最強勇者パーティー(9割マザコン)から追放された賢者(みんなのお母さん)ですが、皆が中々、母離れしてくれなくて困ってます 作:塩ようかん
「…………!!」
自身目掛けて飛んでくる6つのファイヤボールを見てティアーナは思わず目を見開く
手加減をしては失礼だと思い、対面した時も、杖を構える時も、魔力を込める時も、そして何より決闘に応じた時点で決して油断しなかった。本気だったと言ってもいい
それなのにも関わらずティアーナはアナムに対して先手を取られた。
「(あの速さから、ここまでと魔法の威力と精度のファイヤーボールを六連続で!? 一目見た時から優秀な魔術師だと思っていましたが……若い魔術師もこれほどまでに優秀な子がいるとは………!)」
そして眼前にしてみた事で魔力の流れを肌で感じて理解したアナムのファイヤーボールの完成度は完全にティアーナの予想を超えた物であった
「(流石はあの子、エンシスに部隊長と認めらるのも納得の実力と言うべきでしょうか………)」
しかし、火炎が迫り彼女のきめやかな肌を焦がすような猛烈な熱気を感じても尚、杖を構えるティアーナは冷静さを決して失ってはいなかった
それは彼女が冒険を重ねて来た時間の中での経験からの賜物と
「(この状況は絶対にあの子も見ている。なら、あの子の為にお母さんとして恥ずかしい所を見せる訳には行きません!)」
そして何より、我が子であるエンシスの名誉の為にも情けない姿など決して見せる訳にはいかないと言う母の愛情がそうさせていたのだ
そんなティアーナの決意に応えるように既に魔力が十分に込められていた杖は先端部が風で揺らめく水面のような青い光に包まれる。その瞬間
バシュウゥッッ!!
迫るファイヤーボールに対し轟音と共に放たれたのは同じく魔術としては初歩に当たり、ファイヤーボールと対を成す魔法『5重詠唱』のウォーターボールが放たれる。が、アナムとは違い、放つ瞬間に若干息を整えたもののティアーナは魔法名を呼んでいない。と、言うのも単純に唱える暇が無かったのだ
そもそも魔術戦において魔法名を唱えると言うのは自身が放つ魔法を安定させる為の最後の一手と言うべき手段であり魔法を放つ上では必須の物ではない。が、魔術師にとっては初心者からベテランまで幅広く使う事が多い方法であり、慎重さを重視する魔術師の間では鉄板と言える手段であり、事実そのおかげでアナムのファイヤーボールは威力と安定さ、そして速度の3つの要素の両立を成し遂げていた
そう、つまりこの時点で魔法を放つスピード、放った魔法の安定性共にアナムがリードを取っていた。それは間違いない事実だった。だが
ジュッ
二つの魔法が正面から激突した瞬間、まず聞こえたのは火の付いたキャンドルを水桶に投げ込んだかのような短い音。それは即ち、アナムの放ったファイヤーボールが激突と同時にティアーナのウォーターボールに飲まれたと言う事であり………
バッシャァァァァアンンンッッ!!
「ガハッ!?」
その直後、瞬きするよりも早くウォーターボールが未だに勝利を確信して杖を構えたままだったアナムを大量の水流と共に吹き飛ばし、アナムは身体を襲う衝撃に耐えきれず吐き出すような一声を漏らすと、背中から大地に叩きつけられ、そのまま2メートル程衝撃と水流で引きずられ、そこで漸く静止した
「なっ………!?」
「な、何だ今のはっ!? 何が起きたんだ!?」
「先制した筈のアナム隊長が何で倒れた!? あのウォーターボールはいつ放たれたんだっ!?」
アナムが倒れたのを見て途端、周囲で観察に回っていた魔術師達がにわかに騒ぎ出す。彼等は一様に表情に驚愕と困惑の色を浮かべており、決着が実戦で経験を積んだ一瞬何故アナムが敗北したのかも分かっている様子も無い。事実、この場で一瞬の攻防の最中に何が起こったのかを理解していたのは魔術を放った当人のティアーナと
「(ば……バカな………っ!! 油断など決してしていないっ!! 連日の長時間デスクワークで体調は万全では無いが『紅蓮』の称号を得た私がファイヤーボールを放つのに僅かでも遅れが生じるのもありない!! だが……だが……!)」
「(あのウォーターボールに込められた魔力量! そして魔術防護がかけられたローブを貫通するこの破壊力! 圧倒的過ぎる……! 三流などとんでもない! こ、これではまるでマスターエンシスの魔術に……い、いや……もしや………それよりも………)」
衝撃で未だに目眩が起きている視界の中、どうにか膝を突く不格好な姿で身を起こそうとしつつ、ティアーナの魔術を自らの身体で味わった事で戦慄し、ずぶ濡れの身体で水に濡れた事による物理的な冷えとは別次元の寒気を感じるアナム
そして
「アナム、先程の決闘で君が己の実力を恥じる事は無い。今回ばかりは相手が悪過ぎたのだ。私とて彼女に勝利する事は叶わぬだろう」
そんな穏やかな声が聞こえた瞬間、アナムは俯いていた顔を反射的にあげる。気が付けば自身の身体は春の微風のような暖かな熱気に包まれており、冷えた身体が温まり、ぐっしょり濡れていた緋色のローブも次第に乾いていくのを感じていた。
「紹介しよう、彼女こそは大賢者ティアーナ。この私、エンシスの魔術の師でもある女性だ」
一体いつからこの場にいたのか、いつアナムに服を乾かす程度の穏やかな魔術を使ったのか、それすらも集まった多くの人々には分からない。ただ、夢でも見るように彼の肩まで伸びた白髪の髪と、額から伸びた一本の角、そしてマスターの証しである漆黒のローブから覗く竜人族の特徴である鱗のある肌を見ていることしか出来なかった
「彼女は元より強大な魔力を持っていてな、いらぬ揉め事を回避する為に我々としては異質だが己の魔力量を隠しているのだ。……せめて私が信頼する君達には彼女の外見や情報を事前に伝えておくべきだったな。改めて本当にすまない」
そう、彼こそが魔導王国の主にして最高指揮官。そして最強戦力であり王国の基準で最も優れた魔術師の称号である『マスター』の位に着きし唯一の存在
マスター・エンシスがその場にいたのだ
「エンシス、久しぶりですね。あなたの活躍は耳にしていましたよ。本当に立派になりましたね」
「本当に実にお久しぶりです我が師、ティアーナ。こうして再度、貴女のお目にかかる栄誉に浴しました事、感謝しかありません」
ティアーナにそう声をかけられるとエンシスは少しも迷う事なく、微笑みながら膝を付いて恭しく頭を下げながらそう言う。それはさながら高位の貴族や王族に対するような心からの敬意に溢れた態度であり、その行為こそがティアーナがエンシスにとっていかに重要な人物であるかと言う事をその場の誰もが理解できた
「あ、あ、マ、マスターエンシス……わ、私は何たる無礼を……」
だからこそアナムはこの場でだれよりも自身の行動が引き起こした事の重大さを理解し、濡れたローブがとっくに乾いているのにも関わらず顔を真っ青にさせ震えていた
「アナム」
と、そんな中、当のエンシスは視線をティアーナから逸らしアナムに向けるとゆっくり歩みよる。これだけの失態だ、どんな罰が下されるのかとアナムが口を引き絞り、備えていると
「……すまなかったな。君に無理をさせすぎたようだ」
「えっ?」
エンシスの口から発せられたのは謝罪の言葉だった。それも言葉だけでは無い。アナムは目を伏せ、自身より遥かな下の立場であるアナムに頭を下げていたのだ
「君が事務作業に極めて優れていると知って多くの作業を頼んでいたが……私は自分で考えていたより無意識に君個人の能力に頼りすぎていたらしい。アナム、君は1日でやり切れない仕事を終える為に何日か徹夜しているだろう?」
「あの……それは………」
視線を合わせながら言うエンシスの言葉にアナムは何も言い返す事が出来ない。エンシスの言葉は図星だったのだ。現に今日も書類作業を中断して決闘に割いた時間を埋めるべく徹夜を試みようとしていたのだ
「『睡眠不足は判断力を鈍らせる。判断力が鈍れば全てが台無しになる』私が師から教わった言葉だ。………私も過去に睡眠時間を削ってまで修行に打ち込んで大きな失敗をした事があってね。その時にそう言われてたのさ」
そう言うとエンシスは自嘲の笑いを浮かべる。途端、周囲が僅かにざわめく。この王国に暮らす魔術師達が憧れ、完璧な存在と見なす者さえいたマスターエンシス。そんな彼にさえ失敗はあったのだ。当然の事ではあるが当人の口からあえて告げられた事で彼等が凝り固まり出してしまっていた思想に楔が打ち込まれていたのだ
「アナム、君はまだ若い。失敗はいくらでも訪れるものだ。それは宿命てあり必然とも言えるのだろう。だが恐れる事はない、それを経験として反省し、君が成長したいと言うのなら私も、そして君の上に立つ上官達も進んで助力してくれるだろう」
「この魔導王国は互いに研鑽を重ねて成長していく。そのように当初から私が方針を決めただろう?」
「うっ………あっ………」
気付けばアナムは自身の目から大量の涙が溢れている事に気付いた
"何と言う懐の深さ、何と言う慈悲"
既に自身が無礼を働いてしまったティアーナには精神誠意謝罪する事はアナムの中で確定した。が、それを後にしてまで今すぐせずにはいられない事がアナムの中には同時に存在していた
涙と鼻水で濡れた頬を懐から取り出したハンカチで精一杯拭き取り、ローブに付着していた泥と埃をはたき落とすと、エンシスに最大限の敬意をもっと片膝を立てた形で跪く
「はい………我らがマスター………マスターエンシス! 貴方の言葉通りに!」
太陽の光が差し込む中、そう力強く宣言するアナムとそれを笑顔で受け入れるエンシス。それはさながら1枚の絵画のように美しい光景であった
◇
それから数時間後、情報保護の為にありとあらゆる魔術で保護され徹底的に内部情報が漏れないように作られているエンシスの部屋では
「ンンンンッ………マッママアァァァッッ!! ぼっくん………! ぼっくんずうぅーーっとママに会いたかったよおぉぉっっ!!」
「あらあら、エンシスちゃんはまだ甘えん坊さんねぇ……」
昼間の威厳を遥か遠くに投げ捨て、涙と鼻水を垂れ流しながら椅子に腰掛けたティアーナの胸元に盛大に甘えるエンシスの姿があった