法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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3-48.我が神に

 

 次期右流伯アントニー・マクリアスは作戦の順調な進捗に満足していた。

 敵もいない森を燃やすだけのことと、口さがのない者は言うかもしれない。

 山火事を消すのと起こすのではどちらが大変かと、そう言う者もいるだろう。

 

 何を言うか。

 死病の流行を手段に大逆を成す悪しき者どもとの戦いだ。ただ城を攻めるような行いよりはるかに崇高な戦。

 火事をどうこうなどという話ではない。太古の魔獣嘔息(くそく)ヘレボルゼの住処を焼き払うのだ。恐れず立ち向かうアントニーは魔獣退治の大英雄。

 

 そうだ、報告しておこう。

 捨て森の徒党はヘレボルゼを飼いならし死病を操っていたのだと。

 肥溜めの糞ハエより汚く卑劣な、まさに邪悪。

 これを誅殺したアントニー・マクリアスはトローメの救世主。

 

 以前、東海域の左潮伯エクソト家に王家から降嫁した姫がいた。

 アントニーにもそうした縁談が舞い込むかもしれない。まあ既に妻はいるが、都の姫ともなれば正妻に迎えてもいい。

 ああ、今の王家には男児二人しかいなかったか。

 王家でなくとも上流貴族から、以前評判だった【死の初夜の花嫁】のような絶世の美姫を側室に贈られてもいい。何しろ英雄の救世主なのだから。

 

 英雄の賞賛を受け美姫をもらい受けて当主の座に就く。

 悪くない。素晴らしい。

 弟の死をきっかけに駆け上れるのはアントニーがそれだけの器だからだ。

 天はアントニーを選んだ。選ばれし者。

 

 

 選ばれし者としてつまらぬ死に方はできない。

 弟のようなつまらぬ死に方は許されない。

 

 焼き払っているとはいえ死病の捨て森。近づけばどういう理由で病に冒されるかわかったものではない。

 アントニーは捨て森に入ることなく天幕から兵に指示を与えていた。

 この采配もまさしくアントニーが天に愛された者である証左だったのだろう。でなければ死んでいた。

 

 既に火の手は留まる様子もなく、兵が交代で火勢の弱い方へ燃えやすいものを放っているだけ。

 火の弱い場所から燃え残った死病の暴徒が溢れてきても困る。こちらには一匹も漏らさぬよう。

 

 

 捨て森中心ほどに火が届こうかという時。

 世界が終わる。

 終わったと思うほどの衝撃。輝き。天変地異。

 

 捨て森中心に光が瞬いたかと思えば、神々の戦もかくやと言わん大爆発が森を吹き飛ばした。

 森の外に布陣していた天幕を吹き飛ばされ、地面に這いつくばってその輝きを見る。

 

 何が起きたのか。何事か。

 捨て森を覆い尽くすような白い光。輝き。

 中にいる者を消し炭にする神の白炎が、とてつもなく巨大な花のように咲いた。

 

 

「なん……何が……なんだこれは……」

 

 森を消し飛ばし出現した白い輝き。

 凄まじい力に圧倒され、呆然と見上げた。

 最初の暴風が抜けた後も消えない白炎が、立ち上がるアントニーを照らす。煌々と。

 

 

「……神の怒り……そう、これこそ我らエクピキの神威だ!」

 

 森の中にいた兵士は消し炭になっただろう。実働部隊の四分の一もいないはず。

 それでも損害は損害。

 しかし指揮官として負け戦、作戦失敗などという顔はしてはならない。

 

「呪われた忌まわしい者どもに! トローメを汚す魔獣ヘレボルゼを! 我らの炎とエクピキの神威が鉄槌を下したのだ!」

 

 両手を大きく広げ、高らかに声を上げた。

 神々しい白炎に正面から向かい、この偉大な奇跡を呼んだアントニー・マクリアスの声を轟かせる。

 

「ディサイ総督アントニー・マクリアスと勇猛なる我が軍勢が! 太古より生きた呪いの森の悪魔を撃ち滅ぼしたのだ!」

 

 勝鬨を。

 奇跡の英雄の勝利に、万雷の拍手を。

 

 兵士たちの歓声はまばらでいまいち盛り上がりに欠けるが。まあいい。

 アントニーを祝福するかのように、白炎は七日七晩輝き続けた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 何もない。

 何もない。

 

 初めて来た日は薄気味悪い暗い森だと思った場所。

 もう何もない。

 灰と土と、ぬるく吹く風だけ。

 

 歩いた。

 村があった場所を。

 そこから東に、東に、東に。

 

 数日歩いても何も残っていなかった。

 何もなくなる前、消し飛ぶ前は進むのも苦労しただろう。

 今では樹木も茂みも何もなく、急斜面や崖も光の中で削られ、なだらかに。

 

 爆心地から離れていくと、枝を折られた幹がぽつぽつ残っていく。

 だけど生き物の気配はない。どこにも、どこを探しても。

 

 

 明らかに森とは地形が異なる山岳地帯あたりまで来て足を止めた。

 焼き討ちが始まってから村を出たとして、数日でここまで来られたはずがない。

 死んだ。みんな死んだ。

 それでも認めたくなくて、諦めたくなくて、当てもなくただ歩き回った。何もない森を……森だった場所を。

 

 カヨウもカハロも黙ってついてくる。

 限界を超えてアユミチが意識を失うとそこで眠り、アユミチの手で酒瓶を開けアユミチの口に流し込んで。

 何の感覚もない。

 おそらく小便だって歩きながらしていたのではないか。

 レーマ様からもらった衣服は汚れが勝手に綺麗になる。その感触もわからないまま歩き続けた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「アユミチさん、着きましたよ」

「あ……」

 

 カヨウの声に顔を上げる。

 夜空。星々より先に真円に近い月が目に入った。

 月明かりに照らされた、山中の小さな建物。赤い扉。

 

「少しだけ綺麗にしてから入りましょう。水を出していただけませんか?」

「う……あ……」

 

 カヨウが言うなら、言う通りに。

 リストバンドを握って小雨を降らせる。

 

 雨。

 雨季が終わったんだったか。

 渇いた世界に雨はなかった。

 雨を浴びる。頭の上から、服のまま。

 

 

「さあアユミチさん。脱いでください。ね」

「うあ……」

 

 言われるまま服を脱がされた。

 カヨウとカハロの小さな手がアユミチに触れて、頭上から注ぐ雨水でアユミチの体を拭っていく。

 丁寧に、優しく、そっと。

 ゼラの指じゃない。ゼラの温度じゃない。

 ゼラじゃない。

 

 その事実の現実感に濡れながら泣いた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「ひでえ顔だな、おい」

「……」

「先月とは大違いじゃねえか……またお前が泣かせたのか?」

「違います」

 

 レーマ様とカヨウの会話がぼんやりと耳に入ってくる。

 呆れたレーマ様の声に対して冷ややかなカヨウの声。そして溜め息。

 

「そうだったらよかった。そう思いますけど」

「使徒様、とっても悲しいって」

「そうか、まだちっちゃいのにアユミチよりしっかりしてんな。名前は?」

「カハロ……」

 

 手招きするレーマ様に戸惑うカハロへ、カヨウが小さな声で行きなさいと囁く。

 レーマ様の両隣で、イサヤとナーリヒも不安げな視線をアユミチに向けていた。

 

 

「おお、いい子だカハロ」

「うん、カハロいい子にする。お姉ちゃんと約束した。おかあさんにも……」

「そうかそうか、カハロは偉いなぁ」

「おかあさん、死んじゃったけど……使徒様と女神様のお役に立ちなさいって」

 

 死んじゃった。

 イサヤは俯き、カハロの母を知っているナーリヒは目を見開く。

 カヨウの方に目をやり、カヨウは黙って首を振った。

 

「そんな……」

「んで、何があったんだよ? あー、お前が話せ」

「はい」

 

 息を吐き、棒立ちのままのアユミチをちらりと見てから、

 

 

「森の村が焼かれました。みんな……おそらくほとんどの人が、死にました」

「うそだ……そんな」

「へえ」

「……ゼラ様も。アユミチさんの奥さんになった人も、死んでしまいました」

「ナーリヒから聞いてたけどほんとだったんだなぁ」

 

 少年を欲するレーマ様だけれど、女に関してはアユミチの好きにしろと当初から言っていた。

 妻帯したことを責められるいわれはない。

 

 

 その、最愛の妻を失った。

 ゼラは死んだ。

 ゼラは死んだんだ。

 

 

 ――***はねぇ、ここで死んだんだよ。

 

 ここで……そう、捨て森で死んだんだ。

 

 

 不意に意味もない記憶が頭に浮かぶ。

 何の話をしていたんだったか。どこの話だ。なぜ急に?

 

 

 ――あんたは助けてくれなかったじゃないか。

 

 そうだ。俺は何もできない。何もできない俺は助けられなかった。

 いつも、いつも。今回だって。

 

 

 ――いい子だったのさ。

 

 最高の女性だった。世界で一番の。

 

 ――ああ、世界でいっとういい子だったのにねぇ……

 

 

「……取引だ」

 

 そうだ、あの時アユミチはそう言った。

 なぜ忘れていたのか。なぜ考えなかったのか。

 

 

「レーマ様だ……」

「うん?」

「そうだ、レーマ様がいるんだ……ここに」

「そりゃあいるだろ、いつだって」

「レーマ様がいる。俺にはレーマ様がいる」

「あ? なんだぁ?」

 

 完全に停止していたアユミチの頭に天啓が降りる。

 いや、天啓なんてたいそうなものじゃない。誰でも最初に思いつくはずの簡単な奇跡。

 ぼやけていた頭の中から潮が引くようにもやが消え、晴れていく。

 

 

「カヨウ、カハロ、ありがとう。そうだった、そうだったんだ!」

「きゃっ……あの……」

 

 カヨウの肩を掴み、頭を撫でる。

 ここまで連れてきてくれてありがとう。自分の馬鹿さ加減が嫌になる。

 

「使徒様、元気になったらカハロも嬉しい」

「ごめんなカハロ、お前だってつらかったのに……あぁ」

 

 空を仰ぐ。

 建物の中なのに、以前とは違い屋根が浮かんでいて、壁と屋根の間から夜空が見えた。

 ああ、カヨウが言っていた。窮屈さがなくなったというのはこのことなのか。気づかなかったけれど。

 

「どうしたってんだか」

 

 レーマ様の戸惑う声を聞きながら夜空を見上げる。涙が零れそう。

 星の道が彼方まで続く。まだ道は続いている。

 気合を入れようと両手で頬を張った。ばんっばん、と。二回。それから――

 

 

「レーマ様! 俺の女神レーマ・ルジア様!」

 

 頭を下げた。

 両手を床に着き、額を擦りつけて。

 

「お願いです……ゼラを……俺の大切な人たちを。みんなを、生き返らせて下さい」

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

『アユミチ……きっとそれは、あなたを……』

 

 もう一緒に行かない。

 そう言っておいてよかった。

 

 その場にいたらノクサは、アユミチの願いを全て台無しにしてしまうだろうから。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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