杜野凛世に化粧品のCMのオファーが来る話です。
「なぜ……凛世なのでしょうか……?」
杜野凛世は企業側の担当者の説明が終わると、すぐに尋ねた。今日の打ち合わせに、他の放課後クライマックスガールズのメンバーはいない。凛世とプロデューサーだけだ。
そうですね、と呟き、担当者は少し黙り込んだ。ふさわしい言葉を探しているようだった。
「杜野さんの瞳、ですかね」
「それと化粧品のCMにどのような関係が?」
担当者の言葉に、プロデューサーはすぐさま聞き返した。自分と同じように、彼も不思議に思っているのだと、凛世は思った。
今回、凛世に来たのはアイシャドウのCMのオファーだった。しかし、彼女は基本的に濃いメイクとは縁がない。イメージとかけ離れた仕事はさせたくないのが、プロデューサーとしての心情だった。
「恐れ多いのですが、僕は杜野さんのファンでして」
担当者は照れくさそうに断ってから、真剣な表情に戻って話を続ける。
「特に杜野さんの瞳には、目が離せなくなるような魅力というか、力強さを感じているんです。今回の新商品は、若い女性向けのものです。そのCMに若者から人気が高く、しかし普段は濃いメイクをしない杜野さんを起用することで、新たな魅力と話題性を引き出せたらと考えています」
担当者は熱く、一息に、オファーの経緯を語り終えた。プロデューサーは、ひとまず凛世の様子をうかがった。彼女は口を挟むこともなく、じっと担当者を見つめ、耳を傾けていた。
「……プロデューサーさま」
プロデューサーが凛世の意見を求めようとするより先に、彼女は口を開いた。
「凛世は……事務所さえ問題なければ……と思います」
「……ははっ」
自分のかすかな不安が杞憂だったことに、プロデューサーは安堵の笑みを浮かべた。凛世は控えめな性格ではあるが、決してか弱くはない。未知の経験になるであろう仕事に、気圧されるような子ではなかったということだ。
「凛世もこのように言っていますので、ぜひよろしくお願いします」
「なにとぞ……よろしくお願いいたします……」
「……ありがとうございます! こちらこそよろしくお願いします!」
担当者は興奮した様子で、何度も頭を下げた。凛世はこの熱意から何かを感じ取ったのかもしれない、とプロデューサーは思った。
頭を下げられてばかりの凛世を見やる。困りながらも、柔らかい笑みを浮かべていた。
正式にオファーを受けてから、CMの撮影に向けて何度目かの打ち合わせが行われた。その帰り道、凛世を寮まで送る車の中では、ふたりの会話が弾んでいた。
「本日も……みなさまの熱を感じる……打ち合わせでございました」
「ははっ、そうだな……打ち合わせのたびに、どんどん盛り上がっている気がするよ」
担当者の熱意は相当なもので、それに影響されているかのように、打ち合わせに参加する関係者たちも突き動かされていた。
凛世とプロデューサーも、例外ではなかった。CMをより良いものにしたい、という想いは打ち合わせのたびに強まっていった。
「凛世も普段より、よく意見を出していたしな」
「……過ぎた発言など、なかったでしょうか……?」
「そんなことはないって。これからも頼むよ」
「……ふふ、はい」
会話が一度落ち着く。少しの沈黙のあと、それにしても、とプロデューサーは話題を切り出した。
「ずいぶんと懐かしい曲をCMに使うよなあ」
CMで使われるのは、Base Ball Bearの「こぼさないでShadow」という曲だった。どうも、バンドの大ファンである担当者の、熱い要望らしかった。
凛世はこのバンドも、曲も知らないが、打ち合わせの資料によると9年前のアルバムに収録された曲とのことだ。
「思い出深い……曲なのでしょうか……?」
打ち合わせの途中、プロデューサーが昔は聴いていた、と口にしていたことを思い出し、凛世は尋ねてみた。
「ああ、高校生のときにCDを貸してくれる、ロックが好きなクラスメイトがいてさ」
自分にとっての智代子のような存在かもしれない、と凛世はCDを借りているプロデューサーの様子を想像してみる。しかし、自分と年齢のそう変わらない彼の姿は、うまく思い浮かばなかった。
「いわゆる、布教された、って言えばいいのかな?」
「そうなのですね……」
「……凛世さえよければ、なんだけど」
車が信号で止まったそのとき、プロデューサーが振り返った。なんだか少し、いつもより子供っぽい笑顔だと、凛世は思った。
「確かまだ家にCDがあるんだ。貸してあげるから凛世も聴いてみないか?」
「え……?」
「興味がないならいいんだ。でも、CMのコンセプトを理解する助けになりそうだし」
再び車が動き出す。
「それに、なんだか俺も布教、っていうのをしてみたい気持ちになってさ」
前に向き直ったプロデューサーは、少年のような声色でそう続けた。
その申し出を聞いた凛世の瞳は、きらきらと輝いた。いまの時代、動画サイトやサブスクなど、音楽を聴く方法はありふれている。詳しくは知らないが、調べれば使うことはできると、凛世は日頃から考えていた。
「……ぜひ、お借りできればと、思います」
しかし、凛世はCDを借りることにした。貸すということは、当たり前だがプロデューサーの私物ということだ。CDを手に入れてから現在まで、彼の過ごした時間を共にしたものだ。
触れてみたい、と凛世は強く思った。
自分の知らない、愛しい人が過ごした時間に、思い出に触れてみたい。側から見れば可愛らしく、凛世から見ればわがままな願いだった。
「そっか、それじゃあ……おっと、着いたぞ」
車がゆっくりと止まる。プロデューサーの声かけで、ようやく凛世は寮のそばまで来ていたことに気付いた。
「それじゃあ、次に会うときにCDを持ってくるから」
「ありがとう……ございます……それでは失礼いたします……」
「ああ、お疲れ様。凛世」
車を降りた凛世に、プロデューサーは小さく手を振った。彼も何か、心が躍るような想いがあるのかもしれない。それが自分と同じ想いであったなら、と凛世は思った。
車が見えなくなるまで、凛世はその場でプロデューサーを見送った。そのあとも、そこから動くことはなかった。
できなかった、と例えるべきかもしれない。
「約束……してしまいました……」
自分の知らない、プロデューサーを知ることができる。そのための約束をした。それだけで、着物の帯がきつく感じるほどに胸が高鳴った。
こんなに顔が火照っていては、寮にはまだ戻れない。
だけど、この熱がいつ冷めるか。それはわからなかった。
後日、凛世は約束通り、事務所でCDを受け取った。仕事から寮に帰ってきた凛世は、さっそく曲を聴いてみることにした。
取り出したケースには、細かな傷が無数に刻まれていた。中身を確認してみる。真っ赤なCDと一緒に、角に折れた跡のある歌詞カードが入っていた。
見た目が悪いことを謝っていたプロデューサーを思い出す。凛世にとっては謝ることなど、ひとつもなかった。
傷にも、折れた跡にも、それぞれの思い出が詰まっている。そのひとつひとつに思いを馳せつつ、凛世はCDを再生する準備を始めた。
手のひらサイズのCDプレーヤーにイヤホンを挿し、CDを入れる。このひと手間かかる聴き方が、「確かにここにある」という感覚が、凛世は好きだった。
流れてきたイントロに耳を傾ける。凛世には馴染みのない、エレキギターの音色が聴こえてきて、男女のボーカルが交互に歌っている。サビに入ると、化粧品のCMらしく、マスカラという言葉が出てきた。
つまり、タイトルの「こぼさないでShadow」というのは、女性の涙で落ちてしまうアイシャドウのことなのだと、凛世は考えた。
「まことに……よき曲で……ございました」
一度聴き終わった凛世は、ぽつりと呟き、ケースから歌詞カードを取り出した。赤色が擦れて、少し剥げた表面を見つめる。
プロデューサーはこの歌詞カードを何回取り出し、広げて、戻したのかを想像してみる。それだけで、どうしようもなく、頬が緩んでしまう。
凛世は歌詞カードを見ながら、もう一度再生ボタンを押した。最初に聴いたときから印象が変わる部分が、いくつもあった。
「心を受け取って愛にした」という歌詞は、その代表例と言ってもよかった。漢字で書かれているのを見た瞬間に、歌詞を本当の意味で理解できた気がした。
「大変、趣深い……」
歌詞の意味を噛みしめていた、そのときだった。
視界の隅で、歌詞カードから何かが落ちたのが見えた。拾い上げてみると、それは少し黄ばんだ、ノートの切れ端だった。
「……っ」
凛世は思わず息を飲んだ。
切れ端には丸く、可愛らしい文字でメッセージが書かれていた。そこには、プロデューサーの名前があった。
メッセージには日常的にCDを貸していること、気に入ったら自分で買ってほしいことなどが書かれている。最後に添えられた名前から、メッセージの主は女性らしかった。
「あのとき……プロデューサーさまが……おっしゃっていた……」
車の中でプロデューサーが話していた、クラスメイト。それがこのメッセージの主なのだと、凛世は察した。
「……あっ」
凛世は切れ端を持つ指先が、かすかに震えていることに気付いた。動揺しているのだと思った。こんな色褪せた、誰が書いたかもわからないメッセージに。
遠い昔の話だと、わかっている。そのはずなのに、胸の奥にうずくような痛みが走る。いままで感じたことのない、まるで古傷のような痛みだった。
「なぜ……こんなにも……」
凛世は自分の抱く感情に説明がつけられなかった。
自分の知らないプロデューサーを知りたい。事務所の誰にも秘密にして、自分ひとりだけが知っていたい。
ただ、それだけだった。
それだけで、どうしようもなく浮かれていた。プロデューサーのそばに、自分の知らない誰かがいたことを、想像もしないほどに。
意識の外で流れ続けていた曲の中で、ボーカルが歌った。
「心を受け取って愛にした それゆえ期待してしまう」
いまの凛世には、なんとも皮肉な歌詞に聴こえた。説明できない想いだが、到底プロデューサーに受け取ってもらえるようなものではない。それだけは確かだった。
凛世の意識はずっと、胸の痛みの正体を探して、自分の心を見つめ続けていた。意識の外でずっと、聴き慣れないギターロックが流れ続けていた。
凛世の気持ちは晴れないまま、CMの撮影日を迎えた。
撮影は順調に進んでいった。ここしばらくの間、凛世は自分の心から目を逸らし、普段通りに仕事をすることに徹していた。
「はい、カーット!」
しかし、それが通用しなくなるまで、そう時間はかからなかった。撮影は引きのカットなどを撮り終わり、CMにとって一番肝心な、メイクした顔がアップになるシーンで行き詰まっていた。
凛世が何度も致命的なNGを出しているわけではない。より良いCMにするための、監督からの細かな要望に応えられていないだけだ。妥協するのは簡単だが、凛世を含めてそれを望む者はこの現場にはいなかった。
振り返った顔のアップを数秒撮るだけの簡単なシーンだ。女優ほど上手ではないが、普段の凛世なら造作もない演技のはずだった。
「……監督、申し訳ありません。少し凛世に間を置かせていただけないでしょうか?」
「そうだな……このまま続けても、という雰囲気だしな」
今日の凛世はどこか普段通りではない。何度目かの撮り直しが決まったところで、プロデューサーは確信した。
監督の指示で、現場全体が休憩に入った。休憩用のスペースに向かいながら、凛世はプロデューサーを探した。行き交うスタッフたちの向こう側で、彼は真剣な面持ちで監督と話し込んでいた。
「申し訳……ございません……」
誰に向けるでもなく、凛世は小さく呟いた。
自分の様子がおかしいことに気付かれたかもしれない。うまくできなくて幻滅されているかもしれない。後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。ひとりになりたいような、誰かといたいような、妙な気持ちで頭がいっぱいだった。
休憩に入った凛世は、CDプレーヤーを取り出し、イヤホンをつけた。再生ボタンを押すと、あの日から聴けずにいた曲が流れてきた。
私情を挟まない、CMのコンセプトを見つめ直すための作業のはずだった。なのに、聴き入るほどに、押し殺していた感情が湧き上がってくる。
例えるなら毒のように、心が蝕まれていく感覚がした。歌詞もメロディーも、いっぱいになった頭の中には入っていかなかった。
ただ、何にもならない時間が過ぎていった。
「凛世」
ぽん、と肩を叩かれて、凛世は我に帰った。
聴き慣れた声の方へ振り返ると、プロデューサーが立っていた。
「リテイクが続いているけど、疲れていないか?」
「はい……」
「聴いているのは、俺が貸したCDかな?」
「……プロデューサーさま」
「ん?」
迂闊に口を開いたことを、凛世は強く後悔した。こうなると、何か話さなければならない。
プロデューサーに話したいことはたくさんあった。だけど、どの話題も返事を聞く勇気が出なかった。
メッセージの主はプロデューサーと友人以上の仲だったのかもしれない、と凛世は悶々としていた。あくまで想像だから、その程度で済んでいた。
だけど、もしも、それが事実だったら。
いま以上に気持ちは落ち込むだろうし、いっそ知らなければよかった、と思うに違いなかった。
「いえ……あの……」
凛世は慌てて、取り繕う言葉を探した。その間、プロデューサーは黙って彼女を待っていた。撮影現場のざわめきの中で、この場だけが静寂に包まれていた。
「凛世は……大丈夫、でしょうか……」
不安に耐えかねたように、凛世はそう尋ねた。
プロデューサーは、すぐにその問いかけに答えなかった。
「……なんて言えばいいのかな」
少しの沈黙のあと、プロデューサーは慎重に口を開いた。
「凛世はきっと……いまは大丈夫ではないんだろうな、って。撮影の途中からは、そう思っていた」
凛世は全身の血の気が引くような感覚に陥った。これ以上プロデューサーの言葉を聞くことが怖い、とすら思った。
「でも……凛世ならきっと大丈夫、っていう気持ちもあるんだ」
「それは……なぜでしょう……?」
「……凛世が凛世だから、かな」
凛世は言葉の意味をうまく飲み込めなかった。それが伝わったのか、プロデューサーは話を続ける。
「俺がいままで見てきた『杜野凛世』が、そういう気持ちにさせてくれるんだ。凛世のことを信頼している、って言えばいいのかな?」
「プロデューサーさまが……凛世を……」
信頼している、というひと言で、凛世は心の中に小さな火が灯ったような気がした。その火はまだ頼りなく揺れているが、確かに心を暖めてくれている。
「……俺には凛世がどうして普段通りにいかないのか、察せられない。理由を聞き出すことも望まないだろう、って思う。だから……」
一呼吸置いてから、プロデューサーはわざとらしく胸を張ってみせた。
「『杜野凛世』を信じて、見守るよ。凛世が大丈夫になるまで、俺はどこにも行かない。約束するよ」
「……プロデューサーさま」
凛世は自分の体が熱を帯びていくのがわかった。胸の奥から指先へと、熱が伝わっていくような感覚だった。プロデューサーの言葉は、まるで火に焚べられる薪のようだと、凛世は思った。
「すみません、そろそろ撮影を再開したいと監督が……」
「凛世……いけるか?」
プロデューサーはスタッフに答えるより先に、凛世に問いかける。それだけで、凛世はたまらなく幸せな気持ちになった。
「はい……大丈夫、でございます……」
「……よし! よろしくな!」
プロデューサーに送り出されて、休憩を終えた凛世はメイクを直しに向かった。
「よろしく……お願いいたします」
挨拶を交わして鏡の前に座ると、メイク直しが始まった。鏡の中には、普段よりも大人びたメイクをした顔が写っている。
自分だけど、自分ではない。鏡に写る姿は、そんな風にも見えた。
鏡だけではなく、心の中にもそんな自分がたくさんいるのだろう、と凛世は考えた。これまで感じたことのない、毒のような感情を抱いている自分も、そのうちのひとりだ。
まざまざと、その事実を見せつけられている気がした。だけど、目を逸らしたいとは思わなかった。これも自分なのだと、確かに『杜野凛世』なのだと、いまなら思えた。
「撮影再開しまーす!」
スタッフのよく通る声を皮切りに、現場が一気に慌ただしくなる。凛世は所定の位置について、カメラに背を向けた。あとは監督の合図に合わせて振り向くだけだった。
まだ、胸の奥は暖かかった。もはや、熱いと例えてもよかった。プロデューサーの言葉ひとつひとつが、小さかった火を燃え上がらせていた。
メッセージを読んで、なぜあんなにも動揺したのか。なぜ今日まで気持ちが晴れないままだったのか。過去の自分の感情が、いまならわかる気がした。
不安だったからだ。
不安になるくらい、彼のことを強く想っているからだ。
救われるくらい、彼のことを愛しく想っているからだ。
「……スタート!」
想いを噛みしめていると、監督の合図が聞こえてきた。凛世は監督に要求された通りの演技で、振り返った。
「……ぁ」
誰にも聴こえないくらい小さく、凛世は声を漏らした。
カメラのすぐ横に、いつも通りに見守るプロデューサーの姿が、目に入ったからだった。
「はい、カット!」
監督はカットの合図を出した。NGばかりだった先ほどまでとは違い、映像を食い入るように見つめていた。
「凛世……本当に大丈夫か?」
すぐに駆け寄ってきたプロデューサーは、心配そうに尋ねてきた。凛世はその理由がわからなかった。
「血相を変えて……どうされたのですか……?」
「だって……凛世、泣いてるぞ……」
「え……?」
プロデューサーが指差した頬を触る。マスカラが混じりうっすらと濁った涙が一筋、こぼれていた。凛世自身にまったく自覚はなかった。
「よし、OK! いいアドリブだったよ!」
戸惑うふたりに、映像を確認し終わった監督が声をかけた。監督は凛世のアドリブだと思っているようだった。
「……そう、だったのか?」
「いえ……でも」
強がりではなく、凛世は微笑んでみせた。
「凛世は……大丈夫、でございます」
その姿は、嘘偽りなく『杜野凛世』だった。
見守り続けることが本当に正解だったのか、というプロデューサーの不安は、あっという間に晴れていった。
「ははっ……それならいいんだ。このあとも頑張ろうな」
「ふふ……はい……」
それからの撮影は行き詰まっていたのが信じられないほど、あっさりと終わった。
そして月日は流れて、放送されたCMは好評を博した。
この日、凛世とプロデューサーは、事務所でCMに寄せられた感想に目を通していた。
「初見で凛世ちゃんだとわからなくて驚きました」
「CMを見て一目でファンになってしまいました」
「事務所の宣材写真を見たら元から美人すぎて膝から崩れ落ちました」
「お揃いのメイクをしたくて買っちゃいました!」
どうやら、あの熱く語っていた担当者の想いは、視聴者たちに届いたらしかった。凛世もプロデューサーも、感想を読みながら笑みをこぼしていた。
「プロデューサーさま……」
「どうかしたか?」
「凛世は……この仕事を……引き受けてよかったと、心から思います……」
わざわざ自分から言い出すのだから、よほど伝えたいことがるのだろう、とプロデューサーは思った。
「……凛世は、どうしてそう思った?」
だからあえて、理由を尋ねてみた。
「新たな気付きが……ありました……」
噛みしめるように、凛世は答えた。言葉は続かなかった。
「そうなのか、よかったな!」
その気付きは、彼女の中にだけあればいいのだろう。
そう考えたプロデューサーは、これ以上は何も聞き出さなかった。
「ふふ……はい……」
凛世は微笑みながら、CMのために過ごした日々を思い返した。熱意に胸をうたれたことも、約束を交わして鼓動が鳴り止まなかったことも、もはや懐かしく感じる。
誰かがプロデューサーに宛てたメッセージを見て、抱いた感情の正体も、いまなら名前を付けられる。
あれは嫉妬していたのだ。自分の知らないプロデューサーを知っている彼女に、彼を奪われた気分になっていた。
だけど、きっと彼女も、いまのプロデューサーを知らない。自分が彼女ではないように、彼女もまた自分ではない。
だから、この件についてはお互いさまだと、凛世は気持ちに整理をつけていた。切れ端は挟み直し、メッセージの主についても尋ねないまま、CDは撮影後に返した。
「プロデューサーさま……」
「……また、何かいいことでもあった?」
「はい……なりたい自分を……見つけました」
「へえ、凛世はどういう風になりたいんだ?」
プロデューサーに信じてもらえる、愛してもらえるようになりたい。そのまま伝えるには、あまりに恥ずかしい。
だから、凛世はこう答えた。
「心を受け取ってもらえる……自分で、ございます」