法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
次期右流伯アントニー・マクリアスは作戦の順調な進捗に満足していた。
敵もいない森を燃やすだけのことと、口さがのない者は言うかもしれない。
山火事を消すのと起こすのではどちらが大変かと、そう言う者もいるだろう。
何を言うか。
死病の流行を手段に大逆を成す悪しき者どもとの戦いだ。ただ城を攻めるような行いよりはるかに崇高な戦。
火事をどうこうなどという話ではない。太古の魔獣
そうだ、報告しておこう。
捨て森の徒党はヘレボルゼを飼いならし死病を操っていたのだと。
肥溜めの糞ハエより汚く卑劣な、まさに邪悪。
これを誅殺したアントニー・マクリアスはトローメの救世主。
以前、東海域の左潮伯エクソト家に王家から降嫁した姫がいた。
アントニーにもそうした縁談が舞い込むかもしれない。まあ既に妻はいるが、都の姫ともなれば正妻に迎えてもいい。
ああ、今の王家には男児二人しかいなかったか。
王家でなくとも上流貴族から、以前評判だった【死の初夜の花嫁】のような絶世の美姫を側室に贈られてもいい。何しろ英雄の救世主なのだから。
英雄の賞賛を受け美姫をもらい受けて当主の座に就く。
悪くない。素晴らしい。
弟の死をきっかけに駆け上れるのはアントニーがそれだけの器だからだ。
天はアントニーを選んだ。選ばれし者。
選ばれし者としてつまらぬ死に方はできない。
弟のようなつまらぬ死に方は許されない。
焼き払っているとはいえ死病の捨て森。近づけばどういう理由で病に冒されるかわかったものではない。
アントニーは捨て森に入ることなく天幕から兵に指示を与えていた。
この采配もまさしくアントニーが天に愛された者である証左だったのだろう。でなければ死んでいた。
既に火の手は留まる様子もなく、兵が交代で火勢の弱い方へ燃えやすいものを放っているだけ。
火の弱い場所から燃え残った死病の暴徒が溢れてきても困る。こちらには一匹も漏らさぬよう。
捨て森中心ほどに火が届こうかという時。
世界が終わる。
終わったと思うほどの衝撃。輝き。天変地異。
捨て森中心に光が瞬いたかと思えば、神々の戦もかくやと言わん大爆発が森を吹き飛ばした。
森の外に布陣していた天幕を吹き飛ばされ、地面に這いつくばってその輝きを見る。
何が起きたのか。何事か。
捨て森を覆い尽くすような白い光。輝き。
中にいる者を消し炭にする神の白炎が、とてつもなく巨大な花のように咲いた。
「なん……何が……なんだこれは……」
森を消し飛ばし出現した白い輝き。
凄まじい力に圧倒され、呆然と見上げた。
最初の暴風が抜けた後も消えない白炎が、立ち上がるアントニーを照らす。煌々と。
「……神の怒り……そう、これこそ我らエクピキの神威だ!」
森の中にいた兵士は消し炭になっただろう。実働部隊の四分の一もいないはず。
それでも損害は損害。
しかし指揮官として負け戦、作戦失敗などという顔はしてはならない。
「呪われた忌まわしい者どもに! トローメを汚す魔獣ヘレボルゼを! 我らの炎とエクピキの神威が鉄槌を下したのだ!」
両手を大きく広げ、高らかに声を上げた。
神々しい白炎に正面から向かい、この偉大な奇跡を呼んだアントニー・マクリアスの声を轟かせる。
「ディサイ総督アントニー・マクリアスと勇猛なる我が軍勢が! 太古より生きた呪いの森の悪魔を撃ち滅ぼしたのだ!」
勝鬨を。
奇跡の英雄の勝利に、万雷の拍手を。
兵士たちの歓声はまばらでいまいち盛り上がりに欠けるが。まあいい。
アントニーを祝福するかのように、白炎は七日七晩輝き続けた。
◆ ◇ ◆
何もない。
何もない。
初めて来た日は薄気味悪い暗い森だと思った場所。
もう何もない。
灰と土と、ぬるく吹く風だけ。
歩いた。
村があった場所を。
そこから東に、東に、東に。
数日歩いても何も残っていなかった。
何もなくなる前、消し飛ぶ前は進むのも苦労しただろう。
今では樹木も茂みも何もなく、急斜面や崖も光の中で削られ、なだらかに。
爆心地から離れていくと、枝を折られた幹がぽつぽつ残っていく。
だけど生き物の気配はない。どこにも、どこを探しても。
明らかに森とは地形が異なる山岳地帯あたりまで来て足を止めた。
焼き討ちが始まってから村を出たとして、数日でここまで来られたはずがない。
死んだ。みんな死んだ。
それでも認めたくなくて、諦めたくなくて、当てもなくただ歩き回った。何もない森を……森だった場所を。
カヨウもカハロも黙ってついてくる。
限界を超えてアユミチが意識を失うとそこで眠り、アユミチの手で酒瓶を開けアユミチの口に流し込んで。
何の感覚もない。
おそらく小便だって歩きながらしていたのではないか。
レーマ様からもらった衣服は汚れが勝手に綺麗になる。その感触もわからないまま歩き続けた。
◆ ◇ ◆
「アユミチさん、着きましたよ」
「あ……」
カヨウの声に顔を上げる。
夜空。星々より先に真円に近い月が目に入った。
月明かりに照らされた、山中の小さな建物。赤い扉。
「少しだけ綺麗にしてから入りましょう。水を出していただけませんか?」
「う……あ……」
カヨウが言うなら、言う通りに。
リストバンドを握って小雨を降らせる。
雨。
雨季が終わったんだったか。
渇いた世界に雨はなかった。
雨を浴びる。頭の上から、服のまま。
「さあアユミチさん。脱いでください。ね」
「うあ……」
言われるまま服を脱がされた。
カヨウとカハロの小さな手がアユミチに触れて、頭上から注ぐ雨水でアユミチの体を拭っていく。
丁寧に、優しく、そっと。
ゼラの指じゃない。ゼラの温度じゃない。
ゼラじゃない。
その事実の現実感に濡れながら泣いた。
◆ ◇ ◆
「ひでえ顔だな、おい」
「……」
「先月とは大違いじゃねえか……またお前が泣かせたのか?」
「違います」
レーマ様とカヨウの会話がぼんやりと耳に入ってくる。
呆れたレーマ様の声に対して冷ややかなカヨウの声。そして溜め息。
「そうだったらよかった。そう思いますけど」
「使徒様、とっても悲しいって」
「そうか、まだちっちゃいのにアユミチよりしっかりしてんな。名前は?」
「カハロ……」
手招きするレーマ様に戸惑うカハロへ、カヨウが小さな声で行きなさいと囁く。
レーマ様の両隣で、イサヤとナーリヒも不安げな視線をアユミチに向けていた。
「おお、いい子だカハロ」
「うん、カハロいい子にする。お姉ちゃんと約束した。おかあさんにも……」
「そうかそうか、カハロは偉いなぁ」
「おかあさん、死んじゃったけど……使徒様と女神様のお役に立ちなさいって」
死んじゃった。
イサヤは俯き、カハロの母を知っているナーリヒは目を見開く。
カヨウの方に目をやり、カヨウは黙って首を振った。
「そんな……」
「んで、何があったんだよ? あー、お前が話せ」
「はい」
息を吐き、棒立ちのままのアユミチをちらりと見てから、
「森の村が焼かれました。みんな……おそらくほとんどの人が、死にました」
「うそだ……そんな」
「へえ」
「……ゼラ様も。アユミチさんの奥さんになった人も、死んでしまいました」
「ナーリヒから聞いてたけどほんとだったんだなぁ」
少年を欲するレーマ様だけれど、女に関してはアユミチの好きにしろと当初から言っていた。
妻帯したことを責められるいわれはない。
その、最愛の妻を失った。
ゼラは死んだ。
ゼラは死んだんだ。
――***はねぇ、ここで死んだんだよ。
ここで……そう、捨て森で死んだんだ。
不意に意味もない記憶が頭に浮かぶ。
何の話をしていたんだったか。どこの話だ。なぜ急に?
――あんたは助けてくれなかったじゃないか。
そうだ。俺は何もできない。何もできない俺は助けられなかった。
いつも、いつも。今回だって。
――いい子だったのさ。
最高の女性だった。世界で一番の。
――ああ、世界でいっとういい子だったのにねぇ……
「……取引だ」
そうだ、あの時アユミチはそう言った。
なぜ忘れていたのか。なぜ考えなかったのか。
「レーマ様だ……」
「うん?」
「そうだ、レーマ様がいるんだ……ここに」
「そりゃあいるだろ、いつだって」
「レーマ様がいる。俺にはレーマ様がいる」
「あ? なんだぁ?」
完全に停止していたアユミチの頭に天啓が降りる。
いや、天啓なんてたいそうなものじゃない。誰でも最初に思いつくはずの簡単な奇跡。
ぼやけていた頭の中から潮が引くようにもやが消え、晴れていく。
「カヨウ、カハロ、ありがとう。そうだった、そうだったんだ!」
「きゃっ……あの……」
カヨウの肩を掴み、頭を撫でる。
ここまで連れてきてくれてありがとう。自分の馬鹿さ加減が嫌になる。
「使徒様、元気になったらカハロも嬉しい」
「ごめんなカハロ、お前だってつらかったのに……あぁ」
空を仰ぐ。
建物の中なのに、以前とは違い屋根が浮かんでいて、壁と屋根の間から夜空が見えた。
ああ、カヨウが言っていた。窮屈さがなくなったというのはこのことなのか。気づかなかったけれど。
「どうしたってんだか」
レーマ様の戸惑う声を聞きながら夜空を見上げる。涙が零れそう。
星の道が彼方まで続く。まだ道は続いている。
気合を入れようと両手で頬を張った。ばんっばん、と。二回。それから――
「レーマ様! 俺の女神レーマ・ルジア様!」
頭を下げた。
両手を床に着き、額を擦りつけて。
「お願いです……ゼラを……俺の大切な人たちを。みんなを、生き返らせて下さい」
◆ ◇ ◆
『アユミチ……きっとそれは、あなたを……』
もう一緒に行かない。
そう言っておいてよかった。
その場にいたらノクサは、アユミチの願いを全て台無しにしてしまうだろうから。
◆ ◇ ◆