無事に地下水道から帰還し、ゴブリンスレイヤーたちは神殿へと戻った。剣の乙女への成果の報告も忘れない。
ゴブリンを殺したこと、しかしまだ多数のゴブリンが居るであろうこと、住みついていた沼竜のこと。
そしてなにより、ゴブリンの裏に居ると思われる謎の存在。
それを聞いて、剣の乙女は眉をひそめた。
「そんなことが……。その黒幕はゴブリンを使って何を?」
「それは分からん。ただ、やることは変わりない。ゴブリンは殺す。それだけだ」
「ええ。分かりました。
狩人がぴくりと眉を動かす。ゴブリンスレイヤーのほうに視線をやったが、彼には特に変わった様子は見られない。剣の乙女の反応に言及するつもりはないらしい。
いよいよ自分が謀に首を突っ込まなければならないのだろうか。気が重くなる。
この場で追及はできなかったが、いずれ真意を聞かなければいけない時がくるだろう。
結局、その日はそこまでの探索で打ち切ることになった。態勢を整え、後日再度地下に潜る。
神殿の施設で湯浴みをしていってよいとのことだったが、女神官以外はこれを遠慮した。
「狩人さんはどうします?」
「あー、うーん。時間をずらして入ろうかしら」
「そうですか。それじゃあお先にどうぞ。私いろいろやってから入ろうと思いますので」
「そう? それじゃあ先に行ってくるわ」
女神官の厚意をありがたく受け取り、準備をしに向かった。
身を清める湯浴み場はかなり広いものだった。水が豊富な街ゆえの贅沢だろう。湯気に紛れて靄がかった壁画に目を向ける。
剣の乙女、彼女は何を考えているのだろうか。
私たちを陥れたいのか、単に何か言えない事情があるのか。分からない。
人の奸策を考えるのは苦手だ。
「あー、どうしたものかしら」
「なにかありましたか?」
独り言に返事が返ってきて、さすがに狩人もぎょっとした。声のほうを見れば、ちょうど考えていた剣の乙女その人がやってきていた。
もちろん彼女も裸だったが、目を覆う黒布は着けていた。
気付かなかった。それほどまで自分は考えに没頭していただろうか。あるいは単に湯浴みでリラックスしていただけかもしれないが。
彼女はしずしずと近づいてくる。湯に入っている狩人の隣に座り、もう一度問うた。
「なにかありましたか? ご不便があれば言ってくだされば……」
奸策を考えるのは苦手だ。
だから、直接聞くことにした。
「あなたが何を考えているのか分からなくてね」
「ええと……?」
「あなた、私たちが報告した時にゴブリンスレイヤーに言ったわよね。『それなら安心です』って」
「ゴブリンを倒していただけるのですから、それは安心できますわ」
「何が安心なの?
それは、と剣の乙女は口をつぐんだ。
ゴブリンを全滅させたところで、黒幕には手がかからない。むしろ、駒を潰されたことでより深くへ潜ってしまうだろう。
問題の解決には程遠い。それのなにが安心なのだろうか。
「私はあなたが分からないわ。事件を解決したいのか、私たちをハメたいのか、あるいは街を陥れたいのか」
ねえ、どうなの、と狩人は顔を寄せた。
剣の乙女は目をそらす。
「それは……」
そこで、湯で血の巡りが良くなったからだろうか、剣の乙女の身体に古傷が浮いてきた。
手足はそれなりに深いが、胴部分は浅く撫でるような傷だ。
致命傷を避けている歴戦の証とも受け取れるが、どちらかと言えば、嬲るように付けられた傷だという印象を受けた。
嬲るための傷。覚えがあった。
「あなた、それ……」
目を細めれば、彼女は自分の体を抱きすくめた。そうしてぽつぽつと語りだす。
「もう十年も前ですわ。後ろから頭を殴られて、それからずっと洞窟の中で……」
狩人は目を伏せる。いらぬ傷跡を掘り起こしてしまったかもしれない。
「あなた、私の意図が分からないとおっしゃいましわね。簡単ですわ。私の意図は『ゴブリンを殺してほしい』ただそれだけに尽きますわ」
「それは、なぜ? 裏で糸を引いているやつはいいの?」
「ええ。そんな者たち、もういませんもの。私どもとは別の者がすでにその者らを討ち滅ぼしていますわ」
残っているのはゴブリンの残党だけ、と剣の乙女は呟く。
狩人は腕を揺らした。湯が波打つ。
「黒幕は倒され、あとには駒だけが残った。その対処に私たちが呼ばれた。それで、ゴブリンさえ殺せば安心だと」
「ええ」
「けれど、やっぱり分からないわ。それならますます自分たちで対処できるじゃない」
剣の乙女が手を組む。ぎゅうと力強く握ったそれは、そうしないと震えてしまいそうだったからだ。
「だって、言えないではないですか。剣の乙女ともあろうものが、ゴブリンから私を助けてだなんて」
一度言ってしまえば、胸の内に秘めていた思いが、言葉が堰を切ったように溢れ出す。
「私はどんな恐ろしいものでも倒してきました。そうして金等級の冒険者となり、剣の乙女と呼ばれるまでになりましたわ。けれど、けれど、ゴブリンだけは駄目なのです。あれらがいると思うと、恐ろしさに身が震え、心が震え、なにもできなくなってしまうのです。あれらの前で、私は小さな女のままなのです」
ゴブリンが怖いのです、と剣の乙女はうつむく。
狩人は逆に天井を向いた。綺麗な、白い天井だ。あの洞窟の天井とは大違いだ。あの忌まわしい場所とは。
けれど、彼女にとっては違うのだろう。
今でも、いつまでもあの景色が瞼の裏にこびりついているのだろう。
いつまで経っても、心はゴブリンの洞窟の中に囚われたままなのだろう。
かつて女はそう言われた。そして狩人となった。
あなたは、と剣の乙女が口を開く。
「あなたは恐ろしくないのですか? ゴブリンに攫われた女がどうなるかなど……。それは自分とは関係のない可能性なのだと切って捨てられるのですか?」
「そんなことはないわ」
即答した。少し強くなりすぎた語気に、自分を落ち着かせるように息を吐く。
「そんなことはないわ。けれど、あなたはもう立ち上がれるはずよ。あなたは、被害者の少女から、剣の乙女になれるはずよ」
剣の乙女の方を真っ直ぐ見る。
「大司教様に説法するのも気恥ずかしいけれど、昔私は言われたわ。『人は血によって人となり、人を超え、また人を失う』」
「血によって人となる……」
「そして、『血とはすなわち意志』だと。人と獣の違いは恐れることよ。恐れて、なおそれでも立ち上がる気高さを持つものを人というのよ」
だから、と目線で彼女を射抜く。
「だから、あなたは血によって人となれるわ」
「血によって、意志によって……」
でも、と剣の乙女は首を振る。
「でも、分からないではないですか。私が人になれるかなど。どうしてそんなことが言い切れるのです」
「なれるわよ。だって、私は狩人になれたもの」
弾かれたように剣の乙女がこちらに顔を向けた。
「ゴブリンの洞窟で死にかけで泣いていた哀れな女は、狩人になれたもの」
「それは……あなたも同じ……」
「同じじゃないわ。私の傷は私のもの。あなたの傷はあなたのものよ。それらはきっと似てるけど、同じじゃない」
だから、と続ける。
「だから、あなたの恐怖を、私は真に理解してあげられない。あなたの恐怖はあなたが乗り越えなければならない」
「あなたは、私を救ってはくださらないのですね」
うつむく剣の乙女に、そうね、と返した。
剣の乙女が黒布を外す。そのぼんやりとしか見えないであろう目で、こちらをまっすぐに見やった。
「あなたはどうやって乗り越えたのです? あの恐ろしい洞窟からどうやって抜け出たのです?」
ぐいと、剣の乙女が近づいた。湯の波紋が狩人にぶつかった。
「洞窟から引き上げてくれた人がいた。その人は私に警句を与えてくれた。けれど、最後は私が人でありたいと願ったからよ。私は哀れな被害者の女ではなく、狩人になりたいと願ったからよ」
「強いのですね、あなたは」
「あなただって強いわよ」
「そんなことは……」
「そうよ。だってあなたは剣の乙女だもの」
強い意志をもって彼女の顔を見返す。
「あとはあなたが剣の乙女でありたいと願うだけよ。それできっと、あなたは誇り高い人になれる」
言いたいことだけ言いおいて、狩人は湯浴み場から出ていく。
その背中を、剣の乙女はじっと見据えた。
私は剣の乙女になれるでしょうか。
そう自分に問う。
真っ暗な洞窟でうずくまる少女に、月のような光がさした。
けれど少女の周りにはゴブリンがたむろしていて、下を向いた顔を上げることができない。
顔を上げたらきっと、目があったゴブリンが襲ってくる。
そんな想像が頭の中から出ていかない。
月の光は導きだ。
少女が剣の乙女になるための道を照らす柔らかい光だ。しかし、その道の周りにはゴブリンがいる。その想像に、少女はさらに身をすくめ、小さくなるしかできない。
「それでも、私はゴブリンが怖いのです」
誰もいなくなった湯浴み場で、彼女は呟く。
「誰か、このゴブリンを殺してください」
狩人さんは狩人であってゴブリンを殺すものではないのでね
このくらいが落としどころかなと