商店街の福引で美少女スキンが当たった話 作:緑立
FS91-682は激怒した。必ず、この事実無根の冤罪を晴らさねばならぬと決意した。FS91には対人コミュニケーションの機微がよくわからぬ。FS91は、カンバラ傭兵派遣の戦闘職社員である。けれども減給の危機に対しては、人一倍に敏感であった。
「──全くの事実無根です。私とタチバナの間に恋愛関係は存在しないばかりか、そのような感情を相互に抱いているという事実も存在しません。ご指摘の公衆浴場での一件については不幸な事故と言うほかありません。……確かに環境に対して不適切な服装ではあったかも知れませんが、それは私の不注意に由来するものであり、意図して道徳的規範を無視したものではありません。私自身猛省していますし、必要ならば反省文も提出いたしましょう。とにかく我々の間に不純な関係は存在せず、また不純な交友を行ったという事実も存在しません。私は先の一件について事実誤認の訂正と情状酌量の余地を主張します。繰り返しになりますが、我々の間に恋愛関係は一欠片たりとも存在してはおりません」
稲城本社の社長室に呼び出され、デスクの前に立たされるや開口一番に叩き付けられた「アンタら銭湯で不純同性交友やらかしたってホントかい?」というカンバラ社長の爆弾発言に対し、FS91は辛うじて弁明のセリフをひねり出すことに成功した。ショックやら羞恥やら混乱やらでたっぷり15秒間のフリーズを晒したのはご愛敬である。
「本当に? 全く? そんなことないってかい?」
カンバラ社長はデスクに両肘を立てて寄りかかり、顔の前で両手を組んだ姿勢のまま、6つのカメラアイに剣呑な光を宿しつつFS91に追求した。いつもながら、3対のサブアームのシルエットが異様な威圧感を醸し出している。
彼女の装備する98式アイボールはあらゆる種類の電磁波を観測可能であり、遠隔透視から構造解析に至るあらゆる計測を熟すことができる。三葉虫的な眼柄構造に支持された機械仕掛けの眼球の群れが、FS91に一点照準した。……どうやら愛敬では済ませてくれないかも知れない。
「本当に、全く、そんなことはないと申し上げています」
だがしかし、計器が精密であればあるほどに、FS91には減給を免れるチャンスがあるということでもある。なぜならば探られて痛い腹などどこにもないのだから、即席の精密検査を受ける事で冤罪を晴らす良い機会ですらあるのだ。故にこそ、FS91は胸を張って己の無実を訴えた。
「へぇ、そうかい。……で、タチバナはどうだい? 何かキューイチの弁に補足はあるかい?」
社長の眼光は、FS91の隣に同じく立たされている重サイボーグに向けられた。FS91は"どうやら乗り切った"と肩の力を抜く。
「…………はい。……本当に、……全く、………………そんなことはないです」
虚な表情で乾いた笑いを溢しつつ、絶望的な通信環境から飛ばされた脳内無線のような途切れ途切れの言葉を絞り出す重サイボーグの姿がそこにはあった。
そして彼の浮かべる表情は、FS91がこれまでに収拾した表情データライブラリのいずれにも該当しないものであった。
「……へぇ、そうかい」
そんなタチバナの様子に、カンバラ社長は静かに首肯した。……しかし社長がアイボールの走査モードを解除する兆しは全くなく、そのまま形容しがたい重々しい空気が社長室に満ちていく。その奇妙な緊張感に、FS91は思わず"顔をしかめて"しまった。
……本当に乗り切れたのだろうか? FS91は急速に不安に駆られた。──どうしたタチバナ! 今の間はなんだ!? その乾いた笑いはなんだ!? ……FS91は内心を表出させないよう、最近僅かに随意筋としての機能を持ち始めたスキンの表情筋の統制に努める。とは言っても、筋をいくらか緊張させることができるようになった程度で、"表情"を作るなど到底できないのだが。
「……ふぅん、まあ、キューイチが言うならホントなんだろうねぇ。信じようじゃないか。アンタらは何も問題行動なんて起こしてないし、社内規則に反してもいない。そういうことにしといてやるさ、今回の所は」
アイボールの走査モードを解除し、背もたれに身体を預けたカンバラ社長は、剣呑な空気を引っ込めて苦笑する。よし、今度こそ乗り切ったらしい。FS91は知らぬ間に肩に込めていた力を抜いた。
「……ご理解いただけたようで、何よりです。弁明を聞き入れて下さり、ありがとうございました」
「いいのさ、誰だってミスはある。特にアンタの場合、そういう年頃だしねぇ。あんまり目くじら立てても仕方ないだろう? ……ただ一応、釘を刺してはおこうかねぇ」
そしてカンバラ社長は弛緩した空気を引っ込め、真面目さを取り繕う。
「……戦場に愛だの恋だのを持ち込まれると、そのとばっちりは周りに行くんだよ。いや、真面目な話さ。戦友への情やら部隊への連帯感やらはいい、それは集団への献身に繋がるものだ。集団の、組織の合理性に身を委ねる思想さね。誰か、特定の個人に向いたものじゃあない。だから許容できる」
社長の言葉に、経験に裏打ちされた憎悪が滲み始める。
「だが愛だの恋だのはダメだ。アレは誰か特定の個人に向いた感情だ。戦場にある組織にあって、余計な個人同士の執着を持たれると実に厄介だ。それは、死に直結するのさ」
組織よりもそれを優先する行動は、組織の綻びを呼ぶ。綻びはやがて大きな軋轢に発展し、組織そのものを破綻させる結果にもなり得る。そして、それ以前の問題に目を向けなくてはならない。問題とは、破綻の瞬間に噴出するものではなく、問題の蓄積こそが最終的な破綻を惹き起こすのだから。
「……愛するということは、見捨てるべき時に、見捨てられなくなる事を意味する。引き下がるべき時に、無用な報復に駆り立てられる事を意味する。その尻拭いをするのはどこの誰なのか、とばっちりを食らって死んだのはどこの誰なのか、それを考える事から始めなくちゃあならない。これは、そういう話なんだよ」
バカに巻き込まれて死ぬのは、御免被るね。社長は吐き捨てるように言った。
「ケチくさいババアの妄言と思って貰って構わないけどねぇ。せめて納得感のある死に方をしたいだろう? アホの恋路のとばっちりよりは、業務上過失致死の方がまだカッコがつくじゃないか。責任の取り方も、アタシと役員連中の進退で片付く。よっぽど誠実とは思えないかい?」
「……そうでしょうか? 私はどちらも嫌ですが」
FS91には、今ひとつ良く分からない話であった。納得感のある死などありはしないだろう。かつて直面したいくつかの死と、自身が死に近づいた経験を想起したFS91は、そのどれもが例外なく"最悪な"ものであったことを確認した。
「そりゃあ死なないのが一番さね、要は程度の問題なんだよ、キューイチ。……そういうもんなのさ。なあ、タチバナ? アンタは覚えがあるだろう?」
その様子に小さく破顔したカンバラ社長は、ばつの悪い表情のタチバナに水を向ける。
「いえ、その、はい。……肝に銘じます」
既に168時間耐久ガン待ち狙撃任務に従事した時と同じだけの精神的疲労の中にあったタチバナは、それでも鋼の精神力でもって社長の言葉に応答した。……すでに金属疲労による破断は目前であったが。
そんなタチバナの様子に、カンバラ社長は笑いを噛み殺した表情で続けた。
「……ま、ウチはアットホームな職場だからねぇ。何事も応相談、原則に例外はつきものさ。隠れてこそこそせんでも、一言言って貰えれば必要な対応はしてやるとも。具体的には任地を離しゃするが、休日を合わせられるように調整するぐらいは協力するし、ついでに配偶者手当だって用意してやろうじゃないか。……それでも嫌だってんなら、他所に行ってもらうしかなくなるけれどねぇ」
そして、言い終えるなり「さて、こんな"どうでも良い話"は置いておいて、だ」と、カンバラ社長はここまで長々と語ってきた用件をあっさり切り捨てた。
「そろそろ本題に入ろうじゃないか。今度の大規模作戦にウチのメンツ総出で参加するから、予算獲得の為にキューイチに一肌脱いで貰うよ。アンタには、アタシらの救世主になってもらうんだからねぇ」
社長が椅子に座り直すと、背後に従えた3対のサブアームが揺らいだ。
「……もの凄い勢いで話題を変えましたね、カンバラ社長。いささか話題のハンドリングがアクロバット過ぎるように思われますが。私が救世主になるのですか?」
「そうだよ。アンタは我が社の救世主になるんだ。アタシの運転に振り落とされずについてきな」
本題とは無関係の話題で呼び出し、話の流れでしれっと打明ける。後ろめたいことをぶっちゃけてしまう時の常套手段であった。
「……色恋沙汰云々ぐらいで態々社長面談になるのもおかしな話だと思ってたが、やっぱりなんか隠してやがったなババア。というかキューイチになにさすつもりだよ?」
辛うじて持ち直してきたタチバナが問えば、社長はサブアームの内一本で応接用ソファを指した。
「ふぅん、それについては順を追って説明しようじゃないか。長くなるからそこに座りな。……それじゃまずは、作戦について話すとしようかねぇ」
重サイボーグ用に誂えられた防弾板入りのソファにどっかりと腰掛けつつ、タチバナは問う。
「……で? 俺らに何しろってんだ? 東京島探索か? それとも成層圏の化け物に乗り込めってか?」
FS91はソファに飛び乗るようにして座る。重サイボーグ用の家具では軽サイボーグの脚は当然の様に床まで届かず、つま先が宙に浮いた。
「わざわざ"大規模作戦"と呼び分けているということは、調布の花火大会とは別枠の仕事なのでしょうか?」
「いいや、花火大会とも無関係じゃあないよ。言っちまえば、今回の作戦は花火大会に大型拡張コンテンツが突っ込まれた格好でねぇ。会場も調布で変わりないのさ」
「……なんだよ、その大型拡張コンテンツって?」
社長は態とらしく肩を竦めた。
「……花火大会の下準備で、調布が直協偵察機を飛ばしたらしいんだけどねぇ。そいつが撃墜されたんだよ」
「高度上げすぎたんじゃねぇのか? 成層圏プラットフォームの撃墜対象になりゃ五秒でカミカゼ・ミュータントがカッ飛んでくるぜ?」
「いや、それが300メートル以下の迎撃開始高度を厳守して飛行していたらしいのさ。要するに自爆を食らった訳じゃあない。……地上からの迎撃だったのさ。高出力の対空レーザーによる撃墜、……どうやら、バジリスク種が出たようでねぇ」
数秒の沈黙が、社長室を満たした。
「……ネスト防衛型ミュータントの出現、ですか」
FS91は、頬の表情筋が僅かに緊張し、己の声に硬質な物が交じるのを自覚した。特定の環境化でしか発生せず、単独での長距離侵攻能力を持たない局地戦ミュータントの観測。それが意味するところは一つであった。
「そう、つまるところ、調布近郊の大深度地下に大規模ネストがあるらしくってねぇ。……どうやら今年の花火大会は、残敵掃討所の騒ぎじゃ済みそうにないのさ」
社長は心底ウンザリしたという様子で盛大にため息をついた。
「おいおいおい! ヤベェじゃねぇかよ! つまり俺たちの生存圏の目と鼻の先までミュータント連中が縄張りを広げた挙句に知らねぇうちに橋頭堡まで作ってやがったってことか!? 本格的に絶滅の危機じゃねぇか日本列島の人類!!!」
タチバナは勢いよく立ち上がるやデスクに詰め寄る。威圧的な巨躯を前にして、それを見上げる社長は小揺るぎもしない。
「そう、タチバナの言う通りヤベェ状況さね。察しの通り調布は半狂乱、ご近所さんのウチらもこのままじゃ仲良く絶滅って訳でねぇ。早いとこネストを攻略しなきゃいけないのさ」
……これまで自分たちが一切この一大事を知らなかった辺り、情報封鎖は辛うじて機能しているらしい。仮にこの情報が広まったならば、コロニー連合の脆弱な体制は簡単に崩壊するだろう。現実感が急速に希薄になっていく感覚に襲われながら、FS91は他人事の様に思考した。
「さっさと核ぶち込んで蒸発させろよ! なんで攻略しなきゃなんねぇんだ!?」
「ジオフロントから待ったが掛かったらしくてねぇ。なんでも地下水の汚染を気にしてるらしい」
復興と地上への回帰が遅れるとかなんとか、耳を疑うような寝言が続く。
「ボケが! 生身が地上をうろつける時代なんざ永遠に来ねぇよ!!!」
「夢を捨てたら人は生きては行けないんだよ、タチバナ」
「その夢に殺され掛かってる立場では、そんな寝言は言っていられませんよ。社長」
「まあ明後日のことはともあれ、調布ネストを攻略しないことには我々に明日はないのさ。作戦日程は花火大会の物を流用して8月13日をXデイとし、近隣の総力を以てこれを攻略する。さっきも言った通りアタシらも参加する。これが大規模作戦の概要だよ」
タチバナが大きく息を吸い込んで何かを怒鳴ろうとして、途中で気が滅入ったのか頭を抱えて項垂れる。声の代わりに深々としたため息を吐き出しながら、彼はソファに戻った。
「なぁに、大規模ネストが出来たと言った所で、大量繁殖からの群生相化を起こしてそこから溢れだしてくるまでにはまだまだ時間が掛かる。それに幸い、アタシらには終戦直後のミュータント暴走期に積んだネスト攻略戦の経験もある。……勝算は十分にあるのさ。そう悲観することはないよ、二人とも」
今は精々、王手をかけられた程度のことさね。つまり、手を選ばなければ幾らでもやりようはある。……カンバラ社長は凄惨な笑みを浮かべながら言い切った。
「将棋盤ひっくり返して、いけ好かない面張り倒してやんのさ! アンタらならそれができる! そうだろう?」
「……分かりたくはねぇが、分かった。分かったよ。……そんで、キューイチに一肌脱いで貰うってのは? そっちもどうせロクでもねぇ話なんだろ? さっさと話せよクソババア」
社長の6つのカメラアイは、再びFS91に照準する。彼女の口角が愉快そうに吊り上がるのをFS91は認めた。
「ああ、それはだねぇ──
「……なるほどぉ! それでキューイチ殿を主演に据えたジオフロント向け広報PVの撮影と相成った訳でありますか! 寄付を募って資金と物資を確保し、更に民意を煽ることでジオフロント防衛隊が抱え込んでいる装備の供出を迫ろうとは! このフルタ、毎度の事ながら社長の神算鬼謀には驚嘆を隠せません!!!」
「言うほど神算鬼謀か? このプラン」
多摩川の河川敷、撮影の合間の昼食時間の事である。工兵隊がものの数分で築き上げたミュータント吊るし切り会場を囲むようにテーブルが配置され、それぞれにジンギスカン鍋を初めていた。どうせ高速代謝で食後10分もあればシラフに戻れるのだからと、皆好き勝手に酒を煽り、肉を喰らい、騒ぎ立てていた。
「社長曰く「ティンと来た」との事でな、つまり思いつき以上のものではない。……だが、社長の思いつきがバカに出来た物ではないというのも事実だ。過去14年間の統計では、社長の突発的発言から始まった計画がポジティブな結果をもたらした割合は全体の86%にも登る。今回も期待できるだろう」
「はっは! そうだねぇイチモンジ君。さっきも言ったけど、今回の企画って要するにキューイチ君の見た目を使ってバズ……市民の皆さんの耳目を惹きつけようって話だから、民主主義を標榜するジオフロント相手なら十分勝算はあると思うな、僕は。ネストに殴り込むなら多脚戦車の一つ二つぐらい確保しときたいしね」
「いや、流石に上手く行くわけねぇだろ。アホかお前ら」
「タチバナ。多分皆アンタにだけは言われたくないって思ってるわよ」
FS91が肉の第一陣を捌き終えて自分の席に戻ってみれば、友人らの話題は今回の企画の成否についてらしい。彼個人としてはこの企画が成功する見込みは低いと見積もっていたが、同時にFS91は、今の自分の姿が今の自分の考える"今の自分"像とは乖離していることも理解していた。それこそ十分過ぎる程に。
「……皆さん。何事も、やってみないことには結果は分かりませんよ。今の私はその……わ、私は、……か、"かわいい"、らしい……ので……ええ……」
「恥ずかしがるくらいなら自分で言うなや。見てらんねぇんだよ」
ヒクつく表情筋は制御を受け付けず、FS91は席に着くなりテーブルに突っ伏すことを余儀なくされた。近距離センサの反応を確認するまでもなく、周囲からの視線が自分に突き刺さっていることを実感し、FS91はますます身体を縮こまらせる。
「……キューイチ君はさ、バズりの基礎を押えてるよね。世に言う"かわいいは正義"ってヤツかな、これが」
「……また時代がかかった表現が漏れてるわよ、ハセベのおじ様」
「病み上がりのサイボーグにそういうこと言うの止めてくれないかい?」「隙を見せる方が悪いのよ。想定してる世間が戦前じゃない」テーブルを飛び交う言葉を聞き流しつつ、FS91は辛うじて面を起こした。
「と、とにかく空腹です。私にも食事を摂らせて下さい」
這々の体で絞り出した言葉には、切実な色が滲んでいた。
「ええもちろん! 長時間の撮影に加えてバフォメットの吊るし切りまで熟されたキューイチ殿は大変にお疲れのはず! しばしお待ち下され!!! このフルタめが!!! 完璧なバランスにて食材を取り分けてご覧に入れましょう!!!!!」
例によってフルタは突撃型のゴツいマニュピレータを繊細に操り、彼の体格ではミニチュアサイズの玩具としか思えない大きさの器に肉と野菜を丁寧に取り分けると、素早くFS91の元へ配膳する。
「ありがとうフルタ……この場に於いては貴方だけが救いです……」
心の底からの感謝の言葉をフルタに送りつつ、FS91は箸を手に取った。
箸の扱いとは、片手で2本のスティックを制御し、さらにそのスティックを用いて柔らかく崩れやすい加熱処理済みの食品を持ち上げるという極めて高度かつ繊細な制御を要求される技能である。通常ならば年単位の鍛錬によって習得されるものらしいが、モーションデータセットをインストール済みであるFS91にとって、この程度の操作はなんてことのないものだった。
右手の所定のポジションに箸を挿入し、モーションデータの再生を開始する。箸は肉を掴み上げ、FS91の眼前に運んでくる。
「……んでキューイチ、お前は一体何をやってるんだ?」
「見て分かりませんかタチバナ? 食事を摂っているんです」
「どう見ても摂れてねぇが?」
頻りに肉を額や鼻先に押しつけては、タレと油を顔面に塗りたぐる軽サイボーグの姿がそこにはあった。
「まだ口の座標が直観的にわかんねぇのかよ。顎と食道増設してもうそこそこ経つだろ? 流石に感覚掴めよ」
「……箸の扱いのデータセットに"口まで食品を運ぶ"動作が含まれていなかったことには憤りを禁じ得ません。そこそこ値が張ったのですよ? あのモーションデータセットは」
表情プリセットからNo.90"憤怒"を生成しつつ、FS91は全霊を以て怒りを露わにした。
「そりゃ自分の口の位置を把握してねぇアホを想定してデータ組むヤツはいねぇだろ」
「……神経の通っていない2本のスティックの先端で間接的に保持した食品を、視界に入らない直径10センチ以下の空間に放り込む。……この難しさは、皆さんには分からないでしょうね、ええ、はい」
無念のままに肉を皿に戻し、FS91は箸を持つ手をワナワナと震わせる。これだから口をもって生まれてきた連中は……!!!
「あーもうばっちいばっちい! キューイチ、拭いたげるからこっち向きなさい!」
「……ありがとうございます。ユカリ」
「最高級のスキンをむやみやたらと汚さないで頂戴ね? 全くもう。……ほら、食べさせたげるから口開けなさい。はい、あーん」
「あーん」
口を開けて待つこと0.5秒、放り込まれた肉を噛み締めれば、強烈なタレの香りと肉の味が嗅覚と味蕾を刺激し、溢れる脂が舌に絡みついてくる。生成された"味"ではない、本物の味覚。……これは良い物だ。
次にFS91は顎を動作させ、口内の肉を粉砕していった。粉砕を重ねる度に破壊された細胞組織から味が解き放たれる。これまでのただ流し込み、慣れ親しんだ予想通りの感覚を受け取るだけの食事とは明らかに異なる、"自発的な"行動によって、毎回予想外の味に接する事が出来る。……これは、本当に良い物だ。
「……さっきまで泣いてたカラスがもう笑ったねぇ」
「見るからに上機嫌よね。表情プリセット使う余裕がなくて無表情だけど」
「いや、よく見ろ。キューイチの右の笑筋がかすかに緊張している。恐らく感情に合わせた表情出力の先触れだろう。どうやら、いくらか血が通い出してはいるようだ」
「……いやわかんねぇぞ? 微動だにしてねぇだろ」
「貴様それでも狙撃型か?」
やがて生じてきた衝動に任せてミンチ状になった肉を嚥下すれば、口の中から肉が消滅してしまう。喉を食材が伝う一瞬の快感の為に味という楽しみを不意にしてしまうとは、何たる非合理であろうか。FS91は空になった顎で悔しさを噛み締めた。彼は今のところ、一度として嚥下の衝動に勝てたことはない。
「ユカリ、次を下さい。早く」
「はいはい、ほれ、あーん。……しばらくは私らで食べさすしかないのかしらね、これ」
口に入れる。味わう。噛む。繰り返し味わう。繰り返し噛む。味わい続ける。我慢できずに飲み込む。また口に入れる。以下その繰り返し。
「うまいか? キューイチ」
「はい、とても美味しいです」
咀嚼中でも、スピーカー発声を用いれば流暢な発話が可能である。
「噛みながら喋るな、行儀悪いだろ」
食事に水を指すうっとおしい指摘に、FS91はため息を吐きたい衝動に駆られた。肉を噛むので忙しいので息など吐けなかったが。
「そのマナーは口に食物を含んだ状態で声帯からの発声を行う事で、口から内容物を吐き出してしまうことを嫌って生まれたものと推測されます。声帯とは無関係のスピーカー発声ならば何の問題もないはずです」
「うるせぇマナーはマナーだ。ちゃんとしろ」
何と喧しい重サイボーグだ。許し難い。FS91は嚥下して口の中を空にすると、ユカリに水を貰って中を洗浄した。
「……皆さん口の扱いに一家言あるようですが、私に言わせれば皆さんの口の運用は実に初歩的な部分で止まっていて、発展性という物が欠如しています」
「初歩も習得してねぇヤツが何言ってんだ」
「うるさいですよタチバナ。……私が今から、真に発展的な口の運用という物をご覧に入れましょう」
「ほぅ、なかなか興味深い。では見せて貰おうか、真に発展的な口の運用とやらを」
席を立ち上がったFS91が取りいだしたるは、一振りの高周波ブレード……そしてもう一振りの高周波ブレード……更にもう一振りのパイロブレードであった。
「どこにしまってたんだよそのブレード……つーかそれ捨ててなかったのかよお前」
タチバナにはFS91がどこからともなく引っ張り出したパイロブレードに見覚えがあった。その昔己が振るい、バトルライフルを入手したことに合わせて売っぱらおうとしたら、「どうせ二束三文にしかならないのならば私に寄越せ」とFS91に強奪された一振りで間違いない。
「物持ちは良い方なのです。それはさておき。このパイロブレードを右手に、イスズのお下がりの高周波ブレードを左手に、そして私が府中の掛け試合で手に入れた愛刀を"口に"咥えれば……」
3本のブレードを装備したFS91は、一同の前で大見得を切って見せる。
「……これこそが、三刀流です!!!!!」
口にブレードを咥えながらでも、スピーカー発声を用いれば流暢な発話が可能である。
「うおおおおお!!! すっげぇえええええ!!! 現実でもできるんだね三刀流!!!!!」
「あっそう」
ハセベが空前の勢いでテンションを上げる隣、タチバナは急速に興味を失ってジンギスカンの消費に戻った。
ハセベのリアクションに気をよくしたFS91は、そのまま剣舞を披露して見せる。彼はファンサのできる軽サイボーグなのだ。
三刀流の欠点としては、首の可動域の狭さとリーチの短さから、口に保持したブレードに運動エネルギーを加えることが難しいことが挙げられる。故に、機動に工夫を加えるのだ。体全体に勢いを付け、さらに回転動作を多用することによって遠心力を稼ぎ、斬撃の威力を確保する。三刀流においては移動こそが攻撃であり、回避動作すらも次の攻撃の予備動作となるのだ。
猛スピードでグルングルン回転するFS91に、ハセベとイチモンジが息を呑む。
「なんて無駄に洗練された無駄のない無駄な動きなんだ……! かっこいい……!!!」
「見事な物だな、扱う棒の数は2本から3本に増えているというのに、箸捌きの絶望的な拙さとは天と地ほどの差がある……!」
「……悲しいほど使い所のない高度な技術ね」
呆れた風情のユカリが、火の通った野菜を口に運びつつFS91に問う。
「というか、そんなモーションデータ何処で手に入れたのよ。明らかに顎増設したばっかの元無顎類が作れるクオリティじゃないでしょ? まあ、大方予想は付くけど……」
「先日、ダメ元でイスズに聞いてみたらタダでインストールしてくれました。戦中、暇つぶしに作ったそうです」
「ああやっぱりイスズじゃないの……。またアイツはキューイチに余計なことを……! ていうか何作ってんのアイツ、バカなんじゃないの? 知ってたけど」
宴もたけなわという所で、そろそろ各テーブルも食材を消費仕切ったことを確認した工兵隊は、半人型特殊建機を再起動する。鉄の巨人は傍らの解凍済みバフォメットを掴み上げると、ミュータント吊るし切り会場の中央に天高く掲げ持った。どうやら仕事の時間である。
「キューイチ殿! 肉の第二陣が来襲致しました! 今こそ剣を振るうときであります!!!」
「お任せ下さい。一口大まで切り分けて差し上げましょう」
跳躍、そして燦めく白刃、裁ち落とされていく肉片、湧き上がる歓声。その光景は正に、カンバラ社提供の近接アリーナ第二位の面目躍如であった。3振りのブレードを自在に操り、宙づりにされた肉塊を軽やかに刻んでいく。
「いいぞキューイチ! ブッタ斬れ!!!」
「行けーっ! 我らの救世主!!!」
「オレの分はデカ目に頼むぜーキューイチ!!!」
「つーか何その斬り方……? マジで何……?」
「調子に乗って刻み過ぎだバカ! ミンチ作る気かお前!!!」
……そして己の取り分の肉を抱え、喝采を背にテーブルへと戻ったFS91を待ち受けるのは超高難度ミッション"箸の扱い"であった。
先ほどまでとは打って変わって辿々しい手つきで肉を持ち上げては顔を汚し、喉奥に箸を突き込んではダメージを食らう。ケホケホと扱い馴れない喉で咳き込むFS91の様子に、見ていられなくなった周囲は溜まらず助け船を出した。
「こうなっては仕方がない、ほれキューイチ、口をあけろ」
「あーん」
「ほらキューイチ君、お肉食べるかい?」
「いただきます」
「はい、キューイチ、野菜よ」
「それは要りません」
そして気づけば「俺も俺も!」とばかりに他所のテーブルから集まってきたカンバラ社の面々がFS91を取り囲み、延々と彼を餌付けし続ける光景がそこにはあった。
そんな光景を呆れた目で眺めていたタチバナは頭を抱えた。この頭痛は、きっと酒のせいではないのだろう。
「タチバナ、貴方は肉をくれないのですか?」
相変わらずの無表情から放たれる「食わないのなら寄越せ」と言わんばかりの食い意地の張った視線に、タチバナは思わずため息をつく。
「……動物園のふれあいコーナーじゃねぇんだぞ?」
ボヤきつつ、男は箸を掴み取った。