夢を見ていた。
夢だと分かったのは、姉の姿があったからだ。
姉と、幼なじみとの穏やかな記憶。
他愛もないことを話して笑った。
楽しい記憶。ただ、何を話していたのかを覚えていない。きっと、大事なことだった気がする。
楽しかったはずなのに、自分たちがどんな声でどんなふうに笑い合ったのか、どんどん記憶が薄れていく。
大切なものだったはずなのに。
突然、辺りが暗くなった。暗闇に紛れ、ゴブリンが現れる。そいつらは姉を襲っていた。
暗がりの中、幼い自分は小さくなって震えていることしかできない。
姉の悲痛な叫びが耳を刺す。
ゴブリンの汚い声、姉の悲鳴。床をたたく音。
全てが鮮明に聞こえてくる。
笑い声など、とうに記憶の彼方だと言うのに。
痛い、やめて、離して、声が自分の体を突き刺す。
それでも、自分の体は動かなかった。
やがて、暗闇が世界を包んだ。姉もゴブリンも灰のように消え去る。
光のない闇の中、ただじっと小さくなっていた。
どれほどの時間がたっただろう。やがて、ふらふらと立ち上がる。手にはいつの間にか小剣があった。
どちらが前かなんて分からなかったけれど、とにかく歩いて進んだ。
すると、そこにはゴブリンが立っていた。ぼうと突っ立っているゴブリンを殺した。
また歩き出す。ゴブリンがいる。そいつを殺す。歩く。まだいる。殺す。殺して、殺す。
ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン、獣、ゴブリン、ゴブリン。
気づけば辺りには死体だらけだ。
いつの間にか暗闇は晴れ、辺りは尖塔の並ぶ石造りの街並みになっていた。
背後から足音がする。
振り返り、襲ってくる獣を殺した。
殺しても殺しても、それは収まらない。どこからともなく湧いてくるようだった。
もう一体。脚を斬られて倒れ伏す獣を蹴り、仰向けにする。長い毛に塗れた顔、その中でギラギラと輝く蕩けた瞳。
それを見ながら心臓に剣を突き刺した。
見上げれば、空は青ざめた血の色に染まっていた。
そこで気づく。獣とは緑の肌をしていなかっただろうか。足元の死体を見やる。ゴブリンとは似ても似つかない毛むくじゃらの肌に長い手足。
何だこれは、ゴブリンスレイヤーは眉をひそめた。
「ああ、私の夢と混ざってしまったか」
背後から男の声がした。
剣を握り直し、振り向く。
「古狩人……?」
そこに居たのは辺境の街の銀等級冒険者だった。
ゴブリンでも、化け物でもない。とりあえず一安心した。
「いや、なに、近くに来ていてな。水の街は至高神の膝下だ。夢が混ざったのもその影響だろう」
古狩人はひとりでうなずいているが、ゴブリンスレイヤーはさっぱり意味が分からなかった。
「つまり、夢の中でお前と話している、と?」
「ああ、その理解でいいさ。余計なことは知るべきではない」
そうか、とゴブリンスレイヤーは呟いた。死体を見やる。
「この化け物がお前の狩っている獣か」
「ああ、そうだ。獣の病の罹患者さ」
「病……」
つまり、この獣ももとはなんてことのない人だったのだろう。それを狩っている。
ゴブリンスレイヤーはうつむく。
「狩人もか」
「あれは少々事情が異なる。彼女はただの冒険者だよ」
安心するといい、と古狩人が息を吐いた。それから辺りを見渡す。いつの間にか、尖塔の街並みは、田舎の村に様変わりしていた。
「お前の夢はゴブリンばかりだな」
「そうだ。どれだけ殺そうと、殺しきることはない。寝ても覚めても、ゴブリンばかりだ」
「まあ、人の夢に首を突っ込むつもりは無いが……」
ぼやいたところで、ゴブリンスレイヤーが遮った。
「なあ古狩人。俺はいつか殺しきることができるだろうか」
ぽつりと呟いたそれは、古狩人にわずかな驚きをもたらした。
ゴブリンスレイヤーはかぶりを振る。
「いや、なんでもない。忘れてくれ。答えはすでにある」
「お前はゴブリンスレイヤーだものな」
「そうだ。俺はゴブリンスレイヤーだ。ゴブリンは殺す。どこに居ても、どれだけでも」
「なに、お前はひとりじゃない。うちの不肖の狩人もうまく使え」
「ああ、一党のみなは頼りになる」
古狩人がわずかに笑った。それから、いつの間にかあったランプを指さす。
「手をかざせ。それでこの夢から目覚められる」
言われた通り近づいて手をかざすゴブリンスレイヤーに、狩人は問いかけた。
「目覚めたらどうするんだ?」
「決まっている。あのゴブリンを殺す」
ゴブリンスレイヤーの意識が薄れていった。
目を覚ますと、ゴブリンスレイヤーは柔らかいベッドに寝ていた。夢で古狩人と話したことはおぼろげに覚えている。
姉のことを思い出す。その笑う姿も、声も、鮮明に覚えていることに胸をなでおろした。
そこで気づいたが、自分は肌着しか着ていなかった。周りを見てみれば、ボロボロになった鎧が置かれている。
ベッドには裸の女神官の姿もあった。
「目が覚めましたか」
女の声が隣からかけられた。剣の乙女だった。
死にかけだった自分。同衾していた女神官。なるほど。
「リザレクションの奇跡か」
「ご存知でしたか」
ああ、とうなずく。剣の乙女がベッドに座っている自分の隣に腰かけた。
◆◆◆
ゴブリンスレイヤーが目を覚ましたと剣の乙女から聞いた狩人たちは、慌てて部屋に向かった。
中には女神官もいる。まだ着替えてないかもしれないと思った狩人をよそに、妖精弓手が勢いよく扉を開いた。
幸いにして、二人ともすでにいつもの服装に戻っていた。
いや、いつものというには、女神官の僧衣は肩から腕にかけて大きく破れているし、ゴブリンスレイヤーの鎧はへこみが目立つ。
痛々しい傷跡の残りだった。
「起きたわね! オルクボルグ!」
妖精弓手を先頭に駆け寄る。まずは皆で無事を祝った。
「無事だから笑って言えるけど、あの時はもうだめかと思ったわ」
妖精弓手の言に、ゴブリンスレイヤーはうなった。
「ああ、だが、鐘の音が聞こえた気がした。それで、少し生きる力が湧いてきたように感じた」
妖精弓手が狩人のほうを見る。狩人は懐から小さな鐘を取り出した。
聖歌の鐘と呼ばれる狩道具だ。
神秘の鐘の音を模した音色が、生きる力と治癒の効果をもたらす代物だった。
「一党で動くから、この街に来る前に用意していたのよ。とはいえ、気休め程度にしかならなかったと思うけど」
「いや。確かに鐘の音を聞いた。だとしたら意味があったのだろう」
そう、と狩人は鐘をしまった。とにもかくにも窮地は切り抜けた。となれば次をどうするかだ。
蜥蜴僧侶が手を合わせる。
「お二方は装備を整えねばなりますまい」
「その前にメシじゃ。腹が減っては動けるもんも動けん!」
鉱人道士が腹を叩けば、そうでしたな、と蜥蜴僧侶が笑う。狩人と妖精弓手も同意した。
「なんだ。食事を取っていなかったのか」
ゴブリンスレイヤーが不思議そうに呟いた。女神官が彼のほうを向いて笑う。
「はい。みんなあなたのことを心配していたんですから」
そうか、とゴブリンスレイヤーは呟いた。
◆◆◆
街のレストランで食事を取ったあと、ゴブリンスレイヤーと女神官は武具屋に向かった。狩人も同行している。
なんで私も、とぼやけば、後で話したいことがあると言われたからだ。
ゴブリンばかりの彼にしてみれば意外なことだと思った。
武具屋で鎖帷子と鎧の修繕を依頼し、ゴブリンスレイヤーは小剣を手に取った。数打ちの品だ。彼にとってはそれが良い。
「そっちのコートの姉さんはいかがします?」
店員が明るい声をかけてくる。どちらかと言えば軽薄さがにじみ出ていたが、気にしなかった。
「そうね。重い武器はあるかしら」
「重い?」
「そう。巨体でも刃が通る重打ができる武器」
店員は頭をかいてうなり声をあげる。それから、探してみます、と店の奥に引っ込んだ。
まあ、期待せずにいよう。
そこで、女神官が話しかけてきた。
「いつものノコギリ、駄目になってしまったんですか?」
「そんなことはないんだけど、あいつ相手じゃあちょっと難儀しそうでね」
ノコギリ鉈は万能ではあるが、最良ではない。多くの敵に対応できるが、はじめから敵が分かっていれば、より良い選択肢も当然でてくる。
そう思って言ったのだが、彼女にとってはゴブリンチャンピオンのことが痛ましい記憶とつながったようで、噛まれた腕を反対の手で握りしめた。
「すみません。やはりちょっと思い出してしまって……」
「仕方ないわ。でも、私たちは立ち向かわないといけないわ」
「そうですね。私たちが何とかしないとですよね」
女神官は目をつぶり、ひとつ息を吐く。それから目を開けば、彼女は困難に立ち向かう冒険者の顔になっていた。
頼もしいと素直に思う。
ちょうどよく店員が奥から戻ってきた。難しそうな顔をしている。
「重さのある武器ですと、今はハルバートくらいしかなくて……」
槍と斧、そして引き倒すためのフックが一体となった長柄の武器だ。
一本で様々な用途に使える分、使い手の技量が試される。
「生兵法で使うには難しいわね……」
「まったくその通りです」
店員は眉を八の字に落とす。無理に勧めないあたり、ちゃんとしているのだろう。
仕方ないと諦めた。
「それじゃあ、また今度にしておくわ」
「お待ちしております」
店を出てしばらく歩く。アイスクリームの露店に興味を惹かれたらしく、女神官がそちらを見た。
物欲しそうにしていたので、せっかくだからとアイスを買う。
子どもに交じり露店の前で待つ彼女はなんとも微笑ましい。
狩人はベンチでその姿を見ていた。
隣に座ったゴブリンスレイヤーが切り出す。
「古狩人だが、俺の夢に出てきた」
「ええと、それで……?」
「お前たちはただの獣を狩っているわけではないのだな」
狩人は口をつぐんだ。ゴブリンスレイヤーは気にせず続ける。
「俺の夢に化け物が現れた。蕩けた瞳の毛むくじゃらの人だ。古狩人は獣の病の罹患者だと言っていた」
お前たちはそれを狩っているんだな、と確認のように言った。
「そう。それで?」
狩人はそれ以上の言葉を持てなかった。
人狩りをしているのか、と問われればそうかもしれないし、あれはもはや人ではない、と言うのも言い訳めいている。
結局、彼がどう思っているのかだ。
「それだけだ」
と、ゴブリンスレイヤーは言った。
意外だった。
彼はゴブリンに関しては多少たがが外れているものの、それ以外は真っ当な善性を持った人だと思っている。
何か思うところがあってもおかしくはないと思ったのだが。
「お前たちがなにか抱えているようなら、それを知っている者もいる」
それだけだ、と彼は繰り返した。
不器用で言葉足らずなもの言いだが、味方でいてくれるということだろうか。
そのことに気付いたら、思いの外口元が緩んだ。
「なにかあったら頼りにしてるわ」
「ああ」
女神官が帰ってきたので、話はそれきりになった。
アイスを食べていると、ゴブリンスレイヤーに声がかかった。誰かと思えば、辺境の街の槍使いと魔女だった。
ふたりかと思いきや、もうひとり後ろから現れた。古狩人だ。
「辺境のみなさんがどうしてここに?」
女神官が首をかしげる。
「ああん? ゴブリンスレイヤーに頼まれたんだよ。これを持ってきてくれってな」
槍使いが担いでいた大きな袋を落とす。重そうな音がしたが、なんだろうか。
ゴブリンスレイヤーに目を向けるが、答えるつもりはないらしく、助かったとだけ言って袋を拾い上げた。
袋も気になるが、狩人にとってより気になるのはもうひとりの男のほうだった。
「で、古狩人。なんであなたもここにいるの?」
「野暮用だ。それに、どうも不穏な気配を感じてな」
また会ったな、と彼はゴブリンスレイヤーに顔を向けた。ゴブリンスレイヤーも言葉少なにうなずく。
それから、また狩人のほうを向いた。
「狩人、どうだ? 冒険は。助けが必要か?」
何かを見透かされているような瞳が狩人を捉える。眉根を寄せた。
「これは私たちの依頼よ。私たちで何とかするわ。……けれど、ねえ、斧持ってない?」
ことさらかわいこぶって小首をかしげれば、古狩人は口を歪めるように笑った。そして、どこからか獣狩りの斧を取り出した。
皆が驚く。女神官や槍使いはあからさまに瞠目したし、おそらくゴブリンスレイヤーや魔女も驚いているだろう。
狩人はそんな周りの反応を置いておいて、斧を受け取る。
片手で振るにはやや大きく。両手で振るにはやや持ち手が短い。そんな塩梅の斧だった。
「助かるわ。ノコギリ鉈じゃ困ってたの」
「ああ、まあ、いつでも鐘を鳴らせ。暇なら助けに行こう」
くっくと笑う古狩人に、狩人も笑みを浮かべた。
「おい、古狩人てめえ、どっから出てきた今の斧! 魔道具かなにかか!?」と食らいつく槍使いをあしらいながら三人は去っていった。
さて。
「私も状況に合った装備にできたし、あなたたちの防具もすぐできる」
狩人が、ゴブリンスレイヤーと女神官のほうを向けば、彼らはそれぞれ短く言葉を返す。
「態勢を整えて、リベンジマッチといきましょう」
「もちろんだ。ゴブリンは皆殺しだ」
彼は噛み締めるように言った。
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