ウマ娘 Meteor Oscillates Between 作:別れました
私は、たった今卒業式を終えたというのに学園内を走り回っていた。
教え子の晴れ舞台に顔すら出してくれない薄情者を見つける為に。
ガチャガチャとパイプ椅子同士がこすれる音がせわしなく響く体育館。誰かの泣く声と笑う声の聞こえるうすら寒い廊下。教室には冬の鋭い陽が差し込んでいて、舞ったほこりがちらちらと光っている。
いつもならありえない、人気のない静かな食堂。一方で来年度の準備で休む間もない職員室。煙草の匂いの充満するプレハブ小屋、プール、ジム。しらみつぶしに探しまわった施設は心なしかどこも寂しさを纏っている。
この季節の三女神像前はまだ少し寒い。
敷地内はあらかた探し終わった。あと、残っているのは…。なんとなく予感がして後回しにした場所。私はトレーナーと初めて会った場所へと息を切らしながら向かう。
予感の通り、そこにはトレーナーがいた。
「やっと…見つ…けた……」
息絶え絶えに絞りだした言葉にトレーナーはにこりと笑う。
「卒業おめでとう」
「ありがとう…ございます……じゃなくて…」
質問したいことは山ほどあった。なぜ卒業式に来なかったのかとか、なぜこの場所で待っていたのかとか、他にも沢山。質問というよりも文句に近い数々を吐き出してやろうかとも迷ったが、ぐっと堪える。
「大きくなったね」
「おかげさまで。重賞ウマ娘ですからね。あの後は…鳴かず飛ばずでしたけど…」
福島記念の日を境に、私はレースで結果を残せなくなっていった。あの力に再現性はなかった。以降、勝ちたいとか負けたくないとか、貪欲で執念じみた感情が湧いて出ることもなく、掲示板に入ったり外れたりを繰り返していた。
叶えられないものや途方もない努力や労力を要するものを人は夢と呼ぶ。私にとって重賞の勝利は夢よりも先にあるものだった。それが心を満たしてしまったのだろうか。今はただの日常に、あるべき場所に帰っていっただけなのだと思う。
「このあとお昼とか一緒にどうです?」
「良いよ。何が食べたい?」
「ラーメン……あのお店のラーメンが食べたいです」
「最後くらい好きなとこでいいよ?」
「最後だからですよ」
私たちはあの日と同じ道を歩いてラーメンを食べに向かう。通りの多い道を外れて、もう少し歩いたところにある小さなラーメン屋。並ばずに入れて、席にもすぐに座れ、周りを見ても常連客しか見かけないラーメン屋。久しぶりに来たというのに店内はあの頃と何ひとつ変わらずここだけが時の流れに逆らっているかのようだ。
「おぉ坊主!に…嬢ちゃん!久しいなぁ。卒業式か、今日は」
「…はい」
「ならチャーシュー2枚、いや3枚おまけだ」
「…ありがとうございます」
「おっちゃん!俺には?」
「しょうがねえなぁ」
私たちは空いているテーブル席へと腰を掛けてラーメンが出来るまでの間、思い出話に花を咲かせていた。必死に過ごした日々も思い返せば輝いて見えるのだから不思議なものだ。
話をしている内にラーメンが提供される。あの日と同じ醤油ラーメン。違うとすればチャーシューの枚数くらい。きっと味も変わっていないのだろう。私は歪に割れた割り箸で麺を口へと運んだ。
ひと口、またひと口と啜るたびに大粒の涙が零れる。出汁の下処理が上手く出来ていない味の薄いスープ。嚙み切ろうとすると僅かにねちゃりと歯の上に留まる切れの悪い麺。しかし既製品であろうチャーシューだけは異様に美味しい。
何も変わっていない予想通りの味。それなのに涙が止まらなかった。最初の頃は事あるごとにここへ連れてきてもらっていた。その記憶がこの味に結びついている。遠い昔を懐かしむように麵を口に運んだ。泣いている私を見てトレーナーは「だから言っただろう」とでも言いたげな顔をしたものの何を言うでもなく、ただ見守っていた。
最後くらい。トレーナーの放った言葉の解像度が時間と共に鮮明に、やがて実感となって私の胸をじくじくと蝕んでいく。実現することのない、たらればばかりが脳内を巡る。それらを口に出さないのは、成長を認められたいだとか幻滅されたくないというよりも、もっと我儘な願望のせいなのかもしれない。
ラーメン屋を後にして2人はトレセン学園へと歩き出す。道沿いのビルも建物こそ変わらないものの、時の変化を受け入れている。
「そういえばもう寮を出たんでしょ?道こっちで大丈夫?」
「夜にこの近くでクラスの打ち上げがあるので、それまでトレーナーさんの小屋で休憩でもしてようかな~と」
「ふーん。いいけど打ち上げ迄は時間もあることだし…」
トレーナーは私を抱き寄せて胸を触る。
「へっ…⁉」
反射的に声が出てしまう。顔にこもる熱は頭まで広がり、既に耳まで熱い。直後、何が起こっているのかを理解した。油断していたという他にない。
「これ外しときなよ?」
と、卒業おめでとうと書かれたコサージュを掴みながらトレーナーは笑った。
「早く言ってくださいよ!!」
「チャーシューご馳走様でした~」
「あっ!……最悪…………っていうか打ち上げ行くときは私服に着替えるから別にコレついてても良いっていうか別にアレですし……全然」
私は唇をツンと尖らせて、恥ずかしさをどうにか誤魔化す為にぶつぶつと小言を言いながら何か言い返してやろうと記憶を辿っていた。
数年前、ひょんなことから顔も名前も知らないウマ娘のことを知り、彼女の足跡を追って、ここから少し先にある信号の前で芝の中距離を走ると宣言して……。
彼女を演じていさえすれば暫くは許される。今にして思えば笑いが込み上げてきそうなほど視野が狭く幼稚で浅はかな考えだが、当時は客観視が出来るほどの余裕など無かった。だから必死で掴めそうなものに手を伸ばした。
結局最後まで走ることを好きにはなれなかった。楽しいと思えたこともあったけれど総量としては苦しさが大半を占めていた。それでもかけがえのない時間であったことに変わりはない。走ることを好きになれなくても、求められた形でない自分を許せるくらいには成長出来たのだと今は受け入れている。
ふと、ある考えがよぎる。私はトレーナーをどこまで騙せていて、どこまでを知られていて、どこまで付き合って貰っていたのだろうか?もしかして最初から全て知られていたのではないかと急に怖くなった。
興味は止まることを知らない。最後くらい、と今から着飾るにはあまりにも知られすぎている。ならば―――
信号に差し掛かる直前、私は口を開く。
「トレーナーさんはどうして私を選んだんですか?」
隣を歩く足音がぴたりと止んだ。1、2秒ほど遅れて私も歩みを止めて振り返る。辺りの騒音と胸騒ぎで早まる心音のみが私の鼓膜を震わせる。
目が合うまでの一瞬、トレーナーの呆然とした表情が視界に収まる。初めて見る顔だ。直後、思い出したかのように目を細めてにこりと笑ってから足早に歩き出した。
「あ!ちょっと!!」 目の前を通り過ぎたトレーナーの背中を追って私も歩き始める。
私にとって、口角を意図的に上げたことに気付けないほど付き合いは短くない。
余りものだったから。と言えば終わるだけの話を終わらせてくれないのは誠意か、はたまた気遣いなのか。誠意以外、意味を成さない事を理解しての沈黙かもしれない。
それとも何かもっと――――
あたたかな春風がそっと髪を撫でた。
季節は巡り、私たちはもうすぐ冬を忘れようとしている。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
連載中に読んでくれた方やお気に入りや感想をくれた方々、本当にありがとうございました。おかげさまで完結まで辿りつけました。
話を書く経験はほぼ初めてだったので説明不足や描写不足、視点がごちゃごちゃしている等、実力が不足している点は多々あったと思いますがお許しください。
主人公である「私」の名前のヒントは物語後半にかけて散りばめてあるので暇なら探してみてください。
その他なにか質問等あれば答えられる範囲で答えますので気軽にご質問ください。(このサイトに詳しくないので返信には時間がかかる場合があります)