ウマ娘プリティーダービ- クラウンガールズ 作:文月~夢売り商人~
皐月賞後。少し遅めの入学式を終えて数日。今日も今日とてトレセン学園の生徒たちはトレーニングに励んでいる。新入生も入り今まで以上に賑わっている。新人トレーナーもニ名が着任しベテラントレーナーが指導者として就いた。
そんな中、俺はというと時間が足りないが、チヨノオーのダービーに向けてのトレーニングメニューを組んでいて今日で三徹目だ。正直にいって辛い……。
「もう……無理……」
トレーナー室の自分のデスクへ突っ伏して泣き言を言ってしまう。俺のデスク周りは酷い有様になっており、エナジードリンクの空き缶が何本も置いてある上に栄養調整食品の包み紙も散乱している。
氷川トレーナーに無理をするなと言ってしまっている手前、俺自身も無理はできない。
「少し横になるか」
そう呟いてトレーナー室にあるソファーで横になり仮眠をとることにした。
どれくらい時間が経ったのだろう。かすかな物音で目が覚めた。目を開け体を起こしながら音のする方を確認すると、氷川トレーナーが俺のデスク周りのゴミを片付けてくれていた。
「すみません。氷川トレーナー」
「起こしてしまいましたか?」
俺は片付けさせてしまったことに対し謝罪をすると、逆に起こしてしまったことに対し謝られてしまった。
大丈夫であることを告げて体を起こしソファーから立ち上がった。
「勝手にすみません。ゴミだけでもと思って」
何も言わず片付けていたことを謝罪されたが、俺としては文句はない。むしろ氷川トレーナーに関係ないことをさせてしまって申し訳ない気持ちで一杯になる。
「いえ。大丈夫ですよ。ありがとうございます」
氷川トレーナーにお礼を言って俺も片づけを始めたが我ながら酷い有様だな。こんな状態ならいい案も思い浮かばないだろうよ。などと思いながらも頭の中では今日の予定を組んでいる。
兎に角、チヨノオーのメニューを組まないとな。
だが、今のままじゃ碌な案しかない。その前に俺自身の心身を整えるべきか?
なら、先ずは食事だな。本当にここ最近碌な物を食べていない。頭への栄養が足りていないから良い案も浮かばないのだろうさ。食事もだが睡眠も大事だよな。仮眠をとったがまだ寝足りないと体が訴えてきている気がする。
そんなことを考えていると何時の間にか手が止まっていたようで、氷川トレーナーに心配を掛けてしまった。
氷川トレーナーも、この有様を見て俺がキチンとした食事をしていないことを気遣い食事に誘ってくれた。せっかくなので先に食事を済ませようと思い、お誘いを受けることにした。
「ここですか?」
「はい。チーフトレーナーに教えて貰った。安くて美味しいお店です」
氷川トレーナーから是非お勧めしたいお店があると言われてついてきたのだが、意外にもラーメン屋だった。ファミレスや小洒落た飲食店に連れていかれると思っていたのだが予想外の店だった。
俺が戸惑っているのを見て氷川トレーナーは少し恥ずかしそうにしていた。
いや、別に女性に連れられてきたお店がラーメン屋であったことに引いているわけじゃないんだ。俺の予想に反した場所だったので戸惑っているだけだ。決して氷川トレーナーや教えたチーフトレーナーが悪いわけじゃない。
沈黙に耐えられなくなったのか、氷川トレーナーは入りましょうと言って暖簾を潜っていった。引き戸を開くと中からは店員の、ラーメン屋らしい来店の声が聞こえてきたと同時に店内からは食欲をそそる匂いが漂ってきた。匂いからするに味噌が売りの店らしいな。
そんなことを思いながら俺も暖簾を潜り店内へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ~」
外観からも想像できるが中は、こじんまりとしていたが流石は飲食店といった感じで清潔感があり非常に好感が持てる店だった。
昼時でほとんど満席に近かったが。丁度テーブル席が一つ空いていたので俺たちはそこに座ることにした。席に座りメニュー表を手に取る。氷川トレーナーはお気に入りがあるのだろうメニューの確認はしていなかった。
俺たちが席につき少しすると店員が水を持ってきて注文を取る。氷川トレーナーは味噌ラーメンを頼んだようだ。俺は塩ラーメンを頼むことにした。
頼んだ物がくるまで時間があるので店内を眺めていると氷川トレーナーが声を掛けてきた。
「何か悩んでいるようですけど、私で良ければ力になりますよ」
そう言ってくれた。自分のこともあるだろうに有難いものだ。俺は悩みを打ち明けた。
俺が何に対して悩んでいるかを話している間、氷川トレーナーは黙って聞いていてくれた。
「お待たせしました~」
話し終えると同時に頼んでいた物が運ばれてきた。
さて、伸びてしまう前に食べてしまうか。
俺は一口ラーメンを啜り、その味に驚いた。生姜に玉ねぎ、ニンニクに加えて魚介出汁がたっぷりだ。あとは鳥ガラ……。いやチキンブイヨンか?
失礼な話だが、こっちへ来てから美味いラーメンにあり付けなかったが、ここは当たりのようだ。
俺がラーメンに舌鼓を打っていると氷川トレーナーと目が合い微笑んできた。俺がラーメンの味に満足しているのが嬉しかったらしい。
「本当に美味かった」
昼食を終え店外へ出た俺達は学園へ戻ることにした。その帰り道の中、氷川トレーナーの方から話し掛けてきた。
「先ほどの続きですけど……。確かに時間が足りませんけど、スタミナと加速力を鍛えてはどうでしょうか?」
氷川トレーナーが言うには、目の前のことも大切だが未来のことを見据えたトレーニングをしてはどうだろうかとの提案だった。確かに氷川トレーナーの言うことも一理ある。俺は先ず目の前の事を一つ一つこなしていきたいタイプだ。
マルゼンスキーに勝つには、それが一番の近道だと思っているが、氷川トレーナーは唯の通過点という考えのようだ。
「スタミナは校外ジョギングで補えるとして加速力は坂路やうさぎ跳び、スクワットなどで鍛えられるがそれでもまだ足りないな……」
俺が独り言を言いながら考えていると、氷川トレーナーが別のトレーニング方法を提案してくれた。
「重量挙げやスクワットジャンプ、バーピージャンプが効果的ですよ。勿論、ヒルクライム……。坂路トレーニングも効果的です」
スクワットジャンプは何となく分かるがバーピージャンプが、どんなトレーニングか分からない。あと重量挙げは腕力だけだと思っていたが言われてみれば、300~400kgの重さの物を持ち上げるんだから足腰も鍛えられるのは当然と言えば当然か……。
氷川トレーナーの言葉を聞いて再び考え込む。明日からのトレーニングは筋力アップをメインにするべきだろう。
「ありがとうございます。氷川トレーナー」
俺が頭を下げお礼を言うと、氷川トレーナーは慌てた様子で手を振って来た。
「頭を上げてください。私は恩返しをしただけです。私が行き詰っている時に手を差し伸べてくれたじゃないですか」
俺としては、ただ夢見る若いトレーナーが潰れるのが嫌なだけだ。だから恩を感じるほどでは……。
いや。本人にとっては救われたのだろう。その恩返しと言うなら有難く受け取っておこう。そう思い再度お礼を言って帰路につくことにした。
翌日。氷川トレーナーのアドバイス通りのトレーニングを試してみることにした。彼女たちにも説明し了承を得てのウエイトトレーニングだ。説明中に正直に氷川トレーナーからのアドバイスであることも告げる。
それを聞いた時は意外そうな顔をされたが、古い技術しか知らないので俺も勉強中だとも伝えた。
「……と言うわけでチヨノオー。今日からウエイトトレーニングを始めるぞ」
俺の言葉にチヨノオーも頷く。時間は足りないが、できるところまでやってみよう。
他の子たちにも今日のほとんどはチヨノオーにつきっきりになることへの了承も得られている。皆もチヨノオーにはダービーで勝ってもらいたい気持ちで一杯のようだ。
基礎トレーニングを終えた後、自主トレーニングを始める。レースが近いからと他の子を蔑ろにするわけにはいかないのだ。時間を見つけて他の子たちの様子も見に行かなければいけない。完全にチヨノオーにつきっきりになることはしない。
「今日のところは自分のペースで時間一杯、どれくらいできるかの確認だから絶対に無理はしないようにな」
俺とチヨノオーは学内のジムに来ている。就任直後に覗いてみてどんな器材があるのかの確認は済ませてある。
今日からトレッドミルで16km/h以上、アップライトバイクで1分間150回ペースで一時間漕ぐ。レッグエクステンション、これは結構負担があるので週一回で負荷は限界を感じる程度で15回三セット。
ダービーまで時間は少ししかないが、この内容でトレーニングを続けるしかないな。
「初めは自分の限界まででいい。でも、決して無理はしないこと。それじゃ、始めてくれ」
「はい!」
チヨノオーは元気よく返事をして器材がある方へ駆けていく。
トレーニングメニューは特に決めていない。何をどれだけするのかだけを伝えているのでトレーニングの順番は決めていない。何から始めるかを見ているとトレッドミルから始めるようだ。
一応の目標は決めているが徐々にその目標に近づけていけばいい。
日本ダービー。最も運の良いウマ娘が勝つレース。無理をして運悪く怪我をしては意味がないからな。俺の方でもチヨノオーが無理をしないか目を光らせておく必要がある。
様子を見ていると少し早いペースで走っている。焦っているのか、負けたくないと心が逸っているのかは分からないが、このままじゃ本番でも自分のペースで走れなくなりそうだったので、傍までいき声を掛けた。
「少しペースが速いぞ。今日の所は一時間、走り切るペースで大丈夫だ。ケガでもしたら元も子もないからな」
チヨノオーは俺の言葉に対し横目でこちらを確認し頷いて返事をして早かったペースを落とし始めた。ここの機材は最新鋭の物ばかりだ。開始から終了まで速度から走った距離、時間などを確認できる優れ物だ。オマケにそのデータを後で別の機器に取り込める仕様になっている。俺も後で確認して反省点を洗い出す材料にする。
「それじゃ、ちょっと他を見て来るけど絶対に無理はしないようにな」
俺は念のため釘を刺しジムを後にした。
グラウンドに戻ると目的の人物たちがトレーニングをしている姿を見つけた。バクシンオーは相変わらず猪突猛進で何周か走っては休みを繰り返している。
ローレルは約一年間トレーニングを続けてきたことで自分の脚の状態が大分わかってきたようだ。自分のペースで走り、脚の状態を確認しながら適度に速度を変えたり休みながら走っている。
スカイは今年がデビューということもあり。いつも以上に気合を入れトレーニングに励んでいた。スカイのことだから無理はしないだろうと思うが普段からのトレーニングの様子と比べてしまうと少し心配になってくる。
様子を見ていると丁度三人が同時に休憩に入ったようなので声を掛けることにした。
「ちゃんと休みながらやってるみたいだな」
俺がそう言い近づくといち早く反応したのはバクシンオーだった。いつものように委員長ですからと高笑いしながら返事を返してくる。
「悩んでいることはないか?」
トレーナーとしてウマ娘とのコミュニケーションはとても大切だ。ほんの僅かな違いでも見落としてしまうと大事になることもあるくらいだ。悩んでいるかと聞いても、何も悩んでないと返してくることが大体だが顔色や表情など本当に僅か変化でも分かるくらいにはならないといけない。
「そうですね。スピードの伸び悩みがあります!」
バクシンオーのように素直に答えてくれるなら、とても助かる。何も言わない子だと本当に悩み事がないのか隠しているのか、隠しているとしたら何に悩んでいるのかを考えないといけないから大変だ。
「スピードの伸び悩みなら脚を速く動かすことを意識するといい。それには脚の筋力を鍛えないと体がついてこないから、先ずは脚回りの筋トレだな」
「分かりました!」
バクシンオーは元気に返事を返してきた。ローレルは今後レースで悩んでいるとのことだ。ウマ娘としては本能的に走りたいと考えている。ローレルにとっては走れなくなるのは死ぬことより辛いものだと伝わってくる。
「クラシックの間にあと数回、出走してもらう予定だから体調管理をしっかりとな。この位置年で自分の脚の状態が分かるようになってきたみたいだから無理はしないと思うが無理は禁物だ」
「はい」
ローレルは落ち着いた様子で返事を返してきた。だがその内はレースに出たいと静かに闘志を燃やしている様子だ。ケガでの引退なんかではなくピークが過ぎるまで元気に走らせてあげたい。
スカイは練習がキツイのが悩みだと口では言っているが普段の様子から見るにデビュー戦に向けて真剣にトレーニングを続けている。本当に絶対負けたくないという想いがヒシヒシと伝わってくるよ。
「ウマ娘にとってクラシックの三冠やトリプルティアラと同様。一生に一度しか走れないデビュー戦。今のスカイなら負けることは無いだろう。無理なく休みながらトレーニングを続けろ。デビュー後からが本番だからな」
「は~い」
ホント。掴みどころが分からない子だがレースにかける想いは他のウマ娘と同じく本気なのは分かる。だからこそ夢を叶えてあげたい。
「んじゃ、もう少し見させてもらってから、チヨノオーの方に戻るよ」
俺がそう言うと全員がトレーニングを再開しコースを走り始めた。バクシンオーとローレルはフォームが安定してきていて良い感じだな。
スカイは走りやすいフォームを模索中のようだ。フォーム次第でスタミナの消費が変わるからな。
走りづらいフォームだと余計に疲れてしまうが、逆に多少変わっていても走りやすいフォームだと疲れにくいといった感じだ。1993年代の漫画から得た知識だがな。周りから笑われたり馬鹿にされたフォームでも走りやすければ長距離でも走り切れる。
「っと、そろそろトレッドミルが終わる時間だな」
俺は三人の邪魔にならないように静かにその場を後にした。ジムへ戻ると丁度、休憩に入るチヨノオーの姿が見えた。
「お疲れ様。無茶はしてないみたいだな」
俺が声を掛けるとチヨノオーはお疲れ様ですと息を整えながら返してくる。無理に返事を返さなくても息を整えてからでもいいのになと思い、そのことを伝えながらチヨノオーが使用していたトレッドミルの記録を確認する。
使用時間は、およそ62分ほどで距離は21kmくらいか……。途中の記録を見ると速度というよりペースが安定していないようだったが、これはアスリートでもペースを均一に保つのは難しいので問題にすることもないだろう。ダービーで勝つには若干不安は残るが、この記録は目標を決めての記録なので全力で走れば十分に狙える。
ダービーは2分27秒の記録で一着を狙える。そのことを考えるとチヨノオーの仕上がりは上出来だ。
「勝ちは十分にある。現状維持と言いたいがチヨノオーは満足しないだろうからな怪我に注意しながら1秒でいいから記録を伸ばせることを一緒に頑張っていくぞ」
「はい!」
チヨノオーは笑顔で元気よく返事を返してきた。
勝ちを狙えるという言葉は今のチヨノオーにとって、どれだけ嬉しいのだろうか。皐月賞での悔しさはダービーで晴らしてもらいたいものだ。
そう思っていると休憩を終えたチヨノオーが次のトレーニング器材、アップライトバイクへと向かっていった。