法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
――間に合ってよかったアユミチ。お前たちだけか?
お前が忌まわしい【手】に掴まる前に見つけられてよかった。
お前たちだけか?
こいつらも把握していないんだ。ゼラやファニアの居場所を。
――私は敵じゃない。わかるな?
私は、敵じゃないんだ。わかってくれ。
助けに来たんだ。お前を。
――ゼラを知らないか?
――ご無事ですよぉ。
違う、わかれ。気づいてくれ。
私じゃこいつを殺せない。気づいてくれ。
こいつだけじゃない。すぐ近くにまだいるんだ。もっと邪悪な奴がそこに潜んでいる。
まやかしを得意とする卑劣な太光師が。
――ファニアは?
――向こうで待っている。ここは危険だ。
そんな女じゃないだろう、あれは。
嘘なんだ。ここは危険だ、気付いてくれ。
今ここでビッテスに襲い掛かっても、勝てるかどうか。
すぐに太光師も加勢する。あれの光を浴びれば、私はきっと戦えない。
戦えないだけじゃない。お前に、情けない姿を見せることになる。いやだ。
仮にここで暴れて森を封鎖されてしまえば、彼らに生きる道がない。
私が出せる精いっぱいのヒントだ。
アユミチが気づいてくれれば、ビッテスとザイドロスの両方を始末して逃げる道ができる。
だけど、私も。私の心にも、きっと意地悪な気持ちが残っていたんだ。
お前があれを見て、確かに愛する妻だと言うのなら。
ああ、やっぱり世界は嘘で溢れているんじゃないかって、諦められるから。
そうなればいい。
そうなってほしくない。
私はお前に何を期待しているんだろうな。夢見る小娘みたいに。
◆ ◇ ◆
「リグラーダ!」
アニラービーの脇腹を旋風のごとく切り裂いた彼女のダガーが、アユミチの眼前で鋭く振るわれた。
空気を斬る。敵の命を断ち切ろうとして、閃光のように。
「リグラーダさん?」
「ちっ」
ふわっと後ろに跳んだビッテスと、リグラーダの舌打ち。
「逃げろ!」
「っ」
何を言われたのかわからない。
リグラーダがビッテスに襲い掛かり、アユミチたちに逃げろと。
「せめてお前だけは!」
「あらあらぁ」
左手から放たれた杭のような矢を、ぱしりと片手で受け止めたビッテス。
強烈な矢を近距離で掴んだ?
「た」
矢を握った手を、ぱっと放したビッテスが手の平を見る。
血が垂れていた。矢に何か仕込んでいたのか。
「狂人め!」
「ひどいですよぉリグラーダさん、私たちお友達じゃないですかぁ」
「黙れ!」
リグラーダの動きは、アユミチにはとても追いきれないほど鋭い。
目にも止まらぬ足さばきで距離を詰め、ダガーをビッテスに突き立てようと振る。
「あんなに愛し合ったのにぃ」
「くっ!」
対するビッテスの動きは、ゆらりと。ふわりと。
決して速いとは見えないのに、最短距離で喉を、胸を抉りにくるダガーを躱す。
「どうして裏切るんですかぁ?」
「逃げろアユミチ!」
「そうはいかないのでございますがね」
ずる、と木々の隙間からはみ出るように姿を現す法衣の男。
その手がアユミチに向けられ、手の平の中の指が蠢く。
「どこで気づいたんですぅ? 顔も形もおんなじなのに」
ゼラじゃない。
そう、あれは偽物だ。姿形だけ合わせた別の何か。
アユミチに気づかせようと小さな違和感を与えていたリグラーダは敵じゃない。
敵はビッテスと、この法衣の――
「とくと御覧ぜよ
『アユミチ!』
「アユミチさん!」
叫ぶ後ろのカヨウやカハロたちを庇うように立ったアユミチ。その正面で。
目の前が真っ白になるような、真っ暗になるよう
「そして
目がくらみ、見えないアユミチの左肩を掴む手があった。
うぞりと、手の平で
レーマ様からもらった、心臓に突き立てれば血がドバドバ流れるナイフ。
「なんと?」
「ちぃっ」
浅く切り裂いた感触と、ぱっと離れていく気配。
近くにいたのだ。見えないでも心臓に突き立てればよかったのだと思うが、殺し合いに慣れていないアユミチにそんな判断は難しい。
「黄道の導きがすり抜けるとは、やはり悪しき裏の者でございますね」
「ザイドロス様?」
「アユミチ!」
アユミチとザイドロスと呼ばれた法衣の男が離れるのに合わせ、リグラーダとビッテスも離れる。
「立てるかアユミチ!?」
「旦那!」
「平気、だ……もう大丈夫」
強い光を浴びて一瞬目がくらんだが、何度か瞬きして頭の中を整理し直す。
エクピキの神官。かなり高位の。
治癒以外にもこんな使い方があるのか。
「平気? なんですねぇ」
「信徒ビッテス、あなたの懸念はたしかでございました」
「ザイドロス様の御手でも」
「御覧になられた通り」
ザイドロスの右手の甲から血が溢れている。
差し出されたそれを、べろりと舐めるビッテスの顔は、うっとりと酔うように艶めいて。
狂人。リグラーダの言った通り。
「神の御力がするりと抜け、あの通り」
「黄道に沿うことのない救われない魂ですかぁ」
「なん……」
「あの手に掴まれれば立っていられないのが普通なんだ。あの光だってまともに見れば……お前は平気なんだな」
ものすごく気持ち悪かったけれど、反射的に振り払いたくなるものだった。
立っていられない、ということはない。その前の目くらましの方がきつかったくらい。
「ムンジィ、カヨウたちを頼む」
「わかりやした」
「アユミチさ――」
「カヨウ」
私も戦う、と言い出しそうなカヨウの名を呼んで黙らせた。
カヨウが捕まったらどうする。何もできない。助けることも、戦うことも。
ムンジィと一緒に下がっていてくれとしか。
「ノクサ……好きなだけ使っていい。頼む」
『わかった』
リグラーダの不意打ち、連撃がかすりもしなかったビッテスと、ザイドロスの方は動きに人間らしさがなくて全く読めない。
細長い顔、体格の神官。
現れた時も、さきほど距離を詰められた時もそうだ。
ビッテスの動きは綿毛のよう。ザイドロスの方は、乱気流の中に漂うビニール袋に似ている。
どちらも捉えにくい。アユミチがこれに対抗するなら、ノクサの力を使う以外にない。
「……」
戦いながら退いているが、ビッテス達の向こうにはまだゼラの顔をした女の姿がある。
遠目にも、確かに瓜二つ。同じ。双子でなければ作ったように。
「ゼラに、何を……」
「気になるんでしたらぁ見せて差し上げてもいいんですよぉ」
ビッテスが笑い、ザイドロスが異様に長い指でくいっと指した。
微笑んで立っていたゼラの顔をした何かは、それを受けて頷くと、するりと着ていた服を下に脱ぎ落とす。
裸体。ゼラの顔で微笑みながら、惜しげもなく。
ムンジィも、カハロたちも、偽物かどうかはともかく異様な光景に息を呑むのがわかった。
ゼラを辱める行為。それに加えて、
「皆さん、悦んでくれたんですよぉ」
「びっ――」
「
突風が、砂塵に満ちた竜巻が、ビッテスとその隣にいたザイドロスを飲みこんだ。
「わたくしならここに、
躱すとか避けるとか、そういう範囲ではない。周辺の木々ごと飲み込む。
小さな小さな砂粒が大樹の幹を見る間に削り、飲み込まれたビッテスの頬の肉も服も細かに千切れてこそぎ落とされていくのがわずかに見えた。
やすりのように、おろし金で摩り下ろされるように、巨大な建造物でも掻き消してしまうような砂塵の旋風。
「ゼラ!」
「はい、ここに。わたくしの血縁を使った紛い物ではありません」
横から現れたゼラの笑顔は、今度こそ間違いなく。
ぬるりするりと躱す難敵を仕留めて、アユミチに頷くゼラ。
「アユミチ、信じていましたから」
「……あぁ」
本物のゼラ。
「お前にも礼を言わなければいけませんね。女……リグラーダ」
「いや、頭の開いたあのビッテスを、よく……」
頭の開いた、という表現がよくわからないが。
砂礫が吹き抜け、ごっそりと削り取られた森の一部。
まだ濛々と土埃の立つ中、リグラーダにとっても脅威だった相方……元相方のビッテスの、人体標本のような無残な死体が――
「星煌めけば――」
無残な赤い歯茎が開いた。
◆ ◇ ◆