ウマ娘 Meteor Oscillates Between 作:別れました
『全員揃って綺麗なスタートを切りました!』
『2番グラノハイトゥンを先頭に13番、7番、9番と続いています』
1ハロンを過ぎた辺りで大まかな位置取りが決まる。逃げの2人は上り坂に入っても先頭の取り合いを続けていた。開始200m地点にある上り坂での位置取り争いを避けるためには損切のタイミングが重要だと教えられた意味が今ならよくわかる。
「ショーシヴェルツ攻略の話の前に……彼女の頬をつついたことはある?耳の内側を指の腹で擦ったことは?しっぽを握ったことはある?俺は全部ある」
「………」
「本当だって!」
「嘘じゃないから問題なんですよ!」
ここからが本題だとトレーナーはわざとらしく咳払いをしてホワイトボードにショーシヴェルツの絵を描いた。
「ショーシヴェルツの強さは高度な空間把握能力によるものだ。視野角は200°を越える。そしてあのしっぽ。根元の硬い部分が他の選手より10cmほど長い」
「他の選手より……?」
「ああ、それによって死角になる後ろ側を牽制している。彼女の真後ろにつくと半歩計算が狂う」
「戦術には重要な要素がいくつかあるんだけど、簡単に纏めてしまえば自分の得意分野で戦うことと、相手のレベルを見極めること。いつだったか、パンツとズボンの話をしたでしょ。ジーンズのことを君はパンツと言って俺はズボンと言った。ズボンと認識してる相手にパンツと言っても伝わらない。というように戦術も相手のレベルに合わせないと駆け引き自体が成り立たない。今回は相手のスタイルがわかっているのでこちらが合わせる。彼女の眼を借りる」
そう言ってトレーナーはショーシヴェルツの隣に私の絵を書き足した。
「今まで黙ってたけど君の本来の距離適性は2200~2500m。過去の試合は全て2000m前後。これはレーススピードについていける範囲でスタミナに余力がある距離から選んでいる。だからこの作戦は印象以上に合理的だ」
「マチルダ…メイデンマチルダの対策はありますか?」
「強いて言うなら1つ」
私は前から8番目、中団の外につき一番人気であるショーシヴェルツを右前に捉える。ショーシヴェルツの左斜め後ろからショーシヴェルツの見ている景色をトレースするという強引な作戦であるが自分が一番外にいるため、首を大きく振らずに他の選手を確認できる。 マチルダが後方の内ラチにいるのも視界の隅に捉えられる。勾配の強い坂ではショーシヴェルツの後ろに着いてスタミナを温存し、勾配の緩やかな部分では少し外に膨らませる。この作戦は風の影響を少なからず受けるが内側の視界の確保と前への出やすさ、芝が踏まれていないなど、いくつかのメリットがある。私はどのタイミングでも仕掛けやすいようなポジションを維持し続けたまま直線を進む。
上り坂を越えた先、第1コーナー直前で全体の順位が少し入れ替わる。ルートを膨らませていると視界の端で順位の入れ替わりが確認できる。大きく局面が変わりそうに無いことを確認した私は順位を変えることなくそのままコーナーへと走り抜けた。
第1コーナー。緩やかな下り坂はスピードが出やすく仕掛けやすい反面、直線以上に距離のロスが目立つ。スタミナの温存か、第2コーナーを抜けてすぐにある上り坂に備えてのポジション取りか、どちらかの判断が迫られる。
「視覚の共有、スタミナの優位性、その2点を押さえた上で君の取るべき作戦は──」
私はコーナーに差し掛かった所でルートを少し膨らませ、不規則な歩幅で加速した。
◇
「キルドレ、君は彼女に何をした?」
篠崎はスタンドの雑踏を掻き分け、最前列にいるトレーナーの肩を掴んで言った。振り向いたトレーナーは少年のように笑っている。その表情を見た篠崎は嫌悪感から肩を掴む手を離した。子供の笑顔などと聞くと良いものとして捉えられがちだが、子供は無邪気などではない。善悪の判断のつかぬ邪気そのものである。
共通の師に頼まれたから仕方なく面倒を見ているが、篠崎だってこんなことはしたくはないと思っていた。だからこそ、この面倒事を頼まれたというのも理解していた。
「舞台を用意しただけですよ」とトレーナーは言って、今日は京都じゃないんですねと薄く笑った。
「衣装、メイク、照明、音響、美術に広告…。俺らも同じです。裏方はステージまでは用意出来る。その先はまぁ……本人次第ですけど」
「ずいぶんと情熱的だな」
「ええ、全てのウマ娘が幸福になれる世界を作る。そのためには才能を正しく評価出来ないといけませんから」
「思想は否定しないが、そういうやつの顔には見えなかったよ」
「まだ結果は出てませんからね」
正しく評価されるべき。というのは本心なのだろう。実際にこの男の評価はいつだって正しかった。だからこそ、この男に関わった人間が狂う理由が今なら理解出来る気がした。篠崎はこの男を低く評価し続けた判断は間違っていないのだと確信した。
正しさが人を幸福に導くとは限らない。評価されるべきでない才能は世の中にはいくらでもある。この男の言う正しさとは競技者にとっての正しさでありウマ娘にとっての正しさではない。そして彼女たちが競技者でいられる時間は一生の内で平均10年とない。まともな指導者なら一瞬の輝きの為に一生を犠牲にする選択をしない。そのジレンマに苦しみ、辞めた同僚は多い。我先にと辞める人達はもっとキラキラした華のある職種だと思っていたという浅はかな考えが透けて見えるから嫌いだったが、どの業界であれ職種特有の泥臭さは箱を開けてみるまではわからない。それでもまともな判断が出来る人間は自ら消えていく。
「彼女の仕上がりならもっと上を目指せるだろう?何故そうしない。自分の評価すら正しく出来ない奴に他人の評価なんて出来ないよ。そしてそれを謙虚だとかありがたがる人間に私はなりたくはない」
走りに荒々しさは見られるものの、GⅡにも通用する仕上がりだ。篠崎には自家撞着しているように見えてならなかった。正しく評価されたいのなら正しく評価される場に行くべきであると。そう考えた後でふと嫌な仮説が脳裏を掠めた。この舞台が彼女の為に用意されたものでなかったら。
「彼女を贄に神様にでもなるつもりか?」
「神も良いですけど、それは俺が決める事じゃないですよ。そうさせない為に先輩とヒメは先生に何か言われてるでしょう?それにそもそも、高く見積り過ぎなんですよ。先輩が呼ぶように俺は周りが思うよりずっと子供なんです」
◇
『大きく順位が変わることなく向正面へ突入しました』
『向正面から第4コーナーにかけて平坦なコースが続きます。直線までに前との距離をどれだけ縮められるか見どころですね』
ショーシヴェルツの出方を伺ってマークし続けるも目立った動きはない。最終直線前のスパイラルカーブを抜けたところで一気に勝負に出るのかもしれない。他にも後続でマチルダが着々と順位を上げてきているのも気になった。私は向正面の坂を誰の後ろに入ることなく走り切った。
残り4.5ハロンの地点から平坦な道が続く。第3コーナーに入っても私は1.2コーナー時と同様に外に膨らむ走りをした。他のウマ娘たちと比べて距離のロスが多い分、最終直線に不安が残る。しかし祈るにはまだ早すぎる。他の選手より遅くまで練習した。練習効率は悪かったかもしれないが誰よりも多くの時間を走りに費やした自負がある。
第3コーナーを抜ける直前、嫌な予感がした。前から4番目のウマ娘。
前から4番目の内ラチぎりぎりを攻めているウマ娘が遠心力に負けた時、私は負ける。その勘に従って少し早めに前へ出た。
私の勘の正しさは数秒後に証明される。4番目のウマ娘が外へと広がる。それを避けようとするウマ娘たちが更に外へ出ようと膨らみ、後ろが詰まった。
私はそのまま順位を上げて直線へと向かって駆けていく。なぜこうもすんなりと対応出来たのだろう。そう考えるとトレーナーとの会話が次々に頭の中を駆け巡る。
「メイデンマチルダは外から来る。だから君は内側の選手と1人分、だいたい90㎝の間隔を保持し───」
内ラチ側に視線を動かすとマチルダがいない。慌てて両耳を後ろへ向けると右耳から左耳の方へ足音が動いている。トレーナーの発言をなぞるように全ての出来事が起こっている。この位置取りを指定した理由は余剰のスタミナを視野の確保と判断が遅れた時のリカバリーに使う為だと言われたが、何か他の意図があったのではないか。
ショーシヴェルツ攻略の話をした時、目と耳としっぽの話が出た。何故、空間把握能力の説明で視覚の次に重要な聴力に関して一切触れなかったのか。
何故、走るにあたって一番初めに矯正するほど重視していた姿勢や歩幅をコーナーで不規則にさせるように指示したのか。
何故、マチルダが圧倒したあの試合を見た上でマチルダの対策はまるで無いのか。
思考が纏まらないまま第4コーナーを抜ける。直線に差し掛かった瞬間、私は強烈な光に飲み込まれた。
次回は12月20日に更新予定です。