ウマ娘 Meteor Oscillates Between 作:別れました
真っ白な世界に踏み込んで、ここが現実のものではないと即座に理解した。
ふと顔をあげると、私は一面に広がる芝の上にいた。心地よい風が芝を撫でている。ここは……。状況を確認しようと辺りを見回すと一筋の足跡が私の足元まで続いている。私の歩んで来た道だ。けれどこれは私の足跡ではない。コンパスも自我も狂ってなんかない。この先に蹊が続いていなかったのは道を間違えたからではない。
熱を持った光が私の身体を優しく包んでいる。足跡のない方へ数歩歩む。一歩、また一歩と軽やかな脚は止まることを知らないようだ。まっさらな芝の上を少し歩いて振り返ると、先ほどまでいた蹊の上に影が佇んでいた。影はそこに立ったまま私を見つめている。
私の帯びた光が影の靄を払い、その輪郭が現れる。あれだけ怖かった影を前にしても今は信じられないくらい平然としている。
「…貴方だったんだね」
影は「やっと繋がった」と嬉しそうに言った。
会ったこともないのに、影が誰だかすぐにわかる。この空間は私の場所でありながら彼女の場所でもあると理解するのに時間はそうかからなかった。
「大樹のウロや三女神像は、過去、現在、未来を司る。そしてそれぞれがこうして干渉し合えるように出来ている。誰かの想いがそこで潰えぬように」
「わたし、話すのが好きなんだ。ちょっとの間付き合ってよ」
私と影はお互いの過去、トレセン周りの店、好きな曲、共通の知人の話などをした。話しが進むたび、嬉しさと悲しさが私の中に込み上げてくる。
本当は知っていた。出会った日、トレーナーは私ではなく、私越しに映る何かを見ていたことを。それが前の担当であろうことも。その子と仲が良く、その子のことを好きだったことも。そして私の見た目が少し変わった程度で誰か分からなくなるくらい、私を見ていないことも。
だから私は応えるように、轍をなぞるように、影を撫でて少しずつ確かめていった。影に合わせて踊り、顔も知らない彼女になろうとした。気に入られさえすればそれで良いと思っていた。
彼女と話していれば嫌でもわかる。陽気で人見知りなんてせず、誰とでも友達になってしまえそうな眩しい人。顔は少し似ているかも知れないが、それ以外の何もかも彼女と私とではまるで違う。似ても似つかない存在に私はなろうとしていたのだ。
『貴方はわたしになれない』その言葉は決して私を否定するためのものではなかったのだ。
蹊に続きがないのは彼女の歩みが数年前に止まっているからだろう。これから先、私は他の誰かでなく私として歩まなくてはならない。皆と同じであることを望み続けていたのにどうにもなれそうになかった。
「ありがとう。私をここまで連れてきてくれて」
「君は本当に…わたしがトレーナーを巻き込んで作った呪いなのに」
「でも、貴方がいなかったら私はいないでしょ?だから、ありがとうなの」
「結果的にはそうかもしれないけど…わたしは感謝されることをしてないよ。八つ当たりしてトレーナーを困らせて……」
「それでも私は貴方を責めないし、責めても貴方は救われない。悪いことをしたと思うのなら知らない誰かの非難を受け入れるんじゃなくて、本人に許してもらうしかないよ」
「でも……」
「私にも喧嘩したままの友達がいて…酷いこと言ったし言われた。思い出してはもっと言葉を慎重に選ぶべきだったって落ち込むし、あそこまで言わなくてもいいのにって腹も立つよ…。けどこのままだと楽しかった思い出まで悲しみや怒りで塗り潰しちゃいそうだから……我儘なのはわかるけど、もう一回会って話したい」
「許されなかったら?」
「許されなくてもいい。私は乗り越えたって伝えられたら」
「それに…許すのは貴方の方かもしれないでしょ?」
影は目を見開いたあと、にこりと笑って「わたしに伝えておくね」とまるで他人の事のように言った。
「君の為にこの力を使ったつもりだったのに……いや、まだ過去のひとつくらいは……もうすぐ干渉の限界が来そう。最後に聞いておきたいことはある?」
「そうだ、最初にしてくれた三女神の話…もしかして貴方がトレーナーに未来を…」
「あれ、君じゃないんだ。わたしはてっきり……ま、誰でもいっか!わたしはトレーナーじゃなくて君のところに来たんだよ!まだ誰にも踏まれてない場所を自由に駆け回ってほしい!君にはわたしにもトレーナーにもこれ以上縛られないでいてほしいから!」
影の言葉を聞き終えると、それが合図だというように影はぽろぽろと崩れ始めた。
どこからか声が聴こえて、その通りに手を伸ばすと私を導いてくれた影は消えてなくなった。
前を向きなおすと、そこに2人のウマ娘が現れる。1つは大きく、1つは小さかった。
座りながら会話をする2人には見覚えがある。私の幼い頃の記憶だ。母親は小物を趣味でよく作る人だった。私が小学校に入った辺りでぱたりと辞めてしまったから今の今まで忘れていた。
「なぁに?これ」 母の膝の上に乗っている私はキラキラとした顔つきで尋ねる。
「これはね、シェヌっていって大切な人に掛けるおまじないなの」
「おまじない?大切なひと?」
「おまじないは、お願いするってこと。大切な人は、好きな人のこと。ずっと一緒にいたいって思う人のことだよ」
母は穏やかな声で喋っていた。
「ママの大切な人は貴方とパパ」
「じゃあ、わたしはパパとママ!と、りっちゃんでしょ、あとカイくんとぉ…めぐみせんせーも!」
「そっか、いっぱいだねぇ」
「うん!!」
なんで忘れていたのだろう。こんなにも大切なことを。
物心ついた頃からずっと自分は愛されていないのではないかと思っていた。私が寝室に向かった後で両親がよく口論をしていたから、そっちが本心であると思い込んでいた。私を疎ましく感じていると。
両親はより良い環境で私を育てようとして、自然の豊かな小さな町に引越した。しかし子供を想っての判断は決して良い事ばかりでは無かった。ウマ娘がいなかったその町にはウマ娘を理解する者がいない。嫌がらせもされた。無自覚な差別もされた。しかしそれを言い出せなかった。
母親も同じ見た目をしていたから。母親がウマ娘だから自身もウマ娘で、それが原因で嫌な思いをしていると言えなかった。言ったところで何かをして貰える余裕もないのではないかとも思っていた。
そんな環境で育ち、慣れきってしまった私は言葉の真意を必要以上に探り、向けられた優しさを素直に受け取ろうとしてこなかったのかもしれない。
「私はずっと、本心を伝える前に諦めてたんだ…」
ポツリと呟いて、あぁと声を漏らす。言ってみて初めて自覚した。言っても変わらないだろうと言う前から決めつけていた。もっと他人を頼っても良かったのかもしれない。
東京に来て『ウマ娘専用道路』を初めて目にした時、私の苦労は私だけの物だったと理解して落ち込んだ。都会ではウマ娘は社会に受け入れられていて、日常の一部に組み込まれている。それに酷く打ちのめされながら人目を気にしない生活を享受していた。
この醸成した社会だって自然発生したわけではなく誰かが勝ち取った物なのだろう。私はこの希望を消費するだけで良いのだろうか。希望はあると閉鎖された世界に生きる人たちに伝えたい。ここで生まれた願いを絶やさない為に。
鮮烈な光が全てを搔き消した。
真っ白の世界にただ一つ、大きな扉が現れる。説明がなくとも現実への出口の扉だとわかった。勇気と希望に満たされた今なら扉を開けられる。この先が私の帰る場所だと。
もう怖がる理由なんてない。
扉から見える景色は影と対峙する前のものと同じだった。あの出来事はこちらの時間ではほんの一瞬のことだったらしい。頬を伝う一筋の雫しか、見たものを証明する術はない。言ったところで誰が信じようか。
証明するのは私の存在だけでいいのだから。
『最終直線!先頭は依然グラノハイトゥン。内からショーシヴェルツ!外にはメイデンマチルダが控えています』
292m。ここで全てが決まる。
どこからか力が湧き溢れている。これが勝負服の力なのだろうか。
身体は軽く、熱い。空気との衝突して皮膚が剝がれていくような激しい痛みが全身を走る。ぐっと堪えて腕を振り、大地を蹴り上げた。
楽しい。私が嫌だったのは走ることではなく、ウマ娘というだけであるべき理想を押し付けられ続けたことかもしれない。今はただ純粋に走りを楽しんでいる。
私はレースをしている事を忘れて心の赴くままに脚を回転させた。自分がどこまでスピードを出せるのか、試したくなった。しがらみから解放されてしまえばこんなにも心地の良いものなのか。今ならば何処までも走って行ける。自然と口角が上がった。
最終直線、ギアを一段上げ振り返ることなく突き進む。
『速い!速い!8番!勢いよく飛ばして行きます!』
『4つめの光が!朝日の沈むその地から遠く離れたここ福島で燦々と輝いています!』
スタンドが視界から無くなって、私はゴールしたのだと気が付いた。慌てて振り返り、掲示板に視線を移す。8番。一番上に私の番号があった。
「勝った……」
汗が腕の上で玉を作って流れていく。鼻筋を伝う汗を目で追って、目に入ったらまずいと額を拭う。
緊張が解け、置いてきた感覚が今になって追いついたのだろう。心臓と歓声が内と外から私を激しく叩いた。肺が、呼気が、血の味で満たされていく。
生きていると実感する時は決まって苦しい時だ。けれど今はその苦しさすら嬉しかった。
ゴール後にスピードを緩めなかったせいでゴールからは離れているうえに息も整っていない。一流の選手なら今頃スタンドに寄ってパフォーマンスをする時間なのだろうと考えながら私はゴール付近へ戻った。歓声の続くスタンドに向かって手を振って応えた。
ショーシヴェルツやメイデンマチルダと握手を交わしたあと私はトレーナーを探す。
トレーナーのことだから観客席最前列で見ているのだろう。予想は見事的中した。私は小走りでトレーナーの元へ向かう。
「トレーナーさんっ!私っ…1番になれましたか?」 途切れ途切れの息でそう尋ねた。
「あぁ…1番だったよ」
口元が少し緩んだ。
声援を自分のものだけにするには大き過ぎる気がして、この景色をトレーナーと分かち合いたくて、私はトレーナーの手をターフまで引いた。困惑しているトレーナーの顔を見るに、どうやら私は思った以上に冷静さを欠いているらしい。トレーナーの有無を言わせないまま肩に担ぎ上げ、客席前を歩くと声援が一層大きくなった。
肌が震えるほどの歓声を浴びながら2人は地下バ道へと消えていった。
蹊←こみち と読みます。
次回更新12月27日の予定です。
3週間ほど前に久しぶりの読書をしたのですが、受け取るものが多くそれらを上手く昇華出来ないまま今に至ります。頭の整理が未だ出来ず21話22話と今まで以上に読みづらくなってしまったと反省しております。