法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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褥瘡:ジョクソウ
長い時間同じ姿勢で圧迫を受けることで生じる皮膚の傷。床ずれ。




3-46.女の褥瘡

 

 できれば彼は手に入れておきたかった。

 死病を治せるというのは計り知れない価値。

 トローメだけではない。世界中で死病はずっと為政者を悩ませてきた。

 農産地の人口の三割が死滅した例もある。食料不足によりその数倍の死者を出し国が荒れる。

 大きな鉱山の町で流行し、鉄鋼の産出の激減と同時に職人も壊滅。繊細な加工技術が失われた。

 

 死病への対抗策があれば多くの憂慮が解消される。

 他国に対しても圧倒的な優位を確立できる。

 トローメの国威が増せばさらにエクピキ復活への道が近づく。黄道に光が満ちる。

 だから、できれば彼は手に入れておきたかった。

 

 

 リグラーダは彼といい具合の距離の関係を作っている。

 どうも彼の好みは私よりもリグラーダ寄り。ちょっと残念。

 

 最初から知っていた。薬師はアユミチと呼ばれているという情報があったのだから。

 虚穴で出会い名前を聞いた時から彼が目的の人物だとわかっていた。

 知らないふり。

 彼が自分の正体をごまかそうとしている姿は、稚拙で、滑稽で、可愛かった。

 

 篭絡しようと仕掛けたけど失敗。

 男なんてビッテスが誘惑すればすぐにおったてて(・・・・・)くるだろうと思ったのに。

 綺麗な顔立ちのリグラーダと二人がかりでふい(・・)にされる。

 直接触れればいけるかと思ったのに、それも駄目。

 なぁんだ、つまらない。

 別の神様とやらがどんな世界を見せてくれるのか、少し興味があったのに。

 

 

 行動を共にしてみて、妙な男だと思った。

 明らかに素人。戦いの場に立つような人間じゃない。

 そのくせ矢面に立って懸命に戦う。

 時折、瞬発的に異様な力を発揮していた。あれが彼の神の力?

 ノクサ、ノクサ……名前だろうか? 呪言だろうか? エクピキの教えにもない言葉。

 

 森を出ようとした時に追いかけてきた彼は、リグラーダだけと話をしたい様子だった。

 ここで捕らえてしまうこともできる。

 いや、リグラーダが良好で親密な間柄になるのなら、今強引なことをしなくてもいい。

 一度貴い方々に報告してから、出直してくる時間はある。

 何かしら筋書きを考えて、リグラーダを通して彼にお願いすれば……たぶん、王都まで引き込むことは容易。

 彼はとてもいい人だから。

 

 と、思っていたのに。

 ディサイの苛烈な行動は予想から外れた。

 なぜ焼き討ちなど強行しようと考えたのか理解できない。強行したのは、貴族院に言えば当然止められるから先に動いたのだろうけれど。

 おかげで時間の猶予がなくなってしまう。

 

 

 なんの準備もできていない。

 けれど彼の身柄は押さえたい。協力もしてほしいから人質もついでに。

 

 それと……あの澄まし顔の女。

 神の使徒の妻だと。ああ、不愉快。とても不愉快。お綺麗なあれの手足を焼き切って貧民街に玩具として置いてやりたい。

 ドブネズミのような男どもにあの女の身を与え、腹でも膨らめばなお善い。エクピキもお歓びになる。

 ああ、その姿を彼にも見せてあげたら……なんていいのだろう。想像するだけで股が疼く。

 

 辱めるのなら。

 死すべき初夜の花嫁。その血縁が手近にあった。

 なんて偶然。黄道のお導き。

 準備も不十分な中、太光師二人という大きな力添えを得て森に向かった。

 

 

 森から逃げてきた住民を見つけ、話を聞き、供に来ていた私兵に預ける。

 他にもいれば皆保護(・・)するように。

 人質候補はたくさんいた方がいい。情報源も多い方がいい。

 その中に下級の陽灯司がいたのも素晴らしい星の巡り。後で話を聞き出しやすい。

 

 森が燃える中、彼が森にいないという情報はなんとも奇妙に感じたが、留守ということはこの焼き討ちで死ぬことはないのだろう。

 見つかった時の為に、あるいは見つける為に。もっと人質がほしい。

 

 できればあの小娘。幻術しか使えないとても可愛らしい少女。

 あれを捕まえておけば、きっと彼は見捨てられない。

 

 幻術で牢を壊すようなことはできない。監禁も容易く、またあの魔法の才能もなかなか興味深い。

 貴き方々の【御手】であの小娘の心を蕩けさせ、心を開かせ、足を開かせて。女として花咲かせて。

 素直なよい子にしてあげたら、エクピキもお歓びになるはず。

 彼だって、あの小娘がどっぷりと躾けられた淑女に成長していればきっと嬉しい。

 

 小娘はまだ森の中にいるのか、違うのか。

 急いでいたせいで情報は彼のことと彼の悪妻のことしか聞かなかった。

 

 

 廃墟の辺りで逃げるのを迷っていた住民も何人か。

 話の内容はだいたい同じ。

 悪妻もついに村を離れたとか。火が迫るから彼を待たずに逃げ出した。

 

 それまでフードを被せていた【代用品】のベールを解くと、住民たちはとても嬉しそうに。

 衣服も、捨て森で悪妻が着ていたものと似たものを選んである。

 ザイドロス様の力と、【代用品】の記憶から形どったその顔。その姿。

 そんなものを有難がり、誘われるまま吸い付いていく蛾の群れのような哀れな者たち。そんなだから人里から捨てられるのだ、卑しい蛆虫の群れ。

 少しだけ気が晴れる。あぁ……

 

 

 リグラーダの裏切り。

 理解できない。いったいなぜ、と思う一方で納得する気持ちもある。

 彼女は私とは違う。私のように真に神を愛していない。

 だから仕方ない。蛆虫と同じ知能のないあさましい女。

 神の下さる寵愛を蜜のように啜り恍惚に酔っておきながら、真の愛に届こうともしないただの女。女。

 すぐに殺そうか。

 それとも、もう一度神の前で涙と涎を流して謝罪させてから殺そうか。

 どちらがいいかな。

 

 そう思ったところで、あの淫売が! 糞尿より汚穢(おわい)卑婦(ひふ)! 婢女(はしため)が!

 ザイドロス様に向けて汚い唾を吐いた。

 私のいる場所で、尊い御方の命を奪おうと。

 

 死ぬかと思った。

 死んだと思った。

 命を失う感触と、命を与えられる悦び。

 痛みと快楽の絶頂。永遠を肌で感じ、涙が零れる。これが神の世界。

 

 

 生死の境からの帰還。

 私も、ザイドロス様もアパティ様も、かなり体力を削られた。致命傷の治癒ともなれば太光師であろうと相応に脳を疲弊させる。

 腰袋の貴石も散らばってしまい数個しか手元にない。

 けれど。

 

 生かしておかない。あの女は絶対に。絶対に。

 もういい、彼の確保なんてどうてもいい。

 あの女だけは殺す。できるだけ無残に、絶望の底で死んでもらわなければいけない。

 ああ、彼と共に死なせよう。

 お得意の魔法で守ることもできず目の前で失うように。

 後悔なさい。深く、ふかく。

 

 

「まだあれらを始末する手は、ここに」

 

 アパティ様に宣して頷いた。

 手の中の異様に濃い粘るような黄色の貴石。これがあれば十分。

 

 

 かつて嘔息(くそく)ヘレボルゼの一部を採取し、実験した教徒たちの記録。

 活性化に成功したものの手に負えず増殖したそれの為に町を燃やした。

 

 違う。

 魔獣の研究をしていた教徒たちの本当の記録では少し違う。

 

 燃やしたのはヘレボルゼに炎が有効だったから。

 今なら理由はわかる。あれが神話に残るアニラービーの残りカスなら、それはもう火が有効だろう。

 

 有効だったから、一片も残さず焼き尽くそうと最も強い日輪の炎の魔法を使った。敵を塵も残さず焼き尽くす魔法。

 その結果が。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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