法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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4-1.夜の波音

 

 夢を見る。

 ただ一度、大切な人と結ばれた夜の夢を。

 

 夢のような一時(ひととき)だった。

 世界中の誰より美しい人に、優しく抱き包まれて。

 嘘なんじゃないか、何かの間違いなんじゃないかと不安になるアユミチに、愛を囁いてくれた。

 

「疑わないで下さい、良人(あなた)

 

 違うんだ。君を疑っているんじゃない。

 信じられないのは自分自身。情けなくて何にもない自分が、こんな幸せを手にしていいのかって。

 ただ美しいだけじゃない。真っ直ぐで飾らなくて、時折言葉がきついのにアユミチにはいつも優しい。

 

 凛とした姿が好きだ。

 ほんの少し悪い笑顔を見せるのも好きだ。

 魔法を褒められると、何でもないようなフリをしながらちょっと誇らしげに口角が上がる顔が好きだ。

 遠慮がちなファニアに、命令だと言って甘さを押し付けるやり取りも好きだ。

 大好きだ。

 

 

良人(あなた)が何を疑っても。何を信じられなくても、わたくしを信じて下さい」

 

 嘘じゃないから、と。

 唇で教えてくれた。

 

「他の何を疑ってもわたくしの言葉を忘れないで」

 

 自分が自分を信じられなくても、君の言葉を。

 赤い瞳でアユミチを見つめて、頬を撫でながら、

 

「わたくしは今幸せです。望んで良人(アユミチ)の妻になったのです」

 

 望んでくれた。

 アユミチの存在を。添い遂げる伴侶として望んだ。

 だからこうしているのだと。

 

「ゼラはいつまでも良人(あなた)のゼラです。どうか忘れないでくださいませ」

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 夏も終わり、秋も半ば。

 秋の祭りが近づくにつれ、西港ディサイも活気を増していた。

 夏の間に育った田畑の収穫が終わった時期。

 漁師たちは、海が荒れる冬になる前に遠くまで出る最後の漁の直前。その出発式を兼ねたような祭り。

 

 今年はそんな秋祭りにさらに重ねて、右流伯マクリアス家の継承式も行われる。

 現当主コスタス・マクリアスからアントニー・マクリアスへ。

 王都からの賓客も訪れるこのイベントは例年の規模を大きく超える。

 町は活気立ち、自然と人の出入りも増えていた。

 初夏の頃、さらなる死病の流行を恐れてよそ者を厳しく取り締まっていたことなど忘れたように。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 北の入り江には漁師たちの生け簀(いけす)がある。冬の間は生け簀の貝や海藻などの関係が漁師の主な仕事。

 ディサイ北の港は主に漁船。南側が軍船。そんな住み分けだ。

 

 漁師たちは仲間意識が強い。よそ者などには厳しい。

 だから漁師以外の住民が南側、軍港近くで釣りをしていることは珍しくなかった。

 見回りの兵士も釣果をいくらかもらったりするので咎めることはない。

 

 ただ、少しばかり今回は珍しかった。

 桟橋や開けた場所ではなく整備しにくい岩場。海から爪を立てたように入った切れ目の。

 

 所々にそういう地形がある。大昔の神の爪痕だとか言われる。北の入り江は特に大きいもの。

 小さな切れ目の岩場周辺は潮の満ち引きで変な流れも起きるし、波が荒いと上まで飲まれる。危険な場所。

 今日のようないい月夜に荒波などないだろうが。

 

 

 

 タルーサはポーラ隊の兵士だ。

 夜警など下っ端のやるような仕事はない。懐は温かく、月夜の晩に遅くまで飲んでいたって誰に文句を言われる筋合いもない。

 女房は小言を言うだろうが。

 

 行きつけの飲み屋を店じまいだと追い出され、酔い覚ましついでに海端を歩いていてふと、何か香る。

 香ばしい匂い。魚を焼く。

 どこからかと見回して、整備された漁港に突き刺さるような巨岩、その下あたりからだと覗いてみた。

 

 小柄な、子供か?

 フードを被った誰かが、その場で釣ったのだろう魚を串に刺し小さな鉢で(あぶ)っていた。

 香ばしい匂いはその鉢の中の炭らしい。

 

 別に声をかける必要もないが、最近はいろいろと上手くいっていたタルーサは気が大きくなっていた。

 調子がいい、羽振りがいい時の人間はそんなものだ。まして酒も入っている。

 

 

「どうだい、釣れてるか?」

「ぃっ!?」

 

 護岸の下の岩場から悲鳴に似たやや高い声が漏れた。

 見つかった、と焦るようにびくっと震えてから、おそるおそるタルーサを見上げる小柄な影。

 子供……女か?

 

「驚かす気はないよ。聞いただけだ」

「……はい、少しだけ」

 

 女の声。まだ若い。

 こんなところで……荒天時には波しぶきが荒れるこの周辺に住居はない。物置倉庫ばかり。

 人気(ひとけ)もほとんどない。近所の娘というわけでもないだろう。

 

「こんなところで?」

「家は……奥様の機嫌で、食べさせてもらえないので……」

「へえ」

 

 どこかの家の召使か。

 主人の機嫌でまともに飯をもらえないなんてことは珍しくない。

 だからこっそりここで自分で釣って腹の足しに。

 

 

 こっそりと、若い娘が。

 興味が湧いて、ひょいっとタルーサも岩場に降りた。

 酔っていて少しぐらついたが港町の兵士だ。このくらいなんでもない。

 

「いい匂いしてるな」

「あの……」

 

 覗き込む。フードの内側を、月明かりで。

 

「へえ、なるほど」

 

 やたらと整った顔立ち。

 小間使いかと思ったが、どうやらそれだけではない。その家の旦那様のおもちゃだ。

 女主人の機嫌が悪いと八つ当たりされるのもわかる。今夜は旦那様は奥様の御機嫌取りで、おもちゃの方は体が空いたというところか。

 

 

「そんな家なら出ていけばいいだろ」

「お世話になっている家なので、できません」

「飯も食わせてくれないのに?」

「でも……逃げ出したら罰を受けます。行くあてもありません」

 

 首を振る少女。

 逃げ出せない、家を出るなんて考えられない。そういう奴隷の顔。

 悪くない。

 

 

「なら助けてやろうか?」

「……」

「ひとつくれよ」

 

 タルーサの言葉に少女の表情が消えた。

 何を言っているんだろうとか、信じられないとか、そんな風に。

 酔っ払いが初対面の少女相手に何を?

 

「相手が右流伯閣下だとかディアホラ家だとか言うなら無理だけどな」

「いえ……そんなところ、とても……」

 

 少女の所有者が貴族様だったらとても手を出せない。

 だが、たかが奴隷女相手に嫉妬を燃やす女主人や、それの制御ができないような旦那だとすれば貴族ではないだろう。

 ちょっと裕福な商人やそこら。

 

「俺はポーラ隊の兵士だ。アントニー様にも顔が利く」

「……」

「うちで匿ってやる。飯の心配はいらないし、王都の菓子だって食えるぞ」

「お菓子……ですか」

 

 無表情だった少女の顔がふと緩み、風でフードが後ろに落ちた。

 見れば本当にたいそうな美少女。まだ小さいがこれはたまらない。

 断るようなら今夜一晩お付き合いしてもらって、面倒になりそうならこの海に捨ててもいい。もったいないが。

 ここから近い連れ込み宿はどこだったか。飲み屋の方に戻る必要がありそうだ。

 

 

「でも、私……」

「うちには子供もいない。うちの子になればいいさ」

「子供……」

「表向きはな。わかるだろ」

 

 身寄りのない若い娘や少年を引き受けるなんて珍しい話じゃない。

 ディサイはここ周辺で一番大きな町で、孤児院も多い。ある程度の年齢になったら奉公として出される。奉公先でどう扱われているかなんて考えればわかる。

 貴族様ならもっとえげつない。

 それが支配者というもの。表では立派なことを言っても裏の顔はまるで別。

 

「ひとつくれよ」

 

 うんと言わせるために、焦げかけた魚を指さした。

 人間、迷っている時に一度うんと言うと、迷っていたことにも肯定的になりやすい。

 魚、あげますよ。

 さっきのお話も……はい。

 

 

「心配しなくていい、名前は?」

 

 初夏のあの遠征からこっちタルーサはやたらとついている。

 金廻りはいい。ポーラ隊での出世も順調。マクリアス家の当主交代が終わればさらにいい見通し。

 アントニー閣下様様だ。タルーサはその側近に。

 召使女の一人くらい、愛妾の一人くらい、女房に文句を言わせない。

 

「……はい」

 

 はにかんだ微笑みを浮かべて、少女が焼けた魚の串をタルーサに差し出した。

 ふう、ふうと。

 可愛い桃色の唇を尖らせ、焼けた魚の表面を軽く冷ましてから。

 年齢に似つかわしくない艶っぽさ。ああ、もともと性玩具として仕込まれているのか。

 

 使い古しだとしてもこれだけの器量、そう見ることはない。化粧もしていないのに高級娼婦より美しく、何より若い。とても若い。

 本当に、よくもまあこんな美少女が落ちていたものだ。

 やはりタルーサはツイている。

 

 

「こんなものですけど、どうぞ……タルーサさん」

「あぁ」

 

 もらった魚を、少女の吐息で冷ましてもらった焼き魚を受け取り、わずかに指が触れる。

 はっと手を引っ込める少女のしぐさもたまらない。

 慰み者として生活してきただろうに、まるで処女のような初心さ。初々しさ。

 

「ありがとう、な」

 

 タルーサの胸も高鳴る。まるで少年時代の初恋のように。今さら、この年で。

 自分が照れているなど恥ずかしい。ごまかす為に慌てて魚を口に運んだ。

 さっき美少女の吐息がかかった魚。あの唇で次はタルーサに。

 

「ほふっ、はふ」

 

 熱い。

 冷ましてもらったが、つい今まで焼いていたのだ。身の方はまだ熱がいっぱい。

 しかし美少女の吐息の魅力で口から離れてくれない。

 そういえばこの少女の名前はなんだったか。まだ聞けていない。

 タルーサは……タルーサは、名乗ったのだったか?

 

 

 ちゃりん。

 

 どこかで金属音が響いた。

 硬化を落としたような。

 誰だ。もしやこの美少女の家の者が探しにきたのか。今さら。もうこれはタルーサのものだ。物にする。

 

「……」

 

 串と魚を咥えたまま振り向くが、誰もいない。上にも。

 誰もいない。

 あらためて少女を見れば、一歩下がって小さく礼をした。

 よろしくお願いしますという意味か。

 どうぞ私をお召し上がりくださいタルーサ様、と。よし。

 

 

「んぁ――」

 

 魚を食って頷こうと引っ張りかけた串が、喉に叩き込まれた。

 

「んぼぉ! っが、ぶっ」

 

 折れた串が口の中に突き刺さり、熱い魚の身が喉を塞ぐ。

 ふら、としかけたタルーサの頭を、髪の毛を鷲掴みにして、見えない何かは少しの容赦もなく叩きつけた。

 石造りの護岸の壁に。

 続けてごつごつの岩場に。顔面を。

 

 

「ぶぇっ、ぶ……」

 

 二回目で意識は飛んでいた。

 だが念入りに、三回目、四回目。

 死にゆくタルーサの脳に、最後に聞いた音が繰り返す。

 

 少女の名前、ではなくて。

 ちゃりんと金を落とす音。

 

 あれは地獄の海の渡し賃か。

 足りて、よか

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 




 あとがき
 しばらく投稿お休みします。
 カクヨムコンテスト(12月-01月の間のみポイント集計)向けに明るいお話書くので。
 書籍化を目指してやってみます。

 本当は本作で書籍化できればよかったんですけどね。
 序盤で人気が取れないと難しそうです。
 仕事も忙しくなるので全部はできない。すみません。
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