お兄様のことが大好きな雨の魔女トネリコ或いは冬の女王モルガン 作:今井綾菜
本当に実感なくて何が起きているのかわからない状態ですがただ一言だけ。
皆さんがこの作品を楽しんでいただけるようにがんばります。
マンチェスターの路地裏に跳躍したトネリコが一番先に聞いたのは妖精たちの悲鳴だった。
路地裏から急いで大通りに出るとログハウスのある小島からでも大きいと思えた厄災の影は更にその大きさを際立たせるようにも感じた。
「アレが……厄災の影。100年に一度あるという厄災の一つ」
思わず、ワンドを握る手に力が入る。
厄災を祓うために必要なのは自身の持つ【選定の祭具】である純白の槍。
おそらく自身の魔術だけでは……ましてや、巡礼の鐘を鳴らしていない制限まみれのこの肉体ではまだまだ届かない。
だから、極限まで魔術で削って槍で祓う。
それしか今は方法がなかった。
大通りから駆け出してすぐに街の外へ、ほんの少しだけ走りにくいと思いつつも全力で駆け抜けてそのまま前方へソールズベリーへとつながるゲートを生成して飛び込む。
そして、ゲートから飛び出したソールズベリー近郊。
「なに、これ……」
そこは一面の地獄だった。
おそらく逃げ遅れた妖精だろう。
オークニーでは聞いたことはあっても見たことはなかった。
お兄様から聞いたところによれば
───それは妖精としての『目的』を見失ったもの
───それは感染する呪いであり
───妖精に対する絶対的な激毒でもある
その名を“モース”という。
視界の先には夥しいほどのモースの群れ。
触れられてモース化していくソールズベリーの妖精達。
そしてその背後に聳え立つ巨大な、巨大な腕のような影。
正直に言おう、今すぐに逃げ出したい。
こんなものに慈愛と勇気を持って立ち向かうなんて冗談じゃない。
心の内から恐怖と絶望が湧き上がってくる。
諦めていますぐにでもログハウスに帰りたい。
ワンドも槍もこの場に投げ捨てて全力で後ろに走り出したい。
でも、
だとしても、
きっかけはなんであれ歩き出したのなら。
『歩き出したのなら、後は進むだけだ』
きっと、私の大好きな彼ならそう言うだろう。
ぎゅっと、武器を持つ手に力を込める。
魔術回路に雫を流す。
迸る魔力と眼前に迫るモースを前にして
「雨よ!穢れを祓え!!!!」
純粋な魔力変換の雨。
オークニーの雨を模したトネリコの代名詞となる雨雲からの雨の矢。
それが数十、数百と迫るモース達を薙ぎ払っていく。
逃げ遅れた妖精を救うように、背後にある都市を護るように。
「我が名はトネリコ……雨の魔女トネリコ・アーデルハイト!厄災の影よ!数多の穢れよ!ここから先は私の名に誓って通しません!」
それは自身を奮い立たせるための口上。
他の誰でもなく、100年前に兄から受け取ったその名を告げることで一歩も引かないという決意の表れ。
蓄えた知恵と戦術、そして勇気。
その全てを使って“雨の魔女”の初陣はここに幕を開けた。
【ソールズベリーの厄災】
とは言ったものの、戦闘を始めて数時間。
トネリコは押し寄せるモースの大群を捌くことが精一杯であった。
時折振り下ろされる巨大な“腕”はモースも妖精も関係なく飲み込んでいく。
“アレ”には敵も味方も関係ない。
そもそも、モースは“アレ”が攻撃した妖精達が勝手にモースになっただけのこと。
ならば、そもそも気にする必要なんて初めからないのは明白だ。
「ああもう!さっさとソールズベリーに逃げ込んでよ!足を止めない!振り向いてる暇があるなら真っ直ぐに走って!」
すでに蓄えた6割以上の広範囲攻撃魔術は試した。
だが、それでもモースの数は減らないどころか増加の一途。
ふざけるなと声を大にして叫びたい気持ちを抑えて広範囲攻撃魔術を多重展開してモースを攻撃していく。
もはや軽い林くらいの大群を目の前にしてトネリコは呆れた声を出すことすら諦めていた。
自身の蓄えた魔術の中から次々と効率的な魔術を検索しては展開をくり返す。
そもそも、群がってくるモースを駆逐したところで“アレ”が存在してる限り巻き込まれた妖精がモース化するのだから大元であるあの影を倒さないことには話は進まない。
「……せめて牙の氏族が少しでもいれば!」
ソールズベリーからオックスフォードまではそんなに遠くはない。
遠くはないけれど、この厄災に立ち向かうために駆けつけるかと言われればトネリコは妖精に対しての不信感もあって期待なんてしていなかった。
そう、していなかったのだ。
「ォオオオオオラアアアアアアアア!!!!」
一つの勇ましい声が、トネリコの横を通り過ぎた。
そして、ひとつ、ふたつ、大地を駆け抜ける音が響く。
「……なんで」
トネリコを追い抜き、次々とモースの大群に突っ込んではその爪でその強靭な肉体で切り裂いていく。
そして何十というモースを切り裂いて自身もその呪いに侵されていく。
「……なんで!そんなの自分たちが苦しいだけでしょう!?」
「我らは誇り高き牙の氏族!モースごときに遅れをとる訳もなし!駆けよ!切り裂け!我らの威光をこの大地に示すのだ!」
部隊のリーダーと思わしき牙の氏族の男がモースへ突撃していく部下達へと檄を投げる。
数百を超える牙の氏族がモースを押し込むのは実に5分もかからなかった。
「女、お前の勇姿実に素晴らしかった。数時間にわたる単騎でのソールズベリーの防衛、我ら牙の氏族の心を震わせた」
「…………」
「だが、あの影を我らは倒せない。だから、お前に頼りたい」
「……私は、妖精は嫌いです。私を頼るなら、命以上の対価をもらいます」
本当は自分1人では無理だとわかっていた。
でも口をついて出たのはそんな言葉だった。
牙の氏族の男はそんな発言に驚いたように笑うと言葉を続けた。
「……それでも構わない。我らは牙の氏族、戦いの果てに散るのならそれは本望だ」
「わかりました、ではソールズベリーの防衛はお任せします。先ほどの言葉、絶対に忘れないように」
「こちらこそ、我が命以上のものを賭けるのなら必ずアレを倒してくれ」
2人の視線がモースと戦う牙の氏族の戦士達に向かう。
そして、その一瞬目を逸らした隙にトネリコの姿は牙の氏族の男の前にはいなかった。
水鏡で転移した先はあの腕の直上。
落下の勢いで叩きつける空気のせいで呼吸がほんの少しだけ苦しい。
魔術を使って弱らせるという手段は使えない。
たった一度きり、失敗は許せない。
左手に握った【選定の祭具】に魔力を奔らせる。
光を纏い、厄災を祓う聖槍が輝く。
戦っていた時間が長かったから気が付かなかったが、明るかった空は既に夕暮れ色に染まっていた。
「…………こんな時に思い出すのもどうかと思うけど、みんなで最後にお茶会した時もこんな綺麗な夕暮れだったっけ」
それは空に浮かぶにはほんの少しだけはやく。
夕焼けの空にほんの少しだけ青く染まった星が厄災の影に落ちていく。
「そうだよね、あの頃の夢は……純粋であった私は少しだけ成長しないとだよね」
ソールズベリーから、数多の妖精が蒼き流れ星を見つめていた。
平原でモースと戦う牙の氏族が、送り出した希望の星を見つめていた。
今はまだ縁のない誰かが、その輝きを見つめていた。
「だから、お兄様……お姉様、お母様。どうか私に歩き出すための勇気をください」
小さく囁いたその言葉に応えるように。
聖槍の輝きが更に強くなる。
場違いだとは思う。
だけれど、どうしようもなく笑みが溢れた。
背中に感じた三つの手の温もりが、たとえ幻だとしてもどうしようもなく嬉しかった。
「厄災よ!その怒り、その憎しみは正当なものでしょう!ですが、私たちはそれすら乗り越えてみせます!聖槍、抜錨───!!!!」
それはたった一度だけの奇跡。
愛おしい家族を送り出した雨の氏族が応えた、巡礼の始まりを送り出す優しく、温かいたった一度の奇跡。
「私は赦す、私は救う、私は導く───!その為に、私の命を使いましょう!」
槍の輝きが臨界を迎える、まさにそれは救世の槍。
救世主の資格を得た、雨の魔女が放つ希望の輝き。
「
光の槍が、たった一度だけの真名を解放する。
青く、蒼く、碧く。
一筋の流星が、厄災の影へと撃ち出された。
夕焼けの空に大地に向かって落とされた蒼き流星は、厄災の影へと迫り。
「とどけええええええええええ!!!!!!」
トネリコの言葉に応えるように、放たれた槍は厄災の影を貫く。
抵抗するように、それでも自身の上空にいるトネリコへと影を伸ばそうとするが伸ばすよりも先に光の奔流に呑み込まれて消えていく。
影を貫き、それが大地にまで届いたその瞬間。
厄災の影は光の奔流に全て呑み込まれて勢いよく爆散して消え去った。
「やった……!やった!!!!!!」
自分が落下していることも忘れて思いっきりサムズアップ。
瞬間、状況を再把握して急いで水鏡を足下に展開して地上に転移することになったのだった。
これが、救世主トネリコの始まりの厄災祓いであり。
雨の魔女トネリコの終わりの時でもあった。
この数日でたっくさんお気に入り登録してくれる方が多くて嬉しさのあまりひっくり返りそうですがまだまだ強欲に行きます。
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