法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-43.ほっぺに

 

 キスを、してくれただろう。

 もう一度。

 追いかけてきてくれて、呼び止めて。

 困った顔で、なのにとても真剣な目で。

 

 キスをしてくれた。約束だからって、子供にするみたいに。

 本当の温もりだと感じた。

 だから私は、お前に……

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 魔法を使わせまいと、斬りかかったのだと思う。

 やすりのように削る砂粒の竜巻が抜けて、まだ辛うじて息があったビッテスを殺そうとリグラーダが踏み込んだ。

 

「やぁぁっ!」

 

 届く。間に合う。

 皮膚を失いながらまだ魔法を唱えようとしたビッテスの体に、ダガーを突き立てようと。

 そのリグラーダに、ビッテスの下から手が伸びた。

 真ん中に【指】の生えた手が。

 

「な」

 

 リグラーダのダガーを逸らし、その直後に炸裂した。

 ビッテスの手から零れた貴石が冷たい輝きを放ち、破裂する。

 

「――――」

 

 乱れた。

 死にかけのビッテスが動いたことに気持ちが乱れ、離れた。

 釘を数百と詰め込んだ球を破裂させればこんな魔法になるのだろう。

 光のつららが巨大なショットガンのように放たれ、降り注ぐ。

 咄嗟にカハロを庇った母の首に、ゼラを庇ったアユミチの肩に、カヨウを守るムンジィの腕に。

 ビッテスを殺そうと飛びかかったリグラーダの腹に、胸に、足に。

 

「あ、が……っ」

 

 リグラーダの体が弾き飛ばされる。

 遅れて転がってきたダガーが、アユミチの足元に転がった。

 

 

「信徒ビッテス、同志ザイドロス。ご無事ですか?」

「くそっ!?」

 

 さらに、偽物のゼラの背中から現れる小柄な法衣の男。

 ザイドロスと呼ばれた男と同じ種類の法衣。他にもいたのか。

 

「だん、なっ……」

「リグラーダを!」

「おかあさん! おかあさんが!」

 

 カハロの泣き声を聞きながら、至近距離でビッテスの魔法を食らい吹き飛ばされたリグラーダを手繰り寄せる。

 肩の痛みなど、気にもならなかった。

 リグラーダの温かい血を体で感じながら、体を引きずって逃げ戻る。森の奥へ。

 

 敵は追ってこなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「お二人が揃ってこうも手酷くやられるとは」

「面目次第もございません、な……」

「あぱて、い……さま……」

 

 表面の肉をこそぎ落とされ肉塊のようになっているビッテスと、その背中に張り付くザイドロス。

 ザイドロスの法衣も、足や肩の肉もかなりの部分が削ぎ落されていた。

 細長い体躯のザイドロスだから助かったか。これが巨漢のオルミだったのなら……彼なら、鋼のような肉体で生き延びたかもしれない。

 

 ビッテスの美しかった体が、びゅくびゅくと筋肉を収縮させながら浅い息を繰り返す。

 それでも彼女の瞳は輝きを失わず、瞼のない目がらんらんと、煌々と色付いている。

 真の悦びを得たように。

 

「喋らずとも構いません。私も治癒に当たりましょう」

「ありがた、く……はあぁ……っ」

 

 

 強烈な魔法の直撃を受けた。

 肉を削られながらザイドロスの盾となり、その背中からザイドロスが癒しを与えた。

 影潰しの歴史上最高傑作だと太光師オルミに評されるビッテス。常軌を逸した信仰心と愛が、悪しき神の一手を超えたのだろう。

 エクピキの治癒の悦楽で正気を保ったまま死を乗り越えた。まさに神の子。星光のビッテス。

 

「……あなたという宝と我が友を失わずに済んだことを、今は喜びましょう」

 

 太光師アパティにも迷いはあった。

 逃げる彼らと戦えば、ここで決着をつけることも可能かと。

 しかし死の花嫁と悪神の使徒と戦えば、その余波でビッテスとザイドロスが死ぬ。

 

 あれらを処分する手段ならまだある。

 ここはビッテスを生かすことが真の黄道に近いと、太光師アパティは満ち足りた笑みで治癒の光を灯した。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「リグラーダ、しっかり……俺の、せいで……」

「いい……いい、んだ……」

 

 虚穴跡地まで引き返し、そこで足が止まった。

 警戒するカヨウとゼラが首を振り、まだ敵が迫ってきていないと伝える。

 油断はできない。しかし足ももう進まない。

 魔法の光の棘はすぐに消えた。しかし傷は残っている。

 リグラーダの温かさが、流れる血が、どんどん失われていって。

 

 

「すまねえ、坊主……」

「おかあ、さん……っ! うあぁぁぁぁっ!」

 

 声を上げて泣くカハロ。

 ムンジィがどうにか担いでいたカハロの母は、既に息がなかった。

 横たえ、縋りついて大声で泣くカハロに何もしてやれない。

 敵に場所が知れるというなら、他の痕跡だって明らかなのだ。泣くななどとは言えない。

 

 

「ぐ……けふっん、ぐ……」

「リグラーダ……弟に……言ってただろ、待ってるって……」

「ああ、そう……うそ、だ……」

 

 リグラーダの瞳からも、どんどん命が失われていく。

 魔法から離れていたアユミチ達と違い正面で受けた。即死しなかったのはビッテスも息絶え絶えだったからか。

 

「わたし、は……わたしの、じんせい……うそ、ばかりで……」

「そんなことはない」

「おまえが……」

 

 ほんの少しの時間を共有しただけのアユミチの為に、どうして命をかけたのか。

 組織を裏切り、仲間だったビッテスに刃を向けてまで。

 

 

「ジルボン師が……彼の治癒、なら」

「もういい……それは、もう……」

 

 拒絶の意志だけはっきりと、血濡れた手をアユミチの頬に伸ばす。

 

「アユミチが……キスして、くれた……だろう……」

「……そんなの」

「頬に……ここ、に……」

 

 はは、と笑った。

 自分の右の頬を血まみれの手で撫でて、その手から力が抜け落ちる。

 

「ほっぺに、さ……おまえ、と……わたしの、ほんと……う……」

 

 抱きしめた。

 血塗れのリグラーダを抱きしめて、彼女の頬に口づけする。

 ゼラの見ている前で、冷たくなっていくリグラーダの頬にキスを。

 

「……ん……」

 

 最後に小さく息を吐くと、それきり。

 もう応えることはない。

 

 

「リグラーダ……」

 

 そんなことで。

 たったそんなことで。

 後ろめたさや何かをごまかす為にやったんだ。あんなの、何も本当じゃない。

 ただ、もう一度キスをって言ったリグラーダの顔が、寂しそうだったのが忘れられなくて。

 

『あなたに救われたのよ、この子も』

「……」

『エクピキの……そう、支配から外れて……』

 

 リグラーダの人生がどんなものだったのか、アユミチは知らない。

 ただの兵士ではなかったのはわかる。エクピキ教団の使いとして暗い道を歩いてきたのか。

 ほっぺにキスを。

 ただそれだけで変わってしまうような、嘘に塗れたという彼女の人生を思い、悔しくて、悔しくて。

 

 

「……連れてはいけません」

「……あぁ」

「ですが、心に留めてあげなさい。アユミチ、あなたの心に」

 

 心に置いていいと。リグラーダのことを、ゼラが許す。

 アユミチの行動を責めることはなく、彼女を迎え入れるように。

 

「……うん」

 

 早くここを離れなければならない。

 亡骸を連れていくことはできない。

 だけどリグラーダを追い出したりしない。命をかけて守ってくれた彼女を、心の中にずっと。

 

 

 アユミチの肩とムンジィの腕の傷に適当な布を巻きつけ、とりあえずの応急処置。傷は深くはない。

 

 カハロの母の亡骸とリグラーダを並べて、目を閉じる。

 縋りついていたカハロは、今はカヨウに肩を抱かれて歯を食いしばっていた。

 何もしてやれなくて申し訳ない。

 

「おかあ、さ……忘れない……カハロ、忘れないから……」

「そうです」

 

 ゼラが強く頷き、ムンジィが鼻をすすった。

 簡単な手当と気持ちを落ち着け、ここを離れる。

 西は火の海。東か南か……南ではきっと火勢に追いつかれる。東を目指すしかない。

 

 

『生きてるのが不思議なくらい。治癒したってそう動けるものじゃないと思うんだけど』

 

 火が迫っている。敵も追撃を諦める可能性もゼロではないかと思ったが。

 

「残念ですねぇリグラーダさん」

「……」

「本当に、嫌いじゃなかったんですよ。私」

 

 千切れた服の替えもなく、全裸で。

 傷ひとつない醜悪な美しい体を晒して嫣然と笑う女魔法使い。

 そして法衣の男二人。

 

 

「死ににきましたか、女」

「ええ、死んじゃうかと思いましたよぉ……だから、あなたにお返ししておきたくって」

『アユミチ、いつでも行けるから』

 

 リグラーダの残したダガーと小弓を手にして、ノクサの言葉に小さく頷いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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