聖職者の獣に相対する。
短い右腕の攻撃は下がって避ける。攻撃後の短い隙にノコギリで斬りつけた。獣がわずかにひるむ。だが追撃はしない。小虫を嫌がるかのように乱雑に腕が振るわれた。欲張って追撃に移っていたら薙ぎ払われていただろう。それを回避できている。
何回も殺され、それでもなお立ち上がり、少しずつ自分の動きが洗練されていっているのが分かる。聖職者の獣の動きに対応できつつある。
獣が右腕を地面に叩きつけ、ついで左腕を大きく振りかぶる。体ほどもある左腕の攻撃は思っている以上に距離がある。引いては駄目だ。
女は獣の側面に入るように斜め前にステップを踏んだ。入れ替わるように、先ほどまで自分が居た空間に左腕が叩きつけられる。石畳が割れ、その破片が飛んできた。
が、女は気にせず体側を斬りつける。傷口に血がにじんだ。
血が出るということは攻撃が効いているということだ。
わずかばかりでもノコギリの刃は通っている。少しずつ削れている。
ならば、いずれ確実に獣は斃れるはずだ。私はあいつを狩れるはずだ。
聖職者の獣の攻撃は脅威だ。
直撃を受ければ、死ぬ。
一手読み違えれば、死ぬ。
だがそれでも、自分はあいつを狩らねばならない。
研ぎ澄まされた精神が、女を奮い立たせる。
下がれば死ぬ。前へ前へとステップを踏み攻撃をかわす。
攻撃をかわし、斬りつけ、距離を取る。
その繰り返しだ。
そしてついに、その瞬間は訪れた。
斬りつけた後距離を取りなおしたところで、聖職者の獣が右腕を横に振るった。一歩引いてその攻撃を避ける。ついで来るのは左腕の薙ぎ払い。
女はこれを横にステップしていなした。
攻撃の体勢で下がってきた頭にノコギリを振るう。
すると獣は頭を押さえ、大きく体勢を崩した。
大きな隙を晒すそれの前に立ち直り、女は右腕を構えた。
頭の傷口に腕を突き立てる。その中の何かを掴み、思い切り引き抜いた。
血が噴き出る。獣は悲鳴を上げ大きくのけぞる。そのまま力尽き、地面に伏した。
その大きな体が灰のように消え去る。
「……やったの?」
女は肩で息をしながらつぶやいた。
橋に残っているのは、血の跡、攻撃の痕跡、そして血に塗れた自分ばかりだ。
いや、いつの間にかランプが立っている。
ランプだ。
女はゆっくりと歩み寄った。
そしてそれに火を点ける。
温かい光が女を照らした。
万感の思いを胸に、女はそれに手をかざす。するといつものように意識がぼやけていった。
女は目を覚ました。
自分はベッドに寝ているようだ。上体を起こす。自分の体に目をやれば、体を締め付けない緩い衣服を着ている。その下は包帯だらけのようだった。
「ええと、私は……」
寝起きのせいか、頭がぼんやりしている。なにか長い夢を見ていた気がする。とても長い夢を。
「起きたか」
突如、横から男の声がかけられた。驚いて声の方を見る。男が椅子に腰掛けてこちらを見ていた。その宇宙色の瞳を見て、ようやくもやがかかった頭が覚醒したようだった。
「狩人……! そうか、私は……」
「聖職者の獣を狩ったようだな」
女はこくりとうなずく。
そうだ、私は長い長い夢の中に居た。
「私……私、やったのね?」
溢れてきた涙をぐいと拭う。狩人は両手を組んだ。
「今は分からないことも多いだろう。体もまだ万全では無い。今は休め」
女は涙を流しながら、何度もうなずいた。
女が目を覚ましてから一週間ほどが経った。
辺境の街の冒険者の間の話題に、狩人がのぼることが多くなった。
曰く、狩人の工房にある女が出入りしている。
冒険者たちは好き勝手に話を交わした。もちろん本人のいないところである。
あの恐ろしい狩人に恋人でもできたか。まさか、あれはハウスメイドだろう。違う、繋がりのある商家の娘らしい。いや、冒険者の女を弟子にしたに違いない。
ひとりで居ることの多かった狩人だけに話も盛り上がる。
そしてそんな噂のひとつが声をひそめて交わされる。
「あれは保護された哀れなゴブリンの被害者だ」
まったくもって、口さがない噂だ。
◆◆◆
「ゴブリン!?」
ギルドの受付嬢が思わず、といった調子で声を上げた。はっとして口元を手で隠す。幸いにして、その悲鳴じみた声は冒険者たちのざわめきに消えていった。
「ああ、ゴブリンだ」
狩人が繰り返した。
トップハットに短いマントのついた黒い革のコートといった紳士然とした出で立ちだ。片手には鈍く光る銀の杖を持っている。
受付嬢が彼の隣にいる女性に目をやる。狩人の元に身を寄せていると噂の女だ。
狩人と似た意匠の革のコートを着ている。こちらはマントが無い。
彼女は落ち着いた様子で受付嬢を見返した。
「ええと、待ってください」
話を最初から整理します、と受付嬢は眉間を押さえる。
「彼女は名も知らぬどこぞの村から連れてきた人で、先ほど冒険者登録をしたばかり。で、まず初めの依頼としてゴブリン退治をさせたい、と」
「いつも通り処理をしてくれればいい。書類を整え、見送るだけだ。簡単だろう?」
「あのですねえ……!」
さらりと言ってのける狩人に、受付嬢が眉間にしわを寄せる。対応中に笑みを絶やさない彼女には珍しい態度だった。
「狩人さん、応接室に行きましょう」
鍵を手に、受付嬢がカウンターから出る。狩人と女は黙って後に続いた。
部屋に入るやいなや受付嬢は鍵を閉めた。
狩人は当たり前のように座っている。その隣で女はどうしたらいいのか迷っていたようなので、受付嬢は座るよう言った。女が狩人の隣に腰かける。
「正気ですか!? あなた!」
受付嬢が声を張り上げた。対する狩人は悠々としたものだ。足を組み、背もたれに体を預ける。
「私はいつだって正気だ」
「だったら彼女にゴブリン退治なんてさせないでしょう!」
「彼女は冒険者だ。食い扶持を稼がねばならん」
「他にも依頼は有りますし、そもそも冒険者でなくてもいいはずです」
「ゴブリンで駄目な理由もない。なにも便宜を図れと言っているのではない。いつも通りに仕事をしてくれと言っているだけだ」
狩人はのらりくらりと応える。一方で苛立たしげなのは受付嬢だ。
なぜこの男は私の言いたいことを分かってくれないのか。
「私は彼女を心配しているんです! 怪我も治ったばかりの新入りですよ! わざわざ戦闘の依頼を受けることはないでしょう! それになにより……」
なにより、と受付嬢は言葉を詰まらせた。わずかに顔をよせ声を抑える。
「なにより、彼女、ゴブリンの被害者でしょう……!」
ぴくりと女が肩を震わせた。一方で狩人はわずかに口を笑わせた。
「ああ、その通りだ。彼女はゴブリンの被害者だ。新しい名を手に入れ、新しい冒険者の身分を手に入れても、今のままではいつまでたっても哀れなゴブリンの被害者のままだ」
淡々と狩人が告げる。背もたれに預けていた体を起こし、姿勢を前にやった。
「それでは駄目なのだ。彼女は狩人にならねばならない。古い殻を脱ぎ捨て、惨禍を乗り越え、ひとりの狩人として立たねばならない。一度敗れるのはいい。だが必ず、応報せねばならない」
これは儀式なんだ、と狩人が言う。
「この冒険は、こいつが被害者から狩人に変わるために必要なんだ」
受付嬢が息を呑んだ。それから女のほうを見る。
「あなたは……、あなたは納得しているんですか? 私は、わざわざそんな道を行くことはないと思っています」
「納得しています。全てを無かったことにして、目をつぶって生きる道もあったでしょう。ですが、それでは私は私を受け入れられません。私は胸を張って生きていきたい。立ち向かうことを強制されているのではありません。立ち向かいたいんです。これは私の選択です」
きっぱりと言い切る。その強い意志を感じ、受付嬢は頭を押さえた。
「分かりました。依頼受注の手続きを行いましょう」
ただ、本当に気を付けてください。
受付嬢は祈るように呟いた。
◆◆◆
洞窟の前に女は着いた。かつて自分が囚われていた場所からそう遠くはない。忌まわしい記憶が蘇ってくる。ただ、自分はそれを乗り越えねばならない。
すう、と大きく息を吸って吐く。右手になじむノコギリ鉈を握り直した。
大丈夫だ。私はやれる。
松明を取り出し、女は洞窟の中に入っていった。
彼女の冒険が始まった。
ようやっとゴブスレっぽくなってくるんじゃないですかね?(他人事)
追記
誤字報告ありがとうございます!