ウマ娘 Meteor Oscillates Between 作:別れました
9月、私のデビュー戦は残暑の続く空の下で行われた。
全ての事が初めてで、緊張をするなという方が難しい。周りの子も緊張しているのだろうか?ともあれ私たちの共通点が多いに越したことはない。
パドックに集まる視線と照りつける鋭い太陽、汗が滴る理由はこの暑さだけではなかった。パドックの中央には小さなステージがある。1人ずつ壇上にあがり軽くポーズを取ったりして仕上がりをアピールする場所だ。
気合十分といった表情をする者や手を振ったりピースで応える者、一方で緊張から手と脚を同時に出して会場を沸かせてしまう者もいる。精神の余裕までもが白日の下に晒されるのだ。
出走前に立たねばならぬパドックに向けられる視線や声、その全てが応援のものとは限らない。
名門の出身でもない、名も知られていない、ましてや歌も踊りも出来るかわからないウマ娘たちを純粋に応援しようと駆けつける人がどれほどいようか。
これからデビューするウマ娘を応援したい人やメイクデビューから成長を見届けたいという人もありがたいことに少なくはない。ただそれとは別に下心を持って見に来る観客というのも存在する。そういった者の持つ視線というのはなんとなくではあるがわかってしまうものだ。これが結構、精神的にくる。無視すればいい。なんて言葉も聞かれるが簡単に割り切れるような話ではない。
もちろん学園側も野放しにしているわけではない。学園側から生徒に対し、そういったファンを増やさない為にも過剰なサービスをしないようにとやんわりと教えられるが、生徒とて線引きが完璧な訳ではない。また、ファンとの交流も文化として歴史が古く、様々な形が存在する中でルールを明文化するのが難しいというのが実情であった。その曖昧さに付け込むような悪質なファンも存在するし、残念ながらその逆もある。
様々な要因が重なる最初のレースは身体の仕上がりよりもメンタル勝負の面が大きい。
番号順に呼ばれたウマ娘たちはステージに上がり次々とポーズを決める。4番、2つ前のウマ娘がステージの上で躓いた。慣れない靴を履いているのだろう。靴は脱げて少し離れた場所へ飛び、体操服は大きく捲れて下着の一部が露わになる。一瞬にして静まる会場に幾つかのシャッター音が響いた。地獄のような空間で、その子は今にも泣き出しそうな表情であったが、ぐっと涙を堪えて立ち上がる。脱げた靴を履き直すと彼女は笑いながら手を振った。観客の送るよく頑張ったとでも言いたげな同情を含んだ拍手は悪意はなくとも心地悪いものだ。
あの笑顔が虚勢だということくらい誰が見てもわかる。もっとも虚勢という言葉はここにいる全員に当てはまるのだが。
5番の子も緊張は感じられたものの一連の動きをそつなくこなす。次は私の番だ。震えた拳を握り、ステージへとあがる。身体の震えを抑えながら今日のライブもこんな感じなのだろうかと、まるで他人事のように空想して緊張を誤魔化す。
ステージの一番手前まで歩き、その場でくるりとターンをする。強がりで笑顔を作って一礼をした。まばらな拍手が鼓膜へ届いたときの安心感は、何にも代えがたいものだった。
8人全員のアピールが終わり、一同は地下バ道を通ってコースへと向かう。薄暗い地下バ道には誰かの泣く声が反響している。振り返らなくたってその声の主が誰かなんて見当がついた。けれど彼女に励ましの言葉を掛けるウマ娘は現れなかった。敵同士だからではない。優しく振る舞えるほどの余裕を誰もが持ち合わせていなかった。
言葉こそ交わさなかったが私達は深層で結託していたのだと思う。泣いている彼女をみて励ますどころか寧ろ安心してしまう自分に嫌気がさした。
幼き頃に見た、テレビのモニター越しに映る世界と此処が、同一の場であるとは信じられない。
いや、信じたくなかった。
この暗闇の先にある光は本当に希望なのだろうか。
地下バ道の先にある光は希望と呼ぶには些か眩しい。
光は身を焦がすほどの熱を帯びていて、影さえも溶かした。
よく晴れた空の向こうに揺らぐビルと空を裂く飛行機雲。青々と茂る芝生は刈りたてであると鼻腔に訴えかけてくる。この匂いは昔から頭痛を引き起こすので苦手だ。
ターフ上はパドックとは違って驚くほど静かでゲートに入るまでの時間は穏やかなものだった。 ゲートの中は想像よりも広いが、前扉で視界の一部が遮られているせいでサイズ感とは裏腹に窮屈に感じる。
練習してきたものを発揮出来れば勝てる。何も問題はない。何度も心の中で繰り返す。
暫くの沈黙のあと、塞がっていた視界が一気に開ける。スタートの合図だ。一斉に走り出すウマ娘達の背中が私の視界に収まった。
あ…ゲートの練習してない。
慌てて加速し始めるも当然しんがり。幸いにも他のウマ娘達との位置取り争いを避ける形になり、左右の移動もなく大きな差がつく事はなかった。1ハロンを超えて残り1600メートル。最初の直線に差し掛かる。先頭からしんがりまでは10バ身。練習では2000メートルを想定していたから体力に余裕はありそうだ。どこで仕掛けるかが重要となる。
というか何でマイル…?距離の希望、中距離って言わなかったっけ。
レース直前、トレーナーと交わした言葉を思い返すと、どれもテキトーなものに思えてくる。
「あぁ、作戦?自分の好きな位置とペースで走るといいよ」
「カチッと決めるとそれを守ろうとしちゃうからさ~」
「大丈夫大丈夫、俺は間違えないから」
会話中ろくに目も合わせてくれなかったし、よくよく考えてみれば、チームスピカのスタイルにそっくりだ。トレーナーはスピカのトレーナーに感化されているのかもしれない。そもそもそのスピカだって型破りであって型無しではないし、あまりある才能ありきのスタイルなのだ。そこら辺のウマ娘はサイレンススズカにはなれない。
可能性としてはもう1つある。何も考えていない。私的にはこっちの方がしっくりくる。ゲートの練習、さっきの会話、スカウトの理由、帰りはラーメンを食べようだとか呑気な発言と、当てはまり過ぎる。今日までの練習がそれっぽかったのですっかり忘れていた。
ふいに口角が上がる。自嘲的な笑いがこみ上げてきそうなのをぐっと堪えた。今はレースに専念しなければ。
とりあえず皆にこのままついていこう。数週間前からしていた併走トレーニングよりもペースが遅い。逃げの作戦のウマ娘がいないレースは先行の判断でペースが決まる。先行のウマ娘が多いことも災いして、先頭付近は集団で位置取り争いをしている。ここで体力を使うのは得策ではないのだが、内ラチ側は飲まれて沈むことが多いため競り合いをしないという選択肢がない。
後ろからだとよく見える。今の状況どころか、その先さえも。結果論でしかないが良い位置取りだ。向正面、上り坂を越えたところで全体の順位が落ち着いた。コーナーに入るための準備だろう。
残り1000メートル。コーナーを抜けた位置で勝負が決まると直感は告げていた。その勘との誤差を丁寧にすり合わせるようにコーナーでのロスを少し多めに取る。しかし最小限に。ここなら進路が被ることはない。そのまま第3、第4コーナーにかけて加速をする。外から中団と並ぶように最終コーナーを抜ける。
直線に入った時、視界を遮るものはなかった。
あとは己の全てを、ぶつけるだけだ。
ストライドを狭く。回転を速く。内側から湧き出す力を爪先のただ一点へ、蹄鉄から地面へと伝播させて坂を登る。残り1ハロンの目印を前に1位に躍り出る。もう坂はない。純粋な速さ勝負。私は加速を一切緩めることなく、そのままペースを乱し続けた。
ゴール板を越えたとき、隣には誰もいなかった。 宙に舞う土を、地にある軌跡を、他の7人に見せつけたのだ。
「1位………」
1位であるということよりも、まだここに居ていいのだという安心感がじわじわと喜びに変わる。にわかに信じられないまま見た掲示板には、確かに6番と映し出されていた。
「本当に…勝ったんだ…!」
息を整えながら客席へ手を振る。呼応する歓声とシャッター音が途切れ途切れに鳴る。重賞ともなればこの音も絶え間なく聞こえるのだろう。それでも今の私には十分過ぎる声援だ。
汗が止まらないのはこの熱さのせいだろう。拭いきれなかった汗が火照った身体をつたう感覚がはっきりとわかる。研ぎ澄まされているのは、なにも肌だけではないようだ。観客席にいたトレーナーを一目で見つけることが出来た。
外ラチの向こう側、観客席の一番前にいたトレーナーへと駆け出す。前まで来てトレーナーに向けて出したVサインは意図せず会場を盛り上げた。その声と視線にそそのかされてトレーナーも気恥ずかしそうに手を振り返す。
私は、私たちは、勝ったのだ。
メイクデビューは始まりかもしれない。人類にとっては小さな一歩かもしれないが私にとってはとてつもなく大きな一歩だ。
勝利の余韻に浸りながら私はコースを後にする。
帰りの地下バ道には、にまにまとした顔のウマ娘の鼻歌とスキップの音が鳴り響いていた。