まず女が感じたのは熱だった。
体を焼き尽くすような熱が血管を巡っていた。燃える頭が幻視する。
尖塔がそびえ立つ街、獣となった人々、教会の側に立つ大男、遠吠えする腐った猟犬、溶けた人が集う学び舎、こちらを見る数え切れない瞳、揺りかご。
体中の熱が外に集い、獣の形を成す。人の身の丈ほどもある黒い大きな獣だ。
黒い獣がこちらに手を差し伸べる。それが女に触れようとした瞬間、獣は火に包まれた。
おぞましい声を上げ悶える獣はやがて倒れ伏し、血となる。
ひたひたと何かが体を登ってくる感触がした。白い小人だ。何人もの白い小人が体にまとわりつく。目のような、口のような亀裂を蠢かせ、小人たちは女の顔に這い寄った。
そして女性の声が頭に響く。
−−ああ、狩人様を見つけたのですね。
女は診察台の上で目を覚ました。
今のはなんだったのだろうか。私はどうしたのだったか。
診察台を降り、立ち上がる。周りを見てみれば、いくつかの診察台と薬品の詰められた棚が目に付く。どうやらここは診療所らしい。柱の側に椅子があり、そこには見たことのない筆跡の走り書きがあった。
『青ざめた血を求めよ、狩りをまっとうするために』
これは何だろうか、意味が分からない。
とりあえずここにいても何もわからない。薄暗い診療所のドアを開け階段を下りる。
下った先の部屋の先の広間から何か物音が聞こえる。
ぐちゃり、ぐちゃりという水っぽい音はなにか不吉を感じさせた。
女は恐る恐る近づく。そこにいたのは、先程夢に見た獣だった。自分よりも大きな黒い毛の獣が人らしき何かに噛みつき、血肉を食らっている。
「ひっ」
思わず上がった声とともに後ずさる。するとガシャンと何かを踏みつけてしまった。
獣がこちらに気付く。ゆっくりと近づいてくるそれに、恐怖で体が動かない。
獣が俊敏に飛びかかってくる。
反射的に掲げた腕ごと、その鋭い爪が彼女を引き裂いた。
悲鳴を上げ、あっけなく女はその場に倒れこんだ。
頬に固い感触を感じる。女は自分が石畳の上に伏して倒れこんでいることに気付いた。うめき声をあげ、地面に手をつく。口の中が異様に乾いていた。まるで悪夢から目覚めた時のようだ。
上体を起こせば、石畳は緩くカーブを描く階段へと続いている。そしてその階段は小さな家の入口へと続いていた。
自分はどことも知れぬ家の前庭にいるらしいと分かった。
周囲に視線をやれば、夜明けのような青白い空に包まれている。
本当に、空に包まれていた。
階段の上にある家と、その裏にある大樹のそびえる花畑、そして自分のいる前庭。それしかない空間が女の身の回りの全てだった。
不可思議な夢のような空間だった。現実とは思えぬそれに呆ける女に、男の声がかかる。
「おい」
「ひっ」
女が振り返ると、黒いコートの男がいつからか立っていた。宇宙色の瞳が女を捉える。
男がこちらに問いかける。
「お前、覚えているか?」
「覚えて……? ええと、私は……。そ、そう! 私は獣に襲われて……! それで……死んだの? ここはあの世? あなた死神かなにか!?」
女は数歩後ずさる。コートの男は手のひらを胸の前に掲げ、落ち着けと身振りで示した。
「落ち着け。ここは狩人の夢で、私は狩人だ。ゆっくりでいい。一つ一つ思い出すんだ」
深呼吸だ、と狩人は告げた。言われた通り、女は呼吸をくり返す。
「ここに来るまでに何があった? ゆっくり思い出すんだ」
「診療所で目が覚めて、階段を下りた。そこで大きな獣を見つけて、それで襲われた……。襲われて、私は死んだ……はず」
「そうだ。では診療所で目を覚ます前は?」
「目を覚ます前?」
女は頭を押さえる。
「ええと、……あ、ああ……。ああ!」
女はがたがたと震えだした。自らの体を抱きしめるように腕を回す。
「ゴブリン!」
ああ、という悲鳴の後、女はその場にうずくまった。思い出したのだ。
「大丈夫だ。ここにゴブリンはいない。ゆっくりでいい、自分を保つんだ」
嘆く女が落ち着くまで、狩人は静かに彼女を見つめていた。やがて荒くなっていた彼女の呼吸がゆっくりと落ち着いたものになる。女は顔を上げ、狩人の方を見た。
「ゴブリン。そう、私はゴブリンに襲われて、ずっと、ずっとあの洞穴の中で……。もう駄目だと思った。ここで死ぬんだって。でも気づいたら外に居た。黒いコートの男が居て……。あなたが私を助けてくれたの?」
問いに、狩人は苦い顔をした。
「助けては、いない。むしろもっとひどくしたと言ってもいいかもしれない。ある手段によって、お前は命をつなぎとめた。その結果お前はここに来た」
「どういうこと?」
「お前はヤーナムの血を受け入れた。狩人たりうる生命力を手に入れたが、血に飲まれれば逆に獣となり果てる」
女はよく分からないという顔をする。狩人は構わず言葉を続けた。
「まあいい。今は何もわからないだろう。だからまずは獣を狩ることだ。じきに慣れる。狩人とはそういうものだ」
先達からの贈り物だ、と狩人はどこからかそれらを取り出した。ノコギリ鉈と短銃、そして黒い狩装束だ。
「まずは、ヤーナム市街を抜け、聖堂街へつながる大橋にいる獣を狩れ」
「ちょっと待って、なんのこと? いきなり意味が分からない!」
「いいや、わかるんだよ」
狩人は強引に女の手を取り、階段に沿って並んでいる墓石の一つに向かった。そして女の手をそれにかざす。すると彼女の意識が薄れていく。
「狩人になれ。さもなくばお前に生き残る道はない」
女はいつの間にか、診療所の小部屋に居た。
◆◆◆
辺境の街の冒険者ギルドに黒いコートの男がやってきた。狩人だ。
彼はなじみの受付嬢のもとへと迷いなく近づいていく。彼に気付いた受付嬢が笑みを浮かべた。
「狩人さん」
「今大丈夫か。例の依頼の件だ」
「はい。それでどうでした」
受付嬢は人懐っこい笑みを消し、神妙な顔つきになる。
狩人は、認識票と遺品を台の上に置いた。丁寧に洗いはしたが、まだ何か良くないものが取り付いているような品だった。
「全滅だ」
「そんな……」
「やはり、ゴブリンの仕業だった。道の近くの巣に連れ去られていたようだ。巣の中で十四のゴブリンを狩った。そちらも全滅だ。必要であれば確認を向かわせても構わない」
「そうですか……。いえ、まずは依頼の達成ありがとうございます。後の処理はこちらで行います」
そこで、狩人は、なあ、と声を潜めた。指で顔を近づけるようにジェスチャーをする。受付嬢はけげんな表情を浮かべながらも、身を寄せ耳を傾けた。
「全滅と言ったが、一人生き残りがいる。女だ」
「それは……」
なんと返すべきか、受付嬢は言葉に詰まった。
「虫の息だが、今は私の工房に居る」
「それじゃあ早く医療者のところへ連れて……」
「いや、できれば内々に処理したい。わかるだろう?」
「それは……そうですね。わかりました。信頼できる者を手配してそちらへ向かわせます」
ゴブリンの被害者は悲惨なものだ。たとえ生き残ったとしても、その傷は残り、周囲からの憐憫と好奇の目にさらされる。だから、
「だから、被害者は洞窟で全員死んだ。生き残りはいない。そういうことにしておいてくれ」
生き残ったところで、哀れなだけだ。狩人は目を伏せた。
いまだにゴブリンスレイヤーのスの字も出てきてないんですが大丈夫ですかね