公爵家の片隅で   作:FTR

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第2話

 眠い。

 実は朝は苦手な私だ。今日のように寒いと尚更辛い。

 それでもえいやと起きだして、寝巻を脱ぐ。

 

「シンシア」

 

 同室のシンシアに声をかける。声をかけるのは一度だけだ。

 無反応なのを確かめて、一気に布団をはいだ。

 

「ひゃ~」

 

 と悲鳴を上げてシンシアが覚醒する。毎朝毎朝、そろそろ懲りないかな、このパターン。

 隣でぶつぶつ文句を言っているシンシアをほっといて、午前着に袖を通す。

 今日は奥方様の入浴のお手伝いから。

 水仕事向きのエプロンを身につけ、最後に胸元にブローチを付ける。

 マントを模ったブローチ。

 私たちが『ブローチ組』と言われる所以だ。

 

 メイジと言うのは貴族だけを指す言葉ではない。

 この国では貴族は例外なくメイジだけど、メイジが全て貴族と言う訳ではない。

 そんなメイジだが、家も名もないメイジは平民と言う身分に落ち着く。

 平民なので、当然働かないと食べていけない。

 私の父親は祖父の代からの商人なのだが、母親が傭兵メイジだったためか、私にはメイジの素養があった。

 そんな私が将来のためにと放り込まれたのが、大貴族たるラ・ヴァリエール公爵家だった訳だ。

 実際、平民だけでなく格が低い家の婦女も行儀見習いとして大貴族に奉公に出るのは一般的ではある。裕福な家ならば魔法学院あたりに通ったりもするけど、学費が工面できない貴族は大貴族のところに奉公に出てささやかな人脈と礼法を身に付ける。それが嫌なら軍に入るしかない。

 ここで問題になるのが、メイジの象徴たるマントだ。

 メイジと言えばマント。

 私も父が見栄で作ったマントを持っているが、さすがにお仕着せの上にマントを着ていては仕事にならない。

 そういう奉公人に対し、マントの代わりに支給されるのがこのブローチだ。

 魔法が使える奉公人。それを指して『ブローチ組』と言われている。

 魔法が使えると言っても私は水のドットに過ぎないし、お給料についても魔法が使えない使用人と差別されていない。使用人の能力は、魔法以外によるところの方が大きいのだ。例えば、ちょっと見た目が残念なトライアングルメイジと、誰もが振り返るような美女が使用人として申し込みをしてきたら、貴族様は後者を取るのが普通だ。

 使用人は家の一部。家具と同じだ。誰かに見せるパーツは、見栄えこそが重要という訳だ。接客担当の先輩たちなんか、どこの妖精の世界から来たのやらと思うくらいに美人ぞろいだし。もちろん、美貌を兼ね備えたブローチ組の先輩となるとお給料はかなりの額だ。場合によっては2号夫人の座も狙える。なかなかに出世街道ではある。

 

 

 朝、最初のイベントは朝礼だ。

 全員が整列して、家政婦のヴァネッサ女史や執事のジェロームさんから伝達事項を窺う。

 今日の来訪者や、公爵様やご家族の御予定、それから作業の分担。

 今日みたいに、先に予定が判っているような場合は前日に申し付けられることもある。

 それだけにこの朝礼はすごく重要なもので、当然ではあるが、遅刻をしたらキツい罰がある。最低でも減給、最悪の場合は雇いを解かれてしまう。

 必要最低限の伝達だけが行われ、終わると同時に私とシンシアは浴室に向かって例のごとく優雅に急いだ。

 

 

 湿度が高い浴室に、美女が湯浴着を着て浴槽に浸っている。

 3児の母にして四十代の奥方様。だが、これを見てそれを素直に受け入れられる者はいないだろう。

 張りのある肌、艶のある髪。それに加えて凛とした気品のある色気。どう見ても三十代前半から中盤。後半までは絶対にいってない。目力が刃物のように鋭くなければ、食虫植物に引き寄せられた虫のように幾らでも若いツバメが寄ってくることだろう。

 でも、実はこの奥方様は御主人が大好きで、時折微かに見せるちょっとだけ甘える仕草がとんでもなく可愛い。

 この歳の方に可愛いと言うのも変だが、本当に微笑ましい時がある。

 ある朝、御夫婦が揃って寝室から出て来たところに偶然出くわしたことがあるのだが、その時、御主人に『相変わらず、君は可愛いな』と言われた時は首まで真っ赤になって怒っていた。何だか女の子がそのまま大きくなって怒っているような雰囲気で、見ていてすごく優しい気持ちになったものだった。

 将来は、ああいう夫婦になりたいものだと私も思う。

 

 そんな事を思いながら、ふと私の隣に立つ同僚を見て、私は慌てて肘で突いた。

 シンシアという子は愛嬌があって大らかな楽しい子なのだが、一つだけ困ったことがある。

 綺麗なものが大好きなのだ。

 それは生き物や草花、果ては美女に至るまで実に節操がない。ルイズお嬢様を見た時に緩みまくった笑顔を浮かべていたのを見た時はてっきりちょっと性癖に難のある子なのかと思ったくらいだが、夜のガールズトークで確認した範囲では至って普通だったので驚いた。要するに、ただ単に美しいものが好きなだけらしい。

 しかし、奥方様の入浴姿を星を散らした目で見ながら口元から涎を垂らしている姿は、どう見ても痴女のそれだ。うっかり誤解されたら暇を出されてしまいかねない。本当に自重して欲しいと思う。

 

「出ます」

 

 ざばーっとお湯をかき分けて奥方様が立ち上がり、歩くのに合わせて私とシンシアを含めたメイドたちが奥方様に取りつく。彼女の歩みを止めぬよう、動きに合わせてタオルで拭きあげていくのだ。

 貴族の女性は裸を見られても平気なのだが、奥方様も堂々としたものだ。しっかし綺麗なお肌だなあ。秘訣とか教えてもらえないかしら。

 その後は脱衣所の椅子に座って髪結いの出番。綺麗に水気を取られた髪が、丁寧に整えられていく。その間は当然全裸の奥方様。もちろん風邪をひかぬよう脱衣所の保温は確保されている。

 髪が整えられると、またもメイドが寄ってたかって御召し物を着せていく。この辺のセンスは奥方様専属のレディスメイドの腕の見せ所だが、センスと言うだけに才能が大きくものを言う。奥方様は綺麗な方ではあるが凛とした方でもあるので、その魅力を最大限に引き出す服や小物のチョイスにはなかなかな気配りが必要だろうと見ていて思う。

 

 家の方々が朝食になると、その間に私たちも朝食をいただく。私たち下っ端のハウスメイドの仕事には、同僚へのお給仕も含まれている。先輩方のご飯は後輩が面倒をみるのが習わしだ。歳が行くに従って、自然と抜けて行くのが女性使用人の世界。いつかは私も年長になって、ご飯のお給仕してもらって、最後は嫁に行ってここを去るのだろうか。今の私は、何だか自分が誰かの嫁になるということが、今一つピンとこない感じだ。

 周りにはどこかの貴族の御子息に見初められて、と夢見る子もないでもないが、私は妾は嫌だ。多少貧しくても、出来れば笑って旦那さんと手をつないで歩きたいし、子供が生まれたら、その両手を旦那さんと片方ずつ握って三人でお散歩するのが野望でもある。子供を乳母に取られ、正妻さんに気を使いながら生きるような生活はごめんだ。

 

 食事が終わったら本格的に午前中の仕事が始まる。

 私たち、ハウスメイドの仕事は、何を置いても掃除だ。ただゴミや埃を掃き清めるだけでなく、建物の中のいろんなものを磨き上げるのも仕事の内だから大変だ。金属などは、固定化がかかっていれば錆びる心配はないが、曇ったり埃がたかることは他の調度と変わりはない。

 朝食が終わったら私とシンシアは部屋に戻り、今日の作業専用の服に着替える。

 一見するとフットマンのような半ズボン姿。要するに男装だ。

 用具入れから作業のための道具を取り出していると、通りすがりの男性使用人連中が笑って話しかけてくる。

 

「よう、坊主。どこから迷い込んだんだい?」

 

 楽しそうに笑いながら話しかけてくるのは、3つ上のフットマンのジャンだ。私と笑いのツボが合うのでよく話すのだが、彼は魔法が使えない普通の使用人。実家はタルブ地方のワイナリーだったっけ。おじいちゃんもあの地方のワインについては良く褒めていたな。

 そんなジャンの悪意のない笑い声に、威勢よく男言葉を返す。

 

「うるせー、ばかやろー」

 

 お互いに笑いながら別れ、私とシンシアが向かう先は正面ホールだ。

 

 

 

「遅いぞ」

 

 ある意味、お城の顔ともいえる正面ホール。そこには既に半ズボン姿のソフィーが待っていた。背が高く、凛々しいソフィーがこういう格好をすると、そのまんま美少年と言った感じだ。シンシアの琴線に触れるクラスの美しいかっこよさがある。どこを切っても平凡の二文字しか出てこない私としては、羨ましいことこの上ない。

 今日のスタッフはこの『ブローチ組』の3人。いつものメンバーとも言える。

 

「それじゃ、一番手行きます」

 

 私は手を上げて宣言し、ルーンを唱えてひょいと天井に向かって飛んだ。

 正面ホールにある、最大級のシャンデリア。

 これの煤落としが今日の午前の仕事だ。

 作業は三人一組。一人が雑巾を絞って、もう一人がその雑巾を受け取ってシャンデリアを磨き上げていく。残る一人は安全管理だ。

 大きなシャンデリアではあるものの、大の大人が乗っかって仕事をすると壊れかねないので、担当するのは主にまだ小さい私たちのようなハウスメイドのスタッフだ。

 別に初めてという訳ではないので段取りは判っている。テキパキとこなしていけばいいのだが、いかんせんシャンデリアと言うのは構造が複雑なのでかなり危ない体勢で磨かなくちゃいけない部分もある。照明も一個一個がマジックランプなので、一個でも落としたら大変な損失になってしまう。もしもの時は、下にいる安全管理担当に魔法で受け止めてもらうことになっている。その落ちるものの中には、私も含まれているけど。それで調子に乗ってかなり無茶なことをやることもあるけど、あんまり危ないマネをしているとソフィーが怒りだすのでここは自重。

 途中で何回か三人で役割を交代してでっかいシャンデリアを磨き上げていく。何だかんだで午前中いっぱいはどうしてもかかってしまう作業だ。

 

 

 シャンデリア磨きが終わったら、いったん着替えて昼食だ。

 朝ご飯より軽めだけど、軽くないと午後の仕事に差し障るから、ちょっと物足りないくらいが適量とも思える。

 メニューはパンと簡単なサラダだ。

 

 食べ終わったら大急ぎで午後の服装に着替え。

 今日の私の担当は、スタッフたちへのお茶の手配だ。午後の作業の3時に合わせて、お茶とお茶菓子が支給されるのだが、それを配って回るのがお仕事だ。メイドたちは城内のお仕事がほとんどだから交代で使用人ホールでお茶をいただくけど、外で働く人たちにはお茶を持って行ってあげなければならない。園丁や厩務員のような方々がその主な対象だ。これについては相手も楽しみにしているだけに、うっかり遅れると嫌な恨みを買うのでこれまた手を抜けないお仕事なのだ。

 

 

「お待たせしました、お茶で~す」

 

 例によって『優雅に急ぎ』ながら、まずは厩舎に茶道具を届ける。ポットとカップ、そして茶菓子の載ったお盆を届ける。ちなみに今日の茶菓子はフルーツケーキだ。さすがは公爵様のお抱えコックだけあって、もらえる茶菓子は私たち使用人向けでも実に美味しいのだ。

 

「お、待ってたよ」

 

 嬉しそうに厩務員の若手が出てきてお盆を受け取る。ちなみに茶道具の回収は私の仕事ではなく、寮に帰る途中で彼らが厨房に返すのが習慣だ。

 厩務員のお仕事は、結構厳しいと思う。馬は気難しい動物みたいだし、蹄鉄の管理などについては、たまに馬に蹴られるとかの事故も起こるんだとか。何というか、男の世界だと思う。

 厩舎の印象は、とにかく臭う。馬のうんちがある場所なのだから仕方がないけど、それ以外にも飼葉なども結構慣れない匂いを出している。その次に来る印象は、怖い。馬は大きいからとにかく迫力がある。近寄ると噛まれることもあるし。

 でも、何より怖いのが、ひときわ大きな建屋にいるマンティコアだ。魔獣マンティコアがどうして飼われているのか知らないけど、正直、この魔獣は見た目からして怖い。馬と違って飛ぶし。でも、馬みたいに繋がれているわけじゃないから、躾とかはしっかりされているのだろう。実際にはもうだいぶお年寄りで、若いころほど元気はないんだとか。別に近寄っても噛みつくわけじゃないけど、やっぱり怖いものは怖いのだ。

 

 

 一通り回って、最後は園丁のおじいさんのところだった。

 

「お待たせしました~」

 

 元気よく園丁の管理小屋に入ると、無人だった。どこかな、と思ったら裏から声が聞こえた。

 お盆を持ったまま裏に回ると、園丁のおじいさんが落ち葉を集めてたき火を起こしていた。

 一体何歳なのか判らないくらい歳を取った園丁の名前はミスタ・ドラクロワ。一見気難しそうだけど、実は結構いたずら好きな茶目っ気のあるおじいちゃんだ。でも、園丁としての腕はかなりの物なのだそうだ。

 

「良いところに来たのう」

 

 ミスタ・ドラクロワは笑いながらたき火をかき分け始めた。たき火の下には砂の山。その中に火ばさみを入れて、何やら藁でくるんだ塊を取り出した。

 

「ほれ、おすそわけだ」

 

 お皿に乗せたそれを受け取り、熱さに気を付けながら藁を取って驚いた。

 

「おイモ?」

 

「そこに塩があるから、皮を剥いて振って食え。うまいぞ」

 

 お仕事中なだけに、何だかいけないことをしているような気もするが、共犯者がいるからちょっとだけ気が大きくなった。

 言われたとおりに皮を剥くと、ほかほかであつあつのおイモがほわっと湯気を立てた。

 半分にしたそれにお塩を振ってかじってみる。

 

「うわ、美味しい」

 

 ほのかに甘くて香ばしいおイモと、お塩のハーモニーが何とも言えない感じだ。

 

「そうじゃろう……おっと、これはいかん」

 

 嬉しそうに目を細めていたミスタ・ドラクロワがいきなり慌てだしたので後ろを振り返ると、背が高い女性が腰に手を当てて立っていた。

 

「め、メイド長……」

 

 我ながら引き攣った顔をしていたと思う。そこにいたのは、メイド長のミリアム女史だった。

 25歳くらいだと思うけど、実際には年齢不詳。王都生まれの美人さんだ。面と向かって行き遅れと言ったら、恐らく往復ビンタが飛んでくるようなおっかない人だ。

 

「どこで油を売っているのですか、あなたは」

 

 腰に手を当てたまま、私に凍え死ねと言わんばかりの冷たい視線と冷たい声を浴びせてくる。

 

「す、すみません」

 

 御馳走になっている恩義があるのでミスタ・ドラクロワを売る訳にはいかない。

 ここは私一人が罪をかぶって平身低頭の一手だ。

 

「ミスタ。あなたもあなたです。困りますよ、部下の仕事の邪魔をされては」

 

「いやはや、すまんね」

 

 あまり悪びれていない感じでミスタ・ドラクロワが頭をかいている。

 

「まったく……それ、余分はありますか?」

 

 ミリアム女史が指差したのは、ミスタ・ドラクロワの持っているおイモだった。

 

「む、たくさん作ったからまだまだあるぞ」

 

 ミスタ・ドラクロアの言葉に、メイド長は頷いた。

 

「ここは、それ一つで手を打ちましょう」

 

 打つんですか、メイド長……。

 

「相変わらず話が判るのう、おぬし」

 

 ミスタ・ドラクロワがお皿に乗せておイモを差し出すと、ミリアム女史が私に向かって手を伸ばしてくる。

 

「お塩」

 

「は、はい~」

 

 慌ててお塩の瓶をその手に乗せる。

 

「いいわね、これであなたと私は同罪。他言無用ですよ」

 

「もちろんです」

 

 

 

 

 

 そんな、穏やかな午後。


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