法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
催涙粉を被った敵に矢を放ち、即座に――
「ノクサ!」
『うん!』
すかさず踏み込むアユミチと、その横からムンジィも駆け出している。
「っ」
小柄なアパティに突き立てた鋭いダガーを彼の両手が防ぐ。止める。
ノクサの力で踏み込んだのだ。突進力はすさまじく一瞬。だが見かけから想像もできない超反応で受け止めた。
「ふ、ぐぅぅ」
肩を貫いた矢から血が溢れ、唸るアパティの額にも汗が浮く。
それでも受け止めた。
両手の真ん中に生えたエクピキの指を、切り裂けない。
似た感触なら、ものすごく硬いカボチャに包丁を立てたような。刃が欠けることもあると言うが。
神の指のコピー品。ジルボン師のものより太く硬い。
「小汚いカスが我が指にぃ!」
受け止めたアユミチを丸い目で睨みつけ、両手を輝かせる。
しまった。突っ込んだ勢いが強すぎて戻れない。
何か攻撃が来る気配に、
「汚ねえのはテメェの腐れちんぽだぁ!」
光を浴びせられる前に、ムンジィの蹴りがアパティのわき腹に深々と刺さった。
いや、ゆったりとした法衣でわからなかったが、蹴りを受けながら後ろに跳んでいる。
「ぐ、ぶ」
それでも肺まで衝撃はあったようで、息を漏らしたアパティの両手から光が消えた。
魔法と同じく集中していなければ使えない。
ザイドロスの体にぶつかりながら止まるアパティと、それを追うアユミチ――
「あぶねえ旦那!」
ムンジィの声を聞いて飛び退く。
アユミチがいた場所に吹き抜ける光の爪。催涙粉を受けてまともに見えていないだろうビッテスが、攻撃をしかけたアユミチの位置を察知して放った。
アパティを巻き込むことも躊躇していない。相手は傷ついても治癒できるのだ。こちらと条件が違う。
「
アユミチとムンジィが離れたところに、ゼラが刷毛を振りながら唱えた。
先刻、ビッテスを瀕死まで追い詰めた猛烈な砂塵の魔法。
「
ゼラの詠唱を聞いたビッテスも即座に応じる。
手にしていた貴石を砕き、ゼラの声と自分たちの間に白く光る粒子が壁のように立った。
ぶつかる礫に対して、先に進ませない冷たい音の壁。
「同じ手は無駄ですよぉ」
「そうでしょう」
ビッテスの薄目では見えていなかった。
ゼラが放った砂塵の竜巻は直接彼女らを狙っていない。彼らの両脇に二つ、逃げ場を防ぐように。
ビッテスが展開した魔法を掠め左右に広がる。そして続けて、
「
ばち。
二つに分けた砂塵の竜巻の間に続けてゼラが放った魔法が、小さな音を上げた。
次の瞬間――
「わ」
ビガガガガガァッ!
激しい明滅と共に電撃が轟いた。
雷の規模とすればそこまで激烈なものではなかったのだろう。
しかし至近距離、目の前で轟けば凄まじい。
大樹のような稲光が砂塵に挟まれた三人の足元から天に立ち上り、その光で貫いた。
「っ……す、げえ……」
ムンジィの呻き声。アユミチも同感だ。
目潰しからの強襲を防がれたが、そこに続けてゼラが魔法を叩き込んだ。
先に敵に痛打を与えた砂塵の魔法を呼び水にして、摩擦で生じた電位差を利用した電撃の魔法。
避けられない。
雷を避けることなんて人間にはできない。
殺せたかどうかはわからないが、無事ではいられないはず。
「ここまで、悪しき者の力が強いとは……」
砂煙の中から聞こえる震える声は、アパティの。
煙の中、両手から放つ光でビッテスとザイドロスを包み込んだ姿で。
バリアー、なのか。
さきほどのアユミチの攻撃も、ムンジィの蹴りも守り切ったアパティ。
守りに特化した力。
小柄な体から汗を拭きだし、決して余裕がありそうではないが。今の雷撃を防ぎ二人を守った。
「万光万珠。星海に座し逆しまに巡れ」
「なにっ……」
世界が暗転した。
三人の一番後ろでザイドロスが手を広げ何事か唱えると、アユミチの視界が暗転した。
アユミチだけではない。
「なんも見えない、おかあさん!」
「ああくそっ、なんだこりゃ」
「我が目を奪うとは不敬甚だしいでございましたな。許し難し。真なる神の怒り御覧なれ」
最後に見たザイドロスの姿を中心に視界が塗り替わった。
暗黒の星の海のような世界が回る。回転する。
渦巻く世界に飲み込まれるように。目が、頭が、体の重心も。乱れて狂って立っていられない。
強力な幻術。
「
アユミチの後ろから静かに声が響いた。
途端に、目の前を覆っていた暗黒の星海が掻き消され、元の森の中に戻る。
「ありえないでございます! 神の御力を! 不敬! 不遜! 冒涜!」
ザイドロスの悲鳴。金切り声。
「こんなまやかし、本物の女神様に比べたらなんでもありません」
カヨウの声は冷ややかな色。
カヨウが呼んだ戦馬車の幻が、ザイドロスが展開したまやかしを塗り替え、消し飛ばした。
ザイドロスは狼狽え、アパティも信じられないという表情。
それほど絶対的な術だったのだろう。通常なら。
「ああ、本物を見たこともない偽物ならこんなもんか」
奴らがどれだけ神神と言ったところで、しょせんは本物を知らない腐れ儒者の妄言。
実物を見たことのあるカヨウとでは格が違うというところ。
「な、わ……ぁっ! 許せぬ! 許せぬでございますぞ邪教の徒がこのような!」
わめくザイロドスの前で、アパティの両手から光が消えた。
ぷつり、と。バリアーらしい壁が消える。息の荒さから見れば限界か。
無敵のバリアーなんて何十秒も張っていられるものではないらしい。ザイドロスの幻術があっさり破られた精神的なダメージも重ねて。
「アパティ様、ザイドロス様」
消耗した神官二人と、最後にひとつ貴石を握るビッテス。手作りの催涙粉の影響はもう抜けているようだ。
ここで勝負。ここで殺す。
「時間がありません、お終いですぅ」
「逃がすわけが!」
ノクサの力でビッテスを殺す。
あいつの心臓にダガーを突き立てて、殺す。
「ないだろう! ノクサ!」
「アユミチ!」
飛びかかるアユミチの横からゼラの声が。遅い。
ビッテスを殺してから話を聞く。今はこの一撃に集中を――
『アユ――』
「
アユミチには魔力や霊力を見る能力がない。
ただ必死で、ビッテスを殺す為だけに飛び込もうとした。ノクサはアユミチの意志に即座に応え、応えてから気づく。
戦う術を学んできたわけではないアユミチにできるのは、高速で距離を詰めて一撃を入れること。常識外れの踏み込みだけど直線の動きしかできない。
アユミチの目の前に、既に十分にビッテスが力を
「地に在りては
黄色の貴石が破裂する直前、アユミチが飛び込む眼前に、岩壁が立った。
体の前に構えていたダガーと拳でその壁に激突し、壁を隔てた反対から溢れる熱を感じた。
「ぶっ」
『アユミチ、大丈夫!?』
ぶつかってみてわかる、コンクリートビルの壁より重厚なゼラの魔法。
ノクサの力で踏み込んだアユミチの勢いも半端なものではない。リグラーダのダガーが超一級品だったのか、突き立って折れなかったのが幸い。多少勢いが減じたおかげで骨が折れた感じはないが、すぐには立てない程度のダメージ。
「い、ぐ……くぁ……」
返事をしたいが声が出ない。
しかし、ビッテスの魔法の直撃を食らっていたらそんなものではなかった。
分厚い岩壁に遮られてさえ熱波を感じるほど。一瞬で消し炭になるところだ。
まだ強い熱が、痛みとは別にじんじんと肌に響いてくる。
「アユミチ……ご無事です、か?」
「あ、あぁ……」
咄嗟に加減などできなかったのだろう、広く立ち上がった壁で向こうの様子が見えない。
反対から見ても同じ。跳び越えてくるのでもなければ……
「同志ザイドロス、彼女を」
「彼らの最後をお見せできず、申し訳ありません……ザイドロス様、アパティ様」
「むぅぅ……まあよろしいでございましょう」
そんなやりとりが聞こえた後、壁越しでも明らかなほどの足音で遠ざかっていく。
幻覚か……弱々しいビッテスの声の様子からはそうではなさそうだが。
去ってくれるのなら、今はそれでよしとするしかない。
「アユミチ」
「ああ……ごめん、ゼラ……助かった……」
迂闊に飛び込んで死ぬところだった。
倒しておきたかった。
だけど今は無理だ。こちらが死なずに済んだことが幸いなくらい。
転がるアユミチに駆け寄るゼラの足も重い。
彼女も強力な魔法を連発した。普段だと三回程度が限界だと聞いている。
見ればカヨウも、待っていた場所で胸を押さえてつらそうに。
ムンジィとカハロがその背中を撫で、大丈夫だとカヨウが首を振る。
「
「助けてもらいっぱなしだ……いつも、ありがとう」
「はい」
疲れているだろうに、優しい微笑みでアユミチの横に膝を着き、そっと頬を撫でる細い指。
アユミチにはもったいないほど美しく、優しい女性。
色々と申し訳ない、情けない気持ちでいっぱいだ。
「そうだ……約束の服が……ゼラ、君に……」
後ろに置いてある荷物に、プレゼントの服がある。
ゼラに着てほしい。ゼラが着ているところを見たい。
そう思って選んだワンピースが……
『アユミチ……これ、ダメ……!』
ノクサの震える声なんて初めて耳にした。
『死んじゃう……これじゃみんな死んじゃう!』
ゼラが立てた岩壁が輝いていた。
アユミチが転がる地面も、リグラーダたちの亡骸の下も。
森の全ての大地が、白く輝き――
◆ ◇ ◆