公爵家の片隅で   作:FTR

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第12話【前編】

 月日は巡る。

 おじいちゃんがよく言っていた『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』という言葉のとおり、川の流れのように時というものは私たちの事情などお構いなしにどんどんと流れて行ってしまう。

 1年たてば1年分の何かがどんな人にも例外なく降り積もるし、そんなものは10年分も積もれば子供だって大人になるだけのものがあれこれと貯まるのだと思う。

 私のような子供にとって、時の流れは成長と同義だ。

 もうじき13歳。

 一人前として世間に認められるまで、あと2年ちょっと。私たちももう童女という年齢ではない、というのはソフィーの言葉だった。確かに、そろそろ視線を進むべき道に据えて歩き始めなければならない年齢に差し掛かっていることは周りを見ていても判る。街に出れば、私より幼い年齢でも職人の徒弟に入って将来に向って歩き出している子もいる。私はむしろ遅いくらいかも知れない。

 子供心に、という但し書きはつくものの、これまでも私なりに未来予想図というものは抱いていた。

 それはおじいちゃんが起こしお父さんたちが守っているお店を、やがては私が次いで次代につなげるというものだ。それは漠然としてはいるけれど、一番自然で、一番穏やかに迎えられるであろう未来。

 でも、人の間で生きていると、日々私の中に降り積もる澱が指し示す道は、決して一本ではないということを知らされることもある。 

 

 

 

 

 

「え~、願いましては……」

 

 ぶつぶつ呟きながら、愛用の算盤を手に書類と向き合う午後。

 ここはお城の北方、通称『北の塔』と言われる一角。公爵様ご一家の居館である本殿から離れた位置にある大きな建屋で、いわゆる庁舎とか御用部屋と言われるものに位置付けられている。

 公爵領は広大だ。その気になれば国として独立できるくらいの規模と財力があるだけに、その運営にはそれなりの規模のお役人さん部隊が従事している。財務や兵部、内務に外務等などという感じでそれぞれの部署ごとに官職が置かれて、その担当に応じて領地を切り盛りしている感じだ。

 私たち女性使用人たちはちょっと特殊な雇用形態で、公爵様ご夫妻、より厳密には奥方様直属になるので人事部門からは独立しているけど、予算の出処が財務部門であることには変わりないので、使うお金に関しては最終的に財務官の方に報告する必要がある。

 

 何かを運営する時、お金の流れはすべての基本だ。金庫から鷲掴みでお金を持ち出す貴族様もいるとも聞くけど、ヴァリエール家はお財布の紐は下手な商家も顔負けなくらいシビアで、締めるべきところはしっかり締められている。それだけに使ったお金に関する報告は厳しく求められており、年に2回はきっちりとしたお帳面を届け出なければならない。

 秋はその報告の季節で、収穫に関する計算などと併せて領内の収支を一括してまとめることになっている。それらがきちんと整って初めて担当部署が予算を組むことができるし、お城で働く私たちの経費についてもそんな流れの中で取り決められている。

 これらの作業について、日々の分はヴァネッサ女史やジェロームさんがまとめているけれど、半年に一度は過去の数字に誤りがないかを財務の部屋に出向いて再計算して報告する決まりになっている。半年分の再計算だから作業量が膨大になるので、お二人だけでは捌くのはちょっと厳しい。そういう場合、お城のスタッフから臨時のサポートを集めて事に臨むのが一般的で、私は出自のためもあって他の人より数字に強いので、しばしばその手伝いに駆り出されている。

 

 並べられた資料の数字を左手で追いながら、右手で珠をぱちぱちと弾く。これでも商人の娘だ、おじいちゃんやお父さんからは読み書きを習うのと同じ時期から算術と算盤については習っている。

 もっとも、算術についてはややこしくなってくるとちょっと苦手というのが正直なところ。鶴亀算なんかは理解するまでにかなり苦労したものだ。

 

「はい、これ終わりました。問題なしです」

 

 作業が終わり、検算済みの札をつけた帳面を、上座にある大きな机で同じように計算を進めている財務官のおじさんに渡す。

 

「……早いね」

 

 ちょっとずっこけたメガネをかけたおじさんの驚いたような表情が、ちょっと嬉しい優越感。検算は精度が第一で速さを褒められるべき仕事ではないけれど、それでも手際がいいに越したことはない。

 

「いつも言うけど、君、本当にうちに来ないかね? その気になってくれたら総監には私の方から話を上げるが、どうだろうか」

 

 あまりにストレートな勧誘に、私は困った。

 私の利点は算盤だ。おじちゃん謹製の小型の算盤は今部屋にいる10人ほどのスタッフが使っているものの中でもかなり特殊な用具で、お世辞にも世の中に普及しているとは言えない。財務局全体を見ても使っている人はいないと思うし、王都の商人でも使っている人はほとんどいない珍しい計算機だ。

 使い方が難しいというのはあるものの、でも慣れてしまえば私なんかが使ってもその計算速度はご覧のとおり。計算尺やアバクス、魔法で動く大きな計算機を使っている人もいるけど、それらも筆算の補助の域を出ないのでその速さには限界がある。そういう方々に比べると、確かに算盤を使える私の計算の早さと精度は自惚れではないけどなかなかのものだと思うし、おじさんのようにそんなところを評価してくれる人もいる。

 

「引き抜きは困りますよ」

 

 前のめりな感じで詰め寄る財務官のおじさんの言葉を、一緒に確認作業をしていたミリアム女史が遮った。

 

「この子はメイドとして召し抱えている身の上です。そういった交渉は、きちんと上を通して下さいまし。それに、私どもといたしましてもこの子を手放すつもりはありませんよ」

 

「そうは言うけどね、これだけの特殊技能の持ち主にメイドをやらせておくのは当家にとってもったいないことだと思わないかね」

 

「それを言うなら、メイドとして将来有望なスタッフを財務官にするほうが当家にとってより大きな損失だと思いますわ」

 

「しかし、平時においては財務官こそは当家を支える屋台骨でもあるわけだし……」

 

 何だかやたらと居心地が悪いやり取りが目の前で繰り広げられている。五分もそんなやり取りに巻き込まれるのは肴扱いの身としては正直ちょっと困る。

 評価してもらえるのは光栄だけど、私もそこまで特殊な人材ではない。算盤くらいは数年もやれば使えるようになるものだし、メイドの仕事だって私よりできる人はたくさんいる。飛び交う言葉はそんな私にとっては大げさな感じが否めない。

 そんなことを思いながらもじもじしている私に、言いたいことを言い終えたおじさんが視線を移した。

 

「聞いてのとおり、交渉については正式に上層部に相談をしてみるよ。是非一度、職種の転換について真面目に考えてみてくれんかね」

 

 

 

 

「ああいう評価をいただくと、素直に嬉しいものですね」

 

 帰り道で、隣を歩くメイド長に笑いながら話しかけてみた。軽いつもりで言った言葉だったはずなのに、メイド長にはちょっと違ったニュアンスで伝わってしまったようだった。

 ふと歩調を遅くして、言葉を探すようにメイド長が口を開いた。

 

「貴女の人生ですから、私から押しつけがましいことは言いたくありませんが」

 

 そう前置きをしながら、メイド長が真面目な顔で言った。

 

「貴女は、貴女が今持っている財産について、一度考えてみるといいでしょう」

 

「財産、ですか?」

 

 予期せぬ言葉に、私は首を傾げた。

 

「財産と言ってもお金の事ではありません。毎日、少しずつ貴女が将来に向けて積み上げているものが何なのか、一度考えてごらんなさい。それはお金では買えない、恐らくは将来の貴女にとって、とても貴重なもののはずですよ」

 

 それだけ言って黙ってしまったメイド長。でも、そのメイド長の言葉に私もまた言葉を見つけることができなかった。

 ここでもまた『将来』か。

 ここしばらく、本当に私の周囲で『将来』と言う言葉が登場することが多くなってきている気がする。何か、大きな唸りが私の周囲で起こっているのだろうか。

 昨夜も、この『将来』という文字は私の周囲に現れて私の中にさざ波を立てた。

 それは夜更けの、カトレアお嬢様のお部屋でのことだった。

 

 

 

 

「崩壊したウォルスの塔とともに大地が大きく海に沈み込み、バッツたちはそのまま海に投げ出されてしまいました。その崩壊はあまりに唐突だったので、4人は一気に深みまで引きずり込まれてしまったのです。泳いで浮かび上がろうとしても、先ほどの戦いで4人とも疲れ切ってほとんど動くことができません。このままでは溺れ死んでしまいます。『これまでか』、と全員が一瞬絶望しかけました。しかし、そこに海の底から白い大きな影が浮かんできました。現れたのは、ファリスが兄弟同然に育った大切なあのシーサーペント、渦に飲まれて死んだと思っていたシルドラでした。

『シルドラ、生きていたのか!』

 最愛のシルドラの姿にファリスは勇気百倍、バッツやガラフとともに気絶したレナを助けて、シルドラの大きな口の中に避難しました。そうして命からがら深みからの脱出に成功した4人は、シルドラに運ばれてウォルスの砂浜までたどり着きました。バッツたちは力尽き、砂浜に横たわるともう指一本も動かす力も残っていませんでした。そんな4人の中で、ファリスだけは違いました。シルドラの姿に大喜びで駆け寄ります。でも、シルドラはそんなファリスに背を向けて、ゆっくりと海に向かって泳ぎだしました。その時、ファリスはシルドラが体中に、もう助からないほどの大怪我を負っていることに気付いたのです。その姿に、ファリスたちはシルドラが最後の力を振り絞って自分たちを助けてくれたことを知りました。ファリスはたまらずにシルドラを追いました。でも、既に沖まで泳いで行ってしまっているシルドラの背中は遠すぎました。もう、その背中を見られなくなってしまうことを、この時ファリスは理解してしまいました。

『シルドラー! 死んじゃ嫌だー!!』

 ファリスは叫びました。涙をこぼしながら、あらん限りの声で、心が張り裂けんばかりに叫びました。その叫びに応えるように、ファリスに別れを告げるように、シルドラは弱々しく一声鳴きました。そして、そのまま静かに、波間に見えなくなって行きました……って、どうされたんですか、お二人とも?」

 

 見れば、カトレアお嬢様とルイズお嬢様が2人揃って滂沱たる太い涙をこぼされていた。

 

「あうー……」

 

「だ、だって~……」

 

 カトレアお嬢様はハンカチを取り出して目元をぬぐい、次いで言葉も出せずに鼻をすすっているルイズお嬢様の涙を拭かれている。

 お二人とも感受性豊かな方々だとは思うけど、そこまで感じ入ってもらえるのはお話しする方としても嬉しい。

 

 お休み前のひと時。ルイズお嬢様のご要望で、ここ最近は冒険活劇の大作をお話しさせていただいている。このお話は私が知っている中でもかなり長いお話で、男の子が聞けば思わず拳を握って前のめりになってしまうようなものなのだけど、カトレアお嬢様もルイズお嬢様も予想外にお気に召していただいたらしい。

 物語はまだ序章、全部お話し終わるのは春くらいになるのではないかと思う。クライマックスで魔法に飲まれてしまう悪役の断末魔の台詞はおじいちゃんほど上手く語れる自信がないので、今から練習しておかなくちゃいけないだろう。

 

「ルイズお嬢様、そろそろお休みになられるお時間でございます」

 

 ルイズお嬢様がようやく落ち着かれた時、壁際に控えていたルイズお嬢様担当メイドのエレナ先輩がルイズお嬢様に声をかけた。まだ小さいルイズお嬢様はベッドに入る時間をきちんと決められている。多少は融通を利かせることはできるけど、あまり利かせすぎると怒られるのは担当メイドの先輩たちだ。それはいいのだけど、そのエレナ先輩まで太い涙を流しているのはどういうことだろうか。

 

「もう、しょうがないわね」

 

「では、続きはまた明日と言うことで。カトレアお嬢様もよろしいでしょうか?」

 

「もちろんよ。私だけ先に聞いたらルイズに怒られてしまうわ」

 

「ええ、そうよ」

 

 そう言って澄ました顔をされるルイズお嬢様の様子に、カトレアお嬢様はころころとお笑いになった。

 

「ルイズはもうじき王都ですものね。しばらく間が空くのだし、その分もしっかり聞いておかないとね」

 

 カトレアお嬢様の言葉に楽しいことを思い出したのか、ルイズお嬢様がぱっと笑顔になった。ポカポカとしたお日様のような笑顔が何とも愛らしい。

 歳の離れた妹を見る姉の気分と言うのは、もしかしたらこういうものなのかも知れない。

 

「王都でございますか?」

 

「そうなのよ」

 

 私が問うと、弾けるような笑顔のままでルイズお嬢様が仰る。

 

「姫様にお会いするのも1年ぶりよ。楽しみだわ」

 

 その言葉で、私にもすぐにお嬢様の言葉の主旨は判った。

 

「あ、園遊会でございますね」

 

 公爵家という家柄だけあって、ヴァリエールの家は王家と親密な関係にある。そんなお付き合いの中で、ルイズお嬢様は王女であるアンリエッタ姫殿下のご友人として園遊会の際などによくご一緒に遊ばれているのだそうだ。

 聞くところによれば、園遊会は春と秋に催され、多くの貴族様が集う盛大なもので、国王様のご意向によっては各地の景勝地等で行われたりもするものなのだそうな。今年の秋の園遊会は宮殿で行われるらしい。

 そんな催しの中で姫殿下のお相手を務められるのがルイズお嬢様で、お転婆さんが2人揃うのでその度にいろいろと武勇伝が生まれるのだと聞いている。

 幼馴染との久しぶりの交流ともなれば、ルイズお嬢様でなくとも嬉しくなるだろう。はち切れそうなルイズお嬢様の笑顔もなるほど納得だ。

 

 嬉しさのあまりちょっと考え方がおかしげな方向に向きかけているのか、ルイズお嬢様がとんでもないことを仰い始めた。

 

「ねえ、ナミのお話を姫様にもお聞かせしたいけど、どうかしら?」

 

 そのお言葉を理解するまで、数秒かかった。

 な、何ですと!?

 

「で、殿下に拝謁するなんてとんでもありません」

 

「黙ってればばれないわよ。そうだ、変装してこっそりお城に忍び込んで来なさいよ」

 

「そんなことしたらクビになっちゃいます」

 

「何よ、尻込みしちゃって。女は度胸よ?」

 

「ご、ご勘弁を」

 

 そういうことに命を懸けるような度胸は私にはない。クビで済めばまだいい。貴族様の邸宅どころか宮殿に忍び込んだとなれば、下手をしたら本当に首を斬られてしまう。仮に王家から何もなくとも、面子を潰された公爵家の法度がそれを許してくれないだろう。脳裏に断頭台に置かれて白目を剥いている自分を想像して私は震え上がった。

 そんな私たちを見ながら笑っていたカトレアお嬢様が、ふと思いついたように指を頤に当てられた。

 

「でも、ナミのお話が殿下にお聞かせしてみたいと思うくらい面白いというのは私も同感だわ。毎度思うことだけど、将来こういう方向で身を立てても成功するんじゃないかしら」

 

 意外な言葉に、私はきっときょとんとした顔をしていたと思う。

 

「さすがにそれは無理ですよ」

 

 慌てて手を振る私に、首を振られるカトレアお嬢様。

 

「無理ではないと思うわよ。ねえエレナ、貴女もそう思うでしょ?」

 

 話を振られてもエレナ先輩は動じずに頷いた。

 

「はい。かなりのものと存じます」

 

「ほら。貴女はもっと自信を持っていいと思うわ」

 

 まあ、この辺はリップサービスだと思うことにしよう。本職の人達と比べられては素人芸もいいところなんだし。

 

「……恐縮です」

 

「ちょっと待って、ちい姉さま」

 

 無難なところに落着しようとしていたそんなやり取りに、少し慌てたようなルイズお嬢様が割って入った。

 

「それって、ナミが将来うちのメイド以外のお仕事に就くということ?」

 

「ええ。語り部とか吟遊詩人とか、お話を人に聞かせるお仕事は結構あるのよ。本を書いてもいいんじゃないかしら」

 

「ダメよ。それじゃ私たちがナミのお話を聞けなくなってしまうわ」

 

 カトレアお嬢様の言葉に、ルイズお嬢様が明確な拒絶を示された。

 

「あら、ルイズはナミのお話を国中の人に聞いてもらうのには反対なの?」

 

「そうは言わないけど、でも、それだとナミはここのメイドじゃなくなっちゃうんでしょ?」

 

「それは仕方がないことよ。 ナミにはナミの人生があるんですもの」

 

「それでもダメなの!」

 

 いつになく激しい物言いでルイズお嬢様が地団太を踏まれた。

 子供らしい癇癪、でも、子供なりの精一杯の主張。ルイズお嬢様の言葉は、彼女なりの譲れぬラインの在り処を指し示していたように思う。それが私の事を惜しんでのものと言うことが判り、胸の中に暖かいものが溢れた。今の複雑な気持ちを最も近い感情で言い表すとしたら、それはきっと照れくさいという言葉が一番近い気がする。

 

「いいナミ、うちのメイドを辞めちゃダメだからね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「難しい話ね」

 

 夜、ベッドに寝っころがって唸る私の隣で、鏡台に向って髪を梳っているシンシアが私の話に頷いた。相変わらず櫛の通りがいい綺麗な髪だと思う。

 

「女の私を財務官に引き立ててくれるって言うのは光栄なんだけど、やっぱり私なんかでいいのかなあ、って思うんだ。でも、ルイズお嬢様の仰るようにこのままずーっとメイドをやっていくっていうのもちょっと思い切れないところがあってさ」

 

「でも、嫌じゃないんでしょ?」

 

「そりゃね」

 

 もちろんメイドの仕事は嫌じゃない。公爵家の方々はお仕えするのに何の不満もない方々だし、使用人のみんなも楽しくて優しい。人との縁と言う視点では、これ以上恵まれた場所もそうはないんじゃないかと思っている。そこで働いていくというのは、恐らく幸せなことだと思う。

 でも、それと同じかそれ以上に、私にとっては実家のお店も大事なものだ。お父さんやお母さん、番頭さんやお店の人たちと日々を過ごす未来と言うのも捨て難いものだと思う。唯一の跡継ぎである私が継がないとなった時、あのお店はどうなってしまうのだろうか。私の旦那さんになる人や子供に継がせるという選択肢もあるのかも知れないけど、そんな曖昧なものをあてにして未来を決めるのはどうかと思うし。

 

「いいわね、そういうの」

 

「え?」

 

 天井を見ながら唸っている私にぽつりと告げたシンシアの背中が、やけに陰っているような気がした。

 ここしばらく、彼女はちょっとだけ元気がない。

 家からのものだと思うけど、彼女のところに手紙が届く頻度も高くなっているように思う。何かあったのかも知れないと思って訊いてみても、答えは『特に変わりはないわ』と切り返されてしまった。

 

「前にソフィーが言ってたけど、悩めるということは幸せなことだと私も思うわ。選べる余地があるのなら、いろいろ悩んでみるのもいいんじゃないかな」

 

 私の方に向き直ってそう言う彼女の表情は、どこか固い。その視線が私ではない何かを見ているような気がした。それがやけに引っかかったので、私は思い切って前から思っていた疑問を口にした。

 

「シンシアは、将来はどうしたいの?」

 

「私は、家の迷惑にならないように生きるので精いっぱいだから」

 

 私の問いに対する彼女の言葉に、彼女の裡で複雑に絡みあった負の感情が滲んで見えた気がした。どこか諦観を感じる物言い。

 

「家って、当主様の御意向ってこと?」

 

「そんなところよ。つまんない話よね」

 

 それだけ言って、話を断ち切るようにシンシアは鏡に向き直ってしまった。

 その後ろ姿に感じるものは、一種の拒絶だ。

 今の私では、踏み入れるラインはきっとここまでなのだろう。

 シンシアとは仲良くやってはいるけれど、彼女は実家の事はあまり話したがらない。

 

『私はシンシア。これからよろしくね』

 

 初めて会った時も、家名や出自の事は彼女は何一つ語らなかった。

 言葉の端々から察するに相応の家格の出だと思うものの、家族構成をはじめとした詳しいことは知らない。家名を尋ねたこともあるけれど『大した家ではないわ』とはぐらかされてそれっきりだ。しつこく訊いてくれるな、とその時のシンシアの表情が語っているような気がしたので私としてもそれ以上は踏み込めなかった。

 でも、そういう話題に触れる時、シンシアの表情は決して明るいものではない気がする。

 そんな彼女が、最近こうして鏡を見ながら難しい顔をして考え込むことが増えたことは気になっていた。

 友達だからと言って、全てのカードを広げて見せて欲しいとまでは思わないけど、彼女のことを思う身としては本当の意味で信頼されていないのかも知れないと思える彼女のこういう振る舞いは、少し寂しいことは確かだ。

 一番長く一緒に仕事をして来た子は、間違いなくシンシアだ。

 いつかは私も、彼女にとって胸の内をすべて明かせるに足るだけの友人に慣れるのだろうか。

 流れるように輝く彼女の金髪を見ながら、私はそんなことを思った。 

 

 

 

 

 翌朝、朝一番の朝礼の時間に、私はメイド長からヴァネッサ女史の部屋に伺うように指示を受けた。私だけではなく、ソフィーとシンシアも一緒にだ。

 予期せぬお呼び出しに、女史の部屋に向う道すがら私は心当たりを必死に思い出していた。

 

「う~ん、何か怒られるようなことしたっけ?」

 

 戦々恐々とした私の言葉に、ソフィーは腕を組んで考え込んだ。彼女もまたお呼び出しの理由について悩んでいた。

 

「いや、心当たりはないな。我ら3人となるとどうにも思い当たらん」

 

 そんなソフィーにシンシアが言う。 

 

「先週ミスタ・ドラクロワのところで3回もおやつをいただいてたのがばれたってことは?」

 

 お芋に栗に木通に……。美味しかったなあ。

 

「それならばメイド長も同罪だろう」

 

「それもそうね」

 

 いやいや、それくらいのことでヴァネッサ女史からお呼び出しを受けるようなことはないだろう……と思う。

 

 

 そんな益体もないやり取りをしながらヴァネッサ女史の事務室に入るや、デスクの向こうでいつも通りの冷ややかな視線で私たちを見つめながら、女史は予想もしなかったことを仰った。

 

「来週、貴方たちには王都に行ってもらおうと思います」

 

 飛び出した単語のあまりの突拍子のなさに、その単語の意味を受け入れるのに数秒かかった。

 

「王都にですか?」

 

 私が聞き返すと、女史は深く頷いて肯定した。

 

「貴方たちもここに来てもうじき3年です。そろそろ王都の別邸の方の仕事も体を通しておいて欲しいのです」

 

 ヴァリエール家の別邸は、王都のアップタウンにある。国内屈指の名門なだけにそれはそれは大きなお屋敷だそうで、そこに常駐しているスタッフも少なくないと聞いている。

 私は王都の出身だけど、川向こうの貴族屋敷が並ぶ一角には用がなければ行ってはいけないと言われていたので見たことがない。当時はどうしてなのかは判らなかったけど、今は貴族様の中にはいろんな人がいるということくらいは理解できているからそれは王都の平民にとっては正しい暮らし方だということも判る。うっかり屋敷街をうろついて、貴族様にいじめられてもどうすることもできないのが平民というものだ。

 

「主な仕事は別邸の細々した仕事ですが、そういう催しの際に発生する仕事も多々あります。今後の事もありますので、今のうちにある程度抑えてもらおうと思います」

 

 告げられた仕事の内容は、別邸の運営にかかわる数々のお仕事だった。あちらにはあちらのスタッフがいるものの、今回のような大きな催しの場合は人手の絶対数が足りないから、私たちのような領地のスタッフが応援に行って力を合わせて事に臨まなければならない。公爵家の方々の身の回りのことはもちろん、別邸に滞在するスタッフが増えれば当然だけどその人たちへの食事なんかの対応もお仕事には含まれてくる。人手は多いに越したことはないという感じなのだろう。

 もしかしたらルイズお嬢様の傍付きでお城にも行くことがあるのかなあ、と思ったら、それについてはヴァネッサ女史からは否定の言葉が出て来た。

 

「貴方たちは登城の必要はありません。付き人はエレナたちが担当します。それと」

 

 言葉を切り、一つ息を吸って女史が仰った。

 

「貴方たちには園遊会の期間の2日目の1日、研修に行ってもらいます」

 

「研修ですか?」

 

 宮殿で行われる園遊会は、大抵2日に渡って行われる。当日のお昼から始まって夜会に続き、翌日の午後くらいに流れ解散になるのが一般的なものらしい。

 

「人が出払えば特に別邸でやるべき仕事もないでしょうから、今後のためにも王都を見て見聞を広めて来なさい。少しですが、研修費も支給します。しっかり王都の様子を勉強して来るように。ナミは昨年の降臨祭の際に帰省しなかったこともありますし、ついでに実家に顔くらい出して来るといいでしょう」

 

 そう言って女史は立ち上がって私たちに背を向け、窓際に立って視線をお庭が広がる窓の外に向けた。

 言うべきことはすべて言ったという感じの女史の背中を見つめる私たち3人が、その言葉の意味を理解するまで数秒かかった。

 理解に至れば、やるべきことは一つしかない。

 申し合わせたわけでもないのに、私たちは内心の歓喜を抑え込みながら同時に首を垂れて言った。

 

「かしこまりました」

 

 話せる上役と言うのは、なかなか得難いこの世の宝だと私は改めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 王都だ、実家だ、お休みだ!

 いや、お休みじゃなくて研修だけど。

 そう自分を戒めはするものの、出立までの数日、私の顔からは笑みがこぼれ落ち続けた。

 誰にだって故郷はあるものだと思うし、そこに帰れるというのは嬉しいものだと思う。いわんや私をや。しかも今度は友達二人も一緒だ。

 いろいろ案内しよう。市で何か美味しいものを食べよう。こちらでは買えない小間物を買い込むのもいいと思う。

 おっと、実家にも連絡しておこう。報告書を書く時は岩のように重い筆も、こういうことなら滑りは快調そのものだ。

 

 そんなこんなでスキップしながら待ちわびた出発の日。

 お城正面の門のところに並んだ数台の馬車。公爵家の方々は明日以降に竜籠で移動されるけど、私たち使用人一行はこうして馬車で王都に移動する。いつもの乗り合い馬車ではなく、簡素ながらもちゃんとした旅客用の馬車と言うのが嬉しい。

 

「しばらく留守にしますけど、よろしくお願いします」

 

「ええ、行ってらっしゃい。道中気を付けなさい」

 

 見送りに来たメイド長の言葉に手を振って応え、私たちはお城の門をくぐって旅路についた。

 

 長閑な景色を見ながらポコポコと馬車は進む。

 収穫の終った畑の隣で秋播き小麦の種を蒔く小作の人たちが見える。この秋は豊作だっただけに、次の収穫も相応に期待ができそうだと財務官のおじさんに教えてもらった。

 そんな畑の中を抜けて、城下を通り過ぎるといよいよ本格的な郊外の森の中の道に入る。

 馬車の旅と言うのは山賊や野盗の危険と常に背中合わせと言われていて、旅人は護衛の代金とそういう無法者に出くわす危険について、常に秤にかけなければならない。

 その点、今回みたいな公式な催しに伴う公爵家の使用人の移動ともなると、ちゃんと公領軍の騎兵が数騎護衛についてくれるから心強い限りだ。

 そんな安心もあって、馬車の中ではいつにもまして会話が弾む。

 のんきな旅情気分を皆で味わうのは、お仕事とは言え、やはり楽しい。あれやこれやと日頃は話さないようなこともぽろっと出てしまうのは、まるで旅と言う楽しくも不思議な空間がかけた魔法のようでもあった。

 

 何事もなく穏やかに2日が過ぎ、馬車は王都の外門の関に到着した。治安のため、王都に入る荷物や旅客は、ここで検査を受けることになっている。公爵家の一行であっても略式ではあるものの一応の手続きは踏むことになる。

 御者の人が長柄の軍杖を構えた衛兵さんたちと簡単にやり取りをして、程なく馬車は王都に入った。

 

 王都に入ると、これまでとは違った整然とした街並みが訪れた人を驚かせる。

 トリスタニアは水の都だ。古い町並みの間を、何本もの川が流れている。物流や交通に使われる運河も入れれば、ハルケギニアでも屈指の水上都市と言えるのではないかと思う。

 これは戦争になった際にも大いに守り手側にとって有利に働くそうだけど、できればそんな事態になることは未来永劫ご勘弁願いたい。

 

 そんな王都の街並みを抜け、橋を幾つか越えればそこは貴族様方の屋敷町だ。

 そんな屋敷町の中央にある公爵家の別邸はヴァリエールのお城に比べれば小さいものの、それでも私たちの感覚からすれば豪邸もいいところだ。周囲のお屋敷に比べても一際偉容が目立つ。

 

「うひゃー、大きいねー」

 

 裏手の車回しで馬車から降りて見上げる母屋。

 さすがは公爵家。ここまで大きな別邸はそうはないと思う。堀や防壁がないことを除けば、下手な地方貴族のお城より立派なのではないだろうか。

 

「ほらナミ、お仕事お仕事」

 

 シンシアの声に我に返る。

 

「あ、ごめん」

 

 馬車からの荷卸しが始まったので、私は慌てて作業に取り掛かった。

 

 別邸の構造は、規模の差がある他、基本的にお城の本殿とはちょっと構造が違ってくる。戦いもあることを想定して建てられたお城の本殿と違い、王都の別邸は貴族様がいかに心地よくお寛ぎいただくかを軸に考えて作られているので、それらのための設備が両者の最大の違いだと思う。お客様を迎えするゲストルームもかなり気合が入った贅沢な造りだ。

 清掃などの手入れは常駐のスタッフさんがきちんとやってくれているので私たち応援部隊がやることは、スタッフさんの指示に従って公爵家の方々がお越しになる前にもう一度軽く棚の上を拭いたりリネンの手伝いをするくらいだ。

 王都のスタッフさんの特徴としては、ブローチを着けた人が多いということ。お城より中央に近い施設と言うこともあるので、何かあったら非常体制の要員に充てらるのかも知れない。

 

 翌日の朝に、公爵家の方々が到着された。

 庭に綺麗に敷かれた赤絨毯の脇に並び、皆と一緒にお出迎え。

 公爵様とその隣に並ぶ奥方様、そしてその後ろにルイズお嬢様が続く。

 同じ竜籠に外出着をまとったヴァネッサ女史が乗っていたのには驚いた。留守はジェロームさんかメイド長が仕切っているのだろうか。

 

 ご一家が団欒に入られれば私たちも少し余裕ができる。主な対応は別邸のスタッフさんが手際よくこなしているし、本格的に忙しくなるのは明日以降なので公爵様ご一家に対して何かやることはない。

 もちろん時間ができたからと言って遊んでいいわけではなく、そんな時間を使ってエレナ先輩に別邸の事をご教示いただくのが今回の段取りだ。

 別邸のお仕事はあまり明確に役割分担はされていない。一人で二役も三役もこなさなければ人手は幾らあっても足りはしない。『実務万能』ということで仕込まれてきただけに、培ったノウハウを発揮することは私たちご領地組メイドの腕の見せ所だ。

 おおよその説明が終わったので、私たちはランドリーを借りて私たち使用人が道中に着ていた衣類やリネン等の洗濯を担当した。

 ありがたいことにお城にもある魔法を使った洗濯釜があったので、手作業を覚悟していた作業はうんと楽だった。

 洗濯かごに洗い上がった洗濯ものを入れて、裏手にある物干し台に向う。

 秋の日差しは徐々に冬の気配を帯び始めているものの、このお天気ならよく乾くだろう。

 白いシーツを大きく広げててきぱきと干していくと、自然と出来上がる白い回廊が私は好きだ。

 視界いっぱいに広がる洗い立てのシーツに、ほのかに鼻をくすぐるしゃぼんの香り、そして見上げれば高い青空。

 実に勤労日和だ。

 お庭と塀の彼方に、サン・レミの聖堂の鐘楼がやけにはっきりと見えた。

 そんな景色を見ながら、ふと思う。

 ここでなら、王都で暮らしながらも公爵家の一員として働くことはできる。そういう生き方も、もしかしたら可能なのではないだろうか。

 でも、そんな考えを、どこかで否定的に見ている私もいる。

 お城と王都、どちらで働くにしても公爵家にお仕えするという意味では変わりはないけど、私の中の奇妙な物差しがそれに異を唱えていた。

 それが何なのか判らないまま、私は手を動かし続けた。

 

 そんな作業中、洗濯物の隙間から母屋の方から歩いて来られるルイズお嬢様が見えた。

 どすどすと不機嫌そうな足取りに相応しい、ほっぺたを膨らませたご機嫌斜めなルイズお嬢様だ。

 私の視線に気づいたのか、私を見つけるなりルイズお嬢様はネズミを見つけた猫みたいに走り寄ってきた。

 

「聞きなさいよ、ナミ。父さまったら、姫さまをお呼びしちゃダメだって言うのよ」

 

 出し抜けに食って掛かるような勢いでルイズお嬢様が声を張り上げられた。

 

「姫殿下をですか?」

 

「そうよ。せっかくお会いするのに、これじゃまたいつもと変わらないじゃない。がっかりだわ」

 

 ぷんすかと煙を出しかねない勢いだけど、ルイズお嬢様の容姿でそれをやられると可愛らしい。それはともかく、いまいちお話の流れが見えてこない。

 

「あの、ルイズお嬢様。姫殿下をこちらのお屋敷にお招きして夜更かしを楽しまれるということでしょうか?」

 

「そうよ」

 

 私の問いに、ルイズお嬢様が即答された。

 

「あんたがお城に入れないんじゃ、姫さまにこっちに来てもらうしかないじゃない。お城で姫さまと一緒に寝たりもしてるんだし、うちにお招きしてもおかしくないでしょ? いい考えだと思ったのに、もう」

 

 ルイズお嬢様の説明に、ようやく事の次第が飲み込めた。私が知らないところでルイズお嬢様の陰謀が密かに進行していたらしい。

 

「さ、さすがに王族の方をお迎えするとなりますと用意の時間がないと思いますよ」

 

「そんな大げさなことしなくても、姫さまなら気にしないわよ」

 

 殿下は気にしなくても、周囲はそうはいかない。

 ルイズお嬢様の姫殿下への友情は非常に歓迎すべきこととは思うけど、やるとなったらそういう訳にはいかないだろうと私でも思う。

 高貴な方を迎えするとなれば、公爵家としても面子をかけたお出迎えをしなければならない。お忍びであっても、それが王族ともなれば準備だけで1週間は必要ではないだろうか。

 何より、私としてひっかかったのが『私が城に入れないから』と言う一言。ルイズお嬢様の中では、先日の謀は依然継続中だったらしい。

 いくら気に入っていただけているといっても所詮私は素人だ。お嬢様方の無聊の慰みにお話をするというのならまだ大目に見てもらえるとは思うけど、王族の方々の前に出るとなると当然だけどそこには責任が生じる。言うまでもなく、そういうことになれば公爵家の名誉を背負ってのこととなるからだ。

 知らないところで私の死刑に関する打ち合わせが行われていたのを知ったような気分だ。

 

「ねえ、あんたからも父さまに言ってよ。姫さまにお話をご披露したいって」

 

 そんな思いで顔を引き攣らせている私をよそに、よほど煮詰まっているのか、とんでもないことを言い始めるルイズお嬢様。

 

「ご、ご勘弁ください。幾らなんでも恐れ多いです」

 

「何でよ。あんただって姫さまにお会いできるいい機会じゃない」

 

 詰め寄るルイズお嬢様の圧力にのけぞる私に対する救いの手は、唐突に現れた。

 

「ルイズお嬢様、あまりご無体なことは仰らないでください」

 

 知らぬ間にルイズお嬢様の背後にヴァネッサ女史が立っていた。相変わらず影みたいに気配がない方だ。

 

「あ、あう」

 

 興が乗ったら向かうところ敵なしなルイズお嬢様も、氷のような女史の視線は苦手らしい。奥方様とエレオノールお嬢様と同様、女史の視線も物理的に圧力を感じる類のそれだ。

 

「……判ったわよ」

 

 可愛らしい足音を立てて走り去るルイズお嬢様を見送り、私は一つ安堵の息をついた。

 

「ありがとうございます」

 

「貴女も貴方です。いい加減、こういう時はきちんとお断りすることも覚えなさい」

 

 むう、何故私が怒られる流れに。

 

 

 そんなことはあったものの、午後になるとそのことを振り返っている余裕がないくらい、明日に迫った園遊会の準備に大わらわになった。こればかりは別邸のスタッフではなく領地勤めの私たちの出番。

 こういうイベントの時、貴族様はお召し物を何着も用意して荷箱に詰めて会場に持ち込まれる。時間によってとか相手によってと言った感じで衣装を変えられるだけに、その用意は使用人たちにとってミスが許されない重要なものだ。万が一衣装に合わせた靴を忘れたなんてことになればお家の名誉に関わってしまう。当然ながら、粗相があれば担当使用人はただでは済まない。

 しつこいくらいにチェックを何度もして、しわにならぬように細心の注意をしながら荷箱に収める。完了したものはヴァネッサ女史立会いの下で封を施すことを繰り返した。 

 

 そんな慌ただしい一日が終わり、まだちょっとだけご機嫌斜めなルイズお嬢様に、お休みの時間にお呼び出しを受けた。

 明日は御登城。忙しい一日になるので、短めな作品を一つ。

 家族に苛められていた下級貴族の女の子サンドリヨンが、大魔法使いの助けを受けてお城の舞踏会に行って王子様に見初められる『小さなガラスの靴』というお話だ。

 非常に女の子受けのいい物語で、ルイズお嬢様くらいの女の子なら目を輝かせて聞いてもらえるお話、と思ったらそこはさすがはルイズお嬢様。

 

『許せないわね、その継母と義姉妹は。私だったら問答無用で百叩きだわ』

 

 王子様との恋物語より、こういう部分に反応を示される辺りはお転婆さんなルイズお嬢様らしいと思う。

 そうこうするうちに物語は前半のクライマックス、サンドリヨンがお城の舞踏会会場から走り去ったところで壁際のエレナ先輩が時計を見て言った。

 

「ルイズお嬢様、そろそろお休みになられるお時間でございます」

 

「えー、もう?」

 

 そう言って自身も時計に目を走らせ、ルイズお嬢様は眉を顰めた。いつもであれば多少は融通を利かせられるけど、御登城は大きなイベントだ。しかも夕食の時に奥方様から『夜更かしをしていたら、明日は留守番です』と釘を刺されていただけにルイズお嬢様も抗いようがない。

 

「もう、いいところなのに」

 

「続きはお戻りになってからに致しましょう。お留守番になっては大変です」

 

「しょうがないわね」

 

 エレナ先輩に追い立てられるようにベッドに入ってお布団を被られたルイズお嬢様を見届け、先輩がランプを静かに落した。

 

「では、おやすみなさいまし」

 

 先輩に続いて灯りが消えた部屋を後にしようとした時。

 

「ねえ、ナミ」

 

 不意にかけられたルイズお嬢様の声に、私は振り返った。

 

「何でございましょう?」

 

 お布団の中から、少しだけ不安そうな色を湛えたルイズお嬢様の瞳が私を見つめていた。

 

「ナミは、トリスタニアの出身よね」

 

「然様でございます」

 

「……やっぱり、ヴァリエールよりトリスタニアの方がいいの?」

 

 いきなりな問いかけに私は一瞬回答に詰まった。

 

「それは、何とも言えません。ヴァリエール地方にはヴァリエール地方の、王都にはまた王都ゆえのいいところがありますので」

 

「それは判るけど、でも、やっぱりナミには辞めないで欲しいな」

 

 いつもの勝気な物言いがちょっとだけ引っ込んで、どこか寂しそうなルイズお嬢様の言葉が胸に刺さった。

 適当なことを言ってごまかすことは簡単だけど、真っ直ぐに私を見つめるルイズお嬢様の視線に偽りを返すことは、私にはどうにも難しかった。

 言葉を見つけられずに困った私に助け舟を出してくれたのは、エレナ先輩だった。

 

「ルイズお嬢様、そういう難しい話は昼間に致しましょう。奥様が様子を見に来られる前にお休みにならないと」

 

「判ったわよ。ナミ、さっきのお話の続き、お城から戻ったら聞かせなさい。いいわね?」

 

 そう言ってルイズお嬢様は素直にお布団を被られた。

 それを見届けたエレナ先輩が、そっと手を振って魔法のランプの灯を落とした。

 ここから先は、ルイズお嬢様も夢の世界の住人。

 

 

 明日は、園遊会。

 


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