公爵家の片隅で   作:FTR

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第3話

 悲鳴が聞こえたのは、午後の作業の時だった。

 シンシアと一緒に客間の一つの家具磨きをやっている最中に聞こえた、鶏を絞め殺すような悲鳴。

 音源は、一つ上のフロアからだった。

 思わず顔を見合わせる私たち。私とシンシアはその原因に心当たりがあったので、慌てて駆け出した。

 

 階段を駆け上がると、そこに案の定一人のメイドが青くなって倒れていた。ソフィーだった。

 いつもは凛々しいこの子が、あられもない恰好で倒れている。

 私とシンシアはため息を吐いた。ソフィーが悲鳴を上げて倒れているのはこれが初めてではない。

 

「こら、またお前か」

 

 ソフィーの隣をぞぞぞと這っているのは、一匹のでっかい蛇だった。毒はないけど、その巨体を使って敵を絞め殺して食べるタイプの蛇だ。

 こいつはしばしば本来の居場所から脱走しては、何故か蛇が大の苦手なソフィーの真上から落下する習性がある。

 他のメイドでもいいだろうに、何故か狙われるのはソフィー。何か美味しそうな匂いでも出ているのだろうか。

 

「シンシア、ソフィーお願い。私はこいつを届けて来るわ」

 

「一人で大丈夫?」

 

「何とかするわよ」

 

 さすがにシンシアも女の子だから、蛇の類はあまり好きではないようだ。私は都会の育ちだけど、おじいちゃんにはしばしば山や川に連れて行ってもらっていたから蛇とか蜘蛛とかは結構平気だ。

 10キロほども重さがある蛇を抱えあげ、本来の居場所であるお嬢様の部屋に運ぶ。レビテーションを使った方が楽だけど、意味もなく使うと結構疲れるんだ、あれ。

 

「本当にもう。お前、あんまりあんなことしてるとお嬢様に黙って蒲焼にしちゃうぞ」

 

 山に行くたびに、おじいちゃんが蛇を取ってきて美味しく焼いてくれたのを思い出す。『蛇は山のニシンだ』とか言ってたけど、ニシンというのが何なのかは未だに判らない。

 そんなことを思いながら私が食べ物を見る目を向けると、その視線の意味が判るのか、蛇がちょっと落ち着きを無くす。こいつとの上下関係に関しては、私の方が上位なようだ。

 

 

 程なく、温室のようになったお嬢様のお部屋の前に立つと、確かに少しだけドアが開いていた。

 

「ほら、お前の居場所はここだよ。もう出てきちゃダメだよ。本当にそのうち食べられちゃうからね」

 

 判っているのか判っていないのか、蛇なだけに表情からは判らないけど、そのままぞぞぞぞ~っと動いて部屋の中に入って行った。

 

「あら、どうしたの?」

 

 蛇の帰宅を見届けていると、背後から声をかけられた。

 振り返ると、私と同い年くらいの桃色がかったブロンドの女の子がいた。

 これが公爵家の次女であらせられるカトレアお嬢様だ。

 このお部屋の主でもある。

 

「こちらの蛇をお届けにあがっておりました」

 

「まあ、ありがとう。よく言い聞かせているんだけど、どうにも冒険が好きみたいで」

 

 蛇と会話できるのか、という疑問はあるが、何となく浮世離れしたこのお嬢様ならできそうな気がするから不思議だ。

 

「それと、きちんと叱っておくから、できれば食べないであげてね」

 

 ……まぢい。聞かれていたか。

 

「申し訳ございません」

 

 平身低頭する私に微笑むカトレアお嬢様だが、何か思いついたように手を打った。

 

「あなた、ナミだったわよね?」

 

 ありゃ、何で知ってるんだろう?

 

「はい」

 

「ちょうどいいわ。お茶の用意をしてもらえるかしら」

 

「はい、すぐに担当を呼んで参ります」

 

「違うわ。あなたに話があるのよ」

 

「私ですか?」

 

 いささか驚いた。さて、蛇を食べようとしたことがご機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 

「あの、何か至らぬ点でもありましたでしょうか?」

 

「そういう意味ではないわ。あら、ちょうどいいわ。ミリアム!」

 

 長い廊下の彼方を歩いていたのは、我等がメイド長だった。相変わらず姿勢が良く、クールビューティーを形にしたような雰囲気をまき散らしている。

 

「お呼びでございますか?」

 

「ちょっとこの子を貸してもらえないかしら。仕事中だと言うのは判っているけど」

 

 カトレアお嬢様の言葉に、ミリアム女史が冷たい視線を私に向けて来る。

 メイドの特殊技能の一つ『目と目で通じあう』の発動だ。

 

『ナミ。あなた、何をやったのですか?』

 

『し、知りませんよ。私、迷子の蛇を連れてきただけですし』

 

『でも、お嬢様があなたのようなメイドに声をかけるというのも珍しいですよ?』

 

『だから見当もつかないんですってば』

 

 そんなやり取りをしていると、カトレアお嬢様が焦れてきたようだ。

 

「ごめんなさい、ちょっと私も疲れてきたので、早く部屋に入って欲しいんだけど」

 

 催促され、ミリアム女史はようやく諦めたようにため息を吐いた。

 

「あなたの持ち場にはサポートを回しておきます。くれぐれも粗相のないように。いいですね?」

 

「は、はい」

 

 

 

 

 

 カトレアお嬢様の部屋はある意味魔窟だ。植物や動物がこれでもかというくらい溢れている大部屋で、一歩入ると鉢植えだの動物だの鳥だの何のと、まあすごいのだ。動物たちはみんなお嬢様になついているんだけど、植物の生育が妙に活発なのもどこかお嬢様のお人柄に関係があるのかも知れない。

 

 そんなお嬢様のお部屋の片隅に備え付けの水場があって、そこを使ってお茶を沸かす。これでもメイドの端くれだから、お茶の点て方の基本くらいは知っている。でも、本職にお願いした方が絶対美味しく入れられると思うんだけどなあ。偉い人が考える事はよく解らない。

 淹れたお茶を持ってお嬢様が待つテーブルに持っていく。

 

「お待たせいたしました」

 

 できるだけ優雅な手つきを心がけながら温め済みのカップに注ぐ。うう、さすがは高級品。いい香りだ。

 

「ありがとう」

 

 お茶を一口飲んで、カトレアお嬢様は微笑んだ。

 

「美味しいわ」

 

「恐れ入ります」

 

「あなたもそんなところに立ってないで、そこに座ってちょうだい」

 

 カトレアお嬢様が、自分の対面にある椅子を指さした。

 

「ご、御勘弁を」

 

 貴族の、しかも雇用主である家のお嬢様と同じテーブルに座るなど、あってはならないことだ。いくら相手に勧められたからと言って、はいそうですかと座った日には、それを見られた時点で御屋敷を叩き出されてしまうだろう。もちろん、そんな失礼を働いたメイドに再就職先なんか見つからないだろうし。

 

「あら、つまらないわね」

 

 口をとがらせるお嬢様。何だか気品がありながらも可愛い感じだ。実はカトレアお嬢様はお体があまり丈夫ではない。病気がちで、しょっちゅう治療士のお世話になられている。すごく美人だし、魔法もお上手なのに、社交界にもあまり顔をお出しになっていない。そんな事情なので友達もあまりいないようで、いつもこの部屋で動物を相手に過ごしおられる。何だからすごくもったいない感じだ。すごくお優しいかただし、それでいて思いやりがあって、たまに面白いことをやったりするお転婆な面もある。私が男で貴族でそこそこ立場があれば、恐らく花束を抱えて愛を囁きに来るだろうに。

 

「そうそう、あなたに訊きたい事があったのよ」

 

 私がお茶を飲む様子を見ながら不届きなことを考えていると、カトレアお嬢様はようやく思い出したように手を叩いた。

 ようやく本題だ。本当に何か粗相をしてしまったのだろうか。

 

「あなた、ルイズによくおとぎ話をして下さるんですって?」

 

 あらま、意外なところから話が繋がっているものだ。

 

「下世話な話ばかりで恐縮ですが」

 

「そうでもないわよ。あの子が話してくれたお話、本当に面白いものが多いもの」

 

 お褒めに与り恐悦至極だけど、それにしてもさすがはルイズお嬢様。一度聞いただけの話を誰かに話せてしまうとはすごい記憶力だ。

 

「でも、たまに意地悪されるって言ってたわ」

 

「意地悪ですか?」

 

 全く身に覚えのない話に私は首をかしげた。

 

「申し訳ありません。心当たりがないのですが」

 

「変ね。たまにすごく怖い話をされるって言っていたけど?」

 

「そんな変な話はしませんよ」

 

「この間なんか、私のところに来て『怖い話を聞いたら怖くて眠れなくなった』って言ってたけど」

 

「どういうお話でしょうか?」

 

「う~ん……題名とかは判らないけど、あれよ。お城の堀で魚を捕った王都の豪商に向かっておばけが『おいてけ~おいてけ~』って手招きするっていうお話」

 

「ああ、『おいてけ堀』ですね」

 

 何の事かと思ったあの話のことか。

 

「あれは怖い話じゃなくて面白い話ですよ。『おいてけ~』って台詞を面白おかしく言うことでウケを取るお話なんです」

 

 これはおじいちゃんが実に上手だった。夏になると家に御近所の人を集めて、蝋燭を一本だけ点けておじいちゃんの話を聞いたものだ。そんなおじいちゃんの得意技の一つがこの『おいてけ堀』というお話で、お話の中でおばけが『おいてけ~』と言う辺りのおじいちゃんの声色を聞くたびに、私たち子供はお腹を抱えて大笑いしたものだった。でも、何だかカトレアお嬢様の目線は疑わしい感じだ。

 

「それ、本当に面白いお話なの?」

 

「そうですよ。逃げる先々に顔なしのおばけが出て来るなんて面白いじゃないですか」

 

「そ、そうかしら?」

 

「本当に怖いお話は、あんなもんじゃないですから。祖父はそういう話の語り方が非常に上手で、夜に思い出すだけでおトイレにも行けなくなっちゃいます」

 

 あれこれといろんな話の例を出しての私の解説を聞きながら、カトレアお嬢様は目を丸くして驚かれた。

 

「あなた、いろいろお話知っているのね」

 

「ええ。祖父には、女は千の夜を語り通せるくらいお話を知っているべきだと言われまして」

 

 そんな私の言葉に、カトレアお嬢様は小首を傾げて考え込み、そして嬉しそうにお笑いになる。

 

「面白そうね。ひとつ聞かせてもらえない?」

 

「え?」

 

「聞かせてちょうだい。あなたが言う、その怖いお話」

 

 いきなりな御用命に、私はちょっと慌てた。

 

「あの、私はへたっぴですよ。祖父ほどは上手く話せませんし。あと、本当に怖いお話はあまりお勧めできませんけど」

 

「いいわよ。内容が面白いなら。それに、まだ明るいから、そんなに怖い雰囲気にはならないでしょう?」

 

 本当に嬉しそうなカトレアお嬢様。どうやら勘弁してもらえないようだ。

 

「そういうことでしたら……」

 

「待って。ルイズも呼んでくるわ」

 

 ルイズお嬢様に聞かせる、って、カトレアお嬢様の方がちょっと意地悪じゃないかと思うけど。それとも、ルイズお嬢様と一緒に寝るのが狙いなのかしら。

 いろいろとカトレアお嬢様なりに思惑はおありなのだろうけど、そういうことならこっちは責任重大だ。

 さて、何の話をすればいいかなあ。ドリアドに襲われる木こりの話でもしようかしら。 

 

 

 

 

 

 翌朝、私はメイド長に呼びだされた。

 

「あなた、昨日カトレアお嬢様に何をしたのですか?」

 

「お話をお聞かせしただけですけど?」

 

「夜中に呼びだされましたよ。一緒に寝て欲しいって。何年ぶりかしらね、ああいうの」

 

「まあ」

 

「ルイズお嬢様はベッドに粗相をなさったし……本当に何もやってないのでしょうね?」

 

「本当ですってば」

 

 

 

 

 そんな一日。

 

 

 

 

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