしいと思わねぇのか!身内同士で殺し合いして命を無駄にしてる!お前らもおれ様と同じ孤児で戦から生き残ったのに、むざむざ死ぬことはないだろ!」
ヤツザキが叫ぶ。だが、追手は何も返さない。八賀忍軍の忍者の中には親家族を失った孤児が多く含まれる。無論、優秀な忍者一人を育てるための無数の犠牲を補うためでもあるが、戦争の悲劇を目の当たりにした子供は「心」を既に壊されており忍軍としては扱いやすい、というのも大きな理由だった。
「クソッ!追手が早い、人間の姿のままではいずれ追いつかれる……!」
走りながらヤツザキは周囲を確認する。暗闇は八賀忍軍の庭のようなもの。闇に紛れた忍者の恐ろしさは、他でもない忍者であるヤツザキ自身が強く認識していた。唇をきっと噛み締め、ヤツザキは懐をまさぐると、落とさないようにと体内にしまっていた、鬼面が刻まれた音叉を取り出した。
(やったことはないが、やるしかない!)
手にした変身音叉・音錨を打ち鳴らし、ヤツザキは「変身体」へと姿を変えた。黒い肉体に装飾のないつるりとした姿、頭部に角を戴く「鬼」の形となり、ヤツザキは必死で逃げた。追手の気配はどんどん遠くなっていく。だが彼はとにかく逃げて逃げて逃げまくった。
何里走っただろうか。朝の光がわずかに射し込み始めると、ヤツザキは周囲の植物を見た。八賀忍軍の里及び周囲の森林では見られない種だ。注意して見ると周囲の植生も変わっている。どうやらかなり遠くまで来たようだ。でたらめに逃げていたヤツザキであったが、ここで次第に斜面に沿って下るように逃亡の道のりを変えた。人里に紛れ込んだ方が見つかりづらいと考えたからである。道中、衣類を調達するとヤツザキは変身を解き、人里へとゆらりと潜り込んだ。そして往来の言葉に耳を傾ける。方言や口調から判断するとやはり忍軍の里からは遠い。この時ばかりは、生存術を叩き込まれた八賀忍軍の里での修行に感謝した。
しばらく人里で過ごしたヤツザキであったが、その中で自分と同じような孤児、社会から見捨てられ、搾取される人々の存在に気付き始めた。そしてその規模は忍軍で想像していたよりはるかに多かった。人間の里も八賀忍軍の里も同じ、弱者の命をすり潰して回っている。ならば、自らはすり潰されない強い存在になりたい。すり潰す側に立ちたい。自分を殺そうとした八賀忍軍を潰せるような強い存在になりたい。ヤツザキが社会をそう認識し、思想を固めるのにそれほど時間は有さなかった。
まずは同じような志を持つものを集め、弱者の生存圏となるだけでなく、社会への影響力を持てる団体を作ろうと考えたヤツザキであったが、その時目をつけたのが「鬼」であった。古来より日本の地に生息する人類の天敵「魔化魍」それと戦うために己が身を鍛え上げた「鬼」。平安時代にその端を発するとされるが、かつては人々の崇敬を集めた鬼であったが、その超常的な力と異形から迫害される存在へと零落してしまっていた。八賀忍軍が無数の忍者を犠牲にした完璧な忍者を作ることで、徹底して世に出す人員を絞る理由の一つに、その忍者が鬼であり、その情報を社会へと漏らした際の影響を懸念してのことだったが、ヤツザキはそのことを知らなかった。
社会から迫害された人々、鬼や呪術師を抱き込み、盗賊団「陸連船団」が出来上がると、ヤツザキはその団長の椅子へと収まった。その異様なまで人を引きつける人心掌握術も、実は八賀忍軍頭領の器として鍛えられていたものだった。だが、その間もヤツザキは徹底して鍛錬を続けて強くなることを追求していた。弱い者は奪われ強い者が得をする徹底した弱肉強食の世界だと社会を捉えていたヤツザキは、その中で奪われない存在であることを自らに課していた。彼を慕い共に戦う陸連船団に対しても、ヤツザキは「奪われたくない」「強者であり続けなければいけない」と考えていたのである。自ら以外は決して信用しない、染み付いた八賀忍者としての在り方からは逃れられなかったのである。その過程で今の仁王像を彷彿とさせる派手で強靭な鬼の姿を自ら作り上げたのである。
そして盗賊団を率いて略奪を繰り返す中で、ヤツザキは気づいた。自らをこれまで虐げ私腹を肥やしてきた「強者」たちが、実は音撃撞の一撃で容易く死んでしまう脆い「弱者」だということに。ならば、「人間」や「権力者」という弱者が、鍛錬を積んだ「鬼」や「虐げられた人々」という強者を支配する社会そのものが歪で間違っている。ならばその社会そのものを正しく直してやれば、自らについてきた陸連船団の団員たちもこれまで強者が行ってきたような贅沢ができる。そして社会を歪めた人間共に、自らが味わった苦痛を同様に与えることができる。そのためには「国」を取るしかない。天地を国を崩し今の世界を覆滅する。それこそが、八津裂鬼が内に秘めた野望であったのだ。
「そんな……!」
その途方もない野望を聞き、ハイユキは戦慄した。彼女だけではない、その場にいる誰もが驚き、目の前にいる男の普段の堂々とした、豪放磊落な姿からはまるで微塵も想像できない狂気に恐れを抱いた。
「おれ様の本心を言わなかったのは悪いと思ってる。すまなかった」
そう言うとヤツザキは深々と頭を下げた。だがむしろその姿は陸連船団を怯えさせた。これまで神同然に崇敬していた男の狂気を聞き、そして自ら頭を下げている。その様子に彼らはどうすればいいのか分からず、固まってしまっていた。
「ヤツザキさんのその野望のためにどれ程の人間が死んだんですか……!船団だけじゃない、普通の人々だって何人も!それに釣り合うだけの野望なんですか!」
一人、魄日がヤツザキの胸倉を掴みその顔を見る。筋肉が引きつり見開かれた眼球が鋭くヤツザキを睨む。同じく孤児として生きてきたが、その全霊を平和への祈念に費やしてきた彼にとって、ヤツザキの野望はそこまで他者の血を流してまで達成すべきものなのか分からなかった。そしてそれが自分にとって許せるものなのかも。
「前のおれ様なら、犠牲になった奴らは『単に弱かった』とか、殺してきた奴らは『弱者のくせして強いおれ様達を虐げたから』だとかで返してたと思う」
だが、と彼は続ける。
「今のおれ様なら、必ずこの野望を達成することこそが、死んでいった奴らへの唯一の手向けだと思う。だから成し遂げなきゃいけないんだ。たとえおれ様が死んでも」
その答えに魄日は絶句する。掴んでいた手を振り払うと、そのままヤツザキに背を向けた。
「拙僧の当面の目的は『鬼となった自分を人に戻すこと』で、それを知るために同行していましたが、今分かりました。鬼も人も、心の在り方の一面だった」
「何?」
「見た目が鬼であろうが人であろうがそれらの混じり物であろうが、その力を他者を守るために使う心が大事だった。例え自らをひどい目に合わせた者が目の前で苦境に立たされていた時、そこに手を差し伸べることができるのか」
その言葉を聞き、ヤツザキは口角を下げ問いかける。
「だったら坊さん、お前は何だ。おれ様は何なんだ?」
「拙僧は魄日。そして貴方は『八津裂鬼』。それ以上でも以下でもない。鬼も人も個人の一側面にしか過ぎない」
魄日の答えに、ヤツザキは真っすぐと彼を見た。そのままゆっくりと問い返す。
「そのたった一側面で、おれ様達は人生を決められてしまう」
「決めるのは自分自身です。周りに自分を決めさせてはいけない」
「だったらおれ様が自分で決めた結果がこれだ、これなんだ!」
ヤツザキは自分に言い聞かせるように声を張り上げる。その声が甲板上に響いた。そしてそのまま周囲を見回し言葉を続ける。
「おれ様は最初から自分で決めてきた、お前らだってそうだろう!?」
だが、ヤツザキのその問いに、ハイユキらは俯くばかりだ。船はしんと静まり返っている。
「……アタシは」
ハイユキは静かに口を開いた。だがその目はヤツザキの方を見ていない。
「ヤツザキ様についていくのは自分で決めたことだと思う。けど、国と戦うなんてアタシ……」
ハイユキだけではない。陸連船団の団員皆がヤツザキに申し訳なさそうに俯いている。船全体を暗い雰囲気が包んでいた。
「……皆も同じか」
ヤツザキのその言葉に、誰も何も返さない。その沈黙こそが彼らの答えを雄弁に物語っていた。ヤツザキはその様子を目を細めて見る。その瞳には悲しみの色が入っていた。
「だが、今はとにかく生き延びることが大事だ。お前らも生き延びることを選んでくれ」
今度は皆彼の言葉に無言ではあったが頷いた。それは彼らが彼ら自身の意志で生き延びることを選んだことを示していた。
「しかし、行き先は?」
「あの街はもう無理だ。恐らくもう誰も生存者がいないだろうしな。『鬼港』に戻るしかない。港に残っている奴らも守らねぇと」
拠点を一つ失った以上、本拠地に戻るしかない。そして、本拠地を知る刃々鬼もそこに向かうに違いない。その脅威から守るためにも、船の進路は鬼港に向かうしかない。
「あの忍者もしつこくおれ様たちを追いかけてくるだろうが、忍者が海路を使うとは思えん。おそらく雇い主への状況報告を兼ね、陸路を使うだろう。だから今が休める最後のチャンスだ。今のうちに皆休んでおけ」
きりりと、ヤツザキは陸連船団の団員に指示を出す。その言葉に彼らはいつもの調子を取り戻し表情も変わった。ハイユキがヤツザキに問いかける。
「忍者の雇い主は、一体誰だと?」
「八賀忍軍の単価はかなり高い。それを雇えるとなると相当の金持ちであることに間違いはない。そして陸連船団の行動範囲から察すると、おそらく海運関連の大物かあるいは大名。いずれにしてもかなりの大物だ。きつい所だがここからが勝負どころだ。覚悟しとけよ」
「ハッ!」
陸連船団の団員たちが返事をする。その様子にヤツザキは満足そうな笑みを浮かべた。こいつらならきっと大丈夫だろう。交代で陸連船団の団員たちは休みを取るようにした。鬼港への道のりは彼らにとって慣れた道であるが、疲弊した状態をなるべく避けるために、休息を積極的に取っていた。
休んでいた魄日は、夜明け前の喧騒に目を覚ました。陸連船団の団員が大きく騒ぎ回っている。ハイユキに魄日は尋ねる。
「どうしたんですか!?」
「ヤツザキ様が急にいなくなって!」
「そんな!一体どこに!」
陸連船団の団員総出で船内を探し回ったが、ヤツザキを見つけることはできなかった。だが、そうは言っても船の進路を変えることはできない。もしヤツザキが行くとすれば同じく鬼港だろう。必ず会えるはずだ。そう信じて彼らは船を進めた。
夜の内に、ヤツザキは船の中から秘密裏に抜け出していた。そのまま海の中に入ると、一人で鬼港へと向かった。確かにヤツザキは陸連船団の団員の生き方を勝手に決めていたのかもしれない。だが、そうして彼らの生き方を決めるのはこれが最後だ。これからは彼ら自身に決めてもらいたい。そしてヤツザキもこれからの行動は自分で決めた。刃々鬼を倒すのだ。ようやく独り立ちする団員ための決断を守るために。
鬼港近くの見通しの良い山地の中腹に、北方鎮護大名橅森の軍が陣を張っていた。夜明け前の暁の空に、ゆらりと影が現れた。刃々鬼である。その影を橅森が出迎えた。
「ずいぶんと時間がかかったやんけ。それで?近況報告は?」
椅子にがに股で座る橅森に対し、刃々鬼は腕に抱えていたものを投げ渡した。布で幾重にも覆われたそれは、成人女性の背の丈もある巨大な棒のようだった。その重さに橅森はよろめく。
「ゲッ!キッショ!腕やんけ!」
橅森に渡されたのは切り落とされた八津裂鬼の右腕そのものだった。それは鬼としての形状をそのまま残していたが、血が抜けて細く干からびたように変質していた。それを震える手で橅森は検分する。
「確かに見たところ鬼の腕みたいやな。まあ鬼を攻撃できるくらいの実力を持っている、ってことは信用してやるわ」
「それは光栄の至り……」
刃々鬼に見向きもせず橅森は欠伸をしながら続ける。ぱちぱちと、灯の火が音を鳴らす。
「まあ、ワイらも寝てたわけやない。待ってる間に奴らの港を攻める準備を進めてたところや。八津裂鬼抜きの街ならワイらの軍で攻めきれるやろ」
野営中の軍を眺めながら橅森は自慢げに語ったが、刃々鬼は冷たく返した。
「……残念ながら、奴はもう既にこちらに向かっています」
「何やて?おいおいおいさっきと話が違うやんけ、八津裂鬼の右腕を取ってきたんやろ?」
「文字通りのこと。右腕を取ってきましたが、それ以外は生き残っています」
あくまで八津裂鬼は生きている。その事実に橅森は不快な表情を浮かべた。
「ケッ!あれだけ大口叩いといて生きとるんやん!使えないやっちゃな」
橅森はそう言うと八津裂鬼の右腕を不快そうに放り投げる。側近がそれを辛うじてつかんだ。八賀忍者には「心」がない。ただ忠実に任務をこなすあまり、その任務にない内容のことはそもそもやらないのである。つまり、橅森が最初から八津裂鬼の始末を最優先に指示していれば、今渡されたのは八津裂鬼の首だったかもしれない。だが、刃々鬼の実力を見るために腕を持って来いと言ったことで、刃々鬼は奪い取った右腕だけを持ってきたのである。だが、その点を刃々鬼は指摘しない。
「奴は必ず鬼港に来ます。ですので先に街を制圧し、奴を迎え撃ちましょう」
「そうやな、なら早速軍を動かすか……」
だが、橅森の提案を刃々鬼は断る。
「いえ、街にはどれ程の罠があるか。先んじて潜入します」
刃々鬼の提案に橅森はしばし考えたが、その提案を承諾した。
「まあ、忍者と言えば諜報が飯の種やろ。先に潜入し、状況を知らせるんや」
その言葉を聞くか聞かないか、刃々鬼の姿は闇の中に消えた。隣に立つ側近が橅森に話しかける。
「よろしいのですか、あの忍者。お館様にあのような態度」
「……あぁ、別に今更。所詮忍者、その上『鬼』。人間の常識で測れるもんやないで。それよりも、いつでも軍、動かせるようにしとくんやで」
「御意……!」
橅森の指示の下、軍も動きだした。彼らの姿を沈みかけた月明かりが照らしていた。
数刻の後、鬼港に八津裂鬼の姿が見えた。いつもと変わらぬ天衣を纏った仁王像のような派手な姿。そしてその右腕には細い直刀が握られていた。
さらに数刻の後、ヤツザキは鬼港の街中に立っていた。人っ子一人いない全く人気のない街並み。街並みはそのままだが、人だけがまるっきりいなくなっていた。その街並みをヤツザキは一人歩き、一際目立つ巨大な屋敷にたどり着いた。彼が住んでいた屋敷だ。ヤツザキはその中に足を踏み入れ、そのまま迷いなくその最も奥の座敷の扉を開ける。
「ずいぶんと時間がかかったようだなぁ」
「こうして自分の姿を見るのは初めてだぜ……!」
その異国の調度品を無数に並べた畳敷にどっかりと座っていたのは八津裂鬼だった。その周囲に侍るのは幾人もの「刃々鬼」。八津裂鬼の姿をヤツザキは睨みつける。
「しかしこの姿は便利だ。この姿なら誰も俺様を警戒しない。おかげで楽に始末できた」
八津裂鬼の姿をした刃々鬼が語る。堂々としたその姿はまるでヤツザキそのものだった。
「前置きはいい。ただおれ様のコスプレがしたくてここで待っていたわけじゃないんだろう?取引か?」
ヤツザキが刃々鬼を問い詰める。だが、刃々鬼はそれにまるで動じない。
「いや、単に貴様を仕留めるためにここで待ち伏せしていただけだ。ここなら必ず来るだろうと考えてなぁ」
そう言うと刃々鬼はよいしょと立ち上がり、忍者刀をくるりと振った。それに合わせて周囲の刃々鬼型も戦闘態勢を取る。
「おいおいマジかよ……!」
流石にすぐさま戦闘に移るとは思わなかったヤツザキであったが、相手が八賀忍者であるならば全く無駄のないその行為はむしろ妥当とさえいえる。落ち着いて間合いを取り、体内から変身音叉・音錨を取り出す。
「死ねッ!」
勢いよく振りかざされた忍者刀に合わせ、ヤツザキは変身音叉で受け止める。その二つが奏でる反響音をヤツザキは額にかざすと、彼の全身を大波が覆う。その波を力強く薙ぎ払うと、音撃戦士・八津裂鬼が姿を現した。
「永景、一緒に戦ってくれ!」
八津裂鬼が力を込めると、彼の失った右腕の代わりに、永景が装備していた義手「魔天」が装備される。数度、義手の動きを確認すると八津裂鬼は音撃撞を構える。それと同時に、刃々鬼は八津裂鬼の姿から慣れた影のような鬼へ姿を変えた。侍らせていた鬼と全く同じその姿。黒い体色に目元だけが赤く灯っている。さらに、屋敷の中にも同じ姿の鬼が何人もなだれ込んでくる。
「分身の術か……!」
「その通り、この街の住人に俺様の術を流し込んだ。即ち鬼の肉体に忍者の戦闘経験を有した忍者集団。陸連船団を上回る練度の鬼、その群れよ」
刃々鬼の群れが一斉に八津裂鬼へと攻撃を仕掛ける。八賀忍軍頭領相当の鬼の攻撃、その強烈な連撃が八津裂鬼を部屋の外へと吹き飛ばす。
しかし、八津裂鬼を攻撃する鬼たちは、元をたどれば鬼港の住人や陸連船団の団員。それらの意識も個性も全て奪い手駒へと変える卑劣な術。これこそが八賀忍法分身の術である。
「うおおおおお!」
だが八津裂鬼も負けてはいない。瓦礫の中から八津裂鬼は立ち上がると、強靭な手足による打撃が刃々鬼らを薙ぎ払った。そして音撃鐘を展開するとその大きさを広げ、広げ続け、街そのものを覆いつくした。太陽光は完全に遮られ、街を暗黒が包む。
「我々を閉じ込めたか……だが、暗闇こそ八賀忍軍の庭よ」
閉じ込められたどこからともなく刃々鬼の声が響く。その声が鐘の中で反響する。だが、その鐘の中心で八津裂鬼はしかし堂々と立つ。
「これこそ音撃衝・天地崩しの真髄よ。空も大地もその領域をおれ様が作り上げる!」
そう言うと八津裂鬼は音撃撞を振り回し、周囲の刃々鬼らに強烈な打撃を与え、さらに続ける。
「それに、暗闇が八賀忍軍の庭というのなら、ここはおれ様の庭でもある」
宙を踊る音撃撞が刃々鬼を薙ぎ払い、吹き飛ばしていく。だが刃々鬼も負けてはいない。無数の鬼達が連撃を繰り返す。それらを捌いていく八津裂鬼だが、次第に刃々鬼がかすり傷をつけていく。鬼の回復力の前では微々たる傷でも、その量は次第に増えていく。
「骨肉自在の術!」
八津裂鬼がその身体を変形させ、一息に刃々鬼らを薙ぎ払う。腕や胴体が異様に伸びたその姿は最早人型ではない。その怪物のような姿で八津裂鬼は口を開く。
「佰捌変化に無く骨肉自在の術にあるメリット、おれ様は気づいたぜぇ」
「何だと?」
「まず一つ。音波を浴びる必要がなく、忍者刀不要ですぐ使えること。そして、変形途中の状態を自在に使えること。こんな風になぁ!」
八津裂鬼は両腕をまるで巨木のように変形させ、力任せに振り回す。その力は家屋を叩き潰すほどのものであった。その攻撃力の前に刃々鬼は飛び上がり間合いを取った。
「確かに、そんな人外の形状になることはできない。だが、そんな見てくれの姿に化けることそのものが、忍術として不要だろう!」
刃々鬼は八津裂鬼の懐に一気に飛び込み、蹴りを浴びせかけんとする。だが、それを八津裂鬼は蛇の天衣の尻尾で叩き落す。
「ああ、おれ様が忍者ならこんな忍術使わなかったろう。だが、今のおれ様は忍者じゃあない!」
「ならば何者だ!」
「おれ様は八津裂鬼!陸連船団の大団長として陸連船団を守るために戦う鬼だ!」
肉体変形を戻し、八津裂鬼は音撃撞を振り回し刃々鬼を散らしていく。その勢いは強風を巻き起こし瓦礫を吹き上げた。
「船団を守るだと?ならばいいことを教えてやろう。この鬼港は既に雇い主の軍に包囲されている。お前以外の奴らが戻ってきたところで、奴らは確実に死ぬ」
八津裂鬼に対し、刃々鬼は冷たくそう告げた。だがその言葉を聞き八津裂鬼は面白そうに言葉を返す。
「それは確かに良いことを聞いた。そこに不安点があったからな」
そう言うと八津裂鬼は右腕の義手に力を込めた。義手の表面に無数の文様が浮き出る。そしてそれは何かに呼応するかのように脈動した。
「どうや、街の様子は?」
「いえ、あの巨大な鐘が出てからは何も」
「ファー!どうせ八津裂鬼が来たって事やろ。あの中で忍者と賊が戦ってるんや。ワイらが動くのはその後でええやんけ」
山の中腹の陣から、橅森らは街の様子をうかがう。だが巨大な音撃鐘に覆われた街の中はまるで見ることができない。その様子に、橅森は飽きたように身体を伸ばす。
「まあいずれにしても、陸連船団は皆殺しや。あの忍者の情報が正しいなら船に乗った残党も港に向かってるんやろ。そいつも迎え撃てばええ」
凝り固まった体をほぐすように橅森は関節を鳴らす。たまたま首を曲げたそこに八津裂鬼の右腕を見た。陣の天幕の中にひっそりと置かれたそれを橅森は何気なく見たのだが、不意にそれが動いた。気のせいか、橅森は部下に命じ、その様子を探らせた。部下が八津裂鬼の右腕を触り持ち上げようとした。その時だ。
「なっ!?」
八津裂鬼の右腕が意思を持つように動き始め、部下の顔を掴み握りつぶした。そしてそのまま掴み続けると、部下の身体は次第に水分を失い干からびていく。それに呼応するように八津裂鬼の右腕は瑞々しさを取り戻していく。
切られる前の姿をほぼ取り戻した右腕は、その全体を振り、自らを縛る布を振りほどいた。その右腕の大きさは腕だけで人間とそう変わりがない。そして右腕は手のひらを橅森の方へ向けて開いて見せた。
「ゲェッ!なんやこれ!」
その手のひらには不気味な鬼面が表れていた。その指を開き閉じ、周囲の状況を探っているようだ。
不意に、右腕が飛び上がると、その手のひらの鬼面で、何と橅森の部下たちを喰らい始めた。そのあまりの状況に橅森は恐怖し、部下たちも逃げ惑った。恐るべきは、人間を喰らえば喰らうほどに、その右腕はどんどん大型化していくようだった。まるで大きな蛇か芋虫のように成長した右腕は、手のひらを開き蛇で例えるならば鎌首をもたげるようにし、その鬼面の口を開いた。
「……おれ様は、八津裂鬼だ……。おれ様の身体はどこだ……。ここか……?」
「何だコイツ!バケモノか!」
自ら八津裂鬼を名乗る巨大な腕のバケモノが、部下たちを殺戮していく。この世のものとは思えないその状況に、橅森は恐れおののいた。
八津裂鬼と刃々鬼の戦闘は熾烈を極めていた。音撃鐘・覆滅により鬼港の街の中に封じ込められた彼らであったが、鬼港の住人を手駒と変えた刃々鬼が八津裂鬼へと絶え間なく攻撃を仕掛ける。基礎的な能力値で言えば八津裂鬼と刃々鬼にそう大きな差はない。だが、刃々鬼の人数規模はその能力差を大きく刃々鬼の方に傾けていた。百人以上の鬼が、八津裂鬼ただ一人にひたすら攻撃を仕掛けているのだ。
骨肉自在の術を使い身体を異形に変形させ受けた傷を回復させても、小さな傷の積み重なりが、着実に八津裂鬼の体力を奪っていく。その僅かな隙をつき、遂に無数の刃々鬼が八津裂鬼の身体に組み付き無理やりに抑え込んだ。
「もらった!」
刃々鬼の一人が八津裂鬼の左腕に組み付き、また別の一人が忍者刀でその腕を諸共に切断する。さらに首元から八津裂鬼の身体に食い込んだ忍者刀が胴体まで深々と切れ込みを入れる。流石の傷に八津裂鬼も両膝をついた。
「この程度の傷で、おれ様が死ぬかよ!」
だが、八津裂鬼は忍者刀を掴み、刃々鬼を殴り飛ばす。そして音撃撞を支えに立ち上がると、身体に突き刺さった忍者刀を放り投げた。さらに八津裂鬼からは怪光線が放たれ、刃々鬼たちを焼き払う。
「その姿は……!」
立ち上がった八津裂鬼は左腕が再生していた。否、火砲を束ねたような姿に変わっていた。さらに腋の下からは新たな両腕が生えており、その形状は大剣と棍棒そのものだった。そして、切り裂かれた首元からは新たな顔が生えていた。それらは全て陸腑五将「真滅王」の物だった。二つの顔、四本の腕を携えて、八津裂鬼は刃々鬼と対峙する。
「分身はお前だけの専売特許じゃねぇ」
八津裂鬼本人を追い詰めた圧倒的な破壊の行使は、無数の刃々鬼を貫き、切り裂き、打ち据えた。だが、その数は一向に減らない。少なくない人数を倒した手ごたえはあるが、ここまでの数となると、「本物」の刃々鬼を倒さない限りどうしようもないのだろう。そう八津裂鬼は予測した。
(本物の刃々鬼を見抜くにはどうするか……!これだけの規模の忍術の使用、特に『星辰写し』は頭領秘伝の忍法だ。それを使う個体にだけ特有の何かがあるはずだ……)
そう考える間にも、刃々鬼の攻撃は矢継ぎ早に浴びせかけられる。少なくとも、これまで殺してきた奴に本物の刃々鬼はいない。そこに転がっている骸と、今戦っている鬼の違いは……!
(体温!肉体変形の有無にかかわらず、これだけの数の兵隊を動かし続けるにはとにかく思考を一番にする必要がある。そしてそのためには心臓から全身に血を送り込んで頭を活性化させなくちゃなぁ。そうしたら絶対に体温が上がる!賭けだがこの中で一番体温が高い奴は……)
八津裂鬼は天衣の蛇を動かし、そちらの感覚で周囲を探る。温度に、温度にだけ集中し探るのだ。あくまで微々たる変化。だがわずかに体温の高い個体が一人だけいた。
「……見つけた!奴だ!」
ある一点を目指し、八津裂鬼は走る。それを阻まんとする無数の刃々鬼を四本の腕でなぎ倒し一心に走る八津裂鬼。その眼前には最も体温が高い刃々鬼がいた。刃々鬼は接近に気づくと跳躍し距離を取る。だが、それを逃がすまいと顔から怪光線が刃々鬼目掛けて放たれる。忍者刀で防御する刃々鬼だが、空中で体勢を崩し地面に倒れる。その隙を逃すまいと刃々鬼に飛び掛かる八津裂鬼。
「お前が『刃々鬼』か!?」
「だったら何だ!」
「いずれにせよ死ね!」
八津裂鬼は倒れた刃々鬼の顔面に音撃撞を叩きつけた。ごきりという異様な感覚と共に鬼石は顔面を貫き地面にまで達し、刃々鬼の顔面は下顎を僅かに残し完全に潰れてしまった。それと同時に、周囲の刃々鬼達も動きを止める。間違いない、この個体こそが本体だったのだ。
八津裂鬼は改めて刃々鬼の潰れた顔を見る。だがその残された下顎は確かに嗤っていた。その表情に気づいた八津裂鬼だったが、刃々鬼の身体に更なる変化が起こった。ただでさえ黒い肉体がどんどん別のものに変わっていく。艶のないその暗い色はまるで火薬。そしてその変化は周囲の刃々鬼の身体にも伝播していく。
「……こいつまさか!」
瞬間、八津裂鬼の視界は閃光に覆われた。
本体の刃々鬼の身体の体温が高かったのは「起爆装置」を忍術により体内に内蔵していたからだった。そして忍術により乗っ取った人々にも同様の仕掛けを施していた。そしてその装置の起動は刃々鬼自身の死が引き金となっていた。刃々鬼はむざむざ殺されるために一人で鬼港に先行したのだ。強大な爆発による飽和攻撃を仕掛けることにより、肉体を自在に変形させる八津裂鬼がどのような対策を取ったとしてもを確実に殺すために。そんな作戦を思いつくのは、同種の忍術を深く知っていないと不可能な事であった。音撃鐘により閉鎖された空間全てを爆発が嘗め尽くした。ざっと百五十人以上の人間と同質量の火薬による爆発による損害は、もはや大規模な戦と同程度と言っても過言ではなかった。音撃鐘が縮小し、その覆いが解かれた後には、何もかもが残されていなかった。
ハイユキら陸連船団の生き残りが、かつて鬼港と呼ばれていた場所にたどり着いたのは、それから数日が経ってからのことだった。街は丸ごと消滅していたが、外れにあった廃寺は音撃鐘の覆いの外にあったためわずかに残されていた。そこに八津裂鬼の音撃鐘・覆滅の残骸が残されていたのは、音撃鐘の素材となった鐘が、その寺に安置されていたものというから偶然ではないだろう。その残骸をハイユキは拾い上げると、胸に抱えて泣いた。ただひたすらに泣き続けて、泣き続けた。陸連船団はこうして壊滅したのだ。彼らの略奪の生活はここに終わりを告げた。
だが、そうは言っても命がある以上、彼らは生きていくしか道はなかった。あの船の上で生き延びることを自分たちで決めたのだから。彼らは住んでいた港町を復興しようと決めた。刃々鬼の襲撃を逃れた街の僅かな生き残りとも軋轢があったが、魄日の取り成しで大きな衝突には至らなかった。これまでは支配する者とされる者、という大きな分断があった彼らだが、相手を知り尊重し、共に同じ目標を持ち働くことで、その関係性は次第に良好なものへと歩み寄りを見せていた。鬼であるとか人であるとかそういう違い以上に、共同体の仲間という一体感が彼らの中に生まれていた。人は他者を迫害する時もあれば、同様に受け入れる時もある。それらは二元的なものではなく、時によって変わる。ただ、互いを尊重しあう気持ちが共に生きていくときに重要だったのだ。刃々鬼や八津裂鬼のように自己を押し付けるのではなく、相手をちょっと考えること。それを皆が自然に行うようになれば、次第に変化が生まれてくるのだ。
数年経ったある日、ハイユキは魄日の元を訪れていた。魄日は廃寺に住み着き、八津裂鬼により壊された所を復元しながら犠牲者の供養を行っていた。ハイユキは街の皆を束ねる長として、日々仕事に追われている。
「……結局、その身体のままね。一応、元の身体に戻すってのが目的だったと思ったけど」
ハイユキが魄日の身体を見る。魄日の身体は元と変わらぬ半人半鬼のままだった。だが、その身体を以前のように隠してはいない。その姿のまま人々と交流していた。
「ええ。でもこの身体は『どちらでもない』のではなく『どちらでもある』。ですので以前感じていた不安感はもうないですよ」
「流石坊さんは立派だわ」
ハイユキは音撃を自在に扱えるようになり、八津裂鬼の代わりに魔化魍から街を守っている。これまで接触のなかった他の音撃戦士とも交流を持つようになり、音撃戦士として研鑽に励んでいる。
「初めてここに来た時を覚えていますか?あの時はヤツザキさんやヒタキさんもいて」
「あー懐かしいね。確か坊さんとヒタキが手合わせしたっけ」
「そう、あの時街に戻るときにヤツザキさんが『帰ろうぜ』と拙僧に手を差し伸べたことを今でも覚えています」
彼らの間を風が吹き抜ける。
「帰れる場所があるとは、幸せな事ですね」
魄日の言葉に、ハイユキは無言で頷いた。彼らの視界には、復興の進んだ街並みが眩しく映っていた。陽光が優しく彼らの未来を照らしていた。
「クッソー!あの忍者め、口ほどにもないやんけ!」
突如暴れ出した八津裂鬼の右腕は橅森の部下を壊滅させ、橅森自身も喰われようとその鬼面を近づけてきたところで、遠くから聞こえる爆音と共に動きを止めていた。辛うじて生き残ったのは橅森ただ一人。彼はとぼとぼと満身創痍の姿で領地へと戻っていた。
「そもそも鬼相手の仕事を外注したのが間違いやったんや。独自に鬼を編成した、意のままに動く部隊を作っておけばこんなことにはならんかったはずや!」
木の枝を杖にし足を引きずりながら歩く橅森。ようやく越えた山の下り坂の先に、彼の領地がある。
「そうすれば『おれ様』も……。いや、鬼の力の部隊なら、その力で人殺しをすればええ!いずれ戦乱が日本全土に広がる……。備えておかな!」
橅森の後姿は小さくなり、いつしか下り坂の奥へと消えた。彼の発言通り、日本全土を戦乱が包む時代の到来はそう遠くはない。その中で大名「橅森家」は鬼の力を有した兵団を率い、猛威を振るった。だが、一方で同じ可能性に気づいた他の大名も鬼と化して鎬を削り合ったという。
―完―
・音撃戦士刃々鬼
変身者・ハバキ(八賀 反骨/はが はんこつ) 享年不明
身の丈(身長):7尺3寸(222㎝) 目方(体重):41貫(156kg)
変身アイテム
変身音叉・音真(おんま)
音撃武器
音撃棒・新星(しんせい) 音撃鼓・悪食(あくじき)
特殊装備
鳴刀・音叉剣
音撃忍者刀・経刃(ぎょうじん)
特殊技能
八賀忍法・星辰写し(せいしんうつし)
八賀忍法・佰捌変化(ひゃくはちへんげ)
必殺音撃
音撃打・破壊大王(はかいだいおう)
忍者集団「八賀忍軍」の頭領。戦乱の世において独自の進化を遂げた忍法「八賀忍法」の使い手。相手の精神を自らの顔として貼り付けることで個人情報を複製する八賀忍軍頭領秘伝の忍法「星辰写し」を持つ。また音撃忍者刀から発生される音波を鍵に細胞を組み換え、自在に他者へと変身できる忍法「佰捌変化」の使い手。これは使い手が抜け忍となった八賀忍法「骨肉自在の術」を改良したものであり、八賀反骨自体が忍法ごと再生産された使い手。この二つの忍法を組み合わせることで完璧な変装を可能としている。また、これらを他者に使うことも可能であるが、単に八賀忍軍頭領刃々鬼としての姿と能力のみが他者に被せられる。
八津裂鬼の顔を複製した場面が多く、彼と同様の荒々しい口調や残虐なでの会話を行っていたが、八賀忍軍頭領は「心」を有しておらず、周囲環境や忍法により複製した人格から計算された応対を行っているだけである。
北方鎮護大名橅森からの命を受け、陸連船団の討伐に赴き、魔化魍や陸腑五将、人々を巧みに使い大団長八津裂鬼を殺害することに成功するが自らも落命する。
八賀反骨落命後の八賀忍軍は、別の人物が頭領を継承し、まだしばらく歴史を紡ぐことになる。
・音撃戦士八津裂鬼
変身者・ヤツザキ(薬師寺 保邦/やくしじ やすくに) 享年30歳 男性
身の丈(身長):8尺6寸(261㎝) 目方(体重):75貫(281kg)
変身アイテム
変身音叉・音錨(おんびょう)
音撃武器
音撃撞・国崩(くにくずし) 音撃鐘・覆滅(ふくめつ)
特殊技能
八賀忍法・骨肉自在の術
特殊装備
体内に格納した無数の音撃武器
陸連船団謹製鬼類同然武装集合一式
呪物・八津裂鬼の右腕
必殺音撃
音撃衝・狂瀾王牙(きょうらんおうが)
音撃衝・天地崩し(てんちくずし)
鰐の面を戴く鬼。全身に蛇のようなものが巻き付いている。天衣を纏った天部像を思わせる鎧姿。腰鎧は呪術により変化した音撃鐘であり、音撃を放つ際にはこれを外しバックルと合体させることで巨大な鐘の形になる。
室町時代の賊の頭領。容貌魁偉の大男。性格は豪放磊落で仲間とみなした相手には優しい。南蛮混じりの言葉で話す。いわゆる海賊であるが、元々は忍者集団「八賀忍軍」に所属していた抜け忍。八賀忍軍に不要な「心」が芽生えたことで脱走、鬼として力を振るっていた。そんな中いつしか周囲には社会に馴染めない被差別階級や社会的弱者が集まるようになる。それらを盗賊団としてまとめ上げ組織的な略奪行為を働くようになるが、その中でこうした人々の受け皿が必要であると考えるようになる。その中で卑怯で弱い人間が数に任せて強者を支配するような社会は間違っており、強者である鬼による生活圏を作ることが重要であるという思想に行きつく。無論それの対象には自らに集まってきた人々も含まれており、鬼である自分が強いからこそ自己を通すことができるのであり、強くなることを周囲にも強制する。その思想から鍛え上げられた鬼の力により既存国家の転覆を企てていた狂人。
その肉体の正体は、八賀忍法「骨肉自在の術」により全身を自在に変形できる存在。全身に様々な音撃武器を格納した、いわば「生きた音撃武器格納庫」。音撃撞の鬼石は十和田火山の地下で長年鍛えられた霊力の高いものであり、その力を扱いやすくするために常に布により覆われている。
その略奪行為が権力者を悩ませ遂に八賀忍軍による討伐対象となる。八賀忍軍頭領刃々鬼との決戦では全力を出し彼の頭蓋を破壊するまで追い詰めるが、その身を挺した自爆の道連れとなる。