響鬼偽伝 まつろわぬ鬼   作:EpoMeta

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八之巻「渇く鬼」

 厳しい修行の末に鍛え上げられた異形の五体と、特殊な楽器である「音撃武器」から放たれる清めの音で人を喰らう怪物「魔化魍」と戦う「鬼」たち。その鍛え抜かれた身体能力と精神力を以て、人々を守るために戦うのである。

 だが、彼らを脅かすのは何も魔化魍だけではない。本来守るべきはずの人間からの好奇の視線、謂われなき悪意ある攻撃、差別、迫害……。それらは鍛え上げられたはずの鬼の精神にさえ悪影響を及ぼし、時には苦悩させその心を壊してしまう。彼らはいかに鍛え上げられた異形の外見をしていても、その心まで怪物というわけではない。人々と同じように悩み迷う存在なのである。それを理解していない悪意ある一部の人々の脅威から鬼たちは自らを守らなくてはならないが、しかし守るべき人々に手を上げるという矛盾が生じる。そこで鬼を守るためにそうした脅威と戦う、闇の役割の鬼たちが生まれた。彼らは人間を守るために戦う、という意味では他の鬼たちと同じだが、その守るべき人間の中でも特に「鬼」である人間を守るために戦い、その手段を選ばない。そうした汚れ仕事専門の鬼たちは、時に本来ならば守るはずの一般の人々とさえ戦う場合がある。

 

 東北某所の山間部に位置するとある廃村に、本来ならば出現しないタイプの魔化魍の出現兆候があり、その調査に向かえという指令がオノノキとカッキに下った。魔化魍はその種類それぞれに適した生育環境があるのだが、しかしいつでも同じような魔化魍が同じ場所に出現するとは限らない。特に近年の異常気象は魔化魍生育環境を容易に変化させ、従来想定されてきた魔化魍出現予測を次第に外れさせている。そのため、従来の予報から外れた魔化魍が容易に出現する事例が数多く生じている。さらには、従来の記録に残っていないような魔化魍の出没さえ起こりうるのである。そうした未知の相手に対する初動調査として、熟練の鬼が駆り出されることは珍しいことではない。オノノキら「象」の鬼もそうした任務を行うことがある。

 オノノキはハンドルを握り道路を運転していた。雨に濡れた路面をタイヤが駆ける。眼鏡の奥の視線は鋭く眉間に皺が寄っている。ハンドル越しに彼女の手に路面の振動が伝わってくる。彼女の隣に座るのはカッキだ。その右手には缶ビールが握られており、足元には空き缶がいくつも散らばっている。車が揺れるたび、金属同士が触れあう小さくも高い音が車内に響いた。

「あー、見たかい?今回の魔化魍の情報」

 手にした缶ビールを飲み干すと、カッキはオノノキに話しかけた。その問いかけにオノノキは正面を見ながら答える。

「一応。移動が素早く、人型に近い体形に黒い体色。けど童子や姫じゃない。夏の魔化魍だとしても季節外れ。出没地域も人間の住処にそれなりに近いことから、多分童子や姫を介さず単独で行動できるタイプ」

「いいねぇ。そこまで分析できてるならもう既知の魔化魍でしょ」

 そう言いながらカッキは微笑むと、手にした空き缶を握りつぶした。それに渋い顔をしながらも、オノノキは続ける。

「けど絞り切れないです、そこから。太鼓が有効なのか管か弦か。現地で確認しないことには」

 車がカーブに差し掛かると、オノノキはスピードを落としハンドルを切った。空き缶がカラカラと音を立てる。

「オノノキちゃんは武器が選べていいねぇ。ほらボクはさ、そのどれも苦手だから」

 そう言うと、カッキは両手を上げておどけて見せた。オノノキはそれに苦笑いで返す。オノノキが音撃鼓、音撃管、音撃弦の三種に精通しているのはどのような魔化魍にも対応できるように備えているというのもあるが、秘密任務を行う際、メンテナンスがしやすくなおかつ他の鬼が使っている武器と同様のものを使うことで自分の正体に繋がる手がかりを少なくしているという実利的な要因もある。だが、カッキが扱う音撃武器と同様のものを使う鬼は極めて少ない、よって使っている武器がばれてしまえばすぐカッキにたどり着いてしまう。そして、様々な魔化魍と戦わなければならない鬼として、使い手の少ない武器たった一種のみに特化した鍛錬は決して望ましいものとは言えない。

 オノノキは以前一度だけ、それらの音撃武器をカッキが扱っていたところを見たことがあった。太鼓を鳴らせば音が軽く、管を吹けば空気の音だけが、弦を引けば蚊の飛ぶような弱々しい音が鳴るだけだった。「楽器の才能ないんだよね、ボク」と当時カッキはぼやいていた。だからこそ、楽器の才能がないカッキが五十代近い現在に至るまでずっと鬼としての第一線に立ち続け、かつ表にできないような闇の仕事に長年従事しているというのが、不思議を通り越してもはや異様だった。

「いないんですか、親戚の人に音撃武器が得意な人とか」

「ボク以外全員かな、鬼になってる親戚とか先祖は皆音撃武器普通に使えるらしいよ」

 カッキこと「神室 勘治郎(かむろ かんじろう)」は、優れた音撃戦士を代々輩出し続けてきた家系「神室家」の出身だ。流石に宗家や七座一門、西の名門である祝部家などと比べると歴史や「格」の点では劣るがそれでも由緒ある家系の一つである。日本各地の猛士支部においても神室家出身の鬼たちがカッキ以外にも活躍している。そしてその中には「象」による処理の対象になった鬼もいた。

「まあボクも歳だし、今更他の武器ってもね」

 そう言うとカッキは窓の外の景色に目線をやった。オノノキも特に言葉を返す様子はなく、車内に空き缶が小刻みにぶつかる小さな音だけが響いていた。

 しばらくすると、車はトンネルに差し掛かった。車内に薄明るいオレンジ色の光が入る。

「ここを抜けたら目的地の煤ヶ澤村だ。いや、合併したから今は町なのかな」

「……隣町と合併したので、今通ってきた道と同じですね。自治体としては」

「そうなんだ、合併して土地だけ広くなって人口はどんどん減っていくねぇ」

 会話をしている間に、車はトンネルを抜けた。恐らくは市町村界を示すカントリーサインが掲示されていたであろうポールが看板のみを外され寂しく立っていた。少し奥には「森と炭の里 煤ヶ澤村」と表記された大きな看板が錆びつき崩れ、ツタに覆われた状態でぼんやりと立っていた。それらの様子からしばらく手入れがされていないことが容易に見て取れる。恐らくは、合併の際に撤去する予算もなく、辛うじてカントリーサインのみは外されたのだがそれ以外はそのまま放置されてしまったのだろう。看板に描かれた山の風景は内側から錆が染みだし、大自然の雄大さを描いたのであろう往年の姿は見る影もない。「スス」という文字と炭焼き小屋を意匠化した村章がツタの隙間から覗いていた。ちらとオノノキはそれらを視界の隅に見止めると、特に構うことなくアクセルを踏み、車を進めた。

 

 「煤ヶ澤(すすがさわ)村」は合併の際に某県某町に吸収合併され、現在では煤ヶ澤地区としてその名を残すばかりである。往年は木炭製造と農業生産を背景に繁栄し、小学校などの教育施設や病院も独自に持つほどの急成長を遂げた村であったが、技術進歩により日頃利用される燃料が石油や天然ガスへと転換していくにつれ財政は傾き、また都市部への交通アクセスの不便さから人口自体も減少していった。合併間近の末期には財政は大いに悪化し、廃校となった校舎も村で取り壊すことができない程であった。今ではこの村に住む人間は少なく、隣接する他自治体近くにへばりつくように住んでいる状態であった。往時の主要な市街部などは取り壊されることなく無人状態の廃屋のまま、大自然に次第に取り込まれているような状態である。その様子は、合併前後で住宅分布の状態が逆転したようであった。

 猛士の現地支援要員「歩」が住まう家もそうした旧村の外れにあった。トンネルを抜けてしばし運転した先にあった。オノノキは砂利道を徐行して運転し、車を家の庭の方に向けて進めた。車のエンジン音に気づいたか、庭で作業を行っていた老人が立ち上がり、車の方に手を振った。

「やっほー、鮎川(あゆかわ)のじいさん。元気してた?」

 オノノキが車を停めると、車から降りたカッキが老人に向けて手を振り返す。老人もゆっくりと彼らに向かって歩いてくる。

「おおカッキさんか!いやぁ久しいのう。『飛車』をやっとるうちの孫は元気か?」

「光吉(みつよし)くんねぇ。ボクとはなかなか一緒になる機会がないからたまにしか顔を合わせないけど元気だよ」

「それは良かったで。最近はまるで連絡もよこさんから」

「年頃なんでしょうねぇ」

 歓談するカッキと鮎川。彼らはカッキが通常の鬼として猛士東北支部に所属していた時以来の再会だった。しばしカッキとの再会を喜んだ鮎川に、車から降りてきたオノノキが声を掛けた。

「こんにちは。良かったですか、車」

「あぁ、そこに停めてもらって大丈夫ですよ。ところで初めましてですね。鮎川です。あなたも鬼の方で?」

「オノノキです、よろしく」

 そう言うとオノノキは鮎川に向け手を差し出した。鮎川はそれに応じ握手する。

「何はともあれ疲れたでしょう。ささ、どうぞ上がって」

「それじゃあ、お言葉に甘えるとしますかねぇ」

「お邪魔します」

 鮎川の言葉に促され、オノノキとカッキは彼の家の中に入った。玄関には踏み台が置かれ、下駄箱には手すりが後付けされていた。鮎川は家の奥の座敷に彼女らを案内した。普段ならば親せきらが来た時に泊める部屋なのだろう。部屋は片付いていたものの、一角には合併後の街の広報がチラシに混じって積み上げられていた。奥の方には仏壇があり、鮎川の妻である気の優しそうな笑顔の老婆の遺影が置かれていた。

「女房が逝ってからは一人で色々しなければならんで、あんまり片付いてはいませんが、少しゆっくりしてくださいな。夕方なったら飯の支度しますんで」

「ありがとう。鮎川さんも手伝えることあったらボクたちに声かけて」

「鬼の皆さんにそう言ってもらえるだけで嬉しいですわ」

 そう言うと鮎川は農作業へと戻っていった。その後ろ姿をオノノキたちは見送ると、畳が敷かれた床に腰を下ろした。畳の香りが彼らの鼻腔をくすぐる。

「……少し休みますか」

 オノノキがそう声を掛けた時には、カッキは既に座ったまま寝息を立てていた。

 

 夕日が山の裾に沈みかけた頃に、オノノキとカッキは鮎川と共に食卓を囲んでいた。あまり凝った夕食ではないと鮎川は少し申し訳なさそうに自嘲していたが、暖かなご飯に自宅でとれた農作物を使った具だくさんの汁物は美味であり、カッキは何杯もおかわりしていた。その食事中、オノノキらは鮎川から未知の魔化魍についての話を聞いた。

「最近は近隣の町とかでも行方不明の人が増えてるもんで、そこで山ン中に入ってみたら確かに獣でもない痕跡があったり、ホトケさん出てきたりでおそらく魔化魍の仕業だと」

「いやぁじいさんにも苦労掛けたね。ボクたちの前にも誰か来た?」

 カッキの問いかけに鮎川は少し考える様子を見てから答えた。

「隣町の方で長年『歩』をやってる人らが一回来たっすな」

「ボクたちに報告してくれた人だねぇ」

 カッキが汁物の器を食卓に置き頷く。オノノキは静かに彼らの話を聞いていた。

「その魔化魍はその人らも初めて見るもんで何ともわかりませんが、夕方とか夜とかに出てるみたいです。一匹だけで田んぼの中とかうろうろしてるのを車から見かけたって人も」

「……人里にそこまで下りてきてるんですね、結構」

「いんや、もう人里と言っても誰も住んでねえ廃村で、ここからも車で三十分以上かかります」

「昔の庁舎近く、でしたっけ。確か」

「オノノキさんの言う通りです。けどいい思いはしないっすわ、やっぱ人が住んでたとこに魔化魍出るのは」

 そう語る鮎川の表情は暗い。彼は昔からこの村に住んでおり、かつて村の中心部だった学校にも通っていた。そんな村が廃村となり、今では魔化魍の巣窟というのは彼にとって決して看過できぬものであった。

「大丈夫ですよぉ、じいさん。ボクたちがその魔化魍倒しますから」

 酒を呑みながらカッキは鮎川に微笑みかけた。そして彼の肩にそのごつごつした手を置いた。鮎川はその行動に安堵した表情を浮かべる。

「オノノキちゃん!何だと思う?今回のバケモン」

「突然振らないでください、カッキさん」

 カッキの問いかけにオノノキは目を伏せて考え込む。彼女の脳内では、魔化魍について記した無数の資料が絶えず行き交っていた。少しの沈黙の後、オノノキは重々しく口を開いた。

「……目撃されたのが童子か姫だとしたら『ヤマノケ』が近いけど、一匹だけなら違うと思う。『カミキリ』だとしたら小さすぎる。それか『イキリョウ』かいっそ『クネクネ』」

 何にしても絞り切れない、とオノノキは悩んだ表情を見せると、外見上の特徴についてさらに鮎川へと尋ねた。

「つっても、車から見たとか遠くから見たとかいう人ばかりだ。とにかく黒くて影みたいな姿だってのと、何か帽子みたいな被り物してたらしいですわ」

 そこまで言って、何かわかりますかと鮎川はオノノキに返した。

「すぐには分からないけど、明日式神を放って考えてみます。私の方でも」

「そうですか……」

 少し残念そうな表情を鮎川は浮かべた。食卓をカッキが酒を飲み干す音だけが響いていた。そこでふと思い出したように鮎川が口を開いた。

「そうだ、最近変な人の出入りが増えたんですよ。道路も他県ナンバーの行き来が急に見られるようになって。知っての通り、こっから奥行っても潰れた村しかないですが、何か廃墟ブーム?とかなってるんですかね」

 その言葉にカッキとオノノキの表情が変わった。

「……オノノキちゃん、『人間』ってことはないかい?」

「ゼロじゃない、と思う。何かのために廃村に来て『行方不明』にしてるとか。だとしたら犯罪者が相手」

「犯罪者でも変わらないねぇ。ボクの場合どっちも殴ればいいだけだからさ」

 顔を見合わせて物騒な内容を話し込むオノノキとカッキに、鮎川は驚き焦った様子を隠せない。

「犯罪者って……。鬼の皆さんは魔化魍と戦うものだと」

 不安げな表情を見せる鮎川の声に気づくと、カッキは振り向き優し気な笑みを見せた。

「なぁに、大丈夫ですよぉ。ボクらはじいさんたちを守るために戦うんですから。ねぇ、オノノキちゃん」

「……もちろんそのつもりです」

 カッキの言葉にオノノキも静かに頷く。その態度に鮎川も多少安心したようで、表情を緩め汁物を啜った。

「夜に活動するならもう始めた方がいいかもしれないですね、調査」

 オノノキが口を開いた。既に完食された食器はまとめられている。その言葉にカッキは無言で頷いた。

「もう出るんですか?もう少し休んでからでも」

 その鮎川の申し出をカッキは静かに断った。

「ありがとう、じいさん。だけどボクはさ『人間』相手だとしたら我慢できないんだ。人間は魔化魍と違って、殺そうとしないと相手を殺さないんだから」

 その言葉を残してカッキは席を立った。それを追うようにオノノキも立つと、ごちそうさまでした、調査が終わったらまた戻りますと告げ部屋から去った。その二人の後姿を鮎川は不安げな眼差しで見送った。

 

 車に乗り込んだ二人は、道をハイビームのライトで照らしながら車を村の中心部へと進ませた。月明かりのない夜は、鬱蒼とした森の茂みも相まってどこまでも暗い。長らく整備されていないであろう、ボロボロの道路のラインだけが道を示す頼りだった。

「人間相手だと魔化魍ほど鋭く気を察知できない。頼りになるのは鍛えられた五感だけだねぇ」

 助手席に座るカッキの瞳が窓越しに外を観察する。絶え間なくその眼球は動き、戦うべき敵を探していた。オノノキも運転しながら周囲の様子に気を配っていた。村には信号機がない。そのため交差点に入るにも急な事故を防ぐために注意が必要だった。しばらくオノノキが車を走らせていると、一際大きな建物の近くに車を停めた。

「……着きました。ここなら広いし村の中心部に近く、動きやすい」

「……ここが鮎川のじいさんの母校だねぇ」

 車から降りたカッキは目の前の建物を見上げながら呟く。大きく聳え立つそれはコンクリートで作られた壁に大きな窓、設置された大きな時計が目立つ小学校の廃校だった。しかしその壁は木の蔦が全面を覆っており、窓は所々割れてしまっている。校庭に残された遊具は錆びて塗膜が剥がれ落ち朽ち果てていた。その様子から見ると、廃校となってからはまるで手入れはされていないようだった。

 車に鍵をかけると、オノノキとカッキはグラウンドに立った。カッキは軽くストレッチを行い体をほぐした。

「とりあえずディスクアニマルをばらまいておこうか。何かあった時に伝令にもできるし」

 そう言うとカッキは手元にあったディスクアニマルを手慣れた様子で起動させ周囲の暗闇に放った。色とりどりのディスクアニマルたちは瞬く間に夜の闇へと呑まれていく。その姿を見送ったカッキはオノノキの方を見やる。

「さて、今度はボクたちの番だ。正直ディスクアニマルは当てにならないから、この村の中の『人間らしい』音に耳を傾けてみよう」

 例えば、鹿やクマのような野生動物の足音と人間の足音は当然違う。重心の取り方、靴による違い、服の布同士が擦れる音、といった人間の「特徴音」がある。だが、それらの音は魔化魍の出す特徴音とは異なり非常に微細で消え入りやすい。単純に魔化魍の方が人間と比較し圧倒的に巨大な分、いかに魔化魍側が気を遣ったとしても行動に伴う音は大きくなってしまう。一方では、背丈体格共に人間にほど近い童子や姫は、その行動に伴う音は人間にほど近い。そのため、一般的な鬼ならば大きく捉えやすい魔化魍の特徴音に注意することで魔化魍の位置を掴むのである。わざわざ小型の人型の音を掴もうとするのは、魔化魍退治の観点から考えると、高度な技術やカンを要求される割には成果に繋がらない、極めて非効率的な行為である。

 だが、この技術が役に立つ場面が稀にある。それは鬼が独力で「人探し」をする際だ。ディスクアニマルや外部からの助力に頼れない状況で遭難者を探す場合などには、鬼の並外れた感覚を用いて広範囲から助けるべき人を的確に見つける必要がある。その際にはこの技術が役に立たないわけではない。最も、現代では衛星測位やヘリコプターといった様々な技術が発達しているので、鬼一人でそうした人探しを行う機会というのはまずありえないと言える。最も、特殊任務を生業とするカッキにとってその程度は造作もなく、集中するオノノキに対し彼はゆっくりを目を閉じるとすぐさま特徴的な気を探り当てた。

「……?」

「予測が外れたねぇ……。これは魔化魍だ」

 そう言うが早いか、カッキは小学校の裏山へと駆けだしていった。慌てた様子でオノノキはカッキを追いかける。膝ほどの高さまで繁茂した雑草をかき分けながらオノノキは口を開いた。

「魔化魍、ですか?」

 草木の間をすり抜けるように走りながらカッキはオノノキに返す。ようやっと彼女は魔化魍の気配を捉えたところだ。

「うん。童子や姫じゃないけど、大きさはそれぐらい。百から二百メートルぐらいの近くに人間も二人いるみたい」

「え、すご。そこまでわかるんですか」

「まぁ慣れだよ慣れ。お酒も入って調子いいし」

 そうカッキは言うが。彼は一日中酒を呑んでいる。今日に限らず、カッキは常に業務中でも飲酒を続けている。単純にベテランだからという理由でお目こぼしをされているのだが、飲酒のため単独行動に向かず長距離移動の際には常に誰かと一緒でないと行動できないのだ。そうまでして飲酒を続ける理由を、カッキは単に好きだから、という以上のものを用意してはいない。

「だけど相手さんも素早そうだ。早くしないとやばいかもねぇ」

 カッキはさらに走る速度を上げた。オノノキもそれに追従する。全くの灯りのない真っ暗闇の中を、カッキらは難なく駆け抜けていく。その様はまるで宵闇を吹き抜ける突風のようだった。

 

 随分と裏山の森の中に入り込んだところだろう。カッキの双眸が一際邪な気を放つ影を捉えた。そしてその近くにはひたすら逃げ惑う二つの人影があった。もつれる脚を無理やり動かし、邪悪な影から一歩でも遠くに離れようとしている。だが邪悪な影は音もなく彼らに近づき、とどめを刺さんとその腕を振り上げた。

「待てぇ!」

 叫び声とも言える、気迫を伴った大声と共にどこからか火の塊が何発も飛来し、燃え盛る炎が邪悪な影を嘗め尽くした。その高熱にその場にへたり込んだ人影は目を瞑った。

「大丈夫かい?」

 その声に彼らは恐る恐る目を開けると、燃え盛る異形を前に自分たちを守るように一人の男が立っていた。タオルをねじり鉢巻きのように巻いた頭、口元には伸びるに任せた髭を蓄えている。

「……やけに荷物が多そうだけど、立てる?」

 今度は背後から声がした。女の声だ。振り返ると金髪のメッシュを入れた背の高い女が立っていた。眼鏡のレンズが燃え盛る炎を反射し、その奥にある瞳の表情をうかがい知ることはできない。ただ怜悧な声が彼らの耳に鋭く入り込んでいた。

「オノノキちゃん!コイツ何か分かる?」

 髭面の男、カッキが背後の眼鏡の女、オノノキに声を掛ける。オノノキは逃げていた二人を立たせると、カッキの目前で燃えている魔化魍を検分する。黒い身体、笠のように発達した頭部から伸びた触覚、全身を覆うのっぺりと黒い翅、二本の歩脚に四本の腕、合計六つの脚部、猿を思わせる長く伸びた腕は鎌を思わせる攻撃的な形状に発達している。まるで「死」そのものが立ち上がり形象を取ったような不気味な姿。その異形はゆっくりと死神の鎌のような腕を振りかぶるとそれを巧みに振り回し全身の炎を吹き飛ばすと、宙に舞う炎が甲皮と翅に隠れた複眼を照らした。煌めくそれはすりガラスのようで全く表情を読み取ることができない。

「……まさか『ゴキカブリ』?文献でしか見たことない、稀少種。多分」

 オノノキは立ち上がった二人にも注意しながら魔化魍の姿を見やる。散り散りになった炎は宙に掻き消え、黒い魔化魍ゴキカブリの姿を闇の中へと隠した。だが、姿が見えなくなったからと言って存在自体が消えたわけではない。熟練した鬼であるカッキとオノノキは視覚に頼らず、ゴキカブリの存在をしっかりと捉えていた。

「『ゴキカブリ』?聞いたことも見たこともないねぇ。だけどとりあえず……」

 そう言うとカッキは目の端で襲われていた二人の姿を確認した。男女のようだ。寄り添うように立つその姿から、恐らくアベックか何かの親しい関係なのだろう。やや厚手のジャンパーを上半身に羽織り、やや不釣り合いに大きなリュックサックを背負っていた。履いているのは山歩き用のトレッキングシューズではなく長靴だ。その手に握る懐中電灯の明かりは、不安でゆらめきどこともなく森の中を照らしている。

 不意にその明かりが消えた。それを不思議に思った男が電灯を確認すると、それは酸に漬け込んだかのように溶けて壊れてしまっていた。男がその様子に声にならない悲鳴を上げる。ゴキカブリが溶解性の液体を吐き出し攻撃してきたのだ。

「とりあえず逃げる!」

 カッキはそう言うと怯える男女を担ぐようにオノノキに促し、暗闇の中に潜む魔化魍ゴキカブリに注意しながら全速力で山を駆けだした。だが、それを黙って見逃す魔化魍ではない。距離を取ったカッキらの後ろから空気が震えるような不気味な羽音が鳴り響く。その男女は自分の獲物だ!とでも言わんばかりにゴキカブリは宙を駆け彼らを追跡する。振り降ろされる鎌のような腕の連撃や溶解性の液体による攻撃を避けながらカッキらはひたすらに山の中を疾走していた。

「あ、あれは何なんですか!?」

「黙ってないと舌噛むよぉ!」

 オノノキが担いでいた女が不意に口を開きオノノキらに尋ねた。しかし、カッキはそれに答えると一層速度を上げた。

「とりあえず車までいければいいんだけどねぇ」

 木々の隙間を縫うように走りながらカッキは口を開く。その眼球はせわしなく動き周囲の情報を確認していた。不意に、その目が建造物の影を捉えた。大きなコンクリート製のその角が木々の隙間から少し顔を見せていた。小学校だ。小学校ならばゴキカブリの飛翔能力を封じながら、その近くに止めた車まで逃げ切ることができる。ならば、とカッキはオノノキに向かって叫んだ。

「飛ぶよ!オノノキちゃん!」

 その声にオノノキは無言で頷く。彼らは坂の上で力強く足を踏み切ると大きく跳躍し、小学校の三階のバルコニー向けて飛び出した。その勢いのまま、窓枠ごと傾き外れた窓ガラスから彼らは学校の中に突撃した。だが。

「……マズっちゃったかも。ここが相手さんの巣だねぇ」

「戻ったら上層部経由で進めてもらいましょう。廃校の解体」

 廃校に入り込んだ彼らがまず気づいたのは鼻を突く強烈な腐臭混じりの悪臭。足元に転がる小型動物だけではない骨。天井から垂れ下がった朽ちた木材からは何とも知れない汁が垂れている。そして彼らの耳には、学校に侵入してきた魔化魍ゴキカブリが窓ガラスを割った鋭い音が廊下を渡って聞こえてきた。

 

―続―

 

・魔化魍ゴキカブリ

 身の丈(身長):7尺5寸(2.27m)

 目方(体重):60貫(225kg)

 特色/力:高速移動能力、鎌状の腕、溶解性の液体の放出

 黒い身体に触覚を持つ、立ち上がったゴキブリのような姿をした魔化魍。足や翅を用いての高速移動を得意とする。また、溶解性の液体を放出することが可能。戦闘においては鎌のような形状に発達した腕を武器とする。出現事例に乏しい希少な魔化魍だが、その数少ない事例においては、山野や海などの一般的に魔化魍が生育に好む環境ではなく、村や町など人間の生活圏近くでの出現が確認されている。

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